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  • 我的上海日记(漫游随想录)2016夏

2012年9月某日、上海市中心部にある外灘にて。
 
 

2016、上海の旅

 

偽装牛肉

上海へ出向していた友人のS氏が、9月末に上海の高級マンションを引き払って、日本へ戻って来ることになった。S氏は高校時代からの付き合いで、数年前から「俺が上海に住んでいるうちに、1度は遊びに来いよ」と言われていた。しかし、なんやかんやで都合がつかなかったため、これまで上海行きはうやむやになっていた。
 
で、S氏が一時帰国していた8月、S氏は私の針施術を受けたあと、近所の焼肉屋で一緒に産地偽装していると思しき焼肉をつついている時、「来月、上海に遊びに来いよ」と言った。S氏の嫁と子供はすでに帰国していてマンションは蛻(もぬけ)の殻だから、夫婦で行っても泊めてくれるらしい。9月はなんとか都合がつきそうだったから、焼肉屋から帰宅したあと、早速iphoneで飛行機のチケットを予約した。自営業最大の利点は、急な用事が入っても容易に連休が取りやすいことだ。こういうこともあるから、基本的に自分の鍼灸院の予約は1か月後までしか受け付けていない。
 
それに、あまり先の予約まで取ってしまうと、万が一、何か急なイベントが入った時に患者に迷惑がかかるだろうし、予約が増えれば増えるほど管理も大変になる。世の中には「当院は予約が1年先まで埋まっています!」なんて誇らしげに喧伝し、マスゴミマスコミに「1年先まで予約が取れない名医がいた!」なんて宣伝させているゴリッパな鍼灸師も実在するけれども、私にはそういう無責任かつ危機管理が欠如したような予約法は採用出来ない。とにかく、誰しも全うに生活していれば、冠婚葬祭など、いつ急用が入るかわからぬし、その度に患者に予約をキャンセルしてもらうことはなるべく避けねばならぬ、と考えているからだ。
 
例えば、鍼灸院での施術予約が1年先まで全て埋まってしまった、と仮定してみよう。しかし、万が一院長が不慮の事故に遭ったり、急病で入院することになってしまったら、予約はどうするのであろう。考えてみれば簡単なことだが、休診を強いられた日に予約済の患者にキャンセルの電話をしなければならぬなど、面倒な対応に追われるはずだ。まぁ、ゴリッパな鍼灸師はそのような想像力や危機管理能力を持ち合わせていないのかもしれない。
 
とにかく日本の鍼灸業界には、左様なオエライ先生方が多くて、毎度のように感心してしまう。そういう鍼灸師に限って、マスコミへの露出が多かったり、ゴミ同然の著書が多かったりするものだ。そういえば、最近は患者の治療そっちのけで一般社団法人などを設立し、会員制度でアピールし、アヤシイ認定講座やら資格講座、検定試験などでコンスタントに金を落とさせ、いわゆる会員ビジネスやらライセンスビジネス、協会ビジネスなどによって、貧しくも純朴な鍼灸師を骨までしゃぶり尽くすような鍼灸師が実在するようだが、天才苫米地英人氏をもってしても、もはや彼奴らの洗脳を解くことなど不可能なのかもしれない。まぁ私にとってはどうでも良いことなのだけれども。
 
これまで中国にはほとんど縁がなかったけれども、中国針灸に興味を抱くようになってから、不思議と中国へ行く機会が増えて来た。私は鍼灸師としてはとても恵まれているなぁ、と最近強く感じる。針灸は中国が本場だけれども、日本の鍼灸師の多くは中国語も勉強しなければ、最新の中国針灸に触れようとさえしない。実際には中国針灸の方が遥かに先を行っているのだけれども、その事実を知らないくせに「私は鍼灸のスペシャリストだ!」とか、「私は鍼灸界のゴッドハンドだ!」などと自称しつつ、哀れな患者を惑わすのが昭和期から変わらぬ日本鍼灸界の常だから、もうどうにもならぬ。ゆえに日本では、中国語を勉強しているかどうかが鍼灸師におけるレベルの重要な判断基準になる。
 
もし、あなたが「こいつはアヤシイな」と思っている鍼灸師のレベルを確かめたければ、その鍼灸師に「あなたは中国語は勉強していますか」と聞いてみれば良いでしょう。「日本の方が鍼は進んでいますから!」と、顔をひきつらせながら根拠なく叫ぶ鍼灸師であれば、その存在自体がウ〇コ同然であると考えて良いかもしれない。そうそう、中国語さえロクにしゃべれぬのに「私は中国の病院を歴訪した!」とか、実際には黄帝内経さえマトモに読んだことがないのに「ウチの治療は中医学を取り入れている!」などと怪しく己を権威付けして、医師やら鍼灸師を集めて高額なセミナーなどを行っている老害も実在するかもしれないから、大いに注意が必要だ。そもそも鍼灸師として独立、開院したのならば、まずは医療者として患者の治療を最優先に活動すべきだと思うが、最近はサイドビジネスでカルトの如く悪銭を稼ぎ、本業の鍼灸治療そっちのけな輩が増えていて、何のために鍼灸師の資格をとったのかと疑念を抱かざるを得ないようなゴリッパな先生方も多い。しかし残念ながら、これが日本鍼灸界の現実だ。
 
料理人がイタリア料理の勉強のためにイタリア語を習得したり、医者がドイツ語や英語を習得して欧米の最新論文を読んだりするように、日本の鍼灸師も中国語を習得して最新の中国針灸を学ぶべきだと思うが、そういう発想が出来る鍼灸師はほとんどいない。そもそも何かをモノにしようとするならば、そのモノが発祥、発展し続けている本場から学ぶことが必要不可欠だと思うが、医者であろうと鍼灸師であろうと、中々そういう想像力がある人は少ないらしい。
 
先日も私の妻の顔に小さなイボが出来て、近所の皮膚科へ行ったら「ウイルス感染ではなさそうですね。脂漏性角化症でしょう」と診断されたのだが、まだ20代の妻に老人性のイボが出来るはずもなく、見た目も明らかに違うし、何らかのウイルス感染によるものだろうと疑っていたら、実際にその通りだった。そんな誤診で液体窒素なんか顔に使ったら、瘢痕が残る可能性もあるし、これはウイルス感染によるものだろうからレーザーを使うべきだと私は考えた。で、英語が堪能で、臨床経験が豊富な皮膚科医がいる銀座の某美容皮膚科へ行ったら、予想通り、ヒトパピローマウイルスによる感染だとすぐに診断された。この種のイボは臨床像が100種以上あるそうで、不勉強なアホ医師は脂漏性角化症だと誤診することがわかった。しかもレーザー設備がなく、液体窒素を使うくらいしか出来ぬ場合は、患者によってはレーザーを使えば綺麗に除去出来るという選択肢も知らずに、アホ医者の餌食になってしまうのかもしれない。本当に最近の医者も鍼灸師と同様、アヤシイ輩ばかりでどうにもならぬ。
 
 

 師匠ハウス

上海へ行くのは今回が初めてだった。私の師匠である浅野周先生は、「上海は街の再開発で、針灸用具店や本屋がほとんどなくなってしまったんよ」と以前から言っていた。それゆえに師匠はいつも、針灸や中医関係の買い物をする場合、北京へ行くのが常だった。しかし、再開発後の現在でも、上海には病院があり中医がいるわけで、それなりの針灸用具店も本屋もあるはずだろうから、一度そういう店を探しに上海へ行ってみたい、という思いが常々私の頭の中にあった。
 
それに、針灸用具を生産している工場の多くは南方にあり、輸送路が短いゆえに、北京よりもそれらが安く手に入る可能性もあるだろうと考えていた。何より北京へ行く半分の時間と飛行機代で上海へ行き、欲しいものが手に入るならば、遥かに都合が良い、と考えていたのだった。
 
しかし、これまで上海を開拓してきた日本の鍼灸師はほとんどおらず、情報が全く入ってこなかった。そこで今回、自分で目星をつけて、決められた時間内で上海を開拓してみることにした。何せ上海は東京の3倍も広いから、数日で回るには無理がある。こびと(私の妻)が出来たばかりの上海ディズニーランドへ行きたいと言うこともあり、実際に回れる時間は数時間しか確保出来ない感じだったから、出発前に詳細なタイムスケジュールをワードで作成して、分刻みで上海を回ることにした。
 
現在、中国では基本的にgoogle、facebook、lineなどが使えない。そんな状況をみて、日本人の多くは恐ろしい国だと言うらしいが、google、facebook、lineを使うことでCIAや隣国やらに明らかに個人情報を抜かれているのだから、「国である程度規制して国民を守る」という考え方をすれば、その方がマトモなのかもしれないと思ったりする。
 
そうはいっても、中国でgoogle mapが使えないと不便だし、中国側に情報を抜かれるのも嫌なので、筑波大学が開発した「VPN Gate 」を使って、可能な限り安全に無料Wi-Fiを使うことにした。i-phoneでvpn設定が簡単に出来るとは知らなかったが、やはりi-phoneは価格が高いだけあって、色々出来て便利である。
 
先日、大手キャリアから格安SIMに乗り変えた。普段はほとんど通話なんてしないし、Wi-Fiをメインに使っているから、大手を使うメリットがなくなったのだ。何より、毎月10000円くらいかかっていた電話代が2000円でお釣りがくるほど安くなって、年間で10万円近く経費削減出来るようになったのは大きい。これから40年以上生きると仮定して、400万円ほど節約出来ると考えれば、いかにこれまで払っていた電話代がアホらしいことだったかを実感した。以前は格安SIMだと大手に比べて通信が不安定だったが、今は遜色ないくらいに改善されている。一時的に海外で使うなら、事前にポケットWi-Fiなどをレンタルしておけば良い。東京ならコンビニや駅など、無料Wi-Fiが使えるスポットが沢山あるから、あまり困ることはない。しかし、 無料Wi-Fiの多くは通信が暗号化されておらず、通信が盗聴・傍受される可能性があるから、とりあえずvpn設定をONにしておくのが安心かもしれない。しかし実際にはvpn設定をONにすると、少し通信速度が落ちたり、うまく通信出来なくなったりして、あまり使いこなせていないのが現状だ。vpn設定についてはこのサイトが役に立った。VPN Gate の概要についてはこちらに記されている。要するに、例えば中国で使う場合は、VPNで政府の検閲用ファイアウォールを回避するようになるから、海外の YouTube、Google などの Web サイトを自由に閲覧出来るようになるのだ。さらにIP アドレス が VPN サーバーのものに変更され、暗号化されるから、インターネットで安全に情報発信をしたり、Web コンテンツを安全に閲覧出来るということらしい。
 
上海に行く前に、小菅の師匠ハウスへ行って、何か買っておいて欲しいものがあるか聞いておくことにした。ついでに針を打ってもらおうと思い、数日前にメールをしておいたが、全く返信がないので心配していたが、9/1(木)に行ってみると、長年使っていたPHSが壊れたとのことだった。どうやらK国製の携帯電話は突然壊れたり、爆発する仕様になっているらしい。今では飛行機への持ち込みさえ禁じられている。最近は格安SIMによって月々2000円も払えばスマホが使えるから、スマホにしたらどうかと師匠に勧めたが、買う気は全くないらしい。とりあえず、メールと電話が出来れば良いのだろう。ちなみにPHSは2台目らしいが、1台目のPHSは防水仕様でもないのに関わらず、2回水中に落としても使えたらしい。一体どんな状況で水中に落としたのかと思い、「便器に落としたんですか?」と聞いたら、浴槽に溜めている水を確認する時に前屈して浴槽内に落としたらしい。しかも2回やっているから、3回目もあるかもしれない。
 
とりあえず、ついでに見学しておこうと思い、持参した白衣を羽織って与太話をしながら4時間ほど見学した。見学者の仕事は基本的に抜鍼だ。師匠が刺した針をひたすら抜きつつ、刺鍼法を見学するのだ。私は他の鍼灸師に比べ、針を打つのも抜くのもかなり速いから、師匠は「あんたは針を抜くのが速いから助かるわ~」と言った。鍼は速く抜き過ぎても痛いが、ゆっくり抜くのを嫌がる人がいるし、いつ大地震が起こるとも知れぬから、それらを加味して、患者の様子を伺いつつ抜鍼の速度や、抜鍼のテンポなどを細かく臨機応変に考えるのがベストなのだが、やはりこういうモノはセンスというかある程度の経験と頭の回転の良さで差が出てしまうから、教えると言っても中々難しいモノがある。まぁ患者が多すぎて忙しい時などは、なるべく速く針を抜かざるを得ないから、チンタラ抜く余裕など無くなってしまうが。
 
師匠は治療の合間に、『内経』の翻訳文をノートパソコンに入力していたのだが、乱雑に扱える『内経』は簡体字の本しか持っていないとのことで、「ファンティーズのやつを買ってきてよ」と言った。師匠はたまに、いきなり中国語を使う。一瞬意味がわからなかったが、5秒くらいすると「ああ繁体字(fantizi)のやつですね」と答えた。どうも師匠は私が出雲弁と中国語を多少ながら解せることを知っている安心感からか、日本語の標準語、出雲弁、北京語をちゃんぽんして話すから、傍からみたらわけがわからぬ会話に見えることがあるかもしれない。師匠はまた、「あと面白い本あったら買ってきてよ」と言うので、「ギャク漫画ですか?」と答えると、「針灸のやつ!」と言った。
 
 

出発5日前

私はディズニーランドなど興味がない。だいたい一般的な男は一度行けば満足だろうと思う。あんな少女マンガ的な世界観を純粋に楽しめるのは、やはり子供や後家相のない女子くらいだろうと思う。師匠は千葉県にあるのに東京と自称するディズニーランドに行った際、園内で読書をして過ごしたらしいが、私もそれと似たような人種だ。しかし、まぁうちのこびとがどうしても行きたいと言うし、こうやってディズニーへ行った記録でも公開すれば、当ウェブサイトの強烈なSEO対策にもなり得るから、今をときめく上海ディズニーランドへ行くことにした。
 
上海ディズニーランドのチケットは事前にネットで購入しておいた。値段は大人2人分で998元だった。この時点で1元=約15円だったから日本円にすると14970円くらいだ。1人あたり7485円だから東京ディズニーランドと大して変わらなかった。平日だったらもっと安かったと思う。
 
夏休みが終わっていたから混雑は緩和されているだろうし、現地で当日券を購入出来そうだったが、万が一購入出来なかったら予定が狂うから1ヶ月ほど前に公式ウェブサイトで購入しておくことにしたのだ。ウェブサイトは当然中国語か英語表記だから、どちらかの言語が理解出来なければ購入は難しいかもしれない。言語の問題がクリア出来たら、あとはクレジットカードがあれば購入出来るはずだ。当然返信メールが受け取れるメールアドレスが要る。
 
某サイトには「チケットが購入できたらMy Ticketsを開いて購入済みチケットを確認してみる。チケット番号が表示された引換券(eチケット)を自宅で印刷しておく。」などと記されていたが、結局、チケット番号が表示されることはなく、引換券なぞ印刷出来るページなんて存在しなかったから、購入済の証明になりそうなページを印刷して持参することにした。最近は誰でもネットで情報を発信出来る分、わけのわからぬ情報も多い。何でもかんでも真に受けて情報を鵜呑みにしたら、色々と落とし穴にハマって失敗するかもしれない。全く恐ろしいことだ。
  


 入園予定日の5日前になると、上海ディズニーランドからカウントダウンメールが届いた。英語版と中国語版の2種類のメールが届いた。宛名が中国や英語だと反射的にフィッシング詐欺のメールかと思ってしまう。これは年間パスポートを買い続けているようなファンにはたまらない演出かもしれない。
 
 

1日目(出発日)

 
今回はツアー会社を通さない完全なフリーツアーだった。上海までの飛行機はLCCの春秋航空にした。LCCには一度どんなものか乗ってみたかった。春秋航空は格安航空会社にしては遅延が少なく、サービスもまぁまぁらしい。欠航したら高くつくリスクはあるけれども、何より片道8000円から上海へ行けるのは魅力だった。上海行きの春秋航空は東京からの最寄だと茨城空港だけだから、茨城空港まで行かなければならなかった。成田へ行くのと同じくらい面倒だと思われたが、茨城空港発着の航空チケットまたは飛行機を利用することを証明出来るものを持っていれば、東京駅から出ているリムジンバスに片道500円で乗れるから、実質的には片道9000円くらいで上海へ行けるのだ。
 
午前中の治療を終えて、すぐに電車に乗らなければならなかった。茨城空港行きのバスは15:20発だったので、14時ころまでに東京駅へ着くように出発した。
 
大きな被害を出した台風16号が去り、前線の影響で朝はわずかに雨が舞っていたものの、午前の営業を終えて出発する頃には晴れ間が見えていた。気象庁の当初の予想では、台風16号は23日に関東に直撃するという予想だったが、またもや予想が外れ、21日には台風は温帯低気圧に変わり、東京は残った前線の影響で少し雨が降るくらいで済んだ。こびとは台風で飛行機が飛ばなくなるのではないかと心配していたが、やはり私が晴れ男ゆえか、またもや無事に出発することが出来そうだった。そうは言っても、台風の時期に代替便のない格安航空を利用するのはリスキーなので、次回からは大手の航空会社を利用しようと思う。予報によれば、週末の上海は快晴らしい。日中の気温は20度前後で、朝晩が少し冷え込むようだから、上着を1枚羽織っておけば大丈夫だろうと考えた。
 


13時30分頃、東京駅に着いた。バスが発着している八重洲南口へ出て、予めバス停の場所を確認しておくことにした。バス停の場所を確認してひと安心したら、バスが来るまでしばし地下街と大丸を冷かして、近くのカフェで待機することにした。春秋航空では機内食が出ないから、大丸で夕食用の弁当を買っておくことにした。産地のアヤシイ弁当が多かったが、しかたなく某洋食屋の弁当を買った。
 
バス乗り場の斜め向かいには待合所があったが満席だったし、あんな場所で1時間以上も過ごすのは嫌だったので、隣にあったワッフルカフェへ入ることにした。1Fはテイクアウト用のワッフルの販売と、簡単なジュースが飲めるカウンターがあり、2Fは軽食が食べられるカフェになっていた。1Fは狭くて長居しにくそうだったので、2Fへ上がることにした。2Fのカフェは感じの良い20代くらいの女性店員が2人いて、1人がキッチン、1人がホールとレジ担当、という具合だった。料金は先払いとのことで、ワッフルにハム、チーズ、レタス、トマトを挟んだサンドイッチみたいなものとクラムチャウダーのセット、アイスティー単品を注文した。ワッフルサンドはあまり美味くなさそうだと思ったが、食べられる軽食はそれくらいしかなかった。
 

店内は6割くらいしか席が埋まっておらず、東京駅最寄のカフェにしては穴場のようだった。スーツケースは店員がレジの前で見張っておくとのことだったが、カウンターは中ぐらいのスーツケースがちょうど入る高さだったので、荷物はすべてテーブルの下に入れておくことにした。
 
後ろの席ではスーツ姿の男が3人座っていて、片言の英語でビジネスの話をしていたのだが、外国人らしき男の声質が不快な上に声が大きかったので、みな迷惑している様子だった。10席くらいあるカウンター席は半分くらい埋まっていて、私の隣では女子大生らしき女2人が電子辞書と英語が書かれた書類を広げて、勉強していた。
 

しばらくすると注文したものが運ばれてきた。カウンターからの眺めはあまり良くなかったが、特にやることもないので、アイスティーをチビチビ飲みながら、階下を過ぎ行く人々をボーッと眺めることにした。それから10分ほど経つと、英語で喧しく話していた3人がいなくなり、店内が静かになった。ワッフルサンドはこびとと半分ずつ食したが、あまり美味しいと感じなかった。ワッフル生地と野菜、チーズのマッチングが良くなかった。
 
何だかんだで1時間が経過したので、外へ出て、バス停へ向かうことにした。ワッフルカフェのすぐ横のバスの待合所の奥にトイレがあったので、とりあえずトイレへ行っておくことにした。
 
 

15:20発のバスはすでに到着していて、20人くらいの乗客が並んでいた。列は2種に分かれていて、予約済みの乗客はバス側の列に、予約をしていない乗客は少し離れた場所に並ばされた。予約表が挟まれたA4のバインダーを片手に、忙しく客を仕分けているのは日本語が流暢な中国人のオバハンだった。客の9割が中国人のようだった。案内係のオバハンが私に予約してるか聞いてきた。かなり流暢な日本語をしゃべるオバハンだった。時折、「予約してない人は左に並んでください!」と中国語で叫んでいた。予約済みの客でほぼ満席になりそうだったから、おそらく座れない人もいるだろうとな思った。予約済みの中国人はバスの荷室へ、我先にと荷物を放り込んでいた。
 
私はネット予約済みで、オバハンに名前と予約番号を告げると、右側に並ばされた。予約済みの客が先にバスに乗り、席が余っていたら予約なしの客が乗れる、という塩梅だった。出発10分くらい前になると、乗車が始まった。運賃は後払いらしい。席は自由に選べた。なるべくDQNそうな輩から離れた席に座ることにした。席に座ると、強烈なトイレの芳香剤のような臭いがした。臭いのは誰だろうと見回してみたら、窓に備え付けられたカーテンが悪臭を発していたことがわかった。おそらく、強烈な香水をつけていた外国人の臭いが布に染み込んでいたのだろうと思った。
 
しばらくすると、予約なしの客が順番に入ってきた。通常のシートはすぐに埋まってしまって、ナイキの黒いジャンバーを着た中国人のジジイが、アイヤーと言って息子が下した補助席に座った。息子が荷物を上の棚に置けと言うと、ジジイは言われるままに荷物を棚に上げた。もはや、老いては子に従えの通りのジジイだった。
 

バスは定刻の15:20に発車した。小雨がちらついていた。バスはすぐに首都高に乗ったが、渋滞していた。スカイツリーは上層が雲に隠れていた。1時間くらい走ると、みな寒いのかエアコンの送風口をいじり出していたが、なぜか風量が調整できないようだった。私も寒くなってきたのでいじってみたが、やり方がわからなかった。車やバイクを分解整備出来る人間がわからないのだから、アホな作りであることは確定だと思った。
 
それから30分くらい走って、三郷の料金所を過ぎる頃には雨が止んできた。交通量も減ってきたから、バスは順調に走り出した。私の斜め左前に座っていた赤ちゃんが何かというでもなく、ずっと私の方を見ていた。何かをムシャムシャと食べていた中国人はみなすでに眠りに落ちていたが、赤ちゃんは全く眠る気配がなかった。とりあえず赤ちゃんは比較的大人しくしていた。赤ちゃんが何かにつけて私をみてくるもんだから、落ち着かなかった。どうやら私以外の乗客は、ほとんどの人が寝ているようだった。最近は走行中に運転手が突然意識を失ったりする事件が多いから、念のためミラーに映る運転手の姿を確認しておいた。運転手は時折、右手で耳の穴をほじくったりして、余裕シャクシャクな感じだったので安心した。
 

バスは茨城県内に入ると、高速道路を下りて、一般道に入った。東光台あたりにくると、国道沿いは空きテナントや空き家が多く目立って見えた。島根の松江よりも寂れているように感じたのは、物件数が多いわりに、空き家が多かったからかもしれない。福島の原発事故の影響で過疎が進んだのだろうか、などと思いながら、車窓から寂れた風景を眺めた。茨城と言えば納豆と坂東太郎くらいしか思い浮かばないし、今後も訪れる機会はないだろうと思った。何せ東京に住んでいるとほとんどのものが揃ってしまうから、特に用事がない限り、地方へ出かける機会がない。
 

バスは予定よりも15分ほど遅れ、17:15に空港へ入った。駐車場には沢山の車が止まっていて、これを見た中国人の女の子が「なんであんなに車が沢山あるの?」とか「雨が降ってきたね」と中国語でつぶやいていた。降車時、バスの運転手に航空チケットを予約済みの紙かチケットを提示した客は、運賃が500円になった。
 

茨城空港は、予想通り小さかった。出雲空港をさらに一回り小さくした感じだ。成田空港や羽田空港に慣れていると、拍子抜けするかもしれない。客もまばらで、春秋航空のチェックインカウンターが開いていなかったから、一層寂しく感じた。チェックインカウンターが開いていないのに、すでにスーツケースを置いて場所取りをしている中国人がいた。チェックインカウンターの前には秤が置いてあった。LCCは荷物の重量をシビアに計測するから、チェックインする前に量る人がいるのかもしれない。ちなみに茨城空港ではスカイマーク、春秋航空、V-airの3社が就航しているが、台湾のLCCであるV-airは2016年10月1日に全便の運航を停止するそうだから、この看板は何れ変更されるのだろう。
 

春秋航空は成田に本社があるSpring Japanと、上海に本社がある春秋航空股份有限公司があり、基本的には中国の会社が経営している春秋航空の方が手荷物についてうるさいらしい。機内持込手荷物+受託手荷物=合計15KGまでで、少しでもオーバーするとシビアに超過料金を取られるらしい。特に機内持込手荷物は20cm×30cm×40cmの大きさまでだから、20L程度のデイパックでないといけない。重さは5KGまでだから、結構厳しいものがある。そんなわけで、仕方なくアマゾンでKarrimor(カリマー)製のTATRA20 を購入した。私はKarrimorの ridge 30を10年ほど使っているが、軽くて丈夫だから愛用している。何より大荷物を入れて長時間背負っても肩が痛くなりにくい。ペットボトルを入れるサイドポケットはすぐにユルユルになるから改善の余地があるけれども、deuterのように肩が痛くなることはないし、GREGORYよりも機能性が高い。とにかく、私の体にはKarrimorがシックリくるらしい。
 

チェックインは18:20からとのことで、エスカレーターで2Fへ上がって休憩場所を探すことにした。エスカレーターを上がると、すぐ左手にフードコートがあった。50人くらい入れそうだったが、10人くらいしか客がおらず、テーブル席はガラガラだった。カウンター席には個別包装になったウェットティッシュが数か所に配置されており、「免费(無料)」と中国語が書かれていた。中国のレストランではおしぼりやウェットティッシュが有料であることが珍しくないから、わざわざそう書いてあるようだった。しかし大量に持っていく中国人がいるためか、どれも空っぽだった。
 
一番端のテーブル席に座り、大丸で買った弁当を食べることにした。この休憩スペースでは持ち込みの弁当を食べても問題ないらしい。他に数人しか客が座っていなかったから、静かで良かった。しかし弁当が不味すぎてキレそうになった。その店で一番のおすすめだという弁当だったが、特にハンバーグが激マズで、吐きそうになった。私が「こんなクソ不味い弁当食ったのは初めてだ」と文句を言うと、こびとも同意した。かつて、吉祥寺通りに「ア〇ア〇弁当」という怪しさ250%の弁当屋があったけれども、あそこの弁当とどちらが不味いだろうかと考えた。
 
しかし、不味いと言って捨てるともったいないお化けが出る可能性があるから、何とか完食した。ちなみに、この弁当を食った直後から胃腸が不快になり、1週間くらい便秘になった。全く恐ろしい弁当があったものだ。闇組織や秘密結社の陰謀だろうか。しばらく休憩して、18:00にチェックインカウンターへ並ぶことにした。
 

1階へ降りてチェックインカウンターの前へ行くと、予想通りスーツケースだけが30個くらい並んでいた。これが中国式のやり方だ。みなスーツケースだけ置いて、どこかへ消え、時間ギリギリに戻って来る魂胆らしかった。スーツケースから離れ、ベンチに座ってテレビの相撲中継を眺めながら、りんごを丸かじりしている中国人のBBAがいた。中国人はどこでも果物を丸かじりする習性がある。私も「When in Rome, do as the Romans do.」で、スーツケースだけを置いておこうかと思ったが、チェックインカウンターに春秋航空の職員が集まり始めていたので、ちゃんと並んでおくことにした。
 
カウンターは飛行機が出発するちょうど2時間前の18:20に開いた。スーツケースを置いたまま戻ってこない中国人が数人いたが、やはり人がいないと並んでいるうちには入らないらしく、みな放置されたスーツケースを端に蹴飛ばして、どんどん前へ進んでいった。格安チケットゆえか、ガラの悪いジジイがいて、家族で行列に割り込んでいた。
 
荷物の重量が少なかったこともあって、チェックインは呆気なく終わった。手荷物の大きさは目視で判断されるだけで、細かく大きさを測られることはなかった。保安検査の前にトイレへ行っておくことにした。トイレの通路にある掲示がわかりにくかったため、間違えて女子トイレへ入りそうになりBBAが驚いていた。
 
保安検査も一瞬で終わった。成田空港に比べるとかなりユルかった。こびとがゲートのブザーに引っ掛かり、ボディーチェックを受けていたが、結局何の金属にブザーが反応したのかは調べられなかった。茨城空港のセキュリティーチェックは本当に大丈夫かいなと不安になった。保安検査の次は出国審査で、窓口が2か所あったが、1か所は中国人客が何やら揉めていて、検査官が酷く怒っていた。もう1か所の窓口へ行くことになったが、これまたユルい感じの検査官で、通常は眼鏡を外せとかカメラを見ろとか言われるものだが、彼は私の顔を見もせずに、黙って判子をペタンと押して、出国が完了した。
 

待合室はあまり広くなかった。通常、この程度の規模の空港の待合所には少しの土産物と軽食、飲料水などを置いた売店が設置されているものだが、ここの待合所には水筒や炊飯器、水素水生成器などを置いた免税店が設置されていた。売店は明らかに中国人観光客向けで、食物の類はほとんど置いておらず、嗜好品のタバコや炊飯器、水素水精製機などの電化製品が売られていた。炊飯器には10万円近いものがあった。とりあえず飲み物は待合所の端にある自動販売機で買え、ということらしかった。販売機は5つほど設置されていた。機内では全てが有料だから、水を2本買っておいた。トイレ手前には水道があり、空の水筒を持った中国人が数人並んでいたが、自動販売機でアップルジュースを5本くらいまとめ買いしている中国人もいた。
 

待合所の所々に中国語の表記があり、まるで中国国内の空港のようだった。おそらく台湾のV-airが撤退したことは、中国人頼みらしき茨城空港にとっては大きな痛手だろう、と考えた。機内で食事が出ないためか、大半の中国人はベンチに座りながら飯を食っていた。となりのベンチでは、中国人の子供がノートパソコンで中国語字幕のポケモンをみながらスナック菓子を食っていたが、ポロポロとこぼしながら食っていたため、椅子の座面が物凄く汚れていた。しかし親は全く気にしていない様子だった。19:35になるとCAが搭乗の案内を始めたが、英語はかなり早口かつ雑で聞き取れないほどだったが、中国人に媚びているからか、中国語の放送は丁寧だった。
 

しばらくして、ようやく搭乗が始まった。待合所を出て横断歩道を渡ると、すぐそこに飛行機が待っていた。エアバスの機体と、お世辞にも洗練されているとは言えない筆記体のロゴが相まって、外観は昭和を彷彿とさせた。若干不安がよぎったが、自分で選んだ激安チケットだから、覚悟を決めて乗り込むしかなかった。
 

ノーマルシートだとシート間が狭いという話だったので、数百円追加して、グレードの高い席を選んでおいたのだが、それにしても狭かった。このシートに座って余裕があるのは、おそらく身長175cmまでだろう。私のように身長が180cmを超えているとキツかった。
 

出来るだけ乗客を詰め込んで何度も飛び、利益を出すのがLCCの基本的なやり方だから、シートの間隔が狭いのは当たり前で、モニターもないから音楽も映画も楽しめないし、機内食もドリンクサービスもない。こういう純粋に移動のために乗るだけの機体だと、良いとこ3時間くらいが限界だろうと思う。特に春秋航空などの中国機では、飛行中はスマホやタブレットの電源も完全にOFFにしておかないといけないから、映画や音楽を楽しみたければノートパソコンや専用のオーディオプレイヤーを持ち込むしかない。乗り慣れているらしい3割くらいの中国人乗客は、ノートパソコンを持ち込んで動画を楽しんでいた。シートポケットに備え付けられていたパンフレットは、中国らしくボロボロだった。
 
全ての乗客の搭乗が完了すると、CAが安全確認の説明を始めた。しかし説明の途中で突然立ち上がるジジイや、大音量で動画を観続けるBBAがいた。CAは男性1人と女性1人で、そういったDQNな乗客に声をかけるものの、注意の仕方がユルいもんだから、CAがいなくなった途端にまた事を始める輩もいた。通常離陸時は、JALやANAだと手荷物は頭上の棚に入れるか、座席の下に置くように注意されるが、春秋航空では全く注意されなかった。
 
離陸してしばらくすると、機内販売が始まった。まるでCS放送や地上波の深夜に流れている大袈裟な通販番組のようだった。男のCAが慣れた感じで、マイクを片手に商品説明をしてゆくのだが、嫌味がなく上手だった。商品は主に日本製の化粧品や、サーモスの水筒、美顔器、電気シェーバー、炊飯器などだった。どれも日本で買うより高いようだった。電気シェーバーは金色の塗装が施されていて、明らかにフィリップスのパクリらしきトリプルヘッドだった。サーモスの水筒は260元(約3900円)くらいだった。
 
後ろに座っていたBBAが、離陸してから2時間近くもマシンガントークをしていて喧しかった。機体は比較的安定していたが、隣のジジイが煎餅を食らう臭いや、背部から漂うラーメンみたいな臭い、ドギツイ香水の臭いなどがして、あまり快適ではなかった。しかも節電のためか照明が落とされていたから、雰囲気は尚更宜しくなかった。
 
CAは営業トークを終えると、入国カードを配り始めた。LCCでは配ってくれないと思い込んでいたから助かった。夜遅い便の場合、空港へ着いたらすぐに入国審査の行列に並ばねばならない。ゆえに入国カードを事前に書いておかないと、結構なロスタイムになったりするのだ。
 
着陸30分くらい前になると、CA主導の機内体操が始まった。春秋航空オリジナルの体操のようだった。「皆様お疲れでしょう。体操しましょう」というアナウンスが流れた。先頭に立っているCAの動きを真似ながら、アナウンスに従ってイーアーサン、イーアーサンと様々な体操をした。アナウンスは中国語と英語であったが、元来中国人は巻き舌やウムラウトが出来るから、日本人CAより遥かに流暢であった。周りを見回すと、体操をやっているのは我々日本人と中国人BBAくらいだった。「太阳睛明を推しましょう」などと言っていたが、これはツボの名前だ。素人は「太陽はどこなんだろう」と思うかもしれない。体操が終わると、予想外にも少し体が楽になった気がした。こびとは「気のせいじゃろ」と言った。
 
体操が終わるとCAは着席し、飛行機は着陸態勢に入った。そして、「これから着陸するまで、一切の電子機器のスイッチは入れないで下さい。万が一スイッチを入れていることが発覚した場合、中国の〇〇法により、禁固刑や罰金を科せられる可能性があります」という機内アナウンスが流れた。しかし、この放送が終わるや否や、「ピロリン」というiPhoneのメール受信音が聞こえた。どうやら斜め左向こうの列に座る40代前後のキチガイ男が、お構いなしにメールを受信しているらしかった。すでに飛行機は下降を始め、機体が傾いて機内には緊張感が漂っていたが、嫌がらせのようにピロリン、ピロリンという音が何度も聞こえた。電波の障害によって墜落する可能性はゼロではないわけであって、誰もピロリン男の無謀を止めることは出来なかった。もし、私に北の大将軍様ほどの権力があったら、このピロリン男に向かって中国語で「开枪~!(kai qiang、撃て~!)」と即刻叫んでいただろう。
 
 

飛行機は無事にランディングしたものの、タイヤを出して機体が止まるまでに15分くらいかかった。LCCは空港の僻地に追いやられるのが常だから、着陸しても、しばらく車のように滑走路を走らねばならないのだ。車と違ってサスペンションが無いもんだから、停止するまでの揺れが酷くて、若干気分が悪くなった。しかも、そこかしこから不快なピロリン音が聞こえてくるもんだから、交感神経が刺激されて、余計に気分が悪くなる感じがした。最近はどこでもピロリンさせるマナーのない輩が増えているが、マナーが守れぬなら、処罰を厳重にするしかないのであろう。以前、某噺家が「まずは死刑廃止論者を死刑にすりゃあいいんだよ」というようなことを言っていたが、確かに今のご時世を考えると、そういうことも必要なのかもしれないと思ったりする。
 
 

上海空港は広すぎた。飛行機が空港内の最僻地に止まると、我々はバスに乗り換え、10分くらい走ってやっと降ろしてもらえた。車内では中国人BBAが大声で通話していて五月蠅(うるさ)かった。中国ではどこに行ってもこんな感じで喧しいが、みな寛容だ。入国審査の列は少し混んでいたが、比較的スムーズに入国出来た。上海は検査窓口も多く、北京よりも通過する速度は速いように感じた。
 
荷物の受け取り場所へ行くと、すでに荷物が出てきていた。これも北京より早かった。荷物のX線検査は行列していたが、なぜか途中から機械に通さず素通り出来るようになった。機械が壊れたんだろうか、全く適当な国だと思った。しかし実際には、検査官から注意された人だけが荷物をX線へ通すようになっていたらしく、それを知らぬ人が通し始めたのをきっかけに、みな一様に通していたらしい。そんなわけで、その後はみな荷物をX線に通さず、素通りするようになったというわけだった。ちなみに北京空港ではX線は必ず通すようになっている。おそらく北京は首都だから上海よりもセキュリティが厳しいのであろう。
 

すでに23時を過ぎており、終電は終わっていたから、タクシーで友人宅へ向かわねばならなかった。1Fへ降りてしばらく歩くと、すぐにタクシー乗り場が見つかった。自動ドアを抜けて右に出ると、すぐにタクシーを待つ客の行列が見えた。最後尾へ辿り着くまで20mくらいの距離があったが、「TAXI,TAXI」とか、「スイマセン、タクシー」と怪しい英語や日本語で話しかけてくる黑车(違法タクシー)の運転手が10人くらいうろついていた。奴らはタクシー乗り場を隔てる柵までしつこくついて来たが、無視していれば勝手に離れていくようで、相手にしないのが無難なようだった。もし、ついて行ったら、ぼったくられたり、犯罪に巻き込まれる可能性があるだろう。上海は比較的安全だとは言っても、油断は出来ないようだった。空港の入口には警備員が立っていたが、見て見ぬふりを決め込んでいた。
 

タクシー乗り場には、優に100人以上が行列していた。まるで、東京で電車が止まった時の混雑に似ていた。しかし、5秒ごとくらいに次々とタクシーが到着していたため、少し並んだだけで、すぐに乗ることが出来た。一体、上海空港には1日に、のべ何台のタクシーが乗り入れているのだろうかと考えた。数千台はくだらないかもしれない。上海の常住人口は2000万人を超えているらしいが、外から出入りする人の数も含めれば、東京の倍くらいのスケールなのかもしれない。
 

上海で走っているタクシーは北京と同様に、ほとんどが旧型のB2パサート(「鉄仮面」の世代)だが、B4やB5世代のパサートも多く走っていた。しかし、VWとは言っても純粋なVWではなく、中国との合弁会社によるモノだから、ドイツ国内で正規に販売されているモデルとは異なる「パサート風」のパサートが多かった。聞くところによると、見た目は完全なVWであっても、中身は極めて中華色が濃厚だとかで、故障も少なくないらしい。まぁ長年VWに乗ったり、分解整備してきた人間に言わせれば、VWはドイツ本国で作られていようが、相対的に見ても、とにかく故障が多いのは事実だ。ゴルフ4世代でもドアロックアクチュエーターが壊れてドアが開かなくなるとか、2万キロしか走っていないのに電動ファンモーターが壊れて突然走行不能になるとか、日本車ではありえないような故障が未だ無くならない。そんなことを考えると、中国のVWも大差ないのかもしれない。
 

上海空港に乗り入れていたタクシーの5台に1台くらいは、黄色のトゥーラン(「强生」という会社)だった。出来ることならトゥーランに乗りたかったが、紺色のパサート(「申花」という会社)が来た。この時には知らなかったのだが、現在、上海には「4大タクシー会社」とされるタクシー会社があって、大众出租强生出租(2011年に巴士出租と合併)、锦江出租海博出租(2005年に「农工商」から「海博」に改称)の4社は最大手で、比較的安全だと言われている。上海にはその他にも中小のタクシー会社が乱立していて、中規模では"八国联军"と呼ばれる紺色の車体の蓝色联盟 、小規模では紅色の車体の法兰红联盟が存在するそうだ。上海市郊外ではオレンジ色の車体の嘉定奉贤、松江、青浦、宝山、金山など色々な会社があるらしい。


上海市では2014年8月1日に『上海市查處車輛非法客運若干規定』と『上海市查處車輛非法客運辦法』を実施し、違法タクシーの取り締まりを強化したそうだが、この法律が施行されてから1週間で186台の「黑車(白タク)」と、25台の「克隆出租車(クローンタクシー)」を検挙し、8月10日には華東拆車場(スクラップ場)にて350台の「克隆出租車」を処分したそうだ(原文網址:https://read01.com/78J5jd.html)。画像をみればわかる通り、克隆出租車とは、正規タクシーを完全コピーしたニセタクシーのことだ。画像右が偽物、左が本物だ。そういえば、広東省だかでは公共バス(公交车)の完全ニセ車両が走っていて、地元民でも気が付かないで乗ってしまうらしい。
 

で、私とこびとが乗った「申花」という会社のタクシーは、ネットで調べてみると、どうやら蓝色联盟 に属するようだった。しかし、蓝色联盟ならば社名灯に「蓝色联盟」と記されているはずだ。もしかしたら個人タクシーなのかもしれないが、実際にはわからない。しかし確実に言えることは、「乗ってはいけない」部類のタクシーだったのだ。

上海初体験の我々はそんなことを知る由もなく、係員に促されて否応なしにインチキタクシーに乗ることになった。運転手のジジイは痩せ形で背が低く、浅黒く、無愛想だった。ジジイが運転席のスイッチを押してトランクを開けたので、スーツケースを載せようとトランクの中をみると、トランクにはサトウキビのような植物が入っていた。私が一瞬スーツケースを入れるのをためらうと、ジジイが「没关系,没关系(大丈夫、大丈夫)」と言ったので、サトウキビの上から適当にスーツケースを押し込んだ。この時点では、特に嫌な感じはしなかった。

運転手のジジイが「どこへ行くのか」と問うたので、「长宁区芙蓉江路388弄へ行きたい。水城路と天山路の交差点のあたりだ」と言うと、ジジイは「じゃあ水城路と天山路の交差点でいいか?」と言ったので、「それでいい」と答えた。

空港出口はかなり混雑していた。3列くらいに並んでいるタクシーが1列になって、空港出口にある検査所を通過しなければならなかったから、どのタクシーも互いにクラクションを鳴らし道を奪い合っていた。検査所では、係員が車のナンバーと走行距離をチェックし、不正の防止に努めようとしているらしかった。空港のタクシー乗り場には主要ホテルまでのおおよそのタクシー料金を表示しているが、客とトラブルになった時に、走行距離などの情報が役に立つのかもしれないな、と思った。ちなみに、タクシー会社のコールセンターではGPSにより、上海市内を走る全てのタクシーの位置を把握しているらしい。ゆえに何か運転手とトラブルになったり、苦情があったら、コールセンターに電話するのも一手らしい。とりあえずは「你绕远了吧?(遠回りしただろ?)」とか、「我去投诉(クレームの電話するよ)」と言うフレーズを覚えておけば、役に立つこともあるかもしれない。 まぁ逆上する運転手もいるだろうから、状況によって臨機応変に対応しなければならぬと思うが。

空港を出て高速道路へ入ると、道がガラガラに空いていたもんだから、ジジイはアクセルを強く踏み始めた。こびとが怖い怖いと言って安全带(シートベルト)を左から引っ張り出したが、シートベルトを接続するバックル部分が見つからなかった。どうやら、シートの下に埋もれているか、欠損しているらしかった。万が一このスピードでクラッシュしたら、ポーンと車外に放り出される可能性があったから、手で上体を固定し、踏ん張るようにして座っていることにした。ジジイは無言で、狂ったようにアクセルを開けているもんだから、すでに速度は時速160kmに迫っていた。VWとの合弁会社とは言え、一応はドイツ車みたいな中華車だから、150kmを超えても車体は安定していた。しかし、ジジイはこの速度域でウインカーを出さず、カーチェイスの如き様相で蛇行しながら、他車をゴボウ抜きするというキチガイ走行をしていたから、感覚的には「実録ワイルドスピード」という感じだった。とりあえず、i-phoneで動画を撮影することにした。
 


しばらく高速走行を続けていると、突然メーターの照明が消えた。まさかジジイが私の撮影に気が付いて、速度が見られないように、意図的にメーターを消したのかと思ったが、私が知る限り、メーターの照明はインパネ全てのイルミと連動しているはずで、改造しない限りそんなことは不可能だろうと思った。この瞬間から、私は密かに「この車はヤバいんじゃないか」という、モヤモヤとした疑念を抱き始めた。


30分くらい走行すると道路の分岐点に来たが、ジジイが選んだ順路は工事のため封鎖されていた。ジジイは速度を落としつつ、恨めし気に何かつぶやきながら、道路を塞いでいるパイロンを横目に一般道へ下りることになった。
 
高速道路を下りると、片道5車線の交差点が見えてきたが、突如として車体がブルブルと震え出し、驚いたジジイは右方向へ急ハンドルを切り、一番右端の右折レーンに車を寄せた。それまで狂ったように走っていた似非パサートは、事切れたように動かなくなった。ジジイは何度もキーを回していたが、再びエンジンがかかる様子はなかった。キュルキュルとセルモーター、スターターが回る音がしなかった。90年代に生産されたワーゲンにはメジャーなトラブルとして、イグニッションスイッチやパワーサプライリレーの故障があったが、そんな感じの故障に似ていたが、走行中に突然メーターの照明が落ちたのはバッテリーかオルタネーターの不具合のようでもあった。とにかく、ライトや一部のインパネの照明は点いていたから、全くわけがわからないような故障だった。シリンダー内のピストンが曲がって圧縮がなくなった停まり方のようにも思えた。

ジジイはバツが悪そうに、小さな声で「欸?坏了,坏了(あれ?壊れた、もうダメだ)」とつぶやきながら数回キーを捻っていたが、信号が青に変わると、後ろで停車していたタクシーがクラクションを鳴らし始めた。するとジジイは外へ飛び出し、自分のタクシーを追い抜こうとしていたタクシーを呼び止めた。ジジイはその運転手に何か合図すると、自分のタクシーのトランクに載せていた我々のスーツケースをそのタクシーのトランクへ放り込み、大きな声で「奴らを乗せてやってくれ」と言った。客を放置しないとは、まぁマトモなところがあるジジイだなと思い、「会計はどうするんだ」と私が聞くと、ジジイは「200元だ」と言った。そこで私は100元札を2枚渡そうとしたのだが、私もイラついていたもんだから、間違って10元札やら5元札も数枚重ねて渡してしまった。ジジイは奪うようにして取った金を握りしめて放さなかったが、私がちょっとその札を見せろと言うと、ジジイは車からレシートを取り出してきて、「この料金だからこの金は返さない」と言った。レシートを見ると198元と記されていたが、私もちゃんと内容を見ていなかったので、それが深夜料金を含んで198元なのか、198元の二割増しが正規料金なのかはわからなかったが、ジジイの主張は後者のようだったし、何よりもジジイはタクシーが壊れて哀れに見えたので、小銭はくれてやることにした。
 
上海のタクシー業界は儲からないらしく、1日走っても赤字になることがあるそうだ。で、割増料金を取れる深夜帯に出来るだけ稼いでやろうと、猛スピードで客を運んではまた別の客を拾う、という止むを得ない状況が出来上がるらしい。しかし、そうは言っても、あの速度で暴走してクラッシュしたら、乗客は即死する可能性があるわけで、ジジイを情状酌量することは許されないのであろうが、憐み深い私はとりあえず代車を手配したジジイを評価して、許してやることにした。
 
そういえば、上海では2009年に韓国人観光客を乗せた、上海最大手の大众出租のタクシーがバスと衝突する死亡事故を起こしている。ネット上で「ボディが水色の大衆タクシーは、上海で一番登録台数の多いタクシー会社で、上海一優秀です」などと言っている自称上海通の日本人も少なくないようだが、私個人としてはタクシーにはなるべく乗らないのが賢明だな、と今回の件で実感した。確かにマトモなタクシー運転手もいるが、キチガイ同然のタクシーも実在するわけで、地下鉄やバスに乗れる状況であれば、あえてタクシーを選ぶのはリスキーかもしれない。立花聡氏は上海でのタクシーの利用について、以下のように提言している(http://www.tachibana.asia/?p=3932)が、確かにその通りだと思う。 


 (1)タクシーの運転手に、「スピード落とせ」と何回も何回も言い、スピードを落とさせる。
 (2)なるべく助手席に乗らない。乗った場合必ずシートベルトを着用する。
 (3)乗車中に居眠りせず、周りの交通状況を絶えずに確認し、危険の早期発見に努める。
 (4)乗車中に運転手に話かける(情報の仕入れだけでなく、運転手を居眠りさせない意図も込められている)


次に乗ったタクシーの運転手は、パッと見た感じでマトモだとわかった。行き先を告げると、さっきのジジイと同様に「交差点まででいいか」と言ったので、「いい」と答えた。ジジイは終始上機嫌で、中国人歌手のCDを聴きながら歌を歌っていたが、歌がサビの部分に差し掛かるや否や、ジジイはさらに音量を上げて、熱唱し始めた。
 

 

ジジイは時速60kmくらいの安全運転で走り続けた。市街地を20分くらい走ると水城路に入り、天山路との交差点に着いた。一時はどうなるかと思っていたが、事前にGoogle Mapで調べておいた通りの名称を記した青い案内表示板が見えると、ホッとした。ジジイに料金を払い、領収書をもらって外へ出ると、ジジイは鼻歌を歌いながら颯爽と去っていった。代金は140元ほどで、友人S氏が言っていた通り、空港から総額で350元くらいで到着した。25元で市内に出られる北京に比べるとべらぼうに高い感じがするが、S氏の社宅は上海の端にあるからこんなものなのだろうと思った。とりあえず2泊させてもらうことを考えたら安いものだ。
 


タクシーを降りた後は、S氏宅があるマンションを探さねばならなかった。予め日本でgoogle mapを印刷してきたものの、実際に現地に来てみると、似たようなマンション群が通りの左右に2つ並んでいて少し迷った。おそらくどちらかのマンションなんだろうと推測し、何となくこちらだろうと思う方のマンションの周囲を歩くことにした。すでに24時を過ぎているせいか、人通りはほとんどなく、たまにタクシーが通り過ぎるくらいの静かな通りだった。マンションは東京のタワーマンションのような外観で、団地のようにいくつも林立していた。セキュリティのために有刺鉄線が張り巡らされた外壁に沿って、マンションの名称を示した看板と、敷地内への入口を探すことにした。
 
しばらく歩くと、前方から電話をしながら近づいてくる人影が見えた。オレンジ色の薄暗い街灯のため顔はハッキリと見えなかったが、私の名前を読んでいたので、すぐにS氏だとわかった。マンションへの到着予定は23時頃であったが、24時を過ぎても私たちが現れないため、心配になったS氏は私へ電話しようと思ったらしいが、電話番号がわからず、日本にいる知人に私のi-phoneの電話番号を聞き出そうとしている最中だった。私もS氏へはVPNを介してfacebookからメッセージを送ろうと考えていたのだが、何故かVPNもWiFiも使えず、電話番号も失念していたから困っていたのだった。
 
マンションは仁恒河滨花园という小区(xiaoqu、居住地区)で、上海でも高級な部類に入る団地群らしかった。団地というと日本ではプアなイメージがあるが、中国では低級も高級も両方ある。ここのマンションは主に日本人の駐在員が住んでいるらしいが、「上海の金持ちが投資用に買っているケースも珍しくない」とS氏は言った。ここは1平米あたり2500円くらいで、賃貸で高い部屋だと40万円くらいから、分譲で6LDK以上の部屋だと5億円くらいから売り出されているそうだ。日本の報道やネット上では、中国のバブルはすでに崩壊したと言われていたが、上海は未だにバブルが続いており、まだまだ不動産は値上がりしているらしい。ちなみに、香港は上海の10倍くらい地価が高いそうだ。最近になって50%以上も賃料が値上がりしている物件が出てきていて、契約更新が出来ず、追い出される日本人駐在員もいるらしい。
 
中国の不動産は住居用だと70年、商用だと40年と所有権の期限が法律で決められていて、実質的には全ての不動産を国が所有しているような状況らしい。
 
マンションは20棟くらいが並んでいたが、各棟が大きな公園の中に立っている感じで、広大な敷地は3mくらいの高さの外壁で囲まれていた。壁の上には電流型の有刺鉄線が張り巡らされており、入口にはICカードで開錠する有人ゲートが設置されていたが、係員のジジイに国境警備隊のような厳しさはないようだったから、車のトランクに隠れたり、開錠する住民に知り合いのフリをしてくっついていれば、簡単に入園出来そうな感じがあった。
 
S氏に促されて敷地内へ入った。S氏が住んでいる棟は入口からすぐの場所にあった。カードキーをエントランス入口の右端にあるリーダーにかざすと、自動ドアが開いた。エレベーターもカードキーをかざして動かすタイプだった。6FにS氏の部屋があったが、1フロアに3部屋しか住居がないから、廊下は思ったよりも狭かった。ドアノブの下にあるリーダーにカードを通し、暗証番号を押すと「开门了」と言う女性のアナウンスが聞こえ、ドアのロックが外れた。
 
室内は予想したくらいの広さだった。玄関を入って目の前が15畳くらいのリビングで、そこから奥に続く廊下が5mくらいあって、キッチンと小部屋3つ、バスルーム1つが左右に並んでいた。突き当りは10畳くらいの寝室で、寝室を抜けた左奥にはバスルームがもう1つあった。すでにS氏の家族は日本へ帰国していて、荷物はほとんど日本へ送ってしまったらしく、どの部屋もガランとしていた。この物件は会社が借りていて、通常家賃は40万円ほどらしいが、会社が経費で落としてくれるため、無料で住めたらしい。家具の多くは大家が用意した備え付けで、冷蔵庫やら洗濯機、エアコン、ベッド、タンス、テーブル、ソファなど、一通りのモノが揃っていた。賃貸の形態としてはレオパレス21などのマンスリーマンションに似ているようだった。
 
小さなベッドとタンスが1つある、6畳くらいの部屋を貸してもらうことにした。ベッドには一応布団が敷いてあって、2晩寝るだけなら十分な広さだった。セリアで買っておいた使い捨てスリッパを出して履いてみたが、案外使いやすくて感動した。今は108円のスリッパでも馬鹿に出来ないと思った。
 
時計はすでに24時をまわっていた。慣れぬ土地に来て、初っ端から暴走タクシーに遭ったせいもあり、とにかく疲れていたので、シャワーを借りることにした。シャワーを浴びた後は3人でウーロン茶を飲みながら軽く明日の予定を確認して、眠りについた。
 
 

2日目

6:30に自然と目が覚めた。カーテンの隙間から外を見ると、雲1つない真っ青な空が見えた。日本では曇り続きだったが、どうやら今日の上海は快晴らしい。
 
昨晩は慣れない寝床だったから床に就いても全く眠くならず、こりゃ眠れないかなと思ったが、いつの間にか寝ていたようだった。しかし昨日の夕飯に食べた激マズハンバーグ弁当のせいで、胃がもたれている感じが残っていた。
 


とりあえずトイレへ行って、歯を磨き、こびとを起こした。S氏は物音に気が付いたのか、いつの間にか起きてきた。
 

東向きのリビングには、すでに強い太陽光が差し込んでいた。ベランダのある大きな窓を開けて外を見ると、昨日は暗くて見えなかった団地群が林立して見えた。外はすでに気温が上がっているようで、9月末にも関わらず暑くなりそうな感じがした。
 
朝食はウーロン茶と、S氏が昨日スーパーで買っておいてくれたアボガド入りシーザーサラダ、目玉焼きを食べた。普段から朝食は少な目だから、これで十分だった。
 
この日は朝から別行動で、S氏はジムでトレーニング、我々はディズニーへ行ってから針灸用具店を探す予定だった。とにかく1日で針灸用具店を探し当てることが、今回自分に課した使命であり、上海へ来た1番の目的であった。18時頃に再びS氏宅で落ち合い、3人で一緒に夕食を食べに行くことにした。夜の集合場所はS氏の自宅にしたので、S氏からスペアのカードキーを貸り、ドアを開錠するための暗証番号を教えてもらった。さらに、S氏は「これを使えよ」と家に余っていた交通卡(パスモやスイカみたいな交通カード)を2枚くれた。交通卡にはパンダのステッカーが貼ってあった。
 

必要最低限の荷物をデイパックに入れ、外へ出た。エントランス付近は若干肌寒いような感じがしたが、通りへ出ると、ジリジリと日差しが肌に当たって、暑く感じた。長袖のシャツを羽織ってきたことを後悔した。半袖でも十分な気温だった。
 

団地群に挟まれた道路は車の通りが少なく、人も少ししか歩いていなかった。最寄駅は地下鉄2号線の威宁路站で、マンションから歩いて5分くらいの距離にあるとのことだった。このあたりの団地群には日本人駐在員が多く、「治安は比較的良い」とS氏が言っていた。
 

現在、上海には約4万人の日本人が住んでいるそうで、確かに北京よりも洗練されている雰囲気はあったが、安全とは言ってもやはり安心は出来ない。実際に先日、上海のカルフールで日本人の子供が連れ去られそうになった事件があったが、中国では未だに乳幼児の誘拐や人身売買が後を絶たないとCCTVの今日法で言っていた。団地群の敷地を守るように張り巡らされていた電気柵は、危険がゆえの防犯意識の高さの現れであろう。タクシーの運転席がL字の防護ポリカーボネイドで覆われているのも同様だろう。
 

マンションのすぐ横にはゴミの回収所があり、数人の従業員が忙しくゴミを分別していた。大きなマンションが林立しているから、さぞや大量のゴミが出るのだろうと思った。
 

水城路と天山路の交差点まで辿り着いたら、あとは右折して500mくらいまっすぐ歩くと、すぐに駅がある。大通りの広さは北京とあまり変わらない感じだったが、交通量は北京の方が多いように感じた。
 

WiFi付きの公衆電話があった。珍しいので写真を撮っておいた。これは北京でも見たことがない。
 

駅前の通りにも団地らしきマンションが林立していた。日本のように中途半端な高さのマンションは少ないらしい。とにかくどのマンションも高層だった。
 

のんびり歩いて10分くらいで駅に着いた。この辺りはユニクロや飲食店が入った大きな複合ビルが建っていた。本当は8:30から営業している三林东駅近くの中国銀行永泰路支店で、外貨両替してからディズニーランドへ行くつもりだったが、S氏が手持ちの人民元で3000元ほど両替してくれたので、銀行へは行かずに済んだ。ディズニーランドへ行く途中で一度電車を降りてしまうと、最低でも30分のロスになるだろうから、両替してもらえて本当に助かった。新宿の某銀行で外貨両替すると、手数料たけでかなり取られる上にレートが悪いから、いつも中国に来てから両替するようにしている。
 
上海も北京と同様、中心部の電車は基本的に地下鉄だけだ。地方へ行く貨物列車や新幹線、寝台列車などは地上を走っているが、街の中心部では地上はバスかタクシー、地下は電車で住み分けている。ゆえに東京の世界最高に複雑な交通網に比べれば、初心者であっても、上海も北京も真に移動しやすい。
 

地下に降りるとコンビニがあった。地下の雰囲気は北京とほとんど変わらなかった。とりあえずS氏にもらった交通卡(交通カード)に100元ずつチャージすることにした。窓口の駅員は無愛想だったが、残額の確認などをちゃんとやってくれた。
 

駅のホームはフルバリアなホームドアが設置されていて、これも北京と同じだった。しかし、電車に乗り込んで、異様な臭さに気が付いた。エアコンのカビの臭いだった。これは酷くて息を止めたいほどであったが、簡易マスクを持参していたので、マスクをして何とか難を逃れた。北京ではこんな臭い車両に出遭ったことがない。きっと上海の方が湿度が高いのが原因だろうと思った。
 

江苏路站で11号線に乗り換えた。ここから罗山路站まで行って16号線に乗り換え、磁浮(Maglev)の発着駅である龙阳路站まで行った。ちなみに日本ではリニアモーターカーなどと車のような名称を使うが、世界的には英語でMaglev(magnetic levitation)と呼ぶらしい。適切な日本語に訳せば磁気浮揚列車という感じだろう。マグレブと呼べば良いものの、アホな日本人がリニアモーターカーなどというわけのわからぬ和製英語を公にしたもんだから、大半の日本人はこれが正しい英語だと思っているに違いない。こういう点は中国の方がマトモだった。将来、日本でもマグレブが実用化されるらしいが、その時もリニアモーターカーなどというダサい和製英語を使うのであろう。
 

上海のマグレブはドイツの技術によって開発され、世界で唯一実用化されているマグレブらしい。ドイツでマグレブを使わないのは採算がとれないことが一番の原因だと言われているが、実際には上海でマグレブを走らせることによって、人体への電磁波被害やら健康被害やらを密かに調査しているという噂もある。ドイツ製のマグレブは、現在日本で開発されているリニアとはだいぶ構造が異なるらしく、乗っても電磁波の被害などは少ないと言う人もいる。まぁ実際のところはどうだか知らぬが、とりあえず1度は乗ってみたいと思っていた。日本のリニアは高速で走ることにこだわっているようだが、高速にするためにはそれだけ磁気を強くする必要があるわけで、速度を上げれば上げるほど強烈な磁場による人体への悪影響が増大すると言われている。すでにネット上でもリニア建設反対の流れがある(無謀な超特急。リニアモーターカー計画。)。
 
 

本当はディズニーへ行った後でも良かったのだが、マグレブが最高速の時速430kmで走る時間は毎日決められていて、9:00~10:45か15:00~15:45だけだった。どうせ世界で唯一の高速列車に乗るなら、やはり最高速を体験してネタにしようと考えていた。
 
マグレブは通常、片道50元だ。往復すると割引になるものの、それでも1人80元もかかる。この日は針灸用具店を探すために何度も地下鉄駅を乗り降りする予定だったから、「磁浮地铁一票通(マグレブ・地下鉄一日券)」を買うことにした。磁浮双程(マグレブ往復券)で85元/1だったから、かなりお得なチケットだった。
 
 

龙阳路站に着いたら改札の外へ一度出て、龙阳路站上海浦东国际机场(上海浦東国際空港)をつなぐマグレブ専用駅へ入らねばならない。とりあえず一旦外へ出て、全家(ファミリーマート)へ寄ってみることにした。北京ではセブンイレブンが優勢だから、中国版ファミマへ行くのは初めてだった。「全家」という屋号はファミリーマートの「ファミリー」を意訳したのであろうか。
 

マグレブ駅の下にはファミマの他にマクドナルドなどのファストフード店と、マグレブ博物館があった。マグレブ博物館へ行こうと思っていたが、開いてなかったので止めにした。
 
 

ファミマの店内はかなり狭かった。品揃えは北京のセブンイレブンと同様、5割くらいが中華風だが、あとはほとんど日本と同じ陳列、ラインナップだった。北京ではメジャーな、日本には無いスタバの瓶コーヒーがあった。とりあえず、激マズハンバーグの影響でポンポンの調子が悪かったので、飲むヨーグルトを買った。ファミマの店員はセブンイレブンよりも教育が徹底されているのか、合計の代金やお釣りをしっかりと確認しながら忙(せわ)しくレジを打っていた。
 

地下鉄の上に立つ駅ビルにも様々な軽食店が入っていたが、まだ開店していないようだった。
 

ヨーグルトを片手にマグレブ駅の2Fまでエスカレーターで上がり、チケット売り場で切符を買うことにした。窓口は2つあって、白人と中国人が数人並んでいるだけで空いていた。窓口の駅員は女であることが多いが、何故かここにはむさ苦しい男の駅員しかいなかった。
 

左の窓口が空いたので、駅員に向かって「两张磁浮地铁一票通!双程!(マグレブ地下鉄1日券の往復券を2枚くれ!)」と言うと、男は「じゃあ110元だな」と言った。往復券は1枚85元のはずだからおかしいなと思ったが、とりあえず200元を差し出すと、案の定、男は单程(片道券)を2枚差し出した。私が「違う!双程(往復)だ!」と言うと、男は私に渡しかけた釣銭を奪うようにして取り上げ、悪態をつきながら、釣銭の30元とチケット2枚を乱暴に差し出した。こうなることは事前に予想していたから、こういうアホのために「磁浮地铁一票通、双程」と記した紙を見せながら金を渡したのだが、どうやら男はせっかち過ぎて、理解出来ていないようだった。
 

初めて見るマグレブには少し感動した。しかし運行を始めて10年以上も経っている車両だからか、かなりボロさが目立っていた。やはり外観のデザインなら日本の新幹線の方が美しい、と思った。こんなボロで時速430キロも出して平気なのだろうかと少し心配になった。ちなみに開業当初、試験運転では時速500キロを叩き出したらしい。将来的には改良版のマグレブで時速600キロを目指しているそうだ。車内はガラガラで、1車両に数人しか乗っていなかった。とりあえず適当に座り、発車までの間に先ほど買った飲むヨーグルトを飲むことにした。
 

瓶には「上海の記憶」と書かれていた。まぁ「上海の思い出の味」というニュアンスなんだろうな、と思った。ネーミングなどどうでも良いなと思いつつ、蓋を開けた。しかし、ここで大事件が発生した。
 

なんと、驚いたことに、飲むヨーグルトではなく、食べるヨーグルトだった。少しキレそうになったが、何とか食べる方法を考えた。しかし、さすがに口径が狭く縦長の瓶であったから、「垢なめ」や「天井なめ」のように舌でペロペロやろうにも、残念ながら私は短い舌しか持ち合わせていない。しかも私は潔癖であるから、故水木しげる氏が「土人さん」と呼んだ人々(土と共に暮らす人々)のように手で食べることも出来ない。仕方がないので、また別のファミマへ行ってスプーンをもらうことにした。
 

マグレブが発車する前に、ヨーグルトの蓋を閉めておこうとしたが、どうやら1度開けると閉まらないタイプの蓋だった。蓋を押さえながらマグレブが動き出すのを待った。マグレブは走り出して2分くらいで時速431キロを叩き出した。走行中、車体はガタガタと揺れていたが、加速は比較的スムーズで、3分くらい最高速を保った後、すぐに速度を落とし始めた。約30キロの道程を7分ほどで走りきるそうだが、実際に乗ってみるとあっという間だった。
 
確かに飛行機よりも安心感があり、それなりに速いから便利ではあるとは思うが、車内はヴォーンという磁気特有の音があって少し不快だった。それに加えてGが強かったから、カタパルトから射出される戦闘機の如く、最高速時は背中がシートに貼り付いたようになり、長時間の走行は苦痛かもしれないなと思った。今は周辺住民が電磁波の害を理由に路線延長工事に反対しているらしいが、きっと将来的には当初の予定通り、杭州までマグレブが到達するようになるのかもしれない。中国では将来的に鉄道網をヨーロッパまで伸ばすのが目標らしいが、日本のリニア開通よりも先んじて実現させるかもしれない。 
 

上海浦东国际机场(上海浦東国際空港)に着いた。マグレブの先頭車両の前で記念撮影をしている中年の日本人夫婦がいた。我々はマグレブに乗るためだけに空港へ来たので、とりあえずすぐに改札を出て、引き返すことにした。改札を出てすぐの場所にファミマがあったので、先ほどのヨーグルトを店員に見せて、あたかもここで買ったかのような素振りで「スプーンをください」と言った。店員はすぐにプラスチックのスプーンを差し出し、「ご来店いただきありがとうございます」と言った。上海人は排他的だとか気取っているとかで、他の中国人からは嫌われる傾向にあるらしいが、他の中国人よりも日本的でビジネスライクに洗練されていることが1つの要因なのかもしれないな、と思った。
 

再び改札を通り、ホームへ下りようとエスカレーターのある場所へ行ったが、エスカレーターの入口が封鎖されていた。どうやら列車が発車する直前まで、ホームには入れないようになっているらしかった。マグレブのホームには地下鉄のようなホームドアが設置されていないから、乗客は発車の直前までホームへ入れないように管理しているのかもしれない。仕方がないので改札のすぐそばに展示されていたマグレブの模型を眺めてから、ベンチに座ってヨーグルトを食べることにした。
 

復路の車内では動画を撮ってみた。今のところ、上海のマグレブが営業列車では最高速らしい。時速400キロ以上を体感したいと言っても、一般人がブガッティベイロンに乗ることは困難だし、車でサーキットを走るよりはマグレブの方が安全だろうから、速い乗り物が好きな人は一度乗ってみると面白いと感じるかもしれない。電磁波の影響がどれだけあるかわからぬが、念のため妊婦は乗らない方が賢明だろうと思う。
 

 龙阳路站からは地下鉄16号線で罗山路站まで行った。ホームのモニターは日本のモノよりもハイテクで、液晶の左半分に動画広告、右半分に次の電車が到着するまでの残り時間が表示されていた。罗山路站からは11号線に乗り換えた。どうやら上海の地下鉄は(ことごと)くエアコンが臭いようで、とにかくこの車両も酷くカビ臭かった。上海の地下鉄は1~16号線まであり、数字が大きくなるほど車両が新しいそうだが、どれも大差ないくらいにカビ臭いようだった。北京と違って湿度が高い日が多いゆえに、エアコンがカビやすいのかもしれない。北京は乾燥しているからか、これまでカビ臭い電車に遭遇したことはない。
 
この駅から迪士尼站(ディズニーランド駅)行きの電車に乗る人は、その十中八九がディズニーランドへ行く様子だった。土曜日ゆえか家族連れが多く乗っていたが、乗客はみな席に座れるくらいで、あまり混んでいなかった。我々は先頭車両に乗っていたのだが、明らかにディズニーランドに行く雰囲気でない軽装かつ挙動不審な男が車両の端にいたので、私は密かにマークしていた。
 

15分くらいすると、車窓から上海ディズニーランドが見えてきた。「次はディズニーランド駅です」というアナウンスが流れるや否や、先ほどまで挙動不審だった男が、突然「大家好!(みなさんこんにちは!)」と叫んで最後尾の車両へ向かって歩き出した。何やら透明のビニール袋で包まれたディズニーグッズをリュックサックから取り出し、それを見せながら歩いていた。どうやら、ディズニーのコピー商品を売り歩いているようだった。あんなもん誰が買うんだろうかと思ったが、やはり買う人がいるから売る人がいるのだろうな、と思った。
 


迪士尼駅のホームには所々にディズニーキャラクターのラッピングが施してあった。私は特に興味がないので興奮しなかったが、こびとは喜んでいたようだった。
 

駅の外観は中々面白いデザインだった。思ったよりも人は多くなかった。むしろ構内は人もまばらで、ガラガラな感じだった。おそらく上海ディズニーランドが開業した当初、特に夏休みが重なった8月は、ミーハーな中国人やら日本人で激混みしていたのであろう。しかし、すでに開業して3ヶ月も経つと、熱しやすく冷めやすい民族性を反映しているのか、空いているようだった。中国ではディズニーランドのような金のかかるテーマパークは、持続した人気を保ち難いのかもしれない。そもそも金をかけて遊ぶような遊びで中国の百姓(baixing、一般庶民)が好むのは仲間内でやる賭博ぐらいであって、中国人の学生は日本人と違ってディズニーランドへ行く金など無いだろうし、若いカップルも入場料だけに1人500元(約7500円)の大金を払う余裕などないだろう。たとえ1度は行ったとしても、日本人みたいに年間パスポートを買うなんてケースは稀だろう。ゆえに上海ディズニーランドへ行けるのは一部の成金中国人や、中流階級以上の外国人くらいなのだろうと思う。実際にディズニーランドの入口で記念写真を撮り、入場無料のディズニータウンでブラブラするような中国人を多く目撃した。記念写真だけとは何とも哀愁漂う感じではあるが、みな幸せそうな笑顔で写真を撮っていたから、日本人が思っているほど、中国人の心は貧しくないのかもしれない。
 
入場料500元(約7500円)は日本人にとっては払えない額ではないのだろうが、3元(約45円)で500mlのジュース1本を買えたり、2元(約30円)でバスに乗れたり、工場でフルタイムで働いても月に8000元(約12万円)しか稼げないような一般的な中国人にとっては、気軽に入場出来るようなレベルではないのだろう。ちなみに農村部では、1ヶ月の一家の稼ぎが3000元(約45000円)なんてのも珍しくないらしい。
 

ゆえに、千葉にあるのに東京というディズニーランドが、ずっと黒字を維持し続けているような状況を上海ディズニーランドが実現し続けるのは難しいのではないかと私は予想している。開業当初はメディアに踊らされた欧米人や日本人が大挙して上海へ飛んでいたようだけれど、今後もあの巨大な設備を無事に維持させ続けるのは困難なのではなかろうか。
 
 
 

駅を出て50mくらい歩くと、数人の肥えたBBAと若者が「免票的卖!免票的卖!(無料チケット売るよ!)」と小声でささやきながら、通行人を塞ぐようにして、左に右にと水中で揺れる昆布のように、ウロウロと歩いているのが見えた。「無料チケットを売りつけるとは全くお得でない話だ!こいつらはキチ〇イに違いない!」と一瞬思ったが、卖黑票的人(ダフ屋)のすぐそばを通り過ぎる時に「门票的卖!门票的卖!(チケット売るよ!チケット売るよ!)」と言っているのがわかった。私が「免票(mianpiao)」と「门票(menpiao)」を聞き間違えていたのだった。確かに考えてみれば、無料チケットを有料で売りつけるとは可笑しな話である。
 
 

上海ディズニーランドは千葉にあるのに東京というディズニーランドに比べると、駅から入口へ向かう部分だけでも広過ぎた。10時過ぎに行ったらかなり並ぶかと思っていたが、入口ゲートには数十人並んでいただけで、スンナリ入れそうだった。適当に列の最後尾に並び、これは暑くなりそうだなと空を見上げた。レイバンのサングラスを持参して正解だった。
 

10分ほど並び金属探知機のゲートをくぐると、女性警備員による手荷物検査があった。警備員はバッグの中まで手を突っ込む素振りをしていたが、実際にはちゃんと見ていないようであった。
 

手荷物検査が終わると、ネットで予約しておいたチケットを発行してもらうため、窓口へ行かねばならなかった。チケット売り場の前に立っている無愛想な女従業員に「ネットで予約済だが、どこの窓口へ行けば良いか?」と聞くと、「向こうの窓口だ」とぶっきらぼうに言った。やはりディズニーランドと言えども、所詮は中国だなと思いながらしばし歩くと、右奥にその窓口らしき小屋が見えた。大きなミッキーマウスの顔看板の横の柱に「旅客服务」と書かれていた。
 

すでに15人くらいの客が並んでいて、窓口は3つ開いていたが、どの窓口も中国人客が塞いでいて、揉めているようだった。特に真ん中の窓口の女性従業員は客にキレていて、議論がずっと並行線なようで15分くらい待っても窓口が空く気配がなかった。我々の前方に並んでいた、サングラスをかけた中年の白人男性2人が痺れを切らし、行列を監視していた女性従業員に詰め寄った。「いつまで待たせるんだ!」というようなことを英語で訴えていて、従業員に詰め寄るとどういう展開になるのか注視していたら、予想通り彼らだけ列から抜け出すように指示され、優先的にチケットを発行してもらえたようだった。
 
行列には中国人も並んでいたが、彼らは時間に余裕があるのか寛容なのか、あまり待たされていることを苦に思っていない様子だった。前方で並んでいた中国人女子2人は、トイレで洗ったらしき林檎を皮ごとムシャムシャ食べ始めた。すると林檎女に影響されたのか、我々の後ろに並んでいた別の中国人女が、おもむろにみかんを食べ始めた。
 
この日の我々の予定はとにかくタイトだった。ディズニーランドでの滞在時間は10:00~14:00までと決めていたから、ここでロスタイムになることはなるべく避けたかった。仕方がないので白人の真似をして、暇そうに突っ立っていた女性従業員を呼び寄せ、「すでにネットで予約しているんだけど」と言った。従業員は「ちょっとお待ちください」と言い、私が差し出した予約完了メールのコピー用紙とパスポートを受け取って、小走りで小屋の中へ消えていった。どうするのかと思い、窓口から中を覗いていると、クレーマーみたいに窓口に貼り付いていた中国人BBAをひとまず無視して、我々の予約データをパソコンで検索し、パスポートと照合しているようだった。
 

5分くらい待つと、先ほどの従業員がパスポートとチケット、園内の地図が描かれたパンフレットを持ってきた。私にはミッキー柄の、こびとにはミニー柄のチケットを差し出した。これでやっと入園出来ると思い、ホッとした。ホテルの予約もそうだが、日本で事前に予約しているにも関わらず、現地で「予約を確認出来ません」と言われる可能性がないこともないわけで、とにかく無事にチケットを受け取れて安心した。とりあえず従業員は英語も少し話せたし、常に笑顔で対応していて、お触りしたわけではないが好感触だった。
 
日本の某ウェブサイトでは「チケットは現地で購入するより、事前にネットで購入しておいた方がスムーズに入園出来ます」なんて自信ありげに言っていた輩がいたもんだから、スッカリそれを鵜呑みにしてしまったのだった。全くネットの情報は信用出来ぬと実感した。
 
 

かなり日差しが強くなってきており、日傘を差している人がチラホラいた。9月下旬にも関わらず、気温は30℃を超えているように感じた。上海と東京の緯度は同じくらいだが、夏の昼間に関しては、どうやら上海の方が涼しくなるのが遅いらしい。
 

園内のアナウンスは基本的に全て中国語だけのようだった。とりあえずブラブラしつつ、まずはこびとが一番行きたいと行っていたパイレーツオブカリビアン(カリブの海賊)の場所を探すことにした。パンフレットを開くと、不快な臭いがした。おそらく紙かインクにヤバい物質が含まれているのかもしれないな、と思った。こういう点はやはり中国品質だなと感じた。
 

途中、干支とディズニーキャラクターがコラボした絵が飾られている塀があり、こびとが自分の干支の前で写真を撮ってくれと言うので、写真を撮ってやった。中々良いデザインの塀だった。
 

少し歩くと、城が見えてきた。私が「随分大きいシンデレラ城だなぁ」と言うと、こびとが「あれはシンデレラ城じゃないよ」と言うので、調べてみたら、どうやら「Enchanted Storybook Castle」という名前の城だということがわかった。さらに「This is the only royal residence that celebrates all the Disney Princesses.」で、「Tiana, Merida, Rapunzel, Elsa and Anna」というDisney Princesses専用の城だからデカいという設定らしい。しかし、そもそも私はDisney magic自体に興味がないから、設定などどうでも良いのであるが、まぁ単純にアーティスティックな建造物として眺めれば、少し感動する部分はあった。他のディズニーランドにはCinderella CastleやらSleeping Beauty Castleなどが存在するが、19世紀末に作られたドイツの城がモチーフになっているらしい。千葉県にあるのに東京という某ディズニーランドのそれに比べると、遥かに立派に見えた。
 

城の正面には一眼レフカメラを持った係員がいて、有料で写真を撮っているようだった。それにしても一番の撮影エリアと思しき場所にも関わらず、人がまばらだった。まぁ修学旅行生や団体客がガヤガヤとしているような状況よりは遥かにマシだった。サングラスをかけ、頭にネズミの耳を付けた中国人女性が、まるでモデルか女優であるかのような素振りで有料写真を撮ってもらっていた。案外、最近の中国人女性にはスタイルの良い美人が多い。中国は豊かになったとはいえ、欧米人のようなポッチャリが比較的少ないのは食生活の問題だろうか。
 

メインストリートの両脇にはロープ張られていた。どうやらパレードの時間が近づいているらしかった。暇そうにおしゃべりしていた男の係員に「パレードは何時からですか」と聞くと、「毎日12:30から始まるよ」と答えた。時間は11:30を過ぎていて、本当はパレードを観てみたい気もしたが、私も一番観ておきたかったのはパイレーツオブカリビアンだったから、仕方なくパレードは諦めることにした。それに、パレードを良い場所で観ようと場所取りを始めた人が沢山集まってきていたから、この隙にアトラクションに並んでおけば、スムーズに入れるだろうと予想していた。
 

シンデレラ城の前を通り過ぎて右側へ回ると、すぐにパイレーツオブカリビアンエリアが見えてきた。気温が上がってかなり暑くなっていたから、移動販売のアイスがバカ売れしている様子だった。アイスを収めているBOXの柄は中国の伝統的な切り絵細工とディズニーキャラクターのコラボだった。森永チョコレートのアイスクリームバー、PARM(パルム)にクリソツなアイスが売られていた。アイス売りの店員は街中の店員と同様に無愛想だった。
 

道の端には、「对不起,我错了!(すまん。俺が間違っていた!)」と書かれた木の板を持った骸骨がぶら下がっていた。パイレーツオブカリビアンは全て観ているが、このセリフが何を意味するのか全く思い出せなかった。いつもこういう骸骨を見ると、何故か小学生の頃に観た「The Goonies(グーニーズ)」という映画を思い出す。あの映画はファミコンソフトにもなり、1,2とプレイしたが、中々面白かった。シンディーローパーの可愛い歌声の主題歌が懐かしい。
 

骸骨のある場所を過ぎると、すぐ左手にカリブの海賊があった。入口の上に掲げられた船の帆を模した看板には、中国語でカリブの海賊と書かれていたが、やはり洋画の内容を中国語で書かれると大いに違和感があるな、と思った。予想通りかなりの行列が出来ていた。入口に設置された電光掲示板には40分待ちと記されていた。
 

数百人は並んでいる感じだった。特にやることがないのでボーッとしていたら、明らかに乡下人(xiangxiaren、カッペ)らしきジジイと、その嫁らしき肥えたBBA、そのBBAにクリソツな20代くらいの肥えた女が、後ろから行列を押しのけるようにして、無理矢理前進していた。明らかな割り込み行為で、素知らぬ顔で前へ進もうとしていたが、他の客同士の無言のファインプレーによって、核家族ならぬカス家族の無謀な行進を食い止めることに成功した。3人のカス家族はみなそれなりの悪相だった。やはり悪事を働く輩は悪い顔をしているものだと、実感した。
 

結局、電光掲示板に記してあった通り、40分くらい待って、やっと船に乗り込むことが出来た。パイレーツオブカリビアンのアトラクションは、映画のシーンのように海賊船で海中へ入ったり、大海原へ飛出したりする、という設定だった。アトラクションで使用されている船は実際に水中へ浸かるわけではないのだけれど、かなりリアルなCGだったから本当に海へ潜ったり、海賊船に乗っているような感覚が味わえて、とても面白かった。
 

確かどこかに撮影禁止と記されていたように思ったが、中国人は構わずキャーキャーと喜びながら写真を撮りまくっていた。役者を再現した人形もなかなかリアルで、ストーリーの展開も中々良かった。乗車時間は10分くらいだったけれど、期待していたよりもずっと楽しめた。このアトラクションに乗れただけでも上海ディズニーランドへ来た価値はあったかもしれないな、と思った。しかし1つ残念だったのは、すべてのキャラクターが中国語をしゃべる、ということだった。もちろん、中国語圏のディズニーランドであり、客の大半は中国語しか理解できない人々だからキャラクターに中国語でしゃべらせるのは当然なのだろう。そうは言っても、そもそもパイレーツオブカリビアンはアメリカ人俳優が活躍する映画であり、実際の映画を忠実に再現し、本当のリアリティを求めるならば、ジョニーデップやジェフリーラッシュらに吹き替えを依頼して、人形は英語で会話させた方が面白いだろうな、と思った。とにかく人種がわからぬ怪物役はともかく、明らかにコーケイジョンなジャックスパロウ役の人形が、中国語をペラペラとしゃべるのには違和感を覚えた。まぁ普段から私が洋画の吹き替え版に強烈な嫌悪感を抱いているのが原因かもしれない。
 

とりあえず、再び園内を徘徊してみることにした。時間はすでに12時を過ぎていて、喉が渇いたけのだけれども、あたりを見回してみても飲料水を売るブースが見当たらなかった。仕方がないので、フードーコートを覗いてみることにした。園内の飯は日本と同様、高くて美味くないから中国人は持ち込み品を外の芝生などに座って食べている、と聞いていたが、外で食べている人は少なく、みなフードコートで何かしらかの飯を食べているようだった。確かに値段は高かったが、見た目は悪くなかった。しかし、混んでいたのと、外で食べたいものがあったので、園内で食べるのは止めにし、とりあえず水だけ買うことにした。ペットボトルの水は1本10元(約150円)だった。水なんて、前門のような繁華街でさえ1本2~3元で買えるのだから、異常な高さだった。日本なら500円以上する感じの値段だろうと思う。だから、基本的に中国人は水など買わず、水道で水筒に水を補充するのが当たり前らしい。
 

中国人は基本的にいつも水筒を持参しており、日本人のようにペットボトルに入った飲料水を頻繁に買うことはあまりない。それゆえ園内にも数か所に給水設備があって、中国人が気軽に水分補給出来るように配慮されているようだった。そんなわけで、飲料水を販売するブースを最小限に絞っているのだろう、と思った。日本のディズニーランドでは逆に、こういう設備がほとんど設置されていない代わりに、ジュースや水を売るブースが至る所にみられる。
 

友人S氏はオープンしたての頃に、家族とここへ来たそうだ。S氏は日本と違って、園内に着ぐるみのキャラクターがほとんど存在しないと言っていたが、本当だった。唯一出逢ったのは白雪姫だけで、しかも、城内の決められたブースから動かず、そこで専用の係員が写真を撮る、というスタイルのようだった。どうやらプリンセスたちは基本的に城の外へは出ない設定になっているらしかった。白雪姫らしき白人女性は終始笑顔を振り撒いていたが、なんだか生活に疲れているような雰囲気がして、あまり優雅さや美しさを感じられなかった。
 

他にももう少し見てみたいアトラクションなどはあったが、13:30にはディズニーランドを去らねばならない予定だったので、全体的にサッと歩いて退園することにした。確かに敷地は大きかったが、想像していたよりも小さくて、1日あれば十分に回れる大きさだと感じた。出口には「さようなら!またのお越しをお待ちしております!」と中国語と英語で記してあった。
 

ディズニーランドの外には大きな湖があり、この湖に沿って駅まで歩くことにした。
 
 
迪士尼站からは再び11号線に乗り、罗山路站で16号線に乗り換え、龙阳路站まで行って2号線に乗り換え、南京东路站で下車して、上海市第一医薬商店へ行く予定だった。上海市第一医薬商店は上海で最も有名な薬局だということで、もしかしたら針灸用具も扱っているのではないかと期待していたが、南京路步行街と呼ばれる観光客向けのホコ天に位置する薬局だから、ちょっとどうかな、と考えていた。
 

迪士尼站から地下鉄を乗り継ぎ、40分ほどで南京东路站に到着した。改札を通る時、こびとの交通卡が反応せず、別の改札で試しても通れなかったので、女の駅員に「壊れて通れないよ」と言うと、駅員がこっちへ来いと手招きをした。日本の改札と同じで、駅員が常駐している事務所のすぐ横の改札を手動で開けて通してくれた。どうやら上海の改札はこういった故障が珍しくないらしく、同様の故障で通れなかった若い男は駅員の目を盗み、手慣れた感じで改札のバーをジャンプして飛び越えていた。こびとにも「今度改札が壊れたら、ああやりなさい」と指導しておいた。
 
ディズニーランドは上海の最も東端に位置するが、南京东路はちょうど上海の中心部にある。この辺りは上海でも最も栄えている場所で、特に南京东路站から人民広場までつながっている南京路步行街には多くの商店が立ち並び、人気の観光スポットだと言われている。「步行街」というのは日本語で言えば歩行者天国、いわゆるホコ天の意味だ。北京で言えば王府井みたいな場所だが、旧租界地ということもあり、またちょっと違う感じだった。ちなみに、この隣には人民広場を挟んで、上海の銀座と呼ばれている南京西路というスポットがある。南京东路も十分に高級感が漂っていた。
 

週末ということもあってか、かなりの人出だった。とりあえず上海市第一医薬商店を目指して歩いた。
 


すでに日本からは撤退しているハーゲンダッツのカフェがあった。北京の前门にもあったが、まだ一度も入ったことがない。
 

時間は14:45を過ぎていて、さすがに腹が減ってきたのでどこかで飯を食おうか、ということになった。しかし、中々良さそうな店がなかった。月餅の専門店に行列が出来ていたが、月餅を食べたい気分ではなかったので、とにかく先に上海市第一医薬商店へ行くことにした。
 

月餅店からすぐの場所に上海市第一医薬商店が見えた。事前にネットで見ていた通りの青い看板で、すぐにわかった。さて薬局に入ろうかと人ごみをかき分けている時、ふと左手に目をやると、薬局前の世紀広場と呼ばれている広場に、数十人の警備員と警察官が集まり始めているのが見えた。警備員と警察官は集まった群衆の動きをコントロールしているようにも見えたが、警備員にはニタついているものも多く、全く状況がわからなかった。とりあえず状況が酷くなる前に、薬局の中へ入っておくことにした。
 
急な騒ぎであったからか、薬局の店員も数人が入口を塞ぐように立ち、外の異常な状況を眺めていた。とにかく彼らを退けるようにして店内に入った。私が上海へ来た一番の目的は針灸用具店の開拓だったからだ。しかし店内に入ってすぐに、針灸用具が置かれていないことがわかり、ガッカリした。予想通り、観光客向けの高級な中材(漢方薬)ばかりが並べられていた。
 

外の状況は刻々と変化していた。最初は有名人か政府の要人でも現れるのかと思ったが、どうやら違うようだった。どこからともなく騒ぎを嗅ぎ付けた民衆が、ワラワラと集まり始め、とにかく広場の中を見てやろうと、ゴミ箱の上やら、植木鉢やらによじ登る野次馬が沢山いた。野次馬は日々刺激に飢えているのか、みなニヤニヤしながらスマホで動画を撮っていた。あっという間に身動きが取れなくなりそうなくらいに人が集まってきていた。私も混乱の状況をスマホに収めておくことにして、遠巻きに写真と動画を撮った。
 

しばらくすると、薬局の前に群れていた、サングラスをした数人の本地人(地元民)らしきBBAが、何やら叫びだした。すると、それに呼応するかのように、周りにいた群衆も一緒になって叫び始めた。彼らは広場に向かって叫んでいたが、広場から離れた場所に立っていた我々の場所にも、空気を伝って衝撃波が打ち寄せてくるようだった。ライブハウスでデカいアンプの前に立って爆音を聴かされるのとは違う、異様な声の波動が広場周辺に響き渡った。広場は比較的高いビルに囲まれているせいもあって、彼らの声が一層強く響き、その度に叫び声がヒートアップしていった。私は直感的に、すぐにここを離れた方がいいな、と思い、こびとの手をつかみ、広場入口前の路地を抜けて湖北路方面へ逃げることにした。湖北路の入口には、護送車のような警察車両が縦列して10台くらい止まっていた。
 

後で日本へ帰国してからネットで調べたら、やはり示威(デモ)であったとニュースになっていた(「上海5000名非公金融企业受害者集体维权遭镇压」)。2015年頃から金融企業への投資詐欺被害にあった約5000人の個人投資家が世紀広場に集結し、13時から抗議活動を行うということだったらしい。で、事前にその情報を得ていた公安当局が12:40頃から警察官および警備員を500人ほど動員し、デモが始まる前から警備網を敷いていた、というわけだった。私とこびとは偶然にも、ちょうどデモが始まるその時間に現場に入り、第一医商店を出た数分後に、目の前でデモの開始を合図する叫び声がこだましたのだった。
 

 

結果的には5000人もの人が一緒になって叫んでいたわけだから、そりゃ耳を塞ぎたくなるくらいの爆音だったのだ。まぁ危険を察知してすぐにその場を離れたから良かったけれども、結局あの後、警察官と個人投資家が揉み合いになり、約300人の個人投資家が連行されたそうだ。個人投資家は警察による摘発によって12社の金融企業が破綻し、損失を受けたと主張していたらしい。
 
この時は一体何を叫んでいたのかわからず、帰国した後もその内容が気になっていた。で、日本へ帰って来てから見たネットニュースによると、「数千人在场高唱《国际歌》、《义勇军进行曲》、《团结就是力量》等。并高喊“相信政府,为民做主”、“讨回血债”等口号。」ということだったらしい。「国际歌」や「义勇军进行曲」、「团结就是力量」なんて知らぬ私には、道理で聞き取れなかったわけだ。おそらく私が撮った動画に録音されていたのは、「相信政府,为民做主」と「讨回血债」という言葉なのだろうと思う。
 
ちなみに、中国で4年暮らしていた友人S氏にこの出来事を話したら、「中国ではデモなんてないよ。禁止されてるから」と言っていたが、実際には近年、中国ではデモが多発しているらしい。退役軍人やら農民、学生、工場労働者など、色々と不満が募っているのか、SNSなどで事前にデモを呼びかけて集まっているらしい。しかしネット通信はすべて当局経由で情報を抜かれるそうだから、当局は事前にその情報を得て、デモには備えるものの、あえて強い弾圧は加えずに「ガス抜き」をする、という具合らしい。
 
S氏いわく、反日運動が高まった2011年前後の上海では、市内で日本語をしゃべることさえ危険だったそうで、何か投げられたり、ずっと睨まれたり、タクシーに乗車拒否されたり、激しい暴力などには遭わなかったものの、冷や冷やしながら過ごしたそうだ。そういえば私が2011年に北京へ行った時も、地下鉄で日本語をしゃべったら、中国人の若者にずっと睨まれていたことがあった。今では反日の熱も冷めたので、タクシーに乗車拒否されることもないし、日本人として危険な場面に遭遇することも少ないが、やはり大衆はメディアによって容易に支配されたり、洗脳、扇動されやすいようだ。
 
 

広場を抜け、湖北路を南下した。路地から上海タワーが見えた。正式名称は东方明珠塔(dongfang mingzhuta)と言うらしい。次の目的地は上海书城だった。師匠から頼まれていた黄帝内经素问の繁体字の本を探さなくてはならなかった。師匠は針灸大成や難経、黄帝内经灵枢(霊枢)、甲乙経などの主な古典は全て翻訳している日本で唯一無二の立派な鍼灸師であるが、内経だけはまだ訳していない。で、自分が昔買った木版で盒装黄帝内经は持っているがそれは家宝にしているから、翻訳用に気軽にめくれる本を買ってきてくれ、ということだった。もちろん、自分のために買う針灸本や医学書、薬学書も欲しいものが色々あったから、上海书城へ行くことを楽しみにしていた。
 

時間はすでに15時を過ぎており、こびとが「早く何か食べたい」と言ったが、周辺に良い飯屋がなかった。本当は、ここから500mくらい先にある人民広場まで歩いて、上海在住の患者Mさんから「チェーン店ですが、ここが一番美味しいですよ」と聞いていた小杨先煎(xiao yang sheng jian)で上海名物の焼き小龍包を食べる予定だった。しかし先に本屋を済ませておかなければ非効率だということで、空腹ながらも上海书城へ入ることにした。
 
上海书城は上海で最も大きな本屋らしい。地上27階、地下2階で、地下は駐車場、1~7階が本屋、8階以上はオフィスになっているそうだ。1998年に建てられたビルで、本屋の1日の平均売り上げは30万元(約450万円)以上で、過去最高日販は85万元(約1275万円)で、この日は3万人の客が入店したらしい。最高のサービスが提供出来るように努力するのがモットーらしく、客が快適に過ごせるよう、スタバやパン屋をテナントとして入店させているらしい。
 

早速エスカレーターで上階へ上がって、中医コーナーと針灸コーナーを見て回った。王府井書店に比べると本の種類が少なくて、針灸の本はわずかだった。とりあえず、黄帝内经素问の繁体字を探すことにした。最近出版されたらしき、「中医古籍珍本集成」という湖南科学技術出版社のシリーズ本が並べてあったが、なぜか内経は下巻だけしかなかった。しかも1冊だけだった。これは1冊ずつしか発注していないのかな、誰か上巻だけ買っていったのかと不安がよぎったが、とりあえずは店員に聞いてみることにした。
 
オカマみたいな挙動で、小柄で短髪、性別不詳な店員がすぐ近くにいたが、何故かガラケーで電話中だった。誰と話しているのか知らぬが、ホモダチなのか楽しそうに会話していた。私が会話を遮るようにして、「この本の上巻は在庫あるか」と聞くと、「たぶんある」と言うので、一緒に売り場を探すことになった。壁側の棚にはなかったが、平積みにしてあった台の一番下に1冊見つかった。通常、売り場の本を平積みにする時は、同じ種類の本を同じ場所に積んでゆくものだが、どうやらこの本屋ではめちゃくちゃに積んであるらしかった。そりゃぁ客が探しても見つからないわけだ。
 
太好了,太好了(良かった、良かった)」と私が喜ぶと、オカマ店員は「他にも黄帝内经の注釈本が沢山あるぞ」と頼んでもいないのに本の案内を始めた。私が案内を遮るように、「とりあえず繁体字の本だけあればいい。あとは中药大辞典はあるか?」と聞くと、オカマ店員は「有,有(あるある)」と言い、無駄のない動きで素早く隣の棚へ移動した。中药大辞典は在庫が2種類あって、通常版の大辞典と、縮小版の小辞典の2種類が並べてあった。オカマ店員が「縮小版は大辞典と内容が同じで安いからお得よ」と楽しそうに説明した。飛行機搭乗時の重量制限もあるので、言われた通り、重量の軽い縮小版を上下巻買うことにした。また、「これは上下別々に買うことが出来ず、2冊セットで198元なのよ」と言った。どうやら帝内经素问の繁体字もセットで半額になるらしいが、こちらは上下巻別々に購入出来るらしい。全く、中国の本の売り方は理解し難いな、と思った。売り場に並べられていた中药大辞典は表紙がボロボロで、こびとが「こんな汚い本を買うのか」と言うので、オカマ店員に「新しいのはあるか」と聞くと、「あるある」と言って書棚の下の引き出しから茶色い包装紙に包まれた新品を取り出し、包装を少し破って私に中身を確認させた。どうやら店頭に並べられていた辞書は見本だったらしい。北京でも辞書売場には必ず見本が1冊置かれているものだ。しかし、あそこまでボロボロになるとは、どうやら見本で調べものをしている輩がいるのかもしれないな、と思った。北京の本屋でも、持参した折り畳み椅子や商品である本に座り、本の内容を堂々とノートに丸写ししているジジイがいたりするから、ここに来て辞書を引く輩がいてもおかしくないな、と思った。
 
オカマ店員にお礼を言い、私は満足気にレジへ向かった。残念ながら針灸書の欲しい本はなかったが、以前から欲しかった中药大辞典を買えたのは満足だった。これで中医関係の翻訳もはかどるだろう。なんせこの辞書には6000種以上中药(漢方薬)が載っている。日本にはこういう有用な辞書がないから、未だにレベルが低いのであろう。向学心のある日本の鍼灸師にとって、必須の辞書の1つだ。
 
本を買った後は、こびとが腹を空かせて気力が落ちているようだったので、すぐに外へ行くことにした。基本的に私は1日くらい飯を食べなくても平気だが、こびとはまだ凡人だからか、腹が減ると途端に気力が落ちるらしい。 
 

上海书城を出た後は、福州路を抜けて、人民广场站まで行くことにした。福州路は南京东路站人民广场站を東西につなぐ、1kmほどの通りだ。また、南京路步行街とほぼ平行に走る小さな通りで、老舗の文具店や古本屋が多く並んでいた。ここはかつて、外国人が多く集まる租界地だったから建物のほとんどは洋風で、1階に様々な店が入っていた。少し古本屋を冷かしてみたかったけれど、時間がなかったので足早に通り過ぎることにした。予定では16:30までに人民広場駅を出発しなくてはならなかった。
 
 

福州路を歩いていると左手に、ザクロジュースを売っている店があった。もう陽が傾いて涼しくなってきていたが、冷たいフレッシュジュースは人気がある様子だった。ザクロジュースは日本では馴染みのない味だったから、ちょっと飲んでみたい気もしたが、やはり衛生面が気になるので止めておいた。
 
そういえば、私が通っていた小学校の校庭には小さなザクロの木が1本だけ植えられていて、1度友人と実を採って食べたことがある。「ザクロは人肉の味がするらしいよ」と言うアホな同級生がいたが、当時の情報源はテレビかラジオくらいなもんであって、現在のようにネットなどない時代だったから、純朴な情報弱者の小学生達は俄(にわ)かにもそれを信じていたようだった。私はそんなはずはないと思っていたから、実際に食べて確かめてやろうということになった。私は誰も恐れおののいて触れなかったザクロの実を採って、勇気ある友人とアダムの如く、禁断の果実を口にしたのであった。当時は色々な都市伝説があったが、『夕闇通り探検隊』のように都市伝説を1つ1つ解明してゆくことは中々面白かった。今はネットで調べればすぐに簡単に情報が入ってしまうから、本当につまらぬ時代になったと思う。
 

福州路を西へ行くと、西中路という大通りに出た。通りには人民公園という大きな公園があり、この近くにある小杨先煎という焼き小龍包の店で軽食をとる予定だった。しかし、しばらく探してみたものの、見つからなかった。仕方がないので焼き小龍包は諦めて、香港名品街にある満記品で何か食べようと言うことになったが、香港名品街の場所もイマイチ判然としなかった。とりあえず、地下道の入口に立っていた警備員らしきジジイに香港名品街の場所を尋ねると、南の方を指さして「あっちだ」と無愛想に答えたので、とりあえずその方角へ歩いてみることにした。
 

それらしき地下道への入口があったので、階段を下りると、外に上海万博だかでマスコットキャラクターになっていた「海宝」だか「海坊」だかが、外に飾られているのだ見えた。上海博物館がすぐ隣にあるから、おそらくその影響だろうな、と思った。
 

地下に降りると、「上海1930」と書かれた看板が見えた。どうやら、ここは香港名品街ではないようだったが、面倒なのでこの地下街で飯屋を探してみることにした。正式には1930风情街と呼ばれる通りらしい。
 

地下街は新宿にあるような地下街と作りは似ていたが、空調が不完全なのか嫌な空気が鬱滞している感じで、すぐに気分が悪くなってきた。しかも若者向けの怪しい服屋ばかりで、飯屋などほとんどなかった。地下街を入ったすぐの場所は1930年代から残る遺構をそのまま残しているような通路であったが、しばらく進むとティーンネイジャー向けのファッション街的な雰囲気ばかりで大して面白くなかったので、素早く通り過ぎることにした。地下街を1kmほど歩くと、人民広場駅に着いた。ここから地下鉄8号線に乗り、翔殷路站(xiang yin lu zhan)まで行かねばならなかった。結局、昼飯を食う時間はなかった。
 

何とか日が暮れる前に翔殷路駅に着いた。この駅からほど近い場所に上海长海医院という上海でも比較的大きい大病院があるはずだった。この病院の前にある长海路という通り沿いに針灸用具店があるのではないか、という話だった。ネタ元は百度知道だ。日本で上海の針灸用具店について知っている鍼灸師なんてほとんどいないだろうし、上海の針灸用具店を調べようと思っても、実店舗のウェブサイトが見つからなかったから、百度知道で調べるくらいしか出来なかったのだ。百度知道とは中国で人気のヤフー知恵袋みたいな質問サイトで、「针灸针,上海哪里有卖啊」とか「上海哪里有针灸用的三棱针卖」、「针灸理疗用品上海有卖的吗?」などの回答を参考にして、目ぼしい場所を探って、地図をプリントアウトしておいた。
 
結局、ネットを駆使して見つけられたのは7か所だけだった。しかし、時間的に回れるのは3か所くらいだろうと考えていた。何せ上海は広く、病院が散在しているから、最低でも1日なければ全ては回れないだろう。以下がピックアップした場所だ。
 

上海市第一医薬商店(南京东路駅)
上海长海医院の长海路付近(翔殷路駅)
上海中医薬大学付属龍華医院付近、上海市針灸経絡研究所(上海体育場駅)
長寧区の紅十字医院付近(威宁路駅6番出口、54番バスで仙霞路青溪路下車)
福州路と河南中路の交差点にある医療用品会社(南京东路駅)
上海岳陽中西医結合医院(南京西路駅)
上海中医薬大学付属岳陽医院(大柏樹駅)
*( )は最寄駅または最寄のバス停

 
①はダメだった。あとはルートと時間の関係で、行けるのが②と③だけだった。翔殷路駅から地上へ出ると、すぐに「长海医院」と記された看板が見えた。とりあえず看板が示す方向へ歩いていくことにした。
 


しばらく歩くと、「热门房源(人気の不動産情報)」と汚い字で書かれた看板の横で、ニセ機関車トーマスらしき乗り物の隣の、一段と奇妙なキャラクターの乗り物に乗り、嬉しそうに遊んでいる子供が見えた。
 
 

駅から300mほど歩くと、すぐに交差点にぶつかり、长海路の位置を示す青い道路標識が見えた。左側の横断歩道を渡ると长海路だった。交差点には巨大なビルの廃墟があった。
 

长海路を300mくらい歩くと、左に上海长海医院が見えてきた。かなり大きな病院だった。病院の正門の向かいには入院患者の家族が泊まると思しき宾馆(ginguan、ホテル)、肯德基(ケンタッキー)、飯屋、薬局などの商店が20件くらい並んでいて、病院から出入りしている患者らしき人々で賑わっていた。
 

病院の周囲には薬局が3つあった。看板には「医疗器械」とか「医疗用品」と書かれていたから、もしかしたら針灸用具を置いてあるのではないかと胸が高鳴った。しかし入店してみると、実際には「住院用品」と呼ばれる入院患者向けの日用品や車椅子、家庭用血圧計など、素人向けの商品ばかりで、医療者向けの商品はほとんど置いていなかった。店員のBBAに「針灸用具は置いていないのか」と聞くと、BBAは「向こうの药房(薬局)で聞いてみろ」と言ったので、BBAの言葉に期待して3件すべて覗いてみたが、結局どの店も同じような品揃えでガッカリした。薬局の先には第二軍医大学第三付属医院があった。どうやらここには病院が集まっているエリアらしかった。
 

諦めきれなかった私は、もしかしたら病院の敷地内に針灸用具店があるのではないかと考え、正門から病院内に入ってみることにした。地図を見てみると、どうやらここは大学病院の類らしかった。とにかく広大な敷地だった。結局、地図を見てもそれらしき店が見当たらなかったので、仕方なく病院の敷地内を通って駅へ戻ることにした。
 

しばらく歩くと、病院敷地内で「药材科」と記されている案内板を発見した。もしやこれは病院関係者向けの売店ではないかと思い、看板の示す方向へ歩いてゆくことにした。
 

看板に従って歩いてみたが、とうとう病院の敷地外へ出てしまった。案内板の案内は何故か途中で途切れていて、結局「药材科」を見つけることは出来なかった。仕方がいないので駅へ戻ることにした。
 

狙っていた3か所のうちの2か所がダメだったから、すでに気分はかなり落胆していた。しかし最後の望みをかけて、上海体育場駅にある上海中医薬大学付属龍華医院付近の通りへ行ってみることにした。すでに陽が沈みかけていた。
 

上海体育場駅に着いて地上出口へ出ると、すでに外は陽が暮れて暗くなっていた。零陵路をひたすら東へ歩いた。宛平南路にぶつかる交差点まで行って右折すると、「上海市気功研究所」、「上海市針灸経絡研究所医療問診部」、「上海市気功研究所養生文化センター」と書かれた看板が見えた。この向かいにあるのが上海中医薬大学付属龍華医院だった。
 
 

上海中医薬大学付属龍華医院の敷地内に龙华大药房という大学病院関係の薬局らしき商店が見えたが、離れてみてもすでに閉店しているのは明らかだった。一応、他にも薬局があるか少し歩いて確認してみたが、どうやらこの辺りの薬局はここだけのようだった。
 

営業時間が17:30までとは何たるやる気の無さかと思った。もしかしたらここには針灸用具があったかもしれないと思うと少し悔しかったが、こんなやる気のない店に金を落とすのもアレなので、潔く諦めることにして、S氏の自宅へ戻ることにした。
 
北京の東直門にある針灸用具店なぞは年中無休で毎日20時頃まで営業しているが、やはり所詮は上海、首都の北京と比べたら医療のレベルはそれなりなのかもしれないな、と思った。そういえば、CCTVの中华医药という人気の医療番組でも、滅多に上海の医者が出演しないのはそういう事情があるからなのかもしれない。とにかく、比較的有名な上海中医薬大学付属の病院付近にマトモな針灸用具店がないことには本当にガッカリした。
 
やはり上海は租界地だったこともあり、西洋的に都会化してきた街だから、中医よりも西医の方が尊ばれていて、針灸用具は北京ほど必要とされていないのかもしれないな、と考えた。師匠の浅野周先生曰く、上海で針灸学会の副会長をしているほど偉い、老中医の張仁でさえ、北京で普通に売られている刃针のことを知らなかったそうだから、上海の針灸レベルはそれなりなのかもしれない。何より、上海中医薬大学付属龍華医院の前に「上海市気功研究所」や「上海市針灸経絡研究所医療問診部」、「上海市気功研究所養生文化センター」などがあること自体がそんな考えを想起させるのだ。どちらかと言うと上海の針灸業界は、気や経絡なんぞを尊ぶ日本針灸と似ているのかもしれない。
 
 

そういえば、百度知道に「长宁区红十字医院上海和睦家医院对面就有医疗器械。卖针灸针, 皮肤针,白大褂。」という回答があったから、長寧区の赤十字病院付近には針灸用具店があるのかもしれない。同様に上海岳陽中西医結合医院上海中医薬大学付属岳陽医院付近にも、もしかしたら針灸用具を扱う店があるのではないかと思う。今度機会があれば探ってみたいと思う。
 

零陵路には「MK SALON 日系のスタイル」という看板を掲げたわけのわからない美容室があった。さらに先へ行くと、路上で鉄なべをフリフリしてチャーハンを作っているジジイがいた。ジジイは自転車の荷台を調理場にしていて、荷台に備え付けたカセットコンロでフライパンを熱し、ハンドル引っかけておいたビニール袋からカットしておいた野菜と米を投入して炒める、という具合だった。
 

 駅近くのフルーツショップでは店主らしき男が、必死になって葡萄を売っていた。日本と違って台の上に葡萄が山積みになっていた。駅前では大音量の音楽に合わせて、今流行りの广场跳舞(広場ダンス)をしているジジババがいた。
 

友人S氏の自宅がある威宁路駅に着く頃には、とうに19時を過ぎていた。本当はここからバスに乗って長寧区の紅十字医院付近の針灸用具店を探してみたかったが、すでに閉店しているだろうと思い諦めた。結局、昼飯を食わずに10km以上、休みなく歩き回ったので、とにかく疲れていた。
 

 駅前にはディズニーイングリッシュという英会話教室があり、S氏によるとかなり繁盛しているそうだった。ディズニーの許可をとっているのかどうかは知らぬ。
 

 
 
駅前の通りにはパイナップル風の棕櫚(しゅろ)みたいな木があった。
 
S氏の自宅へ戻った後は、すぐに夕飯を食いに行くことになった。S氏が予め飯屋に20時の予約を入れたあと、近場でタクシーを拾い、S氏おすすめの火鍋屋へ向かった。
 

10分ほど走ると、高級そうなマンションが林立する一角に着いた。S氏自宅の最寄駅、威宁路駅からだと約5km、タクシーで15分くらいの場所だ。中国のタクシーは日本よりも進んでいて、アプリで呼び出しが出来たり、交通卡や電子マネーでの支払いが可能らしい。運転手のジジイは無愛想で、ラジオでサッカーの中継を聞いていたが、ジジイが突然音量を上げたので、S氏は「吓死我了!(びっくりした!)」と中国語で叫んだ。運転手のジジイとはこれと言った会話もなく、目的地に着いた。S氏はダッシュボードの上に置かれたリーダーに交通卡をかざし、代金を支払っていた。中国へ来た当初はS氏もタクシーに乗ることさえ苦労したらしいが、4年も住んでいれば慣れたもので、何てことはないようだった。
 

マンションに囲まれた通りはホコ天になっていて、カフェやバー、ケーキ屋など、洒落た店がいくつも並んでいた。看板に「中医按摩」と書かれたマッサージ屋があった。この歩行街は黄金城道と呼ばれているらしい。このあたりは元々、日系企業の進出が増え始めた1990年頃に開発が始まり、日本人駐在員向けの住居棟が作られるようになったらしい。その後、徐々に店が集まるようになり、現在ではスーパーやらパン屋、レストランなど、日本人に必要な店は大概揃っているそうだ。小籠包の「千秋膳坊」や、ベトナム料理の「華越楼」という店が特に日本人から人気があるらしい。
 

今回、友人S氏が案内してくれた飯屋は、上海で最も人気のある鼎王无老锅という店だった。台湾に本店がある火鍋の有名店で、台湾に7店舗、上海に4店舗展開している。
 
そもそも火鍋は重慶発祥で、元々は金持ちが食べずに捨てていた動物の内臓を、貧しい码头工人(埠頭で働く人々)が食べ出したのがルーツだと言われている。で、動物の内臓の臭みを取り去り美味しく食べるため、花椒やらニンニク、八角、唐辛子、生姜などを一緒にグツグツと煮込んで食べるようになったそうだ。北京の东直门で、泥の中から捕まえてきた小龙虾(アメリカザリガニ)を、様々な香辛料をブチ込んで麻辣に炒めて食べるのも、同じ発想なのだろう。ちなみに島根県の山奥で甘い醤油が普及しているのも、元々は鮮度の悪くなった海の魚を美味しく食べるための知恵だと言われているが、これと似たような発想だろう。
 
重慶火鍋は辛すぎるためか日本では普及していないが、言ってみればしゃぶしゃぶの元祖みたいなものだ。とにかく、中国では火鍋と言うと激辛で真っ赤なスープが特徴の重慶火鍋がメジャーだけれども、「ここの火鍋はそんなに辛くなくて日本人の好みに合う」とS氏は言った。
 
店に入ると、まぁまぁ感じの良さそうな女性店員が出迎えた。S氏が「予約している」と店員に告げると、待合スペースに通され、メニューとバインダーに挟まれた注文票を渡された。どうやら待っている間に、自分で注文票のチェック欄にチェックマークを入れてメニューを選んでおくシステムらしかった。名物の冰激凌豆腐(bingjiling doufu、アイスクリーム豆腐)と面包豆腐(mianbao doufu、パン豆腐)は、無料具材として1人1個サービスされるようだった。面包豆腐のページには「一生に一度、パン豆腐を食べてください」、冰激凌豆腐のページには「アイスクリーム豆腐鍋をご注文されると、お一人にアイスクリーム豆腐を一つ差し上げます」とアヤシイ日本語が記されていた。おそらく日本人駐在員が多い街だから、メニューは中国語、英語、日本語対応にしたのであろうが、ネイティブの日本人から見ると、ちょっと可笑しい日本語だった。やはり外国語のメニューを作るならば、文章をネイティブに精査してもらうべきだと思うが、中々そこまで徹底している店は少ないようだ。しかし、まぁ中国語しか通じない庶民的な店に比べたら親切であるから、外国人は入りやすいのかもしれない。
 

店はほぼ満席のようだったが、5分ほど待っただけでテーブル席に通された。席に座って窓から外を見ると、ヨーヨー釣りをしているのが見えた。おもちゃの釣竿で、子供が楽しそうにヨーヨー風船を釣っていた。
 

席に座るとすぐに、店員が取り皿と箸を持ってきて、鍋を置くためのセッティングを始めた。その後すぐに、麵包豆腐白湯鍋無老辣香鍋を一度に味わえるハーフアンドハーフの鍋が運ばれてきた。こびとは柳橙汁(オレンジジュース)、私は加多寶という未体験のジュースを飲むことにした。S氏は「加多寶を飲めたら中国人だよ」と言った。中药(漢方薬)入りの清涼飲料水では、加多寶が最も人気があるらしい。このジュースは、2011年までは王老吉という名称だったそうだ。確かに奇妙な味がしたが、案外私の好みの味だった。
 
丸子盛合盤嫩肩小羔羊、野菜の盛り合わせなどを鍋に入れて食べた。白飯やつけ汁などはセルフサービスで、自分で厨房近くのカウンターまで取りに行くようになっていた。中国の飲食店では、白飯用の茶碗が異様に小さいことがままあるが、この店でも同様に小さかった。だいたいプッチンプリンの大サイズの容器を一回り小さくしたようなサイズだから、米がボロボロとこぼれて食いにくかった。しかし店員の対応もまぁまぁで、とにかく鍋が美味かったから、満足して店を出た。日本にはまだ上陸していない味の火鍋だが、きっと東京に出店したら大ヒットするだろうな、と思った。
 

店を出た後はホコ天をのんびり歩いて、通りに出てタクシーを探すことにした。しばらく歩くと、S氏が突然しゃがみ、地面に落ちていた何かを拾い上げた。1枚の10元札だった。誰かが落としたらしいが、いわば高級住宅街だからか、誰も拾う人がいない様子だった。
 
大通りでタクシーを拾い、S氏の自宅へ戻ると、3人で明日の予定を確認し合った。その後は、針灸用具店を見つけられなかった虚しさと、強烈な疲労感で、シャワーを浴びてすぐに寝てしまった。
 
 

3日目 


3日目は朝から3人で行動する日だった。この日は朝から杭州へ行って、夕方までに上海へ戻り、豫園を観光して、白玉あんこが名物の宁波汤团(ning bo tang tuan)と、小龍包が名物の南翔小笼包(nan xiangxiao long bao)で軽食をとって、鼎泰豊で夕飯を食べる、というのが私が描いていた予定だった。
 
虹橋火車駅から8:20発の动车(D3201)に乗る予定だったので、7:00に家を出た。マンションの1階へ降りてエントランスへ出ると、中国で人気のミニバン、シルバーのビュイックGL8が停まっていて、中国人らしきオッサンが荷室にゴルフバッグを入れている最中だった。どこの国も金持ちの休日はゴルフと決まっているな、と思いながら、オッサンの横を通り過ぎた。
 

S氏が住むマンションの最寄駅、威宁路駅は上海浦東国際空港からは遠かったが、虹橋2号航駅へは3駅、新幹線が発着する虹橋火車駅までは4駅だったから非常に便利だった。
 
中国には日本でいう新幹線が2種類ある。列車ナンバーがDで始まる动车(dongche、动车组列车)とGで始まる高铁(gaotie、高速铁路)だ。动车は主に中速域の200~250km/hで、高铁は高速域の300~350km/hで巡航する列車であって、時速が速いのがG、遅いのがDと区別すればわかりやすい。当然、早く目的地に着く方が料金は高いから、Gの方が若干チケット代が高い。
 
電磁波の問題は日本よりも認知されているらしく、マグレブの用地買収はあまり進んでいないらしいが、新幹線の路線に関しては比較的うまくいっているようで、カーブの少ないルートが多い。それゆえ、日本に比べると時速300kmでの巡航は比較的スムーズらしく、将来的にはヨーロッパまで新幹線をつないで、時速350km以上で巡航させる予定らしい。マグレブは時速600kmを目指しているらしいが、用地買収が進めば、近い将来実現するかもしれない。
 

国慶節前の日曜日であったせいか、駅はかなり混雑していた。新幹線のチケットは日本を経つ1ヶ月ほど前、事前に上海にいたS氏に取ってもらっていたから、切符売り場には並ばずに済んだ。杭州東駅までの料金は二等座で49元(約735円)だった。二等座と言っても、シートは日本の新幹線とほとんど遜色ないレベルだ。とにかく中国では新幹線の料金がベラボウに安い。物価が日本の1/5だと考えても、3675円くらいだ。上海から杭州までは約200kmあるから、東京から焼津あたりまでの距離になるが、東京駅から新幹線に乗った場合、西焼津まで6500円くらいだから、大体半額くらいの料金か、それ以下の料金で新幹線に乗れる感覚だろうと思う。まぁ、日本の新幹線料金は高過ぎるのかもしれない。
 

杭州へ行くには杭州駅か杭州東駅まで新幹線でゆかねばならないのだが、杭州の一大観光地である河坊街や西湖へ行く場合は、杭州東駅ではなく、杭州駅で降りた方が良い。最近完成した地下鉄が使えて、遥かに便利だからだ。上海からだと杭州東駅までのチケットの方が少し安いが、チケット代をケチって杭州東駅で降りるルートにすると、結局はタクシーを使わねばならず夕方は渋滞にはまって地獄を見ることになる。だからS氏には杭州駅までのチケットを買ってもらうように頼んだつもりだったが、お互いコミュニケーション不足だったのか、S氏は杭州東駅までのチケットを買ってしまっていた。
 
9月も下旬になると、国慶節が近づいてきて大型連休に入り始める中国人も多い。ゆえに新幹線は地方へ帰る人で混雑し、数分でチケットが売り切れ、当日は杭州から上海へ帰れなくなる可能性もある。そんなことも考えて、帰りのチケットも買うよう頼んでおいたのだが、S氏は現地で購入した方が良いと考え、私もまぁ平気だろうと同意してしまったのだった。しかし、これは失敗だった。
 

中国の新幹線の駅には空港と同じようなセキュリティーチェックがある。金属探知機でのボディチェックと、X線を使った荷物検査だ。中国は日本と違って物騒だから、こういうチェックは必然的に行われるようになったのであろう。しかし、日本では新幹線でガソリンを撒いて焼死した犯罪者が出たにも関わらず、未だに旧態依然としていて、鉄道路でのセキュリティーレベルはほとんど変化していない。日本の警察や役人は大事件が起こったり、死人が出てから初めて重い腰を上げるような風潮があるが、こういう点では中国の方が優れていると感じる。
 

新幹線乗り場は東京駅と比較にならないくらいに広大だった。感覚的には羽田空港よりも広い感じだった。虹橋火車駅にはホームが30か所あるそうだ。中国の高速鉄路は2004年に始まり、現在は総距離20000キロで、2025年までに38000キロまでに増やす計画らしい。
 
中国の新幹線と言えば2011年に起きた悲惨な事故を思い出す日本人が多いだろうと思うが、確かに事故処理の方法は問題があったのは事実だけれど、高速列車の事故はアメリカでもヨーロッパでも起きているわけで、運行本数と走行距離が遥かに多い中国の高速鉄路においては、全体的な事故の割合は日本のメディアが騒ぐほど多くはないのではないかと思う。日本では「中国の新幹線は乗車率が悪くほとんど乗っている人がいない」とか、「事故が多くて隠ぺいされている」とか騒いでいる人がいる。そういった輩は一度も中国へ足を踏み入れたことがないのに中国のことを知っているかのように喧伝することが珍しくないようで、実際に中国へ行けば嘘と真実が少しずつわかってくるものだ。
 

中国では新幹線も地下鉄も、ちゃんと定時で動いているし、特に大きなトラブルに遭ったこともないが、まぁ日本の公共交通網と比べると、確かに管理が甘い所が多々あるようで、今回体験したタクシーの故障や、去年見たバスの故障などは珍しくないように思える。しかし列車、特に電車に関しては日本よりも遅延率はかなり低いと感じている。新幹線は今回初めて乗ったからわからないが、地下鉄はほとんどの駅にホームドアが設置されているため、東京のように人身事故が毎日起こるなんてことはないようだし、むしろ人身事故が起こったことを聞かない。また点検で緊急停止するとか、そういう状況に遭ったこともない。バスやタクシーに関しては、日本よりも中国の方がリスクが高いと思う。こういうことは中国に来て初めてわかった。
 
朝食は3階にあるパン屋でパンを買うことにした。中国のパン屋ではパンが種類ごとにプラスチックのケースや、蓋付きのケースに入れて売られていることが多い。日本のパン屋ではトレーやカゴの中にパンが積まれており、パンがそのまま空気に曝されているから、誰かがクシャミをした時に唾が付いたり、おしゃべりなBBAの唾液が付着する可能性があるわけで、不衛生だなと思う。日本ではいなげやのようにパンを個別に袋に入れて販売したり、西友やデイリーヤマザキのように扉付きの棚にパンを収めて販売する、というパン屋は少ないらしい。
 
全く美味そうなパンがなかったが、仕方なく適当なパンを2つ選んでトレーに載せた。こびとはソーセージ入りのパンと怪しいサンドイッチをトレーに載せた。友人S氏の分もトレーに載せてレジに持っていくと、無愛想なBBAが会計をした。BBAはパンを1つずつ透明な袋に入れながら、目も合わせずに「ヨーグルトはいらないか」と聞いてきたが、S氏が「いらない」と言った。中国ではファストフードなんかでも会計時に店員がサイドメニューなんかを勧めてくることがままあるが、必要がなければキッパリと断らなければならない。
 

新幹線の発車まで30分以上あったので、ベンチに座ってパンを食べることにした。中国の新幹線乗り場は、マグレブと同様に発車直前までホームに降りることが出来ない。待合所がホームの上、2階にあり、乗車時間15分くらい前になるとゲートが開いて、自動改札にチケットをかざして1階へ降りて乗車する、というシステムになっていた。ゲートの上には電光掲示板があり、新幹線の詳細について表示されていた。100L以上と思しきバックパックを背負った、バックパッカーらしき白人がいた。
 
パンを食べた後、こびとはトイレへ行ったのだが、迷子になったらしく10分くらい戻ってこなかった。とりあえずゲートが開く直前に戻ってきたので安心した。やはり女は男に比べて海馬が発達していないゆえか、空間認識能力に欠けるらしく、迷子になりやすいようだ。女と子供を中国へ連れて来る時はGPSロガー(GPS機能の付いた探知機)でも持たせておくのが安心かもしれない。実際、中国では未だに子供の連れ去り事件が少なくないから、止むを得ず子連れで中国へ行かねばならぬ時は、子供には何かしらの防犯グッズを持たせるのが賢明であろう。まぁ出来ることなら子供は危険な場所へ行かないようにさせるのが一番だ。
 

定時でゲートが開いた。みな一斉にゲートへ群がった。チケットのQRコードをゲートのセンサーにかざすと、ゲートが開く仕組みになっていた。ホームは停電したかのような暗さだった。基本的に中国の駅は暗い場所が多い。昼も夜も、照明は必要最低限に使っている、という感じだ。こういう点では日本の駅は常に明るくて良い。
 

中国の高铁を実際に見るのはこれが初めてだった。ダサい、ボロい、というのが率直な感想だった。日本の一昔前の新幹線、といった感じにも見えたが、あまり洗練されていないデザインだった。連結部分だけで見れば、はやぶさとスーパーこまちの連結の方が遥かに洗練されていて美しい。まだまだ川崎重工の技術をパクッただけのレベルから、さらに上へ行くのは難しいのかもしれない。ホームに降りるまでの経路は日本の新幹線と大差はなかったけれども、新幹線の外観に関しては日本の圧勝だった。とりあえず発車まで時間がなかったので、数枚だけ手早く外観の写真を撮って、車内へ入ることにした。
 

席はすぐに見つかった。我々はそれぞれ0608A号(6号車8A番)、0608B号、0608C号に座った。車両の右側が2列席、左側が3列席になっていた。列車は定時で出発した。中国の新幹線には3種類の座席があり、最上グレードの特等席が約1割、グリーン車みたいな1等席が約2割、庶民が座る2等席が約7割、のような割合で座席がランク別に分けられている。立ち乗りもOKらしいが詳細は良くわからぬ。我々が今回利用した2等席は日本の新幹線によくあるタイプの普通席と似ていた。2等席でも日本の新幹線に比べると半額以下の料金であるから乗りやすいと思うけれども、月に1000元、良くても8000元しか稼げないような世帯にとっては新幹線の代金は決して安くはないから、さらに運賃の安い普通列車で数千キロ移動することも珍しくないらしい。
 

車両の先頭にある電光掲示板に「お子様をお連れの方は目を離さぬようご注意下さい」という文字が流れた。しばらく経つと、白いシャツに薄紫の制服を着た女の乗務員が歩いてきた。日本の新幹線のようにお辞儀はしなかった。遠くから見ると美人だったが、近くで見ると異様に化粧が濃かった。乗務員は切符を拝見するかのような素振りで歩いていたが、結局切符を見せる必要はなかった。
 
この車両はD3201号の动车であったから、時速250km程度で巡航していた。時速350kmで走る高铁だと4割くらい値段が高くなり、その分早く到着するが、まぁ一度はDにもGにも乗ってみたかったから、都合が良かった。
 

15分くらい走ると松江南駅に着いた。どうやら杭州に行くまでいくつか停車駅があるらしい。電光掲示板に「松江南駅に着きました」という文字が流れた時は、とうとう島根県も本当の中国地方になったのかと思ったが、上海市松江区という場所にある松江南駅らしかった。そういえば島根県には雲南市という場所があるが、やはり山陰地方は中国地方などと呼ばれるように、半島以外にも中国大陸からの渡来人が先祖になっているのかもしれないな、などと考えた。
 

我々の前2列の席にはBBAとジジイが座っていた。親戚なのか友人同士なのか知らぬが、斜め前に座っていたBBAが、おもむろに透明の保存容器に入れていたハミウリに楊枝を刺して配り出した。BBAは饅頭も隠し持っていて、ハミウリを食した後はみんなで饅頭を食い出した。本当に中国人はおしゃべり好きで、特にBBAは所構わず激烈にしゃべり続ける習性がある。いわばオバタリアンの部類だ。
 
列車は順調に巡航していたが、天井あたりから聞こえるジーッという電子音が少し気になった。走っている時の揺れ具合などは特に不満はなかったが、静粛性に関しては、やはり日本の新幹線の方が優れていると思った。
 

9:00に嘉兴南站に着いた。この駅は上海から100kmくらい離れた場所にあり、上海と杭州のちょうど中間くらいの場所にある。降りる人も乗り込む人も数人くらいだった。外の気温は29.2度であると、電光掲示板に文字が流れた。やはり南へ行くほど気温が上がってくるらしい。
 

暇だったので、車内を少し歩いてみることにした。トイレも洗面所も日本の新幹線と大差なかったが、まぁちょっと古めかしい感じがした。ある程度ちゃんと清掃しているらしく、極端に不潔な感じはなかった。昔の列車では車内で所構わず放尿している輩が沢山いたそうだが、今はそんなことはなさそうだった。
 

無料でお湯が出る給水設備があった。中国人はこのお湯で水筒のお茶を補充したり、カップラーメンを食べるらしい。
 

日本の新幹線では失われてしまった懐かしの食堂車があった。しかし、明らかに食事をしていないような客がテーブル席を陣取っていた。どうやら、指定席に座れなかった乗客は食堂車の座席に座って良い、という暗黙のルールがあるらしい。
 

車内をパッと見た感じは日本の新幹線とほぼ同じだった。しかし、やはり細かい質感は日本の新幹線方が勝っているように思えた。
 
杭州東駅には9:25に到着した。上海からちょうど1時間くらいだったから、ルール通りに時速250km以下で巡航した感じだろう。まぁ高速鉄路がなかった時代に比べれば、中国国内の移動も随分と楽になったのだと思う。しかも新幹線は日本よりも乗車料金が遥かに安いから、中流階級以上であれば気軽に移動しやすい。
 
「まもなく終点の杭州東駅に到着します」というアナウンスが流れるや否や、みな我先にと立ち上がり、降りる準備をし始めた。とりあえず無事に到着して安心した。しかし、かなりの人出だった。
 

とりあえずタクシーを確保するため、タクシー乗り場へ向かうことにした。杭州東駅は想像していたよりも広くて驚いた。駅の質感は東京のそれとあまり大差がなかった。
 

タクシー乗り場にはすでに15人くらい並んでいたが、タクシーが次々にやってくるため、すぐに乗ることが出来た。
 

S氏が助手席へ、私とこびとは後部座席へ座った。「とりあえず西湖へ向かってくれ」と告げた。運転手は40代前半くらいの男だった。ガイドブック片手に、「遊覧船乗り場へ行ってくれ」と言うと、「遊覧船乗り場は沢山ある。どこの遊覧船乗り場だ」と運転手が言ったが、どこが良いのかわからぬので、適当に連れて行ってもらうことにした。
 

センターコンソール(肘置き)の下には「タクシーサービス満足度評価ボタン」と記された機械が設置されていた。中国銀行の窓口にもこんな機会が設置されていた。最初は運転手の態度が悪かったから、右端の赤い「不満足」ボタンをポチッと押してやろうかと思っていたが、S氏が話しかけるうちに、運転手は徐々に親しみやすくなってきたようだった。だいたい中国人はむっつりしていることが多いが、話しかけてみると案外打ち解けやすい、ということはよくある。
 

S氏は4年間上海に住んでいたこともあり、なかなか流暢に中国語を話していた。しかし、運転手は終始口数が少なかった。
 

運転手は一番無難な場所でタクシーを停めてくれたようだった。タクシーを降りると目の前に西湖の地図と歴史を書いた大きな看板が見えた。ここから歩くと、すぐに遊覧船乗り場があった。
 

かつてはマルコポーロが訪れ、世界一美しい場所だと言ったらしいが、まぁ人造湖としてはよくこんなもんを作ったな、と感心した。湖面の大きさは宍道湖の半分くらいだが、実際に見てみると案外大きく感じた。世界遺産だけあって、とにかく人が多かった。とりあえず、チケットを買って遊覧船に乗ることにした。
 

遊覧船のチケットは大人1人55元(約825円)だった。S氏がタクシー代を払ってくれたので、私が3人分のチケット代を支払うことにした。小屋の小窓からチケットを受け取ると、女の係員が「地図はいらないか。5元だ」と言ったので、記念に地図を買うことにした。「杭州西湖全景図」と題された、西湖の名所を描いた手書きの地図で、中々良い雰囲気を醸し出していた。家に持って帰って額に飾ろうかと思ったが、すでに織り目が所々についていた。
 

船はすぐに出航した。船尾には中国の真紅の国旗がたなびいていた。我々以外はみな中国人で、船内は満席だった。船内の先頭には制服を着た姐ちゃんが立っていて、マイクで名所の説明をしていた。のんびりと15分くらいかけて、湖の真ん中にある浮島まで行くという説明だった。1元札のモチーフになった三潭印月と呼ばれる、湖面に浮かぶ石塔が見える蓬莱三岛で一旦乗客を降ろし、島を散策させてから、再び船で拾って対岸へ戻す、ということだった。蓬莱三岛小瀛洲とも呼ばれているそうだ。
 


乗客はみなワイワイと自撮棒を使って写真を撮りながら、係員の解説を聞いていた。若い女は自分の写真をSNSにアップするのか、人目も気にせず、変なポーズで熱心自撮りしていた。しかし、しばらく進んでも風景が一向に変わらない感じだったので、みな飽きてきたようだった。前の方に座っていたBBAはスマホでテトリスのようなゲームに興じていた。
 

湖面にはかなりの数の船が浮いていた。チャーター船のような小舟はモーターがないらしく、手動でゆったりと漂っていた。成金的な中国人が乗っていた。
 

島に到着した。とりあえず人の流れに乗って、島を1周してみることにした。狭い島なのに人が多過ぎて、歩くのが大変だった。満員電車の中を歩いているような感じだった。
 

雰囲気は井之頭公園に似ていて、歩く分には大して面白くなかった。所々にある売店が面白かった。中国人は商魂逞しいから、人が集まる場所なら僻地だろうが所構わず出店するようだ。とうもろこしや、おでんのような軽食が人気のようだった。
 

 所々に道案内の看板が立てられていて、日本語表記もあった。北京と違って杭州には上海の日本人駐在員が沢山観光に来るゆえ、日本語表記をつけているのだろうな、と思った。码头(matou、埠頭)という言葉は、2014年にCCTV(中国中央电视台)で放映されていた「勇敢的心」という長編ドラマでよく使われていた単語だから、码头という単語を見るといつもあのドラマを思い出す。
 

飲料水の他には、南方らしく、アイスや新疆哈密瓜(ハミウリ)や冰镇西瓜(冷やしたスイカ)が売られていた。ハミウリとスイカは大き目のボールカップ1つで5元(約75円)だったから、日本の物価と比べるとかなり安く感じた。だいたいアイスバーなんかは1本1~2元(約15~30円)くらいだ。中国都市部にあるスタバなんかでコーヒー1杯1000円前後するのが如何に異常なことかがわかる。本来、中国の物価は日本人にとってはこうやって安く感じるのが普通なのだ。
 
ハミウリは日本では馴染みがないが、新疆ウイグル自治区の哈密市で栽培されているメロンの一種だ。日本のメロンのような甘さや柔らかさはないが、中国人には人気のフルーツだ。この売店ではおでんの他にゆで卵や自撮棒も売られていた。最近はインドで自撮りしながら死亡する事故が相次いでいるらしいが、こういう水辺での撮影も危険が伴うから、自爆棒にならぬよう注意せねばならない。
 

しばらく歩くと、沢山の人だかりが見えた。西湖一番の名所である三潭印月が見えるスポットだった。
 
 

早速我々も写真を撮ることにした。早朝と夕暮れ時が最も美しいらしいが、まぁ昼間でも水墨画のような景観で趣があって少し感動した。三潭印月は西湖十景の1つだ。
 

三人で一緒に記念写真を撮った後、島の中心部にある小島へ行ってみることにした。島の中心には池があり、鯉が放たれていた。池に落ちそうな体勢で池を覗きこむ人や、食べかけのパンを鯉にやる人などがいた。
 

島の中心部には東屋と「三潭印月」と記された石碑があり、みな嬉しそうに記念撮影をしていた。中国の観光スポットにはたいてい石碑があり、その前で記念撮影をするのが中国人の定番らしい。
 

結局、この島での見どころは三潭印月ぐらいなものだということがわかったので、再び船に乗って島を脱出することにした。船着き場には中国人観光客の団体がいて、かなり行列していた。団体用と個人用に船着き場が分離されていたため、思っていたより待たなくて良さそうだった。しかし中国では休日に観光地へ行くと、どこも上海ディズニーランドのように行列して、たまったものではない。日本と違って国土が広いこともあり、それなりに船の数も多く、実質的な待ち時間は短くなっているような気もしたが。
 

船を待っている間、水筒のお茶を飲みながら何かを食っているジジイがいた。中国人は食べたくなったら食べるのが基本スタイルだ。まぁ食欲が正常で過食する人でない、という前提ならば、本来は人間も定時に飯を食うのではなく、動物のように本能に従い、喰いたい時に喰うのが気楽で健康には良いのかもしれないな、と思った。
 

結局15分くらい待って船に乗ることが出来た。船内は定員オーバーなのではないかと思えるくらいすし詰めであったが、BBAが写真撮影で船の真ん中を占拠していたため、みな迷惑していた。BBAは先ほど買ったらしき杭州名物の丝绸(シルク)を誇らしげに広げてポーズをとっていた。このBBA軍団のために我々は前に詰めることが出来なかったのだが、この状況にも関わらず、私の後ろから強引に突進してくる肥えた年轻男がいてキレそうになった。
 

無事に対岸に着いた後は西湖沿いに歩いて、飯屋を探しに行くことにした。杭州と言えば龍井茶とシルクが有名だが、特にシルクは上海などに比べて値段が安いらしい。そうは言ってもあまり人気がないのか、西湖湖岸のシルク屋は閑古鳥が鳴いているようだった。それゆえ店の一角で綿あめなど売り出すようになったのかもしれない。 
 
本当は、杭州駅までの新幹線を取っていたら、地下鉄を利用して河坊街を歩き、太極茶道苑で茶のパフォーマンスを見て、張生記か皇飯儿、知味観あたりで东坡肉(dong po rou)や宋嫂魚羹(song sao yu geng)を食べてから、西湖あたりを散策しようと考えていた。しかし出発点が杭州東駅になってしまったため、まずは西湖から観光を始めたわけだが、だいたい美味いと言われている飯屋は解放路にあったから、西湖からはかなり遠くなってしまった。
 

とりあえずS氏にスマホで飯屋を探してもらうことにして、しばし徘徊することにした。西湖の湖岸には座れる場所が沢山あり、湖を眺めながらボーッとしている中国人が沢山いた。世界遺産登録の記念碑があったので写真を撮っておいた。
 

 湖岸には休憩所があり、「杭州特产 东坡肉 泡藕粉 叫花鸡  水果」と書かれた看板の店があった。东坡肉は上海などでは红烧肉などと呼ばれているいわば豚の角煮だ。东坡肉の作り方は色々あるらしいが、滚肉とか东坡焖肉とか呼ばれていて、江南地区の伝統的な名物料理だと言われている。基本的に中国の南方では甘い味付けが多く、地方によっては何でもかんでも氷砂糖をぶち込むくらいだ。泡藕粉は乾燥させたレンコンを粉末にして熱湯で溶いた、トロリとした葛湯のようなものらしい。これは飲んだことがないからちょっと飲んでみたかった。叫花鸡とは下処理した鶏を荷叶(蓮の葉)で包み、粘土質の泥土で覆って蒸し焼きにした江蘇省蘇州市の名物らしい。これがなぜ杭州特産と看板に書かれていたのかは知らぬ。
 

今回、杭州では东坡肉を食べるのを一番の楽しみにしていたから、最も美味い东坡肉を出すという店を数か所ピックアップしておいた。それが前述した張生記、皇飯儿、知味観の3店舗だった。
 

9月下旬にも関わらず、気温は30℃を超えていて真夏のように暑かった。駅で買っておいた500mlの水がすでになくなりかけていた。腹も減って来ていたし、早く飯を食いたかったが、通り道にあった雷峰塔に寄ってみようということになった。雷峰塔がどんなものかは知らなかったから全く期待はしていなかったが、結果的には寄って良かった名所だった。
 

やはり名所だけあって、中々混雑していた。门票(入園チケット)は1人40元(約600円)だった。正面の門をくぐると、すぐに雷峰塔が見えた。階段に立ち、雷峰塔を背にして記念撮影をしている中国人が沢山いた。記念撮影している中国人は本当に嬉しそうだった。
 

階段の中央には長いエスカレーターがあった。障碍者や体が不自由な高齢者にとっては良い設備だろう。日本の観光地も場所によってはエスカレーターを設けた方が良いと思うが、景観が壊れるとか、費用の問題で中々こういう場所に設置されるケースは稀だ。同じアジア人でも、やはり中国人の方が合理的だな、と思った。
 

外のエスカレーターを上がると、塔の内部中央にはエレベーターが設置されていた。ほとんどの人はエレベーターの前に並んでいたが、刺激が欲しい若者などは階段を使っているようだった。我々もせっかくなので階段を使うことにした。
 

1階と2階は展示室になっていた。元々、雷峰塔は皇妃塔とか西关砖塔と呼ばれており、旧塔は木とレンガで組み上げただけの粗末な塔で、1924年に倒壊したらしい。で、その旧塔の遺構がそのまま新塔の内部に残されていて、ガラス越しにそれを眺められるようになっていた。しかし、こんなレンガ作りの塔じゃ簡単に崩れるだろうな、と思った。この展示室は禁煙であったが、スマホを見ながら堂々とタバコをふかしているアホがいた。
 

2階には塔の遺構の他に、浙江省で有名な黄楊(つげ)らしき木材を使った立体彫刻が展示されていた。中国にはこういった彫刻芸術が沢山みられるが、確かにこれは芸術だ。しかし完全密封の箱にでも入れておかないと、ホコリがたまって掃除が大変そうだな、と思った。
 

S氏が2階からエレベーターに乗ろうとしていたが、2階のエレベーターは障碍者専用らしく、警備員に門前払いされていた。
 

5階建だから大したことないかと思っていたが、階段が狭くて急傾斜だったので、思ったより疲れた。しかし最上階の天井には見事な装飾が施してあり、登り切った後の脳内麻薬の効果もあり、少し感動した。
 
 

外の眺めはまぁまぁだった。これまで高い所には色々登ってきたが、特に感動的な景色は広がっていなかった。特にミニチュア的な都市が眼下に延々と広がっているわけでもなく、かといって美しい自然の造形が見渡せるわけでもなく、凡庸かつ中途半端な景色であったから、少しがっかりした。シンプルながらも、果てしなく続くような地平線や大海原を望める灯台からの眺めの方が余程感動的だろうと思う。
 

下りはエレベーターを使ってみた。2007年に決められた西湖十景は、「苏堤春晓、断桥残雪、平湖秋月、柳浪闻莺、双峰插云、三潭印月、花港观鱼、南屏晚钟、雷峰夕照、曲院风荷」だそうだ。今回まともに見れたのは三潭印月だけだったけれども、まぁ西湖を見ることが出来たから良かった。
 

昼食はS氏のセレクトで玉皇食府という店へ行くことにした。玉皇食府玉皇山庄というホテルの1階に入っている餐厅(中華レストラン、料理店)で、中国传统八大菜(中国伝統八大料理)の浙江菜浙菜、浙江料理)が食べられる店として、中国人観光客から人気があるらしい。しかし観光地の中心部からはかなり離れた場所にあり、アクセスは全く良くなかった。
 

僻地にあるからか、店内は比較的空いていたが、ちょうど混雑のピークが終わった様子らしく、空いているテーブルはまだ客の残飯が残って散らかっていた。店員がとりあえずそこの席へ座れと店内中心部のテーブル席を指さした。荷物を席に置いて、店員がテーブルを片すのを待ちながら、メニューを見ることにした。店内を見回しながら、随分と暗い店内だな、と思ったら、自分がサングラスをしていることをスッカリ忘れていた。外は真夏のような感じに日差しが強かったので、サングラスをしていたのだった。
 

若い女の店員が食器を片し、濡れた布巾でテーブルを拭いたあと、乾いた布巾で乾拭きをした。中国にしては丁寧なやり方だった。店の奥では男の若い厨师(料理人)がロボットのように、黙々と刀削面の麺を削っていた。
 

適当に注文した。すぐに料理が出てきた。最初に注文していない西瓜とトマトが出てきた。どうやら前菜的なモノらしかった。可もなく不可もないような味だった。次に杭州名物、龙井虾仁が出てきた。これは杭州名物の龍井茶の茶葉と海老をシンプルに炒めた杭州の代表的な料理の1つだ。味はまぁ想像した通りだった。海老はプリプリしてなかなか美味かった。ライスを2つ頼んでいたが、何故か3つ来た。伝票には2つと記されていたから、どうやら店員が間違えたらしかった。面倒なのでそのままにしておいた。
 

次は西湖醋鱼が出てきた。これはダメだった。とにかく酢が臭すぎた。中国で使われているこの類の黒酢は本当にドブ臭くて食えたものではなかった。この魚は中国では草鱼とか鲩鱼(huàn yú)と呼ばれている中国原産の淡水魚だ。いわば鯉みたいなもので、日本ではソウギョなどと呼ばれており、環境省により要注意外来生物に指定されているそうだ。S氏もこびとも同様にダメだったらしく、この料理は止むを得ず残してしまった。
 

次は小龍包が来た。味はまぁまぁで、「鼎泰豊の方が美味いね」と3人で同意した。残念ながら、どの料理も少し冷めてる感じがして、感動が少なかった。
 

次は胡瓜と醉鸡だった。胡瓜は生の胡瓜を切っただけで、甘いたれに漬けて食べた。まぁ別に美味くも不味くもなかった。醉鸡龙井虾仁と同様、代表的な浙江菜の1つだ。熱湯で煮た鶏を黄酒や白酒、绍兴酒(紹興酒)などと調味料に漬けこんで、冷蔵庫で数時間冷やした料理だ。これも食べたことがなかったのでどんな味か期待していたが、ダメだった。基本的に私は酒を飲まないこともあり、酒の風味が強すぎるのと、鶏が冷えているのとで、美味く感じられなかった。特に骨ごと仕込んであったから、骨と髄液がボロボロと肉と混ざり合っていて不快だった。これも全部食べられなかった。
 

最後はお待ちかねの东坡肉だった。东坡肉は豚の角煮みたいなもので、浙江菜と言えば、まず1番に思い浮かぶ料理だ。1切れずつ頼める店と1皿ずつ頼める店があるらしいが、ここでは1切れずつ頼めるようだった。2皿頼んで、1皿はS氏、1皿は私とこびとでシェアした。东坡肉は確かに美味かったが、やはりアツアツでなかったもんだから、ちょっとガッカリした。結局、まともに食えたのは小龍包と东坡肉だけだった。どうも浙江菜は日本人の味覚には合わない気がした。実際に日本で日本人に馴染みのある中華料理といえば、川菜(四川料理)か粤菜(広東料理)ぐらいなものだろうと思う。
 
食後は近場でタクシーを拾い、 河坊街へ行こうということになった。 河坊街は杭州で最も有名なメインストリートで、北京で言えば前門みたいな観光用に整備された、古い町並みを再現した商店街だ。
  

大通りに出ると、すぐにタクシーを拾うことが出来た。朝乗ったタクシーに比べて運転手のジジイは大分フレンドリーで、「あんたら何人(なにじん)だ」とか「4年にしては中国語がうまいな」とか、「後ろの奴らは中国語がわかるのか」とか、色々とS氏に話しかけていた。私は、中国語を話せる友人は頼もしいなと思いながら、静かに2人の会話を聞いていた。
 
すると、突如としてジジイが運転席の窓を開け、隣で信号待ちしているタクシーの運転手に窓を開けろと合図した。隣のタクシー運転手とジジイは知り合いなのだろうかと思いながら見ていると、ジジイは「あんた、上海から来たのか?」と運転手に聞いていただけだった。どうやらジジイは浙江省ナンバーだらけの車に交じって、上海ナンバーのタクシーがいたことに驚いて、突然話しかけたらしかった。タクシーの後部座席には初老の中国人らしき夫婦が乗っていて、500元の運賃で上海まで連れてきてもらっている、という話だった。上海杭州間は、新幹線なら50元あれば移動出来るから、500元とはべらぼうに高いと思った。まぁ上海には大金持ちが沢山いるから、彼らにとっては安いものなのかもしれない。
 
運転手のジジイに「河坊街へ行くつもりだ」と言うと、「あんなところは外国人向けのボッタくり商売だから行く価値がない」と言った。「じゃぁ龍井茶で有名な龙井村でお茶を買うのはどうか」と聞くと、「あそこなら茶が安く買えて良い」とか「ここからそんなに遠くない」と言うので、龍井村へ連れて行ってもらうことになった。
 
龍井村は龍井茶を作る農家が住む農村で、10年くらい前から民家を観光客向けに開放して、有料でお茶を飲ませたり、良質な龍井茶を安く売っているということは事前に知っていた。しかし龍井村は山間部にあるため、限られた時間で行くのは少しリスキーだと思っていたから、あえてスケジュールからは外しておいたのであった。
 
運転手のジジイは地地道道(dididaodao、生粋)な杭州人だそうだが、標準語を丁寧にしゃべってくれたので、比較的聞き取りやすかった。私は聞き取りはある程度は出来るが、まだペラペラと流暢にしゃべることは出来ない。毎日CCTVを観ているからリスニングレベルは年々上達するが、如何せん日本にいると中国語で会話する機会がほとんどないから、スピーチレベルは上達し難いのだ。
 
時折、S氏がわからない単語があったりして、私がその意味を教える、という感じで会話をしていた。S氏が「彼は毎日CCTVを観て勉強している」とジジイに言ったが、ジジイはCCTVの意味がわかっていないようだった。どうやらジジイには「中央电视台」と言う単語でないと通じないようだった。
 
私が外を眺めていると、S氏は何やらジジイと笑いながら会話していて、「さすがにおまえでも〔二百五〕という言葉の意味はわからないだろう」と言った。「そんな単語知らないなぁ」と私が言うと、「アホとか馬鹿という意味の言葉だよ。辞書にも載っていないだろうな」とS氏が言った。これは勉強になったと思い、帰国してから辞書で調べると、辞書には二百五の意味が載っていた。清朝末期には銀貨500両を一封(yifeng)と言った。で、250両は半封(banfeng)と言い、「半キチ〇イ」の意味をもつ半疯(banfeng)と発音が同じだから、「二百五=半キチ」となったらしい。要するにこれは教科書には載らないような、ネイティブが使うスラングだったのだ。ちなみに、日本語では250を二百五十と発音するが、中国語では0が間にない場合や、末尾に量詞がない場合は最後の位数詞を省略して、二百五と発音するようになっている。タイムリーにも、帰国してから、中国の「勇敢的心」というドラマを見ていたら、霍啸林扮する杨志刚が、于毅扮する赵舒城に対して「你这么个二百五兄弟呢!(全く馬鹿な弟だ!)」という罵り言葉を使っていた。そういえば、このドラマでは「(pei)!(クソっ!)」という罵声も度々使われているが、どうもこの言葉は可笑しい感じがする。ちなみに師匠は北京に留学していた頃、アホな後輩を連れて銀行へ両替に行った時、アホな後輩を指さして「こいつは二百五十だけど、五十元両替する」などと冗談を行って行員を笑わせていたらしい。アホな後輩は二百五十の意味がわからずキョトンとしていたそうだ。
 

山道を20分くらい走って、ようやく到着した。不思議なことに、龍井村には山道沿いに数十か所もの農家が経営する民宿やらカフェなどがあったのに、ジジイは何故か山頂付近のとある茶農家の目の前でタクシーを停めた。おそらくジジイは茶農家とつるんでいて、金をいくらかキックバックしてもらう代わりに、ここらの状況に疎い観光客を連れ込んでいるのかもしれないな、と思った。
 

運転手のジジイに促されて農家の家に入ると、奥から小柄な50代くらいの老板(laoban、店主)らしきオバハンが出てきて、玄関からすぐ右手にある部屋に通された。どうやらここで商談するらしい。後ろを振り返ると、玄関の左手に習近平と店主らしきジジイが写った写真が飾られていた。どうも違和感のある写真だった。私が写真を見て訝(いぶか)しがっていると、こびとが「あの写真は合成じゃないの」と言った。毎年アメリカへ大量の偽薬を密輸入させてアメリカ人に地獄を見せている中国人なら、写真の合成など朝飯前だろうな、と思った。確かに見れば見るほど不可解な写真だった。
 

商談室らしき部屋には毛沢東の写真が誇らしげに飾られていた。これは本物の写真であろうと思った。カメラマンの腕が良かったのか、なかなか巧(うま)い写真だった。
 

椅子に座ってしばらく待っていると、先ほどの老板がテーブルの上に置かれていた大きな竹ざるに、茶葉を3種類広げて並べ出した。
 
龍井(龙井)茶で最も高級とされるのは明前茶(mingqiancha)だ。明前茶は清明節(毎年4月5日前後、3月下旬から4月上旬ころ)よりも前に摘まれた茶葉で淹れたお茶のことを言う。
 
中国茶は主に収穫部位と収穫時期によって細かくグレードが分類されているが、収穫時期による分類はおおよそ3つある。つまり、明前、雨前、雨后の3種だ。わかりやすいように箇条書きにしてみよう。
 

・上級→明前(清明節前、4月上旬まで)に摘まれた若葉→明前茶
・中級→雨前(谷雨、穀雨、4月20日前後)に摘まれた茶葉→雨前茶
・下級→雨(谷雨以降、4月末以降)に摘まれた茶葉→雨

 
最上級の龍井茶は、中国浙江省杭州市龍井村の獅峰山で栽培されている茶葉を使用しており、色緑(色の良さ),香郁(香りの良さ),味醇(味わい),形美(形の良さ)を極めた“四絶”を備える、中国で最も美味しい緑茶であると言われている。
 
龍井茶は主に獅峰、龍井、云栖、虎跑、梅家坞の5つの産地で栽培されているそうだが、標高が最も高い場所で栽培されている、この獅峰産が最上らしい。
 
特に、老板が竹ざるの上に広げた、画像右端の今年摘まれた新芽の明前茶は、独特の柔らかな甘みと爽やかな香りがあり、お茶にすると碧玉のような緑色になるらしい。さらに、茶葉は長時間お湯に浸しておいても、苦みが出ないらしい。きっと若葉だからカテキンやらカフェインだかの含有量が少ないのかもしれない。老板が言うには、「山の上の方で栽培している茶葉は汚染されていないが、山の下の方で栽培している茶葉は汚染されていて、お湯を注ぐと湯が混濁する」らしい。
 


で、百聞は一見に如かずで、「うちで作った茶葉を飲み比べしてみろ」ということになった。右端の茶葉が一番上級な明前茶で、老板は「害虫が付く前に摘んだ茶叶(茶葉)だから、農薬を使っていない。茶葉は食べることが出来る」と言った。老板は用意してあった3つの透明のグラスにそれぞれ茶葉を入れ、ポットのお湯を注いだ。茶葉が浮いてきたら飲み時だと言った。
 
待つこと数分、茶葉が浮いてきたので飲んでみることにした。私が最初に飲んだのは、一番左の安い茶葉を使ったやつ(雨茶)だった。確かに雨の方が少し苦かった。S氏が中国語で「グラスを交換しよう」と言ったので、順番に3種のグラスを飲み比べることにした。お湯は80℃くらいのもので、この村で汲める水を使うと最高に美味い茶が淹れられるらしい。そうなると日本では硬水で淹れなければダメなのかもしれない。
 

明前茶が採れる清明節前は気温が低く、茶葉の成長も緩慢であるため、相対的な発芽数は少ない。ゆえに生産量は極少であって、“明前茶,贵如金”と言われるほどに希少で市場価格も高くなる、というわけらしい。谷雨以降に摘まれた茶葉(雨茶)が最も安価で、日本で市場に出回っているものの多くはこれにあたるようだ。ネットショップによっては「金賞を取った茶葉です。これが証明書です」なんて謳って、賞状を画像でアップしたりしているが、中国では受賞や承認の類の賞状や看板の偽造なんて日常茶飯事だから、賞状の真贋が見極められなければ、最上級品であると判断するのは困難である。まぁ慣れた人なら実際の茶葉を見れば一目瞭然なのだろうと思う。

 


確かに明前茶は渋みがなくて、まろやかで、飲みやすかった。とは言っても、私はそもそも緑茶が好きなわけではないので、金と同じくらいの価値があるという明前茶の素晴らしさはわからなかった。
 
何度かグラスを入れ替えて飲み比べしたところで、料金の話になった。茶の販売は一两(50g)単位で、一番安い茶葉の雨茶が50g70元(約1050円)、雨前茶が50g120元(約1800円)、明前茶が50g220元(約3300円)だと言った。中国語で中医学関係の本を読んでいたから、「一两=一斤の1/10」であることは知っていたからオバハンが言うことは大体聞き取れていたが、緑茶が50g220元もするなんて、聞き間違えたかと思ったが、間違っていなかった。
 
日本で量り売りする場合は100g単位でやるものだし、だいたい50gなんかじゃお土産にするにも買った気がしないから最低100gは買うべきだと思ったが、そうなると100g3600円もするわけで、とにかく高すぎた。アホノミクスアベノミクスの影響で、人民元高だった去年は1元=20円を超えていたから、去年だったら100g8800円もするのだ。中国の農村なんか、1ヶ月数千元も稼げば家族を養っていけると言われているし、500mlのペットボトルの水なんか5元もあれば買える世の中なのに、50g220元なんて異常だ、と思った。しかし、まぁ北京で70店舗以上も支店をもつ张一元(張一元)でも、最高級な茉莉花茶(ジャスミン茶)の明前毛峰などは50g300元以上するものがあるから、希少な獅峰龍井茶の明前茶であれば220元は妥当というか、むしろ安いくらいなのかもしれないな、と思った。まったくお茶の世界は恐ろしい。
 
こんな個室でこの老板の話上手が作用すれば、ほとんどの人間は茶の価値がわからずとも買いたくなってしまうだろう。しかもこの老板には農家特有の野暮ったさも、ボッタクリするような腹黒いカッペ臭さもなく、都会から嫁いできたような少し洗練されたような雰囲気があった。それに加えて、老板は毎日良いお茶を飲んでいるためか知らぬが、明るく健康的な人相をしていた。そんなわけで値切る気にもなれず、これからお土産を探す時間もないだろうし、今後、龍井村に来ることもないだろうし、仕方がないから買ってやろう、ということになったのであった。
 
通常、中国で何かを買う時、商品に値段が付いていない市場などでは値段交渉をするのが基本だ。たとえ乾隆皇帝が飲んだお茶であろうが、宮廷に献上されていようが、国家元首が愛飲していようが、何某かの賞を受賞していようが、実際にはお茶に関しては門外漢であるから、このお茶に220元もの価値があるかなんてわからなかった。
 
で、私は紙に値段を書いて計算しながら、ウームと悩んでいたわけだったが、江戸っ子のように潔い良いS氏はすでに2240元(約33600円)分もの茶を購入していた。さすが年俸1000万元以上のリーマンは違うな、と思っていると、「おまえも稼いでんだから買えば」と急かされた。私が悩んでいるのは値段よりも、このお茶に220元の価値があるのかどうか、ということだったのだが、時間も限られていたので、どうせ買うなら一番高いやつを買ってやろうと、明前茶を250gほど購入することにした。まぁ日本では手に入らぬこの最高級茶葉を師匠や親族にくれてやったら、さぞ喜ぶであろう、と心の中で言い訳していた。
 

とにかく龙井茶は中国で最も有名なお茶の1つであるし、原産地であるこの場所へ来る機会はもうないだろうから、貴重な体験を金で買ったと思えば安いものだな、と思った。金を払った後は、老板に最寄りのバス停の場所を聞いて、店を出た。都合の良いことに店のすぐ近くにバス停があった。
 
ちなみに後日、東京へ帰ってから近所の某スーパーで「厳選!龍井茶」というような名称の茶が1袋1000円くらいで売っていたが、見本として置いてあった茶葉を観たら、酷く汚い斑模様の茶葉だった。ここで買った龙井茶は炒ってあっても若葉のような瑞々しい薄緑色だったから、確かに本物の明前茶だったのだろうと思う。他の銘柄もそうだが、基本的に日本で売っている中国茶は怪しすぎて買う気にならぬ。
 

バス停の前には「西湖龙井茶基地一级保护区」 と記された石碑が斜めに刺さっており、観光客が嬉しそうに記念撮影していた。結局、バスが来る前にタクシーが通ったので、タクシーを拾うことにした。
 

S氏が運転手に「杭州東駅まで」と言った。運転手のジジイは疲れているのか口数が少なかった。
 

かつての龍井村は茶畑があるだけで、茶農家は収穫した茶葉を出荷するだけの日常だったらしいが、いつからか観光客を受け入れるようになったそうだ。龍井茶が飲めるカフェやら民宿やらを経営しつつ、龍井茶やら桂花糖やら桂花酒(モクセイの花を入れた菓子や酒)などを便乗的に売るようになって、さぞや農家も豊かになったのであろう。今では山道に数十件の民宿やカフェが立ち並び、完全に観光地化している。しかも、どこも人だらけで、車がやっとすれ違えるくらいの山道は激しく渋滞していた。
 

こんな渋滞時であっても、何とかして先へ行ってやろうというキチ〇イがいて、そのキチガ〇は逆走していたわけだが、結局前後から車に挟まれ、身動きがとれなくなって大混乱していた。
 

何とか無事に山を下りて市内へ戻ってきたが、すでに渋滞が始まっていて、駅に辿り着くまで時間がかかりそうだった。ふと車内を見渡すと、S氏もこびとも疲れていたのか寝ているようだった。私も眠かったが、中国のタクシーで寝るのはリスキーであることを学んでいたので、気合で起きていることにした。ジジイは時折、ため息をつきながらダッシュボードのポケットに無造作に詰め込んだ人民元の札の数を数えたり、水筒の水を飲んだりしていた。とにかくジジイは眠たそうにしていた。
 
しばらく走ると、信号待ちで信号が青に変わったのに、タクシーが前に進む気配がないことに気が付いた。これはヤバいなと思い、スッと運転手のジジイを覗きこむと、ジジイはスヤスヤと首をうなだれて寝ていた。とりあえず急いで肩を叩いたら、ジジイは目を覚まし、何事もなかったかのように運転を再開した。
 

この一件でみな目を覚まし、ジジイは乗客全員に監視しながら運転することになった。ジジイはこの後も、また居眠りをしたが、肩を叩くとすぐに起きた。「钓鱼島是中國的(尖閣諸島は中国のものだ)」という切り文字ステッカーをバックドアに貼っているボルボがいた。結局タクシーで駅へ戻るまでの間に、似たようなステッカーを貼っている車を数台見た。やはりまだ反日感情を抱いている中国人は少なくないのだろうな、と思った。日本でも尖閣諸島の騒ぎがきっかけとなり、反中な人が増えたようだが、中国でもメディアに扇動された人々がやりどころのない感情をくすぶらせているのかもしれない。駅に近づくほど渋滞が激しさを増した。杭州は北京のように奇数と偶数の车牌(ナンバープレート)を規制する法律がまだ整備されていないらしいから、(PM2.5)が酷くなる11月以降は、渋滞と視界不良で事故が増えるのかもしれない。
 
 

渋滞とジジイの居眠り運転に遭ったものの、30分ほどで何とか無事杭州東駅に着いた。運転手のジジイは「昨日は13時間も働いてほとんど寝ていないんだよ」などと言い訳していたが、そんなことは知ったことではない。ジジイが自爆するなら一向に構わないが、こちらも巻き添えを喰うなんて御免だ。とにかくヒヤヒヤして、もう中国ではタクシーに乗りたくないと思った。
 
 

 ちょうど16:00を過ぎたころで、陽が沈みそうだった。予定では夕方までに上海へ戻って、豫園を観光する予定だったがダメそうだった。国慶節を控えた日曜日だったからか、チケット売り場は行列していて、多くのチケットが数分で売り切れるような具合だった。帰りの当日チケットは買えなくなることがあるという情報を事前にネットで見ていたが、やはりネットで先にチケットを購入しておくべきだったと後悔した。結局、S氏が行列に並び、何とかチケットを取ってくれたものの、18:54発の上海虹橋行きで、3時間ほど待たねばならなかった。
 

とりあえず地下で飲食店を探し、時間つぶすことにした。凄まじく広い構内を歩き、ケンタッキーが比較的空いていたので、そこへ入ることにした。
 

私とS氏はマンゴスチンだかのジュースを注文したが、あまり美味くなかった。こびとが注文した紅茶は普通に飲めた。しばらくすると、慈善活動への署名を乞う、クレクレ男が店内を端から練り歩き始めた。我々の所にも来たが「不要,不要」と言って突っぱねた。隣の席には若い男が3人座っていたが、クレクレ男が近づいても完全に無視していて、クレクレ男が肩を叩いたり、顔を近づけても全く素知らぬフリをしていたので、マンゴスチンジュースを吹き出しそうになった。 
 
あまりにも暇だったので、外へ出て扑克(puke、トランプ)でも買いに行くことにした。KFCの向かいにファミマがあり、ファミマに扑克が置いてあった。ついでに知り合いのお土産に中国限定の百奇(ポッキー)を数種買った。こびとはファミマの外で待っていたが、見知らぬ大学生くらいの女の子に声をかけられたとかで、何を言っていたのか全くわからなかったと言った。その女の子が近くにいたので「どうしたの?」と中国語で聞いたが、わけのわからぬ言葉をしゃべるので、困ってしまった。どうやら北京語ではないらしく、わけのわからぬ言語と、断片的に英語で「コイン、コイン」と言っていた。詐欺を働くような悪い人相はしていなかったが、これ以上関わっても無駄だと思い、別れを告げた。もしかしたら電話するために小銭が必要なのかと思ったが、近くにファミマがあるし、札を小銭に変える方法などいくらでもあるから、助けるのは止めにした。まぁ筆談したら何か分かり合えたかもしれないが、それほど切迫した感じでもなかったから何とかなるだろうと思った。中国ではわけのわからぬ詐欺もあるから注意しなければならない。
 

KFCへ戻った後は、薯条(shutiao、フライドポテト)の大を買って、みんなで薯条をつつきながら扑克をすることにした。新幹線に乗って食べるのか、テイクアウトする客が次から次に入店していて、レジは修羅場になっていた。薯条は注文してすぐに出てきた。ダルそうに接客する北京の北新駅前のKFCの店員や、客を無視する北京空港のバーガーキングの店員に比べると、日本人なみに働きぶりが良かった。薯条は太目のポテトではなく、マクドナルドのような細切りのポテトに変わっていた。
 
こびとが大貧民をやろうと言ったが、トランプなど20年くらいやっていないからルールをすっかり忘れていた。しかし、やっているうちに何となく思い出した。久々にやるトランプは案外面白く、あっという間に時間が経った。中国南方、特に上海や杭州などでは、昔から茶馆と呼ばれる喫茶店のような店でお茶を飲みながらゲームをして過ごす文化があるからか、KFCで長時間トランプをしていても文句は言われないようだった。
 

出発時刻の30分くらい前までに、新幹線の待合所へ移動しておくことにした。杭州東駅構内は空港とほぼ同じ作りになっていて、到着口と出発口に分離されていたから、少し移動が面倒だった。
 

外はスッカリ暗くなっていた。一度外へ出て、再度出発専用の入口から中に入った。往路と同様、荷物のX線検査とボディーチェックを受けてからホーム上の待合所へ入る、という手順だった。
 

検査所はかなり行列していた。30分で通過できるか心配だったが、セキュリティチェックがそれほど厳しくなかったので、10分ほどで通過出来た。
 

ホームが30か所もあるから、かなり沢山の人がいた。しかし待合所が広大で、ベンチが多く設置されていたから、人が多過ぎて不快だ、ということはなかった。
 

新幹線の発着情報を表示する電光掲示板も空港のそれと同じ感じだった。遅延もなく、みな定時で発着していた。
 
新幹線のチケットは右下のQRコードを改札に設置された機械に読ませて、ホームへ下りるようになっていた。
 

リッラクマの大きなトートバッグを持っている人がいた。中国でもリラックマは人気があるらしい。まぁ本物かどうかは知らぬが。
 

ベンチに座れぬ人は段差があればどこにでも座る様子だった。さすがに展示車の中に座っている人はいなかった。
 

 

定時で新幹線が着いたので、ホームへ下りることにした。ホームは予想外に明るくて清潔感があった。動画を撮っておいた。
 


奥のホームには寝台列車らしき車両が停車していた。
 

チケットには乗車する人の個人名が記されており、S氏と私の席が隣同士だったが、こびとの席は別車両だった。しかしこびとは中国語が解せぬから、S氏のチケットと交換してもらい、私の隣に座らせることにした。チケットには自分の名前が書いてあったが、交換しても席をチェックされないようだった。
 

我々の席は8号車の9Dと9Fだった。車両の先頭から入って9列目の席へ辿り着くと、すでに9Dの場所に見知らぬジジイが座っていた。ジジイは浅黒い皮膚に坊主頭で、中肉中背で落ち着きがなく、貧相で、明らかに中国的ブルーカラーな様相だった。私はチケットと座席番号を2度確認しつつ、ジジイをチラ見したが、ジジイは目をそらし、素知らぬ顔ですっとぼけていた。私は自分の席であることを確信し、ジジイを見下ろしながら「这是我的坐位(ここは俺の席だ)」と言った。ジジイは観念して、軽く頷きながら、ふてぶてしく前の席に移動した。
 
 
 

相手が席を間違えていることに気が付いていないような時は「你坐错了(席間違えて座ってますよ)」と言えば良いが、ジジイのように明らかな確信犯であった時は、強い口調で「这是我的坐位(ここは俺の席だ)」と言えば良い。
 
とりあえず手荷物を棚の上に載せ、こびとを窓側の席に座らせた。私はジジイが座っていた通路側の席に腰掛けることになったわけだが、頼んでもいないのにジジイが温めておいた温もりが背中とケツに感じられて、不快だった。
 


ジジイは前の席に移動していたが、遠慮なくリクライニングを最大限に倒しており、1ミリも反省していない様子であったので、しばらくイライラした。きっとこのジジイのような農村のカッペ同士ならば、「このおんどりゃー」とか「このめんどりゃー」などと鶏のように罵り合うのであろうが、私は大東京のシティーボーイなので、上品に黙っていることにした。
 
 

この高铁は往きの动车より明らかに内装がリッチだった。前の車両にはファーストクラスのような特等席が10席ほど見えた。座席の下にはコンセントが、窓の横には緊急時に窓を割る应急锤(ハンマー)が設置されていた。そういえば以前、中国で車両トラブルが起こり、新幹線が緊急停車した時、ずっと蒸し暑い車内に閉じ込められたままだった乗客がキレて、乗務員にドアを開けて換気しろと怒ったらしいが聞いてもらえず、窓を割って空気を入れ替えたらしいが、その時にはこの应急锤を使ったのかもしれない。日本でも車のトラブルなどで緊急脱出の時に使うようにと、10年前くらいから販売されているハンマーと構造は同じだ。少しの力で窓が割れる優れモノだ。
 
ジジイのリクライニングが邪魔だなと思いながらも、新宿のアニエスベーで服を買った時にもらった携帯型のバッテリーをコンセントにつないだ。しばらくすると、ジジイの座席の下から私の足元におもちゃのミニカーが転がってきた。
 
ジジイの隣には娘らしき女と乳児がいたのだが、どうやら母親に抱かれた乳児がミニカーを落としたらしかった。私はミニカーを拾い上げ、無言でジジイに手渡したが、ジジイはウンともスンとも言わずに受け取った。
 

しばらく経つと乗務員が「垃圾~,垃圾~(ゴミはあるか~)」と叫びながら、黄緑色のゴミ袋に乗客のゴミを集め出した。中国人の乗客は散らかして下車するのが普通だから、事前にゴミを集めて掃除を楽にする魂胆なのだろうが、中々合理的な発想だと思った。私の前の席にはゴミ同然のジジイが座っていたわけだが、ジジイは回収されないようだった。
 

トイレなどの内装も动车と違って少し高級感があった。ドアの近くには子供の身長を測るための掲示板があった。消化器も置いてあった。
 

上海には45分ほどで到着した。横揺れが酷過ぎて気分が悪くなるスカイライナーに比べると、遥かに快適であった。
 

上海駅からは地下鉄で、一旦S氏の自宅へ戻ることにした。最終日は早朝の便で日本へ戻らねばならぬから、空港近くのホテルを事前に予約しておいたのだ。で、S氏の自宅にスーツケースを取りに戻り、そのままタクシーを拾って3人で夕食を食べ、食後はS氏とお別れしてホテルへチェックインすることにした。
 

 タクシーはすぐに拾えた。上海での初乗りは3km14元らしい。とりあえず外灘(waitan)へ行くことにした。予定外にも遅くなってしまったから、上海で最も有名な観光地である豫園には行けなくなってしまった。まぁ仕方ない。渋滞に巻き込まれることもなく、20分くらい走って外灘に着いた。タクシー代はS氏が交通卡(パスモみたいなICカード)で支払った。
 

外灘と言えば旧租界時代の建築物と、高層ビルの夜景が有名だ。日曜日ということもあってか、沢山のカップルやら外国人であふれていた。最も目立つ东方明珠塔(dongfang mingzhuta)は中々綺麗だったが、まぁ東京で夜景を見慣れたシティボーイから見れば、そんなに驚くような夜景でもなかった。最上階あたりが空洞になった栓抜きのような形の風水的なビルは、森ビルだそうだ。とりあえず、3人で記念撮影することにした。しかし誰かにシャッターを押してもらわねばならなかったので、写真を撮ってもらいたそうな中国人カップルの写真を先に撮ってやり、さりげなく我々の写真も撮ってもらうことにした。
 

せっかくなので、S氏にこびとと私の写真を3枚ほど撮ってもらったが、すべて手振れしていた。写真を撮ってその場で現像する、というような店があった。
 

夜景を楽しんだ後は、徒歩3分くらいの場所にある花马天堂云南餐厅という店へS氏が案内してくれた。中国雲南地方とミャンマーあたりの伝統料理を現代的にアレンジした料理を出す店で、S氏が上海で最も好きな店らしい。店の前には物売りがいた。こんな都会的な上海にもゲリラ販売員がいることに少し驚いた。
 

店は2階建になっていて、1階の受付にスーツケースを預け、2階の窓際のテーブル席へ通された。店内は照明にこだわっているのか、かなり暗かったが、雰囲気は中々良かった。場所柄か白人客が沢山いて混んでいた。
 
この店の店名である「花马」という名称は、云南(中国雲南地方)の丽江(lijiang)という場所がかつて花马国と呼ばれていたことにルーツがあるらしい。天堂とは「幸せな場所、天国、楽園」の意味だから、「花马天堂」を日本語に直訳すれば「花馬パラダイス」といった感じだろうか。まぁそもそも翻訳というモノは別の文化の言葉に置き換えることだから、直訳すればへんてこりんな意味になるのはあたりまえであって、真面目に理解しようと思えば、そのままの言語で理解しようと努めねばならない。
 
メニューには雲南地方の料理の他に、ミャンマー料理もチョコチョコあった。花马国云南缅甸(miandian、ミャンマー、旧称ビルマ)の国境近くにあった地域だから、云南菜缅甸菜を融合させたようなメニューを展開しているのだろうと想像した。云南というと私はすぐに島根県の雲南市を思い浮かべてしまうが、云南も雲南市と同様、山奥にあるらしい。
 

メニューは白人の多い外灘らしく、英語と日本語、中国語で記されていた。どれが美味いのかわからなかったので、とりあえずS氏に美味そうなものを頼んでもらい、私とこびとは飲み物だけを自分で選ぶことにした。こびとは蜂蜜柠檬汁(fengmi ningmengzhi、蜂蜜レモンジュース)、私は缅式奶茶(mianshi naicha、ミャンマー風ミルクティー)、S氏は青岛というジュースを注文した。
 
ジュースで乾杯した後、お楽しみの料理が次々に運ばれてきた。雲南地方の料理を食べるのはこれが初めてだった。やはり、未知の味を体験するということは楽しい。北京と同様、上海でも地方へ行かずに労力少なく、比較的安全に地方の料理が食べられるのというのは魅力的だった。料理の画像を貼っておこう。
 

云南茄子拌豆腐(yunnan qiezi ban doufu)。50元(約750円)。
 

大理风味葱椒鸡(dali fengwei congjiaoji)。68元(約1020円)。ちなみに大理は、大理石の産地として有名な雲南省の都市の1つ。 
 

云南野菜饼(yunnan yecai bing)。40元(約600円)。中国語では野菜を蔬菜(shucai)と言い、山菜のような野生の食用植物のことを野菜(yecai )と言う。
 

云南蔬菜春卷(yunnan shucai chunjuan)。48元(約720円)。個人的にはこの春巻きが一番美味く感じた。漬けダレも未知の味で本当に美味かった。
 

傣族豆豉鲈鱼(daizu douchi luyu)。96元(約1440円)。傣族は雲南省に住む少数民族であるタイ族のことで、鲈鱼は出世魚であるスズキやセイゴのことだ。
 

 手前が古道铜盘锅貼( gudao tongpan guotie)。60元(約900円)。いわば焼き餃子。左奥が曼德勒蔬菜炒面(mandele shucai chaomian)。60元(約900円)。曼德勒はマンダレーと呼ばれる、ミャンマー中央部にある都市のこと。
 
ここの料理は、これまで食べた外食の中でズバ抜けて美味かったもんだから、他に支店がないかと調べたら、上海に2店舗と、北京の前门に1店舗あることがわかった。で、その後、Google Mapで前门花马天堂の場所を事前にプリントアウトしておき、北京へ行った際に探しに行ったのだけれど、結局Google Mapが間違っていたため、花马天堂の場所が見つからなかった。日本に帰国してから調べ直して、前门23号と呼ばれるエリアに花马天堂があることを知った。
 
3人でこれだけ食べて、会計は527元(約7900円)だった。そうそう、今回上海へ行って気が付いたのだが、「お会計」という言葉は中国の南方では买单(maidan)、北方では结账(jiezhang)と言うようだ。昔、NHKの中国語番組で「中国でお会計と言う時は买单を使いましょう」とローラ・チャンが言っていたから、初めて北京へ行った時は言われた通りに买单を使ったのだけれど、店によっては笑われることがあって、なぜ笑われているのかわからなかったことがある。ローラ・チャンは杭州人であるから买单を使うのが当然だろう、と今さらながらに気が付いたのだった。その当時のNHKの番組の関係者は买单结账の使い分けについて知らなかったのだろうと思うが、まぁNHKの語学番組のレベルなんてそんなものなんだろうなと確信した。
 
今回の上海ツアーでは、S氏には色々とお世話になったから、代金は私の请客(qingke、おごり)にした。花马天堂は中国だと高級な部類に入る飲食店だけれど、日本でこれだけのものを食べようと思ったら、こんな値段では食えないだろうと思う。まぁそもそも、これだけ美味い雲南料理はまだ日本には存在していないと思うが。
 
少し注文し過ぎて料理が余ってしまったので、打包(dabao、テイクアウト)することにした。ちなみに日本では食べ残しを持ち帰る習慣はほとんどみられないが、中国では打包するのが一般的だ。ゆえに、こういう比較的高級な店ではちゃんとしたテイクアウト用の容器が無料でもらえるようになっている。
 
日本では、日本の食品廃棄物の量が年間数百~約2000万トン(世界最高レベル)に達すると言われていることを知らない人も多く、食べ残しても何とも思わない輩が少なくない。中国のように食べ残しを減らそうとするような文化は日本も真似た方が良いと思うが、飽食に慣れた日本人には中々難しいかもしれない。しかも穀物自給率が100%を超えている中国と違い、日本は穀物自給率が30%未満であるにも関わらず、毎年5000万トン以上もの食糧を輸入に頼り、約2000万トンの食品廃棄物を出し続けているわけだから、どうにもならぬ状況なのかもしれない。基本的には個々人が食べ過ぎないように努め、外食した時でも食べ残さないように注文するのが理想だけれども、万が一食べ残してしまった時は中国のように打包する習慣でもつけないと、日本の将来も危ういかもしれない。
 
食後はS氏に大通りでタクシーを拾ってもらい、再び東京で再会しようと言って、お別れとした。タクシーだと、ホテルまで300元以上かかるのではないかとのことで、急遽、S氏にタクシー代として300元を借りた。今回は両替した額が少なかったので、手持ちの人民元は200元くらいしかなかったのだった。
 
タクシーの運転手は何故か軍手を装着して運転していて、雰囲気は日本の職人のようで、寡黙な感じだった。すぐに高速に乗ったが、こびとが運転手が寝ていないか確認しておいてくれと言うので、運転手の様子に注意しながら車外の景色を眺めていた。高速からは高層のホテルばかりが見えたが、多くのホテルは「〇〇酒店」だった。北京のホテルは「〇〇饭店」が多いが、どうやら南方に「酒店」が多いという話は本当のようだった。運転手はラジオで小説だか曲だかの朗読番組に聞き入っていて、意識はハッキリとしている様子で安心した。
 
この日泊まる予定の上海皇廷国际大酒店は、川沙站(chuan sha zhan)という、まだほとんど未開発に等しい、空港近くの埋め立て地あるはずだった。まだ建てられたばかりのホテルで地図に載っていないことや、周辺がほぼ未開発で名前の付いていない路地が多かったこともあり、運転手はホテルの場所を見つけられず、しばらく駅の周囲をグルグルと回っていた。タクシーにナビが付いていないことや、運転手のジジイがスマホのナビを使おうとしないことに少し驚いたが、結局、私がプリントアウトしておいたGoogle Mapを頼りに、何とかホテルに到着した。Google Mapは中国の地図に関しては間違っていることが少なくないが、とりあえずホテルの場所は合っていたようで安心した。結局22:41に乗車して、ホテルに着いたのは23:29だった。24時以降のチェックインは事前に電話することになっていたから、ギリギリセーフだった。外灘からの総走行距離は37km、運賃は156元(約2340円)だった。
 

ホテルの雰囲気は少し暗く、寂しい感じだった。フロントにはやつれた感じの若い男が立っていて、ロビーのソファーには金持ちそうな中年の中国人男が数人集まっていた。受付の男にすでに予約済であることを伝えると、「500元の押金(yajin、デポジット)を出せ」と言われた。やはり5つ星ホテルはレベルが違うな、と少し驚いた。これまで泊まった中国のホテルでは、チェックイン時の保証金は100元か、無料かのどちらかだった。結局、手持ちが300元しかなかったので、クレジットカードで支払った。カードキーを受け取ったあと、翌朝ホテルから空港まで無料のリムジンバスを出してくれるとのことだったので、6時に出発の予約を入れてフロントを離れた。
 

部屋は確かに豪華だった。日本でこれだけのホテルに泊まるとしたら、1泊4~5万円はするかもしれない。今回はエクスぺディアという予約サイトの早期予約で 45% 割引されていて、1泊11767 円だった。ちなみに日本では2人で1部屋に泊まっても2人分の料金が取られるようになっているが、中国では1部屋の料金を払えば、ホテルが決めている限界人数まで、1部屋分の料金で泊まることが出来る。だから今回のケースだと、実質1人1泊5884円であった。アホノミクスアベノミクスの影響かどうかは知らぬが、去年までは1元=20円を超えていたが、今年はやっと1元=15円に落ち着いてきたから、こうやって高級ホテルにも気軽に泊まることが出来た。朝食はビュッフェ形式で1人128元(約1920円)だったが、6時にはホテルを出発せねばならなかったので、朝食は無しにしておいた。
 

 水回りはとても清潔で快適だった。やはり中国では、可能ならば5つ星のホテルに泊まりたい。とにかく強い疲労感で倒れそうだったが、何とか歯磨きをして、シャワーを浴びて寝た。
 
 

4日目


5:50にチェックアウトする予定だったので、5:30に起きた。開発地ゆえか、夜が明けきらぬうちから、ホテルの前の通りを大型トラックが何台も走り抜けていて、タイヤがガタガタと地面を鳴らす走行音で自然と目が覚めた。早めにチェックアウトを済ませ、リムジンバスが出る時間まで、しばし外を散歩することにした。結局、ホテルの周囲には見るべきものもなかったので、すぐにロビーへ戻ることになった。
 

玄関の前に停まっていたベンツのVクラスで送ってくれるのかと思ったが、上海でおなじみのビュイックGL8が到着した。運転手が多少遅れてくるのではないかと思っていたが、予想外にも6時前に乗せてくれた。
 

車内でワイファイが使えるとは少しリッチだなと思った。運転手の男は終始無言で、あまり感じは良くなかったがちゃんと運転していた。車載カメラが付いており、運転手もちゃんとシートベルトをしていた。
 

ホテルからは10分くらいで空港に着いた。中国では特に早朝だとタクシーが中々拾えぬことがあるから、空港まで送ってくれるサービスがあるホテルを選んで正解だった。北京と違って、上海は市内から空港までのアクセスがとにかくに悪い。上海市内の数か所から空港行きのリムジンバスが出ているが、だいたい6時くらいが始発だから、6時くらいまでに空港へ行かなければならぬ場合などは間に合わない。
 

空港入口のすぐ目の前でセキュリティチェックをしていた。空いていたのですぐに通れた。こびとが「あの人寝てるよ」と言うので、荷物のX線検査でモニターチェック役の椅子に座っている警備員を見たら、本当に寝ていた。しかし彼は地獄耳を備えていたのか、我々がコソコソ話していると、ハッと目を覚まして、こちらを睨んできた。乗客は彼が寝ているとも知らず、黙々と荷物を通していた。
 

春秋航空のチェックインカウンターの前には、すでに大行列が出来ていた。春秋航空の規定では2時間前からチェックインが可能になっていたが、2時間30分前に来ても遅いくらいだった。やはり格安航空は油断できない。
 

 荷物規定が記された看板は、中国語を見た方がわかりやすかった。書かれた日本語は、中国語に平仮名を適当に付け足したような違和感あり、意味不明な文章が多かった。
 
並んでしばらく経つと、見知らぬジジイが何やら行列に近寄って来て、怪しげな紙切れを配りだした。ジジイが持っていた紙には「免税店にて95%割引」と書かれており、ほとんどの中国人は無視していたが、たまに受け取っている人がいた。
 

1時間ほど並んでやっとチェックインすることが出来た。時間的な余裕はあまりなかったから少し焦ったが、とりあえず無事に出国審査を通過した。
 

定刻通り搭乗が始まった。席に座り、窓から外を何気なく眺めると、整備士らしきジジイが座りながら爆睡しているのが見えた。あの位置にあの姿勢で寝るとは大胆だな、と思った。正直、この飛行機は大丈夫かいなと不安がよぎった。
 

こびとはあの居眠り整備士のせいで、この飛行機は落ちるんじゃないかと騒いで喧しかったので、「きっと整備が終わって疲れているんだろう」と適当に誤魔化しておいた。こびとの気を紛らわせるため、シートポケットに置いてあったパンフレットを眺めることにした。ペラペラとページをめくっていると、「佐贺 NAGOYA」という誤植を発見した。本当にこの会社は大丈夫かいなと思った。
 

とりあえず無事に茨城空港へ着いた。入国審査もスンナリしていた。あまりにもスンナリ入国出来て、茨城空港のセキュリティは大丈夫かいなという疑念を抱いた。
 

東京駅までのバスに乗ろうとしたら、「予約でいっぱいです」と言われ、愕然とした。どうやら茨城空港を利用する場合、東京行のバスは事前に予約しておかないとダメらしい。東京発と違って運行本数が極端に少ないのと、地元民が利用する頻度が高いゆえに、予約なしでバスに乗ろうとするのはリスキーらしかった。
 
日本人でさえ知らぬのに、中国から初来日した中国人観光客がそんな事実を知るはずもなく、バスに乗りあぶれた一部の中国人ジジイは発狂していて、係員のオバハンに「俺は急いでいるんだ!乗せろ!」と中国語で叫んでいた。しかし、係員のオバハンも茨城在住らしき強情な中国人であったから、スーツケースを蹴り倒して騒ぐジジイにも慣れた様子で、軽くあしらっていた。
 

係員の話では、これからもう1台すぐに別のバスが到着するらしかった。さらに、毎日必ず数席の土壇場キャンセルが出るとのことで、「そこに並んでいれば、今日は10人くらいは乗れますよ」と言われた。幸いにも我々は5番目に並んでいたので、何とか乗ることが出来そうだった。
 
茨城空港は、元々は防衛省が管轄していた飛行場らしい。現在は民間機と自衛隊機が滑走路を共用しているから、バスを待っている間に数機の戦闘機が次々と着陸して、五月蠅(うるさ)かった。明らかにツーリング中のバイク乗りらしき風貌の人々が、フェンス越しに自衛隊機を眺めていた。
 
20分くらい待って、何とかバスには乗れた。こんな地理もわからぬ僻地から、夜までに電車で東京へ帰らなければならなくなった状況を想像すると、ゾッとした。
 

東京駅へ着いた後は、地下街でラーメンを食べてから帰宅することにした。昔、松本零士の漫画を読み過ぎたせいか、外国から帰るとラーメンが食べたくなるのだ。
 
今回は針屋が見つけられず残念だったけれども、友人S氏の助けもあり、僅かながらも上海を楽しむことが出来て良かった。しかし、やはり東京在住であれば、羽田空港から中国へ飛ぶのが最も楽だろうと思う。もう今後は格安航空を利用することはないだろうなぁ、などと考えつつ、細麺をすすった。
 

(終) 

 


 
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