もう20年近く前の話だ。当時は新聞配達をしながら鍼灸学校に通っていた。あの頃は、メディア界隈がバブリーな時代で、新聞業界も例に漏れず、ウハウハな様子であった。私が新聞奨学生としてお世話になっていた販売店には、社員は10名足らずしか在籍していなかったが、年収が1500万円を超える者が数人いた。
新聞奨学制度とは文字通り、新聞配達をしながら一定の奨学金をもらい、学校に通う制度である。満期を迎えれば(予定通りに学校を卒業すれば)返却の必要が無い、という素晴らしい制度なのだが、現状でこういった制度を確立している法人は、残念ながら新聞社しかない。今では「マスゴミ」などと揶揄され、社会的信用ガタ落ちの新聞社ではあるが、私はこの制度に救われ、無事鍼灸師になることが出来た。
状況的にはかなりキツいけれど、経済的に恵まれていないが何としても学校に通いたい、という気合いのある人には、新聞奨学生という選択肢もアリかもしれない。
私が鍼灸学校に通っていた時、支給された奨学金の総額は233万円であった。鍼灸学校を卒業するまでにかかる費用(生活費は除く)はだいたい400万円前後だから、実際は新聞奨学金だけでは到底足りない。しかし、入学時には100万円ほどあれば足りる場合が多いので、足りない分は学校在籍時に貯金を切り崩すか、他の仕事で貯えていくか、別の奨学金を併用するしか方法はない。しかし、実際は、余程の気合いが無いと学業と仕事の両立は困難なので、気合いと体力に自信が無い人は、ある程度貯金してから通学するのが無難である。
新聞奨学制度には、大きく分けて2つのコース(種類)がある。まず1つは、集金と配達をするコース。そしてもう1つは配達のみのコースである。当然ながら集金を兼ねるコースは時間的制約も多く、体力的にも、精神的にもかなりつらい。その代わり、集金手当が月に5万円(集金達成件数による)ほど出るのと、奨学金を50~100万円ほど多くもらえるというメリットがある。しかし、集金は毎月25日から月あけ15日ころまで続く場合があるため、学業に多大な支障が生じる可能性がある。これは新聞販売店によっても異なるのだろうが、基本的には25日から集金を始めて、月末にはノルマの80%を超えないと罰金になるケースもある(80%達成時点でOKの場合もある)。新聞購読者の中には、当然在宅率が異常に低い人や、金欠で居留守を使う人、購読料を全く払う気の無い人が数パーセントは必ずいるので、100%のノルマを要求する販売店の場合、集金にかなりの時間を費やさねばならず、労働時間外でも働かなければならないという、不合理かつ労働基準法違反的な現実があるのも実情である。
新聞配達は地方を除き、朝刊と夕刊を配るのが一般的である。当時は、産経新聞のみ夕刊発行を取りやめていたが、現在でも、朝夕刊の配達は行われているようだ。しかし、近年、新聞・メディアに対する信頼が失墜していることと、デジタル化によって、「新聞離れ」や「活字離れ」が進んでいるため、いつかは主要新聞においても夕刊は廃止となり、新聞社の統廃合が起こるのではないかと思われる。また、新聞奨学生希望者は年々激減しており、新聞社の経営状況によっては、将来的に新聞奨学生制度自体が無くなってしまう可能性も否めない。
↑長年の新聞屋でも、ここまでヘビーに積める人はあまりいない。
↑院長が当時実際配達していた時の画像。前カゴに約70部、荷台に約200部積んでいる。この日は確か平日だったので、新聞・チラシともに薄く、慣れればこれくらいは一度に積載可能。院長は計450部くらい配っていたので、こんな感じで2~5回くらい新聞補給して配っていた。
実際はもっと細かくファジーな時間割になっていたが、「集金なしコース」でも、かなりタイトな時間割になるのがおわかりいただけると思う。新聞配達は台風でも、大雪でも関係なく遂行されねばならぬため、体力の消耗が著しく激しい。さらに、夜型生活が追い打ちをかけるため、心身ともにボロボロになりやすい。実際、新聞配達をしながら大学や専門学校に通う奨学生には、つらい毎日に耐え切れず「夜逃げ(業界用語では「トンコウ」と言う)」したり、退学したりする者も多かった。
新聞奨学生で最もメリットが大きいのは、住居を毎月無料か格安で提供してもらえることである。販売店によっては、朽ち果てた販売店の上階にある監獄のような部屋を提供されることもあるが、ボチボチ景気の良い販売店ならば、ワンルームアパートや、ワンルームマンションを毎月無料か格安で提供してくれる場合がある。私は幸い、知り合いの紹介で入社したため、家賃75000円のワンルームマンションを毎月8000円(67000円の家賃補助)で借りることが出来た。新聞奨学生は、毎日いかに質の高い睡眠がとれるかどうかが最も重要なので、多少お金を払ってでも、静かな環境の住居を提供してもらうようにするのが理想である。
新聞奨学生には奨学金以外に、毎月7~10万円前後の給与が支給される(新聞社によって異なるようだ)。配達の他に集金業務を兼ねている場合は5万円ほど上乗せされ、毎月15万円前後が支給されることになる。ちなみに私は、学校が比較的暇な1年生の時に集金業務をしていて、2年時以降は夏休み期間のみ、臨時で集金業務を兼ねていた。なお、販売店によっては、僅かながら、ボーナスも支給される場合がある(年間総額5~15万円)。
新聞には事前に決定された休刊日というものがある。新聞協会で決めているのだろうが、基本は年に10日間前後である。毎月第2月曜日が基本的な休刊日にあたるが、実際は朝刊のみの休刊である。で、朝刊、夕刊とも全日休刊なのは1月2日のみである。また、新聞奨学生はほぼ週1日の休みを与えられるが、出社時間が毎日深夜1時前後なので、休日でも出社時間が迫ってくるのが常に気にかかり、心身ともにゆったりと休みを満喫することは難しい(本当にツラい)。
夏は炎天下の中で配達するので(しかも時間制限内で)、地獄である。汗ダラダラかきながら、新聞を汗で濡らさないように配達しなければならない。濡らさないためには軍手を装着するのが一番だが、炎天下で軍手をしていると体温が発散されぬため(人間は手足から多くの熱を放射する)、熱中症になりかねない。だからと言って、軍手をしないと新聞が濡れるし、手の水分が新聞に奪われ、手がボロボロになりかねない。
また冬季は、「冷たい雨」が地獄である。雪ならば新聞も濡れにくいし、身体も濡れにくいのだが、「冷たい雨」はいとも簡単に体温を奪うゆえ、4時間近くも全身ズブ濡れで配達するのは地獄である。ゴアテックスのような雨を浸透させない雨具を着れば、逆に蒸し暑くて汗ダラダラになる。逆に、雨が浸透する素材だと身体が濡れてしまって、とにかく大変である。しかも、新聞をつかむにはイボイボ付きの軍手が一番なのだが、軍手はすぐに濡れるし、軍手を外して配達すればポストで手を切る可能性があるし、防水手袋は厚みがありすぎたり粘着性が強すぎてダメだし、散々である。それでも時間通りに配達しないと各家庭からの苦情がボコスカくるので、カジカンで凍傷寸前の手にムチ打って配達するのである。私はアルバイトも含め、30種近い仕事をこなしてきたが、新聞配達がもっともキツかった。いつも配達中に思っていたのは、
の3つであった。だが、必ず鍼灸師になることを夢見て、何とか気合いで乗り切ることが出来たのであった…。
私は朝〇新聞の奨学制度を利用させてもらっていたのだが、当時の朝〇新聞社は他の新聞社よりも潤っていたせいか、なかなか待遇が良かった(といってもかなりキツかったが)。一番良かったのが、3年間無事配達を終え、学校を無事卒業した奨学生への、朝〇新聞本社(朝まる新聞奨学会)からのご褒美であった。私の時は、
1.卒業祝い金(数万円)
2.帝国ホテルで食事会
3.シンガポール旅行へ無料招待
の3つだった。私はそれまで貧しいがゆえに海外旅行に行ったことがなかったので、シンガポール(確か3泊くらい)で4つ星ホテルに泊めてもらい、観光させてもらえたことは、本当に嬉しかった。ま、実際には、何よりも、死ぬ思いで働き、学校に通った、ツラいツラい3年間が終わったことが嬉しかったのだが。そういえば、旅行に際して、販売店の所長から数万円のお小遣いをいただいた。所長はすでに彼方の人となってしまったが、情があるとても優しい人だった。
気合いがある若者は、新聞奨学生をやってみるのも良いだろうと思う。とにかく、やり遂げた後は、どんな職業についてもツラいと感じにくくなるかもしれない。でも、十分な気合いと自信がない人は、避けた方が賢明である。なぜなら、途中でやめると奨学金の全額返還が必要になってしまうし、職場の人々にも迷惑がかかってしまうからである。
そうそう、当時、無事卒業した新聞奨学生のうち、数%が10代の女の子だったことを知り、現場のキツさを知っていたもんだから、大いに感心した記憶がある。
新聞奨学生時代の思い出(1)
新聞奨学生時代の思い出(2)
新聞奨学生時代の思い出(3)
新聞奨学生時代の思い出(4)
新聞奨学生時代の思い出(5)
新聞奨学生時代の思い出(6)
新聞奨学生時代の思い出(7)
新聞奨学生時代の思い出(8)