《陰陽四象の気色》
・大陰(=太陰)の気色がある者は、その当時は物を施す事を失う。貪る事のみを欲する。また、正直な者の徳を覆い、暗ませる(≒心を乱す)事を好む。つまり、その気は満月合夜(まんげつごうや)に位置する。
*満月合夜…「合」は再読(返読)文字の「まさに…べし」で、「合夜」は真夜中のことで、最も暗く、寒くなる時間帯にあたる。また、大陰は陰が最大となる状況、つまりは陰極で、文中の満月も合夜も共に陰極の暗喩、メタファーである。
・大陽(=太陽)の気色がある者は、その当時は気力が充実しており、ほとんどの事は安定している。しかし、何れは衰えるのではないかと憂う。つまり、その気は日の天上中正(てんじょうちゅうせい)に位置する。
*日の天上中正…いわば太陽が最も高い高度に位置する状況の事。また、太陽の影響が最強に及ぶ時間帯であり、地球半球上が最も明るく、暖かくなる時間にあたる。大陽は陽が最大となる状況、つまりは陽極である。
・小陰(=少陰)の気色がある者は、その当時は人が衰える事を望む。あるいは人を暗まし、貪る事を欲する。つまり、その気は日昳黄昏(じつてつたそがれ)に位置する。
・小陽(=少陽)の気色がある者は、その当時は心が寛然(かんぜん)としていて、大きな事を望んでいる。しかし、己は無欲であり、人を導き、諸事を完成させるような事を常とする。その気は平坦現上に位置する。
*寛然…ゆったりとして、落ち着いている様。
以上の大陰、大陽、小陰、小陽の気色は、常に万物に備わっているものである。いわゆる、天地同性の気色である。人を相する時、まずこの気色を知らなければ、観る事は出来ない。したがって、ここにその観方を二、三記し、明らかにした。
《月割の図》
↑「月割の図」この月割の穴所は、およそ曲尺(かねじゃく)二歩ほどの幅を定規として、一文字に観通し、それぞれの範囲で吉凶を判断しなさい。
《日割の図》
↑「日割の図」この日割の穴所は、各々の中央を朔日(ついたち)と定め、段々に繰り終わる所を晦日(みそか)とする。これは一カ月を三十日に割って、その日の吉凶を判断する相法である。
《流年の図》
↑「流年図(一~二十歳)」一歳から二十歳までは図のように、髪際から両眉までの間を二十歳と定める。両眉の頭を上へ一文字に観通し、その内側にて判断する。決して外側で判断してはならない。また、両眉の間が狭い場合は、その人の親指を縦に当て、それを定規として、上へ観通しなさい。
↑「流年図(二十一~四十二歳)」二十一歳から四十二歳までは図のように、鼻の先までを四十歳と定め、左右の小鼻を四十一歳、四十二歳と定める。前述した通り、両眉の間から左右の小鼻の際までを一文字に観通し、これを定規として、その内側にて判断する。外側で判断してはならない。
↑「流年図(四十三~六十歳)」四十三歳から六十歳までは図のように、鼻の下の穴の際から、頤(おとがい、=顎)の端までを六十歳と定め、左右の小鼻の下から口の両角までを一文字に観通す。さらに、口の両角から頤までを一文字に観通して、その内側にて判断する。決して外側で判断してはならない。
上唇の白赤の境目を四十七歳とする。上唇の赤い部分を四十八歳とする。下唇の赤い部分を四十九歳とする。下唇の白赤の境目を五十歳とする。具体的な事は、南北相法後篇に詳しく記した。また、その歳に該当する部分に黒子(ほくろ)や傷などの障りがある場合は凶年とし、障りがなく肉付きが健やかである部分は吉年とする。なお、口伝については、私の南北相法続篇に著す。
*『南北相法続篇』が存在したかどうかは謎である。
《気色湊走(きしょくそうそう)の論/二首のみ》
「地庫の左右から気色が起り、地閣の宮に入る時は、必ず家(=家庭)に人気が集まる、と判断する。」
・地閣は家を司る。ゆえに、家に善事が起って人気が集まる時は、この気色は豊かで潤いがあるように観える。逆に、悪事が起って人気が集まる時は、自ずと潤いのない暗い気色があるように観える。
*原文には「地庫」とは記されていないが、南北相法後篇に同様の内容があるので補記した。
「青ざめたような気色が妻妾宮から出て後方へ走り、髪の中へ入る時は、夫婦間に争いがあって、その妻は行方不明になっている、と判断する。」
・妻妾宮は妻を司る。青気(せいき)は怒りの色であり、争いを暗示する。また、髪の中は虚空であり、定めなき所である。ゆえに、その妻は行方不明である、とする。気色についての詳細は、『南北相法後篇五ノ巻』に記した。
南北相法早引 大尾