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  • 我的北京日记(漫游随想录)2017秋

2017年10月某日、雍和宫大街にて。
 

2017、秋、北京の旅

 
今回は北京のベストシーズンである10月に、こびとと北京入りした。10月17日からは5年ごとに開催される党大会で北京市内は厳戒態勢になるであろうと見込んでいたため、17日に帰国するというスケジュールを組むことにした。ちょうど、JTBのウェブサイトで14日発、3泊4日のフリーツアーがあったので、それで行くことにした。
 
昨年あたりから、羽田発のフリーツアーが出てくるようになり、オフシーズンであれば北京には比較的良い条件で安く行けるようになった。今のところ最もお得なフリーツアーは往路午前羽田発、復路午後北京発のフリーツアーで、機材はJALの中型機であればラッキーなパターンだ。北京のフリーツアーで組まれるホテルは数種あるが、东直门で針を仕入れるのが目的ならば、店員が比較的外国人慣れしていて、フレンドリーで英語も通じる北京旅居华侨饭店泊が確定しているツアーが最もお勧めである。すごく綺麗なホテルではないけれど、朝食もまぁまぁ美味しいし、东直门駅、雍和宫駅、北新桥駅の3駅が利用できる約1キロ圏内にあり、それぞれの駅から徒歩10分くらいだ。地下鉄2号線、5号線、空港線に直接アクセスでき、大型書店のある王府井や西单にも行きやすい。
 
中国では未だに外国人旅行客が泊まれぬ宿泊施設が少なくないから、ホテルはフリーツアーでセットになった外国人向けのホテルを確保しておくのが無難だ。その上で、泊まりたいホテルなどがあれば、事前にC-tripなどで好きなホテルを予約して、現地入りするのがよろしい。特に冬場の北京は氷点下20度を下回ることが稀にあり、北京入りして泊まる場所が確保できないと、凍死する可能性もある。実際に、一昔前の北京では、厳冬の朝は凍死者がそこらじゅうに転がっていたらしいが、現在でも油断は出来ぬ。
 

出国日前日(金曜日)


出国日前日は、蒲田にホテルを取って泊まることにした。午前9時発飛行機に乗る場合は、蒲田に泊まって6時くらいには空港入りしておくのが無難だ。何せ東京では毎日のように電車の遅延があるから、念には念を入れて早めに行動しておかねばならない。
 
京急蒲田に泊まるか、JR蒲田に泊まるか迷ったが、JR蒲田で泊まったことがなかったので、今回はJRにしてみた。結果としては失敗だった。
 
京急蒲田は駅前に飲食店が少なく、不便ではあるが、羽田空港までは電車で1本だから、スーツケースを抱えていても、乗客が多くても空港へアクセスしやすい。一方、JR蒲田は駅前に飲食店が多く滞在時は非常に便利だけれども、早朝時の空港行きのバスはリムジンバスではなく通常の路線バスで本数も限られているから、乗客が沢山いた場合、あぶれる可能性が高い。しかも車内は狭いから、スーツケースを持ち込む乗客が多いと、定員オーバーで途端に乗れなくなることがある。シャトルバスとは言え、所詮は路線バスであるから、荷物はすべて狭い車内に持ち込まねばならぬし、運賃が格安であること以外、メリットがない。駅周辺にはホテルが多く、羽田空港へ行く乗客が沢山いるのだからリムジンバスを整備すべきと思うが、どうもそのような動きがみられないから、今後は京急蒲田に泊まろうと心に決めた。また、混雑時はバス停の屋根からはみ出した場所で並ばねばならぬから、豪雨の時などは持ち物が全て濡れる可能性がある。タクシーは確実に乗れるかもわからぬし、それなら京急蒲田のホームで濡れずに電車を待っている方がメリットが多いかもしれない。
 
 
 

出国日当日(土曜日)

 


出国日当日は4時50分に起床し、5時10分発のバスに乗る予定だった。外は小雨が降っており、バス停には5分前に着いたものの、すでに10人くらい並んでいた。幸いにも、平日ゆえかサラリーマンらしき人がほとんどで、スーツケースを抱える乗客が少なかったから、狭い車内でも何とか乗り込むことができた。羽田空港は早朝ゆえかガラガラで、チェックインもスムーズに終わった。
 
 

羽田空港はかなり綺麗になった。しかし、どうも軽食店にいる店員は愛想のない輩が多く、白人が戸惑っている光景をよく見かける。ここ1年くらいで、日本のコンビニでは驚くほど外国人の店員が増えたが、むしろ飽食な日本人よりも、ハングリーな外国人の方が、接客態度に非の打ちどころがなかったりするケースが多い。ある学者によれば、純日本人は将来少数民族になる可能性が高いらしいが、確かにこのままでは平和ボケしている日本人は外国人やAIに職を奪われ、路頭に迷うことになるかもしれない。
 

2階は人が多くて喧しかったので、1階に降りてしばし待つことにした。北京には必ずカリマーのバックパックを背負って行くのだが、今回は新たに新調したバックパックだったから楽だった。カリマーは他のメーカーよりも安価だが耐久性、機能性に優れており、自分の体に合っていている感じがして、愛用している。しかしながら、15年ほど前に購入したridgeはボトルを入れるサイドポケットの作りが杜撰で、構造上、しばらく使っているとゴムが伸びてボトルが落下するような仕様になっていたから困っていた。新製品はその部分が改良されており、今のところ特に大きな不満は見当たらないから気に入っている。機内持ち込み可能なサイズだと、ridge30が限界だ。新作のridge30はベルト部分のポケットの容量が増えた上に、ベルクロからジッパーになって非常に便利になった。バックパック底面にはレインカバーが入っているから、雨天も安心だ。北京では滅多に雨は降らないけれど、出国時や帰国時に日本で雨になることがよくあるからレインカバーはあった方が良い。
 

しばらくすると、今回の機材が到着した。どうやらまたボーイング788のようだった。ここ最近はずっとこの中型機でラッキーだな、と思った。外はすでに雨が止み、午後には晴れそうな空模様だった。
 

乗客が少なかったためか、チェックイン時にカウンターの係員が、席はプレミアムエコノミーにグレードアップしてくれていた。しかし実際に座ってみると、構造上、モニターが座席よりも数センチほど右にずれていて、快適では無かった。確かに座席間隔は広いから座るだけなら楽だったけれども、私のような経絡敏感人にとっては、モニターと座席の僅かな誤差が気になってどうしようもなかった。こびとが座る窓側の席は、比較的誤差が少ない様子だった。あと、毎回飛行機に乗って思うのだが、車内アナウンスに切り替わる時、イヤホンを通して聞こえる「ジッ」という機械音はどうにかならぬのだろうか。私のような聴覚敏感人にとっては、不快極まりない。とりあえず、オデッセイというアメリカ映画を観ることにした。なぜか日本語字幕が無かったが、内容は理解出来た。しかし、残念ながら駄作だった。
 

北京には、いつも通りほぼ定時で到着した。別棟をつなぐモノレール乗り場の看板が新調されていたが、やはり日本語がおかしかった。こういう場所くらい、日本語を使うのならちゃんと日本語ができる日本人に添削してもらうべきだと思うが、やはり中国人はツメが甘い。ちなみに、日本の交通機関でも最近は中国語の看板や広告をよく見かけるが、大半は誤字・誤用が多い。基本的に中国語に翻訳するなら簡体字を使うべきだが、部分的に繁体字になっていたりとか、日本人がやりがちな全くありえない言い回しの中国語が使われたりしていることがある。
 

土曜日ゆえか、かなり混んでいたが、入国手続きは30分もかからなかった。中国人は日本人と比べて合理的だし、面倒なことをいかに手早く済ませるかということに執心する傾向にあるから、出入国で行列ができていても係員がバンバン人を仕分けるから、案外早く通過できることが多い。
 

空港線乗り場も少し混んでいたが、すぐにチャージできた。日本のように機械でチャージできるようにすれば便利だと思うが、まだ窓口でチャージするしかない。とりあえず200元チャージした。
 

东直门駅もこれから空港へ向かう人で溢れていた。
 

地上出口付近には大荷物を抱えた、これから空港へ向かうであろうオッサンたちが誰かを待っているようだった。
 

去年まで整然と並べられていたレンタルバイクは数台を残すだけで、普通の駐輪場に戻っていた。本当に中国の変化は激しい。
 

駅前からレンタルバイクは無くなったのかと思ったが、駅からすぐ歩いた高架下に新しいバイク置き場ができていた。おそらく、毎日、市内に散らばっているバイクを定位置に戻す業者のオペレーション上の都合で、場所が変更されたのであろうな、と思った。
 

4月に来た時には工事中だった东直门内大街の歩道は、完成して綺麗になっていた。この通りの歩道は本当に広くて歩きやすいから、東京も人口が減って道が広くなればストレスも事故も激減すると思うが、まず無理な話だろう。散歩という点に関して言えば、東京よりも北京市内を歩いている方が楽だ。
 

とりあえず、いつも通りホテルへ行く前にセブンイレブンに寄ることにした。以前試しに買ったスマホ用充電ケーブルがあまりにも使い勝手が良かったので、スペアを買っておくことにした。1mしか売ってないのが不満なくらいで、アマゾンですぐに折れたりする怪しい類似品を買うなら、39元(約660円)でこれを買った方が良いかもしれない。ついでにアップル純正品をパクッたようなイヤホンが売っていたので試しに買ってみたが、音が酷すぎてすぐに捨ててしまった。カナル型は違和感が強く好きではないから、アイフォンの純正イヤホンのようなタイプを好んで使っているけれど、今のところ純正品に勝るイヤホンを知らない。市販で似たようなタイプが売られていて色々試したが、僅かにサイズが大きすぎたり、音質が悪かったりして、結局無駄金に終わった。ちなみに、未だヤフオクやアマゾンで純正品を謳う類似品が多数出品されているが、大半はパチモンであるから、買うならアップルストアで買うのが確実だ。アマゾンなどでは本物の写真を使っていたり、ショップ名がそれらしい名称になっていたりするから、注意が必要だ。
 

店内には東京で流行っていたコカコーラの販売機が設置されていた。東京でも飲んだことがないが、かなり美味いと言われているから今度飲んでみよう。
 

东直门内大街をしばらく歩くと、雍和宫大街との交差点に至る。ホテルはこの交差点を右折してすぐの場所にある。中国では電動バイクの規制がゆるいから、傘を差しているジジイがいたり、ビニールハウスのように改造したバイクが走っていることがよくある。もちろんほとんどはノーヘルであるが、中にはヘルメットを被っている人もいる。中国の南方にある某都市では、電動バイクで走行中の女性が見知らぬ男に蹴りを入れられ、転倒して頭蓋骨を骨折するなど重傷を負った事件があったが、この事件以来、この街の人々は乗車時にヘルメットを被るようになったそうだ。北京は比較的治安が良いからか、ヘルメットの装着率は極めて低い。ちなみにヘルメットのことを中国語では
 

とりあえずホテルにチェックインし、あまり時間がないのでいつもの針灸用具店へ行くことにした。この針屋は中国中医科学院針灸医院のすぐ横にある。中国中医科学院針灸医院は外国人VIPやら外国人見学者を積極的に受け入れているそうで、実際に外国人がたむろしているのをよく見かける。
 

針灸用具店で特注の針を2万本ほど注文し、あとで日本から送金するからと言って、用件が済んだ。店員には日本で買っておいた高級菓子を渡した。中国では、人から何かもらう時は断りつつ受け取るのが礼儀だと聞いたことがあるが、確かにここの店員はいつも「要らない要らない」と言いつつ、嬉しそうに受け取るのが常だ。外に出ると、いつの間にかいなくなっていた店員の男が、セグウェイに乗って公衆便所へ行くのが見えた。どうやら中国では公道で走っても問題ないらしい。そういえば、1年ほど前に中国の地方都市の幹線道路で、馬愛馬に跨っていたジジイが落馬し、馬が暴走して車と衝突する事故を起こしたのだが、それに比べればセグウェイなんて可愛いものだ。ちなみに、その馬の飼い主であるジジイは「马路(馬路)を馬が走って何が悪いんじゃ!」などと叫んだらしいが、確かに中国では未だに幹線道路のことを马路と呼ぶことがある。
 

店員は私が写真を撮っているのを見ると近寄って来て、「乗ってみなよ」と言った。台座だけのタイプで、重心を前に移動させると前進するらしかった。1日あたり2元でレンタルしているらしい。道の広い中国では確かに便利な乗り物だな、と思った。
 

雨が降ってきそうだったので、一端ホテルへ戻り、折り畳み傘を取りに行くことにした。ホテルを出たあとは、本当は北京中医薬大学の中医薬博物館へ行く予定だったが、閉館時間が16:30で間に合いそうもなかったので止めにして、东直门内大街にある中国工商銀行で外貨両替することにした。
 

この中国工商銀行は乾元酒店というホテルの敷地内にあるのだが、行員がみな親切で、比較的待ち時間も少ない。両替が終わったあと、ついでに口座開設できるかどうか聞いてみると、旅行者でも可能だとのことで、すぐに開設してもらうことができた。上海に出向していた友人S氏に聞いていたとおり、北京の中国工商銀行も口座開設は容易かった。しかし、2年前くらいから、中国国内の銀行では6か月間口座内で動きがないと一時的に凍結されることになったから、注意が必要だ。
 

銀行から外に出ると、ちょうどポツリポツリと雨が降りはじめた。傘を持ってきて正解だった。この日は王府井のapmというショッピングモールにある小大董という新規店で北京ダッグを食べることになっていたから、早速王府井へ行くことにした。北京市内にある大董という店がこの店の本店で、斬新な北京ダッグを出すかなりの人気店だということで、一度行ってみたいと思っていた。先に王府井書店へ寄っておくことにした。
 

書店の前には補助棒がついた中国特有に三輪車に乗った子供がいた。中国では未だに乳幼児の誘拐事件が頻繁に起こっているから、子供にペット用のリードを改良したような紐を付けて歩かせる光景が珍しくない。
 

王府井書店のすぐ横にある交差点の信号機は、1本の支柱で四方の信号機をぶら下げていた。これはなかなか合理的な作りだな、と思った。
 

王府井書店の近くには、新たに巨大な商業施設がオープンする様子だった。新宿三丁目の伊勢丹の4倍くらいの大きさはありそうだった。
 

この通りを真っ直ぐ行くと、右手にapmが見えてくる。
 
 

小大董の前の椅子はほぼ埋まっていたが、半数以上は単に休憩しているだけのようだった。
 
 

店舗は小ぶりだが、内装は中々洒落ていた。テーブルや椅子、照明のセンスなどは中々良さそうだった。店内は小卓と呼ばれる2人がけのテーブルがほとんどで、この商業施設自体が若者向けであるから、きっと若いカップルをターゲットにした作りにしているのだろうな、と思った。
 

店頭の店員に人数を告げると、整理券を渡された。どうやら4人待ちのようだった。超人気店になると土日は100人待ちなんて場合があるから、これは空いてラッキーだな、と思った。次々に来る客を眺めていると、店頭に店員がいない時は、勝手に機械を操作して整理券を出しても問題ないらしかった。
 

暇つぶしに、店頭に飾られていた写真を眺めることにした。ハリウッドで有名な映画監督やら、某国の大臣などが訪れたらしい。しかし、これはカッペを騙すための陰謀かもしれぬから、安心できぬな、と思った。
 

15分ほどで、店内に通された。メニューは最近流行りのタイプで、プロのカメラマンが撮ったような、食欲をそそる美しい写真集のようだった。日本の飲食店もこんな風にメニューを作りゃあ客単価も上がるんじゃなかろうかと思うが、こういう点は中国の方が遥かに先を行っている。非常に美味そうなメニューで、実際にはクソ不味い品が運ばれてくる、というのは中国ではよくあることだ。隣の席には30代と思しき女が独りで座っており、北京ダックなどを寂しそうに食していた。最近は中国でも独身の若者が増えていると聞いたが、確かに北京の飲食店は独りで食べている若者をよく見かけるようになった。
 

とりあえず定番の北京ダッグを注文し、あとは適当に頼んだ。最初にレモン入りのぬるい水と北京ダッグの付け合せが運ばれてきた。奥のテーブルでは疲れた顔でオバハン店員が片付けをしていた。アルコールが入ったらしきボトルでテーブルにスプレーし、異なった布で2度拭きしていた。北京では、最近はこういう感じで片付ける店が増えていて、日本よりも衛生管理を徹底しているような店が案外多い。確かに、日本で報道されているような危険な店も存在するが、日本のマスメディアは偏向報道が酷いゆえに中国の飲食店はヤバい店がほとんどだと信じ込んでいる日本人が多いけれど、実情はかなり異なっている。特に日本のメディアは某国寄りで都合の良いようにしか報道しないから、実際に現地へ行って自分の目で確かめないと真実はわからないだろうと思う。
 

 
北京ダッグを待っている間に前菜らしき小鉢が運ばれてきたが、これは美味くなかった。冷蔵庫に作り置きしていたような冷たい常備菜みたいなもんで、食えたものではなかった。
 

 
白身魚をフライにしたものは油の塊のようで、マヨネーズらしきつけ汁も不味くて完食できなかった。
 

スープも小龍包もダメだった。小龍包は冷凍なのか美味くなかった。
 

こりゃ北京ダッグも期待できぬな、と思っていたが、その通りだった。もしかしたら本店の料理は美味いのかもしれないが、とにかくここで2度目はないだろう。やはり鳥は鶏が一番臭みがなくて美味い。アヒルは皮にも独特の臭みがあり、高い金を払ってまで食うものではないなと感じた。最後は何故か、デザートに綿あめが運ばれてきた。手早く綿あめを食べ、店を出た。
 

小大董の隣のエリアは盛況だった。吉野家をパクッたような若者向けのしゃぶしゃぶ屋と、老舗のしゃぶしゃぶ屋である东来顺はどちらも混んでいた。
 

东来顺の向かいにはとんかつを売りにする日本料理屋が新規オープンしていた。「ようこそブンブンへいらっしゃいました。貴重品はご自身で保管してください」という謎の日本語アナウンスが、数分おきに流されていた。店頭にいた店員は熱心に客引きをしていた。このショッピングモールの飲食店街には日系の飯屋が1割くらい入店しているが、どの店も比較的客入りは良いようだった。
 
夕食を終えたあとは、什刹海皮影文化主题酒店という、皮影戏を売りにしたホテルに行かねばならなかった。以前、CCTVの「外国人在中国」という、中国が好きで中国に居ついた中国在住の外国人にスポットを当てた番組で、このホテルが出ていたのを観て、一度泊まってみたいと思っていた。このホテルでは週3回ほど、朝晩2回、宿泊者向けに伝統的な皮影戏を上演している。宿泊者は無料、宿泊していなくても100元払うと観ることができるようになっている。
 
今回はこのホテルで皮影戏を観るためにスケジュールを調整してツアーを組んだもんだから、何としても20時の上映開始時間までにホテルへ辿り着かねばならなかった。
 

ホテルの店員が、事前にメールでホテルまでの経路を書いた画像を送っておいてくれたのだが、画像の解像度が低すぎな上に路地が省略されすぎていて、もはや地図の役割を成していなかった。事前に日本でGoogle Mapで経路をプリントアウトしておいたが、グーグルの示す中国地図は信頼できぬし、何故かVPN接続ができぬから、街の随所にある看板を頼りにホテルを目指すしかなかった。
 

ホテルの最寄駅は地下鉄6号線の北海北駅だ。駅には19:30頃に着いたが、構内にあった地図は路地が省略されていたうえに、A出口の表示がなく、右左どちらへ行けば良いかわからなかった。仕方がないので、大通りを右に見てしばし歩くことにした。途中で警察官がいたので、地図を見せ、「このホテル絵行きたいがこの道を真っ直ぐ行けばいいのか」と聞くと、警察官になったばかりらしき若い男は「そうだ、真っ直ぐだ」と答えた。
 

しかし、男に告げられたとおり歩くと、しばらくして真逆に向かっていることに気が付いた。故意でなくても、中国人が違う道を教えることはよくあることだ、と思いながら再び駅まで戻ることにした。駅を過ぎると歩道が細くなったが、レズビアンらしき女がイチャついていた。
 

駅から200mくらい歩くと平安大街と德胜门大街の交差点にさしかかり、周辺図を掲げた看板が見えた。看板とホテルから送られて来ていた地図の画像を照らし合わせると、おおよその位置がつかめた。どうやら、右折して旌勇里(jingyongli)胡同をひたすら直進すれば、ホテルが左に見えるはずだった。ちなみに、中国語では路地のことを一般的に小巷子とか小巷道とか言うが、北方では胡同、南方では弄堂と言うことが多いようだ。
 

警察官に誤った道を教わったせいですでに20時を過ぎていた。しかし、道を間違えずに行けば、途中からでも皮影戏を観ることができるかもしれぬと思い、先を急いだ。ネット上の口コミのとおり、この辺りの路地はかなり暗かった。真っ暗というほど暗くはなかったが、薄暗い街灯がわずかに点在しているだけだった。とは言っても、暗い路地を和気藹々と楽しげに散歩している家族がチラホラいたりして、そんなに危ない雰囲気はあまり強くなかった。北京は出稼ぎ労働者が集まる南部は比較的治安が悪いと言われているが、特に中心部は警察がそこらじゅうに配備されているせいか、日本よりも治安が良いように感じる。
 

何とかホテルに辿りついたものの、すでに20:30を過ぎていた。こりゃ皮影戏は終わってるな、と思いながら、ホテルの外観の写真を撮ることにした。確かにネットの口コミのとおり、かなりわかりにくい場所にあるホテルだった。ホテルの手前には小さなスーパーマーケットと、銭湯らしき建物があった。どうやらホテルの周囲にはそれ以外の商店は無い様子だった。
 

江戸城の門を家庭用にあつらえたような門を開け、狭い階段を下りると、すぐにロビーがあり、白人数人がロビーでお茶を飲みながらくつろいだり、皮影戏で使う道具の色付け作業を楽しんでいた。舞台の横では皮影職人が片付けをしていて、ちょうど数分前に終演した、というような雰囲気であった。こびとと肩を落としながらフロントへ行くと、眼鏡をかけた主任らしき小太りの男と、比較的大柄な女が立っていた。欧米人向けのホテルらしく、押金(デポジット)はクレジットカードで払ってくれと言うので、女にカードを渡した。女が処理をしている間に、私が「駅からここまでの経路がわかりにくくて道に迷った」と皮肉めいて言うと、女はいつものことだと言うような具合に、慣れた手つきで特製の地図を差し出した。
 

什刹海を中心に描いたこのホテルお手製の地図らしく、ホテルまでの経路が詳しく記されていた。地図の裏面には北京の主要な観光スポットとそれらにかかるおおよその費用、地下鉄の路線図が英語と中国語で記されていた。小規模なホテルではあったが、色々と創意工夫してサービスに努めているのであろうな、と思った。
 
割り当てられた部屋は2階だった。ドアを開けるとロビーが真下に見える部屋で、ウェブサイトで見た写真よりもかなりチープな作りだった。廊下には皮影戏で使われる道具が額に入れられ、飾ってあった。ロビーには小さなテーブルが10個ほどあり、白人のカップルが2組、白人家族が1組いた。白人のカップルは皮影の色付けを楽しんでおり、小太りの主任男に「あなた達もやる?」と聞かれたが、あまり面白くなさそうだったので断った。ロビー中央のテーブル席に座ると、主任男が「何か飲む?」と言ってB5の紙をパウチしただけの小さなメニューを差し出した。とりあえずバナナのフレッシュジュースとやらを2つ注文した。
 
5分ほどで透明のグラスに入ったバナナミルクジュースを、得意げな顔で主任男が運んできた。驚いたことに氷が1つも入っておらず、甘みのない、生ぬるいバナナジュースだった。何が悪いのかわからなかったが、今まで飲んだバナナジュースで一番の不味さだった。
 
隣のテーブルに座っていた白人家族を見やると、おぼつかぬ箸さばきで、不味そうな中華料理を食べていた。実際に不味いのか、白人家族は終始不機嫌で、通夜振る舞いの時間を過ごしているように見えた。フロント奥にある厨房では料理を作っている気配がなかったから、おそらくレンジを駆使した料理なのであろうな、と想像した。
 

斜め向かいに座っていた白人カップルは、白人家族とは対照的に楽しげで、グラスに注がれた赤ワインを傾けてイチャついていた。我々は皮影が飾られたディスプレイを一通り眺めたあと、部屋に戻ることにした。皮影はどうやらロバの皮で作られているらしかった。フロントの横には、明日の朝食で使う食器などが準備されていた。
 
このホテルは旅館の形態に近く、ロビーはまるで他人の家のリビングのようで落ち着かなかったので、部屋へ戻ることにした。部屋へ戻る前に、主任男に聞いておきたいことが1つあった。このホテルは中国で規制されているはずのフェイスブックを使って頻繁にホテル内でのイベントを更新していた。だから、きっとホテル内のワイファイはVPNを介してフェイスブックを観ることができるのだろうなと思い、主任男に「このホテルではフェイスブックをみることができるのか?」と聞いた。すると、主任男は引きつった顔で「ここではFacebookもGoogleも使えないヨ」と言った。おそらく、この男は当局へのタレこみを恐れ、嘘をついているのだろうな、と思った。
 
部屋はかなり寒かった。暖房がちゃんと効いてないのと、部屋の断熱効果が悪いのが原因らしかった。これまで北京市内で泊まったホテルでは最も寒いな、と思いながら、薄い布団にくるまって目を閉じた。
 

2日目(日曜日)

 


部屋から出てロビーを見ると、すでに朝食にありついている白人がいた。昨晩チェックインした時にはわからなかったが、天井から朝日が差し込むような作りになっていた。
 

朝食はビュッフェ形式だったが、質素だった。どうもホテルに泊まっているというより、避難所で一夜を過ごしたような気分だった。手早く食事を済ませ、部屋へ戻ることにした。とにかくロビーの座席は限りがあり、長居できるような雰囲気ではなかった。
 

ウェブ上で見た限りは、かなり洒落たホテルだと思った。まぁ確かに実際見回しても、センスの良いデザインは色々あった。建築を学んでいる人にとっては良い刺激になるかもしれない。しかし、それぞれのパーツは良くても、最も重要な居住性に関してはかなりスポイルされているようで、残念だった。最寄駅から歩いて15分くらいはかかるし、近くに繁華街があるわけでもないから、ロケーションという点に関しては劣る部分が多いホテルだ。僻地にあるのだから、最低限の居住性を備えたシェルターであれば満足であったかもしれない。何より、最も楽しみにしていた皮影戏を見逃したことが、満足度を下げる大きな要因となったのだろう。主任男は午前10時から皮影戏をやるから観ないかと言ってくれたが、午前中は颐和园へ行く予定だったから、8時くらいにはチェックアウトしなくてはならなかった。
 
 

外に出ると、党大会を控えているせいか、入口に国旗を掲げているのに気が付いた。こびとがホテルの前で写真を撮ってくれと言うので、真紅の国旗とタクシーが入る構図でシャッターを押した。2年ほど前、北京で良い写真を撮るためにキャノンのEOS Kissを購入したのだが、世界最小最軽量を謳う一眼レフであっても、スマホのコンパクトさには敵わず、使わなくなってしまった。
 

ホテルの隣には小さなスーパーと「浴」と書かれた建物があった。前日見た時は暗くてわからなかったが、2階にあるようだった。「浴」というのはいわば銭湯みたいな場所のことで、中国語では洗浴(xiyu)する場所の意味で浴池(yuchi)と言う。最近は日本のスーパー銭湯のように豪華な休憩所を備えた浴池もあるらしいが、裏メニューで怪しいマッサージをする小姐がいることもあるらしいから危険だ。中国でも売春は違法で、CCTVの今日说法という番組では、警察官が現場に突入して「别动,别动!」などと叫びつつ老板や小姐らを拘束する場面が頻繁に放送されている。基本的にどんな刑罰も日本より遥かに量刑が重いから、危なそうな場所には近寄らぬのが賢明だ。
 

銭湯の入っているビルの1階はスーパーだった。海南島のバナナが500g1.99元(約34円)、パイナップルは1個10元(約170円)だった。
 

三輪車に乗って什刹海方面へ急いでいるオッサンがいた。どうやらこのあたりの胡同に住み、三輪車で通勤しているようだった。数年前に什刹海へ行った時、三輪車のジジイにボったくられたことがあるから、彼らには全く良いイメージがない。日本のアホなガイドブックには「什刹海へ行ったら三輪車に乗って観光することをおススメする」なんて偉そうに書かれているが、私はお勧めしない。
 

最近は胡同のような路地にも、至る所に監視カメラが設置されている。特に北京では、官公庁の集まるエリア、観光エリア、学区域などを優先してカメラが増設されているようだ。最近は日本も外国人が増えて物騒になっているから、公道の監視カメラを増やした方が良いのかもしれない。しかし、最近流行りのネットワーク環境を利用したワイヤレスの監視カメラは容易にハッキングされるから、有線でつないだ方が安全だろうと思う。
 

このあたりの胡同は北京市内でもかなり綺麗な部類だった。基本的に胡同は下水やゴミの臭いが強く、道路も舗装されておらず、歩くと靴底が砂まみれになることが多い。
 

最近は携帯電話が普及したせいで公衆電話を使う人はほとんどいないようだが、それでも北京市内では所々に黄色い電話が残されている。
 

恭王府は清朝最大の王府で、和珅という商人や、乾隆帝の息子である爱新觉罗·永璘の邸宅として使われていたそうだ。敷地は6万㎡もあるらしいから、東京ドームより一回り大きい感じだろうか。まだ9時前だったが、すでに入口にはかなりの行列ができていた。今度行ってみよう。
 
恭王府の前を通り過ぎると、次第に土産物店や商店が増えてくる。大きな柳の木が見えてくると、だいたい湖が近い証拠だ。もう少し向こう側へ歩けば、左に后海、右に前海が見えてくる。このあたりは観光客が多く、三輪車、タクシーの営業が喧しかった。
 

商店を構えている人もいれば、こんなもん誰が買うんだろうと思しきハンドメイド品を売っている人もいる。
 

しばらく歩くと、高校生らしき集団が集まっていた。数人の女子が何故か壁を背にスマホで自撮りしていた。左の街路樹の枝には、果樹のように丸い監視カメラがぶら下げられていた。
 

騒がしい高校生の向こう側では、何かを手売りしているオッサンがいた。オッサンは沢山のひょうたんを肩にぶら下げ、鮮やかなブルーのジャンバーを着ていたから、心のなかで密かに「ブル夫(ぶるお)」と命名することにした。ブル夫の横には、白い文字で「陈赫」と刺繍された黒いキャップを被った黒ずくめのオッサンがいて、何やら会話していた。このオッサンは「ヘイラオトウ(黒老头儿)」と名付けることにした。
 
ブル夫は中々のキャラクターの持ち主であろうと察したが、ヘイラオトウもさぞやと思わせる雰囲気を漂わせていた。私はヘイラオトウの被るキャップの刺繍が気になって仕様がなかったが、「陈赫」がアイドルの名前なのか、ヘイラオトウの名前なのかはわからなかった。ヘイラオトウはひょうたんを1つ購入した。ひょうたんは加工してあり、雲南の民族楽器である葫芦丝(hulusi)のようだった。ヘイラオトウは買ったばかりの葫芦丝に夢中で、早く音を出してみたい、という具合に前も見ずに、別の胡同へ向かってフラフラと歩き出した。
 
すると、我々に気が付いたブル夫が近寄ってきて、中国語で「あんたら何人(なにじん)だ」と聞いてきた。我々が「日本人だ」と言うと、ブル夫は「私は日本語を知っている」と言い、「イッコウセンエン!イッコウセンエン」と叫びだした。古谷一行なのか、はたまたIKKOなのかはわからなかったが、初対面の日本人に1000円で人身売買を勧めてくるとは、もしやブル夫はマフィアの如き市井(しせい)の徒であろうか、と思った。
 
しかし、よくよく聞いてみると、ブル夫はどうやら「ひょうたん1個1000円です」と言っているようであることがわかった。こびとが「センエン!?」と日本語で叫ぶと、周りにいた中国人が一斉に振り向いた。どうやら聞いたことのない言葉が聞こえてみな驚いたらしかった。
 
値段交渉しようにも、ブル夫は「イッコウセンエン!」の一点張りだった。いや、一点張りというより、単にブル夫の日本語能力が低すぎて、その一言しか発せぬようであった。
 
こびとが再び、見習い魔道士のように「タイグイラ!(太贵了!)」と下手くそな中国語で叫ぶと、ブル夫は「なんぼなら買うんじゃ!」と中国語で聞いてきた。ひょうたんと言えども一応は葫芦丝と呼ばれる工芸品である。1個1000円が妥当な値段なのかわからなかったが、中国の物価を考えると高いような気がした。
 

しかし、そんなことよりも、私はブル夫が全てのひょうたんを咥えて試し吹きしている可能性による細菌感染を恐れていた。ゆえに、値段の話は後回しにして適当にあしらい、ブル夫の敬意を表して写真を撮り、インスタグラムで宣伝してやることにした。ブル夫は元々ひょうきんな人間なのか、カメラを向けても動じず、ひょうたんを咥えておどけたポーズを取った。葫芦丝を吹き鳴らしつつ、Forever製という謎のメーカーの自転車に跨るブル夫は、中々良い絵になっていた。
 

ブル夫に別れを告げ、先へ進むと、隣の胡同で今まさに生まれて初めてひょうたんを咥えようとしているヘイラオトウを発見した。私が瞬時にカメラを構えた数秒後、ヘイラオトウはプーッと葫芦丝を鳴らし始めた。
 
 

ヘイラオトウの様子があまりにも滑稽だったので、私とこびとがクスクスと笑っていると、隣にいた商店のジジイもつられて大笑いし始めた。ヘイラオトウは周りの観光客が笑っていることには全く気が付いていない様子で、満足そうに葫芦丝を吹いていた。中国の真紅の国旗がたなびく胡同で、ヘイラオトウが葫芦丝を吹き鳴らす姿を眺めてみんなで心の底から笑っていると、ストレスフルな日本では感じることができない、偽り無き平和を共有できた気がした。
 
 

イベントが発生した場所から200mほど歩くと、北海北駅が見えてきた。駅前の商店街にある店のほとんどはまだシャッターが下りていた。 
 

この日は朝から颐和园へ行く予定だった。颐和园の最寄駅は西苑駅か北宫门駅なのだが、チケット売り場は西苑駅で降りた方が近い。北宫门駅は颐和园のいわば裏口に位置する。
 
中国では古代から「坐北朝南」とか、「圣人南面」という言葉があるように、皇帝(圣人、圣子、天子)は北を背に南を向いて坐す慣習がある。ゆえに、颐和园も故宮と同様、南向きに作られており、今でも一般的な入口は南方に位置し、チケット売り場も西苑駅近くに設置されている。
 
中国がある北半球では日本と同様、一日の日照時間が最長であるのは基本的に南向きの部屋だ。日に当たる時間が長ければ部屋も暖かく、病害虫の類も発生しにくい。また、古代人は太陽の光に人智が及ばぬ様々な効用があると考えていたかもしれない。ゆえに、昔の中国人は、家屋は南方に向けて構えた方が、住人は健康になりやすいと考えた。
 
「周易(易経)」から始まったとされる陰陽二元論や五行八卦説によれば、北は陰(北为阴)、南は陽(南为阳)、山北水南は陰(山北水南为阴)、山南水北は陽(山南水北为阳)に属するという。まだ科学が発達していない古代中国では、単に北風を避け採光を求めるだけではなく、北方から侵入するとされた風水的な邪気を避けるため、北方に白虎を模した人造の山をこしらえてみたり、良い気を留めるため、南方に人工の湖を作ったりしたようだ。特に、自然、天の道理に適うような住居にすることが最も重視されたのだろう。
 
また、地上の生物は太陽光に依存しており、太陽がもたらす恵みを享受しようと無意識に行動する傾向がある。そのため、皇帝が常時、民衆や臣下よりも北方に位置することで、自らが太陽の権化となり、天下を治めやすくする意図があったのかもしれない。ちなみに、皇帝は龍の化身であるとされ、皇帝が着用する礼服である龙袍の黄色は五行で中央を意味する「土」に基づいている。
 
そういえば、「ムー」的なネタでは、中国人の祖先は龍蛇族(龍神系宇宙人、レプティリアン)であるとか言われている。始皇帝の命令で不老不死の仙薬を求め、日本に来た徐福も宇宙人で、そのまま居座って神武天皇になったと言われているが、もちろん真相など知る由もない。そもそも人間の起源はアフリカにあったと言われているが、猿人からヒトへの進化には飛躍がありすぎるし、ミッシングリンクについては現在も解明されていないから、確かに宇宙人が地球人の祖先であるという話も何となく面白味がある。
 
 
そんなわけで、古代中国では「南面」は皇帝の尊称となったが、一方でいつからか「北面」は卑称とされるようになった。中国語では言葉が同音である場合、同じ意味を含むとみなすことがままあるが、「北(běi)」と「背(bèi)」がほぼ同音であること、「背」には背を向けて「乖(そむく)」の意味があることなどから、「北」は「败(bài)」の意味に等しいとされた。そのため、乘胜逐北、追奔逐北などの言葉が生まれたり、败北(敗北)という常用句が使われるようになったそうだ。
 
 

西苑駅前はかなり整備されていた。世界遺産に指定されて多くの観光客を見込んでいるからが、駅前の歩道は広くて清潔感があった。吉野家やマクドナルドなどのファストフード店が軒を連ねていた。
 

駅前のホットドッグ屋の前には数人並んでいて、リードにつながれた子供がいた。最近中国で流行っている子供用のリードだ。中国では最近になってやっと一人っ子政策が終わったわけだが、中国では晩年は子供に面倒を見てもらうのが通例となっているため、結婚して男の子が生まれないと、妻が強く非難されることが珍しくない。そのため、子供欲しさに人身売買や誘拐によって無理矢理養子にする事件が数えきれない起こっていたそうだ。現在は子作り制限が解除されたものの、特に地方都市では子供の誘拐事件が未だにあるらしいから、腕白な子供にはリードでもつけておかないと、危険なのかもしれない。日本では誘拐事件など滅多にないけれど、外国人が増えてくれば中国のようになる可能性もあるから、子供にはリードを付けておいた方が良いのかもしれない。むしろ、遺伝子の異常なのかどうかはわからないが、近年増殖しているモンスターペアレンツが産んだようなDQNな子供に関しては、それ以上の拘束が必要かもしれないな、なんて思ったりする。
 

駅から颐和园までは500mくらい歩くようだった。とりあえず、観光客らしき人々について歩くことにした。しばらく歩くと、スターバックスの前に何某かの銅像があり、記念写真を撮っている人がいた。北京にはこの手の銅像が沢山ある。そういえば最近、スターバックスコーヒーの「bucks」は「dollar」を意味していて、金が星の数ほど集まるようにstarbucksという言霊的な屋号にしたか、ドル箱スターとなるようにstarbucksとしたのではないか、などと考えたりした。かつてのロゴにはユダヤの象徴である目が組み込まれていたらしいが、とにかくシンボルカラーのグリーンはドルを連想させるし、バックスも同様にドルを連想させる。何が功を奏したのかわからぬが、もはや北京でもスターバックスはサードプレイスとして確固たる地位を築いている。短期間にあれほどのブランド力をつけるとは、余程創業者が優秀な人だったのだろう。
 

 
駅前の通りを左折し、真っ直ぐ歩くと右手に颐和园と書かれた看板が見えた。野犬らしき犬が歩いていた。
 

 
颐和园の近くにレンタルサイクル置き場があった。駐車場の入口は渋滞していて、警備員らしきオッサンが交通整理していた。
 

結局、駅から歩いて5分くらいでチケット売り場に到着した。かなり沢山の観光客が集まっていてにぎやかだった。
 

奇抜なカラーリングのジャージを着た観光客集団が、記念撮影をしていた。あんな目がチカチカするようなジャージを着ているBBAがわんさかいても違和感がないのは、やはり中国だからだろうな、と思った。何となく、毎年成人式の日だか卒業式の日だかに、岡山駅前に集まる特高服姿の若者達を思い出した。
 

チケット売り場は比較的空いていた。とりあえずチケットを2枚買った。ほとんど待たずに買えてよかった。
 

チケット売り場の向かい側には「颐和园食品部」という看板が掲げられた建物があった。入口のすぐ横には長机が並べられており、地元民らしき人々がボランティアで道案内をしていた。
 

建物の中では土産物と軽食が売られていたが、右側に併設された写真コーナーが強烈な雰囲気を放っていた。左側の壁には「古装照相(古装撮影)」、「请勿自拍(自撮は御遠慮下さい)」 という貼り紙があった。撮影は1枚30元で、ちょうど龙袍に仮装した農民らしき夫婦が撮影するところだった。この夫婦は皇帝の雰囲気とは程遠い風貌であったが、嬉しそうに座っていた。
 

とりあえず、店内の土産を冷かすことにした。ナイキのパチもんスニーカーがあった。いや、スニーカーというより、スリップオンと内联升的な布鞋の中間の履物のようだった。何故かロゴの下には「fashion」と書かれていた。やはり中国人も日本人並みに使う英語がダサいな、と思った。しかし、数多外国人が訪れる世界遺産で、平然とパクリ商品が並べられているのをみると、中国の発展途上国的な一面を垣間見た気になる。デジタルアプリケーションやAIの分野で世界一になっていても、こういうあたりはまだまだ中国という感じだ。きっと日本のメディアがこれを見つけたら、ここぞとばかりに中国叩きをするだろう。それこそメディアがK国寄りである1つの論拠になるのだが。アホな庶民は洗脳されて、これが中国のすべてであると思い込んでしまう。
 

 
怪しい靴の横には、ミニオンズらしき小物が売られていた。頭部と下半身にウニのような棘が付いていたが、用途は不明だった。とりあえず、売店でペットボトルの水を2本買った。
 

外へ出ると、ミニオンズのようなカラーリングのジャージを着た団体客が歩いていた。
 

どうやらスマホにアプリを入れれば、チケットレスになり、園内のガイダンスを聞けて、土産を通販で自宅に送ってもらえるようだった。
 

とりあえず、案内図を見た。まともに見たら半日かかりそうだったから、ショートカットして、有名なポイントだけ見て回ることにした。
 

門には満州語らしき文字が書かれていたが、意味はわからなかった。大した人出でないと高をくくっていたら、門の中に人ごみができているのが見えた。
 

園内の所々に奇岩が据えられており、中国人が写真を撮りまくっていた。ガイド付きのツアー客ばかりだった。
 

特に見るべきものがなかったので、次のエリアへ行くことにした。石畳の上で爺さんが集まり、大きな筆で詩を書いていた。北京の公園でよく見かけるが、この通路は書きやすそうだった。日本では達筆とも芸術とも書道とも呼べぬような某書道家が、マスゴミの操作によって持て囃されているけれど、北京の公園にいる一般の爺さんの方がよっぽど巧く、気持ちの良い文字をサラリと書き上げる。
 

爺さんは一体何を書いているのだろうかと見てみると、どうやら毛沢東の詩を書いているようだった。「风雨送春归,飞雪迎春到。已是悬崖百丈冰,犹有花枝俏。俏也不争春,只把春来报。待到山花烂漫时,她在丛中笑。」1962年12月に詠んだ詩だそうだ。流石に漢字の国だけあって、中国には、日本の自称書道家よりも遥かに達筆な字を書くジジイがゴロゴロいる。
 

隣にいたジジイは絵を描くのが好きなようで、暇そうな通行人を呼び止めては、似顔絵を描いていた。ジジイは描き終えると、お世辞なのか、必ず顔の下に「美人(meiren)」と書いていた。我々が眺めていると、ジジイがこびとを呼び、似顔絵を描き出した。確かに似ていたが、先ほどの御婦人の似顔絵にも似ていた。
 

 
橋の上では、万寿山と昆明湖を背景に記念撮影している人が沢山いた。どうやら、北海公園と同様に、仏香閣なる建造物をフレームインして撮るのが定番らしかった。
 
 
 

頤和園は杭州の西湖をモデルに造られ、遼金時代は王室の遊楽地、明清朝期には皇家园林(いわゆる「御苑」)となったらしい。光绪十四年(1888年)、慈禧(西太后)が軍費を流用して修復し、颐和园と改称し、自らの避暑用別邸としたそうだ。また、拙政园(江苏省苏州市)、避暑山庄(河北省承德市)、留园(江苏省苏州市)と並び、中国四大庭園の1つに数えられているそうだ。1998年には世界遺産に登録され、2009年には中国に現存する最大の皇家园林と認定されている。確かに湖岸に立ってみると、以前行った西湖に似ていた。
 

頤和園が再建された数年後、北京に連合国が入ってくるわけだが、再建に多額の戦費を流用したことで、これが清朝滅亡の原因の1つになったと言われている。昆明湖は人造湖で、この湖を作る時に掘り出された土を盛り上げ、万寿山としたそうだ。ギザのピラミッドを作り上げた労力も途方もないレベルだろうが、こんな広い湖を人力で作ろうと思ったら、気が遠くなってくる。掘るのは簡単としても、残土を積み上げてゆくのが大変そうだ。中国の大建造物と言えば、世界的に著名な万里の長城以外にも、北京-杭州間、約2,500キロを繋いだ京杭大運河もあるし、最近ではドイツ・デュースブルク-中国・重慶間、約11,000キロを結んだ、中欧班列と呼ばれる国際鉄道がある。日本なら本州横断でやっと1,500キロ程度だから、スケールが圧倒的に違う。
 
 

毎年1月を過ぎた頃になると、湖面が完全に凍るため、颐和园はスケート場として開放されるそうだ。何せ北京は氷点下10℃を下回るなんてザラだから、昆明湖が70万㎡以上の広さであっても、完全に凍てついてしまうのだろう。しかし、観光地にいる中国人は本当に幸せそうにしている人が多い。みなニコニコしている。中国人は普段は無愛想でムッツリしているから、かなりのギャップを感じる。
 

 
昆明湖を左へ見ながら、経路どおり進むことにした。今回も色々と行きたい場所があったため、颐和园での滞在時間は1時間以内を予定していた。壁を丸くくり抜いた門があった。中国ではよく見られる建造物であるが、中国語で何と呼ばれているかは知らぬ。
 

しばらく歩くと、長廊と呼ばれる屋根付きの回廊があった。皇帝が雨に濡れずに歩けるよう配慮されたいわばアーケードだ。このあたりに来ると、混んでいた。この長廊は乾隆帝の1750年に作られ、光緒帝の1886年に再建され、全長728mあり、中国御苑の中では最長らしい。天井の装飾が中々面白かったが、驚嘆するほどの芸術性は感じられなかった。長廊には柵というか低い手すりのようなものが設けられていることが多いが、観光客の多くはこれに腰掛けて休憩していた。
 

こびとがトイレへ行きたいと言ったので、あたりを見回すと、建設現場にあるような仮設トイレが見えた。私は基本的に潔癖症であるから、このようなトイレはなるべく避けるようにしているが、止むを得ない状況に限って利用することにしている。こういうドアがあるタイプはドアノブに触れることが不潔であるから、基本的にはまだドアのない街中のニーハオトイレの方が我慢できる。こびとによれば、中はかなりケイオスな状況だったらしい。ちなみに、内部にトイレットペーパーは設置されておらず、右端の個体に設置された共用のトイレットペーパーを必要なだけちぎり、用を足すことになっているらしい。日本の公衆トイレを使う感覚で内部へ入り、途中でトイレットペーパーが無いことに気が付いたら手遅れだ。ここは世界遺産であるのだからなるべく園内には手を加えないようにしておこうという意図があるのか、手を加えてはならぬのかは不明だが、とりあえずトイレくらいは最新にしていおいて欲しいものだ。沢山の人が訪れるのに、こんな仮設トイレだと、う〇こがあふれて洪水が起こる可能性も否定できない。
 

しばらく歩くと、東屋があった。中国語では亭子と言う。大した装飾では無かったが、一応写真を撮っておいた。
 

かつて、ここで使われていたという古い電話が展示されていた。あまり人気がないようで、ほとんどの人が軽く眺めて通過していた。
 

排雲門の前で記念撮影する人が多かった。ここから奥にある排雲殿と佛香阁が一番の見所らしく、かなり混雑していた。タイムリミットが近づいていたため、佛香阁へは上らずに退園することにした。
 

北宫门から出たが、閑散としていて、観光客はおろか、地元人さえもあまり歩いていなかった。これは出口を誤ったな、と思った。地図ではここから歩いて5分くらいで北宫门駅に行けるはずだったが、駅を示す看板さえ見当たらなかった。何故か百度地図のアプリが使えぬため、仕方なく野生の感に従って左方向へ歩いてみることにした。川を左手に見ながら10分ほど歩いたが、右側に質素な感じのホテルが1つ2つあるくらいで、駅がありそうな雰囲気は全くなかった。道路は整備されておらず、車が通るたびに黄色い砂煙が舞った。世界遺産の北側がこんなに寂れているとは思わなかった。
 
これ以上歩いても埒が明かぬと判断し、ホテルの横にある小さな商店で出入りしていた店主らしきオバハンに道を尋ねることにした。私が「このあたりに駅はありますか?」と問うと、オバハンは「ここから歩いたら10分以上はかかる。隣のホテルの前に三輪車が待機しているからそれに乗って行け。駅まで15元だよ」と言った。
 
オバハンに礼を言い、すぐ隣の速8酒店の前へ行くと、小さな三輪車が置いてあった。運転席でヒマそうに座っていたオッサンに「最寄りの駅までいくら?」と聞くと、オバハンの言った通りオッサンは「15元」と答えた。
 
オッサンは「あんたら何人?」と聞いた。私が「日本人だ」と答えると、オッサンは「日本でも漢字を使っているらしいな」と言い、私は「繁体字を使っている」と答えた。オッサンはポケットから煙草を取り出し、私に勧めてきたが、煙草は一切吸わぬから断った。オッサンは「中国は広大だろう」と言った。私が頷くと、オッサンは満足そうな表情をした。
 

オッサンは「あんたは中国語が上手いな。中国に何年住んでいるんだ」と聞いてきたが、「旅行で何回か来ただけで住んだことはない」と答えると、オッサンは「ふーん」というような顔をした。三輪車の中は狭かったが、案外快適だった。10分ほど幹線道路を走り、駅に着いた。オッサンにちょうど15元を支払い、お礼を言って外へ出た。オッサンはボッタくることもなく、終始機嫌が良かった。やはり、言葉がある程度流暢になって現地人に溶け込んでくると、ボッタくられる確率は減るのだろうな、と思った。
 

 
三輪車で運ばれてきたのは、地下鉄4号線の最北端にある安河桥北駅だった。乗車地点からの最寄駅は北宫门かと思っていたが、どうやら違うようだった。とりあえず、わけのわからぬ僻地から駅に辿り着くことができてホッとした。北京市内と言えども、郊外へ行けばタクシーさえまともに走っていないような場所もザラにあるから、注意しながら移動しなければならない。
 
 

時間は11:20を過ぎたところだった。何故か、ホームの上に設置されたモニターにはサッカーの試合の中継が流されていた。とりあえず西单駅まで行き、駅前の図書ビルで中医関係の本を漁り、昼食を食べることにした。
 

西单駅に無事に着いたものの、こびとのICカードが壊れたらしく、改札を通過することが出来なかった。仕方がないので駅員のいる切符売り場まで行って「壊れている」と言うと、極めて無愛想な男の駅員が「どこから乗ったんだ」と聞いてきた。私が「安河桥北駅からだ」と言うと、駅員は無言でICカードを操作し、投げ返してきた。どうやら直ったようで改札を通過できた。西单駅を出てすぐの場所にある北京图书大厦は北京で最大の国有書店で、4階建て約16,000㎡の店内に約33万種の書籍を詰め込んでいるそうだ。店員は比較的親切で、欲しい本が見つからなければすぐに探してくれる。9時~21時まで営業しているのも非常によろしい。
 

医药保健関係は4階にある。いつの間にかテーブルと椅子が置かれており、地元民らしき人々がくつろいでいた。最近は北京でもブックカフェ的な業態が流行っている。まぁ北京の本屋では通路にベタ座りして長時間読書する客が多いから、椅子を置くことでそういう輩を整頓させる効果を狙っているのかもしれない。
 

知らぬ間にカフェもできていた。私は早速本を漁りたかったが、こびとが何か飲みたいと言うので、お金を渡して自分で買ってくるように言った。
 

とりあえずは中医の教科書シリーズを漁ることにした。欲しいものはすでに購入してあるが、念のため目を通すことにしている。日本の鍼灸学校では中国の教科書を翻訳して使うべきだと思うが、そもそも日本の鍼灸師の大半はこういう本の存在自体を知らぬから話にならぬ。日本鍼灸は素晴らしいと根拠なく信じているオツムがお花畑な鍼灸師こそ読むべきと思うが、そういう鍼灸師はIQが低いゆえか、客観的に物事を判断する能力が乏しく、善悪善悪の区別さえつかぬ有様であるから、カルトな思想に洗脳されてしまうと、救済は極めて困難である。そういう鍼灸師を救おうにも徒労に終わることがほとんどであるから、関わるだけ無駄になるかもしれない。 
 

鍼灸書も毎年沢山の新刊が並べられる。大半は中医師向けの専門書であるが、素人向けの本も多いから、子持ちの母親が小児用の家庭版鍼灸本を選ぶ姿も珍しくない。日本では江戸期から、針灸技術が渡来して少なくとも300年以上は経過しているが、未だに鍼灸が普及していない。その1つの要因としては流通している鍼灸書の少なさが挙げられる。また、中国の鍼灸書と日本の鍼灸書を見比べればわかるのだが、とにかく日本の鍼灸師が書いた本は中国のそれに比べてかなりレベルが低い。さらには、日本の鍼灸師はこういった客観的事実や批判を素直に受け入れられぬ傾向にあるから、何百年経っても中国針灸に追いつけぬのであろう。まずは自己批判して己の状態を俯瞰的に見つめ、他人から批判されることがあれば何が悪いのか教えを乞うという謙虚な姿勢が成長を促すわけだが、レベルの低い鍼灸師ほど、他人の批評に耳を傾けることができないようだ。
 

教科書シリーズのほかにも、中医関係の本は沢山ある。中医小児科や中医婦人科、中医経典など、科目別に棚が分けられていて、非常に選びやすい。だいたいこのあたりで立ち読みしているのは、医者か医学生らしき人が多い。
 

壁側には人体模型や桂图(ポスター)が並べられている。ツボのポスターが欲しければ、ここで探すのがよろしい。棚の隙間には人が座れる隙間があり、去年までは誰かしら座っていたものだが、とうとう「座らないでください」と貼り紙がしてあった。
 

中医書の翻訳に必要な古代汉语词典が必要だったので、1冊購入した。日本で買えば倍額以上とられる本も、たったの120元(約2000円)で手に入る。私は日本で買うのはアホらしいから、常に中国でまとめて買うことにしている。
 

こびとがHSKの参考書を欲しいと言うので、店員に売り場を教えてもらった。基本的に中国人は英字に馴染みがないから、HSKと言っても通じないことが多い。だから「汉语水平考试の本はどこにありますか?」と聞くのが無難だ。中国中央电视台のことをCCTVと言ったり、人类非物质文化遗产をUNESCOと言っても通じにくいのと同じだ。
 

 
店内では家電や文房具、幼児用玩具なども売られている。HUAWEIのスマホで良さそうなのがあったら買おうかと思ったが、あまり品揃えが良くなかった。そういえば、最近、ラジオを聞いている時に何気なく手持ちのHUAWEIを近づけてみたら、電波が電子レンジに近づけた時のように激しく乱れて驚いた。試しにアイフォンを近づけてみたが、電波の乱れは軽微だった。一応、日本でも総務省が電波の強さを電波法で規制しているらしいが、やはり福島原発はアンダーコントロールだとか大嘘をついたアベ氏のように、日本の役人は信用できぬから、自分でコントロールして自衛するしかない。日本の政治家は呼吸をするかの如く虚言を吐く習性が多くみられるから、公然で嘘をついた場合はハラキリの刑に処すということにすれば憲法9条を改正せずとも平和が実現しやすいかもしれない。しかし、法律というものは基本的に政治屋や一部の特権階級の都合の良いようにコントロールされているものだから、なかなか一般大衆の望み通りにはゆかぬ。
 

日本の文房具も売っていたが、価格は日本より2~2.5倍くらい高かった。どうやら中国語で「ぺんてる」は「派通」と言うらしい。
 

最近は中国でもドライブレコーダー(行车记录仪)が人気らしい。中国の幹線道路は日本の数倍広いから、事故も比較的回避しやすいようだけれど、やはり中国にもDQNな運転をする輩はいるわけで、ドライブレコーダーはあった方が良いらしい。日本でもDQNは増加傾向にあるから、車に乗るならドライブレコーダーは必須だ。
 

本を買ったあとは、地下鉄に乗って一端ホテルへ戻り、本を置いておくことにした。電車の中には中国国旗を持っている子供がいた。中国でもネットゲームが流行っているらしいが、日本よりも娯楽が少ないからか、ゲームにのめり込み過ぎて精神的にも経済的にも身を亡ぼす人がかなり多いそうだ。電車でもスマホのゲームに夢中になっている人を沢山見かける。
 

北新桥駅周辺のビルの工事は一段落したようだったが、また何か新たに作っているようだった。中国はすでにバブルが崩壊したとか数年前から日本のメディアが騒いでいるが、一带一路が始まってからは、むしろ勢いに拍車がかかっている感じだ。実際にはどうなっているのか知らぬが、特に景気が悪いという感じは全くなく、热闹な感じはいつも変わっていない。
 

駅前ではデリバリーサービスの店員が休憩しており、何やら楽しそうに話していた。中国では日本と違ってデリバリーを専門にしている業者がいて、格安で宅配を請け負っているためか、非常に人気があるそうだ。2009年に上海で創業した饿了么は飲食デリバリーの最大手で、最近は北京でもよく見かけるようになった。荷台の青いカバーが饿了么の目印だ。現在、饿了么に加盟している飲食店は中国全土で18万店舗を超え、1日あたりの平均注文数は100万回以上、ドライバー1人が1日にさばく平均注文数は35件以上らしい。1日10時間労働としても15分程度で1件配り終えなければならない感じだから、そんなに余裕はないのかもしれない。2015年からはタクシーの配車アプリを定番化させた滴滴出行と提携して、タクシーを使った配送も始めているそうだ。日本でもヒマなのか、駐禁の場所に長時間路駐して歩行者や車の通行を妨害しているタクシーが少なくないし、客を拾ったら拾ったで暴走するタクシーも沢山いるが、Amazonの影響で配送会社が悲鳴を上げているのだから、暇なタクシー運転手に配送を手伝わせて小銭を稼げばよろしいと思うが、やはり中国人やアメリカ人に比べ保守的で、合理的かつ柔軟な発想が劣る日本人には饿了么のような業態を実現させることは難しいのかもしれない。特に中国人は自分や他人の所得を公共の電波で曝け出すことを厭わない民族であるから、日本人よりも遥かに金に対して貪欲かつハングリーだから、入る余地の無さそうな市場においても新たな業態で参入したりすることが珍しくない。ユダヤ人も商売が巧いが、中国のユダヤと呼ばれる客家や華僑も抜きん出ている。日本のメディアは基本的に某国寄りだから中国の現況に関しては正しく報道されていない部分が多々あるけれど、実際に中国へ行くと、日本よりも進んでいる部分が色々あって面白い。現在、中国はデジタルアプリケーションの分野では世界最先端を行っているし、人工知能や兵器なんかもアメリカを凌ぐ勢いだ。
 

とりあえず、昼食は胡大にしようということになった。店頭には若い女の店員が独りで立っていて、「まだ改装中だからアッチの新しい店に行ってくれ」と言われた。どうやら去年から続いていた外装の改装は終わったようだったが、まだ内装が終わっていないようだった。そういえば去年は外装に足場が設置されている状態で店内へ案内された。きっと胡大の外装と新規店の内外装を完了させてから、顧客を新店に移動させ、胡大の内装に取り掛かる、という手筈だったのだろうな、と想像した。北京に来ると必ず1回は胡大で食べるようにしていたから残念だったが、数件隣りにオープンした红巷子という姉妹店なら、まぁまぁ美味いものを出してくれるだろうな、と思った。
 
ちなみに、胡大は簋街で最も人気がある店で、週末になると100人待ちなんてのは珍しくない。中国人は基本的にミーハーだから、長蛇の列に並んででも人気店に入りたい、と思うらしい。だから、中国で商売をやる場合、毎日サクラを雇って店頭に並ばせておけば、かなり儲けることができるかもしれない。ちなみに、胡大は簋街に3店舗ほどあるけれど、北新桥駅最寄りのこの店舗が最も店員がマトモで、サービスが良い。あとの2店舗は店員がウ〇コだから、基本的には入店をお勧めしない。
 

红巷子の前には、風呂場で使うような椅子を一回り大きくしたような、茶色いプラスチックの椅子が8個置かれており、ジジババが数人座っていた。ジジババは红巷子が用意した椅子に勝手に座って休憩しているだけらしく、店に入る気は微塵もない様子で、店の入口に背を向けておしゃべりしていた。そういえば、新宿の某高級アパレルショップの店員が「中国人と大阪人は値切ろうとするから困る」とボヤいていたが、確かに中国人の図太さは日本人を超越している。とりあえず、店頭に立っていた男の店員に整理券をもらい、ジジババの横に座って待つことにした。店頭には予備の椅子が30個ほど積み上げてあった。確かに風呂椅子のような形状であれば軽くて安定しているし、かさばらず収納も楽だろう。それに、プラスチック成型だから一般的な椅子に比べて安いに違いない。やはり中国人は合理的だ。
 

党大会を控えているからか、壁には国旗が刺さっていた。10分ほど待つと、店内に案内された。すでに14:50を過ぎていたから、空いてきているようだったが、それでも店内は満席のようだった。
 

店内は中々おしゃれな作りで、胡大の店員らしき見覚えのある人々が働いていた。制服は変わっていないようだった。とりあえず雪碧(スプライト)2本と炸馒头片を注文した。北京では缶ジュースは听と数えるけれど、个と言っても通じる。炸馒头片は小麦粉を上げたようなもので、練乳を付けて食べるようになっていた。揚げパンと言えども油条のようなクドい感じは無く、中々美味かった。どちらかと言えば、お菓子という感じだった。しかし、空腹時に雪碧と炸馒头片を食べると急激に血糖値が上がりそうだから、食後のデザートにした方が良かったなと思ったが、腹が減っていたのでパクパクと食べてしまった。
 

こびとが担担面を食べたいと言ったので1つ注文した。思ったよりも小さかったが、洗練されている感じで中々美味かった。どうやらメニューは新しい品も少しあったが、基本的には胡大とあまり変わっていないようだった。ちなみに北京では麺のことを面と表示するから、担担麺ではなく、担担面となる。
 

こびとが回鍋肉も食べたいと言うので、川渝回锅肉を注文した。回鍋肉は四川省の家庭料理で有名だが、四川省の右隣に位置する重慶市も有名だ。「川(Chuan)」は四川の略称、「渝(Yu)」は重慶の略称だから、これは四川重慶風回鍋肉と言った具合だろう。そもそもこの簋街と名付けられた街自体が四川料理店の集まりだから、基本的にどの店も四川風だ。ちなみに重慶北東部は略称で「巴(Ba)」と呼ばれ、主に四川省に隣接する重慶西部を「渝(Yu)」と略称している。古代に重慶北部に実在した国を「巴国」、嘉陵江の合流地点を「渝水」と呼んだのが起源だそうだ。重慶の略称はこれをまとめて「巴渝」とも言う。この場合は共に2文字であるから、略称とは言わず、別称と言うべきかもしれない。この回鍋肉は何度か食べたことがあるが、何度食べても还可以という感じだ。

古水名。(1)一名宕渠水。古有賨族聚居水滨,善歌舞,汉“巴渝舞”即出于此。今重庆合川区以下一段嘉陵江,因与渠江合流,古时亦通称渝水、宕渠水。
隋开皇初在今中央直辖市重庆置渝州,即因此水得名。
(2)即今辽宁大凌河。西汉时,在今朝阳县境置临渝县,即因此水得名。
(3)即流经今江西新余段的袁河,古称渝水,亦指新余市渝水区。

 

昔、師匠と初めて北京に来た時、適当に入った店で食べた回鍋肉が一番美味かった。大きな白い平皿に汚い白米と回鍋肉が無造作に盛り付けてあって、傷だらけになった蓮華ですくって食べた。あの日は11月だったが、かなり寒くて、師匠とホテルまでの道に迷いつつ、かなりの空腹に耐えつつ見つけた店だった。中国入りして初めて食べた料理ということもあってか、非常に美味かった記憶がある。場所は忘れてしまったが、博泰酒店に辿り着く途中にあったはずだから、北新桥駅から张自忠路駅までのエリアにあると思う。今度ヒマな時にでも探してみよう。この時に撮った写真は誤って全て消去してしまったから、ウェブ上にアップしてあるものだけ、上の2枚だけが手がかりだ。今見ても美味そうな回鍋肉だ。師匠は嬉しそうに北京ビールを飲んでいた。私は犯罪に遭わぬように備え、予めボサボサの長髪に破れたジーンズを穿いて北京入りしたのだが、むしろ中国人よりもみすぼらしい身なりをしていたから、師匠が「まるで乞食に飯を喰わせてやっているみたいだな」と言ったのを今でも覚えている。結局、ここの飯は師匠がおごってくれた。
 

メニューの写真が美味そうだったので、知味虾を注文した。「知味」は知道味道の略なのか、
 
 
 
 
駅はこっちでいいのかと道を聞かれた。
乗り過ごしたおばさん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とりあえず焼香
佛香阁
 佛香阁是北京市颐和园的主体建筑,建筑在万寿山前山高20米的方形台基上,南对昆明湖,背靠智慧海,以它为中心的各建筑群严整而对称地向两翼展开,形成众星捧月之势,气派相当宏伟。佛香阁高41米,8面3层4重檐,阁内有8根巨大铁梨木擎天柱,结构相当复杂,为古典建筑精品
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外国人に「英語は話せるか?」と聞かれ、「少し話せる」と言うと、「タクシー乗り場はどこにある?」と聞かれたから、「階段を上ったところにある」と言った。