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あなたの知らない「美容鍼」

 

美容鍼灸の法的限界と実情

 
病院で比較的安価かつ革新的な美容術を享受できる現代において、鍼灸のみでそれらと同等の効果を提供しようと考えても、現実的にはかなり無理があります。実際、美容鍼灸においては、法律上、鍼灸師が使える道具は基本的に鍼と灸のみですから、西洋医学に比して技術的な限界があるのは明らかです。もちろん、刺鍼時にパルス治療器などを併用することは可能ですが、刮痧(guasha、かっさ)や拔罐(baguan、ばっかん、カッピング)、あんま・マッサージを鍼灸師免許のみで行うことは、法律上禁止されています。未だに刮痧拔罐を授業で教えている鍼灸学校がある影響か、美容鍼灸とそれらを併用している鍼灸師も実在するようですが、厚生労働省に確認したところ、現状では医師免許を持っていなければ、鍼灸師免許単独であんま・マッサージ、刮痧拔罐を施術することは違法だそうです。
 
このように、法的な制限によって、使用できる医療器具が限られている状況下では、西洋医学的な美容術に勝るような、患者の要求に応えられるような、安価かつ革新的な美容術を鍼灸のみで実現しようにも、現状では明らかな法的限界があると言えます。
 
もちろん、美容鍼には西洋医学的な施術には見られない無いメリットもあります。細い鍼であれば痛みが少なく、副作用などの心配もほとんどありませんし、局所的な血流改善効果や、自律神経安定作用などが見られます。しかし、一部の美容鍼において盛んに喧伝されている「創傷治癒によるコラーゲン産生」などという観点から考えると、西洋医学的なレーザーやダーマペンなどの施術と比較した場合、細い鍼を数十本から100本程度刺鍼しただけでは創傷の程度が小さいため、シミやほうれい線を消すなど、劇的な皮膚の変化は想像していたよりも望めない可能性があります。つまり、各種レーザー治療やダーマペンで機械の出力を上げること、ピーリング治療で薬剤の濃度を上げること、美容鍼で鍼の直径を太くすることは、副作用の可能性が高まる半面、明らかな効果を得るためには不可欠であると言えるかもしれません。
 
鍼は直径が太くなればなるほど痛みが伴う上に、毛細血管や神経組織を損傷する可能性が高まるため、一般的な美容専門鍼灸院では、痛みの少ない細い鍼が使われることが多いようです。もちろん、医師免許があれば、麻酔薬を皮膚に塗布して、痛みを最小限に抑えて刺鍼することが可能かもしれません。しかし、医師免許を持つ鍼灸師は稀ですので、現実的には刺鍼時の痛み、内出血、神経障害などを避けることが最優先事項となり、細い鍼を使うことが最善の選択肢となるであろうと推察されます。つまり、患者の満足度を高めるため、最大限の創傷治癒を促したいのはヤマヤマであるが、デメリットを考慮するとリスキーな施術は避けざるを得ない、という状況に陥ってしまう可能性があるのです。
 
 

美容鍼の意義と矛盾点

 
現在、いわゆる美容の専門家は世の中には無数に存在します。特に、医療の発展によって、確実に効果を出すことができる、美容専門の医師も増えてきました。こういった状況を鑑みると、美容鍼専門の鍼灸院において、美容外科とほぼ同額またはそれ以上の料金を支払い、それ相応の対価を得ることが可能なのだろうか、という疑問が出てきます。つまり、最新のレーザー治療やピーリング治療にかかる同等またはそれ以上の料金を支払い、果たして、同等またはそれ以上の効果を得ることが出来るのだろうか、ということです。
 
もちろん、選択は個人の自由ですから、レーザーやダーマペンほど劇的な変化がなくても良い、刺激の少ない美容鍼の方が個人的には合っている、単なる慰安で良い、という方もいるでしょう。そうであるなら、美容鍼の存在意義もあるでしょう。もちろん、美容鍼のみでも、創傷治癒による効果は多少なりとも期待できるはずです。しかし、ここでは、美容鍼をコストパフォーマンスの観点から考察してみたいと思います。
 
現在、美容鍼1回あたりの施術代金はピンキリですが、例えば3万円まで支払えると仮定し、肌のくすみや肌荒れを目的として、レーザー治療やダーマペンなどの西洋医学的な施術と、美容鍼のどちらを受けようかと考えてみます。確かに、レーザー治療やダーマペンは施術時の痛みが強く、皮膚を火傷したり、術後に強い赤みやだるさ、皮膚の剥がれ、局所的な毛嚢炎などが出現する可能性があるというデメリットがありますが、広範囲に皮膚の新陳代謝、コラーゲン産生を促すことができる、という大きなメリットがあります。ケミカルピーリングも機序は異なりますが、肌を確実に新生させることができ、火傷する可能性がある、という点に関してはレーザーと同じです。
 
一方、美容鍼も創傷治癒や軸索反射などによる血流改善によって、代謝が促され、皮膚の状態が良好に変化する可能性はあります。しかし、レーザーの場合、一瞬の1照射で数百発以上の極微細な傷を皮膚に与えることができますし、最新のダーマペン4であれば、1秒間に1,700ヶ所以上の穴を開け、1回の施術で数万から数十万ヶ所の針穴を開けることが可能です。一方、美容鍼の場合は1回の施術で多くても数十本から100本程度の傷しか与えることができず、しかも、一般的には刺鍼時の痛みを抑え、可能な限り内出血や神経損傷を避けるため、鍼先が丸く、直径0.1~0.2mm程度の鏡面仕上げレベルの鍼を使うことが多いため、レーザーやダーマペンほどのダメージを肌に与えることはできません。逆に言えば、作用が少ない分、副作用が少ないと言えます。つまり、作用反作用の法則と同様、効果を得るためには、それなりのリスクを覚悟しなければいけません。
 
ちなみに、近年、美容皮膚科で導入されているダーマペン4は、針尖が鋭利な針で角質層を貫き、表皮、基底層、真皮まで穿刺することで基底層に存在する繊維芽細胞などを確実に傷つけ、ヒアルロン酸やコラーゲン、ケラスチンなどを産生させ、皮膚の状態を改善させることが出来るようです。確かに、フラクショナルレーザーやダーマペンで皮下2mmほどの深度に穴をあければ、目に見えた効果はあるかもしれません。一方、美容鍼に関して言えば、麻酔なしで1回の施術で数千~数万本刺鍼することは、労力と刺鍼時の痛みなどを考えると、現実的ではありません。
 
多くの美容専門の鍼灸師が引き合いに出す美容鍼による創傷治癒という観点と、フラクショナルレーザーやダーマペンによる創傷治癒の科学的観点を比べてみても、肌へのダメージが大きいほどコラーゲンの産生、肌の生まれ変わり、新陳代謝を促すことができる、という点は同じはずです。しかし、美容鍼においては、内出血や神経の損傷を回避することが最優先事項となるため、可能な限り、肌への負担が少ない鍼を使うことが最良の選択肢となります。つまり、「痛みの少ない美容鍼で、安全に創傷治癒を促し、美肌にします」という話と、「美容鍼には副作用がありません」という話には、明かな矛盾がみられます。安全かつ副作用がほとんど無いような鍼灸術で、果たして法令線やシワ、シミなどを消失させ、美肌に導くことなど可能なのでしょうか?レーザーやダーマペンよりも副作用のない安全な施術で、レーザーやダーマペンが成し得ないような変化を実現することは可能なのでしょうか?
 
しかしながら、現状では、美容鍼のメリットばかりが強調されており、美容鍼施術後に内出血や顔の違和感、神経障害と思しきを症状を訴える患者が一定数存在するというデメリットに関しては、実際にはあまり報告、議論されていないように思われます。これはフェアなやり方ではありません。それゆえ、美容鍼を行う前に、患者自身が正しい知識を身に付けておくことはもちろん、鍼灸師自身も美容鍼に関しての正しい知識を備え、患者にメリットデメリットをわかりやすく告知しておくべきであると考えます。
 
 

美容鍼における6つのリスク

 
美容鍼は副作用がないとか、安全だとか騒いでいる御仁がおられるようですが、考えられる副作用・リスクはいくつか存在します。とりあえずは、主なリスクを6つに絞って解説します。ここでは、万が一のため、リスクが極めて低い項目についても記しておきます。極めて低いリスクであっても、事前に知識としてストックしておき、慎重に刺鍼すれば、このようなリスクは回避することができるはずです
 

1.内出血の他に、手指消毒不良などによる有菌操作で細菌性ショックを起こす可能性
出血傾向または易感染傾向にある患者は顔面部の刺鍼によって酷い内出血が起こる可能性がある。また、施術者の手指消毒不良や刺鍼部位の消毒不良、その他鍼灸用具の滅菌不良などによって重篤な細菌性感染を引き起こし、最悪の場合はエンドトキシンが産生されて敗血症性ショックを起こす可能性がある。トキシック・ショック症候群はヒトの皮膚の常在菌である黄色ブドウ球菌が原因となるので、易感染傾向にある患者であれば、不適切な刺鍼によって容易に感染が起こり得る。実際に、「Gnatta JR, Kurebayashi LF, Paes da Silva MJ (2013). "Atypical mycobacterias associated to acupuncuture: an integrative review". Rev Lat Am Enfermagem 」によれば、「A 2013 review found (without restrictions regarding publication date, study type or language) 295 cases of infections were reported, mycobacterium was the pathogen in at least 96%. Likely sources of infection include towels, hot packs or boiling tank water, and reusing reprocessed needles.」と記されている通り、アメリカでは2013年に明らかになった刺鍼による感染事故だけで295例あったと言われている。日本ではディスポ鍼を使っていれば安全だと盲信している鍼灸師や患者が多いが、実際には「towels, hot packs or boiling tank water, and reusing reprocessed needles」などから感染するリスクが高いと言われている。日本でも、特に散見されるのは施術者の手指消毒の不徹底および滅菌グローブの未装着である。実際、日本鍼灸の臨床現場においては、未だ滅菌グローブの装着が一般的になっておらず、素手で施術するケースが非常に多い。
*ちなみに、2011年に発表された「Ernst, E.; Lee, Myeong Soo; Choi, Tae-Young (2011). "Acupuncture: Does it alleviate pain and are there serious risks? A review of reviews"」によれば、2000~2009年の間に95件の刺鍼事故が報告されており、そのうち5件で死亡事故が発生したと記されている。「Ernst, E.; Lee, Myeong Soo; Choi, Tae-Young (2011). "Acupuncture: Does it alleviate pain and are there serious risks? A review of reviews"」には、「The most frequent adverse events included pneumothorax, and bacterial and viral infections」とも記されている。

 

2.ディスポ鍼に付着したシリコンオイルとEOGによる害
シリコンオイルが塗布されている鍼を刺鍼した場合、シリコンオイルの人工成分が皮下に残留するか、体内へ取り込まれて臓器、細胞、脳を犯す可能性がないとは言い切れない。一般的に、シリコンオイルは毒性が低く、アレルギー反応が少ないと言われているが、人工生成物であるため、完全な無害ではない。そもそも、自然界でさえ無害なものは少なく、天然由来の水や酸素でさえ、過剰に取り込めば有害である。したがって、患者の状態や刺鍼状況によっては、シリコンオイルでショック症状を起こす可能性はゼロではない。また、現在流通しているディスポーザブル(使い捨て)の鍼の多くはEOG(エチレンオキサイドガス)滅菌が施されており、新品未開封の鍼にはEOGが微量ながらも残留している可能性がある。EOGの危険性(特に発癌性のリスクがある。詳しくは「エチレンオキサイドガス滅菌作業」「ガス滅菌とその安全性について」を参照)については、かなり前から指摘されているが、その危険性について知っている鍼灸師は多くない。上記リンクで山口大学医学部附属病院医療材料物流センターの井東光枝氏がEOG滅菌された医療材料を介して被害は起こりうる。ガスの毒性や物質表面に吸着する性質を利用して滅菌するのであるから、滅菌終了直後の被滅菌物には高濃度のEOが付着している。と述べている。現在、美容鍼で使用されている鍼には、切皮痛と刺入痛、刺入の容易さを優先するため、シリコンオイルが塗布されているものがある。

 

3.刺鍼によって、内出血が止まらなくなったり、過度の炎症、ショック症状を起こす可能性
 鍼施術は、まれに軽度な内出血を伴うことがある。鍼治療で使われる鍼は直径0.16~0.5mm程度で、注射針(0.7~0.9mm前後)に比べると遥かに細い。一般的に美容鍼で使用される太さは太くても直径0.2mm以下であり、一般的には、刺鍼によって血管をひどく損傷したり、出血が止まらなくなることはないと考えられる。しかし脳血管障害(脳梗塞、脳動脈瘤など)や、心疾患(心筋梗塞、狭心症、心室・心房中隔欠損症、ファロー四徴症など)、肺塞栓症、腎不全、高コレステロール血症、閉塞性動脈硬化症、バージャー病、大動脈瘤などの病態が基礎疾患としてある患者に関しては、針施術は大きなリスクになる可能性がある。これらの疾患で処方されている薬には主に血液をサラサラにする作用があり、これらの薬を服用している場合、細い鍼を使ったとしても一度に沢山の鍼を局所的に打てば、施術後に出血が止まりにくくなったり、過度の炎症、炎症後色素沈着などが引き起こされる可能性がある。また、刺鍼の刺激が過度であったり、留針(置鍼)時間が長すぎたり、1回の施術での刺鍼本数が多すぎたり、患者が初診や低血糖であるなど不安定な状態であれば、針の侵害刺激による脳への累積負荷が増大し、施術中または施術後に迷走神経脊髄反射などのショック症状、特にめまいや吐き気、嘔吐、悪寒、脳貧血、心拍数増加などを起こす可能性がある。以下に一例として、血液をサラサラにする薬品名を列挙する。
 
・ワーファリン
・プラビックス(クロピドグレル)
・バファリン
・バイアスピリン
・エパデール
・オパルモン(リマプロスト、プロレナール)
・プレタール(シロスタゾール)
・アンプラーグ(サルポグレラート)
・セロクラール(イフェンプロジル)
・パナルジン(チクロピジン)
・コメリアン(ジラゼプ)
・ロコルナール(トラピジル)
・ドルナー(プロサイリン、ベラプロスト)
・ケアロードLA(ベラサスLA、ベラプロスト)
・ペルサンチン(アンギナール、ジピリダモール)
・プラザキサ(ダビガトラン)

*以上の薬以外にも、似たような作用を持つ薬があります。詳しくは医師または薬剤師にお尋ねください。

 

4.消毒薬の副作用によってアナフィラキシーショックを起こす可能性
刺鍼前に刺鍼部位を消毒しなければならないことは、あはき法第6条に「事前消毒の義務」として規定されている。日本では、「アルコールは冷えるから良くない」などと言って、これを尊守せずに刺鍼している鍼灸流派もあるが、ここでは消毒によって起こりうる医学的な常識について記す。皮膚消毒に用いる薬剤として最も抗菌スペクトルが広いのは、70~80%程度の濃度のアルコール(消毒用エタノール)であることは常識である。しかし、消毒効果が高ければ高いほど生体へのダメージは強くなるため、医療現場ではアルコールに対するアレルギーがある患者に対しては、クロルヘキシジン(ヘキザックやヘキシジン)を使うことが推奨されている。また、ヨードに対するアレルギーがある患者も存在し、病院など医療機関での消毒薬の使い分けはもはや常識となっている。しかしながら、病院ではアルコールやヘキシジンなどの消毒薬の使い分けが常識となっているが、このことについて知らない鍼灸師は少なくない。ちなみに、ヘキシジンは傷口や粘膜部分には使用してはならない。また、他の薬剤の知識に関しても、例えばアルコールといえども、不衛生な万能つぼに綿花を長期間漬け置きにしたり、消毒薬を継ぎ足して使っていればセラチア菌や緑膿菌が繁殖する可能性があることや、1枚ずつ個別包装されている使い切りのアルコール綿花が最も安全であることも、あまり知られていないようだ。さらに、ヘキシジンの適切な濃度、粘膜や傷口、目や耳の周りなどへの使用、広範囲の使用が禁忌であることを明確に理解している鍼灸師も少ないように思われる(このような鍼灸師は学生時代の教育に問題があったのかもしれない)。ゆえに、このような基本的な消毒薬の知識を持ち合わせていない不勉強な鍼灸師や、施術前に消毒に関する必要な問診を行わない鍼灸師は、不適切な皮膚消毒によって事故を起こす可能性がある

 
 

5.消毒薬の反復使用によって、皮膚炎を起こす可能性
顔面部に刺鍼する場合、抗菌スペクトルの最も広いアルコール(消毒用エタノール)が用いられることが多い。しかし、アルコールは消毒部の皮膚上の水分を奪い、皮膚表面の常在菌を死滅させる可能性があるため、高頻度に顔面の消毒を行った場合、皮膚本来のバリア機能が低下し、皮膚の乾燥、皮膚炎などを起こす可能性がある。刺鍼前の消毒は、あはき法に消毒義務として明記されているため、消毒せずに刺鍼することは違法となる。このため、アルコールを含有しないヘキシジンなどで顔面部を消毒するケースもみられるが、万が一、ヘキシジンが粘膜や傷口に触れた場合や広範囲に使用した場合、アナフィラキシーショックを起こす可能性がある。

 

6.炎症後色素沈着を起こす可能性
近年、美容整形外科に導入されているダーマペンは、原理的には鍼治療と同じで、1回の施術で数千~数万か所の微細な穴を皮膚に開け、各種レーザー治療とは異なる、創傷治癒による劇的な効果を得ることが出来るとされてる。しかし、一般的に、ダーマペンで皮下1.75~2mm以上の深さへ刺鍼すると、内出血のリスクが高まり、最悪の場合は内出血などによって不可逆的な炎症後色素沈着が起こるリスクが報告されている。同様に、鍼治療においても、医学的知識が欠如したまま、より良い効果を求めようとして、太い鍼を皮下深部まで、無鉄砲に沢山刺鍼した場合、ダーマペンでみられるような、不可逆的炎症後色素沈着が起こる可能性がある。

 

7.危険三角域への不適切な刺鍼で急性髄膜炎を起こす可能性
次項で詳述します。
 

 

危険三角域への不適切な刺鍼で急性髄膜炎を起こす可能性

 
現在、日本で行われている美容鍼は顔面部への刺鍼が大半を占めるわけですが、体幹部同様、顔面部においても刺してはならない部位(禁鍼穴)が存在します。ちなみに、愚かな鍼灸師は古典にあるような禁鍼穴のみに囚われてしまうわけですが、実際は医学的、解剖学的観点に基づいた現代的禁鍼穴にこそ、注目しなければなりません。その中で最も気を付けなければならないのが、医学的に言う「危険三角域」です。おおよそ眉間を頂点、両口角を基点とした、眼頭と鼻部、上唇部をカバーするような領域です。
 
眼窩上下方・内側には頭部の深静脈が出入りしていますが、特に上眼静脈、下眼静脈は他の静脈に比べて太く弁がないため、顔面領域の細菌感染が脳の深部へと波及する経路になり得ます。つまり、この危険三角域への不適切な刺鍼によって、眼窩、鼻腔、顔面上部での感染が発現し、それに続発して起こる敗血症様の発熱や急性髄膜炎などが起こる可能性があるのです。実際に、上唇部や鼻部に出来た腫れ物などの化膿性炎症が起こると、それ由来する細菌が眼角静脈経由で海綿静脈洞(頭蓋腔)に侵入し、この静脈網に血栓症を引き起こすことがあります(鼻毛を抜いた穴から化膿性炎症、細菌感染を起こして死に至るなど)。これは医学的には海綿静脈洞血栓症候群と呼ばれ、凝血塊が静脈を閉塞させる感染症の一つで、最悪は急性髄膜炎に発展します。急性髄膜炎においては、主に発熱、頭痛、吐き気、嘔吐、痙攣、意識障害その他の精神症状が出現します。神経学的には項部硬直、Kernig徴候、Brudzinski徴候が認められ、さらに悪化すると脳神経障害や脳巣症状が発現することがあります。
 
鍼が使い捨ての新品であったとしても、鍼灸師自身の手が不衛生であったり、施術部位の消毒を怠っていたりすると、容易に感染が起こり得ます。なぜなら、患者の皮膚に常在菌やその他の汚れに由来する細菌・ウイルスが存在することはもちろん、無菌室でない限り、浮遊菌、落下菌、付着菌など、そこら中に菌が存在しているからです。私はこれまで、有名無名を問わず、鍼灸師が実際に施術する場面を多々見てきましたが、残念なことに、完璧に衛生管理が出来ていると思える鍼灸師に出会うことはほとんどありませんでした。ちなみに、鍼灸学校の教員においても、正しい衛生管理の理解と実践がなされていない場合が少なくなく、私が鍼灸学校に在籍していた頃、実技の授業の時にディスポ鍼を使う際、開封してから、空気に暴露させておく時間が長いほど感染リスクが高まるという、極々基本的なことを理解していない教員がいました。最近は、「ディスポ鍼を使っていれば安心だろう」などと安易に考えている患者が非常に多いですが、正しい消毒法が実践されていなければ、安全とは言えないことを理解しておくべきでしょう。
 
実際に、日本の鍼灸業界では、未だに消毒薬をハンドラップに継ぎ足しながら使用したり、ステンレス製の万能つぼに浸したアルコール綿花を使用しているような状況が散見されます。私が学生だった頃は、某鍼灸学校の付属施術所においても、このような状況が見られ、正しい消毒方法に関する内容は教科書にも明記されておらず、教員による指導も行われていませんでした。
 
通常、万能つぼで消毒用綿花を管理する場合、万能つぼの定期的な再生業務(洗浄・滅菌)が必須ですが、知識不足から再生業務を怠って消毒薬を継ぎ足したり、不衛生な手指で直接、万能つぼ内の綿花に触れるケースが見られます。ステンレス製の万能つぼは一般的に気密性が低く、短時間で消毒薬が揮発します。万が一、乾燥した消毒綿花を使用した場合、消毒効果が得られないばかりか、不適切な管理によっては、万能つぼ内でセラチア菌や緑膿菌などが増殖し、感染リスクが高まります。
 
したがって、現在、ステンレス製の万能つぼに消毒薬を注いで綿花を浸す、という前時代的な方法は、病院ではすでに一般的ではなく、滅菌済かつ高気密型のディスポ万能ツボを用いた消毒薬や、個別包装型の消毒薬が主流になっています。しかしながら、日本の鍼灸業界では、未だに旧式の消毒法が用いられているのは事実であり、施術時の感染リスクを完全に否定することは困難であると推察されます。とにかく、顔面部と脳は近接しており、顔面部への刺鍼によって脳内血管に悪影響が出る可能性はゼロではない、という事実を認識しておくべきでしょう。
 
現在、日本には自称ゴッドハンドとか、〇〇の第一人者であるなどと自作自演的に騒いだり、メディアを過剰なくらいに利用して、患者を貶めている鍼灸師がいるようです。また、実際には経歴詐称、学歴詐称、学歴ロンダリングなどの虚偽行為によって、多くの注目を集めている輩も実在します。したがって、そのようなフェイクに騙されないよう、患者は常に客観的かつ冷静な分析を行い、鍼灸に関する正確な情報を選び取る必要があると言えます。