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  • 我的北京日记(漫游随想录)2015冬

早朝、东单駅前の広場で冰糖葫芦(水飴菓子)を売る女性。
 
 

我在东京。挺好的。

 
今回はJ〇Bのフリーツアーにした。予定通り、こびと(嫁)が同行することになった。去年は独りで北京入りしたけれども、やはり色々な面で2人のほうが都合が良い。
 
こびとは最近出来た反スパイ法などで中国に行くと拉致されるとか、麻薬をつかまされるなどと騒いでいたから、ちょうどスカパーでやっていた「我在北京。挺好的。」という北京の名所がサブリミナル的に刷り込んであるホームドラマを毎日のように観せて、北京は安全であると思い込むよう密かに洗脳しておいた。
 

中国語を勉強する前は中国ドラマなんて微塵も興味がなかったが、語学や文化の勉強も兼ねてドラマを観るようになると、中国ドラマは日本のドラマよりも遥かに面白いということを知った。どのドラマも色々とツッコミ所があったり、同じ映像を何度も使いまわしたり、小道具がチープだったりするのだが、とにかく役者の演技力が日本人のそれに比して、ずば抜けて良い。役者の気質を観抜いたキャスティングと、役者の演技が上手いもんだから、感動する度合いが日本のドラマに比べて遥かに強い。まぁ、実際には中国ドラマの大半は観るに堪えないものばかりだけれど、このドラマのように良く出来たものは本当に面白い。

 
中国ドラマを観ていると最終回までに最低1回は泣くものだが、「我在北京。挺好的。」では、不覚にも1話目の最終シーンで主人公が「我欠谁的~(私が何をしたっていうの~)!」と連呼するシーンで泣いてしまった。具体的には陶昕演じる晓园王茜华演じる小爱に大金を渡したあと、自分が身につけているイヤリングや財布の有り金も全て渡しながら「都给你,都给你。(これもあげる、これもあげるわ。)」、「行了吗?(これでいい?)」、「现在够了吗?(これで満足した?)」という迫真のシーンから心が揺さぶられた。とにかく配役が見事でキャラクターに違和感がないから、まるでドキュメンタリー映画を観ているかのような感覚に陥るのだ。飛び道具が頼りで、すぐにドンパチやる下品なハリ〇ッド映画や、声優未経験のアイドルやら大根役者を起用して話題をさらおうとする最近のジ〇リ映画に比べたら、中国ドラマの方が遥かに人間味があって面白い。ちなみに上記のセリフで使われている「(qian)」は通常、日本語と同様に「~が足りていない」の意味だが、このような口語では「人が嫌がるようなことをする」というような感じの意味だ。
 
これまで日本のドラマも沢山観てきたが、泣けたことは1度たりともない。エンディングはそれなりの無理矢理感があったけれども、全体的には良く出来たホームドラマだった。今度中国へ行ったら、DVDを買ってこよう。もう一度最初から観てみたい。そういえば、最近面白かったドラマはアメリカ発の「Dr.HOUSE」と「The Mentalist」くらいしかない。まぁ、どちらの作品もエンディングが良くなかったが、日本の低レベルなドラマよりは遥かに面白かった。
 
日本では基本的にドラマは週1回の放送だが、CCTV(中国電視台)ではほぼ毎日ドラマが放映されている。つまり月~金まで同じドラマを放映して、土日はまた別のドラマを流す、という具合だ。上海に出向している友人とこの話題になった時、「なぜ中国では毎日ドラマを放映するんだろう?」と私が言うと、友人は「中国人は我慢出来ないんだよ」と冗談めかして言ったが、それも一理あるかもしれないな、と思った。CCTVは視聴料を強制徴収するN〇Kと違って、過去に放映したドラマを全話無料で公式HPにUPしているから、N〇Kより遥かに好感が持てる。
 
海外へ旅行する場合、ホテルと航空券を別で取る方法もあるのだが、北京行きを調べた限りでは、フリーツアーを選んだ方が断然安く済むことが多い。おそらく他国でも同じ感じなのであろうと思うが、全部調べたわけではないから断言は出来ぬ。まぁ、初めての場所へ行く場合は多少は高くても信頼できる会社の添乗員付きツアーを選んで、その場所に慣れて来たらフリーツアーを選ぶのが無難だろう。フリーツアーとは文字通り添乗員が付かないツアーで、ホテルまでの送迎オプションを無しにすれば、極限まで安く済ませられるお得なツアーだ。とは言ってもアヤシイ旅行会社もあるから注意が要る。
 
 
 

1日目

出発日は土曜だったので、鍼灸院は午前中だけ営業することにした。当然、週末に来る患者が多いから、土日を休診日にすることはなるべく避けるようにはしているが、止むを得ず土日が出発日になってしまう場合は午前中だけでも営業するようにしているのだ。
 
飛行機は18:30頃の出発予定だったが、営業を終えて13時に自宅を出ても、あまり時間的な余裕は無かった。とにかく成田が僻地にあるのと、最近は空港内が爆買い中国人で混雑しているからだ。しかもこの日はフランスで大規模なテロがあったためか、空港のセキュリティが若干殺気立っているようで、保安検査場は大行列していた。
 
結局13時過ぎに仙川から京王線に乗り、新宿からは山手線で日暮里まで行って、14:45発のスカイライナーに乗ることにした。調布駅からリムジンバスに乗ることも出来たが、万が一事故があった場合、バスは電車に比べて迂回方法が少ないから、行きはなるべく電車を使うようにしている。確かに羽田くらいの距離ならバスも楽なのだが、私は体が大きいから、狭いバスの車内で長時間過ごすことがツライという理由もある。
 
島根に住んでいた頃、夜行バスで2回ほど東京へ行ったことがあるが、狭い座席で11時間近くも座って地獄を見たから、あれ以来長時間のバス移動は避けている。そういえばピンク色の車体が目印の某夜行バス(松江→東京)に乗った時は、出発して1時間ほど走った後、蒜山あたりで一度休憩しただけだった。つまり、ほぼ10時間休憩なしで走り続けたわけで、乗客はロクに動くことも出来ず、缶詰になっていた。エコノミークラス症候群は6時間以上座位を続けると起こりやすいらしいから、もしかしたら肺塞栓で死んだ人もいたかもしれないと思うと恐ろしい。当時、実際にはバスは3回くらいサービスエリアで停車したのだが、運転手2人が降りて密かに外で煙草をふかしているだけで、乗客は降ろしてもらえなかった。
 
あれから数年後に夜行バスで死亡者が出る大事故が相次いで、運行上の重大な問題点などが世に知られることになった。その後、夜行バス利用者の減少を危惧したバス会社が色々と改善したらしいが、とにかくピンク色の某バス会社が参入した初期はサービスが酷くて、2度と利用するもんかと思ったものだった。その後一度、中国J〇の夜行バスを利用したのだが、一番後ろの席だったためエンジン音と揺れが酷くて、休憩はちゃんとあったものの、それ以来長距離の夜行バスには懲りてしまった。
 
夜行バスに比べると、スカイライナーは遥かに快適だ。特にシートの前後間が新幹線なみに広いから、体が大きくても比較的ゆったり過ごせる。飛行機のエコノミーや高速バスと比べたら、断然に新幹線やスカイライナーの方が楽だ。しかし、電車はスーツケースを置くスペースがほとんど無いのと、途中の停車駅でDQN家族やら、カタカタカタカタキーボードをたたき続けるリーマンなんかに遭遇する可能性があるから、とにかくそういう輩に出逢わぬことを祈って乗るしかない。
 

日暮里まで行くのは面倒だから、将来的にはスカイライナーを新宿まで延ばしてくれたら成田へのアクセスも断然良くなって、羽田にこだわらなくても良いと思うが、実現は難しいかもしれない。アクセス特急という、ほぼ在来線と同じタイプの列車があるが、成田まで1時間くらいかかるし混雑するから、少し高くてもスカイライナーを利用した方が楽だ。とにかく節約第一の人はアクセス特急を選べばよかろうと思う。その分スカイライナーが空くし。

 
ホームのベンチに座り、こびとと新宿のルミネで買った八天堂のクリームパンをムシャムシャ食べていると、爆買いしたと思しきアジア圏の外国人家族がホームへ上がって来た。その外国人家族は大荷物を抱えていたから私達が座っているベンチの横に座るかと思ったが、どうやらスカイライナーの荷物置き場を先に確保する魂胆なのか、電車が到着するのを今か今かと待っている様子だった。

 
アクセス特急は本数が多いから、向かいのホームにいる乗客を次々と吸い込んでいく。スカイライナーは本数が少ないから、我々はしばらく与太話をしながら時間をやり過ごさなければならなかった。30分ほど待っていると、スカイライナーがほぼ定時でホームに滑り込んできた。すでにどの車両の前も列が出来ていたが、先頭車両にある荷物置き場に2人分のスーツケースを置くことが出来た。しかし中国人が先頭車両にある小さな荷物置き場に、次々と爆買い商品が詰まった段ボールやらスーツケースやらを積み重ねていくもんだから、後から来た日本人数人はスーツケースを置けず、困っているようだった。とにかく中国人のペースに圧倒されてモタモタしていると乗り遅れてしまうゆえ、日本人も中国人並みにドギつく行動しないといけない。

 
乗車率は50%くらいで全車両指定席だったが、勝手に席を移動している人がチラホラいた。スカイライナーは2分ほど停車したあと、すぐに動き出した。窓の外は曇り空で、周囲は次第に暗くなってきていた。隣の席には中国人が好むような伊達メガネをした、いかにもFXなんかで成り上がったような風貌の30代後半くらいの太めの男が、テーブルの上に載せたiPadをいじりながら、ニタニタしていた。終始挙動不審だったので視界から外れないように注意しつつ、新宿ルミネの地下にあるタイ料理屋で買った日替わり弁当を食べることにした。ここのタイ料理屋はタイ人が作っているからか本場の味がするようで、どの料理も中々美味い。いつも昼時は混雑していて、見知らぬDQNと丸いテーブルに合席になりかねないから、食べたい時は弁当を買うか、空いている時間帯を狙って行くようにしている。
 
そういえば、うちの母親はH流ブームに洗脳されて以来、K国産の食品を食べたり、化粧品を使った影響か、原因不明のアレルギー症状が発現して、最近は慢性の蕁麻疹に悩まされているらしい。蕁麻疹が鍼で何とかならないかなんてアホなことを言っていたが、慢性的な蕁麻疹の多くは薬害か食害による肝障害の結果だから、それらの原因物質を除かない限り、鍼灸でどうにか出来るモノではない。巷の愚かな鍼灸師は何でも鍼灸で治すなんて嘯いていて呆れてしまうけれど、鍼灸にも当然治せるモノと治せないモノがある。世間の一般的な認識では、鍼灸で治せるモノなんてあるはずがないとか、鍼灸はプラシーボに過ぎないとか、オカルトだとかいう感じだけれど、確かに日本にはそういう鍼灸ばかり存在しているから、そういう認識が過半数を占めるのは致し方ない。ちなみに私もここ数か月、毎日蕁麻疹が出たり、神経障害が出たり、咳や鼻水などのアレルギー症状が出て困っていたが、結局ビワの葉茶が原因で、それを止めたら全ての症状はピタリと止んだ。昔から素人や自称専門家がビワの葉茶にはアミグダリンが含まれているから癌に効くとか健康に良いとか怪しい論拠で騒いでいるが、実際にはアミグダリンが体内で分解されると青酸が発生して、癌細胞を殺すどころか正常な細胞を傷つけ、様々な中毒症状やら肝障害が出る可能性があると言われている。そもそもマトモに考えればわかるが、青酸が体内に入って癌細胞だけを都合良く殺して、他の細胞を傷つけず、肝臓に害を与えないはずがない。米国国立癌研究所(NCI)は、アミグダリンが癌細胞に対して効果が無く、青酸中毒を起こして死に至る可能性があるとして、米国食品医薬品局(FDA)も米国内でのアミグダリンの販売を禁止しているらしい。ちなみに、柿の葉茶も蕁麻疹が出ることがわかったから、今はほとんど飲まなくなった。
 
ついでなので、Y崎〇ンの蕁麻疹事件にも触れておこう。もう2年くらい前の話になるが、腐った野菜や産地偽装した魚介類を取り扱うのが得意な、近所の某スーパーで何気なく買ったY崎〇ン製のショートケーキを買った時の話だ。普段はケーキなぞ滅多に食べないのだが、仕事が忙し過ぎて頭がおかしくなっていたのか、大して美味くもなさそうなY崎パ〇製(298円)のケーキを買って、20時頃に食べたことがあった。賞味期限が切れているわけでもないのに、ケーキの上に載っていた苺が何故かドス黒くて、薬剤に漬け過ぎたのか、賞味期限を偽装していたのかわからぬが、一瞬食べるのをためらったのだが、結局捨てたら勿体ないと思い、食べてしまったのだった。22時頃は何ともなかったが、就寝して23時を過ぎたころになると、徐々に蕁麻疹が出てきて、あっという間に全身が蕁麻疹で覆われてしまった。ケーキの他にアヤシイものは口にしていなかったから、こりゃケーキのせいだなと思いつつも、とにかく痒くてしょうがない。虫刺され用に常備していたメンタームを塗りたくって何とか断片的に眠ることが出来たが、結局痒過ぎて熟睡出来なかった。翌日は痒いのを我慢しつつ仕事をしたが、結局、蕁麻疹が完全に消えるまで3日くらいかかった。ケーキは1切れ残していたが、迷わずゴミ箱にぶち込んでおいた。こんなに長時間、沢山の蕁麻疹が出たのは生涯でこれが初めてだった。
 
これまで様々なケーキを食べてきたが、Y崎〇ン製のケーキを口にしたのはこれが最初で最後だった。数年前まではY崎〇ンの菓子パンを好んで食べていたが、この事件をきっかけに、一切口にしなくなった。ネットではかなりヤバい薬品が使われているとか、マッ〇のハンバーガーと同様腐らないとか噂されているが、確かにラ〇チパックなどを代表する巷の総菜パンが、常温で長時間店頭に並べられていること自体が異常だし、最近はとにかく食品添加物の害が色々と叫ばれているから、加工食品はなるたけ避けるようにしている。ちなみに中国で最近アレルギー疾患が急増しているのは、大気汚染の他、食品添加物や薬害の影響だろうと言われている。日本でも慢性鼻炎や花粉症が増えているが、おそらく中国と似たような状況だろう。
 
多少の痛みなら何とかやり過ごせるものだが、とにかく痒みというモノは厄介で、やり過ごし難いモノである。最近もアトピー性皮膚炎による痒みに悩む人が一向に減る気配がないけれど、アトピー性皮膚炎も主に薬害などによる肝機能の低下や、過食による小腸および大腸の慢性炎症、それに付随する自律神経失調などが根因にあるようで、ほとんどの場合は薬を絶つか、過食や添加物の害を減らして食を正せば改善するようだ。ゆえに、当院ではアトピー性皮膚炎は鍼灸では完治させられぬというスタンスだから、施術は全てお断りしている。たまに鍼を刺すと症状が改善するから刺してくれという患者がいるけれども、何よりアルコールで患部を消毒することによって、皮膚の炎症が悪化するデメリットの方が大きいから、特に皮膚の炎症が酷い場合は食事療法や、害となっている薬物の排除が最優先になるべきで、鍼治療は避けるよう助言している。
 
とにかく、現代にはアヤシイ食品や薬物が数多存在しているから、自衛するしかない。最近はパンを食べたくなったら、新宿南口にあるゴントランシェリエで買うことにしている。ここのパンは特に蕁麻疹が出ることもないし、べらぼうに美味い。中国にもこの手の話は沢山あるから、中華料理にも恐ろしい部分はあるのだが、中華料理に関しては何となくヤバそうなモノの見分けはつくので、たまに食べたりする。中華は食べたいけど怖いから嫌だという場合は、一般的に台湾人の方が真面目だから、台湾料理の方が比較的安全かも知れない。ま、台湾でも下水油を使った輩が逮捕されているらしいから、実際にはどうかわからぬが。

 
成田空港に到着したら、まずはJ〇Bのカウンターへ行かねばならなかった。しかし場所がわからないので、案内所で聞くことにした。受付の女性に「J〇Bのカウンターはどこですか?」と聞くと、意味不明な回答をするので、困ってしまった。南ウイングの4FにあるJ〇Bの受付カウンターは一つしかないはずだが、受付の女は全く持って理解不能な言葉を発して埒が明かないので、仕方なく幼児を相手にしているつもりで、最も平易な単語を簡単な語順で、わかりやすく話しかけることにした。すると、やっとJ〇Bのカウンターの場所がわかった。何のことはない、案内所のある通りをまっすぐ歩いて突き当りまで行けば良いだけだった。つまりは画像の奥の場所だ。「向こうの奥の突き当りにありますので、ここを真っ直ぐ歩いて下さい。」と言えば良いだけなのに、そんな簡単な説明さえ出来ないアホを案内所に配置するのはどうかと思ったが、とりあえず自分の用件は済んだので、放置しておくことにした。

 
J〇Bのカウンターに着くと、パスポートと事前にプリントアウトしておいた日程表を出すだけで、すぐにEチケットが発行された。受付にいた係の中年女性は、先ほどのドン臭い女と違って、手際も良いし説明も明瞭であったから、すぐに受付が完了した。チェックインカウンターはEかFのどちらかに行けば良いようだったが、どちらも爆買い中国人で行列していたので、J〇Bのカウンターから最寄りのFカウンターで航空券を発行することにした。
 
北京へ向かうNH955便の出発時刻は18:25だった。16時過ぎにチェックインカウンターの行列に加わり、16:40頃に発券、その後すぐ向かいのセキュリティ検査の行列に30分ほど並び、最後は3階へ降りて出国手続きの行列に並んだ。結局何だかんだで全てが終わると17:30を過ぎていたので、ちょっと休憩してすぐに搭乗手続きが始まる、という具合だった。

 
搭乗口は28Cで、空港の端にあるから辿り着くまでかなり歩くことになる。途中、免税店などを冷かしつつ、KABUKI GATEなるコーナーのある通りを通って、搭乗口目指してのんびりと歩くことにした。

 
僻地に追いやられた搭乗口ゆえ、飛行機までは連絡バスに乗らねばならぬから、空気が澱んだ感じの半地下的な待機所で待たねばならない。バスで飛行機まで行く待機所はどこも雰囲気が良くないが、成田空港のこの場所は特に雰囲気が宜しくない。例えるならば古い大病院の地下に近い感じだ。霊安室があるそれのように、おどろおどろしい感じはないが、とにかくあまり長居したくはない空間だ。
 
待合所は普段よりも多くの外国人で溢れていて、おそらく何れかの便が遅延しているのだろうと思った。搭乗時間が遅れてイライラしているせいか、ベンチに座らず立ってウロウロしている人が多かった。それゆえベンチは所々空いていて、容易に座ることが出来た。

 
柱のすぐ横のベンチに座り、持参したじゃがビーをチビチビ食べながら待っていると、周囲にいる外国人がガヤガヤと騒ぎ始めた。飛行機の出発がかなり遅れているらしく、みなイライラが頂点に達しているようだった。すると、スカンジナビア航空の機体が緊急整備が必要だとかで、「今夜の出発は明朝7時に変更します」というアナウンスが流れ、周囲が一斉にOh~!とどよめいた。
 
その後、立て続けに「2万円を上限にホテル代を出しますので、今夜泊まるホテルは各自手配して下さい」というアナウンスが流れた。CAは日本語でそう言った後、再度英語でアナウンスするのだが、とにかく発音が下手だった。こんな緊急時に重要事項を聞き取れぬ外国人はさぞや混乱するだろうなぁと思ったが、みな案外聞き取れているらしく、しばらくすると散り散りに解散し始めた。白人ばかりだったせいか大きな混乱はなかったが、もしも某国人の集団だったら暴徒が出ていたかもしれないな、などと考えた。
 
28Bの搭乗口で行列していた白人集団がいなくなると、やっと周囲のモワッとしたした、酸欠不足になりそうな雰囲気が解消された。隣にいた日本人のツアー客は添乗員を取り囲んで今後の話などを聞いていたが、温厚な老人ばかりで、「アラヤダー」とか「アラマー」、「アー」、「ウー」とか言葉を発するだけで、これまた大きな混乱はないようだった。まぁ、どうせ定年して暇を持て余しているジジババばかりのお気楽ツアーだろうから、たとえ予定が狂ったとしても、何てことはないのだろうなどと考えた。
 
そんな下らんことを想像していると、突然、居残り組らしきロシア人風の白人女性が「スイマセン。日本人デスカ?電話貸シテモラエマセンカ?」などと話しかけてきた。どうやら外国人が使っているスマホやタブレットやらは、SIMの関係でネットワークにつながらないらしかった。女性が「コノ電話番号ニ電話シテクダサイ」と言うので、渡されたメモ描きを見ながら電話をかけてやったが、何回電話してもつながらなかった。どうやら先方は吉祥寺に住む日本人らしく、女性はその日本人男性のワイフとのことだった。困った女性は「コノヘンニ公衆電話アリマセンカ?」と聞いてきたが、普段から公衆電話なぞ使わぬからどこにあるかなんて知らぬ。「とりあえずインフォメーションカウンター行ってみたらどうですか。」と言うと、「アリガトウ」と言い残して消えてしまった。日本人を夫にしてるからか、日本語はまぁ通じる外国人だった。
 
その後、平穏になったベンチでボケーっとして座っていると、搭乗口が28Cから一番左端の28Gに変更になったと言うアナウンスが流れた。北京で搭乗口が変更になった時はロクにアナウンスもされず、知らぬ間に搭乗口が変わっていた、ということが何度かあったが、成田空港では変更を知らせるプラカードを掲げたCAなどが歩き回っていたりして、安心した。
 
早速28Gへ移動すると、すでに中国人が行列を成していたので、ベンチに座らずに行列に加わることにした。後ろに立っていたチャイニーズアメリカンらしきカップルが、「UFCに出ている○○は最高のファイターだ」などと英語で話していた。
 
外は雨脚が強くなって来ていて、そのせいもあってか、北京行きの便も遅れが出ている様子だった。搭乗時刻は定時だったものの、バスで飛行機まで行くと大雨で、CAがさす大きな傘の下を潜ってタラップを上がったが、雨で服が濡れてしまった。

 
「出発を待つ他の便が並んでいるため、予定よりも出発が20分ほど遅れます」という機長のアナウンスがあった。CAが申し訳なさそうに飴を配り始めた。私は持参していたゼンハイザー製のヘッドホンで、中文字幕の「 不可能的任务(ミッ〇ョンインポッ〇ブル)」を観ることにした。使っているセリフが簡単だから、英語でも中国語でも字幕なしで理解出来たが、あまりにも面白くなかったので別の映画を観ることにした。最近上映されている作品では、故水野〇郎監督の「シ〇リア超特急」なみに駄作であると酷評されていた「進撃の〇人」実写版を観ることにした。頑張って15分くらいは観賞したが、そもそも映画は頑張って観るものではないことに気が付き、これも観るのを止めてしまった。石原さとみは確かに可愛かったが、どうもストーリー的にも演出的にも耐えられぬモノがあったので、音楽でも聴くことにした。やはり「ド〇ゴンボール」然り、「の〇めカンタービレ」然り、漫画の実写版で最後まで楽しめた映画を私は知らない。

 
遅延は当初20分程度とのことだったが、結局45分遅れての出発となった。出発後、シートベルト着用のサインが消えていないのに、レズビアンらしき中国人カップルが何故か2人で狭いトイレに入っていた。遅延にみな不満そうだったが、飛行機が離陸し、お待ちかねの機内食が提供され始めると、すぐに大人しくなった。機内食は「鶏ももつくねの焼き鳥丼(A)」と「クリーミーシーフードドリア(B)」のどちらかを選ぶことになった。当然、私は和食が好きなので和食を頼んだが、数が足りていないとのことで、仕方なくBセットを選んだ。味はまぁまぁだった。他の航空会社と比べると、やはりA〇Aの機内食は無難だ。

 
今回、海外への渡航が初めてのこびとは、窓側の席で「飛行機は怖い。落ちたら怖い。」とプルプル震えながら騒いでいたが、機内食が出ると気が紛れたのか大人しくなっていた。こびとは生意気なことに、私が食べたかった「鶏ももつくねの焼き鳥丼」を食べていた。

 
通常、成田→北京は4時間かかるが、偏西風の影響が少ないのか、CAがアナウンスを間違えたのか、北京到着は3時間後とのことだった。しかし出発が19時を過ぎていたから、早く見積もっても北京空港への到着は22:00を過ぎるだろう、と思った。通常、北京空港では預けておいた荷物が出てくるのが異様に遅く、30分以上待たされることも珍しくないから、終電に間に合わないかもしれないな、と考えた。ホテルは崇文门駅が最寄りだから、空港線の終電に間に合って东直门駅に辿り着いたとしても、东直门駅から出ている地下鉄2号線は22:30くらいで終了だから、こりゃ面倒なことになるな、などと考えていた。
 
安いツアーで使う飛行機はたいてい早朝便か最終便での出発が多い。しかし、帰国する時は早めの便の方が楽だから、止むを得ず成田発の最終便に乗るようになってしまったりする。要するに、往路は成田発最終便、復路は北京発早朝便というような、滞在時間が最も短くなるようなフリーツアーが最安だから、旅費を最大限に節約したい人はある程度旅慣れていないと、後々色々と面倒なことになりやすいのである。

 
面白い動画がなかったので、自分のiPhoneに入っている音楽でも聴こうと思ったが、とりあえずA〇Aが提供している音楽を漁ってみることにした。Norah Jonesという項目があったので、ページを開いてみると、何のことはない、デビューアルバムから数曲ピックアップしただけの内容だった。しかし、選曲は中々センスが良かったので音質を確かめがてら聞いてみたが、自分で作ったiPhoneのプレイリストの方が素晴らしいので、結局自前の音楽を聴くことにした。
 
機長が出発前に言っていた通り、飛行して20分くらい経つと気流が不安定なスポットに入ったためか、機体が少し揺れ始めた。とりあえず、NIRVANAの隠れた名曲D-7や、お約束のLithium、マニア好みのFrances Farmer Will Have Her Revenge On Seattle、The Black KeysのLonely Boyなどを聴きつつ、密かに足でリズムを取りながら静かに目を閉じると、乱気流による多少の揺れは気にならなくなった。飛行機はとにかく揺れると気持ち悪くなりがちだが、軽い揺れなら音楽を聴いていると気が紛れて何とかやり過ごせる。それに足を踏み鳴らしていると下肢の筋肉が程良く動くから、エコノミー症候群の予防にもなり一石二鳥だ。ま、気を紛らわすのであれば、Walk Off The Earthの動画でも観て、ややこしい演奏に集中する方が効果的かもしれない。
 
ローファイなロックを聴いている内に機体の揺れが安定してきたので、再びNorah Jonesの曲を聴くことにした。やはりNorahはファーストアルバムが最高で、三作目のNot Too Lateまでが良かった。2012年だかに日本ツアーで広島に来た時、島根からライブを観に行ったのだが、英語圏のツアーではMCも長くて終始楽しそうにしていたものだが、広島では何故かほとんどMCが無く、怒涛の如くに新曲を歌い上げて撤収してしまったから残念だった。日本人が嫌いなのか、単に気分が悪かったのか、はたまた日本語圏だからか真相はわからぬが、やはりアメリカ人のライブは日本で観るもんじゃないな、などと感じた。とにかく、Norahは The Handsome Bandと音を出している時が最も輝いていたと思うが、ああいう時代に生のライブを観ることが出来た人は本当に幸せだと思う。

 
結局、北京空港には現地時間で22:10頃に到着した。飛行機を降りると外は真っ暗で、少しスモッグが出ていた。北京では11/15からセントラルヒーティングが作動するという話で、明日からは 雾霾(wumai、PM2.5)が増えるはずだった。しかし、まだ北京の最低気温は3度ほどで氷点下になるのは18日からの予報だったから、ちゃんとしたマスクがあれば屋外での行動も問題はないであろうと予想していた。北京向けのフリーツアーは一般的に12月に入ると激安ツアーが出ることが多いが、特別な理由がない限りは、さすがに重度の大気汚染の中、命を削ってまで行こうとは思わぬ。今回のスモッグは予想していたくらいの出方だったので、少し安心した。

 
とりあえず、問題は終電に間に合うかどうかだった。22時を過ぎているからか、空港内はガラガラで、今到着した便の乗客しか歩いていなかった。空港内は一部照明が落とされている場所があって、所々暗い。22時を過ぎても賑わっている成田空港とは大違いである。検疫検査はガラガラで、出国審査のブースも2つくらいしか開いてなかったが、空いていてスンナリ通ることが出来た。北京空港は結構広いから荷物を受け取る場所まで行くのが一苦労なのだが、終電を逃すことは出来ぬから、こびとが付いて来れるくらいのスピードで走ることにした。

 
しかし、検疫と入国検査が空いていて助かったと思いきや、預けた荷物が一向に出てこない。結局、乗客全員が集まった頃になっても、まだまだ荷物が排出される気配はなかった。とにかく今までで一番遅い。  
 
30分くらい待つと、私の前で特に何もせずに突っ立っていた、乗務員らしきA〇AのBBAの荷物が一番最初に出てきた。50歳を過ぎてると思しきそのBBAは、周囲に怒りを与えるほどのドヤ顔でスーツケースを拾い、そそくさといなくなってしまった。「BBAの荷物は後回しにして乗客の荷物を先に出せや!終電間に合わねぇじゃねえか!」と、思わず本音を口に出しそうになったが、日本の某コンビニで会計前に商品を食べたことを店員に注意されて、逆切れして夫婦で店員をドついて逮捕されて、中国国内でのブラックリストに登録された何某のことを思い出したので、大人しく我慢して待つことにした。最近は日本人だろうが、中国人だろうが、ヒステリーの中年女性ほど恐ろしいモノはないからだ。終電を気にしながらイライラしていると、その後やっと10分くらい経って、再びコンベヤーが動き出した。

 
荷物を何とかゲットして時計をみると、22:40を過ぎていた。結局荷物が出てくるまで40分近く待たされたのだった。すぐに荷物が出て来る日本の空港と比べると、中国人の働きぶりがよくわかる。おそらくダラダラくっちゃべりながら荷物を降ろしていたのだろう。

 
スーツケースを足早に転がし、もう間に合わないかもしれんなと思いつつ出口へ向かうと、今度は荷物のX線検査で行列が出来ていた。去年まではX検査なんてなかったはずだ。きっと北京へ発った日にフランスで大規模なテロがあった影響で、急遽セキュリティチェックがレベルアップしたのだろうと推察した。X線検査の機械は1台しかなく、その前に40人くらい並んでいたから、こりゃ間に合わんなと思いながら途方に暮れて並んでいると、 警備員が何やら私の後方へ目を光らせているのが見えた。すると突如として、私の後ろに並んでいた中東系外国人が行列の外に出されて、警備員にスーツケースを開けろなどと締めあげられていた。おそらく昨今のテロ事件で、中東系とウイグル族などに対しては、特に警戒しているのかもしれない。こんな時は本当に世界的に最も評判の良い日本人で良かったとつくづく思う。そういえば師匠は数年前に北京へ入国する際、入国審査の行列の最中、アホな連れに「タリバンは中国語で何と言うんや?」と聞かれ、大きな声で「塔利班(taliban)!」と返答したら、後ろに並んでいたチベット人が警備員に連行されて、飛行機が2時間遅延したそうだ。師匠は覚えたての単語を叫べるという、またとないこの機会を逃すまいと自信ありげに返答した様子だったが、これは軽犯罪なみに迷惑な話だったのかもしれない。

 
ちなみにX線は北京市内の地下鉄に設置してあるのと同じセルフ式だったから、自分で機械のコンベアにスーツケースを載せて通し、自分で拾うようになっていた。一見するとセキュリティが厳しいようだったが、背負っている荷物などはX線に通さなくても、警備員には何も言われなかった。結局、セキュリティチェックはこんな感じでユルユルだったから、5分ほどで通過出来た。
 
22:45にやっとのことで出口を出て、空港線の方へ行ってみたら、中国人が空港線へ向かってチンタラ歩いてるのがみえた。看板には22:50が終電と書いてあったから、何とか間に合いそうだった。「A〇Aめ、遅延した時の補償はどうしてくれるんじゃ」などとクレーマーのような言葉が脳裏をよぎったが、とりあえずはこびとが付いて来れる程度の速力でひたすら走るしかなかった。

 
切符売り場に着くと、ババアが何やら窓口の女駅員と揉めていた。イライラして待っていると、 一卡通(北京で普及しているパスモみたいなICカード)を持った南方訛りのジジイが後ろからいきなり横入りしてきて、「俺のチャージはいくら残ってるんだ!なんぼ入れたら足りるんだ!」などと、かなり興奮した様子で窓口の女にまくし立て始めた。ジジイも終電に乗り遅れまいと必死の形相で駅員から切符を奪おうとしていたが、こっちも急いでるし、割り込んで来たジジイ1人のせいで終電を逃すわけにもゆかぬ。ここは温厚でジェントルな日本人だとなめられぬように、ジジイの左側から無理矢理50元札を窓口に押し込み、「 两个人,两个人!(2人分くれ!)」とデカい声で言うと、係の女が乗車券を受け取り口に2枚放り投げた。

 
これでジジイは日本人が大人しいという先入観を覆されたに違いあるまい、ムフフとほくそ笑みながら、走って自動改札を通過すると、ちょうど終電がホームに滑り込んできた。普段は遅延が珍しくないのに、終電となると時間ピッタリに発車するらしい。早いとこ退社してやろうという中国人の魂胆なのであろうか。とりあえず、东直门駅までは辿り着けるであろうということにはホッとしたが、2号線はおそらく終電が終わっているだろうと思うと、「畜生!」と下品な表現しか出来ぬ気持ちになったが、まぁ何とかなるだろうと思うことにした。やはり、今後は东直门駅から歩いて行ける北京旅居华侨饭店(去年泊まったホテル)あたりに泊まろう、と心に決めた。

 
すでにホームの大半の照明は消されていて、車内灯が眩しかった。しかし、まばゆいほどの電車の室内灯は、まるで後光を備えた仏の救いの光にも思えて、先ほどのジジイの愚かしい行為も許せるような気がした。

 
乗客は20人くらいで車内はガラガラだったから座ることも出来たが、何となく立っていることにした。こびとは急に走ったせいか気分が悪いとかで、椅子に座っていた。ドア横の路線案内図の上に備えつけられた15インチくらいのボロい液晶テレビでは、CCTVの特別番組として放映された、抗日70周年のパレード映像がひたすらリピート再生されていた。この番組はちょうどタイムリーにスカパーで観ていたのだが、70という文字に見えるように隊列を組んで飛ぶ戦闘機や、かつて日中戦争を戦ったという「英雄」たちがパレードのオープンカーから手を振る映像が印象に残っていた。

 
終点の东直门駅に着くと、最後まで車内に残っていた数人足らずの乗客がパラパラとホームへ出てきて、唯一開いていた階段へ向かって歩き出した。エスカレーターはすでに停止していて、駅員は早く帰りたがっている感じだった。地下1Fへ上がると、女の駅員が2号線と13号線の連絡口の前に立って入口を塞いでいて、連絡口の上の電光掲示板には「終電は終わりました」という文章がエンドレスで流れていた。13号線は終電が一番遅いはずだから、もしかしたら動いているのかなと思ったが、すでに全ての地下鉄が営業を終えていたようだった。
 
ほとんどの乗客はその電光掲示板を見ると、もはや電車では移動出来ぬものと肩を落とし、地上出口へ向かうべく歩いていたが、乡下人(xiangxiaren、田舎者)らしき風貌の中国人が、「13号線はもう終わったのか」と駅員に聞いていた。どう見ても終わっているが、あきらめの悪い男もいたもんだなどと思いつつ、その男の横を通り過ぎた。中国は未だに識字率が低いから、もしかしたら彼は文盲だったのかもしれない。ちなみに中国語で田舎娘という蔑称を使う時は、「你这个乡下妞!(ni zhege xiangxianiu、このカッペ娘が!)」と叫べば良いらしい。ま、私は中国人女性の怖さを知っているので使いませんが。
 
地下1Fを歩いていると、北京空港のモノレールを降りたあたりで嗅いだのと、同じような独特の臭いが漂っていることに気が付いた。地下2階までは臭ってこないようだが、地下1階、地上出口付近になると、外の臭いが下りて溜まっているようだった。夏場はそんなに強烈な臭いはしなかったが、冬場はPM2.5の影響か、毒霧の臭いが一層強まっているようだった。この臭いは胡同(北京市内の古い路地)に漂うようなドブ臭い臭いにも似ているのだけれど、なんせ日本では経験したことのない未知の臭いだから、これといった例えが思い浮かばない。とりあえずちゃんとしたマスクを持って来て正解だった。

 
今回持参したマスクは重松製作所の「PM2.5対応 N95マスク 10枚入 DD01V-N95-1」だったのだけれど、このマスクをつけるとほぼ完全に悪臭がシャットアウトされた。しかも、このマスクはコンパクトな個別包装だし、長時間の装着も良好で、楽に呼吸が出来て良かった。まぁ、こういった排気弁付きのマスクにありがちな結露は仕方がないけれど、とにかくこれを付けている間は不快な悪臭が鼻に入ってこないので、外出中も快適だった。普段日本で使っているような簡易的なマスクはバンバン臭いが入ってくるからPM2.5は防ぎようがないと思うが、一部の中国人はそんなマスクでも平気だと思っているのか、高級なマスクを買う金がないのか、ほとんどの中国人はチープなマスクを使っていた。

 
しばらく地下1階を歩き、地上出口へつながる階段を登り切ると、警備員らしき風貌のジジイが右方の出口を指さしながら、「こっちへ出ろ。バスはもう終わった。」というジェスチャーで、バスのロータリー入口の前を塞ぎながら、ウロウロしていた。
 
东直门駅は北京市内で最も遅く閉まる駅なのに、東京にあるような深夜バスがないから真に不便だ。地上出口付近は街灯がないため暗く、閑散としていた。出口から少し離れた場所に自家用車が数台停まっているのが見えた。いわゆる黑车(heiche、自家用車を使った無許可営業のタクシー)だ。先頭車両の後ろあたりには、その運転手らしき中年ジジイが数人固まっていて、こちらを待っていましたという形相で窺っていた。どうやら最終電車であぶれた乗客を目当てに、待ち伏せているようだった。ちなみに中国語で黒は「」と書くが、には悪い意味が多い。ブラックリストは黑名单、不正な金は黑钱、闇市とか泥棒市は黑市、八百長判定は黑哨と言う。だから日本人で苗字に黒が付く人は、中国へ行くと印象が良くないかもしれない。
 
中国の正規タクシーは日本のタクシーと同様、屋根の上に行灯があり、車内には料金メーターが装備され、ダッシュボードには運転手のIDが書かれた身分証が掲示してある。外装は車体に黄土色のラインが入っていて、一目でタクシーだとわかる。しかし恐ろしいことに、広州などでは完全に外装をパクったニセタクシーが走っているらしく、現地人でも真贋の見分けがつかないらしい。さらに、公共バスの偽物も走っているらしく、アホな外国人を乗せては身ぐるみ剥がしたり、拉致したりするらしい。以前も中国で黑车を利用した日本人女子大生だかが殺害された事件があったが、特に可愛い女の子などが一人または複数人で乗った場合、拉致されて売春宿に売り飛ばされることも少なくないという。臓器売買なんかもあるという話だから、超絶ブサイクな女子でも油断は出来ない。基本的にタクシーには乗らぬのが賢明だろう。
 
ちなみに、北京では2013年6月10日からタクシー料金が改正されて、初乗り10元/3kmが13元/3kmに値上げされ、基本単価も2.3元/1kmとなった。Google Mapで調べると、 东直门駅から 崇文门駅まではおおよそ7.5kmだから、昼間は30元でお釣りがくるくらいなものだろう。深夜料金(23~5時までは2割増)を加算しても、40元はかからないはずだ。北京空港のタクシー乗り場には主要なホテルまでの概算料金が掲示してあるらしいが、見たことがないからどんなもんかは知らぬ。

 
そうは言っても、昼間でさえ正規タクシーを捕まえるのが困難な地域や、バスや電車が通っていないエリアにおいては、捕まえやすい黑车が役に立つことがあるのも事実だ。今回のように電車もバスも動いていない深夜帯で、正規のタクシーも捕まらぬとなれば、どうしても黑车に乗らねばならぬ、というパターンもあるかもしれない。最近の中国では配車のアプリが流行っているらしく、スマホで簡単にタクシーを呼べるらしいが、どんな輩が来るかもわからんから、基本的に中国でタクシーは使いたくない。ゆえに北京での移動はバスか地下鉄を使うだけで済むよう、飛行機や観光の日程・時間を出来る限り調整しておくしかない。まぁ飛行機が遅延したらどうしようもない状況になったりするけれど、とりあえずは空港から乗換が必要ない东直门駅周辺のホテルに泊まるのが最も安全であると思う。
 
私の前を歩いていた台湾人らしきカップルが、早速黑车の運転手数人と交渉し始めた。私もホテルまでの交通手段が黑车しかない絶望的な状況だったから、とりあえずこちらへ寄ってきた薄汚れたジジイと値段交渉することにした。さすがに荷物を抱えてホテルまで1時間以上歩くのはキツイし、空気が清々しい公園ならまだしも、毒霧溢れる薄暗い冬夜の北京を長時間歩くのはリスキーだ。
 
中国では何でもまず先に値段交渉をしておくのが基本で、交渉しないで乗るとボったくられる可能性が高い(交渉しても吹っかけてくるキ〇ガイもいる)。ジジイは唐突に「你去哪儿?(どこまで行くんだ?)」と早口で言うから「崇文门(崇文門だ)。」と言うと、「だから崇文門のどこに行くんだ。」と怒ったように聞き返して来た。ホテルは崇文門駅の目の前だから崇文門駅まで行ってくれと言おうかと思ったが、どうせなのでホテルの目の前まで行ってもらえるように「新桥饭店(新橋ホテルだ)。」と言うと、ジジイは「ああ」と言って理解した。料金はいくらかと聞くと、「一百(イーバイ、約2000円)。」だと言った。こりゃ高いなと思ったが、他にすぐ乗れそうな正規タクシーが無かったのと、値段交渉が決裂して高速移動するチャンスを失うのは惜しいので、2人で2000円ならまぁいいか、という気持ちで「好吧(わかった)。」と了解してしまった。それに、大幅な値下げをしたことによってジジイが機嫌を損ね、運転を誤る可能性が無いことも無いから、とりあえず言い値でいいねとしてしまったのだった。もう23時を過ぎて寒くなってきていたし、疲れていて早くホテルで休みたいので、とにかく妥協してしまった。

 
ジジイの愛車であろうボロい中華製RV車のトランクにスーツケースを押し込むと、薄汚れた座布団が敷いてある後部座席に乗るよう促された。室内灯は寂れた雰囲気を醸し出す恐ろしく暗いバルブ灯で、汚れた室内がモロ見えしないという点においては宜しかった。ドアを閉めるや否や、ジジイはフルスロットルで走り出した。こりゃ早く着いてええわと思ったが、こびとは運転が怖いと言ってすかさずシートベルトを装着していた。チャイナカーのリアシートにもちゃんとシートベルトがあることに少し衝撃を受けた。
 
ジジイは例の如くウインカーも出さずに暴走し、東京都心部を暴走するアホタクシーや、吉祥寺通りを暴走するDQNカーなど比較にならないくらいワイルドな運転でホテルを目指した。きっと賠償保険には加入していないだろうから、事故ったらジジイの人生はお終いだと思うが、そんなことは知ったことではない。ジジイは荒い運転ながらも、とりあえず信号は守っていて、走り出して最初の信号待ちになると、「あんたら何人だ。」と聞いてきた。「日本人だ。」と言うと、茶化したように「ニホン、ニホン」と片言の日本語をしゃべった。とりあえず不快なジジイだったので、ほとんど会話しないまま、ホテルに着いた。ジジイに100元札を差し出すと、ジジイは血相を変えて「イーバイウーシー、イーバイウーシー(150元だ、150元だ)」と騒ぎ出した。
 
100元と言ってただろうがこの三国ジジイめ!と前某都知事のような発言をしそうになったが、50元如きで同じ土俵でやり合うのも時間と労力の無駄だし、中国人が狂うと手が付けられないから、ここは勉強と思いながら潔く50元札を追加して渡した。きっと「日本鬼子(日本人に対する蔑称)はちょろいもんだ。」などと思っているのだろうが、きっといつの日か、ジジイには天誅が下るであろうと思い、放っておくことにした。私は因果応報を信じているから、ジジイには必ず報いがあるだろうと予想している。
 
そういえば、我が師匠、S先生も数年前に北京空港行きのタクシーでボッタくられていた。空港につながる無料の道路を有料だと勘違いした師匠が、運転手に有料になるから別の道へ行けと言ったため、到着後に運転手が遠回りになったと騒いで50元よこせ釣りは返さないなどと言った感じでトラブルになっていた。その一件以来、私はタクシーを避けるようになっていたのだが、まぁ今回は飛行機が遅れたこともあって仕方が無かった。
 
ジジイは100元札と50元札を素早く奪い取ると、車の外でスーツケースを受け取ろうとしてたドアマンに「こいつらは日本人だ。」と言わなくてもよいことを言った。私が自分でスーツケースを降ろすと、ジジイがニタニタしながら近寄って来て、握手を求めるような素振りを見せたが、半ばキレかかっていたので無視することにしたが、一応日本人の悪評が最小限になるよう、言いたくはなかったが一言「谢谢」とだけ言って、ホテルの入口へと向かった。ジジイは車をバックさせ、素早くUターンすると、よほどボッタクレて嬉しかったのか離れ際にクラクションをプップと2回鳴らし、颯爽と去って行った。

 
今回泊まった新桥饭店は、1954年に創業した中華系のホテルで、近年はフランスのアコーホテルズが買収したあと内装が一新され、NOVOTEL新桥饭店という屋号に変わったそうだ。トリップアドバイザーの2012年Certificate of Excellenceを受賞したホテルで、館内には飲食店6つ、スパ、24時間営業のジム、iMacのインターネットコーナーがあるらしかった。まぁ、おおよそ3つ星くらいのホテルだ。無料Wi-Fiが利用出来るとのことだったが、以前、中国のどこぞのホテルで個人情報が抜かれたという事件があったから、私は使わないようにしている。こびとにも使わないよう指導しておいた。
 
このホテルの売りは、ホテルの地下1400mから引き上げているという温泉で、各部屋でもシャワーで温泉が出るようになっているとのことだったが、さすがに中国の大衆浴場は衛生管理が信用出来ぬので、利用しないと決めていた。とりあえず、シャワーで温泉がどんなもんか確かめてやればええだろうと考えていた。

 
このホテルの北京での正式名称は北京新侨诺富特饭店だが、「崇文门新桥饭店」と言えばだいたい通じるようだった。北京駅にも主要な観光地にも近いから、観光するには中々利便性に優れた場所にあるホテルだ。地下鉄駅の目の前というロケーションで、まぁまぁ小奇麗かつリーズナブルなホテルは少ない。ちなみに、ここから最も近い観光地は世界遺産に登録されている天坛公园で、ホテルから15分くらいの徒歩圏内にある。

 
ホテルのフロントには比較的役職が高そうな40代くらいの太めの男と、大人しそうな30代くらいの中肉中背の女が立っていた。男にJ〇Bでもらった紙を渡して名前を告げると、男は「住三天(3泊だな)」と独り言のようにつぶやいたので、「そうだ」と答えた。どうやらチェックインの時に請求される押金(yajin、保証金)は不要らしく、男はカードキーを差し出すと、朝食の時間とエレベーターの場所を簡潔に告げるだけでチェックインは完了した。このホテルの管理がユルいのか、日本人ツアー客だから信用されているのかわからなかったが、とにかく大きなホテルの割にあっけないチェックインだったので、少し驚いた。まぁ、中国は本来こんなもんなのかもしれない。
 
部屋はA棟の6階で、ちょうど正面玄関の真上あたりの部屋だった。室内は小奇麗にしてあったが、やはり所々老朽化していた。特に水回りはボロさが目立っていたから、シャワーの水がちゃんと排水されるかが心配だった。とにかく中国では排水口が詰まるホテルが少なくない。また、24時を過ぎているにも関わらず、未だ通りを走る車の騒音が喧しかったから、熟睡出来るかも心配だった。私は3歳からお囃子をやっていたせいか、聴覚がかなり敏感だ。他の人が拾えないような音を拾ってしまって、驚かれることもよくある。ネイティブには及ばないが、比較的外国語の発音が良いと言われるのも、きっと耳の感度が強いからだろうと思う。

 
フリーツアーで使われると思しきスタンダードルームは、A棟に集中しているようだった。A棟は大通り沿いに面しているから眺めがあまり良くなくて、道路の騒音が大きかった。A棟でも上層階ならば 天坛公园などの世界遺産が一望出来るのかもしれないが、通りを隔てて目の前に高いホテルがあるから、眺めは良くないのかもしれない。B棟は主に富裕層向けの部屋が用意されているようで、上層階なら故宮や天安門が見渡せるのかもしれない。

 
とにかく疲れていたので、シャワーを浴びてすぐ寝ることにした。持参したタオルとシャンプーなどをスーツケースから取り出して浴槽の後ろ側に並べ、備えつけのタオルを床に敷いて、シャワーがちゃんと出るかどうかを確認してみた。最悪なホテルだと排水されずに水が溜まることがあるため、まずはちゃんとお湯が出るかと、排水に問題がないかどうかを確かめなければならない。日本のホテルと違って排水口の開栓方法やシャワーの切り替え方法が違うから、慣れていないと面倒である。案の定、排水口は若干詰まるようだった。壁には英語、中国語、日本語で「タオルを1日でも長く使いましょう」と書かれた紙が貼ってあった。タオルは細菌の温床になりやすいから、使ったらすぐに交換するのはホテルの衛生管理・サービスとしては最低限のことだと思うが、地球の環境がどうのこうのとか見え透いた環境保護論者を装うあたりは、日本のお偉い方と大差ないな、と思った。そういえば、最近のCCTVでは「 环境保护(環境保護)」とか「 生态保护(生態系の保護)」という言葉が盛んに使われたり、環境保全をアピールするような番組ばかりがクローズアップされている。

 
このホテルはシャワーヘッドが伸びないから、体を洗いにくかった。しかも水圧が弱いから、洗髪がストレスフルだった。お湯は温泉とのことだったが、確かに変な臭いがした。温泉大国ニッポンでも嗅いだことのない、独特の臭いだった。あれが本当に温泉なのかはわからない。エレベーター付近にあった看板によれば、温泉には塩化カルシウムやマグネシウムイオンが含まれていて、鎮静作用、疲労回復、血液循環促進、減肥、美容に効果があり、風邪、不眠症、痛風、リウマチ、糖尿病、慢性胃腸病に効くようなことが書かれていたが、本当に効くのかどうかは知らぬ。

 
やはり北京のホテルで差が出るのは、まずは水回りであって、出来る事なら水回りが快適で清潔感あふれるホテルに泊まりたいが、出張でホテルを選ぶ際の優先条件はロケーションだから、設備が良くても辺境にあるようなホテルには泊まれない。観光に来ているのならば良いが、本屋を回って針灸や中医の分厚い専門書を大量に買うのが主な目的だから、なるべく駅チカで、本屋からのアクセスが良好なホテルでなければならない。
 
北京空港からは空港線で終点の东直门駅まで乗車して、ホテル最寄りの駅まで乗り換えて向かうわけだが、北京市内の地下鉄駅はロクにエスカレーターが設置されていないもんだから、荷物が軽い往路は何とかなっても、30kg近い荷物を抱える復路なぞは、とにかく地獄であって、乗り換えの必要なしに空港へ直行出来る东直门駅最寄りのホテルにしときゃあ良かったと後悔するのである。
 
しかしながら格安のフリーツアーともなると、選べるホテルに限りがあって、激安ツアーともなると宿泊するホテルは旅行会社が勝手に選ぶシステムになっているから、どうにもならぬ。最近になってようやく、格安のフリーツアーであっても航空会社もホテルも選べるツアーが出てきた。やはり仕入れ目的の出張で北京入りするならば、东直门駅と北新桥駅が最寄りの北京旅居华侨饭店に泊まれるツアーがベストである。もっと良いホテルもあるのかもしれないが、「トラベル子ちゃん」なんかに載っているツアーの中では、今のところこのホテルが最も無難である。確かに内装はホテルオークラの方が綺麗だが、東直門の針道具屋へ行くという目的がある人にとっては、駅から少し歩くけれども、北京旅居华侨饭店はロケーションが良い方だと思う。ホテルの清潔さで言えばリッツカールトンやシェラトンの方が断然上なんだろうが、仕入れの旅であんな高級なホテルに泊まることは出来ぬ。ま、一度は泊まってみたいけれども。
 
シャワーを浴びて時計を見るとすでに午前2時を回っていた。先にシャワーを浴びたこびとは、初めての海外旅行で疲れていたのか、すでにベッドで寝息を立てていた。私もとにかく疲れ切っていたので、歯を磨いて、明日に備えて眠ることにした。ホテルの前を走り去ってゆく車の微かな走行音を遠くに聞きながら、日本から持参したミネラルウォーターを一口飲んで、眠りについた。
 
 
 

2日目

目が覚めてiPhoneを見るとちょうど7時だった。4時間くらいしか寝ていないが、案外スッキリと目覚めた。ホテルの朝食が6時からだったから、ちょっと遅かったかなと思ったが、iPhoneがまだ日本時間だったので、6時に起きたことに気がついた。日本と北京の時差はちょうど1時間だ。とりあえずカーテンを開け、歯磨きをした。外はすでに毒霧で曇っていた。

 
1階へ降り、レストランに入ると、すでに白人男性2人が座っているのが見えた。受付に立っている女に部屋番号を告げて、まずは並べられた料理を全て眺めてみる。すべてビュッフェ形式だが、種類はそこそこ多かった。
 
中国人の従業員以外、他の客がいないからか、ホールの真ん中あたりのテーブルにいる白人だけが異様に目立っていた。概して白人観光客は観光する気満々で、気合いが入っているのかみな早起きだ。彼らはすでに朝食を食べ終えて、テーブルに広げた観光マップを眺めていた。

 
北京のホテルの朝食は毎回楽しみにしているのだが、ここのメニューは全般的にあまり美味くなかったのでガッカリした。とりあえずキビ入りのお粥に漬け物を入れ、クロワッサン1つとサラダ、トウモロコシ入りご飯、油条(中国式の揚げパン)を食べた。飲み物はリンゴジュースだ。食べ終わってマッタリしていると、暇を持て余した様子のウェイトレスが「食器を下げていいか?」と聞いて来て、ゆったり過ごせる雰囲気ではなかったので、部屋へ戻ることにした。

 
時間が惜しいから、歯磨きをした後は荷物を整理して、まずは銀行へ行ってみることにした。ホテルの裏に中国銀行の支店があるのだが、日曜日に営業しているかどうかと、営業時間を確かめておく必要があった。王府井のような観光地だと、日曜日でも16時くらいまで銀行が開いていて外貨両替が可能なのだが、崇文门の中国銀行ももしかしたら営業していないだろうかと少し期待していたのだった。
 
外はスモッグが結構出ていて、晴れているはずなのに太陽光がほとんど遮られていて、軽く雲っている感じだった。ホテルの玄関前は地面のコンクリートを剥がして、新しい石を貼り変えている最中だった。昨日の深夜も工事していたし、まだ午前8時前なのに工事しているということは、夜通しで急ピッチに仕上げる予定なのだろうか。中国では30階建てのビルを2週間で完成させたとか、57階建ての高層ビルを3週間余りで完成させたとか話題になっているが、後で倒壊しようが崩壊しようが、とりあえず作ってしまえばどうにでもなるのかもしれない。

 
ホテルの左斜め前には 崇文门駅への出入り口があって、そのすぐ脇の路地では 煎饼(jianbing)の露店が開いていた。

 
数人の客が集まって来ていて、オバ半が手早く焼き上げた生地に具材を包んでは、それを夫と思しき中年男性が、忙しく透明のビニール袋に入れて金と引き換えに客に手渡す、という朝の北京では見慣れた光景だった。 煎饼は焼いた小麦粉で具材を包んだ、いわば中華風のクレープみたいなもんで、 包子(baozi)や 油条(youtiao)と同様、北京のメジャーな朝食の一種だ。しかしクレープとは言っても、日本のクレープのように甘くはなく、感覚的にはお好み焼きみたいなモノらしい。一度は食べてみたいと思うけれども、潔癖気味の私には衛生面のリスクが気になって仕方がないから、まだ食したことはない。きっと美味いのだろう。そういえば、日本の祭りなどでたまに「シャーピン」という 煎饼(jianbing)に似たモノを売っている出店を見かけるが、そもそもは 馅饼(xianbing、おやきみたいなもの)が元になった食べ物かもしれない。なぜなら、北方では 馅儿饼(xiarbing)と訛るから、これが北方から伝わって、「シャーピン」という奇妙な日本語になったのだろう。

 
とにかく今年は重松製作所のN95マスクを持ってきていたから、良かった。北京では毎年11/15からセントラルヒーティングシステムが作動するらしく、この日を境にPM2.5の値が上昇するとのことだった。しかし幸いにも、ネットで見た天気予報によれば、この日の北京の予想最高気温は15℃、最低気温が4℃だったから、ヒーターを使う割合が少ないためか、スモッグがそれほど濃くならずに済んでいたようだった。酷い時は10m先も見えぬくらい濃くなるらしいから、この時期に軽く済んだのは本当にラッキーだった。

 
とりあえずホテルの裏にある中国銀行へ行って、営業時間を確かめておくことにした。ホテルから歩いて数分の場所にある。駅へ向かう通勤客らしき人々とすれ違いながら裏の路地を歩くと、すぐ左手に銀行の看板が見えた。どうやら営業は10時からで、日曜日は定休らしかった。店頭に掲げられた小さな電光掲示板が寂しく営業時間を映していた。

 
北京一の繁華街である王府井の中国銀行は、基本的に日曜日も営業しているはずだ。ホテルの周辺をブラブラと散策して、 天坛公园へ行ったあと、電車かバスで王府井まで行くことにした。路地裏では朝飯を買い求める人が商店に並んでいた。

 
ホテルの裏通りを北上して、东单公园の方へグルッと回ってから、 崇文门内大街へ出て、再び同仁医院の横を通って、 天坛公园へ向かうことにした。日曜日だからか、 东单公园では早朝にも関わらず運動などをしている人が沢山いたが、これから出勤なのか足早に公園を抜けてゆく人もチラホラいた。

 
崇文门駅の地上出口横にはホームレスらしき浅黒い男性がいて、拾ってきたらしきスチール製のベッドの上で寒そうにして寝ていた。新宿南口にもホームレスはいるが、さすがにベッドは置いていない。北京は道幅が広いから可能なのかもしれない。警察も放置しているのだろうか。

 
駅前の交差点を抜けて 崇文门外大街へ入ると、街並みが賑やかになってくる。いわゆる 综合性商场と呼ばれる、日本で言うところの大型ショッピングモールが並んでいる。北京には色々な繁華街があるけれども、このあたりは最も店が大きく、人が多いと中国の口コミサイトに書いてあったが、まだ開店前だからか、歩いている人は少なかった。このエリアで最も大きいデパートが 新世界百货で、1階にある飲食店にはすでに客が入っていた。ここには有名どころのショップや飲食店は大方入っていて、実際にこの日の夜入ってみたが、やはり日本のショッピングモールほどの清潔さや明るさは無かったが、確かに混んでいた。ちなみに飲食店は 麦当劳(マクドナルド)のほかに、 鹿港小镇(台湾料理)、 一茶一座(カフェ)、 必胜客(ピザハット)、 便宜坊(北京ダック)、 赛百味(サブウェイ)など色々ある。台湾と中国は国家レベルでは仲が悪いようだが、北京では台湾系カフェや台湾料理は人気がある。

 
星巴克(スターバックス)も当然入っている。東京では同じビルに2軒スタバが入っていることも珍しくないが、北京でもあらゆるところにスタバが進出してきていて、東京と同様に中国人もスタバの戦略である"THE THIRD PLACE"体験に侵食されつつあり、まさに「Starbucks goal is to become the Third Place in our daily lives. (i.e. Home, Work and Starbucks)」という目論見にまんまと嵌められている感がある。椅子に座ってコーヒーをすすりながら、スマホやタブレット、ノートパソコンなんぞをのんびりといじっている様子は、世界共通である。私もたまにスタバへ行ったりするが、ちょっとスタバのロゴは薄気味悪くて、ロゴをジッと眺めていると、ユダヤの陰謀なぞを想像してしまう。ちなみに、サードプレイスは中国語で第三地と言う。
 
デパートの1階は日本と同じで化粧品店が入っている。ゆえに異様に臭くて長居し難い。化粧品店は日本でもお馴染みの資生堂、ランコム、ロクシタン、ロレアル、カルバンクライン、クリニークなどが入っていた。

 
異物混入事件があって以来、日本のマックは閉店ラッシュが続いているようだが、北京ではまだ人気が衰えていないようだった。去年、上海の肉屋が消費期限切れの偽装肉をファストフード店へ卸していることが発覚して以来、日本ではファストフード離れが進んだと思われるが、中国では逆に人気が不動のモノになったらしい。つまり、中国のファストフード業界ではネズミの肉が使われていると噂になっていたらしいのだが、偽装肉の事件でちゃんと食用の肉を使っていることが判明し、むしろ中国人は安心してファストフードを楽しむようになったらしい。日本人の感覚からするとホンマかいな、という感じだが、実際に北京の 麦当劳(マック)も 肯德基(ケンタッキー)も混んでいた。ちなみに吉野家もマックも北京にはご当地メニューがあるが、確かに中国人が好みそうなメニューだった。

 
北京市内は未だに開発ラッシュが続いている感じで、崇文门外大街周辺には、建設途中のビルがいくつもあった。しかし日本と違ってビルの足場が木製だか竹製で、比較的高さのあるビルであっても未だレンガを積み上げているようなビルもあったりして、見ているだけでも恐ろしかった。日本ほどの地震国でないにしても、最近は地震波が地球を4周したとか言われる四川大地震や、天津の大爆発など、不可解な災害が増えているから、やはり耐震・免震構造を備えたビルでないと、再び地獄を見るやもしれない。中国人は模倣も得意だが、本来は生活力があって創意工夫に優れているから、良いモノを作ることも可能だとは思うが、やはりムラがあるのは否めない。日本人はどの分野も全般的にムラが少ないが、特別優れたモノは少ない。時折ビルの隙間から太陽が見えたが、スモッグで霞んでいた。

 
重松製作所のマスクをしていると、北京市内に漂う異様な臭いが完全にシャットアウトされて、非常に快適だった。排気弁がついているものの、密閉されたマスクだから、結露が溜まってマスクの中が水浸しになるのは致し方ない。たまに溜まった結露をティッシュで拭い去りながら歩かねばならぬのが少し面倒だったが、呼吸器を毒霧の中に暴露させるよりはマシだった。現在、中国では毎日数千人の人が肺がんで死んでいるという、どこかの研究機関のデータが公表されていたが、やはり少なからず大気汚染が影響しているのだろう。とにかく、中国人はマスクを装着しない人がほとんどだから末恐ろしい。
 
天坛公园まで歩いて行くつもりだったが、結局、 磁器口(ciqikou)駅から地下鉄に乗って、 天坛东门(tiantandongmen)駅へ行くことにした。去年までは一律2元だった運賃が上海と同様、距離制になって値上がりしていた。一番遠い駅までは6元するから、実質運賃が3倍になった区間もある。人民元高の影響もあるから、北京を訪れる日本人にとっては真にツライものがある。外の天気が良ければ積極的に歩いても良いのだが、如何せん冬場は大気汚染が酷いから、極力電車で移動したい。しかし、こうも値上がりしていると、電車代もバカにならない。

 
中国が誇る世界遺産の一つである 天坛公园は、 天坛东门駅から地上へ出ると、目の前にある。泊まっているホテルと同じ崇文区にあって、ホテルからでも15分くらい歩けば辿り着ける。地下鉄の長い階段を上り下りする時間と労力を考えたら、平地をひたすら歩いた方が楽かもしれない。公園の入口は、地下鉄出口から50mくらい歩いた場所にあり、まずは横断歩道を渡らねばならない。横断歩道の手前には自転車の修理屋がいた。

 
さすがに世界遺産だけあって、観光バスがバンバン出入りしていた。とりあえず入場券を買うことにした。チケットも何種かあるが、せっかく来たので全部まわれる、一番高いチケットを買うことにした。受付にはカッペらしき中国人が数人並んでいて、たかだか入場券を買うだけなのに、異様に時間がかかっていて渋滞していた。受付に座る不愛想な姐ちゃんに「淡季联票,两个人。(danjilianpiao lianggeren、シーズンオフチケットを2枚。)」と言って100元札を差し出すと、姐ちゃんはだるそうに、チケットを差し出した。商店では100元札を差し出すと、大抵ニセ札鑑定機に札を通すものだが、こういった場所では忙しいゆえか、札の真贋はチェックしないようだった。
 
ちなみに「淡季」は「閑散期(シーズンオフ)」という意味で、「」はつながっているモノを表す意味があるから、「联票」は回数券とかミシン目が入った複合チケットのことを指す。繁盛期は35元(約700円、入園のみは15元)で、閑散期は30元(約600円、入園のみは10元)だが、なぜか28元(約560円)に割引されていた。開園時間は6:30~21:00までらしい。相対的に見て、中国の公共施設はどれも日本と違って営業時間が長い。銀行なんぞはどこも17時頃まで営業しているし、前述したように、観光街では土日祝日営業の銀行も少なくない。保守的で応用が利かない日本の役人はこういう点も見習った方が良い。

 
平日休みの自営業者であれば、東京の博物館も 淡季(danji、閑散期)チケットと 旺季(wangji、繁盛期)チケットを用意したら安く楽しめるし、客を分散出来て良いんじゃないかと思うが、日本は土日休みのサラリーマンや公務員が多数派だし、何より日本の政治屋の大半が世襲で旧態依然としていて、自己保身に躍起になっているから、土台無理な話だろうと思う。結局は国会前で騒ごうが、デモをしようが、民意は届かないような状況になってしまっている。日本もヨーロッパみたいに長期休暇を段階的に取れば経済効率も良いだろうし、連休中の高速の大渋滞も大幅に緩和されるのではないかと思うが、私はサンデードライバーの危険運転による事故には巻き込まれたくないし、自営業者にとってはこのままの方が幸せかもしれない。

 
園内へ入って並木通りをしばし歩くと、左手に土産を売っている店があった。外から覗いて見たが、驚いたことに一人も客がいない。公園内は人で溢れているのに、誰も関心を示しておらず怪しい感じがしたので、入るのは止めにした。土産物屋の隣の広場では、20人くらいの中国人集団が、ラジカセから流れる大音量の音楽に合わせて踊っていた。こういう踊りは最近の流行りらしく、中国語では 广场跳舞と言うらしい。通りすがりの中国人も、音楽に合わせて突如踊り出すから、面白い。 快板儿(kuaibanr)や 相声(xiangsheng、漫才)などの 曲艺(quyi、演芸)は、中国人が持つ元来の陽気さに端を発していると言われているが、確かに陰気な日本人はこんな風に公園で踊ることは滅多にない。日本の公園なんかで狂ったように踊っている集団がいたら、ヒロポンやら脱法ハーブなんかをやっているアブナイ人なんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。そういえば、最近は脱法ハーブのことを危険ドラッグとか言うらしいが、結局のところ名称を変えても本質はかわらない。そもそもmedicineという言葉と違って、drugと言う言葉自体に薬剤の負のイメージがあるのだから、そもそも危険そうなdrugに「危険」とネーミングする自体がナンセンスだと思うが、相変わらず日本の役人のネーミングのセンスには垢抜けない役人的な胡散臭さが漂っている。近年では病名も色々と改称されているが、結局のところ何も変わらないし、寧ろ本質が隠されてしまって、その実態が不明瞭となり、あるべき関心を削ぎ落としてしまっているように思える。

 
日本では太平洋側と日本海側で気質が真逆な傾向にあるが、北京には陽気でおしゃべり好きな人が多く、気質的には太平洋側の日本人、特に気っ風の良い江戸っ子に似ている感じがある。そうえいば、江戸っ子の気性を暗喩した諺に「五月の鯉の吹き流し(鯉のぼりは口が大きいが腹は空っぽ→江戸っ子は口が悪いが心はカラッとしていること)」というのがあるけれども、私も結婚した当初は嫁に口が悪いのを何とかしてくれと言われていた。概して内陸から日本海側で生まれ育った人は、江戸っ子と気質が対照的なところがあったりして、表面的な言葉に囚われてしまって喧嘩になることがままある。実際に江戸言葉というモノは標準語に比べるとキツイと思われやすい言い回しが多い。しかし、言葉の端々に陰湿な腹黒さがにじみ出すような、一見すると優しいがオブラートに包まれたような方言に比べると、江戸言葉というモノは激しさがあるが腹黒さは少ない。ゆえに、東京でカラッとした言葉に囲まれて育ってきた私には、「ぶぶ漬けしかおまへんで」と言われても理解出来ない。やはり東京で生まれ育った人間にとっては、江戸っ子のような言葉の使い方や、コミュニティの適度な距離感が性に合っていて楽だ。そんなわけで、北京には東京と同様な気楽さがあって、中々居心地が良いと感じることが多い。ちなみに、東京も80年代くらいまでは地主や土着人のムラ意識が根強くあって、特に多摩以西の地域では村八分のような慣習や、いわゆるソトモノを排斥する傾向があった。今でも地方の小さなコミュニティでは、そういった自己防衛的なムラ意識というものは、村民の相互補助や村を護るために必要不可欠なものではあるのだろうが、もはや今の東京においては疎まれる傾向にある。私も基本的には過干渉されたくない傾向が強いから、日本でも中国でも都市部の方が住みやすいのだろうと思う。

 
日本では化石と化しているラジカセも、中国の公園では未だに現役である。最近の中国人は太極拳よりむしろダンスに精を出すパターンが増えているらしい。元来陽気かつ激情型の民族だから、やはりマイルドにθ波が出る太極拳よりも、激しくβエンドルフィンが出るダンスの方が、適度な中毒性と快感が楽しめて良いのかもしれない。
 
そういえば、日本には「鍼施術に中毒性はありません」とか、「鍼治療は侵害刺激とは異なる刺激である」などと根拠なく叫んでいる御仁や老害もおられるが、中毒性もなく、侵害刺激にもなりえぬ鍼治療なんぞはもはや「治療」と呼べる代物ではなく、単なる慰安かインチキでしかない場合が多いようだ。鍼は状態の悪い硬い筋肉へ刺せば当然痛いわけで、脳は刺鍼刺激を侵害刺激とみなすから、脳内ではβエンドルフィンなどの内因性オピオイドを多量に放出して、結果としてモルヒネを投与する以上の強い鎮痛作用が起こると言われている。

 
βエンドルフィンと言えばランナーズハイが有名だけれど、人間は体に負荷をかけた時だけではなく、美味しいモノを食べた時や、気持ちが良いことをした時、感動した時など、日常的に様々な場面で脳内麻薬を放出させていると言われている。脳内麻薬は生存するために不可欠な自己防衛機能みたいなもので、自家生成の麻薬物質だから、覚醒剤やヒロポンを打った時のような強い依存性はないが、それなりの中毒性がある。例えば、世の中にはギャンブル依存症とか、恋愛依存症とか、セックス依存症とか、ブランド品買いまくり依存症とか、ランニング依存症とか、様々な依存症があるけれども、どれも脳内麻薬によるモノだろう。

 
鍼治療は治療目的でちゃんと刺せば痛いし、脳内麻薬が出て、その独特の浮遊感や多幸感が忘れられず、痛いけどまた鍼を打ってもらいたいなぁ、という風になる人もいるし、逆に鍼施術でそれまであった痛みが消えても、もう痛いから鍼はやりたくない、という人もいる。とにかく、鍼の主な効果は脳内麻薬放出と軸索反射による血管拡張作用がメインだから、脳内麻薬が出るほどの侵害刺激を与えると同時に、軸索反射が起こり得るそれなりの刺激を与えねば効果は得難い。
 
ゆえに、ほとんど刺したか刺していないかわからぬくらいの慰安的な浅鍼治療であれば、脳内麻薬による効果も、軸索反射による効果も、ほとんどないに等しいと思われる。そんなわけで、鍼には依存性がないとか、中毒性がないとか、鍼は侵害刺激ではないなどと騒いでいる鍼灸師は、「私の鍼治療は効果がありません」と愚かにも暗に明言しているように思えて、不憫でならない。残念ながら、日本にはそんな鍼灸師ばかりが溢れている。

 
しばらく歩くと長い回廊があって、多くの中国人が朱色に塗られた太い手すりに腰かけて、カードゲームをしたり、歌を歌ったりして、賑やかに遊んでいた。主に見られるのは (qi、将棋)で、まさに「 老人正在切磋棋艺」といった感じだった。画像で、老人が遊んでいる丸い木を使ったゲームが中国版の将棋だ。日本の駒とは形が異なって丸い。ちなみに中国でカードゲームをすることは、「 打纸牌」と言うが、 纸牌はトランプや花札のことも指すらしい。最近、花札が朝鮮族の 画图(huatu)に起源があるとCCTVで言っていたが、だいたい花札の絵柄からして日本で発明された遊びに思えるが、実際のところはどうなんだろう。

 
この公園には外地人(よそ者)から金は取っても、本地人(地元民)からは金を取らないようなシステムがある。北京市には老年人优待政策という制度があり、北京市に戸籍がある65歳以上の高齢者は色々と優待されるようになっている。日本にも似た制度があるが、北京市では特定日を除き、65歳以上の北京人と障碍者は世界遺産となっている公園などに無料で入園出来るようになっているそうだ。どうりで週末の世界遺産スポットは地元民らしき老人で溢れているわけだ、と納得した。明らかに観光客でない感じの人たちが集団でダンスをしたり、歌を歌ったり、犬の散歩をしていて、わざわざ地元民が金を払って入園するわけないだろうな、と訝しんでいたのだった。北京の老人の休日の過ごし方は安上がりかつ平和的で、日本の老人の過ごし方よりも健全であると思うわけだが、実際に中国人は年老いても元気な人が多い。
 
中国では医者不足で、病院で受診するにも整理券がいるから、整理券を入手するために徹夜で並んだり、病院の入口の前に布団を敷いて寝たり、ダフ屋と高額で裏取引をするらしいが、経済的な理由などで、田舎の高齢者ほど病院へ行く機会は少ないようである。北京市内の公園には簡易ジムのような運動器具が設置してあるし、大きな公園が多いからか、自発的に運動する人を多く見かける。地道にCCTVで中华医药を放映して民衆の健康意識を高めたり、973計画などによる影響もあるせいか、整骨院や病院が溜まり場になっているような日本の高齢者に比べると、遥かに健康的な生活を送っている人が多いように思える。
 
現在、日本では気軽に病院に行けたり、弱毒化したワクチンを幼児期からバンバン打てたり、癌検診で被曝する機会が増えたり、薬害の強い鎮痛薬などが処方箋なしで気軽に購入出来る環境にある。しかし、むしろそういった環境は、人を不健康にさせてしまうのかもしれない。未だに漢方薬が安全であるとか、副作用がないとか洗脳されて信じている人も多いが、自然毒や薬害というものについて知り、真剣に考えておかないと、将来病気で苦しむことになったり、オーバードウズで薬物性肝障害や肝癌、薬物性腎障害、腎不全になったりして、早死にしてしまうかもしれない。
 
回廊の真ん中あたりでは京剧(jingju、京劇)のようなことをやっている人がいたが、ちょうど劇が終わる直前で、少ししか動画が取れなくて残念だった。最後に観客が「好,好!(いいぞ、いいぞ!)」と喝采を浴びせていた通り、外国人から見ても中々上手いと感じた。しかし、パッと観た感じでは本物の京劇役者というより、いわば票友(piaoyou、京劇のマニア)に見えた。

 
中国には京剧をはじめ、華南地方の豫剧(yuju)、広東地方の粤剧(yueju)、浙江省の越剧(yueju)など様々な演劇があるけれども、このように2人で行う劇は全て「对儿戏(duerxi)」と呼ぶそうだ。京劇を初めて観た時の驚きは、いわゆる四功五法(sigongwufa)の中の「(nian)」と呼ばれる、猫が会話しているかのような独特のセリフ回しにあった。セリフは難しくてまだまだ完全には聞き取れないけれど、京劇は奥深さがあって、中々面白い。中国人役者の演技力が高いのは、こんな風に、日常的に踊ったり、 歌ったりする習慣があるからなのかもしれない。
 
しばし北京人の休日を眺めた後は、お待ちかねの世界遺産を見ることにした。多くの地元民が集まる回廊を抜けると、急に人が少なくなる。ここから先は本地人の老年人であっても、チケット無くしては入れないエリアだ。アーチ状の小さなトンネルの中ほどが柵で仕切られていて、チケットを機械に通すと、向こう側へ入れるようになっていた。機械にチケットを通すと、隣に立っていた係員らしきオバ半がはよ通れという具合に合図を出した。

 
天坛公园と言えばウェディングケーキというか、アダムスキー型UFOというか、今にも宇宙へ飛んで行きそうな形をした祈年殿が有名だ。中国のお上りさんは、北京と言えば、まずは长城(万里の長城)へ行ってみたいらしいが、この公園も人気があるらしいので期待していた。
 
実際には敷地は広いが、それに比べて建物が小さいことに少しガッカリした。木造建築ならば、奈良の東大寺の方が見ごたえがある。しかし、まぁ祈年殿のデザインは独特だったので、実際に見ておけて良かった。祈年殿の周りはとにかく敷地が広い。バドミントンみたいな遊びをしている中国人がいた。日本で言えばここは奈良の東大寺みたいな、本来は神聖な場所のはずだが、もはや中国人にとっては単なる公園なのかもしれないな、と思った。

 
とりあえず、天坛公园の歴史を解説した資料館のような場所へ入った。入口付近にはモップで床掃除をしている最中のオバ半がいたが、地元民らしきBBAと何やら話し込んでいた。あれで日当が発生するとはなんて楽な仕事だろうか、などと考えた。資料館には精巧に作られた祈年殿の模型などが展示してあったが、大して面白くなかったので、すぐ退館することにした。中国語が解せぬこびとが余計につまらなそうにしていたせいもあった。資料によれば、要するに祈年殿は清王朝の皇上(huangshang、皇帝)が、お祈りをした場所だったらしい。(nian)という言葉は元々は稲穂とそれを刈り取る人の象形文字が起源になっている文字で、年と言う区切りは米の収穫によって決められたものらしい。そういえば、中国人が爆竹を鳴らす風習は、昔、正月になると、ある村に(nian)という怪物だか妖怪が現れ、村を荒らしていた、という逸話に端を発しているそうだ。で、ある時、仙人のようなジジイが村に現れ、私が退治してやろうと言って、爆竹を鳴らして妖怪を退治したのが始まりらしい。爆竹が赤色だったり、赤いものを玄関に掲げたり、赤いものを身に着けたりするのも、全ては魔除けの意味が根底にあるのだ。
 
資料館を出た後は、祈年殿を間近で見てみることにした。資料館から50mくらい離れた場所にある。祈年殿の前の階段では、みな一様に、自撮り棒の先にスマホを固定して、祈年殿をバックに写真を撮っていた。ちなみに、自撮り棒は中国語で自拍神器と言う。前门の雑貨屋で覚えた単語だ。最近では日本でも観光に来ている外国人の多くが自撮り棒を持参しているが、自撮り棒で特許を取った人は大儲けしたことだろう。私もトイレに入っている時にポンッと斬新なアイデアが浮かんだりするものだが、普段から鍼灸のことばかり考えているもんだから、中々金になりそうなアイデアが思い浮かばない。
 
独りで自撮り棒を使って撮影している姿は、傍から見ると何とも滑稽ではあるが、2人以上で撮っていると何となく睦まじい感じがする。こびとが渋谷で買った自撮り棒をバッグから取り出し、我々も階段を塞いで撮影していたイタリア人カップルのように、祈年殿を背景にして、仲良く写真を撮ることにした。当然、空気が悪いからマスクを付けたまま撮影した。記念撮影を終えた後は、祈年殿の中を覗いてみたが、大してパッとしたモノは無かった。買ったチケットでは 圜丘皇穹宇斋宫を見ることが可能だったが、興味がないのと面倒なのとで、退園することにした。スモッグで霞みがかったような空は白夜のようでもあり、これはこれで面白い雰囲気だった。ちなみに、「 天坛」はいわば「天を祀った祭壇」のことで、日本語に変換すると「 天壇」になるが、「 天坛」と似た発音に「天堂」という言葉があるが、これは「天国」の意味であって、「天堂」を見たまま、誤って日本語的に解釈してしまうと「天のお堂」になるから非常にややこしい。

 
帰り道でも、園内のあっちこっちでダンスをしている人々がいたが、出口のすぐ手前では、何故かアーミー服で踊っている集団がいた。とにかく陽気な集団が多いから、こちらも楽しくなってくる。陰気で免疫機能が低下したラットと同じ箱の中に元気なラットを投入すると、互いに免疫機能が低下して陰気になるという実験があったらしいが、確かに人間も陰気な人と同じ空間にいると、お互い陰気になるから、なるべく普段から陰気な人とは関わりたくないと思う。鍼灸師でも、お葬式があったわけでもないのに毎日お葬式のような雰囲気を周囲に漂わせている人がたまにいるが、あれでは施術を受ける患者も陰気になってしまって宜しくない。
 

 
公園を去り、再び地下鉄に乗る。先に 东单(dongdan)駅で降りて、 医药书店(yiyaoshudian、医薬書店)へ寄ってから、歩いて王府井へ行き中国銀行で両替することにした。 东单と王府井は隣同士のエリアだから、のんびり歩いて20分もかからないくらいの距離だ。このあたりは店が多く繁華街だから、散策すると中々面白い。駅前にはまぁまぁ高いビルが林立している。書店の手前には 蒸功夫包子という店があったが、カンフーをしながら肉まんを蒸すというわけではない。この場合の「 功夫」という中国語は、日本語の「工夫」という意味に近い。まぁ中国では曲芸的にお茶を入れたり、料理を作る人もいるから、カンフーをしながら饅頭を作らないとも限らない。

 
医药书店では、師匠に買ってくるよう頼まれていた、「运动解剖学图谱(yundong jiepouxue tupu)」という、人民体育出版社が出している、いわば機能解剖の希少本を探さなければならなかった。この本屋は人民衛生出版社が経営しているらしく、店内は狭いが医学関係の良本を多く扱っている。
 
とりあえず、いつものように入口をくぐり、短い廊下を通って店内の奥へ入った。奥の部屋には、いつもの若くてドン臭い太目の店員がおらず、半ばホームレスのような老人が番をしていた。とりあえずは毎度品定めをしている客をジロジロと監視してくる、あの不快な男がいなくて良かった。
 
この店は二部屋に分かれていて、奥の部屋にある本を買う時は、奥に常駐している店員に本を渡し、伝票を書いてもらって手前の部屋のレジで精算する、という手筈(てはず)になっている。しかし、何故か今年は伝票を書いてもらわずに済んだ。奥で選んだ針灸書を数冊抱えてレジに座っているいつものBBAに本を手渡すと、いつものように私が出した百元札をニセ札鑑定機に通し、本物であることを確かめると、本をヒモでくるんでこちらへ差し出した。相変わらずここの店員は愛想が悪い。BBAに「 运动解剖学图谱はあるか?」と聞くと、「解剖書はそっちにあるよ」と入口横のガラスケースを指さした。日本の本屋なら探してレジまで持ってきてくれたり、その場所まで案内してくれるもんだが、どうやらBBAの尻は椅子にへばりついて離れないようだった。今回も下僕らしきBBAが、レジのBBAと何やらだべっていた。

 
BBAが指さした、今にも壊れそうなガラスケースの引き戸をずらすと、すぐに目当ての本が見つかった。2冊欲しかったが、残念ながら1冊しかなかった。9月には3冊あったらしいが、師匠が2冊買って行ってしまった後、補充されていないようだった。師匠はこの最後の1冊を手に入れて誰かに譲るつもりだったらしいが、中々良い本だったので、私が譲ってもらうことにした。まぁ自分がわざわざ北京で買った本を譲ってもらうという話も変だが、毎年北京まで来て、中医や針灸に関連する本を大人買いする日本の鍼灸師なんてほぼ皆無に等しいらしい。実際には師匠と私で北京の鍼灸本を奪い合っている構図になっている。

 
師匠は優しいから、数年前から北京で良さそうな針灸本を見つけると同じ本を数冊買って、弟子やら鍼灸師の知り合いに無償で配っているのだが、如何せん中国語を真面目に勉強している鍼灸師は極わずかだから、結局もらってもちゃんと読んでいるかどうかは謎だ。ゆえにそういう鍼灸師に希少な本を譲るならば、良書は私が役立てましょう、という具合に、希少な本は私が優先的に譲ってもらうようにしている。まぁそもそも自分で好きなように本を買い漁っても良いのだが、なんせ中国の本は良本であっても再び店頭に並ばないことも多いから、師匠が買えなかった本を私が代わりに買ってくる、ということもあるのだ。とにかく中国針灸は日本鍼灸よりも遥か先を行っているから、中国針灸を勉強しない日本の鍼灸師は、何れはダメになると私は確信している。とにかく日本の鍼灸界には、本場の中国針灸さえ知らぬアヤシイ流派が少なくない。
 
日本において独立開業する個人事業主は、5年経たぬうちに約90%が廃業すると言われているが、鍼灸師に関してはもっと散々たる結果であろうと思う。某鍼灸整骨院のように不正請求で悪どく稼いでいる輩は別として、純粋な鍼灸施術のみで開業して5年もつ鍼灸院なんて、ほんの一握りだろうと思う。そもそも鍼灸師は独立開業出来る稀有な医療資格にも関わらず、技術に自信が持てぬ鍼灸師は開業するどころか、整骨院の雇われで違法的にマッサージして絶望したり、アヤシイ鍼灸セミナーなどに散財するだけで、結局は教祖に骨までしゃぶられて鍼灸の現場から去る、というパターンが少なくないようだ。鍼灸専門学校を卒業した100人の内、開業して成功するのは2人程度だという試算を公表している人もいるが、私が見てきた感覚からすると、実際には100人に1人いれば良いほうじゃないかと思う。そう考えると、相当に立地環境の悪い一軒家で30年以上も鍼灸1本で営業している、北京堂鍼灸の浅野先生は、かなり稀なケースだ。確かに長年悪どく稼いでいる鍼灸院もあるわけで、開業年数だけでその鍼灸院の良否は判断し難いけれども、北京堂系列の鍼灸院は業界でもマトモで、真面目にやっている方だろう。

 
規制緩和で膨張し過ぎた日本の鍼灸学校は、少子化の影響もあってか、今や大学よりも激しい生徒の奪い合いの様相を呈しているだろう。今後は国試の合格率に加えて、卒業後の就職支援など、アフターケアをしたり、差別化できるような利点を備えていないような新規進出校は、数年の内に淘汰されてゆくかもしれない。なぜなら多くの入学希望者は、まずは名門と呼ばれる古参の鍼灸学校を視野に入れるからだ。ちなみに、古くからある鍼灸学校には鍼灸に加えて、あん摩指圧マッサージ師の免許も取れるようなシステムになっている。逆に、新規参入した学校は、鍼灸師の国家試験しか受けられないようなカリキュラムになっている。これはおそらく、全盲者の雇用機会や、全盲者のあん摩指圧マッサージ師の収入減少などを防ぐための処置だろうと推察される。個人的には健常者のあん摩指圧マッサージ師を増やさないような処置を取るのではなく、現在巷に溢れている無資格マッサージの類や、整骨院での違法マッサージおよび不正請求を何とかするのが先決だと思うが、やはり役人は中々感心出来るような動きを見せない。

 
師匠に頼まれていた本と、新刊の針灸書を何冊か購入して店を出ると、すぐ近所にある別の本屋へ行くことにした。王府井へ行く途中にある店だから都合が良い。この店も医学関係の本をメインに置いているのだが、だいたい毎回入店するやいなや、店主らしき中年のジジイが近寄って来て「何が欲しいんだ」とか、「何を探しているんだ」とか聞いてくるから、本当はあまり近寄りたくない本屋だ。日本でも店員がしつこく付きまとうような店は避けている。しかし今回はもしかしたら師匠が欲しがっていた本が置いているのではないかと思い、先ほどと同様に「 运动解剖学图谱はあるか?」と聞いてみた。ジジイは「その本は無いが、こんな本ならある、どうだ。」と言って2冊の本を差し出したので、「ちょっと見せてくれ」と言った。ジジイは「見ろ見ろ」と言って本を差し出してきたのだが、一冊は全く使い物にならないような本だった。結局、北京科学技術出版社の「 运动解剖书」を1冊買うことにした。師匠はとにかく運動解剖に本を欲しているようだったので、とりあえず 运动解剖学图谱の代替品として1冊買っておくことにしたのだった。運動解剖とは日本語で言えば機能解剖の本で、日本ではあまり良い本が売られていない。そもそも日本でベストセラーになっている解剖書なぞは、たいていドイツかアメリカの翻訳本である。とにかく日本で買うと高いから、中国語の解剖書を買った方がメリットが多い。読んだことも無いくせに中国の医学書をバカにする輩も多いが、下手な日本の医学書に比べたら、マトモで安くて、タメになる本が少なくない。

 
本屋を出た後は、 东单北大街を北上して、 金鱼胡同(金魚通り)方面へ左折し、 东安门大街にある中国銀行( 北京东安门支行)で換金して、王府井大街へ入ることにした。本屋から中国銀行までは1キロくらいだから、のんびり歩いて15分くらいだ。こびとは外国へ来るのが初めてで、見るもの全てが新鮮だから、わからないことが多かったらしい。時折立ち止まってはあれは何だこれは何だと説明して歩いた。

 
东单北大街にはひまわりの種やらクコの実やらを量り売りしている店があった。量り売りは今の日本ではあまり見られないが中国では未だ一般的で、基本的には一斤(500g)単位で購入するから、みな「一斤いくら?」と聞いてから購入する。価格が表示されていないことも珍しくない。こういうモノは料理やお茶の材料にも使うが、そのままお茶うけとして食べる中国人も多いようだ。最近は北京でも外資系のカフェが増えていて、茶馆(chaguan、中国式の喫茶店)が少ないように思えるけれども、本来中国人は日本人と違って、喫茶店で仲間とお茶を飲みながらひまわりの種をバリバリ、ボリボリと食べつつ、カードゲームをしたり、だべって長居することが好きらしい。非常に迷惑な客だ。日本でも最近はスタバでタブレットなんぞをいじりながら長居する人が増えているけれども、カフェが少ない街中で、ちょっと休みたい時に独りなのに荷物を置いて2席を独占して長居している女なんぞがいると、本当にイラッとしてしまう。店の経営者からしてみても回転効率が落ちるから本来は長居して欲しくないのであろうが、逆切れする客もいるから、さぞやご苦労なことであろうと思う。そういえば、日本でもラーメン屋でラーメンを頼まずに白飯だけ注文して、無料の漬け物をおかずに食べて帰るD〇Nとか、喫茶店に入って何も注文せず、競馬新聞を広げて水だけ飲んで帰るキチ〇イなどが実在するらしい。

 
北京の多くの銀行は日本と違い、8:30~17:00くらいまで営業している。しかも観光地にある支店は土日祝日でも9~16時くらいまで営業していて、窓口での外貨両替が可能だ。こういう点は中国の方が遥かに合理的で、15時の定時でキッチリ閉店する日本の銀行よりはやる気が感じられる。実際、中国工商銀行が総資産と営業収益で世界最大になり得たのは、1つは営業時間が長いという要因があるだろう。仕事なんてものはシフト制にすれば休みなく営業することが可能だと思うが、なぜか日本の銀行や役所は土日祝日は旧態依然として休み続けている。みんなが週末に休んだら人の流れが偏って、渋滞するわ、混雑するわ、遅れるわ、待たされるわで、経済的にも時間的にも非効率極まりないと思うわけだが、日本人には保守的な輩が多いから今後も変化することはないだろう。そういえば、日本の多くの病院も日曜休みの所が多いが、実際に最も需要があるのは日曜日なわけで、患者の需要や営業利益のことを真面目に考えている医者ならば、日曜を休診にはしないはずだ。まぁ家族サービスを優先しているのかもしれないが、そういう医者は意識の高さがそれなりなんだろうと思う。ゆえに北京堂鍼灸は基本的に師匠の意向で、同系列の鍼灸院では休業日は土日を避け、さらにお互いの鍼灸院同士で休業日が被らないようにしている。つまり、例えばぎっくり腰で急に鍼をしてもらいたいという患者がいたとしても、大抵どこかの北京堂は営業しているから、患者はその都度開いている北京堂へ行って助けられる、という塩梅だ。ギックリになった時は北京堂で鍼をしてもらうのが賢明である。

 
中国銀行は他の銀行と違って、外貨両替時に必要な用紙が一枚のみだから良い。前回は工商銀行で両替した際、3枚も用紙を書かされて懲りたから、両替は基本的に中国銀行ですることにした。何より、中国銀行ならば、さすがにニセ札は掴ませられないだろう、という安心感がある。
 
薄暗い銀行に入り、受付に立っている姐ちゃんに「外貨両替したい」と言う。姉ちゃんは水色の外汇兑换水单(waihui duihuan shuidan、外国為替兌換計算書)を1枚取って私に差し出し、そこで書けと小さな記帳台を指さした。何があったのか知らぬが、姐ちゃんはイライラしていた。
 
用紙の記入法は至って簡単だ。パスポートを照会しながら、国籍、旅券番号、氏名、滞在ホテル名を英字で書いた後、滞在ホテルの電話番号、両替金額(10万円分の両替なら十万日元)を書いて、「 兑换(duihuan、両替)」と「 取现(quxian、現金受け取り)」の欄にチェックマークを入れて、最後に最下段の空欄に英字で自分のサインを書けば良い。用紙に記入していると、姐ちゃんが受付番号が印字された紙を横から渡してきた。待ち人数が少ないから、早めに記入しないとすぐに呼ばれてしまう。

 
記入を終えて座っていると、すぐに番号が呼ばれた。初めて中国へ来た時は中国語と英語で番号が読み上げられるシステムに戸惑ったが、もう完全に聞き取れるようになっていた。ロクに中国語を勉強していなかった頃は、聞こえてくる何もかもが宇宙語でわけがわからなかったものだ。言語はちゃんと学べば、母国語と同じような具合に脳が処理するようになってくるから面白い。
 
今回、日本を発ったのが14日だったわけだが、中国では前日の13日から100元札の新札が発行され、ニセ札鑑定機が誤作動を起こして民衆が混乱している、という話をヤフーニュースで見ていた。外貨両替は基本的に100元単位で行うから、全部新札を渡されたらどうしようかと思っていたが、とりあえず全て旧札だったので安心した。新札はニセ札鑑定機に通すと偽札と判断され、多くの店主が「新札がニセ札でないと証明されるまで、新札は受け取らないよーん」と叫んでいるとのことだった。

 
王府井のど真ん中にある中国銀行はいつも混雑していたり、ヤミ両替のジジババがいたりするのだが、王府井の少し外れに位置する东安门支店は、穴場なのかガラガラで、店員4人と警備員1人、客は私とこびとを含めて5人しかいなかったから、スムーズに両替出来た。ネットなどでは「市内の銀行は待たされることが多いから空港で両替した方がいい」とか、「街中のATMを使った方がいい」とか言う日本人が多いけれど、空港は手数料がバカ高いし、ATMはスキミングされる可能性があるから、やはり大手の銀行で両替したほうが安心だ。ちなみに、これまで北京の銀行で待たされたことはほとんどない。まぁ一度だけ、建国門駅近くの中国銀行でエラク待たされそうになったことがあったけれど、待たされそうな時はだいたい雰囲気ですぐわかるから、そんな時はすかさず別の銀行へ行けば問題ない。
 
中国銀行を出て少し歩くと、信号の向こう側がすぐ王府井(ワンフーチン)だ。ここは北京で一番の繁華街で、ツアーでも必ずと言って良いほど訪れる場所らしい。添乗員同行のツアーだと、某北京ダッグ有名店やら、胡散臭い土産店やらへ強制入店させられ、否応なしに散財させられるケース(中国人は暴れることもあるらしい)もままあるらしいから、やはり慣れたらフリーツアーの方が楽だ。

 
信号待ちをしていると、目の前には奇妙な外観のビルが見える。通称、 乐天百货(楽天百貨)、正式名称は 北京乐天银泰百货だ。最上階の看板には通常LOTTEと書かれているが、この日は工事中のためか布で覆われていた。ロッテといえば、日本で在日韓国人が創業した後、韓国へ進出した有名企業だが、中国語名では繁体字で 樂天集團、簡体字で 乐天集团と呼ばれている。ロッテという英字読みの発音を 乐天(letian)と当て字したのであろうが、単語の意味も良いからそう訳したのかもしれない。ちなみに日本にも楽天という会社があるが、ロッテと関係があるのかどうかについては知らぬ。

 
画像を見て頂ければわかると思うが、このビルは明かに風水師が設計したかのような外観だ。川や海を思わせるような波打つデザインや、水色のガラスを多用した外壁の建物は、風水では全て五行でいう「水」に分類される。つまり、全体的に水をイメージさせるような流動性のあるデザインや、水のように形が定まらぬようなデザインは全て「水」の分類になる。
 
水は液体であるから形が定まりにくく、コップに入ればコップの形になるし、壺に入れれば壺の形になる。ブルースリーは生前、「止め処なく流れるwaterのようなファイティングスタイルが最強だ」とインタビューで語っていたが、王府井のように「水」や「木」など、相生関係にある土地では、「水」のスタイルを取り入れた建物は地気を最大限に活かせるから、繁栄しやすくなると言われている。
 
日本では北京の風水事情について語る人を知らぬから、勝手に想像するしかないが、おそらく私の予想では、王府井大街と金鱼胡同という「水」に関連した名称の通りが交差するエリアに位置する立地であるがゆえに、「水」の性質を多く取り入れた外観にしたのであろうと思う。元来、王府井は名称の通り、皇族の屋敷の井戸があった場所であるし、金魚という珍しい通り名から推察してみるだけでも、地の利を活かし、「水」の気を大いに取り入れて繁盛させてやろう、という魂胆が透けて見えるようだ。ロッテはまことに侮れない会社だ、と思いつつ店内のテナント案内図を見てみたが、火锅の店が入っていたり、屋上に備えつけられたロッテの看板が赤色だったりで、「水」と相剋関係にある「火」の性質を共存させているから、今後の経営状況はどうなるのだろうか、などと想像した。
 
火锅というのはいわば中国式のしゃぶしゃぶで、薄くスライスされた生の羊肉や野菜やらを、ぐつぐつ煮えた麻辣なスープに浸して食べる料理だ。ちなみに、しゃぶと言ってもシャブではない。シャブは中国では「アイス」と呼ばれ、どこぞで密造されてお盛んらしいが、さすがに中国でも公然と片仮名のシャブシャブをやる店はないだろう。あくまで平仮名のしゃぶしゃぶ屋だ。
 
しかし、今回のロッテ百貨の看板の工事はただの補修なのか、点検なのか。もしや相剋の関係に気が付いたのか。結局、あまり入店する気にならなかったので、ロッテ百貨には入らなかった。
 
そんなことを考えていると、信号が青に変わった。私はこういうことをずっと考えてたりするから、信号が変わっても気が付かないことがたまにある。中国人は信号の色に関わらず横断するから、東京のように周りの人の動き出しに合わせて信号を渡ろうとすると、実際には赤信号だったりして、車に轢かれる可能性がある。特に考え事をしていたり、スマホをいじっていると危険だ。信号を渡り切ると、こびとがトイレへ行きたいと言うので、とりあえず比較的綺麗なトイレを備えていそうな 北京市百貨大楼王府井百货で、トイレを探すことにした。

 
中国のトイレはビルの外観でその良否を判断出来ぬ。以前、このビルの斜め向かいにある王府井書店のトイレに入ったことがあるが、かなり汚くてドン引きした。本屋の店内自体は小奇麗で比較的整理されていたのだが、トイレは薄暗く、掃除している気配がほとんど無かった。しかも当時は和式便器だったのだが、水を流すと便器の両サイドからわずかな水が出るだけのタイプだった。通常、和式便器は後方から水が出て、前方の穴へ汚物を押し流すようになっているわけだが、この便器は何故か両サイドから水が出るもんだから、ウ〇コが便器の中心で滞留して、排水口まで流れていかないという、嫌がらせかと思わせるかのような素晴らしい便器だった。旅行中は基本的に便通が悪くなるから、そんなに巨大なウ〇コが出なかったのが幸いだったが、小さくても流れる気配がなかったので、そのまま放置するしかなかった。もし、「山吹のなぎなた一本切れ目なし」とか「スリムド〇ン」的なウ〇コが出るほど快腸だったら、排水口が詰まったり、汚水が溢れて惨事になっていたかもしれない。そんなことがあったので、北京へ行くたびに、日本のトイレの有難みを強く感じる。

 
北京市百貨大楼王府井百货の隣にあるが、この2つの百貨店の目の前には、 王府井百货集团が経営する 东安市场という百貨店がある。何れも真にややこしいネーミングの店だが、中国にはそんな店名が多い。人気のある店の名前を真似するのだ。例えば北京に二郎というラーメン屋があったら、元祖二郎とか、一郎とか、三郎というラーメン屋が出て来て、客を奪い合うに違いない。日本だと商標登録権で訴訟になりそうな屋号でも、中国ではお互い様的な感じで営業している。これが、あまり細かいことにこだわらぬ大陸気質だろうか。ちなみに 东安市场は清の時代から続く市場らしい。

 
北京市内では世界各国で起こっているテロの影響か、年々、観光スポットを警備する警官の数が増えている。まぁ、外国人としては安心感があって良いのだが。隊列を組んで歩いている警察官の後ろを横切って、とりあえず王府井百货へ入った。どうやら1階にはトイレが無いらしく、地下へ降りてみることにした。地下には日本のデパートと同様、食品や土産物を売っていたが、王府井のほとんどの土産物屋が1階にある影響か、かなり閑散としていた。店員もやる気がないようで、店の前を通ってもほぼ無視を決め込んでいて、商品を売るような気配がなかった。店員同士でだべったり、何やら事務作業をしたり、スマホをいじったりで、全く客を気にも留めていない感じであった。
 
トイレを探してウロウロしていると、突如、目の前を横切って、右側にあったゴミ箱に、痰を吐いたBBAとぶつかりそうになった。中国のゴミ箱の口が広いのは痰を吐いたり、赤子にオ〇ッコをさせるためなのかと合点したが、客がいる目の前でカーッ、ペッとやるBBA店員には驚いた。
 
店内には日本のデパートのようにトイレの表示を示す看板が無かったから、探すのに時間がかかって、結局店員にトイレの場所を聞いた。女子トイレは2Fにあるらしい。中国では数か月前からエレベータやら、エスカレーターの事故が相次いでいたもんだから、エスカレーター起始部の板を指さして、「ここは踏まないように」とこびとに指導しておいた。
 
最近あったエスカレーター事件は、中国国内では「自动扶梯“吞人”事故(エスカレーター“人喰い”事故)」などと呼ばれて、大いに騒がれたようだ。中国では2014年までに360万台のエスカレーターが設置され、それ以降毎年70万台以上のペースで増え続けているらしく、エスカレーターの国内保有台数は自称世界一らしい。ある人によれば、「エスカレーター事故が相次いだのは、2003年から急激に台数が増加して、その分、一気に老朽化したエスカレーターが増加したせいだ。」なんてことらしいが、だいたいちゃんとメンテナンスしていれば10年程度の使用であんな異常が出るとは思えぬ。やはり元々の作りが悪いのか、ちゃんとメンテナンスしていなかったのか、はたまたその両方が原因なのだろう。
 
東京においても、一日の乗降客数が世界一の新宿駅などは、いつエスカレーター事故が起こっても不思議ではなさそうだが、事故は聞いたことが無い。やはり、日本のエスカレーターが世界で一番安全なのだろう。しかしながら、エレベーターに関しては日本でも頻繁に事故があるし、地震の時に閉じ込められる可能性があるから、極力乗らないようにしている。中国でもエレベーターに乗るなら日本製が安心だけれど、本当に日本製かどうかわからぬし、ちゃんと点検されてるかどうか確かめようがないから、やはりなるべく階段を使うようにしている。ちなみに、エスカレーターで万が一異常があった場合は、両端に緊急停止ボタンがあるから、これを押すと良いかもしれない。まぁ本当に止まるか知らんけれども。

 
あのエスカレーター事件以来、中国では様々な乗り方が発明されている。今後中国へ行く可能性がある人のために、一応紹介しておこう。まずは、一般的な乗り方がこれだ。大股開いて、ジャッキーチェンやトムクルーズばりに、手すりにしがみつく。新御茶ノ水駅みたいに地下鉄の長いエスカレーターだとさぞや恐怖であろう。

 
「あんな大股開けるわけないじゃない」などと騒ぐ腐女子や、性転換手術をして間もないオネエには、次のような乗り方がおすすめだ。これならスカートを履いていても、アソコの手術後であっても、比較的刺激が少なくて宜しいかと思う。

 
しかし実際には、人間を呑み込むかもしれないエスカレーター両端の床板が危ないのであって、それについての回避法も公開されている。ちなみに画像は繁体字だから簡体字で説明しよう。
 
夸张闪避(kuazhang shanbi、サッと身をかわす)
掰腿跨过(baitui kuaguo、大股でまたぐ)
雨伞探路(yusan tanlu、傘で探る)
轻足试踏(qingzu shita、足で軽く踏んでみる)

 
正直に言ってしまえば、どれもアホらしいが、やはり無難なのは大股でまたぐことだろうか。床板は軽く踏んだとしても、不具合がある時は落ちる可能性があるし、そもそもエスカレーターは横に避けるスペースがない。この画像は繁体字だから、台湾人が中国人を揶揄して作った画像かもしれない。
 
百貨店でこびとがトイレを済ませたあとは、 东安市场で昼飯を食べることにした。しかし、その前にちょっと 稻香村(daoxiangcun)を冷かしておくことにした。 稻香村は北京でもそこら中にある老舗の菓子屋で、クッキーみたいな菓子が名物で、中国人のお土産としては人気があるらしい。ちょっと買って食べてみようかと思ったが、値札がなくて明朗会計ではなさそうだったから、店内を一周するだけで買うのは止めにした(基本的に量り売りらしい)。店内は白人と中国人で結構混んでいた。

 
东安市场は通称「北京apm」という店で、apmというのはAM(午前)もPM(午後)も営業しているゆえに、「am+pm=apm」というように名付けたらしい。北京にはこれまで朝から晩まで営業しているショッピングモールがなかったらしく、9時~22時まで営業していることがひとつの売りらしい。そういえば、かつて日本にはampmというコンビニがあったが、この屋号はあれのパクリではないかと思うが、もうampmはファミマに吸収されて消失してしまったから、誰も文句は言わないだろう。

 
地下1階はVANSやアディダスなどのスニーカーが売られていて、2階は主に女性向けの靴屋と化粧品店が入っていた。3階と4階にはApple StoreやH&M、Forever21、GAP、ZARA、MAKE UP FOR EVER 、Calvin Kleinなどの服飾関係の店が入っていて、5階と6階は主に飯屋が入っている、という具合だった。テナントの配置は日本のそれを模したのか、日本とほぼ同じだ。アップルストアが本物かどうかは知らぬ。
 
カフェやスイーツなど軽食を出す店は、地下1階から4階まで散在している。凯柏思(ケーキ)、Teadot(フレッシュジュース)、肖蒙马卡龙(マカロン)、麦当劳(マクドナルド)、歌帝梵(ゴディバ)、太平洋咖啡(カフェ)、哈根达斯(ハーゲンダッツ)、太兴餐厅(レストラン)、星巴克(スターバックス)など、15店舗前後の店が入っていた。

 
5階から上はいわばフードコートで、ほとんどが飯屋だ。咖喱匠(カレー)、起司家(チーズケーキ)、洪师父牛肉面(中華風麺)、维果部落(オレンジジュースの生絞り販売機)、点点一品(香港料理、点心)、DQ冰雪皇后Dairy Queen(ジュースバー)、菓漾工坊(台湾菓子)、元気寿司(寿司)、青柠泰餐(タイレストラン)、丸龟制面(丸亀製麺)、勝博殿(新宿さぼてん)、度小月(台湾料理)、澳葡小厨(マカオ料理)、西贝莜面村(内モンゴル料理) 、鲜果时间(フレッシュジュース)、西堤厚牛排(ステーキ)、港丽餐厅(香港風レストラン、北京でよく見かける「港式(gangshi)」は「香港風」の意)、鹿港小镇(カフェ)、顺一府饺子馆(餃子)、呷哺呷哺(火锅、中国式しゃぶしゃぶのファスト形式、見た目は明らかに吉野家風)、吉野家、巴贝拉(イタリアンのファスト式)、一茶一坐(台湾風レストラン)、东来顺饭庄(いわゆる老字号(laozihao、老舗)の中華料理)、赛百味(サブウェイ)など、日系の飲食店もチラホラ入っていた。
 
6階には板长寿司(寿司)、鼎泰丰(世界各地に展開している台湾料理、東京だと新宿高島屋にある) 、速度pizza(ピザ)、珍仕菓(ジュースバー)、先生下厨(中華風レストラン)、瑞可爷爷(大阪の某チーズケーキ屋のパクリ店との噂あり)、ICE MONSTER(アイス)、芒果香山(マンゴースイーツ、たぶん台湾系)、水果先生(フルーツ)、嘉和一品(お粥専門店)、许留山(香港風スイーツ)、火炉火(韓国式炭火焼肉)、爱有梅有(干し梅専門店)、鲜芋仙(台湾式芋スイーツ)、味千拉面(ラーメン)、鹤千里炭火烤肉(韓国式炭火焼肉)、美椰特色烤鱼(四川料理)、小城隍(上海風レストラン)、香源麻辣香锅(四川料理)、外婆家(杭州料理)などがある。当然ながら中華料理の店が多いのだけれど、北京では台湾関係の店も人気がある。
 
国家間では、台湾と中国は色々と揉めているけれども、やはり中国人は単純に美味しいものなら受け入れるのだろうか。そういえば、先日、台湾のドライフルーツを親戚からお土産でもらったのだが、あまりにも美味しかったので、いつか輸入して、日本で売ってやろうと企んでいる。ちなみにドライフルーツもいろいろあるから、全ての商品が美味いというわけではない。
 
5階にある、本物のオレンジが入った自動販売機は中国ならではだが、衛生面でヤバそうだから買う気がしない。しかし本物のオレンジを自動で絞り出す販売機とは、どんな構造になっているのだろうか。飲みたくはないが、機械の内部構造は見てみたい。そういえば、「日本のチベット」であると、とある議員に揶揄された島根県にも「都会」と「田舎」があるらしい。その「田舎」には、未だにうどんの自動販売機があった。それはお金を入れてボタンを押すだけで、アツアツホヤホヤのうどんがドンブリに入った状態で出て来るレトロかつ画期的で、まことに便利極まりない自動販売機なのである。しかし、島根県のように蒸し暑い夏場は、汁にコバエが混入していたり、販売機の周りに虫がたかっていたりするのだが、自動販売機の前に置かれた椅子に座って、事も無げにそのうどんをすするトラックの運転手が案外多くて、シティーボーイ100%だった私は、少しカルチャーショックを受けた。しかし、実際に食べてみると、確かにうどん自体は美味かった。コバエがスープに入っていなければパーフェクトだった。ちなみに、うどんに入れるための瓶入りの七味は、蓋が外された状態で紐でくくられ、販売機の横にぶら下げられていた。N〇Kの「ドキュメント72」という番組でもこれと同型の販売機が特集されていたが、秋田のように年間を通して涼しい地域ならば、コバエ混入事件が発生しなくて宜しいかもしれない。この時の内容は中盤までは面白かったが、最後は販売機が爆破されるか、トラックに積まれてドナドナされるという感動のフィナーレを迎えるのかと思わせる展開だったが、結局、店主のおじいさんが引退するだけで、販売機の電源を落としたあと販売機は別の場所で復活するという予想外の展開に、キレそうになった。

 
王府井と言えば、ガイドブックなどでは小吃街が有名だけれど、毒霧舞う寒空の下で食べるよりは、ちょっと割高でも暖房が効いていて、店員が親切な东安市场で食べた方が良い。ショッピングモール内の飲食店は美味しい店が多く、日本の高くて不味い飯屋が集まるショッピングモールに比べたら、満足度はかなり高い。北京に初めて来て、ボッタクリが怖いとか、ある程度清潔で安全かつ親切な店が良いという日本人には、おすすめの場所だ。宿泊するホテルが王府井ならば、毎食ここで食べるのも良いかもしれない。中国には様々な民族がいるが、特に北京の外食店はバラエティに富んでいて、比較的レベルの高い店が多いから、グルメが目的の旅行でも楽しめると思う。ちなみに北京には 快餐(kuaican、ファストフード)の外食店も多く存在するが、中華圏発祥のファストフードは、基本的に不味くてサービスが最悪なパターンが多い。日系の店には入ったことが無いからわからぬが、やはり日本人が働く日本国内の店よりは、レベルが低いだろうと推察される。とにかく、北京のファストフードに関してはロクな想い出が無いので、なるべく避けるようにしている。ちなみに北京空港にあるバーガーキ〇グに入った時は、店員が客を完全に無視していて、キレそうになった。

 
こびとが「せっかく北京に来たのだから、本格的かつ美味い中華を食べたい」と言うので、とりあえず 鼎泰丰(ディンタイフォン)に入ることにした。 鼎泰丰は台湾発祥の台湾料理店で、世界各地に支店をもつ、いわば勝ち組の飯屋だ。東京だと東京駅やら銀座やら新宿やら、みな一等地で営業している。 鼎泰丰は厳密に言えば中華料理ではないのだろうが、大半の台湾人のルーツは漢民族らしいから、中華料理と言えないこともない。本当は他に入ってみたい店があったのだが、人気店は行列が出来ていたので止めにした。

 
店内は明るく、清潔感と高級感が漂っていた。雰囲気は新宿の鼎泰丰より明るく、テーブルの間隔も広めだから、中々快適だった。席につくと、すぐに店員がメニューを持ってきた。中国人の店にしては対応が早かった。店員は去り際に、カゴに入れた荷物の上にさりげなく紅い布をかけてくれた。新宿の鼎泰丰にも各テーブルに荷物入れのカゴと、蓋をするための紅い布が置いてあるが、店員は忙しいのか教育されていないのか、想像力が無いのか知らぬが、布をかけてくれなかった。まぁ気にするようなことではないが、サービスの違いを感じた。
 
メニューは北京で流行の、色彩に富んだ写真集のようなメニューだった。カラフルだから、とても見やすかった。料理は100種類前後はあった。とりあえず、清炒塔菜(qingchaotacai)、 油炸排骨面(youzhapaigumian)、蛋炒饭(danchaofan)、特色小笼包(tesexiaolongbao、特製小籠包)、桂圆红枣茶を2つ注文した。桂圆(guiyuan)は龙眼(龍眼)とか、益智、羊眼、牛眼とも呼ばれていて、中国南西部が原産らしい。红枣はナツメのことだ。つまり、このお茶には龍眼とナツメが入っている。
 
龙眼は日本ではほとんど馴染みが無い植物だが、見た目と触感は荔枝(lizhi、ライチ)とソックリだ。通常、生のものを龙眼と言い、これを乾燥させた黒褐色の果肉を桂圆と言うが、何故かこの桂圆红枣茶には生の龙眼が入っていた。どうやらネイティブは龙眼桂圆を厳密に使い分けているわけではないらしい。龙眼の主な効能は補益心脾養血安神で、気血を補ったり、心悸亢進や健忘失眠、血虚などに効くと言われている。
 
荔枝(ライチ)は別名丹荔、丽枝、香果、勒荔などと言うらしいが、何より楊貴妃が愛した食べ物として有名だ。中国で栽培されている荔枝は300種類ほどあるそうで、中でも楊貴妃が好んで食べたと言われる妃子笑(feizixiao)という品種が最も美味いと言われている。『本草纲目(bencaogangmu、本草綱目)』には「用荔枝肉酒 并食之 痘疮不发(ライチの果肉を浸した酒と、その果肉を食すと天然痘は発症しない)」と書かれているが、ライチ酒は体臭を消す効果もあるらしく、楊貴妃は毎日ライチ酒を浴びていたらしい。
 
そうであれば、楊貴妃が腋臭(ワキガ)だったという話は本当であったのかもしれない。群がる男どもはその体臭を希少かつエキゾチックなモノとして好んでいたのかもしれないが、きっと楊貴妃自身は腋臭であることに強いコンプレックスを抱いていたのかもしれない。楊貴妃は茂名高州産のライチを、2000キロも離れた長安まで運ばせ、好んで食べたと言われている。もしかしたら、潜在意識に自分の体臭を密かに何とかしたいという思いがあったがゆえに、表面上はライチが好きだということにして、下僕たちに大量のライチを用意させていたのかもしれない。だいたい人間は嫌いな食べ物であっても、その効能が自分の何某かの劣等感を払拭する術になりえると思い込めば、毎日食べるようになることがあるし、そのうち嫌いだったという記憶が無意識に刷り変えられて、好きだったと思い込んでしまったりすることもある。まぁライチは美味しいから、嫌いな人なんていないと思うが、ちょっと特殊な味がするから、嫌いな人もいるかもしれない。荔枝は主に皮が紫色や紅色で、表皮に棘がある。龙眼は主に皮が黄褐色で、表皮がツルリとして棘はない。皮を剥いてしまえば見分け難いが、皮が付いていれば一目瞭然だ。

 
注文してから5分くらいで、まず 清炒塔菜が運ばれてきた。混んでいる割に持ってくるのが早い。ちなみに北京では、外人は後回しにされることも少なくない。店員がテーブルに残して行った伝票には人種を書く項目があり、そこには「J」と書かれてから、もしやJapaneseへの人種差別があるのかしらと勘繰っていたが、実際には日本の 鼎泰丰よりも対応が早く、差別されている様子もなかった。早速、美味そうな 清炒塔菜を食べようかと思い箸をつけようとすると、今度は 油炸排骨面桂圆红枣茶が運ばれてきた。いやはや早い。北京では史上最速の配膳速度だ。北京の飯屋では待たされた後に、「はよ持ってこい」と文句を言って、やっと料理が出て来るのが普通だから、何も言わずに早く出て来ることに少し感動した。

 
どれも素材が活かされている感じがして美味かったが、お茶はちょっと甘すぎて全部飲めなかった。青菜を食べ終えると、お待ちかねの 蛋炒饭と特製小籠包が運ばれてきた。炒飯は私の好物である。基本的に炒飯はジャポニカ米の方が美味いと思うが、この炒飯はインディカ米(タイ米)だった。確かに炒めるには粘り気のない米の方が良いのだろうが、如何せんインディカ米は独特の臭いと甘味があるから、中華系の炒飯には合わない感じがする。例えばタイ料理のチキンライスやガパオライスならインディカ米でも美味いとは思うが、ちょっとこの感じの炒飯はイマイチだった。まぁ不味くはなかったけれど、私の好みからは少しずれていた。

 
小籠包は日本でも行列が出来る人気メニューだから期待していた。醤油ベースのたれに刻んだ生姜を合わせて食べるスタイルは、日本の支店と変わらない。日本の支店では並んで大枚はたいたわりに、小籠包が冷凍っぽい感じがしてガッカリしたが、北京店は段違いにジューシーで美味かったから、やはり台湾料理の激戦区では調理にも気合が入っているのではないかなどと考えた。東京には著名でセレブ御用達の中華屋が沢山あるけれど、やはり鍼灸院と同じで、メディアに取り上げられていようが、高かろうが、本当に美味い中華屋は少ない。美味い中華屋に当たる確率が高い北京は、中華料理好きな人にとっては、東京よりも良い場所かもしれない。そういえば、最近中国で、麻薬成分が入ったケシの実を料理に混ぜていた飯屋が摘発されていたが、中国国内での飲食には様々なリスクがあることも事実だから、基本的には気軽に食べ歩きを楽しめるわけではない。お会計はなんぼだったか忘れたが、日本のディンタイフォンより少し安いくらいだったと思う。会計を済ませて店外へ出る時、店頭に立っていた店員がにこやかに谢谢と言った。食べたあとにお礼を言う店は北京では珍しい。
 
こびとがUGGのブーツを見たいと言っていたので、食後は1階の靴売り場をまわってみることにした。靴売り場がある1階までは、エスカレーターでのんびり降りていくことにした。

 
中国では偽物か本物か知らぬが、日本と同様、冬場はUGGを履いている女性が多い。ユニクロのダウンジャケットも人気らしい。だいたい冬の新宿や銀座で、ユニクロのジャケットとUGGのブーツを身につけている人がいたら、中国人である確率が高い。中国では多くのコピー商品が日々産み出されているらしいが、その大きな要因は、多くの外資が中国に生産拠点を構えてしまったことによる、いわば自業自得的なモノだと思われる。実際に、本物の商品を生産する工場のすぐ隣に偽物を作る工場を構えるとか、精巧な偽物を作るために本物を作っていた工員を引き抜くとか、とにかくコピー商品を量産出来る環境に恵まれているからか、やりたい放題らしい。昔はコピー商品と言えば、ロッテがロッチ、チョロQがチュロQ、NIKEがNKIE、adidasがadidosになるなど可愛げがあったが、最近は機械が進化した影響か、完全に近いコピー商品が出回っていて、中には本物を作るのと同じ生産ラインで偽物を作っているケースもあると言うからどうにもならぬ。中国に生産拠点を移すということは、その全てのノウハウをコピーされるリスクがあるということを踏まえなければならない。中国の人件費が安いからと言って中国人に生産、製造の全てを委ねてしまったら、あとで正規品がコピー商品に蹴落とされ、会社自体が潰れぬとも限らない。
 
結局、UGGのブーツが無かったので、外へ出ることにした。とりあえず王府井書店へ向かう。このあたりはいつ来ても観光客で混雑しているから、横断歩道はまことに渡りやすい。何故なら赤信号でも関係なく、車の通行を邪魔するくらい沢山の中国人が横断歩道を渡っているからだ。みんなで渡れば怖くないとはまさにこのことで、さすがに群衆に突っ込んで来る車もおらず、比較的安心して渡れるのだが、たまに突っ込んで来る車もいるから油断は出来ない。
 
中国では、群集やコンビニに突っ込んで死人が出ても、ほぼ無音で走ることや世界最低レベルの衝突安全性であることに関してなんら問われぬ某社製のハイブリッド車は普及していないのだが、その代り電動バイクが沢山走っているから、バイクには気を付けなくてはならぬ。まぁ日本が誇る某車みたいにコスト優先ゆえの極薄ボディで、IIHS(米国道路安全保険協会)実施のオフセット衝突で容易にキャビンが破壊され、Aピラーもフロントドアもグシャグシャに破壊される、乗員の安全も歩行者の安全もほとんど考えずに設計されたに等しい鉄の塊がほぼ無音で突っ込んでくる恐ろしさを考えたら、まだ中国製の電動バイクが突っ込んでくる方が怖くないし、助かる可能性は高いだろうと思う( 実際の動画)。

 
最近、日本では電磁波の害やミッション設計の異常を指摘されている某ハイブリッドカーが、各地の歩道やら、商店やら、民家やらへ突っ込む惨事が頻発している。ほぼ無音のハイブリットカーが突っ込んできた事故の被害者は、さぞや恐ろしい体験をすることだろう。被害者は奇跡的に生存して外傷を負っただけのように見えても、その後PTSDを発症するかもしれない。加害者である運転手と同様、そのハイブリッドカーを製造したメーカーの責任も問われるべきであろうと思うが、何故かメディアも、メディアに洗脳された愚かな大衆も、運転手ばかりを執拗に糾弾するだけだ。
 
マフラー音が多少なりともあるレシプロエンジンを積んだ車であったならば、もし車が後方から突っ込んできても、暴走開始地点からの距離と速度によっては、車の接近に気が付いて回避出来る歩行者がいるかもしれない。しかし後方からほぼ無音で、それなりの速度で車が突っ込んできたならば、避けるのはほぼ不可能だろう。こういった事件に関しては、メディアが日本のハイブリッドカーの在り方について議論すべきであったと思うが、某メーカーとズブズブな関係にあるメディアであれば、ダンマリを決め込むのは当然であったかもしれない。カーボン素材で燃えやすい猛牛や跳馬が炎上すれば、メディアは「ランボ〇ギーニが燃えた」とか「〇ェラーリが燃えた」などと固有名詞を出して大騒ぎするくせに、「プリ〇スがまた歩道に突っ込んだ」などと騒ぐことがないというのは、真に不思議なことである。

 
そもそも、一般人にとっての車というものは、乗員を目的地まで安全に運んでなんぼだから、基本的に私はクラッシュテストをギリギリで通過したような「インチキカー」や、クラッシュテストの一部項目が良かっただけで、ア〇記者やメーカーとズブズブな自称自動車評論家などに祭上げられるような、「棺桶カー(いわゆるK自動車)」には乗らぬように気を付けている。確かに、不況が続く地方都市などでは、止むを得ず低燃費かつ低価格な「棺桶カー」を選ぶ人が少なくないけれども、やはりクラッシュした時の代償を考えると、とても乗れたものではない。実際に日本では、頑丈に作られた車であれば生存したであろう事故でも、K自動車やT自動車だったがゆえにキャビンが完全に潰れ、帰らぬ人となってしまったなんてケースは少なくない。これは実際に日々起こっている自動車事故の映像を、ニュースやネットなどで客観的に分析・比較すればわかることだ。特に正面衝突事故などは、その車がどの程度のレベルで作られていたかが露骨にわかる。とにかく、日本のメーカーは売ったもん勝ちの風潮が強いうえに、「買い蛙」などと〇ホなCMを流したり、健全なアニメのキャラクターを引っ張り出して、次々と新車を買わせようとする傾向が強いから、非常に印象が悪い。そして、ドイツ車に乗ったり、ドイツ車を分解したことがないくせに、日本車の安全性や剛性は世界最高だと盲信している輩が日本メーカーの愚行を後押ししているような構図だから、どうにもならぬ。まぁドイツ車もD〇Gなんか載せているモデルは信用出来ぬから、MTかジャトコなんかのトルコンATを載せているモデルに乗るのが無難だ。確かに補器類は日本製の方が安心だから、ドイツ車のボディに日本製の補器類を多用したモノがよろしい。
 
王府井書店は北京市内でも最も大きい総合書店で、 东单にある北京図書ビルと同じくらい充実している。北京で中医や針灸関係の本が欲しい時は、王府井書店か図書ビルへ行けばたいてい揃う。しかし、北京図書ビルには客に絡んでくるチンピラみたいな男がいる確率が高いから、行くなら開店直後に行くのが無難だ。なぜならDQNは夜型が多く、活動を始めるのは昼からであることが多いからだ。今回は針灸や中医関連の本を何冊か漁ったあと、 成语故事(chengyugushi、故事成語)の辞書的な本を2冊購入した。

 
去年は1階の地図売り場で、壁の出っ張りに腰をかけて平然とトウモロコシを食べている中年カップルがいたが、その影響かわからぬが、今年は壁の出っ張りは座れぬように塞がれていた。どの階でも通路にベタ座りして読書に勤しむ輩や、持参した椅子で通路を塞ぎながら読書を楽しむ輩がいるのだが、たまに自分の手帳に本の内容を丸写しするジジイや、まるで自宅にいるかのようにくつろぎながら、床にベタ座りで子供に本を読み聞かせているBBAがいる。

 
沢山本を買って重いので、一旦ホテルへ戻ることにした。本屋の外へ出て駅へ向かう途中、清掃作業員のジジイが仕事を中断して、仲間と楽しそうに会話していた。北京は歩道が広いから、あんな風に立ち止まってダベっていても、誰も文句は言わない。

 
北京の地下鉄の駅はエスカレーターが少ないから、荷物が多い人や脚が悪い人は歩くのが大変だ。休日だったが時間が早いせいか、それほど電車は混んでいなかった。北京のラッシュアワーは地獄だから、なるべく空いている時を狙って行動しなければならない。

 
部屋へ入ると、当然ながら室内は清掃された状態だった。こびとは我々がいない間に、ホテルの清掃員がスーツケースに麻薬を忍び込ませて、我々を運び屋にさせるのではないかと疑って、必死に荷物をほじくり返していた。
 
北京で色々なホテルに泊まるとだんだんわかってくるが、低級なホテルになればなるほど、サービスが一定していない。ゆえに、清掃状態が清掃員によってかなり違うなんてことは珍しくない。大体、高級なホテルであればほぼ100%問題なく清掃してあるが、中級であると清掃してある時と手を抜いている時の確率が半々くらいになり、低級になると手を抜いているかほぼ清掃していない確率が高くなる、という具合だ。
 
そう言えば、杭州市の某ホテルでは、杜撰な清掃をする従業員の動画が流出していた「カメラは見た!中国ホテルの清掃」。便器用のブラシで洗面台と便座をゴシゴシしたり、汚れた便座も、洗面台も、浴室の汚い床も、全て客が使うタオルで拭くなんて信じられぬが、確かに安いホテルだと備えつけのタオルが薄汚れていることがあるから、事実なのかもしれない。まぁ、私は元来潔癖ゆえに、日本のホテルでも備えつけのタオルは足拭きくらいにしか使わないから、それほど問題はない。杭州市は中国では「最美丽的地方(最も美しい場所)」と言われ、観光客も多いようだが、あんなホテルが晒されたら、観光客が減るかもしれない。
 
私はカリマーのデイパックから、買った本を取り出して、しばし表紙を眺めて悦に浸りながら、休憩することにした。針灸や中医に関しては、中国には本当に有益な本が多いから、毎回新しい本を買うのが楽しみになっている。今回は機能解剖書や難病関係の針灸書、靳瑞針灸などの本を20冊くらい買った。あとは北京図書ビルで目ぼしいものを漁ってみるつもりだ。

 
日本の鍼灸界には「後天の精は鍼灸で補えるから、毎週鍼治療を受けなさい」などと中医学の基礎も知らぬことを恥ずかしげもなく公言しているような老害や、ほとんど鍼を刺さない施術にも関わらず、「当院の治療法は非常にダイナミックな治療です」などと英語の意味も知らずに英語を使って知的なフリをする哀れな鍼灸師が実在する。さらに恐ろしいのは、そんな鍼灸師が最高であるとか、そんな鍼灸治療が素晴らしいとか、愚かにも信じて疑わない鍼灸師が少なくないから、もうどうしようもない。
 
そんな日本鍼灸界であるから、志ある日本の鍼灸師は日本で学べる鍼灸術はないと悟って、中国語を独学で勉強して、最低限、中国針灸の本でも読み漁るべきだと思うが、中々そういう有望な若い鍼灸師は現れないようだ。このままでは日本鍼灸の未来は暗いままだろうし、老害によって汚染された現状を打開するのは困難ではあるが、まぁマトモな鍼灸師が地道にやるべきことをやっていくしかない。何となく中国針灸に興味が湧いた鍼灸師は、とりあえず浅野周先生が翻訳した中医薬大学の教科書を何冊か読んでみると良いでしょう。きっと、日本鍼灸界で尊ばれているような経絡治療や弁証治療、わけのわからぬ亜流の鍼灸書、鍼灸専門学校で採用されている教科書などとの歴然とした差を理解出来ることでしょう。

 
日本から持参したおやつを食べて、しばしマッタリしたあと、 东直门の針灸用具店へ行くことにした。夜チェックインした時には気が付かなかったが、ホテルの入口の左右には大きなボウルのような甕が置いてあって、錦鯉が飼われていた。金魚は邪気を吸うとか言われていて風水的な仕掛けをする時によく使われるが、単純に鯉は水を浄化するそうだから、金魚を飼うより簡単かもしれない。

 
ホテルの目の前にある 崇文门駅から地下鉄に乗る。 东直门駅に到着し、長いエスカレーターに乗って地上へ上がると、イチョウが綺麗に紅葉していた。イチョウの木の下には、落ち葉と戯れている中国人の子供がいた。イチョウは元々日本には自生しておらず、中国から誰かが持ってきたのが始まりらしいから、皇居前広場から東京駅へ続くイチョウ並木も、きっと誰かが苗を植えたのだろう。

 
いつも行く北京中研太和医薬という針灸用具店は、中医薬大学东直门医院、中医研究院と同じ敷地内にある。东直门駅からD出口を出て西へ5分くらい歩いた、北新仓胡同という通りの左側にある。ちなみに中国で市販されている北京の地図帳では、地下鉄の表記が地铁(ditie)のDになっていて、东直门駅のB出口の場所にDと書いてあるから、北京の地図を見慣れていない頃は、D出口に出るつもりが真反対のB出口に出てしまい、大いに迷った。やはり地図作りは日本人の方が丁寧だ。

 
針灸用具店へ入ると、いつもいる「みぎわ花子」みたいな店員が立っていた。2年くらい前から働いている姐ちゃんだが、すでに女将的な雰囲気で、古株の「ブー太郎」と「はまじ」を足して2で割ったような、とっぽい男の店員を従えていた。もう一人、「藤木」みたいな新入りらしき男がいたが、特にやることが無いのか、店内をダラダラとうろついていた。

 
みぎわ花子に欲しいブツを書いた紙を渡すと、「これは今在庫が無い」と言うので、他の代替品を買うことにした。それにしても、いつもこの店は十分な在庫がない。持参したスーツケースを渡すと、ここぞとばかりに仕事を欲していた藤木が、商品をスーツケースに詰め込み始めた。しかし、アホな詰め方をするもんだから、私とみぎわ花子で「不行,不行(buxingbuxing、ダメ、ダメ)」と連呼しつつも、仕事を奪うのは可哀想なので、詰め終わるのを優しく見守ることにした。
 
今回は支払いに銀聯カードを使ってみた。銀聯カードは中国でメジャーなクレジットカードの1種だ。中国では、小さな店だと銀聯やVISAは使えてもAMEXが使えない、なんてことがあるので、中国でショッピングする場合は銀聯カードを持っていた方が良い。これまで日本では銀聯カードを使える店は少なかったけれども、最近は爆買い中国人が大挙して訪日しているせいか、ヨドバシカメラやビックカメラ、マツモトキヨシなんかでは銀聯カードが使えるようになっているようだ。
 
今まではスキミングが怖いから中国でクレジットカードを使うのは控えていたが、とりあえずこの店は信頼できそうだったので試しに使ってみた。やはり現金を持ち歩くリスクを考えると、カード払いが可能ならばその方が都合が良い。帰国して半年絶つが、とりあえず問題は起きていないし、請求もその時の通貨レートで使った分だけがちゃんと来た。
 
スキミングと言えば、今回はAmazonで買ったスキミング防止を謳うカードを財布に忍ばせて、中国入りした。空港のゲートで引っかかるかと思ったが、特に何も言われなかった。最近はすれ違いざまにパスポートの情報をスキミング出来るという話だから、念のため買っておいたのだ。まぁ本当に効果があるのか知らぬが、危機管理としては持っていた方が安心である。
 
針道具屋で買い物が終わると、空が徐々に暗くなってきていたので、寄り道せずに一端ホテルへ戻ることにした。 东直门駅の前には、バイクをつないだリヤカーで 冰糖葫芦(bingtanghulu、串刺しにしたフルーツを氷砂糖でコーティングした菓子)を売っているオバ半がいた。 冰糖葫芦と言えば 山楂(shanzha、サンザシ)が定番だが、最近はキウイやイチゴなんかも刺して売っている。串刺しと言えば、王府井では干からびたヒトデや生きたサソリの串刺しを売っていて、日本人が近寄ると日本語で「オイシイヨー」と小馬鹿にした感じで営業してくることがあるが、あんなもん美味いわけがない。本当に美味いなら買ってやって、まずは店員に食わせてやるのが一番だ。店員は儲かるし、美味いのを食えるしで、さぞや幸せだろう。

 
きっと、昔から日本の祭りで売られているあんず飴やりんご飴は、冰糖葫芦が起源になっているのかもしれない。私が子供の時分はあんず飴が大人気で、祭りがあるとなけなしの金でモナカの皮に載ったあんず飴を買って、よく食べたものだ。1回買うたびにルーレット式のくじ引きをやらせてくれたが、結構当たりが出て嬉しかった。しかし、高校生の頃にテキヤでバイトしてからは、裏事情を知ってしまったゆえ、あまり出店のモノを積極的に食べることは無くなった。
 
ちなみに、そのテキヤのバイトは当時、幼馴染だったNがバイト情報誌『an』で見つけたのだが、求人広告には「お花屋さんの配達のアルバイトです。食事補助あり。」と書いてあって、「飯もタダで食えるし、原付で花の配達するだけのバイトなんぞはチョロいだろう。」という思惑で、2人で応募したのがすべての始まりだった。
 
早速、誌面に書かれた番号へ電話すると、「2人そろって面接に来てくれ」と言われ、都内某所F駅から徒歩数分の住所を告げられた。もう昔のことだから詳しい場所は忘れてしまったが、その住所には平屋の借家らしき一軒家が集まっていた。言われていた表札が掲げられた家のインターホンを押すと、「中に入って」と茶髪で少しふくよかな感じの女がドアを開けた。歳は20代半ばだろうか。嫌な予感がしながら玄関で靴を脱ぎ、狭い廊下に上がると、目の前の壁に「極」と書かれた、色紙が入った額縁が飾られていた。これは「ゴディバのチョコは味を極めている」などの意味の「きわみ」ではなく、裏街道を極める意味の「ごく」であろうと察しがついた。
 
4畳半くらいの台所を通り、台所と引き戸で隔てられた8畳くらいの居間へ通された。部屋の真ん中には4人掛けの炬燵(こたつ)が置いてあり、小錦を二回りくらい小さくしたような風貌で、パンチパーマの中年男性が座っていた。明らかに「夜の紳士」またはテキヤであろうと悟った。
 
男に「まぁ座れや」と言われるまま、友人と2人並んで座ると、何故か先ほどの女がヤクルトを差し出した。「まぁ飲めや」ということらしい。どうやら、その女は目の前に座っている男の娘らしき雰囲気だった。女が台所で洗い物を始めると、おもむろに男がしゃべり出した。
 
「うちの仕事はよう。あとで役に立つって言われてんだよ。」
 
確かに、花の配達と言えども何らかの役に立つかもしれない。しかし、本当に花の配達なのだろうかと疑っていると、「○○神社の屋台で働いてもらう。○月○日の〇時に○○神社へ来てくれ。」と言われ、有無を言わせぬまま即採用となった。特に履歴書は必要ないようだった。
 
本当は怪しい感じがしたので行きたくなかったが、当時90年代のロックシーンを席捲していたNIRVANA熱にかかっていた私とNは、主にオルタナティブロックのCDや関連グッズ、カートコバーン風の古着、ライブのチケット等々、色々買いたいモノがあったがために、止むを得ず働くことにした。
 
今は無くなってしまったようだが、当時は御茶ノ水の向こう側、小川町にあったダブルデッカーというマニア向けの店で、金を貯めてはロックな小物やパンクなTシャツを買ったりしていた。この店は当時、音楽雑誌でロッキンオンとファンを二分していた、クロスビートという雑誌を出版していた、シンコーミュージックが経営していた店だ。確か原宿か渋谷あたりにも小さな支店があったが、今は無くなってしまったのだろうか。

 
年末から正月まで、6日くらいの連続勤務で、勤務中は基本的に神社境内から出ることは許されず(出る気力も体力もなかった)、ブルーシートで作った簡易テントと屋台との間を往復するだけの日々だった。
 
我々を採用したボスは他の出店者よりも明かにコワモテで、初日に設営をしている時には「てめぇ誰の許可でやってんだ」とか、他のテキヤとトラブルを起こしていた。
 
ボスの担当する屋台は4つで、フランクフルトが2つ、焼きそば1つ、チョコバナナ1つだった。私とNはフランクフルトとチョコバナナの担当で、持ち回りで交代しながら営業することになった。もう一つのフランクフルトはいつの間にか仲間に加わっていた、舎弟らしき出川哲朗風の背の低いオッサンで、焼きそばは調理工程が多いゆえか、ヤクルトを差し出した例の娘が担当することになった。
 
午前中に屋台の設営が終わると、次は仕込みの準備に取り掛かった。仕込みとは言ってもチョコバナナとフランクフルトだから至って簡単だ。アルバイト経験の少ない高校生にとって、仕込みは戸惑いの連続であったが、茶髪のヤクルト姉ちゃんが優しく教えてくれた。
 
チョコバナナは、まずは一斗缶に入った固形のチョコを機械に入れて、溶かすのだ。バナナは最近のチョコバナナとは違って、手乗りサイズのいわゆるモンキーバナナだった。英語と猿の絵が書かれた段ボール箱をトラックから屋台へ運び、ひとまず店頭に並べる分だけのバナナの皮を剥いて、割った割りばしに刺した後、溶かしたチョコでコーティングして、乾燥させて固まれば完成だ。当然、今ほど衛生管理はうるさくないから、手を洗わずとも、ヒビスコールやエンボス手袋を使わなくても誰も文句は言わない。たまに、少し熟れ過ぎたバナナがあったのだが、捨てようもんなら、「そんなもんチョコで包んじまえばわからねぇよ!」とボスの怒声が飛んできた。
 
チョコバナナの仕込みが終わると、次はフランクフルトだ。これは至って簡単で、大袋に10本くらい入った特大フランクフルトを、油をひいた鉄板で焼くだけだ。練習で少し焼いて、とりあえず準備はお終い。
 
昼食は補助が出るとのことだったが、やはり、予想通りカップラーメンだった。設営の準備をしている時に大量のカップラーメンが目に入ったので、嫌な予感がしていたのだ。茶髪のヤクルト姉ちゃんが「休憩だよ」と言い、「好きなの選びな」と言って例の山積みにされたカップラーメンを指さした。きっと勤務期間中は被災者の如く、カップラーメンで飢えをしのぐのであろうと予想した。
 
カップラーメンはどれも見たことのないメーカーだった。当時は100均なんて無かったが、今なら100均に並んでいそうなチープなラインナップだった。とりあえず、無難なわかめ入りラーメンにした。休憩場所は屋台の後ろにある、ブルーのビニールシートで作ったテントの中だ。
 
余程嫌な記憶だからか当時の詳細は忘れてしまったが、ボスが発言したシーンだけは何故か鮮明に覚えている。私がフランクフルトを焼いている横から、「うちの(フランクフルト)はデカいからよう。牛のチ〇コよりデカいよ。」と女性客に話しかけたと思ったら、急に「てめぇ売れ残ったら給料やらねぇからな!」とか「もっと声出せや!」とドヤし始めたりした。かなりの緊張を強いられていた私は、フランクフルトを袋から取り出して鉄板に移す際、誤って地面にフランクフルトを落としてしまったのだが、ボスは意外にも怒らず、「こんなもん熱加えりゃ食えるだろ」と言って、水洗いしたフランクフルトを鉄板に戻したという事件もあった。
 
フランクフルトは私とNと2人で交替しながら販売していたが、最終的には私一人の担当になった。売れ行きはまぁまぁで、最終日には何とか売れ残らないだろうと思えるくらいに在庫が減ってきていた。しかし、少し離れた場所で私と同様にフランクフルトを売っていた出川の店の売り上げが悪く、急遽その店を閉めて、売れ残った分を私が全部さばくよう、ボスからのお達しがあった。この時もまた、ボスは「てめぇ売れ残ったら給料やらねぇからな!」と私に檄(げき)を飛ばした。私は出川を恨みつつ、最終日は出来る限りの努力はしてみたが、結局売れ残りが出てしまい、長かったすべての営業が終了した。Nが担当していたチョコバナナは難なく在庫がはけたようで、Nは「ちゃんと給料がもらえる」と言って、ニヤニヤしていた。
 
結局、毎日12時間近くも働いたのだが、茶封筒に入っていた給料は、anの誌面に書かれていた規定よりも遥かに少なかった。Nは私より楽に働けた上に、もらえた額は若干多かったから喜んでいた。当時は少し地獄を見た感じだったが、今となっては懐かしい想い出で、貴重な経験を積めたから、お花の配達と嘘をついて採用してくれたボスには感謝している。今はおそらく、こういうバイトは募集せず内々でやっているであろうから、話のネタをゲット出来たという点においても、良かったかもしれない。
 
ホテルへ戻り、しばし休憩してから夕食を食べに行くことにした。こびとと与太話をしながらダラダラと休憩している内に、外はスッカリ暗くなっていた。とりあえず、夜のエサを探しに再び外へ出ることにした。

 
外は例年よりも暖かかったから、ユニクロの股引は不要なぐらいだったが、スモッグが徐々に濃くなっていた。我々が北京を発つ翌日からは急激に気温が下がるという予報で、その後は暖房が一斉に稼働するだろうから、スモッグは今の比ではないくらいに濃くなるだろうな、などと考えた。
*結局、12月に入ってから北京市内のPM2.5の値は過去最悪となり、「空气污染红色预警」が発令されて、市内の工場は全て停止、車は一部車両が運行制限、小中学校および幼稚園は閉鎖、市民は外出を控えるよう通告が出された。公表されたPM2.5の量はWHOが定める安全基準を20倍ほど超えていたらしいが、実際はどうだったかは不明だ。しかし、映像を観た限りではかなり酷かった。市民は外出が禁止されているに等しい状況だったから、宅配飯を利用する人が激増して、ピザなどの宅配業は特需だったようだ。きっと配達員は寿命が大幅に縮んだに違いない。
 
とりあえず近場で探すことにした。如何せん 崇文门付近はファストフードや外資系の飲食店ばかりでつまらないし、遠くまで行く気力がないから仕方なかった。比較的チープなホテルが集まる 北新桥东直门张自忠路(zhangzizhonglu)あたりならば、いわば老北京エリアだから、食べ歩きには困らない。やはり、来年からは 东直门あたりのホテルに泊まろう、と心に決めた。そういえば、 张自忠路という通りは、日中戦争で中国が勝利した際、活躍した 张自忠将軍の名前が由来となった、と先日のCCTVで言っていた。1947年くらいに改称したらしい。

 
ホテルの前にある横断歩道を渡り、 崇文门外大街天坛公園方面へ向かって南下すると、すぐにネオンが眩しいくらいの繁華街が見えてきた。まずはホテルの正面にある飯屋から覗いてみることにした。味多美とか李先生など、北京で有名なファストフードが並んでいたが、やはり入る気にならない。中華系ファストフードで良い思いをした記憶がないからだ。隣にはパン屋もあったが、夜にパンを食いたいとは思わない。そもそも北京で美味そうなパンを見たことが無い。最近は新宿南口にあるゴントランシェリエのパンを食い出してから、他のパンが美味いと思わなくなった。やはり餅は餅屋で、パンはフランスのものが美味い。歴史が違うから中々アジア人に美味いパンは作れまい。パン屋の前ではジジイがリヤカーで本を売ったり、リカちゃんらしき人形を売っていた。人形売りの人はトイレにでも行ったのか、無防備にも商品を並べたままいなくなっていた。リヤカーやスーツケースでゲリラ的に路上販売を始めるのは、北京では見慣れた光景である。

 
ちなみに、ホテルのすぐ横には同仁医院という大きな病院がある。薬で有名な同仁堂と関係があるのかどうかは知らぬ。

 
ホテルから2ブロック先には、新世界百貨店などの巨大な複合ビルが軒を連ねていた。昼間に通った時は人通りが少なかったが、夜は新宿東口の雰囲気に似ていて、若者でごった返していた。特に夜の繁華街は、東京よりもずっと人が多いように感じる。とりあえず、新世界百貨に入ってみることにした。このデパートも作りは一見日本風だ。例に漏れず、入口には寒気対策用の分厚いビニールのカーテンがかかっている。二重扉にする方法もあると思うが、安く仕上げるにはこの方が良いのかもしれない。快適な日本のデパートの入口に慣れていると、中国のビニールカーテンは鬱陶(うっとう)しい。何より、潔癖症の私にとっては、誰が触ったとも知れぬビニールカーテンがまとわりつく感じがキモいのである。

 
1階は主に化粧品売り場だった。日本のデパートほど香水臭くなかった。しばし店内を歩くと、ロ〇シタンの前で、販促らしき熊の着ぐるみ人間を発見した。以前、 西单のデパートで見かけた、明らかに著作権侵害的なリラックマ風の熊に似ていた。中国では、作者の了解を得ずに着ぐるみを製作し、密かに営利目的で使うことなど日常茶飯事だから、もはや驚かない。通常、熊の着ぐるみは寸胴だが、脚が不自然に細いから、観ていて違和感があった。これでは熊人間だ。熊人間は2頭というか2人いて、1頭は何やら子供に風船をあげて戯れていたのだが、もう1頭はその横で着ぐるみを脱ぎ、半熊人で休憩していた。子供は興奮した様子で熊人間に飛びついていたが、すでに脳ミソが汚れてしまった大人脳の私には、隣りで休憩している半熊人が気になって仕方がなかった。稼働中の熊人間は、着ぐるみのサイズが小さ過ぎて、着ぐるみの隙間から中の人の肌があらわになっていた。まぁ中の人が完全に見えるよりは、手首だけが見えるくらいなら、中国人には許されるのかもしれない。熊人間から風船をもらった子供は大喜びで無邪気にはしゃいでいて、そばにいた親もニコニコしていた。

 
特に目ぼしいものがなかったので、外へ出ることにした。とりあえず夕飯を食わねばならなかった。崇文门外大街から西花市大街へ入り、わずかながら並んでいる飲食店を物色してみたが、中々良さそうな店が無かった。しばらく歩いていると、たった今食事を終えたらしい、小太りかつ気の短そうな男が、店頭に路駐していたマイカーに乗り込もうとしていた。しかし不幸にも、その男の車の前には、ほぼピッタリと別の車が嫌がらせの如く駐車していた。車を出せないことに気が付いた男は、マイカーに乗るや否や、クラクションを鳴らし始めた。クラクションは大音量で、ずっと鳴らし続けているもんだから、通行人はみな振り向いていたが、見た目が危なそうな男ゆえか、みな見て見ぬふりをしていた。日本と違い、北京ではすぐにクラクションを鳴らす風潮があり、特に大街(dajie、大通り)は常にクラクションが鳴り響いているのだが、大街は片道4車線くらいはあるから音が大気中に拡散して、クラクションが鳴りまくっていてもそんなに気にならない。しかし、胡同(hutong)のような狭い路地でクラクションを鳴らすと、音が建物に反響して鳴り響くもんだから、たまらなくうるさかった。ちなみに中国製の自動車は日本車と違ってクラクションの音量が大きい。
 
男がずっとクラクションを鳴らしていては喧しくて飯も食えぬので、クラクションが聞こえなくなる場所まで移動することにした。しかし、しばらく歩いてはみるものの、先へ進むほどに店が無くなってくるような感じだったので、仕方なく来た道を戻って、今しがた通ってきた店から選ぶことにした。来た道を戻ると、またさっきのクラクションが聞こえてきた。どうやら、男はホーンボタンを押しっぱなしで、車の持ち主が現れるのをずっと待っていたらしい。明かにキチ〇イだ。しかし、しばらくすると、しびれを切らしたのか、クラクションを鳴らすのを止めて、持ち主が現れぬ車の周りを、飢えたハイエナの如き様相で怒りをあらわにウロウロしていた。一部の中国人はキレるとかなり危ないから、基本的には関わらぬのが賢明である。
 
とりあえずクラクションが鳴り止んだので、男のいる位置から少し離れた場所で店を探すことにした。北京の冬の料理と言えば砂锅(土鍋料理)なんかが有名だけれども、以前、日本の某メイカーが販売していた中国製の土鍋から大量のカドミウムやら鉛やらが検出されたとかいう騒ぎがあったから、土鍋料理は避けることにした。また、客がほとんど入っていないような店や、雰囲気の悪い店、美味しそうでもアホみたいに行列するような店は避け、まぁまぁ混んでいるがすぐに食べられそうな牛肉面(niuroumian)の店に入ることにした。
 
店内は縦長で、2人掛けのテーブル席が20くらい並んでいた。席は8割くらい埋まっていて、次から次に客が来るから、店員も忙しそうだった。レジの右側設置されたガラス扉の大きな冷蔵庫には、スターバックスの瓶入りコーヒーが並べてあった。普段はカフェインレスな生活をしているからコーヒーなんて滅多に飲まないけれども、瓶入りのものは初めて見たので、何となく買ってみることにした。こびとはペリエのミネラルウォーターを取り出して私に渡した。色んな種類の牛肉面がメニューに載っていたが、とりあえずベーシックなやつを2つ注文した。初めての店で冒険すると、大抵失敗するからだ。
 
会計が終わると、レジの女は受付番号が印字された伝票を差し出し、レジの左側にあるカウンターから自分で飯を受け取れと説明した。要するに半セルフ式らしい。レジの左側はキッチンで、4人の男が料理を作り、その奥にいる3人の女が客の残飯や食器を片付ける、というシステムのようだった。料理といっても大鍋に出来上がったスープと、茹でた麺、薬味を皿に盛りつけるだけの至って簡単な分担作業なのだが、何故か4人の店員の内、実質的には1人だけしか稼働していない状況で、料理が出て来るのに恐ろしく時間がかかっているようだった。
 
稼働していた男は新入りなのか、飯を待つ客の視線を浴びることに慣れていないようで、過緊張しているのか、動きがぎこちなかった。次から次に来る注文に脳がオーバーヒート寸前で、作業が混乱しているようにも見えた。男は客が渡す伝票を見ながらトッピングを変えているのだが、客への受け渡しが前後したりしていて、私の分も一向に出て来る気配がなかった。私の後から来た客の分が先に出されたりして、さすがにこちらもイライラしてきたので、私の伝票を稼働男の目の前に持ち上げてペラペラと揺らしたら、やっと料理が出てきた。この男の周りにいた3人の店員は、新入りの男をいじめているがゆえに、作業を手伝っていないようにも見えた。

 
少し気分を悪くしつつも、先にテーブルについて待っていたこびとと、夕食にありつくことにした。牛肉面は比較的好きな中国料理なので期待していたが、不味くてガッカリした。やはり、ファスト形式の中国料理はほぼ例外なく不味いと再認識した。店員の態度もさることながら、飯も不味い外食は最悪である。残すのもアレなので、手早く食べて、店を出ることにした。もう二度とこの店には来ないと心に決めた。
 
外へ出ると、またしばし街を徘徊して、口直しに星巴克(スターバックス)で何か飲み物をテイクアウトすることにした。このあたりだと北京新世界中心(北京ニューワールドセンター)1Fと、国瑞购物中心LG层(グローリーモール)1Fの2か所に星巴克があるが、大通りを渡って行くのも面倒なので、国瑞购物中心のスタバへ行くことにした。ここのスタバの店内は京都タワーの下にあるそれと似ていて、入口を入ると左側にカウンターがあって、やる気のなさそうな男の店員が2人、立ち話をしていた。店内はスタバにしては狭い方で、数個あるテーブル席にみな独りで腰かけ、ペーパーカップに入ったコーヒーをすすりながら、スマホやノートパソコンをつついていた。日本と変わらぬスタバのサードプレイス的光景だったが、一つだけ日本と異なる風景があった。店員がとにかく嫌そうに仕事をしていたのである。
 
日本のスタバや昔行ったシンガポールのスタバでは、どの店でもスタバを愛しちゃっている的な、常に仕事中はオキシトシンがたっぷり放出されていそうな店員が幸福感に浸って働いていることが多いが、どうも北京のスタバは中国人気質が抜けきらないような店員が働いていることが多い。よく言えばスタバ信仰に毒されていない感じではあるが、スタバが好きな客からしてみたら、北京に多く展開するコスタコーヒーと大して変わらない接客ぶりだから、スタバが誇るサードプレイス的な感覚は得られないかもしれない。まぁ私としては、初対面にも関わらず馴れ馴れしく話しかけて来る東京のスタバ店員より、やる気のなさそうな北京のスタバ店員の方が楽で良いのだが。サービスは色々なスタイルがあるけれども、客に会話を強要するような、勘違い的かつ一方的なサービスは宜しくない。

 
とりあえず、抹茶拿铁(抹茶ラテ)を2つ注文することにした。日本のスタバには抹茶ラテのホットか、抹茶のフラペチーノしかないが、北京には抹茶ラテのアイスがある。そういえば、ご当地メニューと言えば、2015年にある人が南京のスタバで月餅を買ったら、「月餅の中から虫が出てきた」という事件が日本でも一部メディアで報道されたことがあった。しかし、実際には月餅の中ではなく、月餅が入っているパックの中に「活蟲(生きている虫)」がいたらしい。月餅を作った業者は、「運搬時にパックが破損して虫が混入したのだろう」とか、「不是蛆是米蟲(ウジではなく米虫だ)」などと弁明したらしい。この事件以来、スタバでは飲み物しか注文しないようにしている。ま、それ以前に、スタバのサイドメニューは高過ぎる。
 
不愛想な店員に「带走(テイクアウト)」と告げて会計をすると、30元だと言うので随分安いなと思いながら、抹茶ラテが出てくるのを待った。しかし、やはり私が2つと言ったのにも関わらず、店員は1つしか作っていなかったから、仕方なくもう一度30元を払ってもう1杯作らせた。カウンター越しに見ていると、店員はかなり嫌そうに作っていて、少し気分を害したが、なるべく気にしないようにして商品を受け取り、店を出た。
 
外に出て早速一口飲んでみると、まぁ確かに味はスタバの抹茶ラテに間違いなかったけれども、2つを飲み比べてみると、明らかに味が違い、量も違った。どうやら1つは砂糖を入れ過ぎたようで、甘過ぎた。

 
横断歩道を渡り、改めてスタバが入っていたビルを眺めてみた。外から見るときらびやかだけれど、やはり東京の質感にはまだまだ追いつけていないな、などと考えた。それにしても 国瑞购物中心は北京新世界中心とライバル関係にあるのか、それに引けを取らないくらい巨大なショッピングモールだった。ちなみに中国語の「中心」は文字通り「センター」の意味で、最近の大型ショッピングモールは「○○中心」という名称であることが多い。中国語では、外来語はその単語の音か意味またはその両方から中国語に変換するが、どんどん新語が出て来るから、中国に住んでいない限り、中国新語辞典でも読んで知識を定期的にアップデートしないと理解出来ない言葉が多い。

 
昔の北京市内は21時を過ぎると閑散としていたらしいが、経済発展に伴ってホワイトカラーの労働時間が延長され、中関村(秋葉原みたいな街、シリコンバレー)で発生した「 九点现象(21時まで営業する店が出てきたことを指す言葉)」をきっかけに、王府井や崇文门でも22時以降まで営業する店が増えきたらしい。ampmなんて言う名前のついた日本のかつてのコンビニのパクリのようなコンビニもあるが、北京で24時間営業のコンビニと言えば、やはりセブンイレブンが多い。

 
不味い抹茶ラテを片手に街を徘徊しつつ、ホテルへ戻ることにした。日曜にも関わらず路線バスは結構混んでいた。中国の車は右側通行でバスも左ハンドルだから、右側のドアから乗るようになっている。崇文门外大街の歩道では、丸い空き缶の前で楽器を弾くパフォーマーがいた。募金してくれ、ということなのだろう。

 
ホテルのある通りに着くと、リヤカーの荷台で果物を売っている人がいた。北京では年中見られる光景だ。暇つぶしに、ホテルの1階にあるパン屋を覗いてみたが、大して美味そうなパンがなかったのでホテルの向こう側を少し徘徊することにした。「超市(スーパーマーケット)」の看板が見えたから、ホテルの近くにスーパーがあるとは便利だな、と思って覗いてみたが、「水果超市」と小さく書かれている通り、ほとんど果物とタバコしか置いていない店でガッカリした。

 
ホテルへ戻り、明日の予定でも決めようかと、手提げ袋から「地球の歩き方(ガイドブック)」を取り出すと、濡れていることに気が付いた。どうやら、さっきこびとに買ってやった、飲みかけのペリエの蓋がちゃんと閉まっていなかったらしい。袋のそこにはわずかに水たまりが出来ていたが、ミネラルウォーターだったから不幸中の幸いだった。これがコーラやミニッツメイドだったらたまったものではない。

 
翌日はまず「我在北京。挺好的。」の舞台になった北海公园(北海公園)へ行き、時間的に余裕があったら、師匠おすすめの北京中華民族園や動物園に行く予定にした。その後はシャワーを浴びて、歯磨きをして眠りについた。
 
 
 

3日目

3日目は6時に目が覚めた。我々の部屋があるA棟は大通りに面していたため、大通りは通勤カーで渋滞が始まっていて、マフラー音やクラクションの音が聞こえた。北京の交通量は東京の比ではない。排気ガスがPM2.5増加の一因となっているのも、納得出来るくらい沢山の車が走っている。市内の大通りは基本的に片側4車線以上はあるから、東京の倍以上多くの車が走っているのかもしれない。部屋は6階だったが、音が壁を伝わって上がってくるから、交通量が増えるに従ってボワンボワンという低周波音が喧しくなった。音感が鋭い人間にとってはかなりのストレスだった。
 
とりあえず、こびとを起こして、歯磨きをした。毎日起床後は、まずは歯磨き粉をつけていない歯ブラシで歯を磨くのが習慣になっている。幸か不幸か、幼児期に親の口移しが原因でミュータンス菌に感染しているから、油断をするとすぐに虫歯が出来る。まぁ、幼児期にミュータンス菌に感染していないと生涯虫歯が出来ず、逆に歯磨きの習慣が疎かになって歯槽膿漏になることも多いと聞くから、全身疾患に影響する歯槽膿漏になるよりは、少しくらいなら虫歯が出来ても歯医者に治してもらえば済むことだし、しっかりと歯磨きする習慣が身についている方が幸せかもしれない。そんなわけで、私は3種類の歯ブラシとデンタルフロスを使って、1日5回くらいは歯を磨く。自営業だから仕事中も合間を見て歯磨き出来るから幸せである。
 
いつも通り朝食は6時からだったので、歯磨きをした後は1階へ下りることにした。朝食は毎日変わらずビュッフェ形式だから、選ぶのは楽しいが、特にこれと言って美味しいものがなかったから旅の楽しみが半減した。まぁ基本的に普段から朝食はヨーグルトやシリアルだけだから、そんなに朝食への執着は無いのだけれど。

 
とりあえず、適当に何となく食べられそうなものを皿に盛りつけた。やはり北京のホテルの朝食は、粥に漬け物を入れて食べるのが無難だ。朝から包子や、馒头、油条はあまり食べる気にならないから、あっさりした食べ物が食べたい。しかし、中国でも発色剤が含まれる漬け物や、発癌性のあるニトロソ化合物を多量に生成させると言われている亜硝酸塩入りのハムなどの、腌制食品(加工食品)は避けた方が無難である。日本は添加物の規制が世界的に見てもかなり緩いから、食の安全には出来るだけ気を付けなければいけないけれど、中国はさらにその上を行っている感じだから、余計に気を付けなければならない。
 
適当に料理を皿に盛りつけて食べていると、新入りらしき中年女性店員が、古株らしき女性店員から、客が食べ終えた皿の片づけ方を教わっているのが見えた。なかなかちゃんと教えている感じで、少しホテルに対して好感を持った。

 
食堂のあるホールは奇妙な作りだ。B棟客室の外壁が、ホールにせり出していた。おそらく、元々はB棟になっている建物が最初に建てられて、A棟はB棟に寄りそう形で増築されたがために、ホールはB棟の本来の外壁を望む塩梅になっているのだろう、などと想像した。温泉がB棟にしかないのは、A棟が後から建てられたためだろう。

 
食後は一度部屋に戻って歯磨きを済ませて、すぐに出かけることにした。エレベーターで再び1階へ降りると、こびとがB棟にあるトイレへ行きたいと言うので、暇つぶしに、ロビーに掲げられている「Discover BEIJING」と記された観光案内図を見てみることにした。なかなかわかりやすい地図だった。しばし眺めた後は、ロビーの柱の下を囲うように設置された、ソファーに座って待つことにした。

 
私が座るや否や、まだ朝7時を過ぎた頃なのに、今着いたらしい中国人ツアー客が入ってきていた。こんな早朝に着くとは一体どこからどんな手段で来たのだろうなどと考えた。北京駅が近いから、夕发朝至(xifazhaozhi)な夜行列車にでも乗ってきたのだろうか。そのツアー客のBBAが1人、私の方へ突進してきて、ソファーにドカンと腰かけるや否や、「累死了(死ぬほど疲れた)」と吐き出すように言った。中国人は痛死了とか气死了とか、「○死(我)了(死ぬほど○○)」と言うセリフをよく使う。しばしツアー客を観察していると、こびとがトイレから戻って来たので、外へ出ることにした。

 
ホテルの正面玄関の前では、すでに地面の張替工事が始まっていた。やはり、こういった仕事は急いで仕上げねばならないのだろう。ホテルの前の歩道は通勤族がバンバン歩いていた。道路はすでに渋滞が始まっていて、バスもかなり混んでいるようだった。北京の大通りの歩道は基本的に広いが、朝は通勤族の自転車やバイクがバンバン通るから、気を付けて歩かねばならない。とりあえず、地下鉄で 西单にある 北京图书大厦(北京図書ビル)へ行くことにした。

 
今まで北京の地下鉄は一律2元(約40円)だったが、最低料金が3元に値上がりした上に、料金が距離制になったから、かなり割高感があった。 崇文门から 西单まで1人3元だから、2人分で6元だ。10元札を機械へ入れて、4元のお釣りを取る。北京の地下鉄は切符を買う機械が壊れていることが多いから、その場合は窓口で切符を買わねばならない。確か機械は10元札と1元硬貨しか使えないから、多めに小銭を用意しておかないと移動が面倒である。

 
構内は通勤客で混雑していたが、予想していたほどではなかったので安心した。まぁ空いているとは言っても、2000万人以上の人口を抱える大都市だから、それなりに混んでいる。感覚的には新宿と似たようなもんだろうか。地下鉄を走る車両自体はボロいが、ほとんどの駅にホームドアが設置されているから、東京のように人身事故で電車が遅延することがない点は宜しい。地下鉄の走り方も至極単純なので、MAPも見やすく、移動も容易(たやす)い。世界一複雑な公共機関を抱える東京に慣れている人ならば、北京の地下鉄での移動は何てことはないだろう。

 
北京图书大厦(北京図書ビル)は 西单駅を出てすぐの場所にある。西单は北京の渋谷だとか言う人もいるけれど、まったく雰囲気は違う。若者が集まる街だから、そんな点を安易に渋谷と例えたのだろうか。 北京图书大厦はその名の通り本屋が入っているビルで、北京では大型書店の部類に入る。北京の大型書店と言えば、だいたいここか、王府井書店だ。ここは9時から21時まで営業している。日本は大概の店が10時から20時までの営業だが、北京は朝早くから夜遅くまで営業している店が多いから本当に便利だ。日本はこういう点では北京よりも劣っている。そんなわけで、当院「東京つばめ鍼灸」も土日祝日は休まず、朝は8:30から営業しているが、やはり日本でも朝一番の需要はあるようだ。

 
ちなみに、日本の開業医は日曜休みの所が多いが、土日休みのサラリーマンやOLが大半を占める日本においては、土日の需要が最も多いわけで、日曜日に休診する開業医は如何なものかと思ったりもするが、まぁテレビでほぼ完全に芸能関係の仕事しかしていないような自称医師に比べれば、まだマシなのかもしれない。最近は、医師の仕事をしていないのに医師と名乗ったり、戦場へ行くのを止めたのに戦場カメラマンと自称する芸能人もいたりして、世の中わけがわからぬが、私は引退したり、隠遁する時は、ちゃんと「元鍼灸師」とか、「元院長」とか名乗ろうと考えている。
 
本当は、この日は動物園か、民族博物館か、故宮あたりへ行きたかったのだが、あくまで北京へ来る第一の目的は本の収集だから、まずは朝っぱらから中医関係の本を漁ることにしたのだった。
 
特にここ数年で集めている、中医関係の辞書、辞典の類は重いから、1回に飛行機で持ち帰れる分量は限られている。今回も、どうしても欲しい辞書が上中下巻すべて揃っていたが、とりあえず『 批评中医(中医批判)』という本だけ探すことにした。この本は師匠が教えてくれた本で、題名通り中医学を批判した内容の本だ。きっと日本で翻訳本を出版したら、ツ〇ラやら、養〇酒のメーカーや、漢方薬を売って生活しているような人々からの圧力で、発禁本になりそうな勢いの内容だ。読めばわかるが、かなり刺激的な内容で、これを読んだら気軽に 中药(漢方薬)を飲めなくなるかもしれない。

 
店内中央に備えつけてある検索機に、「 批评中医」と入力する。すぐに検索結果が出た。2007年が初版の本だから、師匠はもう売ってないだろうと言っていたが、どうやら在庫があるらしい。「4階の医薬コーナーにある」とのアバウトな検索結果だったが、とりあえず医薬コーナーの棚を、端から舐めるように探すことにした。しかし、何度見直しても本が見当たらない。黒い制服を来た男の店員に、検索結果がプリントされた紙を見せ、「この本はあるか」と聞くと、店員は何も言わずに私が今見たばかりの医薬コーナーを物色し始めた。店員は棚を端から端まで確認すると、ここには無いと判断したらしく、軽くため息をついて、別の場所へ消えた。数分後、何とか見つけたらしく、無言で本を差し出した。どうやら検索結果とは違った場所に置いてあったらしい。お礼を言って、会計を済ませた。

 
1階に降りて、地図や観光ガイドブックを物色する。最近は日本観光が人気だからか、日本のガイドブックが目立つ場所に平積みされていた。「東京攻略完全制覇」という、中国人に東京を占領されそうな恐ろしい題名の本をめくってみると、吉祥寺の有名な某メンチカツ屋や、某焼き鳥居酒屋などが紹介されていた。どうりで最近の吉祥寺は中国人が増えたわけだ。ちなみに吉祥寺の「い〇や」は安くて美味いらしいが、店員に短気な人が多いらしいから、立ち飲み屋のルールも知らず、日本語もマトモにしゃべれない中国人はトラブルになりやすいかもしれない。

 
本屋を出た後は、他に 西单には用事がないので、前门へ行くことにした。1回乗り換えて、3つ目の駅だ。前门駅の地上出口へ上がるエスカレーターの手すり付近には、「登るな」という注意書きがあったが、やはり手すりを登る輩がいるのだろう。外へ出ると、北側には朱色の正陽門、南側には灰色の 正陽門箭楼が見えた。正陽門のさらに北側は天安門広場、その先には皇帝が住んでいた故宮がある。 正陽門箭楼の南側には 前门步行街(前門歩行通り)がある。 前门步行街珠市口駅まで続いているため、 珠市口駅からも 前门を楽しめるが、 前门駅から降りて南下する方が面白い。

 
前门は北京最大の古城保護地区で、街の端のあたりは空家が目立つものの、中心街は沢山の商店がひしめいている。故宮と天安門広場から最も近い観光客向けの商店街であり、100年以上続く老字号(老舗)の本店が集まっているから、特にお上りさん的な中国人観光客から人気があるらしい。

 
こびとは天安門広場に行きたがっていたが、数か月前に北京入りした師匠の情報では、世界的なテロの影響か例年よりも警備が厳しくなっているらしく、パスポートを見せろとか、ビザはあるのかとか(日本人は基本的に15日以内の観光ならビザは不要)聞かれるらしいとのことだった。アホな警察官だったらトラブルになりそうで面倒なので、今回は行くのはやめておいた。

 
大きな石造りの正陽門箭楼を抜けると、すぐ目の前が前门步行街だ。ちなみに「街(jie)」という漢字は日本語では「まち」だけれど、中国語では「~通り」の意味もある。だから「前门步行街」は「前門歩行通り(ホコ天通り)」という意味だし、「大街」なら「大通り」の意味になる。夏場はこの門のトンネルの中の日陰で、ベタ座りで休む中国人が沢山いる。
 

 
トンネルを抜け、幅の広い横断歩道を渡ると、牌楼(pailou)と呼ばれる装飾された大きな門が見えてくる。日本の横浜中華街や外国の中華街の入口にあるのと同じような門だが、北京のそれは少し大きい。

 
門をくぐったすぐ右手にはスタバがあり、古城保護地区ゆえか中華風の外装になっている。ここも近年のテロ事件の影響か、王府井と同様、去年よりも明らかに警察官の数が増えていた。まだ9時過ぎだったから人出は少なかったが、人気のある観光地だから、通常、昼を過ぎた頃には大混雑する。夏に来た時は気温が40度近くあったため、通りの全体をまわる気力がなかったが、今回は全体的に回ってみることにした。

 
ホコ天になっている 前门大街を南下すると、右に 大栅栏商业街、左に 鲜鱼口街という通りが交わる交差点にぶつかる。どちらも無数の飲食店が軒を連ねる通りだが、どちらかと言えば 大栅栏商业街の方が老舗が多く、賑わっている。とりあえず、空いている 鲜鱼口街を徘徊してみることにした。そろそろ腹が減ってきたので、何か美味そうなものはないかと物色して歩いてみるが、中々良さそうなものが見当たらない。とりあえず、こびとが 北京烤鸭(北京ダッグ)を食べたいと言っていたので、店頭でニヤニヤしながら北京ダッグを売っている兄ちゃんに「 一份くれ」と言った。「15元/ 」というのは要するに1人前15元ということだ。まぁ老舗の北京ダッグ屋で食べるよりは遥かに安い。北京ダッグなんて高級だろうが中級だろうが、大して味が変わらないのだから、中国初心者のこびとには中級の北京ダッグで我慢させることにした。ミーハーな日本人は、北京と言えば某老舗の北京ダッグを食べたがるが、あまりにも値段が高すぎるのと、北京では外国人料金が存在するとかで、日本人だとかなりボったくられる可能性があるから、私は行かぬようにしている。ま、一度は高級店にも行ってみたいけれど。

 
鲜鱼口街の端へ行くと、空きテナントが目立つ。一部はゴーストタウンのようだ。おそらく「我在北京。挺好的。」の撮影はこのあたりの空家を使ったのかもしれない。小爱の服屋の舞台になった場所だ。本当は時間があったら、埋めたり掘り起こしたりで話題になった中国製の新幹線、和谐号(hexiehao)に乗って天津へ行き、名物の狗不理包子(犬も食わぬ肉まん)を食べたり、観光したりするつもりだった。しかし、数か月前に天津でミステリー色が濃厚な、ムー民が喰いつきそうな大爆発があったから、前门の肉まんで我慢することにした。狗不理包子は名物というわりに、北京市内では至る所で売られている。まぁ感覚的にはセブンイレブンで売っている肉まんを子供の手乗りサイズくらいにした肉まんだ。店によって味は違うようだが、私はどちらかと言うと中村屋の肉まんの方が好きだ。とりあえず、こびとが食べてみたいと言うので、1人前を買ってみることにした。

 
鲜鱼口街の入口付近には、 狗不理包子を売っている店があった。店頭に置かれた大きな丸いアルミ製の蒸鍋には、小さな肉まんがギッシリと詰められていた。肉まんの前では、店員らしきBBAが忙しそうに作業をしていた。とりあえず値段はいくらかと思い、店頭を見回してみるが、どこにも値段が掲げられていない。基本的に中国では値札が掲げられていないことは珍しくない。ゆえに、値段がわからぬものを買いたい時は、まず値段を問わねばならない。そうでないと、ボったくられる可能性が高いからだ。

 
老女に値段を問うてみた。
 
私「いくら?」
老女「××××!」
私「で、いくら?」
老女「××××!」
 
BBAは高齢に加えて、短気、南方なまり、早口の三拍子揃いだから、何を言っているのかわからない。私が3回目の「いくら?」を言おうとした直前、右側から横入りしてきたジジイが「いくら?」と聞いた。すると、ついにBBAの怒りは臨界状態を超え、漫画太郎的ババア風にゆっくりと「アーシーウー!(25元だこのクソ野郎!)」と絶叫した。
 
私はやっと聞き取れたと思って10元札を3枚差し出した。すると、BBAは札を奪うようにして取り上げ、受け取った金をバケツに投げ入れると、バケツの中からクシャクシャになった5元札を取り出し、投げるようにして釣銭と、パックに入った肉まんを渡してきた。となりにいたジジイは高いと思ったのか、値段だけ聞いて消えてしまった。値段を書いときゃ会話せずとも売買が成立すると思うが、BBAはそのような想像力を備えていないらしかった。肉まんは大して美味くなかった。
 
そういえば、私が島根へ出張して間もない頃、出雲弁が強い患者さんがいて、彼が何を言っているのかわからず、私が「標準語でしゃべって下さい」と言ったら、彼は「これが標準語だけん!」と叫び、気まずい雰囲気になったことがあった。中国も地方出身者は普通话(標準語)をしゃべっているようでも、実際にはかなり訛っていたり、発音が異なっていたりするもんだから、私のように大して中国語レベルが高くない人間は、困ってしまう場面が少なくない。北京人が語尾に「」をつけたり、Bの音をPで発音したりするのなんかは何となく慣れたが、とにかく中国は国土が広大で言語も様々だから、中国語を話せるとは言っても、まだまだ一部の中国人としか疎通が図れないもんだから、毎日CCTVを観たりして、地道に勉強するしかない。きっと中国に住んでしまえば言語のある程度の習得は容易いと思うが、そういうわけにもゆかぬ。

 
適当にブラついたあと、お土産にお茶でも買うことにした。北京でお茶と言えば、 张一元(zhangyiyuan、張一元)という老舗が有名だ。この店は繁華街にも支店も多いから、多くの観光客がここでお茶を買うらしい。北京の西城区には 马连道(maliandao)という茶屋が集まる通りがあるけれども、アクセスが良くないから、時間に余裕がないと中々行く気にならない。とりあえず、「 特级茉莉香茗铁盒装」を数個購入した。これは銀の缶に入ったジャスミン茶で、240g入りで80元(約1600円)だった。基本的に付き合いが少ないからお土産も少なく済んでよろしい。

 
金の缶に入った「 特级茉莉毛尖铁盒装」も置いてあったが、200g入りで100元(約2000円)だった。今回は初めて買うので、とりあえず安い方を選んだ。買ったことのないブランドで、最初から最高級品を買うのは危険である。安いものが良かったら、それより上のグレードを試してみるのが無難だ。以前、某イベントで、東京の某高級ホテルに卸しているという高級ジャスミン茶を売っている店があった。アルミ箔で覆われた、50円玉くらいの大きさの茶葉が8つ入って3000円、「 张一元ノ花茶(ジャスミン茶)ヨリオイシイヨ!」と中国人店員が言うものだから、試しに買ってみたけれど、張一元の銀缶の足元にも及ばぬ香りでガッカリしたことがあった。それ以来、中国人の言うことは基本的に疑っているが、とりあえず張一元のジャスミン茶は本当に香りが素晴らしくて、日本国内であれだけのレベルのジャスミン茶が手に入らないのは残念である。北京のお土産に迷ったら、まず張一元のジャスミン茶を買っておけば間違いない。

 
しばらく歩くと、日本で見たことがあるような店が現れた。看板のロゴはどこぞの日本企業を彷彿とさせ、「メイソウ(名創?)」という意味のわからぬ日本語が書かれていた。どうやら、300円均一とか500円均一みたいなスタイルの店らしいが、店外に向けて設置されていたモニターで、須藤元気氏率いる「WORLD ORDER」のミュージッククリップが流されていたのは謎だった。未だに中国では、商標権とか著作権という言葉が通用しない感じで、店主のやり放題らしい。

 
このあたりの路地は、昼時になると、客の引き込み合戦が勃発する。店頭に立っているBBAが「うちで食べて行け。」とか「すぐ食えるぞ。入っていけ。」などと喧(やかま)しい。私はBBAの様子と発言とメニューを見て、総合的に良さそうな店で昼飯を食べようと思っていたが、こびとが「危なそう」だと嫌がるため、仕方なく他へ行くことにした。とりあえず、トイレの場所を、路上で暇そうに突っ立ている警察官に聞いて、最寄りの廃墟っぽい雰囲気のビルへ行くことにした。どうやら、このビルはテナントが全く入っておらず、観光客向けに開放されたトイレと、警察官の詰め所があるだけらしい。前门の空テナントの多さを見ると、どうやらバブリーな時代は終わってしまったか、終焉に向かっているのかもしれないな、と思った。

 
北京の不動産は2006年頃から暴騰し始め、不幸にもこの時期に婚期を迎えていた北京男子はクソ高いマンションを買わされ、膨大な数の房奴(fangnu)が生まれたそうだ。房奴とは「房子(fangzi、家)」と「奴隶(nuli、奴隷)」を合わせた、最近よくメディアで使われる流行語で、住宅ローンの返済に追われている人たちのことを指す造語だ。中国では、まず男は結婚する前か、結婚した後すぐに、夫婦が住む新居を購入しなければならないという風習が未だ根強くある。つまり、結婚すると、親族や友人に「你们买房了吗?(あなたたち家買ったの?)」としつこく聞かれるというから、収入が少ない男や失業している男などは、発狂して犯罪に走ることもあるらしい。要するに、家を買うために、止むを得ず強盗を犯してしまうのだ。
 
実際に、CCTVの「実録!警察24時」的な番組である「 今日说法」では、そんな親族からの圧力に耐えかねて、犯罪を犯した哀れな男のドキュメンタリーが放映されていた。また、中国では土地を購入しても70年で国に返還しなければならないとかいうルールがあるらしく、最近では房奴になりたくないがために、独身を通す男が増えているそうだ。「 租房子挺好的啊(借家で十分よ)」と言ってくれる女性なら良いと思って結婚してみたが、結婚後には妻が豹変して家の購入を迫られ、月収の半分以上の大金をローンの返済につぎ込むようになった、可哀想な房奴も少なくないらしい。日本に来て、イッセイミヤケのバッグを爆買い出来るリッチな中国人も少なくないが、実際には富裕層は極僅かで、日々金銭のやりくりに困っている中国人の方が多いのかもしれない。

 
再び大通りへ戻り、珠宝市街という裏通りを経由して、 前门駅へ戻ることにした。裏通りの雰囲気は闇市的な感じで、表通りとは真逆の雰囲気がある。店頭ではコピー商品らしきアヤシイものも少なからず売られているが、基本的には表通りよりも安くて、気軽に値段交渉がしやすい。表通りはユニクロやZARA、ハーゲンダッツなど、主に外資の店が並んでいるが、裏通りは昔ながらの土産物屋と、飯屋なんかが隙間なく並んでいる感じだ。私はむしろ裏通りの方が中国的な雰囲気を味わえて好きだが、実際にはこれといったモノは売られていない。去年は持っている人さえほとんどいなかった 自拍神器(自撮り棒)が、早速入荷していた。さすが、中国人の商売は抜け目がない。しかし、品質が怪しいから私は買わない。

 
通りのスタート地点には、何故かバリケードが設けられていた。警察官が常駐していて、さすまたも立てかけてあった。去年は無かったが、やはりテロ対策だろうか。

 
 
再び地下鉄に乗り、結局、昼飯は 簋街(guijie)で食べることにした。この辺りは、元々は夜市が立ったと言われている場所で、その明かりが夜な夜な鬼火のように見えたとか、死体を運ぶ通り道だったとかで、昔は鬼街(guijie)と呼ばれる通りだったが、縁起が悪いとかで、近年同じ発音の 簋街に改称された。 (gui)は大昔使われていた穀物を入れる食器であると、先日、「 远方的家」というCCTVの紀行番組で紹介されていた。

 
簋街は主に四川料理店が数百件も立ち並ぶ北京でも人気のあるグルメストリートで、最寄り駅は 东直门駅か 北新桥駅である。今回は、前回来た時に100人以上の客が行列していた、 胡大(huda)という店にどうしても行ってみたかったので、最寄りの 北新桥駅で降りることにした。最近は中国の駅にも日本と似たような自動販売機が普及しているらしい。きっと日本のパクリだろう。電車を降りて地上へ出ると、すぐ目の前に胡大がある。平日の昼はどうやらあまり混まないらしく、店頭に並んでいる客がいなくてホッとした。

 
早速店に入ると、店員らしき女が「1階が良いか、2階が良いか」と聞いてきたが、2階に上がるのも面倒なので、1階を選んだ。厨房の出入り口に近い奥のテーブルに通され、すぐにメニューが手渡された。このあたりの名物と言えば麻辣(ピリ辛)に炒めた 小龙虾(アメリカザリガニ)だ。ちなみに、アメリカザリガニの養殖が沼地で行われているという映像をCCTVで観たことがあるが、まぁ砂抜きしてあるから喰っても大丈夫らしい。

 
とりあえず、名物のザリガニと回鍋肉、ライス、お茶を注文した。基本的に、我々は健康を考えて大食いはしないから、こんな注文で十分である。だいたい大食いは臓器に負担がかかって万病になりやすいし、環境破壊につながるし、相法修身録に記されている通り、早々に天禄を食いつぶしてしまうことになるから、早死にや晩年不幸になりやすい。粗食が健康と開運の礎になるのに対して、労働に見合わない大食や、食を粗末に扱うことは不運を呼び込むと確信しているから、普段から私は食を慎むよう心掛けている。

 
回鍋肉の代わりに蛙を炒めた料理を食べようかと思ったが1人前で96元(約1920円)もするので止めた。北京では30元もあれば十分に食えるくらいだから、1皿96元は高過ぎる。店員の対応は比較的良くて、料理もすぐに出てきた。ライスは忘れているようだったので、「まだライスが来てない」と声がけすると、若い男の店員は「还没有来…(まだ来てないか)」とつぶやいて、すぐにライスを持ってきた。
 
ザリガニはステンレスの四角いバッドに入れられて、空のボウルとポリエチレンの手袋と一緒に出てきた。要するに、手袋をつけて殻を剥き、剥いた殻はボウルに捨てろ、ということだ。去年、 东直门駅近くの超絶不細工な女店員が集まる飯屋で、初めて中国人がザリガニを貪る姿を見たが、ほとんどの客が空のボウルは使っておらず、殻はそのままテーブルクロスの上に食べ散らかしていた。で、客が帰ると超絶不細工な店員がテーブルクロスごと残飯を片付ける、という塩梅だった。

 
そんな光景を見ていたので、ここは日本人の誇りのためにも、剥いた殻はちゃんとボウルに入れることにした。ポリエチレンの手袋は中国にありがちな粗悪品で、極薄で耐久性がないから、殻を少し剥いただけで破れてしまった。きっと中国人がエステー化学のポリエチレン手袋を使ったら、パンパースを初めて使った時と同じくらい感動するかもしれないな、などと考えた。
 
ザリガニはエビと違って食べる所がほとんどない。味はエビに似ていて、エビほどの甘味はなかったが、思っていたよりも臭みはなく、味付けも良くて美味かった。しかし、四川料理だけあってかなり辛かった。毎日食べたら腸が慢性炎症を起こし、腸壁が癌化しそうで怖い。辛いものを食べるとβエンドルフィンが出るから、辛いモノ中毒になる人も少なくない。この味なら週末に行列が出来るのも納得出来る。辛味というモノは禁止物質ではないから、日本でも激辛料理専門店なんかを作ったら、合法的に中毒者を増やせて、儲かるかもしれない。そういう点で考えれば、甘いモノをメインに扱う甘味処も、旨味成分である白い粉を大量に入れてるラーメン屋も、合法的にジャンキーを通わせていると言えるかもしれない。とにかく、五感を極端に刺激する飯屋には、知らず知らずのうちに常連客が増えてゆくのだろう。
 
回鍋肉も中々美味かった。五花肉(豚バラ肉)がカリカリしていて美味かった。おそらく日本ではほとんど使われていない調味料を使っているらしく、日本では出逢えない北京特有の味付けだ。日本にある多くの中華屋の回鍋肉は、みな似たような味噌の味がして、北京の回鍋肉より美味いものに出逢ったことがない。
 
ザリガニも回鍋肉も辛めだったから、お茶を注文しておいて正解だった。日本のようにお冷(ひや)は出てこないから、飲み物は持込みするか、注文しなければならない。お茶はペットボトルのお茶で、上海人が好みそうな砂糖入りの甘いお茶だ。パッケージに「低糖」と書かれていたが、かなり甘かった。甘くないお茶が良かったが、そんなものは置いていなかった。強制的にこのお茶を飲まねばならないのだ。まぁ、普段は甘いお茶なぞ飲みたくもないが、不思議と四川料理とのマッチングは良かった。

 
中国では基本的に着席したまま、「服务员!买单!(店員さん!お勘定!)」と叫んで、会計を済ませるのが普通だ。だから、日本のように入口付近のレジを目指して歩き出そうものなら、食い逃げとか無銭飲食と疑われて、清龍刀を持った店員に追いかけられないとも限らない。昔は会計の時は「结账!」と言っていたそうだが、最近は北京でも広東語の买单を使うの人の方が多いらしい。元々は店員が会計伝票を他の客に見えないように隠す行為が語源の「埋单(maidan)」だったが、北方で使われるようになってから、第三声の「(mai)」を使うようになったそうな。(mai)は第二声だが発音は似ている。
 
食後は 东直门内大街から 交道口东大街まで歩いて、 花梗胡同あたりの路地を適当に通って、 张自忠路に出て、 南锣鼓巷駅へ向かうことにした。 张自忠路という珍しい通り名は、日中戦争で活躍した さんの名前にちなんでいるそうだ。道路の名前になるほどだから、中国人にとっては英雄だったのだろう。

 
北京の昼間の街歩きは中々面白い。日本では見られぬ風景が散在している。例えば野菜を大量に積み上げて売っている光景なんかは、日本では見られないから初めて見ると衝撃的だ。白菜やニンジン、サツマイモなどで歩道が完全に塞がれていた。建築現場や工事現場なんかも、どこか昭和的で危うい雰囲気があったりして、見ていて飽きない。

 
花梗胡同から中剪子巷にかけては、大掛かりな工事をしていた。主に道路や壁を舗装しているようだったが、 张自忠路の歩道がすでに整備されているから、もしかしたらこの胡同も、 南锣鼓巷のように観光地化させるつもりなのかもしれない。壁の補修などは昔ながらの方法だろう。電線がかなり低い位置に設置されている場所もあって、日本とのインフラの差を感じる。

 
狭い路地を時折車やバイクがすり抜けてゆくが、仙川付近の吉祥寺通りで狂ったように飛ばすDQNカーや小田Qバスみたいな暴走車が少ない胡同は、車道と歩道が一体化しているものの、安心して歩けるから良い。北京は道が広く、胡同以外は基本的に4輪車、2輪車、歩行者と3つの通行区分があるから、吉祥寺通りの狭い歩道を暴走するDQNなママチャリ族に舌打ちされたり、睨まれたりするストレスが無くて良い。だいたい、日本では、自転車は基本的に車道を走るよう道交法で定められているし、最近は自転車の逆走も禁止になったが、やはりDQNはそんなことを知る由もなく、相変わらず老人や子連れの女性がゆっくり歩道を歩いていても、お構いなしに無理矢理通ろうとする。

 
昔ながらの商店は儲かっている気配はないが、とりあえず営業はしているようだ。野菜、果物、肉、魚など、生活に欠かせないような食品関係の店がほとんどだ。北京人が好きな油条(youtiao、揚げパン)、包子(baozi、肉まん)、 豆浆(doujiang、豆乳)なんかも売られている。時折、「 清真(qingzhen)」と書かれた緑色の看板を見かけることがあるが、あれはイスラム教徒向けの食品を扱っているという意味の看板だ。つまり、「 清真=Halal」と考えれば良い。中国にはかなりの数のイスラム教徒がいると言われているが、北京にもこういった看板が少なくない。北京では牛街(niujie)という場所にモスクがあり、回族やウイグル族、イスラム教徒が集まって暮らしている。最近は北京のホテルのビュッフェでも、緑色のラベルやプレートで、ハラルフードか否かをちゃんと明示する店が増えているのは、単純に日本よりもイスラム教徒が多い影響かもしれない。

 
 
胡同の風景は、半世紀以上前からほとんど変わってないらしいが、北京はまだ開発が進められていて、保護地区以外のいわゆる老北京と呼ばれるエリアは年々減っているようだから、こういう場所を写真に収めておいたり、散策出来るのは、今のうちだけかもしれない。

 
20分くらい歩いて、ようやく 张自忠路に出た。胡同を初めて歩いたこびとは、とにかく雰囲気が怖いと言っていて、大通りに出てると安心したようだった。確かに胡同は道が狭く、衛生的にも良好な環境ではないし、何より自分が理解不能な言葉をしゃべる人ばかりの狭く見慣れぬ空間にいたら、不安感が襲ってくるかもしれない。私はある程度言葉も聞き取れるし、胡同の雰囲気にも慣れているので何てことはないが、やはり海外初心者にとって異国の胡同は少し刺激が強過ぎるのかもしれない、などと思った。

 
张自忠路は歩道が整備されて、大分綺麗になっていた。歩道沿いの店も改装して綺麗になっていた。最近、中国ではポールフランクらしき猿の絵柄がプリントされた服が流行っているらしく、店頭にそれらしき服を並べている店が多い。ほとんどは偽物のようだが、気にせず買う人が多い。 张自忠路の横断歩道を渡って南下すると、南锣鼓巷駅だ。ここから北に伸びた胡同が、数年前から人気の観光地になっている。このあたりの胡同は元代からほとんど変化していないらしい。5年ほど前、初めてここに来た時は、まだ駅前が開発途中で観光客もまばらだったが、年々観光客が増えているようだ。この胡同の入口には、横浜中華街にあるような門がある。門の近くには「 北京胡同游览(beijing hutong youlan、北京胡同見物)」と書かれた三輪車が数台置かれていて、運転手らしき男が「胡同見物しないか」と声をかけてきた。だいたい相場は30~50元から値引き交渉するらしいが、ちょっと怪しい感じがしたので、今回は止めておいた。

 
店はかなり入れ替わりが激しいようだ。毎年行くたびに、半数以上の店が新規店に入れ替わっている。東京でも、独立開業した店の約90%が5年で廃業するという話があるが、ここはもっと厳しい状況なのかもしれない。なにせ、どこかで見たことがあるようなコピー商品などを売る店や、似たような業種の店が少なくないから、中途半端な商品やサービスしか扱わないような店はすぐに淘汰されてしまうのだろう。東京みたいにやらせ色濃厚な口コミサイトやHPで一見さんばかりを集めて、悪徳かつ自転車操業的に営業するなんてことは中国人相手には難しいから、クソみたいな店はすぐに淘汰されていくようだ。東京の某駅にも、高いだけで不味い店ばかりが集まる人気の街なんぞがあるけれども、やはりお上りさんや純朴な羊さんは容易に騙されてしまうのかもしれない。

 
ここは北京でも有名な観光スポットだが、明らかなパチもんが少なからず売られている。また、 前门で安く売られているような普通の土産を、倍以上の値段で売っている店も少なくない。しかも、基本的に値引き不可の店が多いから、アホな外国人は騙されて、インチキ土産を高額な値段で掴ませられる可能性がある。まぁ、ビル全体のテナントがコピー商品で埋め尽くされた北京の某市場より酷くはないけれども。

 
今年は「 画你漫画(似顔絵描きます)」という新規店があって、少し行列が出来ていた。「2分でOK」と看板に書かれていたけれども、明らかに1人描き上げるのに2分以上かかっていた。過去に描いたらしき絵が店頭に貼ってあったが、20元(約400円)であれだとちょっとビミョーだ。まぁ客と店主が楽しそうにしていたから、あれはあれでいいのかもしれない、などと考えつつ通り過ぎた。

 
絵描き店のすぐ近くには、 章子怡(チャン・ツィイー)が通ったという 中央戏剧学院(中央戯劇学院)がある。当然ながらムッツリした門番がいて、中には入れない。

 
陶器の小さなツボに入れられて売られているのは飲むヨーグルトだ。だいたい老北京とか老北京 酸奶、老酸奶、酸牛奶などと呼ばれている。ツボには紙のフタが被せてあり、そのフタにストローを刺して飲むのだが、飲んだ後はツボは返却しなくてはならない。陶器が使われているのは陶器が酸に侵されにくいのと、老北京の雰囲気を醸し出すのが目的なのだろうが、如何せん不衛生な感じがして、積極的には飲み難い。ヨーグルトの横で売っている「 关东煮(guandongzhu)」というのは、おでんのことらしい。「 关东」は関東のことで、「 关东煮」は文字通り「関東の煮物」の意味だ。ちなみに、おでんは中国で「 熬点(aodian)」とも言う。中国のおでんは長ねぎやエビが入っていたりして、具材は全てバカボン的な串刺しタイプだから、よほどトロピカルな味がするのではないかと想像している。数年前にはクソ不味いたこ焼きの店があったが、最近はエセ日本食が人気らしい。

 
胡同の真ん中あたりに差し掛かると、行列が出来ている店が見えた。 文宇奶酪(wenyunailao)という、広東省発祥の牛乳プリンを看板メニューとして売っている店だ。清朝末期から作られているらしく、宮廷御用達のデザートというふれこみゆえか、いつ来ても行列している。日本にはないタイプのスイーツだから、こびとに食べさせてやろうと思い、1つ購入することにした。私は何回か食べているから味は知っている。とりあえず列に並んで、去年もいたレジの女に「 原味双皮奶(yuanwei shuangpinai)を1つ」と言って12元ちょうどを渡した。こういう客が多すぎて修羅場的な店では、お釣りが出ないように、サッと代金を支払わねばならない。そうでないと、店員が発狂する可能性があるからだ。日本のヒステリー女も恐ろしいが、中国のヒステリー女はそれ以上の恐ろしさを秘めているから油断は禁物である。

 
とにかく、中国には自動で釣銭が出てくる最新のPOSレジなんて無いから、12元のプリンを買うのに100元札を出そうものなら、店員がヒステリーを起こすやも知れぬのだ。中国での買い物は偽札にも気を付けねばならぬが、常時小銭を切らさないように気を付けなくてはならぬから、面倒である。小銭が無いから100元札を出さざるを得ない時でも、両替が嫌いな中国人店員は、必ず「零钱(lingqian、小銭)は持ってないのか」と聞いてくるか、わざとらしくため息をついたりする。これこそは殿様商売だが中国では当たり前な状況だから従うしかない。
 
プリンの受け渡しは、前回同様ロボコップのような動きをする青年が担当していた。外へ出て、まずこびとにプリンを食べさせた。まぁ何でも揃う飽食な東京に住んでいると、特に驚くべき味ではないらしい。私も食べようと思い、スプーンで中身をすくい上げると、アルミの線材らしき異物を発見した。どうやらホッチキスの芯のようでもあるが、コの字では無いから違うモノかもしれない。さすがチャイナ品質だと改めて認識しつつ、これ以上食べるのは危険と判断して、廃棄することにした。

 
しかし、カップに「最も美味しい賞味期限は20分以内」と書かれてはいたものの、そもそも製造年月日や製造時間が記されていないし、だいたい最低でも数時間前か数日前には作ったモノだろうと思うわれるから、すでに作り立てではないかもしれないわけで、作ったのがいつなのかわからぬのに20分以内に食えとはナンセンスであるが、これが中国式なのかもしれない。ちなみにここのスイーツは「地球の歩き方」という本でも紹介されているが、残念ながらこういった裏事情は書かれていない。やはり現地に行ってみて初めてわかることが沢山ある。実際、どんなガイドブックもリアルなようで、本当のリアルは断片しか書かれていないから、あくまで参考にしかならない。

 
四合院を改装したスタバはまだ営業していた。やはりスタバはまだブランド力があるからそう簡単にはつぶれないのだろう。今年は何故か、「老北京蜂蜜糕」と書かれたパウンドケーキみたいなものが、所々でゲリラ的に売られていた。中国の観光地にも流行り廃りがあるが、昨日までタバコ屋だった店が翌日にはケーキ屋になっていたりするなんてことは珍しくない。とにかく売れるなら何でも売る、というのが中国人のスタイルだ。「老北京蜂蜜糕」は手作り感満載で、どんな環境で作られたのかわからぬようなものがビニール袋に入れられて封をしてあるだけだから、あまり買いたいとは思わなかった。一応、効能が止咳、化痰、清火、润肺と書かれていたが、これは蜂蜜の中医学的な効能だ。特に地方の中国人は、自分の庭に薬草を植えたり、山から薬草を探してきて自分で調合したりする習慣が未だにあるから、日本の下手な医者や自称漢方の専門家よりも、薬草やその効能に詳しい素人が沢山いるらしい。だから、観光地の売り物にその食べ物の効能なんかを書いておくと、お上りさんが買いやすくなるのかもしれない。

 
南锣鼓巷を散策した後は、 鼓楼东大街へ出て、什刹海へ向かうことにした。 鼓楼东大街は名称の通り、鼓楼の東側に位置する大通りだ。鼓楼の西側には鼓楼西大街がある。北京の大通りにはエンジュらしき街路樹が沢山植えられている。エンジュは中国原産らしい。時折、街路樹の幹や枝に鳥かごがかかっていて、日本には無い豊かさを感じた。ちなみに中国の通りの名称には道、路、街などがあるが、古代中国では2台の馬車が通れる広さの通りを「道(dao)」、馬車が1通れる広さの通りを「路(lu)」、道の両脇に商店が並ぶ通りを「街(jie)」として区別したそうだ。

 
中国語では物のことを「东西(dongxi)」と言うが、中国語の勉強を始めて間もない頃は、なぜ「南北」ではなく「東西」なのかと疑問に思っていた。中国語が得意な師匠に聞いてもあまり判然としなかったので、ずっとその由来が気になっていたが、先日、CCTVの「快乐汉语」という中国語学習番組にて、言語学者が东西の説明をしてくれたので、やっと由来がわかってスッキリした。そもそも东西という言葉の起源は、朱熹の時代より前の唐の時代だそうだ。今は西安と呼ばれている場所である長安で生まれた言葉で、当時、長安の町には东市西市という場所があり、どちらの通りにも両脇に商店が並んでいた。ゆえに、皆物を買う時は东市西市へ行く習慣があったから、「买东西(東西市で買う→買い物をする)」という具合に东西を使うようになったらしい。
 
日本でも、N〇Kラジオの中国語講座は非の打ちどころがないくらい素晴らしい構成になっているから、きっと批判されまくっているN〇Kにも、真面目に働いている人がいるのだろうと思う。テレビ版の中国語講座もネイティブの講師やローラチャンを採用している頃は非常に良い番組構成だった。しかし、どうも最近のテレビ版では、ネイティブでない人間を講師として採用したり、発音が不愉快なほどド下手で全く中国語を勉強する気のないような芸能人をアシスタントに起用しているもんだから、あんな番組で視聴料を取っているのかと考えると、詐欺ではないのかと思えてしまう。真剣に中国語を学ばせようと思うならば、ネイティブを主な講師として採用するべきだし、「快乐汉语」のように言語の成り立ちや歴史、文化に詳しい学者を招いて解説させるべきだと思うが、やはり某都知事や某悪徳政治屋のように国民が苦労して稼いだ金を、労なくして奪い取るような輩は、そもそも視聴者なんぞどうでも良いと考えているのかもしれない。
 
しばらく歩くと、道路の向こう側に行列が出来ているのが見えた。中国人も一応はちゃんと1列になって並ぶようだ。最近、中国では国民の公共マナー向上のために、さまざまなキャンペーンが行われており、北京五輪が開催される前年の2007年、北京市では、「公共の場では插队(chadui、割り込み)は止めてちゃんと1列に並びましょう」という、「排队日(paiduiri、ちゃんと並ぶデー)」が制定された。で、人が列になっている様子を彷彿とさせる11日が毎月のその日となったらしいが、この日は16日にも関わらず、ちゃんと列が出来ていた。どうやら中国人も少しはマナーが向上しているらしい。
 
看板には 山东鼓楼馒头店と書かれていた。要するにまんじゅう屋だが、日本で言うまんじゅうは売っていない。日本でまんじゅう(饅頭)といえば甘い菓子のことだが、中国では基本的に具が入ってない蒸しパンみたいなものを 馒头と呼ぶ。しかし、実際には地域によってイロイロで、北京で包子と呼ばれるものが南京では 馒头と呼ばれたり、包子は完全に具入り、 馒头は具無しだと言う人もいる。また、 花卷は具の有る無しは関係ないとか、 面包は老人においては包子を指すが若者にとっては西洋的なパンを指すとか、まことにややこしい。さらに、南方でも蘇州では具入りを 馒头、具無しを包子と呼ぶのに対し、南京では具入りを包子、具無しを 馒头と呼ぶらしい。 馒头帝国である山東省では具無しを 馒头と呼ぶらしいから、きっとこの店は真っ白な具無しの 大馒头でも売っているのであろう。今度北京へ来た時に買ってみよう。まぁ、基本的には小麦粉を練って蒸したものを馒头、焼いたものを面包だと考えれば良いらしい。

 
饅頭屋の先には、ドラえもんの看板が掲げられた店があった。北京には明らかに許可を取ってなさそうな看板が少なくないが、堂々と掲げているあたりはさすが中国だ。まぁもしかすると公式なショップなのかもしれないが、ちょっと怪しい。

 
北京市内は東京と違って街路樹が多いし、歩道が広いから、散歩もゆったり出来て中々楽しい。DQNなママチャリ族や暴走車が行き来する吉祥寺通りに比べれば、遥かに安全で歩きやすい。道端では、おそらく許可を得ていないであろう人々がゲリラ的に商売をしていたが、たまに怪しいものを売っていて、眺めているだけでも面白い。

 
鼓楼东大街をひたすら西へ歩くと、鼓楼を菱形に取り囲むように出来た交差点に辿り着く。鼓楼は元、明、清の時代に使われていたいわば時計台で、この中に設置されている太鼓を叩いて、時を知らせていたらしい。中は見学が出来るが、開門時間は17時までだ。しかし、見学出来るとは言っても、2008年8月北京オリンピック開催中に、鼓楼を観光していたアメリカ人が杭州出身の中国人だかに殺された上に、犯人がここから飛び降り自殺したらしい、大島てる的なスポットだから、私は近寄らないようにしている。何となく被害者と加害者の強い想念みたいなモノが、消えることなく漂っていそうな感じがするからだ。

 
什刹海へ着くと、すでに日が暮れかけていた。今日はこびとが行きたがっていた、『 我在北京。挺好的。』の舞台になった北海公園へ行かなければならなかったから、 什刹海はサッと観光して通過しなければならなかった。ちなみに、 什刹海の「 」は通常「sha」と発音するが、何故か「cha」と発音する。中国語は同じ漢字でも固有名詞や意味の違いなどによって発音が異なるから中々難しい。まぁ日本語が母国語でないような外国人に比べれば難しくはないと思うけれども。

 
什刹海へは 烟袋斜街という路地から入る。通り名になっている「 烟袋(yandai)」はキセルの意味で、昔キセル関係の商品が売られていたことが通り名の由来らしい。北京では最も古い商店街だそうな。少し歩くと、右側の路地で何やらドラマだか映画の撮影をしていた。中国では毎日いくつものドラマが放映されていることもあってか、とにかく撮影現場に出くわす確率が高い。毎年北京へ行く度に、1回は撮影現場に遭遇する。何故か狭い路地でバスケットボールをしている撮影だった。こんなところでバスケットボールをするとは一体どんなストーリーなのだろうかと考えた。

 
しばらく歩くと、店頭でオカリナらしき楽器で、ジブリらしき曲を吹いている女店員を発見した。どうやら楽器屋のデモ演奏のようであった。中々上手いなと思ってみていたら、女は急に楽器を口から外して立ち上がり、店内へ消えて行った。音楽は鳴ったままだったので、女は吹いている真似をしているだけらしかった。まぁ北京ではこういったニセ演奏が珍しくない。
 
ニセ演奏を観た後は、向かいの串屋で羊肉でも食うことにした。ウイグル地方が発祥だとか言われる羊肉の串は独特な臭いと味で好き嫌いが分かれるようだが、とりあえず食べたことが無いこびとに食わせてやることにした。数人の客が並んでいたが、特注らしき機械で大量に焼いているため、すぐに買えた。特価で1本10元(約200円)だと安くはないが、まぁまぁ美味かった。カウンターの右端に置いてある唐辛子と孜然(ziran、クミン)を付けて食べると美味いのだが、こびとが1口で「臭いから要らない」と言ったため、結局ほとんど私が食べた。ステンレス製の長い串に刺さっているから、慎重に食べないと危ない。よくこんな武器になりそうな串に刺して売るな、と思ったが、これが中国式なのである。きっと、串を食べている最中に喧嘩になったら、中国人は串を武器に使うだろうから、ステンレス製の串を食べている中国人を怒らせてはいけない。食べた後の串はカウンターに返却する。

 
 
什刹海后海、前海、西海と呼ばれる3つの人造湖の総称だ。 什刹海の南にも 北海、中海、南海という3つの人造湖があり、それらは 什刹海と区別するため、前三海と総称されている。“ 先有什刹海,后有北京城”という古い言葉があるように、北京が出来る前から、人造湖があったらしい。

 
烟袋斜街を抜けると、 后海前海にまたがる 银锭桥(yindingqiao)と呼ばれる石造りの小さな太鼓橋が見えて来た。橋の手前でしばし立ち止まり、キョロキョロしていると、薄汚れたこげ茶色のジャケットを着たジジイが、急に話しかけてきた。いわゆる三輪リキシャとか人力三輪車と呼ばれる自転車に、無理矢理観光客を乗せて金をせしめるジジイだ。スタイル的には浅草の人力車に似ているが、あんな粋な感じやチャラさはない。ホームレスと見間違う風貌の三輪ジジイが多く、北京市の許可を得ていない違法三輪野郎も少なくないらしい。

 
ジジイはパウチしてはいるものの、使い込んで汚くなっているパンフレットを広げて見せ、三輪車に乗らないかと迫ってきた。主に前海などを回るルートで、所要時間によって3つのコースが絵付きで描かれてあった。一番高いコースは160元で、1時間かけて回るコースだった。夕暮れ前には北海公園に行きたかったのと、回るルートが逆方向だったのと、何より高いので断ることにした。しかし、ちょっと話のタネに乗ってみたい気もあった。ジジイは諦める気がないらしく、何とか客を取ろうと必死で交渉してきた。
 
とにかく値段が高いので、安くしてくれたら乗ると言った。100元ならどうかと言うが、それでも高い。嫁も高いと言っていると言うと、じゃあ80元ならどうだとジジイは言った。ジジイは値段交渉をしつつ、首からぶら下げたIDカードを見せつけて、「おれは公認だ」としつこくアピールしてきた。さらに、「私は田舎から出てきて1日売り上げの1割しかもらえない」などと言って、泣き落とす作戦に出た。
 
まぁ1度は乗ってみるのも悪くはないと思っていたので、ジジイの作戦に折れて乗ることにした。何故か隣で値段交渉を見ていた台湾人らしきカップルが、こちらを見てニヤニヤ笑っていた。ジジイは嬉しそうにして我々を椅子に座らせ、薄い毛布を手渡した。ひざ掛けにしろ、ということらしい。このあたりの人造湖は真冬になると凍り付いてスケートリンクになるくらいで、11月でも自転車に乗ると体感温度が少し下がって寒いから、毛布は掛けておいたほうが良い。とにかく水辺は寒い。
 
2人が乗ったのを確認すると、ジジイは小走りに自転車を押して、太鼓橋を登り出した。前海の東沿いを南下して湖を一周し、また同じ場所へ戻るルートだ。しかし、途中で降ろしてもらった方が北海へ行きやすいので、後で降ろしてもらうよう言うことにした。

 
三輪車は乗ってみると、中々オツなものだ。湖畔に植えられたエンジュが徐々に紅葉していて、眺めもよろしいし、風も心地良い。ジジイに「 什刹海は北京で最も美しい場所だ」と言うと、「そうだそうだ」と同意した。200mくらい進むと、ジジイが自転車を停め、写真を撮ってやると言ってきた。何某かの銅像があり、撮影ポイントになっているらしかった。CANONの一眼レフをジジイに渡し、ここを押すんだと教えてやると、ジジイは「知っている、知っている」と言った。湖とわけのわからぬ銅像をバックに2枚ほど撮影した。再び自転車が動き出してからは、しばし動画を撮ることにした。


 
しばし動画を撮影した後、またジジイが自転車を停めた。すると、路地から小太りの、見知らぬ中国人ジジイが現れた。ジジイが「英語はわかるか?」と言うので、「わかる」と言うと、暗記している文言の如き英語を、呪文のように唱え出した。ジジイは自信ありげに英語を話していたが、ハッキリ言って発音は上手くなかった。しかも、単語の強弱がない完全な棒読みだったから、聞き取りにくかった。まぁ途切れぬ単語を自信有り気にしゃべるもんだから、英語を知らぬ人が聞いたら感心したかもしれない。自転車のサドルに座りながらジジイ仲間の英語を聞いていた三輪ジジイは、大いに関心していたようだった。
 
要するに、ジジ友の話は「中国伝統の四合院(北京の伝統住宅かつ他人の住居、「四」は東西南北、「合」は囲むの意味)を見て行かないか」と言う内容だった。もちろんタダではない、一人100元取ると言うのだ。四合院なんてCCTVで腐る程見ているし、生で見たこともあるから、わざわざ大金払って見るまでもない。そもそも、このあたりの四合院はあまり見る価値がないらしいと聞いたことがあった。きっと欧米人などはあのカタコト英語に騙されてしまうのだろう。予想だにしなかったジジ友のサイドビジネスに少し苛立ったが、「見ない」とキッパリ断ると、ジジ友は意外にもすんなり姿を消した。
 
三輪ジジイは、何事もなかったかのように、再び三輪車を動かした。数分後、また別の胡同で一時停車し、今度は「ここに入って金を払え」と言った。事務所らしき狭い室内にはBBAが座っていて、80元を請求された。100元札を渡すと、汚い10元札が2枚返ってきた。当然ながら領収書などはくれない。きっと売り上げをチョロまかしているのだろうな、と思った。
 
その後、ジジイはいくつか名所を案内した。案内といっても、少し三輪車を停めて、その対象について少し話すだけだ。聞き取れぬ単語がいくつかあって、ジジイにその単語を紙に書いて教えてくれと言うと、ジジイは「俺は字が書けない」と言った。まだ中国には字が書けない人がいるらしい。最近、CCTVの公共CMでしきりに本を読めと言っているのは、識字率向上が目的なのかもしれない。
 
ジジイには北海方面で降ろしてくれと言っていたので、三輪車は湖畔を抜け、 地安门西大街の手前まで来た。ここには沢山の三輪車が整然と停められていて、仕事を終えたらしいジジイどもが沢山群れていた。これだけ三輪車があると客も取り合いで、さぞや営業も大変だろう。東京のタクシー業界には縄張りを荒らされた際の陰湿な報復が存在するらしいが、きっと三輪ジジイにも争いがあるのかもしれない、などと考えた。

 
ジジイにお礼を言って、さて歩こうかと思って三輪車を降りると、ジジイは道を通せんぼして、「チップチップ」と騒ぎだした。どうやらこのあたりのジジイは、金儲けに直結することに限っては、う〇こみたいな西洋化を果たしているらしい。アホなガイドブックには、確かにチップをやれと書いてあったが、ジジイのドギつさにドン引きした。基本的に中国にチップの慣習は無いからやらんでも宜しいが、トラブルになりそうな場合は少し小銭を与えてから、「走开!(zoukai、あっち行け!)」とか、「小偷儿!(xiaotour、泥棒!)」とか、「滚 !(gun、消えろ!)」などと大声で叫べば良い。西洋化している三輪ジジイなら、「Fuck off!」と言っても良いかもしれない。
 
私が5元札を出すと、ジジイは「もっとくれ」と言うので、仕方なくもう10元を恵んでやった。金を奪うようにして取ると、ジジイは私が消えろと言う前に、いなくなった。もう2度と三輪車には乗らないと誓った。「三輪車を使うと名所巡りが便利です。ぜひ三輪車を利用しましょう。」などと書いているアホなガイドブックに騙されてはいけない。現実はこんなもんである。
 
地安门西大街のすぐ向こう側が北海公園だ。横断歩道を渡って、窓口で入場券を買った。11月はオフシーズンだから、入場だけなら1人5元(約100円)である。11月は6:30~20:00まで開門している。北海公園は古代皇帝が作らせた庭園で、総面積は71ヘクタール、坪にすると約215万坪だから、相当に広い。1925年から公園として開放されていて、特に小さな島の上にそびえ立つ白塔や、 九龙壁、五龙亭が名所として有名だ。湖畔にある 五龙亭の手すりに腰かけて、白塔を背景に記念撮影するのが中国人の定番になっているらしい。入口近くの湖畔では、中国人カップルが柳の下でイチャついていた。若いカップルだったから、きっとあれは回春ではなく青春なのであろう。

 
五龙亭龙亭(longting)とか 亭子(tingzi)と呼ばれる東屋(あずまや)5つの総称で、龍を模したS字の回廊で連結している。真ん中にある最大の東屋は 龙泽亭と呼ばれていて、当時の皇帝が休息に使ったらしい。ちなみに、古代中国では龍は権力の象徴であり、皇帝が着ていた服は 龙袍(longpao)と呼ばれ、龍が描かれていた。また、龍は水との関わり合いが深く、風水では水脈を青龍に例えたり、水は龍を引き寄せると信じられている。この日は地元民がそんなことを知ってか知らずか、畏れ多き 龙泽亭でトランプをしていて、隣の小さな東屋ではBBAが持参したアンプとマイクで、千昌夫のヒット曲「北国の春」を中国語で熱唱していた。BBAの歌を聞いているのは我々2人だけであったが、BBAは気が付いていない様子で、1番が終わると「 谢谢」とつぶやいたので、これで終わりかと思ったが、周囲の予想を裏切って2番まで歌っていた。

 
薄暗くなって来ていたためか、ほとんど人は歩いておらず、時折ランニングしている人や、カップルを見かけるくらいだった。ボート乗り場は閉まっていて、大量のアヒル型ボートが、さみしくプカプカと揺れていた。とりあえず、『 我在北京。挺好的。』に出てきた、 九龙壁を見ることにした。ドラマで見ると大きく感じたが、実際にはそうでもなかった。しかし、実際に見ることが出来て、少し感動した。園内には野良猫が数匹歩いていたが、人間に慣れているのか、近寄っても逃げる気配はなかった。

 
30分くらいブラブラ歩いていたら、あっという間に暗くなってしまった。門が閉まって出られなくなるのも困るので、ソソクサと退園することにした。北海公園の入口はいくつかあるが、何故か文津街の出口は自由に出入り出来るようになっていた。北海と中海の境目ににまたがる橋を渡りながら、どうやってホテルまで帰ろうか考えた。北京は夏も冬も、日が暮れると急激に気温が下がるから、夜はかなり寒く感じる。早く暖かいホテルへ帰りたかったが、文津街からバスに乗るか、地下鉄に乗るかで迷った。地下鉄は階段の昇降が面倒なのと、駅が遠いのと、運賃が高い。何より荷物検査が面倒だ。で、バスで帰ることにした。幸い、バス停は通りのすぐ向かいにあった。しかし、問題はホテルの近くまでバスが通っているかどうかだった。

 
バス停は乗降場所が3つに分かれていて、一番左端に停まる685番のバスがホテルの前まで行くようだった。北海から8つ目のバス停で降りれば、おそらくホテルは目の前だ。北京市内のバスには時刻表がない。おそらく、どの道も慢性的な渋滞を抱えているから、定時にバス停を通過することは不可能なのだろう。ゆえに、バスが来るまで気長に待たねばならない。日本では時刻表の時間を守ろうとして、バスが暴走して事故を起こしたりするから、北京のように時刻表など無くしてしまえば良いのかもしれない。だいたい、島根にいた頃は、時刻表があるにも関わらず、バスが定時で来るなんてのは、駅前のバス停だけだった。

 
30分くらい待って、やっとバスが来た。バス停の後ろの暗い詰め所には、仁王立ちで微動だにせず勤務している警察官がいた。彼はさぞや苦しかろうなどと思い、彼を横目に見ながら、バスに乗った。バスは真ん中から乗車して、切符受付担当のオバ半に運賃を渡すタイプだった。北京には前から乗車するタイプもある。10キロ以内は2元で、5キロ増えるごとに1元追加されるらしいが、車内には料金や距離を表示する電光掲示板さえないのに、客は一体どうやって料金を算出するのだろうかと思った。バスはかなり混雑していて、停車するたびにバンバン客が乗ってきて、外が見えにくくなる。しかも、電光掲示板が壊れているのか、到着地が表示されないもんだから、アナウンスを聞き逃すと、今どこを走っているのかがわからなくなる。日本のバスと違って車内に路線図みたいなモノは一切ないし、混んでるから地図など広げるスペースもない。
 
大通りはかなり渋滞していて、バスが右折するたび、他の車やバイクを巻き込まないようにするためか、乗務員のオバ半が小窓から小さな赤い旗を出して、忙しく振っていた。車内が混雑しているためか、オバ半はかなり苛立っていて、客がバスに乗り込むや否や、「マー!マー!」と運転手に向かって叫び、運転手が自動ドアのスイッチを押してドアを閉める、という具合だった。オバ半が叫ぶ「マー」の意味は分からなかった。四声で言うと第一声だったと思う。
 
乗車して15分くらいで 崇文门内というバス停に着いた。混雑しているから、「 让一下,让一下!(どいて、どいて!)」と叫びながら、無理矢理かつ素早く降りなければならなかった。客が降りている途中に急にドアが閉められて走り出すとか、乗ろうとしている時に急にドアが閉まって、キレた客がドアを叩きながら運転手に罵声を浴びせるなんてことは日常茶飯事だ。ゆえに降車時も乗車時も、自分の存在をアピールしながら、迅速に行動せねばならない。北京のバスは運転手の都合によって運行されている。

 
一端ホテルへ戻り、防寒してから、再度外出して夕飯を探しに行くことにした。ホテルの周辺に良さそうな外食店がなかったので、隣の 东单駅まで行ってみることにした。しかし結局、中々良い店がなかったので、とりあえず駅前近くの家族経営らしき商店に入って、土産になりそうなものを漁ることにした。北京にはポッキーの桃味やプリッツの海苔味、ピザ味、えび味など、日本では発売されていない味があり、菓子に関しては全体的にバリエーションが多い。最近、中国では抹茶味の菓子が人気らしく、抹茶味のポッキ―と定番のチョコ味は平積みされていた。日本で限定発売のキットカット抹茶味などは、中国人の爆買い対象商品らしい。ちなみに、中国語でポッキーは 百奇(baiqi)、プリッツは 百力滋(bailizi)と言う。どうやら、チョコでコーティングされているモノがポッキーで、コーティングされていないモノがプリッツ、ということらしい。 东单駅前では、またリヤカーで の実が売られていた。3年くらい前に師匠が買った時と同じ売り子かもしれない。売り子と言うより、売りジジイだが、きっとこのあたりが彼の縄張りなのだろう。

 
結局、特に入りたいような飯屋がなかったので、駅前の商業ビルの1Fにある麦当劳(maidanglao、マクドナルド)でテイクアウトして、ホテルで食べることにした。その前にこびとがトイレへ行きたいと言うので、店の前でしばし待つことにした。数分後にこびとが戻って来て言うには、トイレの便座が尿だらけで、超絶に汚かったらしい。中国の僻地から出てきた乡下妞(xiangxianiu、田舎娘)が様式トイレの使い方を知らず、和式トイレのように便器にお尻をお触りさせることがタブーだと思ったのかもしれないな、などと考えた。日本なみにまぁまぁ綺麗な百貨店だったが、やはりトイレのレベルはまだまだ日本には追い付いていないようだった。
 
マクドナルドの店内の様子はほとんど日本と同じだった。しかし、メニューが少し違っていて、日本には無い、ソーセージを2本挟んだ奇妙なハンバーガーがあった。パウチされたメニューを見て、結局チーズバーガーとビックマックのセットを注文することにした。本当は異物混入事件や、偽装肉事件などがあったから食べたくはないけれども、一度はネタ作りに中国のマックを試してみたいと思っていたのだった。レジには50代らしきガテン系のBBAが立っていて、「店内で食べるか持ち帰りか?」と言ったので、「 带走(持ち帰りで)」と答えた。あとはメニューを指さして、「これとこれをくれ」と言えば完了だ。こうすれば、アホな店員でもオーダーミスする確率は少ない。

 
日本のマックほどは早くなかったが、数分で商品が出てきた。袋に入れる前にジュースを倒し、ストローを入れ忘れ、カップホルダーを袋の底に入れずに、そのままビニール袋にカップを不安定なまま入れた北新桥のケンタッキーに比べれば、優秀な袋詰めだった。というか、まぁ日本では普通なレベルなのだが。
 
东单駅から 崇文门駅は隣なので、帰りはのんびりと 崇文门内大街を南下して、帰ることにした。歩行者はほとんどいなかったが、車はバンバン走っていた。北京の大通りはネオンが眩しいくらいで、暗くないから歩道を歩いていてもあまり危険を感じなかった。大通りの下を通る地下道は、若干暗いから、稀に危ないこともあるかもしれないが、とりあえず今のところは危険な状況に遭遇したことはない。師匠は昔、北京市内で友人と立ち話をしている時、真昼間にも関わらず強盗にあったことがあるらしいが、最近の北京の治安はあまり東京と変わらない感じがする。 崇文门内大街の某地下道では、地下道の電源から勝手に電源を取り、電動バイクを充電している人がいた。日本でも自販機のコンセントから盗電するDQNがいるらしいが、バイクを充電したまま放置するとは大胆だ。

 
15分くらい歩いて、やっとホテルについた。東京では多忙過ぎて、日々時間に追われているような生活だから、時間を気にせずのんびり歩けるということが、とても幸せに感じる。将来は何の柵(しがらみ)もない土地で、晴耕雨読な感じでチマチマと翻訳しつつ、気楽に過ごしたいと思うこともあるが、まぁ今生では無理な話かもしれない。きっと将来も、智〇袋なんかで平然とアホな回答をする自称専門家気取りの鍼灸師みたいにヒマには過ごせないだろう。忙しかった人が病院での入院生活を機会に、人生について色々と考えるようになることがあるように、私は東京を離れ、北京で過ごすことで、あれこれ俯瞰的に考えることが出来る。
 
部屋へ戻り、手を洗ってうがいをした後、今夜の食事をテーブルに広げた。今の飽食時代においては、なかなか質素な食事だ。広げてみて見た感じは日本のマックと同じだ。食べてみても、味は日本のそれと大差なかった。マックには賛否両論があるけど、フランチャイズでマックほど同じ味を提供する店は少ない。まぁ逆を言えば、それだけ工場での加工の度合いが強く、店舗内での手作業が少ないのであろうが、同じ看板を掲げているのに店舗店舗で味が異なるようなファストフードに比べれば、マックのやり方は正当なのかもしれない。まぁ、かつてマックの社長を務めた某氏が、子供の味覚の嗜好は幼児期に確立されるという事実を逆手にとって、一生マックを喰わせるために、当時のCMに幼児を多用していたという話には賛同出来ぬが。

 
20年以上前、マックがまだ東京で大盛況だった頃は、私も地元の中高生同様、マックに入り浸っていたが、その当時のハンバーガーは薄い発泡スチロールのような箱に入っていた。今回、北京で初めてマクドナルドをテイクアウトしたのだが、箱入りハンバーガーは鬱屈続きな中学時代を想起させた。そういえば、80年代にはマックのパティはミミズ肉で出来ていると言う、「夕闇通り探検隊」的な噂が小中学生の間でまことしやかに囁(ささや)かれていた。で、「マックはミミズの肉を使っているらしいですね」と店員に耳打ちすると、バックヤードに呼ばれて1万円もらえるとか、実際にもらった奴がいるとかで、現代のようにネットやメディアが膨張し過ぎた状況では信じられない話かもしれないが、当時の子供の多くはそうであると信じていた。

 
そういえば、「夕闇通り探検隊」はそんな子供たちの噂を集めて丁寧に作り上げられた名作ゲームだったが、発売当初は大してヒットしなかった。「夕闇通り探検隊」が今になってプレミアが付くほど高値で取引されているのは、21世紀になってから、そういう子供脳が創り出す不思議な噂がほぼ絶滅してしまったことや、当時にタイムワープしたい3、40代の大人が沢山いるからなのかもしれない。当時は地元のbig bullyによるビックリマンのカツアゲ事件とか、ジョーダンモデルのバッシュの盗難事件とか、色々あったけれど、子供にとっては中々面白い時代だった。しかし、やはりああいうアホなことをやっていたアホは、アホな大人になっているのだろうか。
 
簡単な食事を終え、何気なく部屋の窓から下を覗くと、路線バスが止まっているのが見えた。どうやら故障らしい。室内灯が消えて暗くなったバスから、大量の客が降りていた。最近は日本でもバスの追突事故やら、突然の炎上などが相次いでいるが、北京でもそんなことがあるようだ。5分くらい経つと、警察がパトカーで駆けつけていて、現場検証が始まっていた。シャワーを浴びてしばらく休憩している間もバスは放置されたままで、その後、数時間たってからようやく不動のバスがレッカー移動され、静寂を取り戻した。バスがレッカーされる作業音を遠くに聞きながら、中学時代の記憶をフラッシュバックしつつ、眠りについた。

 
 
 

4日目

この日も6時に目が覚めた。奇妙な夢にうなされたから、起きた直後は視界がフワフワとして、変な感じだった。昨日の夕食で、普段口にしないコカ・コーラとビッグマックを食して血糖値が上がったゆえに悪夢を見たのか、それとも故障したバスをレッカーする作業音や、早朝の車の騒音で悪夢が惹起されたのか、真相はわからない。最終日の朝食は外で 煎饼を食べようと思っていたが、小雨が降っていたためか定休日だからか、煎饼のリヤカーは現れなかった。しかたなく、代わり映えしないホテルの朝食を食べることにした。 今日の朝食は 煎鸡蛋(jianjidan、目玉焼き)、 扒番茄(pafanqie、煮トマト) 、 小米粥(xiaomizhou、アワのおかゆ)に 咸菜(xiancai、漬け物)を混ぜたもの、フライドポテトのみだ。基本的に普段から朝は少食だ。

 
帰りの飛行機は10:25発だったから、7時くらいにはチェックアウトして、早めに空港へ向かうことにした。昨日のうちに荷物は整理していたから、歯磨きをしてトイレを済ませた後は、室内を軽くチェックするだけで済んだ。1階へ降り、フロントの支配人らしき男に「我要退房(チェックアウトします)」と言って、預かっていたカードキーを2枚差し出すと、10秒ほどでチェックアウトが完了した。これまで止まったホテルの中では最短の所要時間で、あまりのあっけなさに驚いた。男はカードキーと部屋番号をチェックするだけで、部屋の状態は確認しなかった。どうやら日本人は概して素行が良いためか、押金(yajin、チェックイン時の保証金)を預かることや、退室時に室内をチェックすることは、時間と労力の無駄だと考えているのかもしれないな、と思った。
 
崇文门駅は平日の7時過ぎゆえか混んでいた。朝のラッシュは日本と同様だが、北京はオリンピック以降、テロ対策のため全駅で持ち物検査をしているから、ラッシュが余計に酷くなる。しかし、実際には混めば混むほど、荷物検査をしているバイト君の本性が露見してきたりして、露骨にやる気がない奴の前を通る時は、ほぼノーチェックで通過することが出来るから、ラッシュが緩和されることもある。今回も手荷物をX線検査に通すため、ベルトコンベアに載せた後、いつものようにペットボトルの中身を警備員に飲んで見せたのだが、20代半ばくらいのバイト君は、かったるそうに天井のあたりを眺めているだけで、全くチェックする気がないようだった。そのバイト君のやる気の無さを画像で貼り付けておきたいくらいだが、残念ながら写真を撮っていないので、授業をサボってコンビニの前でう〇こ座りしながら、どことなく空を見上げて煙草をふかしている田舎のヤンキーが、北京のとある駅構内で警備員の服を着て、何もせずに「早く帰りてぇ~なぁ~」と思いながら突っ立っている様子、と同様であると想像して頂ければ宜しいかと思う。ペットボトルのほかに、前日に買っておいたスターバックスの瓶入りコーヒーと、パックの飲むヨーグルトも袋に入れて持っていたが、特に何も言われなかった。

 
空港線の始発駅である东直门駅は、ホテルがある崇文门駅から、2号線で5つ目だ。このルートだと乗換がないからラッシュ時でも比較的楽なのだが、北京の地下鉄は深い上にエスカレーターが少ないから、大荷物を抱えていると地獄を見ることもある。とにかく階段が多いのだ。平日の朝だから車内はたいそうラッシュしてるかと思ったが、乗車率は90%くらいで、スーツケースの移動も容易かった。電車に乗って10分ほどで、东直门駅に到着した。ここは2号線と13号線の他に、空港線が通っているから、スーツケースをゴロゴロと転がして歩く乗客が多い。しかし朝は13号線に乗り換える乗客がほとんどだから、空港線は比較的空いていて快適だ。
 
空港線の25元(約500円)のチケットを2枚買うため、窓口に並んだ。他の路線は値上がりしているが、空港線は据え置き価格で数年前から同じ値段だ。すでに数人の中国人が並んでいたが、私の前に並んでいた若い中国人女が、なにやら駅員と揉めていた。ここでチャージは出来ないのかとか、チャージは下の階でやれというような話をしていたようだった。窓口では基本的に25元のチケットしか売っていないから、2人分のチケットを買うなら、「两个人」と言って50元札を1枚差し出せば良い。
 
ホームへ降りると、すでに電車がドアを開けて待機していた。車内はそれほど混んでいなかったから、端の車両に移動すると、座ることが出来た。
 
空港線は日本の電車のようにドアが閉まる合図が無いから、モタモタしてると乗れなくなることがある。場合によっては挟まれる人もいるかもしれない。そうえいば昨日もバス停で、若い女性客がバスに乗りかけた瞬間にドアが閉まったもんだから、乗れなかった女は半狂乱状態でドアを叩きながら、運転手に向かって何やら叫んでいた。運転手はちゃんと安全確認していない様子だった。
 
座ってから数分経つと、ドアが閉まって、電車が動き出した。車窓から、太陽に照らされ目覚めたばかりの、見知らぬ町を眺めた。高速道路で空港へ向かう車がチョロチョロ走っていた。ボーっと外を眺めていると、30分ほどで空港に到着した。

 
どうやら北京のホームドアはパナソニック製らしかった。今さらながらに気が付いた。空港はそれほど混んでいなかった。掲示板で搭乗時刻とチェックインカウンターの場所を確認し、しばし休憩することにした。

 
チェックインを終え、出国手続きと保安検査を済ませれば、あとは搭乗開始を待つだけだ。空港内をブラブラしながら、とりあえずミネラルウォーターを買った。搭乗口はいつも端の方で、たいてい空いているから、ベンチにのんびりと腰かけていられた。すでに雨は止んでいた。今年はプライオリティパスを持参していたから、北京空港のラウンジを使う予定だったが、結局使わなかった。

 
早速買った水を飲もうとフタを開けると、水があふれ出てきた。水を詰め過ぎて栓がしてあったからか、よほど静かに開けない限り、水が飛び出すようになっているらしい。さすがチャイナ品質だ。こびとが、向こう側に座っている白人はテロリストに違いないと騒いでいたが、無視することにした。どうみても普通の白人だ。万が一、KKKだったとしても、こんなところでテロなど起こすはずがない。トイレの方をふと見ると、別の白人女性が水道の水を水筒に入れていた。基本的に北京の水道水は飲まぬ方が良いと思うが、案外欧米人はそのあたりのことには寛容というか、無関心なのかもしれないな、と思った。

 
定刻通り搭乗が始まり、ほぼ定刻で出発した。帰りも機内食が出た。やはりA〇Aの機内食は中々美味かった。

 
行きと同様、映画を観たり、音楽を聴いて過ごした。北京就航のA〇Aは機体が大きいから安心感がある。最近はWi-Fiを有料で使えるらしい。無事に成田空港に到着し、荷物を受け取ってロビーへ出ると、ちょうど「Youは何しに日本へ?」の撮影をしていた。(終)

 
 


 
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