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  • 我的北京日记(漫游随想录)2017秋

2017年10月某日、中国から消えつつある书报亭と、三里屯へと続く歩道。
 

2017、秋、北京の旅

 
今回は北京のベストシーズンである10月に、こびとと北京入りした。10月17日からは5年ごとに開催される党大会で北京市内は厳戒態勢になるであろうと見込んでいたため、17日に帰国するというスケジュールを組むことにした。ちょうど、JTBのウェブサイトで14日発、3泊4日のフリーツアーがあったので、それで行くことにした。
 
昨年あたりから、羽田発のフリーツアーが出てくるようになり、オフシーズンであれば北京には比較的良い条件で安く行けるようになった。今のところ最もお得なフリーツアーは往路午前羽田発、復路午後北京発のフリーツアーで、機材はJALの中型機であればラッキーなパターンだ。北京のフリーツアーで組まれるホテルは数種あるが、东直门で針を仕入れるのが目的ならば、店員が比較的外国人慣れしていて、フレンドリーで英語も通じる北京旅居华侨饭店泊が確定しているツアーが最もお勧めである。すごく綺麗なホテルではないけれど、朝食もまぁまぁ美味しいし、东直门駅、雍和宫駅、北新桥駅の3駅が利用できる約1キロ圏内にあり、それぞれの駅から徒歩10分くらいだ。地下鉄2号線、5号線、空港線に直接アクセスでき、大型書店のある王府井や西单にも行きやすい。
 
中国では未だに外国人旅行客が泊まれぬ宿泊施設が少なくないから、ホテルはフリーツアーでセットになった外国人向けのホテルを確保しておくのが無難だ。その上で、泊まりたいホテルなどがあれば、事前にC-tripなどで好きなホテルを予約して、現地入りするのがよろしい。特に冬場の北京は氷点下20度を下回ることが稀にあり、北京入りして泊まる場所が確保できないと、凍死する可能性もある。実際に、一昔前の北京では、厳冬の朝は凍死者がそこらじゅうに転がっていたらしいが、現在でも油断は出来ぬ。
 

出国日前日(金曜日)


出国日前日は、蒲田にホテルを取って泊まることにした。午前9時発飛行機に乗る場合は、蒲田に泊まって6時くらいには空港入りしておくのが無難だ。何せ東京では毎日のように電車の遅延があるから、念には念を入れて早めに行動しておかねばならない。
 
京急蒲田に泊まるか、JR蒲田に泊まるか迷ったが、JR蒲田で泊まったことがなかったので、今回はJRにしてみた。結果としては失敗だった。
 
京急蒲田は駅前に飲食店が少なく、不便ではあるが、羽田空港までは電車で1本だから、スーツケースを抱えていても、乗客が多くても空港へアクセスしやすい。一方、JR蒲田は駅前に飲食店が多く滞在時は非常に便利だけれども、早朝時の空港行きのバスはリムジンバスではなく通常の路線バスで本数も限られているから、乗客が沢山いた場合、あぶれる可能性が高い。しかも車内は狭いから、スーツケースを持ち込む乗客が多いと、定員オーバーで途端に乗れなくなることがある。シャトルバスとは言え、所詮は路線バスであるから、荷物はすべて狭い車内に持ち込まねばならぬし、運賃が格安であること以外、メリットがない。駅周辺にはホテルが多く、羽田空港へ行く乗客が沢山いるのだからリムジンバスを整備すべきと思うが、どうもそのような動きがみられないから、今後は京急蒲田に泊まろうと心に決めた。また、混雑時はバス停の屋根からはみ出した場所で並ばねばならぬから、豪雨の時などは持ち物が全て濡れる可能性がある。タクシーは確実に乗れるかもわからぬし、それなら京急蒲田のホームで濡れずに電車を待っている方がメリットが多いかもしれない。
 
 
 

出国日当日(土曜日)

 


出国日当日は4時50分に起床し、5時10分発のバスに乗る予定だった。外は小雨が降っており、バス停には5分前に着いたものの、すでに10人くらい並んでいた。幸いにも、平日ゆえかサラリーマンらしき人がほとんどで、スーツケースを抱える乗客が少なかったから、狭い車内でも何とか乗り込むことができた。羽田空港は早朝ゆえかガラガラで、チェックインもスムーズに終わった。
 
 

羽田空港はかなり綺麗になった。しかし、どうも軽食店にいる店員は愛想のない輩が多く、白人が戸惑っている光景をよく見かける。ここ1年くらいで、日本のコンビニでは驚くほど外国人の店員が増えたが、むしろ飽食な日本人よりも、ハングリーな外国人の方が、接客態度に非の打ちどころがなかったりするケースが多い。ある学者によれば、純日本人は将来少数民族になる可能性が高いらしいが、確かにこのままでは平和ボケしている日本人は外国人やAIに職を奪われ、路頭に迷うことになるかもしれない。
 

2階は人が多くて喧しかったので、1階に降りてしばし待つことにした。北京には必ずカリマーのバックパックを背負って行くのだが、今回は新たに新調したバックパックだったから楽だった。カリマーは他のメーカーよりも安価だが耐久性、機能性に優れており、自分の体に合っていている感じがして、愛用している。しかしながら、15年ほど前に購入したridgeはボトルを入れるサイドポケットの作りが杜撰で、構造上、しばらく使っているとゴムが伸びてボトルが落下するような仕様になっていたから困っていた。新製品はその部分が改良されており、今のところ特に大きな不満は見当たらないから気に入っている。機内持ち込み可能なサイズだと、ridge30が限界だ。新作のridge30はベルト部分のポケットの容量が増えた上に、ベルクロからジッパーになって非常に便利になった。バックパック底面にはレインカバーが入っているから、雨天も安心だ。北京では滅多に雨は降らないけれど、出国時や帰国時に日本で雨になることがよくあるからレインカバーはあった方が良い。
 

しばらくすると、今回の機材が到着した。どうやらまたボーイング788のようだった。ここ最近はずっとこの中型機でラッキーだな、と思った。外はすでに雨が止み、午後には晴れそうな空模様だった。
 

乗客が少なかったためか、チェックイン時にカウンターの係員が、席はプレミアムエコノミーにグレードアップしてくれていた。しかし実際に座ってみると、構造上、モニターが座席よりも数センチほど右にずれていて、快適では無かった。確かに座席間隔は広いから座るだけなら楽だったけれども、私のような経絡敏感人にとっては、モニターと座席の僅かな誤差が気になってどうしようもなかった。こびとが座る窓側の席は、比較的誤差が少ない様子だった。あと、毎回飛行機に乗って思うのだが、車内アナウンスに切り替わる時、イヤホンを通して聞こえる「ジッ」という機械音はどうにかならぬのだろうか。私のような聴覚敏感人にとっては、不快極まりない。とりあえず、オデッセイというアメリカ映画を観ることにした。なぜか日本語字幕が無かったが、内容は理解出来た。しかし、残念ながら駄作だった。
 

北京には、いつも通りほぼ定時で到着した。別棟をつなぐモノレール乗り場の看板が新調されていたが、やはり日本語がおかしかった。こういう場所くらい、日本語を使うのならちゃんと日本語ができる日本人に添削してもらうべきだと思うが、やはり中国人はツメが甘い。ちなみに、日本の交通機関でも最近は中国語の看板や広告をよく見かけるが、大半は誤字・誤用が多い。基本的に中国語に翻訳するなら簡体字を使うべきだが、部分的に繁体字になっていたりとか、日本人がやりがちな全くありえない言い回しの中国語が使われたりしていることがある。
 

土曜日ゆえか、かなり混んでいたが、入国手続きは30分もかからなかった。中国人は日本人と比べて合理的だし、面倒なことをいかに手早く済ませるかということに執心する傾向にあるから、出入国で行列ができていても係員がバンバン人を仕分けるから、案外早く通過できることが多い。
 

空港線乗り場も少し混んでいたが、すぐにチャージできた。日本のように機械でチャージできるようにすれば便利だと思うが、まだ窓口でチャージするしかない。とりあえず200元チャージした。
 

东直门駅もこれから空港へ向かう人で溢れていた。
 

地上出口付近には大荷物を抱えた、これから空港へ向かうであろうオッサンたちが誰かを待っているようだった。
 

去年まで整然と並べられていたレンタルバイクは数台を残すだけで、普通の駐輪場に戻っていた。本当に中国の変化は激しい。
 

駅前からレンタルバイクは無くなったのかと思ったが、駅からすぐ歩いた高架下に新しいバイク置き場ができていた。おそらく、毎日、市内に散らばっているバイクを定位置に戻す業者のオペレーション上の都合で、場所が変更されたのであろうな、と思った。
 

4月に来た時には工事中だった东直门内大街の歩道は、完成して綺麗になっていた。この通りの歩道は本当に広くて歩きやすいから、東京も人口が減って道が広くなればストレスも事故も激減すると思うが、まず無理な話だろう。散歩という点に関して言えば、東京よりも北京市内を歩いている方が楽だ。
 

とりあえず、いつも通りホテルへ行く前にセブンイレブンに寄ることにした。以前試しに買ったスマホ用充電ケーブルがあまりにも使い勝手が良かったので、スペアを買っておくことにした。1mしか売ってないのが不満なくらいで、アマゾンですぐに折れたりする怪しい類似品を買うなら、39元(約660円)でこれを買った方が良いかもしれない。ついでにアップル純正品をパクッたようなイヤホンが売っていたので試しに買ってみたが、音が酷すぎてすぐに捨ててしまった。カナル型は違和感が強く好きではないから、アイフォンの純正イヤホンのようなタイプを好んで使っているけれど、今のところ純正品に勝るイヤホンを知らない。市販で似たようなタイプが売られていて色々試したが、僅かにサイズが大きすぎたり、音質が悪かったりして、結局無駄金に終わった。ちなみに、未だヤフオクやアマゾンで純正品を謳う類似品が多数出品されているが、大半はパチモンであるから、買うならアップルストアで買うのが確実だ。アマゾンなどでは本物の写真を使っていたり、ショップ名がそれらしい名称になっていたりするから、注意が必要だ。
 

店内には東京で流行っていたコカコーラの販売機が設置されていた。東京でも飲んだことがないが、かなり美味いと言われているから今度飲んでみよう。
 

东直门内大街をしばらく歩くと、雍和宫大街との交差点に至る。ホテルはこの交差点を右折してすぐの場所にある。中国では電動バイクの規制がゆるいから、傘を差しているジジイがいたり、ビニールハウスのように改造したバイクが走っていることがよくある。もちろんほとんどはノーヘルであるが、中にはヘルメットを被っている人もいる。中国の南方にある某都市では、電動バイクで走行中の女性が見知らぬ男に蹴りを入れられ、転倒して頭蓋骨を骨折するなど重傷を負った事件があったが、この事件以来、この街の人々は乗車時にヘルメットを被るようになったそうだ。北京は比較的治安が良いからか、ヘルメットの装着率は極めて低い。ちなみにヘルメットのことを中国語では
 

とりあえずホテルにチェックインし、あまり時間がないのでいつもの針灸用具店へ行くことにした。この針屋は中国中医科学院針灸医院のすぐ横にある。中国中医科学院針灸医院は外国人VIPやら外国人見学者を積極的に受け入れているそうで、実際に外国人がたむろしているのをよく見かける。
 

針灸用具店で特注の針を2万本ほど注文し、あとで日本から送金するからと言って、用件が済んだ。店員には日本で買っておいた高級菓子を渡した。中国では、人から何かもらう時は断りつつ受け取るのが礼儀だと聞いたことがあるが、確かにここの店員はいつも「要らない要らない」と言いつつ、嬉しそうに受け取るのが常だ。外に出ると、いつの間にかいなくなっていた店員の男が、セグウェイに乗って公衆便所へ行くのが見えた。どうやら中国では公道で走っても問題ないらしい。そういえば、1年ほど前に中国の地方都市の幹線道路で、馬愛馬に跨っていたジジイが落馬し、馬が暴走して車と衝突する事故を起こしたのだが、それに比べればセグウェイなんて可愛いものだ。ちなみに、その馬の飼い主であるジジイは「马路(馬路)を馬が走って何が悪いんじゃ!」などと叫んだらしいが、確かに中国では未だに幹線道路のことを马路と呼ぶことがある。
 

店員は私が写真を撮っているのを見ると近寄って来て、「乗ってみなよ」と言った。台座だけのタイプで、重心を前に移動させると前進するらしかった。1日あたり2元でレンタルしているらしい。道の広い中国では確かに便利な乗り物だな、と思った。
 

雨が降ってきそうだったので、一端ホテルへ戻り、折り畳み傘を取りに行くことにした。ホテルを出たあとは、本当は北京中医薬大学の中医薬博物館へ行く予定だったが、閉館時間が16:30で間に合いそうもなかったので止めにして、东直门内大街にある中国工商銀行で外貨両替することにした。
 

この中国工商銀行は乾元酒店というホテルの敷地内にあるのだが、行員がみな親切で、比較的待ち時間も少ない。両替が終わったあと、ついでに口座開設できるかどうか聞いてみると、旅行者でも可能だとのことで、所定の用紙に必要事項を記入して、整理券の番号が呼ばれるまで待つことにした。いつもは空いているのだが、この日は客が多く、皆待たされているようで、目の前に座っているBBAが暴発しそうな雰囲気を醸し出していた。BBAはずっと行員の座っている窓口を睨んでいた。
 
 
 

行員が事務処理をしている間、斜め向かいに座っている男が奇妙なスニーカーを履いていることに気が付いた。ニューバランスのスニーカーかと思ったら、Nを反転させたロゴになっていた。全くややこしい靴だな、これはニューバランスと間違えて買ってしまうかもしれないな、と思った。15分くらいで口座開設が済んだ。試しに行内に設置されていたATMで入出金してみたが、問題なく使うことができた。上海に出向していた友人S氏に聞いていたとおり、北京の中国工商銀行も口座開設は容易かった。しかし、2年前くらいから、中国国内の銀行では6か月間口座内で動きがないと一時的に凍結されることになったから、注意が必要だ。
 

銀行から外に出ると、ちょうどポツリポツリと雨が降りはじめた。傘を持ってきて正解だった。この日は王府井のapmというショッピングモールにある小大董という新規店で北京ダッグを食べることになっていたから、早速王府井へ行くことにした。北京市内にある大董という店がこの店の本店で、斬新な北京ダッグを出すかなりの人気店だということで、一度行ってみたいと思っていた。先に王府井書店へ寄っておくことにした。
 

書店の前には補助棒がついた中国特有に三輪車に乗った子供がいた。中国では未だに乳幼児の誘拐事件が頻繁に起こっているから、子供にペット用のリードを改良したような紐を付けて歩かせる光景が珍しくない。
 

王府井書店のすぐ横にある交差点の信号機は、1本の支柱で四方の信号機をぶら下げていた。これはなかなか合理的な作りだな、と思った。
 

王府井書店の近くには、新たに巨大な商業施設がオープンする様子だった。新宿三丁目の伊勢丹の4倍くらいの大きさはありそうだった。
 

この通りを真っ直ぐ行くと、右手にapmが見えてくる。
 
 

小大董の前の椅子はほぼ埋まっていたが、半数以上は単に休憩しているだけのようだった。
 
 

店舗は小ぶりだが、内装は中々洒落ていた。テーブルや椅子、照明のセンスなどは中々良さそうだった。店内は小卓と呼ばれる2人がけのテーブルがほとんどで、この商業施設自体が若者向けであるから、きっと若いカップルをターゲットにした作りにしているのだろうな、と思った。
 

店頭の店員に人数を告げると、整理券を渡された。どうやら4人待ちのようだった。超人気店になると土日は100人待ちなんて場合があるから、これは空いてラッキーだな、と思った。次々に来る客を眺めていると、店頭に店員がいない時は、勝手に機械を操作して整理券を出しても問題ないらしかった。
 

暇つぶしに、店頭に飾られていた写真を眺めることにした。ハリウッドで有名な映画監督やら、某国の大臣などが訪れたらしい。しかし、これはカッペを騙すための陰謀かもしれぬから、安心できぬな、と思った。
 

15分ほどで、店内に通された。メニューは最近流行りのタイプで、プロのカメラマンが撮ったような、食欲をそそる美しい写真集のようだった。日本の飲食店もこんな風にメニューを作りゃあ客単価も上がるんじゃなかろうかと思うが、こういう点は中国の方が遥かに先を行っている。非常に美味そうなメニューで、実際にはクソ不味い品が運ばれてくる、というのは中国ではよくあることだ。隣の席には30代と思しき女が独りで座っており、北京ダックなどを寂しそうに食していた。最近は中国でも独身の若者が増えていると聞いたが、確かに北京の飲食店は独りで食べている若者をよく見かけるようになった。
 

とりあえず定番の北京ダッグを注文し、あとは適当に頼んだ。最初にレモン入りのぬるい水と北京ダッグの付け合せが運ばれてきた。奥のテーブルでは疲れた顔でオバハン店員が片付けをしていた。アルコールが入ったらしきボトルでテーブルにスプレーし、異なった布で2度拭きしていた。北京では、最近はこういう感じで片付ける店が増えていて、日本よりも衛生管理を徹底しているような店が案外多い。確かに、日本で報道されているような危険な店も存在するが、日本のマスメディアは偏向報道が酷いゆえに中国の飲食店はヤバい店がほとんどだと信じ込んでいる日本人が多いけれど、実情はかなり異なっている。特に日本のメディアは某国寄りで都合の良いようにしか報道しないから、実際に現地へ行って自分の目で確かめないと真実はわからないだろうと思う。
 

北京ダッグを待っている間に前菜らしき小鉢が運ばれてきたが、これは美味くなかった。冷蔵庫に作り置きしていたような冷たい常備菜みたいなもんで、食えたものではなかった。
 

 
白身魚をフライにしたものは油の塊のようで、マヨネーズらしきつけ汁も不味くて完食できなかった。
 

スープも小龍包もダメだった。小龍包は冷凍なのか美味くなかった。
 

こりゃ北京ダッグも期待できぬな、と思っていたが、その通りだった。もしかしたら本店の料理は美味いのかもしれないが、とにかくここで2度目はないだろう。やはり鳥は鶏が一番臭みがなくて美味い。アヒルは皮にも独特の臭みがあり、高い金を払ってまで食うものではないなと感じた。最後は何故か、デザートに綿あめが運ばれてきた。手早く綿あめを食べ、店を出た。
 

小大董の隣のエリアは盛況だった。吉野家をパクッたような若者向けのしゃぶしゃぶ屋と、老舗のしゃぶしゃぶ屋である东来顺はどちらも混んでいた。
 

东来顺の向かいにはとんかつを売りにする日本料理屋が新規オープンしていた。「ようこそブンブンへいらっしゃいました。貴重品はご自身で保管してください」という謎の日本語アナウンスが、数分おきに流されていた。店頭にいた店員は熱心に客引きをしていた。このショッピングモールの飲食店街には日系の飯屋が1割くらい入店しているが、どの店も比較的客入りは良いようだった。
 
夕食を終えたあとは、什刹海皮影文化主题酒店という、皮影戏を売りにしたホテルに行かねばならなかった。以前、CCTVの「外国人在中国」という、中国が好きで中国に居ついた中国在住の外国人にスポットを当てた番組で、このホテルが出ていたのを観て、一度泊まってみたいと思っていた。このホテルでは週3回ほど、朝晩2回、宿泊者向けに伝統的な皮影戏を上演している。宿泊者は無料、宿泊していなくても100元払うと観ることができるようになっている。
 
今回はこのホテルで皮影戏を観るためにスケジュールを調整してツアーを組んだもんだから、何としても20時の上映開始時間までにホテルへ辿り着かねばならなかった。
 

ホテルの店員が、事前にメールでホテルまでの経路を書いた画像を送っておいてくれたのだが、画像の解像度が低すぎな上に路地が省略されすぎていて、もはや地図の役割を成していなかった。事前に日本でGoogle Mapで経路をプリントアウトしておいたが、グーグルの示す中国地図は信頼できぬし、何故かVPN接続ができぬから、街の随所にある看板を頼りにホテルを目指すしかなかった。
 

ホテルの最寄駅は地下鉄6号線の北海北駅だ。駅には19:30頃に着いたが、構内にあった地図は路地が省略されていたうえに、A出口の表示がなく、右左どちらへ行けば良いかわからなかった。仕方がないので、大通りを右に見てしばし歩くことにした。途中で警察官がいたので、地図を見せ、「このホテル絵行きたいがこの道を真っ直ぐ行けばいいのか」と聞くと、警察官になったばかりらしき若い男は「そうだ、真っ直ぐだ」と答えた。
 

しかし、男に告げられたとおり歩くと、しばらくして真逆に向かっていることに気が付いた。故意でなくても、中国人が違う道を教えることはよくあることだ、と思いながら再び駅まで戻ることにした。駅を過ぎると歩道が細くなったが、レズビアンらしき女がイチャついていた。
 

駅から200mくらい歩くと平安大街と德胜门大街の交差点にさしかかり、周辺図を掲げた看板が見えた。看板とホテルから送られて来ていた地図の画像を照らし合わせると、おおよその位置がつかめた。どうやら、右折して旌勇里(jingyongli)胡同をひたすら直進すれば、ホテルが左に見えるはずだった。ちなみに、中国語では路地のことを一般的に小巷子とか小巷道とか言うが、北方では胡同、南方では弄堂と言うことが多いようだ。
 

警察官に誤った道を教わったせいですでに20時を過ぎていた。しかし、道を間違えずに行けば、途中からでも皮影戏を観ることができるかもしれぬと思い、先を急いだ。ネット上の口コミのとおり、この辺りの路地はかなり暗かった。真っ暗というほど暗くはなかったが、薄暗い街灯がわずかに点在しているだけだった。とは言っても、暗い路地を和気藹々と楽しげに散歩している家族がチラホラいたりして、そんなに危ない雰囲気はあまり強くなかった。北京は出稼ぎ労働者が集まる南部は比較的治安が悪いと言われているが、特に中心部は警察がそこらじゅうに配備されているせいか、日本よりも治安が良いように感じる。
 

何とかホテルに辿りついたものの、すでに20:30を過ぎていた。こりゃ皮影戏は終わってるな、と思いながら、ホテルの外観の写真を撮ることにした。確かにネットの口コミのとおり、かなりわかりにくい場所にあるホテルだった。ホテルの手前には小さなスーパーマーケットと、銭湯らしき建物があった。どうやらホテルの周囲にはそれ以外の商店は無い様子だった。
 

江戸城の門を家庭用にあつらえたような門を開け、狭い階段を下りると、すぐにロビーがあり、白人数人がロビーでお茶を飲みながらくつろいだり、皮影戏で使う道具の色付け作業を楽しんでいた。舞台の横では皮影職人が片付けをしていて、ちょうど数分前に終演した、というような雰囲気であった。こびとと肩を落としながらフロントへ行くと、眼鏡をかけた主任らしき小太りの男と、比較的大柄な女が立っていた。欧米人向けのホテルらしく、押金(デポジット)はクレジットカードで払ってくれと言うので、女にカードを渡した。女が処理をしている間に、私が「駅からここまでの経路がわかりにくくて道に迷った」と皮肉めいて言うと、女はいつものことだと言うような具合に、慣れた手つきで特製の地図を差し出した。
 

什刹海を中心に描いたこのホテルお手製の地図らしく、ホテルまでの経路が詳しく記されていた。地図の裏面には北京の主要な観光スポットとそれらにかかるおおよその費用、地下鉄の路線図が英語と中国語で記されていた。小規模なホテルではあったが、色々と創意工夫してサービスに努めているのであろうな、と思った。
 
割り当てられた部屋は2階だった。ドアを開けるとロビーが真下に見える部屋で、ウェブサイトで見た写真よりもかなりチープな作りだった。廊下には皮影戏で使われる道具が額に入れられ、飾ってあった。ロビーには小さなテーブルが10個ほどあり、白人のカップルが2組、白人家族が1組いた。白人のカップルは皮影の色付けを楽しんでおり、小太りの主任男に「あなた達もやる?」と聞かれたが、あまり面白くなさそうだったので断った。ロビー中央のテーブル席に座ると、主任男が「何か飲む?」と言ってB5の紙をパウチしただけの小さなメニューを差し出した。とりあえずバナナのフレッシュジュースとやらを2つ注文した。
 
5分ほどで透明のグラスに入ったバナナミルクジュースを、得意げな顔で主任男が運んできた。驚いたことに氷が1つも入っておらず、甘みのない、生ぬるいバナナジュースだった。何が悪いのかわからなかったが、今まで飲んだバナナジュースで一番の不味さだった。
 
隣のテーブルに座っていた白人家族を見やると、おぼつかぬ箸さばきで、不味そうな中華料理を食べていた。実際に不味いのか、白人家族は終始不機嫌で、通夜振る舞いの時間を過ごしているように見えた。フロント奥にある厨房では料理を作っている気配がなかったから、おそらくレンジを駆使した料理なのであろうな、と想像した。
 

斜め向かいに座っていた白人カップルは、白人家族とは対照的に楽しげで、グラスに注がれた赤ワインを傾けてイチャついていた。我々は皮影が飾られたディスプレイを一通り眺めたあと、部屋に戻ることにした。皮影はどうやらロバの皮で作られているらしかった。フロントの横には、明日の朝食で使う食器などが準備されていた。
 
このホテルは旅館の形態に近く、ロビーはまるで他人の家のリビングのようで落ち着かなかったので、部屋へ戻ることにした。部屋へ戻る前に、主任男に聞いておきたいことが1つあった。このホテルは中国で規制されているはずのフェイスブックを使って頻繁にホテル内でのイベントを更新していた。だから、きっとホテル内のワイファイはVPNを介してフェイスブックを観ることができるのだろうなと思い、主任男に「このホテルではフェイスブックをみることができるのか?」と聞いた。すると、主任男は引きつった顔で「ここではFacebookもGoogleも使えないヨ」と言った。おそらく、この男は当局へのタレこみを恐れ、嘘をついているのだろうな、と思った。
 
部屋はかなり寒かった。暖房がちゃんと効いてないのと、部屋の断熱効果が悪いのが原因らしかった。これまで北京市内で泊まったホテルでは最も寒いな、と思いながら、薄い布団にくるまって目を閉じた。
 

2日目(日曜日)

 

部屋から出てロビーを見ると、すでに朝食にありついている白人がいた。昨晩チェックインした時にはわからなかったが、天井から朝日が差し込むような作りになっていた。
 

朝食はビュッフェ形式だったが、質素だった。どうもホテルに泊まっているというより、避難所で一夜を過ごしたような気分だった。手早く食事を済ませ、部屋へ戻ることにした。とにかくロビーの座席は限りがあり、長居できるような雰囲気ではなかった。
 

ウェブ上で見た限りは、かなり洒落たホテルだと思った。まぁ確かに実際見回しても、センスの良いデザインは色々あった。建築を学んでいる人にとっては良い刺激になるかもしれない。しかし、それぞれのパーツは良くても、最も重要な居住性に関してはかなりスポイルされているようで、残念だった。最寄駅から歩いて15分くらいはかかるし、近くに繁華街があるわけでもないから、ロケーションという点に関しては劣る部分が多いホテルだ。僻地にあるのだから、最低限の居住性を備えたシェルターであれば満足であったかもしれない。何より、最も楽しみにしていた皮影戏を見逃したことが、満足度を下げる大きな要因となったのだろう。主任男は午前10時から皮影戏をやるから観ないかと言ってくれたが、午前中は颐和园へ行く予定だったから、8時くらいにはチェックアウトしなくてはならなかった。
 
 

外に出ると、党大会を控えているせいか、入口に国旗を掲げているのに気が付いた。こびとがホテルの前で写真を撮ってくれと言うので、真紅の国旗とタクシーが入る構図でシャッターを押した。2年ほど前、北京で良い写真を撮るためにキャノンのEOS Kissを購入したのだが、世界最小最軽量を謳う一眼レフであっても、スマホのコンパクトさには敵わず、使わなくなってしまった。
 

ホテルの隣には小さなスーパーと「浴」と書かれた建物があった。前日見た時は暗くてわからなかったが、2階にあるようだった。「浴」というのはいわば銭湯みたいな場所のことで、中国語では洗浴(xiyu)する場所の意味で浴池(yuchi)と言う。最近は日本のスーパー銭湯のように豪華な休憩所を備えた浴池もあるらしいが、裏メニューで怪しいマッサージをする小姐がいることもあるらしいから危険だ。中国でも売春は違法で、CCTVの今日说法という番組では、警察官が現場に突入して「别动,别动!」などと叫びつつ老板や小姐らを拘束する場面が頻繁に放送されている。基本的にどんな刑罰も日本より遥かに量刑が重いから、危なそうな場所には近寄らぬのが賢明だ。
 

銭湯の入っているビルの1階はスーパーだった。海南島のバナナが500g1.99元(約34円)、パイナップルは1個10元(約170円)だった。
 

三輪車に乗って什刹海方面へ急いでいるオッサンがいた。どうやらこのあたりの胡同に住み、三輪車で通勤しているようだった。数年前に什刹海へ行った時、三輪車のジジイにボったくられたことがあるから、彼らには全く良いイメージがない。日本のアホなガイドブックには「什刹海へ行ったら三輪車に乗って観光することをおススメする」なんて偉そうに書かれているが、私はお勧めしない。
 

最近は胡同のような路地にも、至る所に監視カメラが設置されている。特に北京では、官公庁の集まるエリア、観光エリア、学区域などを優先してカメラが増設されているようだ。最近は日本も外国人が増えて物騒になっているから、公道の監視カメラを増やした方が良いのかもしれない。しかし、最近流行りのネットワーク環境を利用したワイヤレスの監視カメラは容易にハッキングされるから、有線でつないだ方が安全だろうと思う。
 

このあたりの胡同は北京市内でもかなり綺麗な部類だった。基本的に胡同は下水やゴミの臭いが強く、道路も舗装されておらず、歩くと靴底が砂まみれになることが多い。
 

最近は携帯電話が普及したせいで公衆電話を使う人はほとんどいないようだが、それでも北京市内では所々に黄色い電話が残されている。
 

恭王府は清朝最大の王府で、和珅という商人や、乾隆帝の息子である爱新觉罗·永璘の邸宅として使われていたそうだ。敷地は6万㎡もあるらしいから、東京ドームより一回り大きい感じだろうか。まだ9時前だったが、すでに入口にはかなりの行列ができていた。今度行ってみよう。
 
恭王府の前を通り過ぎると、次第に土産物店や商店が増えてくる。大きな柳の木が見えてくると、だいたい湖が近い証拠だ。もう少し向こう側へ歩けば、左に后海、右に前海が見えてくる。このあたりは観光客が多く、三輪車、タクシーの営業が喧しかった。
 

商店を構えている人もいれば、こんなもん誰が買うんだろうと思しきハンドメイド品を売っている人もいる。
 

しばらく歩くと、高校生らしき集団が集まっていた。数人の女子が何故か壁を背にスマホで自撮りしていた。左の街路樹の枝には、果樹のように丸い監視カメラがぶら下げられていた。
 

騒がしい高校生の向こう側では、何かを手売りしているオッサンがいた。オッサンは沢山のひょうたんを肩にぶら下げ、鮮やかなブルーのジャンバーを着ていたから、心のなかで密かに「ブル夫(ぶるお)」と命名することにした。ブル夫の横には、白い文字で「陈赫」と刺繍された黒いキャップを被った黒ずくめのオッサンがいて、何やら会話していた。このオッサンは「ヘイラオトウ(黒老头儿)」と名付けることにした。老头儿というのはいわばスラングで、日本語で言えば「ジジイ」の意味だから、ここでは「クロジジイ」という意味になる。本来、見知らぬオッサンには老先生と呼ぶのが適当であるから、実際に「嘿,老头儿!(おい、ジジイ!)などと叫んだら、菜刀(中華包丁)片手に追いかけられる可能性があるから、あくまで心のなかで叫ぶことをお勧めしておく。
 
ブル夫は中々のキャラクターの持ち主であろうと察したが、ヘイラオトウもさぞやと思わせる雰囲気を漂わせていた。私はヘイラオトウの被るキャップの刺繍が気になって仕様がなかったが、「陈赫」がアイドルの名前なのか、ヘイラオトウの名前なのかはわからなかった。ヘイラオトウはひょうたんを1つ購入した。ひょうたんは加工してあり、雲南の民族楽器である葫芦丝(hulusi)のようだった。ヘイラオトウは買ったばかりの葫芦丝に夢中で、早く音を出してみたい、という具合に前も見ずに、別の胡同へ向かってフラフラと歩き出した。
 
すると、我々に気が付いたブル夫が近寄ってきて、中国語で「あんたら何人(なにじん)だ」と聞いてきた。我々が「日本人だ」と言うと、ブル夫は「私は日本語を知っている」と言い、「イッコウセンエン!イッコウセンエン」と叫びだした。古谷一行なのか、はたまたIKKOなのかはわからなかったが、初対面の日本人に1000円で人身売買を勧めてくるとは、もしやブル夫はマフィアの如き市井(しせい)の徒であろうか、と思った。
 
しかし、よくよく聞いてみると、ブル夫はどうやら「ひょうたん1個1000円です」と言っているようであることがわかった。こびとが「センエン!?」と日本語で叫ぶと、周りにいた中国人が一斉に振り向いた。どうやら聞いたことのない言葉が聞こえてみな驚いたらしかった。
 
値段交渉しようにも、ブル夫は「イッコウセンエン!」の一点張りだった。いや、一点張りというより、単にブル夫の日本語能力が低すぎて、その一言しか発せぬようであった。
 
こびとが再び、見習い魔道士のように「タイグイラ!(太贵了!)」と下手くそな中国語で叫ぶと、ブル夫は「なんぼなら買うんじゃ!」と中国語で聞いてきた。ひょうたんと言えども一応は葫芦丝と呼ばれる工芸品である。1個1000円が妥当な値段なのかわからなかったが、中国の物価を考えると高いような気がした。
 

しかし、そんなことよりも、私はブル夫が全てのひょうたんを咥えて試し吹きしている可能性による細菌感染を恐れていた。ゆえに、値段の話は後回しにして適当にあしらい、ブル夫の敬意を表して写真を撮り、インスタグラムで宣伝してやることにした。ブル夫は元々ひょうきんな人間なのか、カメラを向けても動じず、ひょうたんを咥えておどけたポーズを取った。葫芦丝を吹き鳴らしつつ、Forever製という謎のメーカーの自転車に跨るブル夫は、中々良い絵になっていた。
 

ブル夫に別れを告げ、先へ進むと、隣の胡同で今まさに生まれて初めてひょうたんを咥えようとしているヘイラオトウを発見した。私が瞬時にカメラを構えた数秒後、ヘイラオトウはプーッと葫芦丝を鳴らし始めた。
 
 

ヘイラオトウの様子があまりにも滑稽だったので、私とこびとがクスクスと笑っていると、隣にいた商店のジジイもつられて大笑いし始めた。ヘイラオトウは周りの観光客が笑っていることには全く気が付いていない様子で、満足そうに葫芦丝を吹いていた。中国の真紅の国旗がたなびく胡同で、ヘイラオトウが葫芦丝を吹き鳴らす姿を眺めてみんなで心の底から笑っていると、ストレスフルな日本では感じることができない、偽り無き平和を共有できた気がした。
 
 

イベントが発生した場所から200mほど歩くと、北海北駅が見えてきた。駅前の商店街にある店のほとんどはまだシャッターが下りていた。 
 

この日は朝から颐和园へ行く予定だった。颐和园の最寄駅は西苑駅か北宫门駅なのだが、チケット売り場は西苑駅で降りた方が近い。北宫门駅は颐和园のいわば裏口に位置する。
 
中国では古代から「坐北朝南」とか、「圣人南面」という言葉があるように、皇帝(圣人、圣子、天子)は北を背に南を向いて坐す慣習がある。ゆえに、颐和园も故宮と同様、南向きに作られており、今でも一般的な入口は南方に位置し、チケット売り場も西苑駅近くに設置されている。
 
中国がある北半球では日本と同様、一日の日照時間が最長であるのは基本的に南向きの部屋だ。日に当たる時間が長ければ部屋も暖かく、病害虫の類も発生しにくい。また、古代人は太陽の光に人智が及ばぬ様々な効用があると考えていたかもしれない。ゆえに、昔の中国人は、家屋は南方に向けて構えた方が、住人は健康になりやすいと考えた。
 
「周易(易経)」から始まったとされる陰陽二元論や五行八卦説によれば、北は陰(北为阴)、南は陽(南为阳)、山北水南は陰(山北水南为阴)、山南水北は陽(山南水北为阳)に属するという。まだ科学が発達していない古代中国では、単に北風を避け採光を求めるだけではなく、北方から侵入するとされた風水的な邪気を避けるため、北方に白虎を模した人造の山をこしらえてみたり、良い気を留めるため、南方に人工の湖を作ったりしたようだ。特に、自然、天の道理に適うような住居にすることが最も重視されたのだろう。
 
また、地上の生物は太陽光に依存しており、太陽がもたらす恵みを享受しようと無意識に行動する傾向がある。そのため、皇帝が常時、民衆や臣下よりも北方に位置することで、自らが太陽の権化となり、天下を治めやすくする意図があったのかもしれない。ちなみに、皇帝は龍の化身であるとされ、皇帝が着用する礼服である龙袍の黄色は五行で中央を意味する「土」に基づいている。
 
そういえば、「ムー」的なネタでは、中国人の祖先は龍蛇族(龍神系宇宙人、レプティリアン)であるとか言われている。始皇帝の命令で不老不死の仙薬を求め、日本に来た徐福も宇宙人で、そのまま居座って神武天皇になったと言われているが、もちろん真相など知る由もない。そもそも人間の起源はアフリカにあったと言われているが、猿人からヒトへの進化には飛躍がありすぎるし、ミッシングリンクについては現在も解明されていないから、確かに宇宙人が地球人の祖先であるという話も何となく面白味がある。
 
 
そんなわけで、古代中国では「南面」は皇帝の尊称となったが、一方でいつからか「北面」は卑称とされるようになった。中国語では言葉が同音である場合、同じ意味を含むとみなすことがままあるが、「北(běi)」と「背(bèi)」がほぼ同音であること、「背」には背を向けて「乖(そむく)」の意味があることなどから、「北」は「败(bài)」の意味に等しいとされた。そのため、乘胜逐北、追奔逐北などの言葉が生まれたり、败北(敗北)という常用句が使われるようになったそうだ。
 
 

西苑駅前はかなり整備されていた。世界遺産に指定されて多くの観光客を見込んでいるからが、駅前の歩道は広くて清潔感があった。吉野家やマクドナルドなどのファストフード店が軒を連ねていた。
 

駅前のホットドッグ屋の前には数人並んでいて、リードにつながれた子供がいた。最近中国で流行っている子供用のリードだ。中国では最近になってやっと一人っ子政策が終わったわけだが、中国では晩年は子供に面倒を見てもらうのが通例となっているため、結婚して男の子が生まれないと、妻が強く非難されることが珍しくない。そのため、子供欲しさに人身売買や誘拐によって無理矢理養子にする事件が数えきれない起こっていたそうだ。現在は子作り制限が解除されたものの、特に地方都市では子供の誘拐事件が未だにあるらしいから、腕白な子供にはリードでもつけておかないと、危険なのかもしれない。日本では誘拐事件など滅多にないけれど、外国人が増えてくれば中国のようになる可能性もあるから、子供にはリードを付けておいた方が良いのかもしれない。むしろ、遺伝子の異常なのかどうかはわからないが、近年増殖しているモンスターペアレンツが産んだようなDQNな子供に関しては、それ以上の拘束が必要かもしれないな、なんて思ったりする。
 

駅から颐和园までは500mくらい歩くようだった。とりあえず、観光客らしき人々について歩くことにした。しばらく歩くと、スターバックスの前に何某かの銅像があり、記念写真を撮っている人がいた。北京にはこの手の銅像が沢山ある。そういえば最近、スターバックスコーヒーの「bucks」は「dollar」を意味していて、金が星の数ほど集まるようにstarbucksという言霊的な屋号にしたか、ドル箱スターとなるようにstarbucksとしたのではないか、などと考えたりした。かつてのロゴにはユダヤの象徴である目が組み込まれていたらしいが、とにかくシンボルカラーのグリーンはドルを連想させるし、バックスも同様にドルを連想させる。何が功を奏したのかわからぬが、もはや北京でもスターバックスはサードプレイスとして確固たる地位を築いている。短期間にあれほどのブランド力をつけるとは、余程創業者が優秀な人だったのだろう。
 

 
駅前の通りを左折し、真っ直ぐ歩くと右手に颐和园と書かれた看板が見えた。野犬らしき犬が歩いていた。
 

 
颐和园の近くにレンタルサイクル置き場があった。駐車場の入口は渋滞していて、警備員らしきオッサンが交通整理していた。
 

結局、駅から歩いて5分くらいでチケット売り場に到着した。かなり沢山の観光客が集まっていてにぎやかだった。
 

奇抜なカラーリングのジャージを着た観光客集団が、記念撮影をしていた。あんな目がチカチカするようなジャージを着ているBBAがわんさかいても違和感がないのは、やはり中国だからだろうな、と思った。何となく、毎年成人式の日だか卒業式の日だかに、岡山駅前に集まる特高服姿の若者達を思い出した。
 

チケット売り場は比較的空いていた。とりあえずチケットを2枚買った。ほとんど待たずに買えてよかった。
 

チケット売り場の向かい側には「颐和园食品部」という看板が掲げられた建物があった。入口のすぐ横には長机が並べられており、地元民らしき人々がボランティアで道案内をしていた。
 

建物の中では土産物と軽食が売られていたが、右側に併設された写真コーナーが強烈な雰囲気を放っていた。左側の壁には「古装照相(古装撮影)」、「请勿自拍(自撮は御遠慮下さい)」 という貼り紙があった。撮影は1枚30元で、ちょうど龙袍に仮装した農民らしき夫婦が撮影するところだった。この夫婦は皇帝の雰囲気とは程遠い風貌であったが、嬉しそうに座っていた。
 

とりあえず、店内の土産を冷かすことにした。ナイキのパチもんスニーカーがあった。いや、スニーカーというより、スリップオンと内联升的な布鞋の中間の履物のようだった。何故かロゴの下には「fashion」と書かれていた。やはり中国人も日本人並みに使う英語がダサいな、と思った。しかし、数多外国人が訪れる世界遺産で、平然とパクリ商品が並べられているのをみると、中国の発展途上国的な一面を垣間見た気になる。デジタルアプリケーションやAIの分野で世界一になっていても、こういうあたりはまだまだ中国という感じだ。きっと日本のメディアがこれを見つけたら、ここぞとばかりに中国叩きをするだろう。それこそメディアがK国寄りである1つの論拠になるのだが。アホな庶民は洗脳されて、これが中国のすべてであると思い込んでしまう。
 

怪しい靴の横には、ミニオンズらしき小物が売られていた。頭部と下半身にウニのような棘が付いていたが、用途は不明だった。とりあえず、売店でペットボトルの水を2本買った。
 

外へ出ると、ミニオンズのようなカラーリングのジャージを着た団体客が歩いていた。
 

どうやらスマホにアプリを入れれば、チケットレスになり、園内のガイダンスを聞けて、土産を通販で自宅に送ってもらえるようだった。
 

とりあえず、案内図を見た。まともに見たら半日かかりそうだったから、ショートカットして、有名なポイントだけ見て回ることにした。
 

門には満州語らしき文字が書かれていたが、意味はわからなかった。大した人出でないと高をくくっていたら、門の中に人ごみができているのが見えた。
 

園内の所々に奇岩が据えられており、中国人が写真を撮りまくっていた。ガイド付きのツアー客ばかりだった。
 

特に見るべきものがなかったので、次のエリアへ行くことにした。石畳の上で爺さんが集まり、大きな筆で詩を書いていた。北京の公園でよく見かけるが、この通路は書きやすそうだった。日本では達筆とも芸術とも書道とも呼べぬような某書道家が、マスゴミの操作によって持て囃されているけれど、北京の公園にいる一般の爺さんの方がよっぽど巧く、気持ちの良い文字をサラリと書き上げる。
 

爺さんは一体何を書いているのだろうかと見てみると、どうやら毛沢東の詩を書いているようだった。「风雨送春归,飞雪迎春到。已是悬崖百丈冰,犹有花枝俏。俏也不争春,只把春来报。待到山花烂漫时,她在丛中笑。」1962年12月に詠んだ詩だそうだ。流石に漢字の国だけあって、中国には、日本の自称書道家よりも遥かに達筆な字を書くジジイがゴロゴロいる。
 

隣にいたジジイは絵を描くのが好きなようで、暇そうな通行人を呼び止めては、似顔絵を描いていた。ジジイは描き終えると、お世辞なのか、必ず顔の下に「美人(meiren)」と書いていた。我々が眺めていると、ジジイがこびとを呼び、似顔絵を描き出した。確かに似ていたが、先ほどの御婦人の似顔絵にも似ていた。
 

 
橋の上では、万寿山と昆明湖を背景に記念撮影している人が沢山いた。どうやら、北海公園と同様に、仏香閣なる建造物をフレームインして撮るのが定番らしかった。
 
 
 

頤和園は杭州の西湖をモデルに造られ、遼金時代は王室の遊楽地、明清朝期には皇家园林(いわゆる「御苑」)となったらしい。光绪十四年(1888年)、慈禧(西太后)が軍費を流用して修復し、颐和园と改称し、自らの避暑用別邸としたそうだ。また、拙政园(江苏省苏州市)、避暑山庄(河北省承德市)、留园(江苏省苏州市)と並び、中国四大庭園の1つに数えられているそうだ。1998年には世界遺産に登録され、2009年には中国に現存する最大の皇家园林と認定されている。確かに湖岸に立ってみると、以前行った西湖に似ていた。
 

頤和園が再建された数年後、北京に連合国が入ってくるわけだが、再建に多額の戦費を流用したことで、これが清朝滅亡の原因の1つになったと言われている。昆明湖は人造湖で、この湖を作る時に掘り出された土を盛り上げ、万寿山としたそうだ。ギザのピラミッドを作り上げた労力も途方もないレベルだろうが、こんな広い湖を人力で作ろうと思ったら、気が遠くなってくる。掘るのは簡単としても、残土を積み上げてゆくのが大変そうだ。中国の大建造物と言えば、世界的に著名な万里の長城以外にも、北京-杭州間、約2,500キロを繋いだ京杭大運河もあるし、最近ではドイツ・デュースブルク-中国・重慶間、約11,000キロを結んだ、中欧班列と呼ばれる国際鉄道がある。日本なら本州横断でやっと1,500キロ程度だから、スケールが圧倒的に違う。
 
 

毎年1月を過ぎた頃になると、湖面が完全に凍るため、颐和园はスケート場として開放されるそうだ。何せ北京は氷点下10℃を下回るなんてザラだから、昆明湖が70万㎡以上の広さであっても、完全に凍てついてしまうのだろう。しかし、観光地にいる中国人は本当に幸せそうにしている人が多い。みなニコニコしている。中国人は普段は無愛想でムッツリしているから、かなりのギャップを感じる。
 

 
昆明湖を左へ見ながら、経路どおり進むことにした。今回も色々と行きたい場所があったため、颐和园での滞在時間は1時間以内を予定していた。壁を丸くくり抜いた門があった。中国ではよく見られる建造物であるが、中国語で何と呼ばれているかは知らぬ。
 

しばらく歩くと、長廊と呼ばれる屋根付きの回廊があった。皇帝が雨に濡れずに歩けるよう配慮されたいわばアーケードだ。このあたりに来ると、混んでいた。この長廊は乾隆帝の1750年に作られ、光緒帝の1886年に再建され、全長728mあり、中国御苑の中では最長らしい。天井の装飾が中々面白かったが、驚嘆するほどの芸術性は感じられなかった。長廊には柵というか低い手すりのようなものが設けられていることが多いが、観光客の多くはこれに腰掛けて休憩していた。
 

こびとがトイレへ行きたいと言ったので、あたりを見回すと、建設現場にあるような仮設トイレが見えた。私は基本的に潔癖症であるから、このようなトイレはなるべく避けるようにしているが、止むを得ない状況に限って利用することにしている。こういうドアがあるタイプはドアノブに触れることが不潔であるから、基本的にはまだドアのない街中のニーハオトイレの方が我慢できる。こびとによれば、中はかなりケイオスな状況だったらしい。ちなみに、内部にトイレットペーパーは設置されておらず、右端の個体に設置された共用のトイレットペーパーを必要なだけちぎり、用を足すことになっているらしい。日本の公衆トイレを使う感覚で内部へ入り、途中でトイレットペーパーが無いことに気が付いたら手遅れだ。ここは世界遺産であるのだからなるべく園内には手を加えないようにしておこうという意図があるのか、手を加えてはならぬのかは不明だが、とりあえずトイレくらいは最新にしていおいて欲しいものだ。沢山の人が訪れるのに、こんな仮設トイレだと、う〇こがあふれて洪水が起こる可能性も否定できない。
 

しばらく歩くと、東屋があった。中国語では亭子と言う。大した装飾では無かったが、一応写真を撮っておいた。
 

かつて、ここで使われていたという古い電話が展示されていた。あまり人気がないようで、ほとんどの人が軽く眺めて通過していた。
 

排雲門の前で記念撮影する人が多かった。ここから奥にある排雲殿と佛香阁が一番の見所らしく、かなり混雑していた。タイムリミットが近づいていたため、佛香阁へは上らずに退園することにした。
 

北宫门から出たが、閑散としていて、観光客はおろか、地元人さえもあまり歩いていなかった。これは出口を誤ったな、と思った。地図ではここから歩いて5分くらいで北宫门駅に行けるはずだったが、駅を示す看板さえ見当たらなかった。何故か百度地図のアプリが使えぬため、仕方なく野生の感に従って左方向へ歩いてみることにした。川を左手に見ながら10分ほど歩いたが、右側に質素な感じのホテルが1つ2つあるくらいで、駅がありそうな雰囲気は全くなかった。道路は整備されておらず、車が通るたびに黄色い砂煙が舞った。世界遺産の北側がこんなに寂れているとは思わなかった。
 
これ以上歩いても埒が明かぬと判断し、ホテルの横にある小さな商店で出入りしていた店主らしきオバハンに道を尋ねることにした。私が「このあたりに駅はありますか?」と問うと、オバハンは「ここから歩いたら10分以上はかかる。隣のホテルの前に三輪車が待機しているからそれに乗って行け。駅まで15元だよ」と言った。
 
オバハンに礼を言い、すぐ隣の速8酒店の前へ行くと、小さな三輪車が置いてあった。運転席でヒマそうに座っていたオッサンに「最寄りの駅までいくら?」と聞くと、オバハンの言った通りオッサンは「15元」と答えた。
 
オッサンは「あんたら何人?」と聞いた。私が「日本人だ」と答えると、オッサンは「日本でも漢字を使っているらしいな」と言い、私は「繁体字を使っている」と答えた。オッサンはポケットから煙草を取り出し、私に勧めてきたが、煙草は一切吸わぬから断った。オッサンは「中国は広大だろう」と言った。私が頷くと、オッサンは満足そうな表情をした。
 

オッサンは「あんたは中国語が上手いな。中国に何年住んでいるんだ」と聞いてきたが、「旅行で何回か来ただけで住んだことはない」と答えると、オッサンは「ふーん」というような顔をした。三輪車の中は狭かったが、案外快適だった。10分ほど幹線道路を走り、駅に着いた。オッサンにちょうど15元を支払い、お礼を言って外へ出た。オッサンはボッタくることもなく、終始機嫌が良かった。やはり、言葉がある程度流暢になって現地人に溶け込んでくると、ボッタくられる確率は減るのだろうな、と思った。
 

 
三輪車で運ばれてきたのは、地下鉄4号線の最北端にある安河桥北駅だった。乗車地点からの最寄駅は北宫门かと思っていたが、どうやら違うようだった。とりあえず、わけのわからぬ僻地から駅に辿り着くことができてホッとした。北京市内と言えども、郊外へ行けばタクシーさえまともに走っていないような場所もザラにあるから、注意しながら移動しなければならない。
 
 

時間は11:20を過ぎたところだった。何故か、ホームの上に設置されたモニターにはサッカーの試合の中継が流されていた。とりあえず西单駅まで行き、駅前の図書ビルで中医関係の本を漁り、昼食を食べることにした。
 

西单駅に無事に着いたものの、こびとのICカードが壊れたらしく、改札を通過することが出来なかった。仕方がないので駅員のいる切符売り場まで行って「壊れている」と言うと、極めて無愛想な男の駅員が「どこから乗ったんだ」と聞いてきた。私が「安河桥北駅からだ」と言うと、駅員は無言でICカードを操作し、投げ返してきた。どうやら直ったようで改札を通過できた。西单駅を出てすぐの場所にある北京图书大厦は北京で最大の国有書店で、4階建て約16,000㎡の店内に約33万種の書籍を詰め込んでいるそうだ。店員は比較的親切で、欲しい本が見つからなければすぐに探してくれる。9時~21時まで営業しているのも非常によろしい。
 

医药保健関係は4階にある。いつの間にかテーブルと椅子が置かれており、地元民らしき人々がくつろいでいた。最近は北京でもブックカフェ的な業態が流行っている。まぁ北京の本屋では通路にベタ座りして長時間読書する客が多いから、椅子を置くことでそういう輩を整頓させる効果を狙っているのかもしれない。
 

知らぬ間にカフェもできていた。私は早速本を漁りたかったが、こびとが何か飲みたいと言うので、お金を渡して自分で買ってくるように言った。
 

とりあえずは中医の教科書シリーズを漁ることにした。欲しいものはすでに購入してあるが、念のため目を通すことにしている。日本の鍼灸学校では中国の教科書を翻訳して使うべきだと思うが、そもそも日本の鍼灸師の大半はこういう本の存在自体を知らぬから話にならぬ。日本鍼灸は素晴らしいと根拠なく信じているオツムがお花畑な鍼灸師こそ読むべきと思うが、そういう鍼灸師はIQが低いゆえか、客観的に物事を判断する能力が乏しく、善悪善悪の区別さえつかぬ有様であるから、カルトな思想に洗脳されてしまうと、救済は極めて困難である。そういう鍼灸師を救おうにも徒労に終わることがほとんどであるから、関わるだけ無駄になるかもしれない。 
 

鍼灸書も毎年沢山の新刊が並べられる。大半は中医師向けの専門書であるが、素人向けの本も多いから、子持ちの母親が小児用の家庭版鍼灸本を選ぶ姿も珍しくない。日本では江戸期から、針灸技術が渡来して少なくとも300年以上は経過しているが、未だに鍼灸が普及していない。その1つの要因としては流通している鍼灸書の少なさが挙げられる。また、中国の鍼灸書と日本の鍼灸書を見比べればわかるのだが、とにかく日本の鍼灸師が書いた本は中国のそれに比べてかなりレベルが低い。さらには、日本の鍼灸師はこういった客観的事実や批判を素直に受け入れられぬ傾向にあるから、何百年経っても中国針灸に追いつけぬのであろう。まずは自己批判して己の状態を俯瞰的に見つめ、他人から批判されることがあれば何が悪いのか教えを乞うという謙虚な姿勢が成長を促すわけだが、レベルの低い鍼灸師ほど、他人の批評に耳を傾けることができないようだ。
 

教科書シリーズのほかにも、中医関係の本は沢山ある。中医小児科や中医婦人科、中医経典など、科目別に棚が分けられていて、非常に選びやすい。だいたいこのあたりで立ち読みしているのは、医者か医学生らしき人が多い。
 

壁側には人体模型や桂图(ポスター)が並べられている。ツボのポスターが欲しければ、ここで探すのがよろしい。棚の隙間には人が座れる隙間があり、去年までは誰かしら座っていたものだが、とうとう「座らないでください」と貼り紙がしてあった。
 

中医書の翻訳に必要な古代汉语词典が必要だったので、1冊購入した。日本で買えば倍額以上とられる本も、たったの120元(約2000円)で手に入る。私は日本で買うのはアホらしいから、常に中国でまとめて買うことにしている。
 

こびとがHSKの参考書を欲しいと言うので、店員に売り場を教えてもらった。基本的に中国人は英字に馴染みがないから、HSKと言っても通じないことが多い。だから「汉语水平考试の本はどこにありますか?」と聞くのが無難だ。中国中央电视台のことをCCTVと言ったり、人类非物质文化遗产をUNESCOと言っても通じにくいのと同じだ。
 

 
店内では家電や文房具、幼児用玩具なども売られている。HUAWEIのスマホで良さそうなのがあったら買おうかと思ったが、あまり品揃えが良くなかった。そういえば、最近、ラジオを聞いている時に何気なく手持ちのHUAWEIを近づけてみたら、電波が電子レンジに近づけた時のように激しく乱れて驚いた。試しにアイフォンを近づけてみたが、電波の乱れは軽微だった。一応、日本でも総務省が電波の強さを電波法で規制しているらしいが、やはり福島原発はアンダーコントロールだとか大嘘をついたアベ氏のように、日本の役人は信用できぬから、自分でコントロールして自衛するしかない。日本の政治家は呼吸をするかの如く虚言を吐く習性が多くみられるから、公然で嘘をついた場合はハラキリの刑に処すということにすれば憲法9条を改正せずとも平和が実現しやすいかもしれない。しかし、法律というものは基本的に政治屋や一部の特権階級の都合の良いようにコントロールされているものだから、なかなか一般大衆の望み通りにはゆかぬ。
 

日本の文房具も売っていたが、価格は日本より2~2.5倍くらい高かった。どうやら中国語で「ぺんてる」は「派通」と言うらしい。
 

最近は中国でもドライブレコーダー(行车记录仪)が人気らしい。中国の幹線道路は日本の数倍広いから、事故も比較的回避しやすいようだけれど、やはり中国にもDQNな運転をする輩はいるわけで、ドライブレコーダーはあった方が良いらしい。日本でもDQNは増加傾向にあるから、車に乗るならドライブレコーダーは必須だ。
 

本を買ったあとは、地下鉄に乗って一端ホテルへ戻り、本を置いておくことにした。電車の中には中国国旗を持っている子供がいた。中国でもネットゲームが流行っているらしいが、日本よりも娯楽が少ないからか、ゲームにのめり込み過ぎて精神的にも経済的にも身を亡ぼす人がかなり多いそうだ。電車でもスマホのゲームに夢中になっている人を沢山見かける。
 

北新桥駅周辺のビルの工事は一段落したようだったが、また何か新たに作っているようだった。中国はすでにバブルが崩壊したとか数年前から日本のメディアが騒いでいるが、一带一路が始まってからは、むしろ勢いに拍車がかかっている感じだ。実際にはどうなっているのか知らぬが、特に景気が悪いという感じは全くなく、热闹な感じはいつも変わっていない。
 

駅前ではデリバリーサービスの店員が休憩しており、何やら楽しそうに話していた。中国では日本と違ってデリバリーを専門にしている業者がいて、格安で宅配を請け負っているためか、非常に人気があるそうだ。2009年に上海で創業した饿了么は飲食デリバリーの最大手で、最近は北京でもよく見かけるようになった。荷台の青いカバーが饿了么の目印だ。現在、饿了么に加盟している飲食店は中国全土で18万店舗を超え、1日あたりの平均注文数は100万回以上、ドライバー1人が1日にさばく平均注文数は35件以上らしい。1日10時間労働としても15分程度で1件配り終えなければならない感じだから、そんなに余裕はないのかもしれない。2015年からはタクシーの配車アプリを定番化させた滴滴出行と提携して、タクシーを使った配送も始めているそうだ。日本でもヒマなのか、駐禁の場所に長時間路駐して歩行者や車の通行を妨害しているタクシーが少なくないし、客を拾ったら拾ったで暴走するタクシーも沢山いるが、Amazonの影響で配送会社が悲鳴を上げているのだから、暇なタクシー運転手に配送を手伝わせて小銭を稼げばよろしいと思うが、やはり中国人やアメリカ人に比べ保守的で、合理的かつ柔軟な発想が劣る日本人には饿了么のような業態を実現させることは難しいのかもしれない。特に中国人は自分や他人の所得を公共の電波で曝け出すことを厭わない民族であるから、日本人よりも遥かに金に対して貪欲かつハングリーだから、入る余地の無さそうな市場においても新たな業態で参入したりすることが珍しくない。ユダヤ人も商売が巧いが、中国のユダヤと呼ばれる客家や華僑も抜きん出ている。日本のメディアは基本的に某国寄りだから中国の現況に関しては正しく報道されていない部分が多々あるけれど、実際に中国へ行くと、日本よりも進んでいる部分が色々あって面白い。現在、中国はデジタルアプリケーションの分野では世界最先端を行っているし、人工知能や兵器なんかもアメリカを凌ぐ勢いだ。
 

昼食は胡大にしようということになった。店頭には若い女の店員が独りで立っていて、「まだ改装中だからアッチの新しい店に行ってくれ」と言われた。どうやら去年から続いていた外装の改装は終わったようだったが、まだ内装が終わっていないようだった。そういえば去年は外装に足場が設置されている状態で店内へ案内された。きっと胡大の外装と新規店の内外装を完了させてから、顧客を新店に移動させ、胡大の内装に取り掛かる、という手筈だったのだろうな、と想像した。北京に来ると必ず1回は胡大で食べるようにしていたから残念だったが、数件隣りにオープンした红巷子という姉妹店なら、まぁまぁ美味いものを出してくれるだろうな、と思った。
 
ちなみに、胡大は簋街で最も人気がある店で、週末になると100人待ちなんてのは珍しくない。中国人は基本的にミーハーだから、長蛇の列に並んででも人気店に入りたい、と思うらしい。だから、中国で商売をやる場合、毎日サクラを雇って店頭に並ばせておけば、かなり儲けることができるかもしれない。ちなみに、胡大は簋街に3店舗ほどあるけれど、北新桥駅最寄りのこの店舗が最も店員がマトモで、サービスが良い。あとの2店舗は店員がウ〇コだから、基本的には入店をお勧めしない。
 

红巷子の前には、風呂場で使うような椅子を一回り大きくしたような、茶色いプラスチックの椅子が8個置かれており、ジジババが数人座っていた。ジジババは红巷子が用意した椅子に勝手に座って休憩しているだけらしく、店に入る気は微塵もない様子で、店の入口に背を向けておしゃべりしていた。そういえば、新宿の某高級アパレルショップの店員が「中国人と大阪人は値切ろうとするから困る」とボヤいていたが、確かに中国人の図太さは日本人を超越している。とりあえず、店頭に立っていた男の店員に整理券をもらい、ジジババの横に座って待つことにした。店頭には予備の椅子が30個ほど積み上げてあった。確かに風呂椅子のような形状であれば軽くて安定しているし、かさばらず収納も楽だろう。それに、プラスチック成型だから一般的な椅子に比べて安いに違いない。やはり中国人は合理的だ。
 

党大会を控えているからか、壁には国旗が刺さっていた。10分ほど待つと、店内に案内された。すでに14:50を過ぎていたから、空いてきているようだったが、それでも店内は満席のようだった。
 

店内は中々おしゃれな作りで、胡大の店員らしき見覚えのある人々が働いていた。制服は変わっていないようだった。とりあえず雪碧(スプライト)2本と炸馒头片を注文した。北京では缶ジュースは听と数えるけれど、个と言っても通じる。炸馒头片は小麦粉を上げたようなもので、練乳を付けて食べるようになっていた。揚げパンと言えども油条のようなクドい感じは無く、中々美味かった。どちらかと言えば、お菓子という感じだった。しかし、空腹時に雪碧と炸馒头片を食べると急激に血糖値が上がりそうだから、食後のデザートにした方が良かったなと思ったが、腹が減っていたのでパクパクと食べてしまった。
 

こびとが担担面を食べたいと言ったので1つ注文した。思ったよりも小さかったが、洗練されている感じで中々美味かった。どうやらメニューは新しい品も少しあったが、基本的には胡大とあまり変わっていないようだった。ちなみに北京では麺のことを面と表示するから、担担麺ではなく、担担面となる。
 

こびとが回鍋肉も食べたいと言うので、川渝回锅肉を注文した。回鍋肉は四川省の家庭料理で有名だが、四川省の右隣に位置する重慶市も有名だ。「川(Chuan)」は四川の略称、「渝(Yu)」は重慶の略称だから、これは四川重慶風回鍋肉と言った具合だろう。そもそも簋街と名付けられたこの通り自体が四川料理店の集まりだから、基本的にどの店も四川風だ。ちなみに重慶北東部は略称で「巴(Ba)」と呼ばれ、主に四川省に隣接する重慶西部を「渝(Yu)」と略称している。古代に重慶北部に実在した国を「巴国」、嘉陵江の合流地点を「渝水」と呼んだのが起源だそうだ。重慶の略称はこれをまとめて「巴渝」とも言う。この場合は共に2文字であるから、略称とは言わず、別称と言うべきかもしれない。この回鍋肉は何度か食べたことがあるが、何度食べても还可以という感じだ。
 

昔、師匠と初めて北京に来た時、適当に入った店で食べた回鍋肉は美味かった。大きな白い平皿に汚い白米と回鍋肉が無造作に盛り付けてあって、傷だらけになった蓮華ですくって食べた。あの日は11月だったが、かなり寒くて、師匠とホテルまでの道に迷いつつ、かなりの空腹に耐えつつ見つけた店だった。中国入りして初めて食べた料理ということもあって、余計に美味く感じたのかもしれない。店のあった場所は忘れてしまったが、博泰酒店に辿り着く途中だったから、北新桥駅から张自忠路駅までのエリアにあったと思う。あの辺りだと兄弟川菜かもしれない。今度ヒマな時にでも探してみよう。この時に撮った写真は誤って全て消去してしまったから、2012年にウェブ上にアップしてあるものだけ、上の2枚だけが手がかりだ。今見ても美味そうな回鍋肉だ。師匠は大好きな北京ビールを、私は砂糖入りのお茶を飲んだ。中国のペットボトルの緑茶には砂糖が入れられていることに衝撃を受けた。そういえば、当時、外国人は窃盗などで狙われやすいと聞いていたため、純朴な私は犯罪に遭わぬように、予めボサボサの長髪に破れたジーンズを穿いて北京入りしたのだが、むしろ中国人よりもみすぼらしい身なりをしていたから、師匠が「まるで乞食に飯を喰わせてやっているみたいだな」と言ったのを今でも覚えている。結局、哀れに見えたのか、ここの飯は師匠がおごってくれた。
 

メニューの写真が美味そうだったので、知味虾を注文した。「知味」は知道味道の略なのか知らぬが、それほど美味くなかった。デザートには上海へ行った時に時間がなくて食べることができなかった四川汤圆を注文した。ほんのり甘いスープにクコの実と黒ゴマ餡入りの団子が入っている中国传统小吃の1つで、一般的には元宵节(元宵節)に食される慣習があるが、中国南方では春节(春節)に饺子(水餃子)ではなく汤圆儿を食べる地域もあるそうだ。豚の脂であるラードと黒ゴマが使われているため、独特の風味がある。「汤圆」の「圆」には「团圆(団らん)」とか「圆满(円満)」の意味があるため、祝祭日に家族で汤圆を食べることは家族の平和や幸福を願う意味もあるらしい。
 

結局、何だかんだで1時間過ごしたが食べきれず、残った分をテイクアウトすることにした。中国では残した料理はテイクアウトするのが普通だ。テイクアウトする時は、「服务员,请打包!」と言えばよろしい。比較的ちゃんとした店だと打包盒と呼ばれるテイクアウト用の容器を有料で用意していて、それに入れてくれることが多い。容器はだいたい1つ1元(約17円)だから、中国の物価にしてはちょっと高い。中国では食事の前に配られる使い捨てのお手拭きタオルも1人1元くらい取られるのが普通だ。店を出たあとは、东直门駅まで歩くことにした。歩道が整備されており、前よりかなり広くなっていて歩きやすかった。
 

 
东直门駅近くのセブンイレブンで、水を買うことにした。日本では売っていないバームロールのミルク味といちご味があったから、とりあえず買ってみた。しかし、残念なことに全く美味くなかった。どうやらポッキーと同様、中国で売っている日本メーカーの菓子は、日本で売っている菓子とは味が全く異なるケースがほとんどのようだ。言葉では表現しがたいのだが、チョコの品質が悪くて、中国独特の味がするのだ。日本にはないバージョンだからと言っても、味は他人に勧められたモノではないから、お土産には買わぬ方が良いかもしれない。
 

东直门駅周辺では、何やら大工事をしていた。どうやら駅の拡張工事らしかった。こびとと駅前の信号待ちをしていると、後ろから歩いてきた農民風の中国人老夫婦に「东直门駅にはどうやって行くんじゃ!」と聞かれた。「この信号を渡って真っ直ぐ行くと駅ですよ」と答えると、「ありがとう。あんたら何人かね?」とお婆さんが聞いてきた。「日本人ですよ」と答えると、老夫婦はニコニコしながら礼を言った。中国人はわからぬことがあると躊躇なく他人に話しかける傾向にあるが、中には诈骗犯もいたりするから、注意せねばならぬ。特に「ワタシハニホンガスキデス」とか「ワタシハニホンゴワカリマス」などと片言の日本語で話しかけてくる輩は危ない。
 

ドイツでは引っ越し代をケチるために、2人掛けのソファーを電車で運んでいたアホがいたそうだが、中国でも迷惑を顧みず、大荷物を抱えて満員電車に乗り込んでくる労働者が少なくない。比較的車内が空いていれば、15キロ程度の果物や、クーラーボックスに詰めたアメリカザリガニなどを運ぶのは可愛いものだ。
 

何気なく他の乗客の足元を眺めていたこびとが、「またゼットバランスの靴を履いてる人がいる」と耳打ちした。確かに、紅いコートを着た女が、昨日工商銀行で見かけたロゴと同じスニーカーを履いていた。ニューバランスではないようだが、Zでもないようだった。NとZを反転させた文字だから、脳は何と読むのか判別できぬし、単なる記号として認識するしかないな、と思った。こびとが「どこで売っているんだろう。欲しい」と言ったから、王府井で探すことにした。所ジョージが「にゅ」と記したスニーカーを発売しているのだから、中国人が存在しない文字をロゴにしても商標的には問題無さそうだがどうなのだろうか、と考えた。偽ブランド品を買ってしまったら税関で没収されるが、このようなややこしいスニーカーだと気が付かれずに通過できてしまうかもしれない。
 

こびとの隣に座っていたオバハンはうつらうつら居眠りしていたが、突然「东西駅はもう通過した!?」と聞いてきた。本当に中国人は見ず知らずの他人でも気軽に話しかけてくるなと思ったが、「通過しましたよ」と教えてやった。オバハンはそれを聞いて、次の駅で慌てて降りて行った。ちなみに、東京の満員電車なんかでは、電車が駅に着いてドアが開いた時に「降りますぅ~!降りますぅ~!」なんて叫ぶのが普通だ。しかし、北京では駅に着く前、ちょうど「次は〇〇駅に到着します。下車される方は準備してください」というアナウンスが流れたあたりで、自分の前を塞いでいる人に「下吗?(降りる?)」と聞くケースが圧倒的に多い。ちなみに乗客を押しのけて降りたい時は、「下车!下车!」とか、「让一下!」、「让开!」などと叫べば良い。
 

王府井駅に着いて地上へ出ると、まだ地下鉄駅の工事をしていた。建設速度が異様に早い中国でも、もう2年は経つから、かなり難儀な工事なのかもしれないな、と思った。何気なく、工事区域を覆う壁を見ると、赤い文字で「共产党好・百姓乐」「社会主义好・百子乐中华」と書かれたポスターが貼ってあるのを発見した。こういうプロパガンダを見ると、中国という国の現実を目の当たりにした感じで得体の知れぬ寒気がするが、街の中にはこういうメッセージがさりげなく点在しているから、サブリミナル的に刷り込みされそうで怖い。
 

とりあえず、いつも通りに张一元でおかんに頼まれていたジャスミン茶を買うことにした。その前に、隣のビルを少し冷かすことにした。
 

1階のエントランスにはアメコミやら日本のアニメを随所にパクッたと思しき謎の人形が据えられていた。特に見るべきものがないので、张一元へ行くことにした。张一元の店内に入ると、去年と同じオバハンと、新入りらしきオッサンが立っていた。おかんに小さなやつを数個買ってきてくれと頼まれていたので、中級のジャスミン茶を8缶買った。
 
お土産を買ったあとは、北京にある唯一のagnesb.へ行き、暗くなる前までに北京南駅へ行く予定だった。北京南駅周辺には南方からの出稼ぎ労働者が集まっているため、北京市内でも比較的治安が悪いから、なるべく夜は近寄らないようにしている。
 
王府井駅の荷物検査はいつも以上に行列ができて、渋滞していた。どうやら5年に1度の党大会を控え、ボディチェックと荷物のX線検査が厳重になっている様子だった。5分ほど並ぶと我々の順番がきた。手際良く荷物をベルトコンベヤーの上に放り投げ、ボディチェックを受けたあと、荷物を受け取るために、機械の出口に立った。お茶は私が2缶、こびとが6缶持っていて、偉そうに座っていた女の検査官が私の茶缶を取り上げ、「これは何だ。開けて良いか?」と早口で言いながら、私の許可を得ないうちに茶缶のフタを捻った。大そうせっかちな検査官ゆえ、ほんの数秒の間の出来事で静止する間もなかったが、私が「ダメだ!開けるな!」と叫ぶと、女の検査官は手を止めた。すでに茶缶の封は切られてしまったため、私が続けて「それは礼物(liwu、お土産)だ!」と激怒して叫ぶと、女の検査官は申し訳なさそうにして、茶缶をこちら側へ返した。女の検査官は3人立っていたが、茶缶を開けた検査官の両隣にいた女は「私は無関係です」という素振りでソッポを向いていた。だいたいx線を通しているんだから開けなくても中身を確認できたはずだが、女の検査官はヒステリー気質なのか、ちゃんと見ていないようだった。
 

そんなこんなでやっと安全検査を通過し、再び地下鉄に乗り、agnesb.がある国貿駅まで行くことにした。国貿駅からはE1出口へ向かい、中国国际贸易中心(中国国際貿易センター)というビルの地下に行けばagnesb.に到着するはずだった。出口まで続く地下通路の壁一面には、毎年11月11日に恒例となった天猫全球狂欢节の広告が貼られていた。天猫はウェブ上に存在する世界最大級のショッピングモールだ。2011年から始まった、「双十一」と呼ばれる11月11日のバーゲンセールが有名で、2011年には開始後8分で交易額が1億元(約13億円)、1時間後には4.39元(約57億円)を突破したそうだ。2017年には、交易額が1日で1682億元(約2兆8600億円)に達しているというから恐ろしい。
 

天猫は淘宝(taobao)の内部から分離したショッピングモールで、淘宝がいわゆる「c2c的网购模式(consumer to consumer、是个人对个人的、個人間電子商取引サイト)」であるのに対して、天猫(Tmall)は「b2c的网购模式(business to consumer 是商家对个人的、企業個人間電子商取引サイト)」だ。ちなみに阿里巴巴(Alibaba)は「b2b的网购模式(business to business、是企业间的、企業間電子商取引)」だ。
 

 
E1出口の手前には、中国国际贸易中心(中国国際貿易センター)の案内図を描いた看板があったのだが、agnesb.はすでに撤退しているらしく、存在していなかった。agnesb.の公式ウェブサイトはフランス本社で管理しているそうだが、どうやら中国の店舗の営業状況をちゃんと把握していないのか、中国の代理店がクソだったのかはわからぬが、「営業してねぇならちゃんと消しておけよ!」とツッコみたいところだったが突っ込むべき店舗がなかったので諦めることにした。ちなみに、中国のagnesb.はかなり価格設定が高いそうで、中国人でagnesb.が好きな人はわざわざ日本の店舗まで買いにくるらしい。
 
楽しみにしていたのに残念だと思いながら来た道を戻っていると、こびとが「あっ!」と叫んだ。どうやら王府井駅での荷物検査の時に、X線の機械の中に张一元で買った中級茶6缶すべてを忘れてきたらしかった。仕方がないので、再び王府井駅に戻ることにした。
 
王府井駅の安全検査はまだ混んでいたが、検査官の女に「さっき茶缶を取り忘れたが残っていないか」と聞くと、先ほど私がキレたことに対して懺悔しているつもりなのか、X線の機械周辺をくまなく探しだした。しかし、誰かに盗られたようで、すでに茶缶は消えていた。
 
仕方なく再び张一元へ行き、同じものを6缶買いなおすことにした。私が店員のオッサンに「さっき買ったやつは駅の保安検査の時に失くした」と言うと、オッサンは西川きよしばりに目をグリグリさせて、「丢了!?(失くしたって!?)」と叫んだ。オッサンは続けて「誰かが盗んで行ったのか?」と聞いてきたから「そうだ」と答えた。

だいたい北京の庶民は、未だに月に2000~3000元(約34000~51000円)程度しか稼げぬらしいから、数百元で買った茶葉を失くすのは相当な痛手なのだろう。しかし私が茶葉を買いなおすことで、オッサンの店は儲けが倍になるから、オッサンは哀れみと嬉しさが共存する複雑な心境で、「丢了!」と叫んだのかもしれないな、と思った。これを聞いたレジのオバハンは、1回目に買った時は茶缶を紙袋に無造作に詰め込んだだけだったが、2回目は茶缶をポリ袋に入れて厳重に封をしたあと、さらに紙袋に入れこして、「看好了!(気を付けてね!)」と言って手渡してくれた。
 

张一元の紅い紙袋を持って外へ出ると、目の前を通り過ぎた2人の中国人を見て、思わず「あっ!」と叫んでしまった。我々の前を通り過ぎた70歳くらいの杖をついた老婆と、その後ろを金魚の糞のようについて歩いていた50歳くらいの男は、いつも地下鉄1号線の車内で物乞いをしている2人に間違いないようだった。
 
この親子らしき2人は、毎週末になると観光客が多く利用する地下鉄1号線に乗り、車両の端から端までを練り歩いて乗客に金を無心するのであるが、その集金スタイルが異様であったため、私は数回見ただけで2人の顔をハッキリと覚えていたのだった。男は確かに、目を見開き、健常者と変わらぬ素振りで歩いていた。
 
いつも金を無心する役目は老婆だ。息子らしき男は無言のまま両目を閉じて全盲を装い、右手でアンプ付きのハーモニカを持ち、哀愁漂う音色を吹き鳴らす、という役目だ。そして左手は老婆に引かれ、あたかも母親が、全盲の哀れな息子を女手独りで養っている、というシチュエーションだ。
 
老婆の集金の仕方はかなり強引で、無視を決め込む乗客の手を無理矢理引っ張り、「どうか金を恵んでくだせぇ」と迫るのだ。慈悲心の強い外国人観光客などは、たまらず1元札やら10元札を手渡してしまうのだが、地元民は奴らが骗子(ペテン師)であることを見抜いているから、手を握られても完全無視で押し通す。上海ではこういう詐欺行為で小銭を集め、マンションを2つ買った輩がニュースになったそうだ。
 
この日は、数日後に5年に1度の共産党大会を控えており、北京市内の警備が厳重であったせいか、いつもいるはずの物乞いを1人も見かけなかった。それゆえ、この親子も物乞いができず、当てもなく王府井を徘徊していたのかもしれない。とにかく、インチキ親子を目撃DQNしつつ激写することができて、私は興奮していた。もし、こびとが茶缶を取り忘れていなかったら王府井には戻らず北京南駅へ向かっていたはずで、このような良質なネタになる奇跡的瞬間を得ることが喜びで、こびとに対しての怒りはスッカリ消えてしまった。
 
 

とりあえず、茶缶を再び失くさぬよう、袋を握りしめて、北京南駅へ向かうことにした。北京滞在2日目は、運行し始めて間もない、世界最速を謳う复兴号と名付けられた高铁(高速列車)の早朝始発便に乗るため、前日中に乗車券を発券しておく必要があった。北京南駅は想像していたよりも明るく、杭州南駅のようにだだっ広い感じだった。チケット売り場はすぐに見つかった。
 

乗車券は、日本で事前にCtrip(携程旅行网)で予約しておいたから、その控えとパスポートを窓口で渡すだけで、すぐに発券された。何と便利な世の中なんだろう、と少し感動した。日本から予約して中国に来るまで、もしやCtripはフィッシング詐欺の一種ではないかと密かに疑っていたが、とりあえずデータのやり取りは無事に済んでいたようで安心した。明日は北京南駅7:00発のG5(复兴号)で天津南駅へ行き、電車で天津駅まで移動して天津市内を少し観光し、15:31発のC2060で北京南駅へ戻る予定だった。
 
 
 
中国の高速列車は乗車前に空港並みの安全検査があるため、少なくとも出発時刻の1時間前には行列に並んでおかねばならない。それゆえ、7:00発の列車であれば6:00前には構内に着いていなければならず、北京旅居华侨饭店からでは始発に乗ったとしても間に合わぬ可能性が高いから、北京南駅に隣接する速8酒店に泊まることにしたのだった。ホテルの予約も、日本を経つ前に、予めCtripで済ませておいた。
 

広い構内から地下のコンコースを通って地上へ上がれば、すぐにホテルがあるはずだった。とりあえず、ブラブラとコンコース内の店を冷かして歩くことにした。ミスタードーナツやカルビーポテトチップスのロゴで有名な原田治氏のデザインを明らかにパクッたような周黑鸭という店の看板を見つけた。
 

 
喜多方ラーメンや吉野家、マクドナルドなどのファストフード店が軒を連ねていたが、どこも客入りはまばらだった。
 

ホテルは駅の真横にあったのだが、どこの出口が最寄なのかわからず、一番南側の出口から地上へ上がることにした。駅前は想像していたよりも閑散としていて、雰囲気は確かによろしくなかった。スケボーの練習をしている若者がいた。
 

ホテルはすぐに見つけることができた。確かに駅に隣接しており、ロケーションは良いようだった。確かこのホテルはアメリカだかの外資で、「super hotel」を「速8酒店」と音訳したはずだ。中国には未だ外国人が泊まれぬホテルが沢山あるが、外資ならば外国人でも受け入れているだろうと予想していた。とりあえず、Ctripでは予約できていたから、まぁ大丈夫だろうと思った。
 
ホテルの入口は簡素で、田舎の自宅を改装した宿、というような雰囲気だった。フロントには従業員らしき若い女2人と雇われ店長らしき男1人が立っていたが、我々が目の前に来ても挨拶さえせず、目も合わせぬので、こりゃヤバいホテルを選んでしまったな、と思った。パスポートと、Ctripで予約した証明となるコピーをフロントの台の上に置くと、店員男はパスポートには触れもせず、一瞥(いちべつ)しただけで、「外国人客はは泊めることができません」と言い放った。すでにウェブ上で予約は済んでいるのに泊められぬとはおかしい話だと思い、私が「は?空き部屋は無いんですか?」と言うと、店員男は「空室はあるけど泊められない」と言った。泊められぬのにウェブ上で予約できたり、クレジットカードで引き落としも済んでしまうというのは詐欺に等しい話であるから、「すでにウェブ上で支払いも済んでるがどうするんだ!」と私が詰め寄ると、店員男は「自分で携程旅行网(Ctrip)に電話してくれ」と言った。外国人を泊められぬなら事前にウェブ上でその旨を記したり、何らかの制限をかけておくべきだし、すでにホテル側には何週間も前から私達が泊まるというデータがCtripを介して流れてきているはずで、我々が来るまでに断りの連絡を入れておくべきだろう、と思った。店員男の横にいた女店員の女2人は完全に無視を決め込んでいて、王府井駅にいた安全検査の女どもと同様に、我々には関わりたくないという雰囲気を醸し出していた。色々と納得が行かない私は思わず「还钱!(じゃぁ金返せよ!)」と叫んでしまった。すると、それまでこちらを見ようともせず、帳簿に夢中になっている素振りをしていた女店員がビクッとして、我々の方へチラリと目を向けた。さすが、中国人は金に直結する話には敏感だ。埒が明かぬので、店員男に「接待不了外宾」と一筆書かせ、これを証拠としてCtripに提出し、自分で返金手続きを行うことにした。とりあえず、今回ツアーで指定されている北京旅居华侨饭店には泊まれるからまぁいいや、と思い、速8酒店を出ることにした。
 

中国では未だに表沙汰にされていない宿泊施設のランク分けがあり、外国人を泊めるに相応しくない設備、英語が話せる従業員がいない宿泊施設は、外国人を泊める許可が下りないことになっているそうだ。また、一般的にこういう外国人非対応の宿泊施設は屋号に宾馆などと付けることが多く、酒店とか饭店などと称していれば安心なのだが、速8酒店のような例外もあるようだ。さらに、外国人に対応した宿泊施設は宿泊料金の設定が高めだから、異様に安いホテルを選ばなければ失敗する確率は低いのだが、どうやら速8酒店のように料金設定が高めかつ外国人非対応のホテルもある、ということがわかった。おそらく、速8酒店は南北京駅まで徒歩1分という好立地ゆえに、中国人のみの対応であっても価格設定が高いのかもしれない。
 

 
駅に戻ると、スターバックスコーヒーの横で、オレンジジュースの販売機にオレンジを補充しているジジイがいた。北京ではこの生絞りジュースの自動販売機をたまに見かけるが、衛生的にヤバそうだから、一度も買ったことがない。こびとがスターバックスで北京オリジナルのマグカップがあるかどうか見たいと言ったので、入ってみることにした。 店内の雰囲気は世界共通だが、中国のスタバの店員は明らかに態度が悪い場合が多い。まぁ日本のスタバの店員のように、客の態度も見極めずに馴れ馴れしく話しかけてくるのもどうかと思うが、とにかく中国のスタバはサービスがよろしくない。北京南駅構内には、2つのスタバがあったが、どちらにも北京オリジナルらしきモノが売っていなかったが、とりあえず白い携帯用のボトルを1つ購入した。
 

 
予期せぬ展開でドッと疲れが出た感じがしたが、とりあえず終電が終わる前に东直门駅へ戻らねばならなかった。何故か駅の入口には警察犬がいた。
 
 
东直门駅には21:00に着いた。ここまでくればホテルには歩いて戻れるな、と思い、ホッとした。駅の地上出口にある看板をみたら、終電は上りも下りも22時代だった。北京は遅くまで店が開いているわりに、東京にくらべると随分早い。
 
とりあえず、駅前にそびえ建つ来福士というビルに入ることにした。来福士というのはRaffles Cityの音訳で、ショップと住居が一体化した複合施設だ。シンガポール発祥のRaffles Hotelの関連企業らしいが、詳しいことは知らぬ。シンガポールにもRaffles Cityがある。Rafflesとは、モダンシンガポールの基礎を作ったイギリス人、 Thomas Stamford Rafflesに由来するそうだ。
 
本当は速8酒店にチェックインしたあと、 金宝街にある利苑酒家で招牌菜の冰燒三層肉を食す予定だったのだけれど、行く気力がなかったので、このビル内に入っている飯屋で簡単に済ませることにした。
 

来福士の1階ではPOLOのバーゲンが催されていた。本物かどうかはわからなかったが、かなり群れていた。その他1階にはH&MやZARAなどの服飾店があった。
 

2階には西西弗书店というブックカフェがあった。最近、北京ではブックカフェが大人気で、お洒落な本屋が増えている。蘇州の猫的天空之城には一度行ってみたい。三里屯の老书虫书吧と朝阳北路の单向街书店は今回行く予定だ。
 

個人的には全く興味がないが、東野圭吾の本を集めたコーナーが作られていた。日本でも売れっ子なのに、世界最大のマーケットである中国で中文版が山積みされているとなると、おそらく印税は赤川次郎や西村京太郎の比ではないのだろうな、と思った。現在では仕事柄、小説など読む時間など全くないが、高校生くらいまでは色んな小説を読んだものだ。
 

東野圭吾の本に埋もれるようにして、「你的名字。」と書かれた本が数冊積まれていた。これは飛行機の中で映画を観たが、ハッキリ言って面白くなかった。まだ、秒速何とかメートルの方がマシだったと思う。しかし、あれはあれでサントラが良くなかった。
 

ビルの中心部にはコスタコーヒーとスターバックスコーヒーが入っていた。閉店間際だからか、ガラガラだった。
 

目ぼしい店がなかったので、最上階の多国籍料理店に入ることにした。看板には大きく「爵士屋」と書かれ、その下に小さく「日本料理 洋食 コーヒー」とあった。爵士(juéshì)はknightの意味のほかに音訳でjazzの意味があるが、確かに店内ではジャズが流れており、店の雰囲気もjazzyな感じだった。客の半数以上は白人だったから、比較的入りやすかった。
 

店内には入らず、店頭のテーブル席に座ることにした。この席は橋のような通路の上に位置しており、スリリングな感じで心地良くはなかった。
 

店内は中々お洒落だった。店内の席にしときゃぁ良かったと後悔した。すぐにメニューが運ばれてきた。
 

メニューは洋食より日本食の方が多かった。寿司や刺身の盛り合わせ、焼き餃子、厚焼き玉子、揚げ出し豆腐、ラーメン、うどんなどがあった。全体的には無難な値段だったが、やはり寿司は高かった。だいたい日本の倍くらいの価格だが、まぁ中国ではこれくらいが相場だろうな、と思った。ハッキリ言って日本食にはうるさい純日本人としては期待していなかったが、とりあえず話のタネにサーモンの寿司と野菜うどん、肉うどん、コカコーラ、レモンジュースを注文した。メニューに載っていたうどんの写真はかなり不味そうだったから不安だったが、他に食べられそうなものがなかったから我慢することにした。
 

寿司はまぁ食えないことはなかったが、日本の寿司に比べると劣る感じだった。寿司をつける醤油も多すぎて違和感があった。しかし、中国国内の店にしては検討している方かもしれない。うどんも同様にまぁまぁだった。感覚的には高速道路のサービスエリアの食事をさらにワンランク下げたような味だった。
 
うどんをすすりながら、何気なくメールをチェックすると、速8酒店に着く直前にCtripからメールが来ていたことに気が付いた。

「ホテル側より外国の方を接待する資格をもっていないため、ご予約を確定することができないといわれております。大変申しわけございませんが、ご予約を一旦キャンセルさせて頂きます。部屋料金はご利用のカードまでに返金致しました。また、一度お客様のご予約を確認してから、ご予約通りに部屋を提供できないことに対して、お詫び申しあげます。シートリップはお客様のお声を真摯に受け止め、サービスの改善、業務品質向上に活かし、お客様から信頼される旅行会社を目指しておりますので、今回の事態に招いて弊社の不手際について、反省の上責任を持って対応させていただきたいと考えられます。また、同じチェックイン日のホテルをご予約頂いた場合、ご宿泊後にて領収書の写真を弊社までご提供していただければ弊社より最大初日部屋料金620人民元に相当する差額をシーマネープラスの形でご利用のシートリップアカウントに弁償させて頂きます」

Ctripだけのことではないと思うが、大手の予約サイトであっても、中国国内のホテルをウェブ上で予約する場合、確実に外国人が泊まれるホテルを探さねばならない。しかし中国のホテルは、実際にチェックインしてみないと泊まれるかどうかわからないことがよくあるから、予め宿泊拒否をされる可能性があることを想定しておくべきかもしれない。真冬の北京は氷点下10度を下回ることが珍しくないから、慣れないうちは大手旅行会社のツアーを使うのが無難かもしれない。
 
 

食事を終えて外に出ると、ビルの入口に大きな犬が座っていた。
 

ホテルへ戻るため东直门内大街を歩いていると、荷台にダンボールと空のペットボトルをうず高く積み上げた三輪車に乗った男が警察に捕まっていた。
 

东直门内大街の終点にある干果屋はいつも行列している。中国人はお茶うけにヒマワリの種などをバリバリと食べる習性があるから、この手の店は定番となっており客が途絶えることがない。
 

北京の観光名所の1つである簋街(guijie)は去年からの大改修工事がほぼ終わり、要所要所に案内図を載せた看板が設置されていた。簋街のシンボルとなる新しいロゴも考えたらしく、通りには「簋」の字をデフォルメした誇らしげなロゴも点在していた。ちなみに、「簋」という文字は、古代中国で使われていた食器の一種に由来する、とCCTVの「遠方的家」という番組で紹介していた。本来は鬼街と称されていたが、鬼の字ではおどろおどろしい感じを与えたり縁起が悪いため、食べ物に関する文字で発音が似ている簋の文字を使うようになったそうだ。
 

ホテルに戻ると22時を過ぎていた。シャワーを浴びてさて寝ようかとベッド横の壁を見ると、誰かに叩(はた)かれて圧死した蚊が貼り付いていた。5つ星の高級ホテルでも、密かに便座のブラシで洗面台を洗ったり、バスタオルで便座やバスルームの床を拭き上げるDQNな従業員がいるそうだから、我々が泊まる中級ホテルの壁に装飾や押花の如く蚊が貼り付いていても、驚くほどのことではない。しかし、潔癖な私は完全に気にしないことはできぬから、壁から離れて眠りに就いた。
 

3日目(月)


3日目は4:30に起床した。6時前までには北京南駅へ着かねばならなかったから、东直门駅5:14発の始発に乗ることにした。ホテルからは东直门駅までは徒歩15分あれば到着するから、4:55分までに出れば間に合うはずだった。まだ空は薄暗かったが、夜中に降った雨はすでに止んだようだった。
 
この日は天津へ行くことになっていた。中国では2011年に起きた浙江省の鉄道事故以来、高速鉄道は時速300kmまでと制限されていた。しかし、今年(2017年)の6月に复兴号(復興号)という名を冠せられた新型車両をお披露目し、時速350kmでの運転を再開した。元々はドイツの高速列車であるICE3をベースにした和谐号が時速380kmでの運行を可能にしていたが、复兴号では車両の設計寿命を30年とした上に最高時速を400kmに引き上げている。复兴号は現状では世界最高速の鉄道だが、南车青岛四方机车车辆股份有限公司は2014年1月の新型和谐号の試験走行で時速605kmを記録しているそうだ。
 
一昔前は、典型的な発展途上国の様相を呈していた中国が、たった30年ほどで、アメリカや日本を凌ぐような技術大国になったことは俄かには信じられぬが、実際に复兴号に乗り、その最新技術の一端を垣間見てやろうと考えていたのだった。日本ではほとんど報道されることがないが、中国は欧州と陸続きであることや、一帯一路政策の影響で、欧州での中国製品の普及は年々勢いを増している。例えばEUの基準値をクリアした純電動バスがブルガリアなどで既に実用化されており、未だハイブリッドなガソリン仕様のバスしか走っていない日本に比べると、EVの技術に関しては日本の先を行っている。実際に、2017年には、中国の蔚来汽车が開発したNIO蔚来(NIO EP9)が、世界最凶に過酷だと言われているニュルブルクリンクの北コースで、ポルシェ911GT2やランボルギーニ・ウラカン、パガーニ・ゾンダ、日産GT-Rなどの記録を破り、市販車として世界最高速になっている。これも日本ではほとんど報道されていない。
 

东直门内大街にある飲食店では、すでに蒸篭で包子を準備しており、所々で湯気が上っていた。北京の街の目覚めは本当に早い。
 

駅には5:10に到着した。何とか始発に間に合いそうで安心した。当然ながらラッシュは始まっておらず、構内はガランとしていた。それゆえか、安全検査をする係員は器用にも立ち寝しており、無事に通過することができた。
 

15分ほどで宣武门駅に到着し、4号線に乗り換える頃には、乗客がかなり増えて来ていた。どうやら北京南駅へ向かっている人が多いようだった。
 

北京南駅には5:45に到着した。东直门駅からちょうど30分くらいだった。発車スケジュールが表示された電子看板には「G5 SHhongqiao 7:00 14 Waiting」と出ていた。Gは高铁(gaotie)の略で、数字が小さくなるほどグレードが高い車両であることを示している。复兴号のような最速の高速列車はまだ1日に数本しか走っていないため、チケットはすぐ売り切れになりやすい。SHは上海の略字でhongqiaoは虹桥の意味だ。7:00は発車時刻、14は搭乗口(ホーム)の番号だ。
 

とりあえず、早めに安全検査を済ませておくことにした。どうやら杭州東駅や上海虹桥駅と同様、一旦2階に上がり、ホームに通じるゲートが開くまで待つようになっているようだった。
 

安全検査はすぐに終わり、ファミリーマートで軽食を買うことにした。こびとがコーヒーを飲みたいと言ったので1つ買った。あとは水と包子を買った。コーヒーはセルフサービスではなく、店員がカップに入れる方式だった。何故か、レジの左横にはコンドームのコーナーが設けられていた。中国人が田舎へのお土産に買うのだろうか、と想像した。
 

駅の構造自体は杭州東駅に似ていた。中国ではお馴染みの麦当劳(マクドナルド)や真功夫などのファストフード店が入っていた。
 

待合所は杭州東駅を一回り小さくしたくらいの広さだった。それでも相当に広い。東京駅の新幹線の待合所が犬小屋に思えるくらいの広さだ。ホームは23個あるから、杭州東駅の30個に比べると確かに小さい。ちなみに東京駅の新幹線のホームは10個あるが、待合所の大きさはこの半分にさえ満たない。みな発車時刻までどこかに座って待ちたいのだろうが、構内の作りが複雑な上にベンチが少なく、立って待つことも珍しくない。だいたいあんなにクソ高い乗車料金を取っているのだから、荷物のX線検査やボディチェックなどの空港なみの安全検査を行って乗客の安全を確保すべきと思うが、平和ボケと過密なダイヤが相まって、今後も改善される余地はなさそうだ。焼身自殺を図ったり、台車に亀裂が見つかっている時点で、日本の新幹線はすでに中国の高速列車を馬鹿にできぬレベルの危うい乗り物になっている、と個人的には感じている。ちなみに中国の高速列車の乗車料金は日本の新幹線の1/2~1/4くらいだ。だいたい東京-熱海くらいの距離なら2,000円もあれば往復できる。
 

出発30分前にゲートが開いた。どうやら駅によって開く時間が異なるらしい。
 

とりあえず撮影のため、ホームの先まで歩いた。
 

 
ホームの先端には駅員らしきジジイが立っており、これ以上先へ入るなとばかりに手を上げてジェスチャーしてきた。隣には旧式の和谐号が停車していた。やはり、日本の新幹線の方がデザインは優れているな、と思った。こびとが复兴号の前で写真を撮ってくれと言ったので、1枚撮ってやったが手振れで上手く撮れていなかった。
 

复兴号は定時で出発した。車内は清潔だった。和谐号に比べると、かなり高級感が増したように思えた。車内の質感は、ロマンスカーやスカイライナーよりは確実に上で、新幹線と比べてもデザインに野暮ったさがなく、洗練された感じだった。席番号などの表示は全てLEDになっており、識別が容易であった。
 

窓の横には安全锤(緊急脱出用のハンマー)が設置されていた。これは和谐号からの標準装備だ。ちなみに、中国では未だに置き引きが多いから、荷物棚に荷物を置く場合は、目の届く場所に置くのが賢明だ。可能であれば、手元に置いておくのがベストだ。特に中国南方では乗客が寝ている隙に背後から手を伸ばして荷物を取り、中身を抜いて戻す、という手口が非常に多いそうだから、用心しておかねば危ない。
 

和谐号と同様、餐车(食堂車)もあった。日本の新幹線の食堂車は廃止されたから、食堂車を見ると昔乗った0系の新幹線を思い出して懐かしい感じがした。その他の設備には、开水(白湯)を飲むのが好きな中国人には必須の电茶炉(湯沸しボイラー)、感应端门(自動ドア)、内显(LEDディスプレイ)、电源插座(USBソケット)、大件行李存放处(スーツケース置き場)、厕所紧急呼叫按钮(トイレ緊急呼び出しボタン)、紧急制动手柄(緊急手動ブレーキ)、灭火器(消火器)、防火隔断门(防火扉)、应急梯(応急はしご)、防护网(防護網)、过渡板(アルミ製渡し板)などがあった。防护网は何に使うのかは不明。一応、最低限の設備は整えられていたが、時速350km以上で走行中に、乗客がいたずらで手動ブレーキを作動させる恐れはないのかと思ったりするが、実際のところはどうなのだろう。
 

北京から天津までは約30分だ。暇つぶしに、服务指南と記された冊子を開いてみることにした。1ページ目は目次かと思ったら、禁煙と大きく書かれていた。2ページ目からは「文明乘车」と記された項目が図解入りで10ページほど展開していた。要するに乗車マナーに対する警告、啓発だ。中国では最近、TVCMでも文明という言葉を頻繁に使って国民のマナー向上を促しているが、まぁ確かに、以前に比べれば公共でのマナーは改善しているように感じられる。日本では広告料による金儲けが優先されて、マナーに関するCMなんて一切テレビで流れないから、日本も今後DQNの遺伝子が増え続ければ、中国人よりもマナーが低下する可能性があるかもしれない。
 

冊子には禁止事項として、ドリアンを食べようとする子供の挿絵とともに「ヘビーな食品は食べないで下さい」とか、「車内設備を破壊しないで下さい」、「無賃乗車はお止め下さい」、「土足で座席に上がらないで下さい」、「食堂車での長時間の休憩はお止め下さい」、「iPad」を「Paid」と誤記したうえで「充電はしないで下さい」、「車両の上には上らないで下さい」、「尖ったもの、燃えやすいもの、爆発しやすいもの、放射性物質などは持ち込まないで下さい」、「線路内には侵入しないで下さい」、「停車時間はわずかですから、停車中に降りて煙草を吸ったり、写真撮影しないで下さい」などと記されていた。挿絵は下手くそだったが、中々面白かった。冊子をペロペロとめくりつつ、やはり私は文明人であるなと改めて再認識した。
 

冊子には「テーブルの上に突っ伏すのは止めて下さい」と記されていたが、ふと左の座席に目をやると、禁止姿勢でスマホをいじるBBAがいた。この分だと、BBAが文明人になるのは先のことだろうな、と思った。きっとあの座席のテーブルはもう使い物にならないだろう。
 
 

乗務員は乗車券のチェックをしたり、棚からはみ出した荷物を整理したり、忙しく動いていた。見た目はキャビンアテンダントのようであった。残念ながらテーブルに全体重を預けていたBBAが注意されることはなかった。
 

暇つぶしに、冊子と一緒にシートポケットに入っていた雑誌を読むことにした。表紙には上海人とはほど遠いモデルが載っており、上海鉄道と記されていた。鉄ヲタが興奮しそうな表紙だった。
 

巻頭の特集記事はやはり复兴号の営業開始に関してだった。2ページ目に写っていた駅員の女が体型に見合わぬ巨乳で、シリコンでも入れているんだろうか、と想像した。
 

AIでネイルをする機械が開発されたという記事があった。鉄道ネタとは全く関係ないのに何で載っているのかは不明だったが、中々面白い記事だった。AIを内蔵しているため、動作が緻密で、図案は1万種以上、人力だと1時間かかるがAIだと20秒で終わり、価格は1回1元(約17円)程度らしい。中国のAI事業は、すでに世界トップのアメリカを凌いでいるとか、凌ぐ勢いだとか言われているけれども、確かに こういうロボットの動画なんぞを観たりすると、気味の悪さと同時に恐ろしさを感じる。
 
 
 
 
 
走行を開始して10分ほどで時速300kmを超え、このあたりから、車内に凄まじいくらいのボワンボワンというハウリング音が響き始めた。時速350kmを超えると耐え難いほどで、大半の乗客は平気そうにしていたが、私は一刻でも早く降りたくてたまらなくなった。こびとは中国人と同様、平気そうであった。基本的に中国人は騒音に対する耐性が異常なほど強いから、何とも思わないのかもしれないが、私のように充電器のコンデンサーの音さえも拾ってしまう聴覚が過敏な人間にとっては、拷問のようであった。きっと、線路や車輪、車体の形状に問題があるがゆえに、この不快なハウリング音が一定速度以上で起こるのであろうな、と想像した。スカイライナーでも一定区間で似たような現象が僅かに感じられるが、とにかく复兴号のそれは酷過ぎて、最短距離の切符にしておいて良かった、と思った。気を紛らわせるため、車窓からアイフォンで外の風景の写真を撮っていると、シャッター音が気に喰わぬのか、前に座っている中国人女が、頼んでもいないのに窓のシェードをバッと降ろした。女は寝入っている途中らしかったが、確かにアイフォンはアップデートしてからシャッター音がアホみたいにうるさくなったから、仕方がない。
 

しばらくすると、乗務員の女性がポットとコーヒーを持って、車両の先頭から練り歩きだした。どうやら有料らしく、買う人はほとんどいなかった。天津南駅に着く手前になると、今度は乗務員がゴミを集め出した。これも和谐号と同じシステムだ。しかし、和谐号では青い垃圾袋(ゴミ袋)だったのに対し、复兴号ではカートタイプのゴミ箱だった。事前にゴミを集めておくことで、従業員の清掃の手間を軽減させることが目的なのだろう。合理的な中国人の考えそうなことだ。
 

天津付近はかなりスモッグがかかっていた。
 

天津南駅までのチケットにしたのは、天津駅と天津南駅の両方を見ておきたかったからだった。天津南駅は予想通り、閑散としていた。降りる人もほとんどいなかった。ほとんどの人は上海まで向かうのかもしれない。ハウリング音が凄まじくとも、复兴号は北京-上海間、約1,300kmを片道550元(約9350円)、4時間30分で結ぶのだから、多くの中国人は助かっているのだろうな、と思った。1,300kmというとだいたい青森から広島くらいまでの距離だ。
 

天津南駅付近には特に何もなかったので、地下鉄に乗って天津駅まで行くことにした。
 

天津では一卡通が使えぬため、改めて切符を買わねばならなかった。券売機の仕様はほぼ北京や上海と同じだった。
 

しかし、金を入れて出てきたのは緑色のコインだった。どうやらこれを改札に入れるらしかった。
 

一応、記念に天津地铁の刷卡を買っておくことにした。特惠票と書かれているから、恐らく現金よりもいくらか割引されるのだろう。日本のパスモと同じシステムだ。
 

月曜日なのと観光地でないのとで、我々以外の乗客は全員、上班途中の本地人という雰囲気だった。みなスマホをいじっていた。デジタルアプリケーションが進んでいるせいか、車内を見回してみても、スマホ依存度は日本より酷い感じだった。
 

天津駅には8時過ぎに着いた。帰りの乗車券はすでに日本から予約しており、15:31天津発北京南行きのC2060に乗って北京へ戻る予定だったが、明るいうちに三里屯へ行けるよう、もっと早い時間の乗車券を買いなおすことにした。中国では高速鉄道の乗車券は平日でもすぐに売り切れになってしまうから、一刻も早く窓口に並ばねばならなかった。面倒なことに、チケット売り場に行くためには、もう一度安全検査をしなければならず、行列に並ぶことになった。安全検査は2ヵ所しか設置されておらず、通勤客らしき人々で大渋滞していた。
 

行列の横では、いかにも中国人が考えたような清掃カーが走っていて、地面に荷物を置いていた人々を蹴散らしながら床を磨いていた。
 

しばらくすると、行列に無理矢理横入りし、前へ進んで行くBBAの集団が見えた。BBA達は、列車の発車時刻が迫っているが何としてでも乗ってやるぞ、という雰囲気を放っていた。安全検査は荷物のX線検査と、金属探知機を使ったボディチェックがあるため、1人ずつしか通れないようになっている。それゆえ、行列の動きが緩慢で、BBA達は安全検査目前まで辿りついたものの、係員に阻まれ、イライラが頂点に達している様子であった。係員は尖端に「×」印がついた棒を持って通行をコントロールしていたが、とうとう、しびれを切らしたBBA達が突入を開始した。若い男の係員は制止を試みたものの、BBA達の集団パワーには敵わず、あきらめた素振りを見せた。すると、他の乗客もここぞとばかりに、どさくさに紛れて、ゲートを突破し始めた。混乱はこうやって起きるんだなぁと思いながら傍観していたが、BBA達がいなくなって数分経つと、何事もなかったかのように秩序ある行列に戻った。
 

平日だからか、窓口はそんなに混んでいなかった。無愛想な係員に一番早い時間の列車を頼むと、11:05発のC2028を提案された。発車時間まで2時間ほどあったが、予想していたよりも早い時間の列車に乗ることができそうで、安心した。
 

改札から離れると、駅構内は比較的閑散としていて、まだ昼前だからか、飲食店もガラガラだった。扉に「服务第一(サービス第一)」と書かれた飯屋があったが、店員が客そっちのけで、のんびりと飯を喰っていた。
 

天津にもセブンイレブンがあるんか、ちょっと入ってみようかと思って近づいて見ると、セブンイレブンのパクリコンビニだった。看板には「86便利」と書いてあったから、8時~18時まで営業しているのかもしれない。
 

列車の発車時刻まで、外を少し散策することにした。構内から出ると、大きな広場があった。広場には習近平と共産党を称え、中華民族が大復活を遂げることが中国の夢である、というような文言が記された赤い横断幕が吊るされていた。横断幕の左端には地球連邦軍のような共産党の黄色いロゴがあった。月曜日の午前ゆえか、広場には清掃員のオバハンがいるだけで、ガランとしていた。
 

とりあえず、構内から出て、駅の外観をカメラに収めることにした。
 

駅前の通りを少し歩いてみることにした。北京に比べると、拍子抜けするくらい人が少なかった。街自体は綺麗に改装したばかりのようで、汚らしい感じは無かった。
 

天津駅前にも、シェアリング用の自転車が沢山置いてあった。何気なくモーバイクのタイヤをみてみると、パンクしないタイプのタイヤになっている車両があった。日本でも最近はノーパンクタイヤが流行っているけれど、日本のメーカーのようにスポークもリムもアッセンブリーですべて交換しなければならないようなモノはより、中国メーカーのように既存のホイールに組み込めるタイプの方が遥かにスマートで経済的だ。ルーマニアでは、10年ほど前に進出した中国の自転車メーカーであるDHSが成功を収めており、製造技術のレベルはアメリカ大手のメーカーをすでに凌いでいると言われている。
 

予定では、天津大胡同商業区や古文化街などを散策する予定だった。時間があれば、数年前に天津郊外で起きた謎の大爆発の現場も徘徊するつもりだった。習近平を暗殺するためのテロだとか、アメリカが地球上空から新兵器を使ったとか密かに噂されていたほどの大穴が開いたそうだが、現在ではすでに、何事もなかったかのように芝生を敷き詰め公園にしてあるそうだ。とりあえず、駅へ戻ってどこかで休憩することにした。そのまま来た道を戻るだけではつまらないので、大通りを渡って、反対側の歩道から駅へ戻ることにした。横断歩道を渡ると、交差点に金色かつボロボロの三輪車を停めて、ドアを開けっ放しにしたまま70代くらいのBBAが地元民らしきジジイと立ち話をしていた。BBAは片手に包子を持ち、ムシャムシャと下品に喰らいついていたが、我々を見るや否や「あんたらどこへ行くんだ!三輪車に乗って行け!」と叫んだ。BBAはかなり訛っている上に、口をモゴモゴさせた状態でしゃべるから、半ば何を言っているかわからなかった。とりあえず、中国語がわからないフリをして、無視することにした。 
 

駅構内には飲食店が10店舗ほど点在していたが、どこの店も似たり寄ったりで雰囲気が宜しくなかったので、気軽に長居できそうなマクドナルドに入ることにした。日本のマックは店舗数がかなり減ってしまったが、中国では大きな駅なら必ずマックがあるような具合で未だ健在だ。まぁ、原材料の如何は別として、お馴染みのモノが、同じような店内で食べられるのはよろしいことだ。何せ異国の地で怖いのはわけのわからぬ飯が出てくることであって、外国でも既知の食べ物が食べられる安心感というのは、マックの強みなのかもしれない。店内のレジはほとんど機能しておらず、入口すぐ左にある機械で注文をするようになっていた。
 

まず、「堂吃(イートイン)」か「外带(テイクアウト)」を選ぶ画面が出た。
 

朝メニューがあり、サイドメニューも細かく選べるようになっていた。ハンバーガーはほとんどが中国オリジナルだった。とりあえず適当に選んだ。サイドメニューで油条があるのはいかにもな感じだが、中国北方人の好みに合わせているのだろう。ジュースも豆乳など中国オリジナルのものがあるが、基本的には日本と似ている。中国の飲食店では基本的にいわゆる「お冷や」は出てこないから、飲み物を別で注文するのが普通だ。メニューを指さして「これをくれ」と言えば確実だけれども、ファストフード店ではレジの上にだけメニューが掲示されているだけの場合もあるから、中国へ行くなら基本的な飲み物の名前は暗記しておくのがよろしい。芬达(fenda)はファンタのことで、日本でもお馴染みだ。ちなみに、中国では橙(オレンジ)、苹果(りんご)、葡萄(ぶどう)、青柠(ライム)、芒果(マンゴー)、水蜜桃(もも)、菠萝(パイナップル)、西瓜(すいか)などの味がある。拿铁(natie)はラテ、雪碧(xuebi)はスプライト、热朱古力(rezhuguli)はホットココアのことだ。一般的に中国語の普通话ではチョコレートのことは巧克力と言うけれど、広州、香港、澳门(マカオ)などの広東語圏では朱古力を使うことが多いそうだ。また、巧克力や朱古力のほかにも、巧古力、巧格力、朱古力、朱古律、查古律、查古列、诸古力などと言ったりする。可可はカカオまたはココアの意味があるが、ホットココアは北方でも热朱古力と言ったりするからややこしい。
 
 
 
結局、何故か機械では正常に支払いが処理されず、「レジへ行け」という文言が画面上に出たので、レジへ行って支払うことにした。
 

厨房とレジには無愛想なオバハンが3人立っていたが、日本のマクドナルドと同様、注文したモノはすぐに出てきた。店内中央の大きなテーブルで食べることにした。味はまぁまぁだった。何気なく、店内を見回すと、向かいの席に、農民らしき風貌のジジイが座っているのが見えた。ジジイのテーブルの上には何も置かれておらず、ただ休憩するためだけに店内に入ってきている様子だった。店内は広かったが、客は10人くらいしかおらず、静かで快適だった。そういえば、中国の飲食店では、子供の発狂を放置しているようなDQN親子を見かけることがほとんどない。日本も、一昔前はある程度、子供と言えども節度があったものだが、最近はキチ〇イみたいな親子が増えて、落ち着いて外食できる機会が極めて少なくなってきたように思う。
 

 
マクドナルドで30分ほど休憩し、早めに待合室へ移動しておくことにした。驚いたことに、天津駅では、高速鉄道に乗るために通る安全検査は2重になっていた。きっと、天津で謎の大爆発があったせいで、警備を強化しているのだろうな、と想像した。2つめのブースでは、6人の係員がパスポートをチェックしていた。大半の乗客は中国人で、みな2つ目の検査をスンナリと通過していた。しかし、係員の男2人は我々を見るなり、「ちょっと待て!あんたら美国人(アメリカ人)か?」と聞いてきた。無事に通過できると思い込んでいたもんだから、急に止められて少し驚いたが、紅いパスポートを開いて「日本人ですが」と言うと、「なんだ日本人か」と言ってアッサリと通された。だいたい、中国人はマスクをしていると日本人、サングラスをしているとアメリカ人、とみなす場合がよくある。この時は私もこびともレイバンのサングラスにパタゴニアのジャケット、カリマーのバックパック、ナイキのスニーカーという欧米のバックパッカーのような格好をしていたから、アメリカンチャイニーズとでも思ったのかもしれないな、と想像した。
 

待合所には使われていないパトロールカーがあり、乗客の休憩所になっていた。確か杭州駅では宣伝のために展示されている新車が休憩所になっていたような気がする。中国人はどこでも座る習性があるから、座られて困るような場所には「座るな」と貼り紙しておかねばならない。
 

待合所には土産店がいくつかあった。どこの店も天津名物である泥人形と甘栗、麻花を扱っていた。店内には店員らしきBBAが2人いて、レジにいたBBAは前科がありそうな人相をしていた。レジではガラス製のショーケースに入ったハーゲンダッツのアイスを売っていたが、どうも水に漬けていたアイスクリームディッシャー が不衛生な感じがして、買う気にはならなかった。鳥をモチーフにした小さな剪纸が売っていたので、院内の入口に置いたらいいなと思い、1つ購入した。泥人形はそれほど魅力的ではなかったから、天津名物の甘栗と麻花を買うことにした。
 

麻花というのは小麦粉を揚げた菓子で、北京でも売っているが食べたことがなかった。天津甘栗は自分たちで食べる分を1つと、師匠一行にあげる分を4つ購入した。夜には北京市内で師匠一行と落ち合う予定になっていたから、天津土産としてあげたら喜ぶだろうな、と想像した。甘栗のパッケージには、「自然の甘さはヘルシーです」という怪しい日本語と、フランス語らしき謎の文言が記されていた。裏面には河北省産の甘栗が使用されていると記されていた。どうやら甘栗の栽培は、古くから河北平原北側の燕山山脈で行われているそうだ。甘栗の原料である栗は燕山板栗とか板栗などと呼ばれていて、栄養豊富で不飽和脂肪酸も多く含まれているから動脈硬化症などに有効らしい。
 

土産店を出てどこかに座ろうと思ったが、ベンチが空いていなかったので、立っていることにした。ふと横を見ると、左腋にダイエットコークのペットボトルを挟み、ノリノリで踊りながらポテトチップスを食べている太目の男がいた。ポテチ男は終始上機嫌であったが、あまりにも様子が滑稽であったため、こびとが笑い出した。こびとは笑いが止まらぬ様子で放っておいたが、ポテチ男の横にいた別の男が、自分が笑われていると勘違いし、何故か喜び出すという、ややこしい状況になった。男はこびとが何故笑っているのかを知りたい様子で、ホームに降りるゲートが開くと、我々がエスカレーターに乗るや否や、後ろから近寄り話しかけてきた。
 

 
こびとには事前に、聞いてわからぬ時は「我听不懂」と言いなさいと教えておいたから、男が何か言った後、こびとが「ウォーティンブドン」と言った。男は訝しげな顔をしながら「聞いてもわからないと言うが、我听不懂という中国語をしゃべっているじゃないか」と文句を言った。とりあえず、面倒なので私も中国語がわからぬフリをして、男から離れることにした。
 

帰りの列車の席は1号車だった。二等座と呼ばれる普通車的なシートで1人あたり54.5元(約927円)だった。北京-天津間は高速鉄道で30分だし、乗車料金も安いから、また気軽に来れるな、と思った。日本で言えば、東京-熱海間を移動しているような感じだった。ヘッドレスト部分のシートカバーに加え、車内の棚の下にも広告が貼ってあった。中国人はこういう合理性とドギツさを備えているがゆえに、たった30年で高度成長を遂げたのであろうな、と想像した。
 

上海も北京も天津も、高铁の車窓から眺める風景は似たようなものだな、と思った。基本的に中国では地震が少ないためか、住居棟は高層であることが多い。世界一人口密度の高い東京と比べれば、住居用ビルをこんなに高くする必要もないと思うが、中国人は効率性を重視して人を沢山詰め込むことに重きを置いているのかもしれない。ちなみに、南京でも同様に住居ビルが高層化しているが、ほとんどのビルが1階に電動バイク用の駐輪場と充電設備を備えているため、過充電やバッテリーの違法改造による発火で大規模な火災が頻繁に起こり、社会問題になっている。確かにビルは高層化すれば沢山のモノや人を詰め込むことが出来るし、エレベーターによる垂直移動で体への負担も減るけれども、災害時のデメリットを考えると、とても住む気にはならない。日本でもウォーターフロントの億ションを買って喜んでいる人々がいるけれど、地震と津波のリスクを考えると、安全な田舎に豪邸を建てた方が良いと、個人的には思う。
 

北京南駅には、11:45に到着した。隣に复兴号が停車していたが、改めて実物を見て、ト〇タ並みに酷いデザインだな、と思った。やはり、高速列車のデザインは、日本の新幹線が最も美しい。
 

北京南駅からは地下鉄4号線で角门西駅まで行き、10号線に乗り換えて团结湖駅へ向かうことにした。北京には何回も来ているが、三里屯へ行ったことがなかったから、1度くらい行っておこう、ということになった。
 

地下鉄内は暇だから、ベンチに座ると、どうしても向かい側に座っている乗客の足元に目が行ってしまう。ナイキとニューバランスをパクったようなERKEというブランドのスニーカーを履いている男がいた。中国人は白マスクをしているか否かで日本人だと見なす傾向にあるらしいが、中国人かどうかを判別する場合は、履いている靴がヒントになることがある。ちなみに、私の隣に座っていた男は、本物のオニツカタイガーを履いていた。
 

12時を過ぎると急に気温が上がってきて、上着1枚でないと暑いくらいだった。三里屯のある方向はわからなかったが、駅からしばらく歩くと、三里屯の位置を示す標識が見えた。一番下の標識は「雅」と「场」の文字が微かに残っていたが、何故か消されていた。おそらく雅秀市场という文字が書かれていたのだろうな、と想像した。雅秀市场というのは北京で最も有名なニセブランドをメインに扱うデパートで、一度入店しただけで、ドギツい店員たちの押し売りで嫌になるという噂を聞いていた。しかし、どんな感じの店が入店しているのか、一度話のタネに行ってみたいと思っていた。三里屯の雅秀市场は、同じ北京市内の长安街にある秀水街市场に対して、“小秀水”と呼ばれている。批发市场(卸売市場)だが、旅行者でも買うことができる。ちなみに秀水街市场は、かつて乔治·布什(ジョージ・ブッシュ)が来中した際に娘を連れて練り歩き、刺繍入りの寝間着を6着買ったそうだ。北京に来たら
“登长城、游故宫、吃烤鸭、逛秀水(万里の長城へ登り、故宮を観光し、北京ダッグを食べ、秀水街市場をぶらぶら歩く)”というのが定番らしいが、ブッシュはその通りにしたようだ。
 

三里屯に続く通りは比較的整備されていて歩きやすかった。13時になる頃であったから、昼食に出かけるサラリーマンと多くすれ違った。外国人観光客も沢山いたが、王府井ほど混み合っている感じはなく、ストレスは少なかった。歩道にはシェアサイクル置き場が随所にあり、ofo製の黄色い自転車が点在していた。mobikeはすでに福岡県に上陸しているが、とうとうofoも和歌山県に入ってくるそうだ。道路も歩道も狭い日本で中国ほどシェアサイクルが普及するとは思えぬが、自動車が減って環境が改善するならば、良いことなのかもしれない。
 

しばらく歩くと、右側にハラル料理を示す緑色の看板を掲げたイラン料理のレストランが見えた。日本では見たことがない外観で面白かったので、あとで入ってみよう、ということになった。ハラル料理は一度も食べたことがなかったから、これも話のタネになるな、とほくそ笑んだ。
 

レストランの先には売店があった。中国語では书报亭とか报刊亭などと呼ばれている。书报亭は90年代に労働者のために都市部に設置されるようになったが、最初は政府主導であったため、経営者の取り分は少なかったそうだ。しかし、市場経済が発展する2004年頃になると、地方からの出稼ぎ労働者が都市に大挙して押し寄せるようになったため、书报亭で取り扱う商品の種類も増加し、売り上げが激増したらしい。また、この頃は携帯電話を持っている人は稀であったことや、公衆電話を併設したことで、顧客が増えていったようだ。例えば、西安では、どの书报亭も月収が20000元を超えていたというから、相当に儲かっていたのだろう。しかし、2008年の北京オリンピック開催が決まると、道路工事拡張や通行障害、見た目の悪さなどを理由に、书报亭の強制撤去が始まった。これが、书报亭没落の第一波となった。2013年には郑州市(鄭州市)内全ての书报亭が撤去され、薄利多売のせいもあって、全国的に书报亭は消えつつあるようだ。最近はスマホが普及して、公衆電話を使う人も、新聞や雑誌を買う人も減っているし、無人コンビニなんかも現れているもんだから、书报亭が完全に無くなるのは時間の問題かもしれない。
 

三里屯での最初の目的地は、ロンリープラネット(Lonely Planet)という欧米系バックパッカー御用達の旅行ガイドブックで「世界で最も魅力的な10大カフェ」の1つであると紹介されていた老书虫书店というブックカフェだった。新宿あたりを歩いていると、ロンリープラネット片手に単独で行動している孤独そうな欧米人を頻繁に見かけるが、そんな人気のある本であるから、老书虫书店はさぞや素晴らしいカフェなのであろう、と楽しみにしていた。
 
 
歩道橋を渡って反対側の歩道へ下りると、シェアサイクルが異様なくらい並んでいて驚いた。きっと皆ここに自転車を停めて、三里屯周辺の仕事場や買い物に行ったりしているのだろう。なんとなく、自転車大国オランダもこんな感じなんだろうな、と思った。
 

事前に地図で場所を調べていたから、迷わず見つけることができた。まるで神田や神保町の路地にありそうな小ぶりなビルで、想像していたよりも味気ない外観だった。
 

店は2階にあるようで、階段を上って中に入った。日本の店なら「いらっしゃいませ」と店員が出迎えてくれるものだが、誰も出てこないので、適当に中を徘徊した。入口を入ると、正方形のテーブルが数個と、バーのようなカウンターが見えた。メインの部屋の奥は左右2つの部屋に分かれていて、どちらの部屋も壁一面が本棚になっていた。本は洋書ばかりだった。とりあえず、左側の部屋の真ん中にあるテーブルの席に座ることにした。窓側ではアメリカ人らしき中年女性4人が四角いテーブルに向かい合って座り、ケーキを食べながら何やら話していた。本棚近くの席にはお独り様らしき若い中国人が数人いて、それぞれマックブックやらスマホをいじってマッタリしていた。
 

座るや否や、どこからともなく私服姿の女が現れ、英語で話しかけてきた。このカフェは北京在住の欧米人の溜まり場になっていると聞いていたが、どうやら店員は英語
 
 
 
 
 
 
 
 
2015.7三里屯 试衣间不雅视频事件照片
男19
优衣库 试衣间
ロンリープラネット三里屯食药女
 
据大陆媒体《钱江晚报》报导,12月28日中午,浙江宁波鄞州区中兴路上的天伦时代广场的一个LED大萤幕上,突然播出淫秽色情视频。色情画面
 
オバハンはもう閉店したと言った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
滞在3日目は師匠一行と簋街で会食した。本当は王府井のapmにある东来顺という老舗の火鍋屋へ行こうと思っていたのだが、師匠たちが乗った飛行機が遅れて到着したため、残念ながら営業時間内に行けなかった。王府井の飲食店はどこも21~22時で閉店してしまうようだ。一方、簋街の飲食店はほぼ24時間営業だから、飛行機が遅れた場合はだいたい簋街で夕食をとることになる。師匠は久しぶりに燕京啤酒を飲めて嬉しそうだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
駅はこっちでいいのかと道を聞かれた。
乗り過ごしたおばさん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とりあえず焼香
佛香阁
 佛香阁是北京市颐和园的主体建筑,建筑在万寿山前山高20米的方形台基上,南对昆明湖,背靠智慧海,以它为中心的各建筑群严整而对称地向两翼展开,形成众星捧月之势,气派相当宏伟。佛香阁高41米,8面3层4重檐,阁内有8根巨大铁梨木擎天柱,结构相当复杂,为古典建筑精品
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ポテチを食べながらノリノリ男、自分が笑われたと思う男 
 
 
 
外国人に「英語は話せるか?」と聞かれ、「少し話せる」と言うと、「タクシー乗り場はどこにある?」と聞かれたから、「階段を上ったところにある」と言った。
 
 
 
 
 
 12点之前