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  • 我的北京日记(漫游随想录)2014

元代から続く胡同、南鼓巷にて。若者が多く集い、活気があった。
 
 

緊張の夏、北京の夏

 
今年は諸事情により急遽7月に北京へ飛ぶことになった。7月に入るとフリーツアーといえども全日において料金が上昇してくるが、最近の成田→北京行きは不人気路線だからか、直前になるとチョコチョコと激安ツアーが出ていたりする。
 
今回は7月に客が全く集まっていないというフリーツアーが2日あって、基本旅行代金は29800円、通常よりも30000円くらい値引されていた。総額は基本料金に諸費用が加算されるので、合計では57910円だった。夏休みに入ると10万前後が相場なので、なかなかお得なバーゲンツアーだった。今回の旅行代金の内訳は以下の通り。1人で1室を利用する場合、15000~30000円くらいの追加代金を上乗せされるのが一般的だから今回の10000円は安い。

 基本旅行代金   ¥29,800
 成田空港税     ¥2,610
 現地空港税     ¥1,500
 燃油サーチャージ ¥14,000
 1人部屋追加代金 ¥10,000
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 総額 ¥57,910

 
今回の旅行保険はAIUを選ぶことにした。これまで仕事で多くの保険会社とコネクションを持ってきたが、AIUの対応が一番良かったからである。AIUの海外旅行保険だと2泊3日で3570~5190円との試算だったが、万が一に備えて一番高いゴールドプランを選んでおいた。しかし3日で5000円オーバーとは高過ぎる。自動車の保険料が365日で50000円前後だから、旅行保険は1日計算で約12倍も高い。車に乗っている方が遥かに危険だと思うのだが、旅行するためだけの保険がこの価格だと、ボッタクられているのではないかと思ってしまう。長期契約だと旅行保険ももう少し安くなるらしいが、それにしても高い。
 
結局、この日のツアーに申し込んだ客は私1人だけだったらしく、本来無料の往路送迎が有料(12000円)になるとのことだった。さすがに往路だけの送迎で12000円はボッタクリだから、送迎は断ることにした。北京は慣れているので、空港から電車でホテルへ向かうことは容易い。今回泊まるホテルがある最寄りの駅は東直門(东直门)駅で、この駅は空港線の終着駅でもあるから、空港からは乗換不要でホテルへ向かうことが出来るから楽だ。空港から出ている特急列車は一律25元で、日本円にすると約425円だ。いかにホテルのハイヤーによる送迎がボッタクリかがわかる。
 
パキ〇タン航空などは昨今の燃油高な状況にあってもサーチャージが無料だったりするが、やはりテロ等が心配なので多少高くついても日系の航空会社を選ぶのが安心である。今回のツアーを企画している旅行会社はNという国内の会社である。Aという国内の会社のツアーに比べると社員の対応は普通だったものの、出発前に渡されるツアー情報の冊子が煩雑で良くなかった。Aはパスポートサイズの冊子に情報をまとめたものを送ってくれるので、ツアー中もかさばらず携帯しやすい。ちなみに、「旅行代理店の手違いでeチケットが発行されていなかったようですね。」と成田の空港職員に言われた時は、もうNは利用しまいと心に誓った。

 
 
 

出発日前日

出発日前日は仕事が休み(休診日)だったので、北京へ行く前に新宿のみずほ銀行で外貨両替しておくことにした。どうせ日本でのレートは悪いだろうから、初日の交通費と食事代、ホテルの保証金くらいを必要最低限に両替することにした。ちなみに、ホテルのチェックイン時に必要な保証金は一般的に100元である。
 

この日は和歌山県あたりまで台風8号が迫っていたが、午前中の関東は穏やかな快晴で、行動するには都合が良かった。

 
日本円を外貨へ両替出来る場所は最寄りだと新宿駅にしかない。東京駅には中国銀行もあるし、東京駅周辺にはいくつか両替屋が存在するらしいが、さすがに東京駅まで出るのは面倒だった。
 
京王線の新宿駅を出て西口から地上へ上がり、右へ行くとすぐ左手に横断歩道がある。横断歩道を渡ると右手に地下通路への入口があるので、そこを下ると突き当りすぐ正面にみずほ銀行の外貨両替ショップがある。京王線からだと地上へ上がらずにロータリーを西側に伝って地下通路を歩いた方が早いのだが、何となく地上へ上がってしまったのだった。
 
両替所は10台くらい設置されたATMコーナーの左隅に、4畳半くらいのスペースで存在していた。雰囲気的にはパチ屋の換金所に似ていた。電光掲示板を見ると、この日の両替レートは1元=18.2円で大体予想していたくらいだった。とりあえず1万円分だけ両替した。
 
何だかんだで荷造りを終えて北京へ行く準備が整った頃には、もう日が暮れかけていた。7月4日に発生した台風8号は徐々に関東へと接近しているようで、すでに東京でも夕方近くになると強風が吹き始めていた。気象庁の予報では出発日の11日早朝、ちょうど通勤時間帯に関東へ上陸する可能性があるとのことだった。どうせ気象庁の予報だから当てにはならんだろうと思いつつも、予め交通機関がマヒするのを予想して、前日に成田で待機しておくことにした。
 
しかし私と同じことを考えている人が他にも沢山いたようで、成田空港のホテルはすでにどこも満室で、全く予約がとれない状況だった。早めに予約しておけば良かったと思いつつも、仕方がないので京成成田駅周辺でホテルを探すことにした。iPhoneでググってみたところ、京成成田駅前のCホテルが安くて評判が良いとのことで、早速空きがあるか電話してみた。
 
3コールほどで、疲れた感じの若い女が電話に出た。まだ1部屋空きがあるとのことだったが、告げられた料金が通常の倍くらい高かったので、「ちょっと他のホテルも検討したい。」と告げた。すると、女従業員はヒステリックな声で、「現在は空きが1室しかありませんので、次に電話されても予約は受けられません。」と理解不能なセリフを吐いた。電話をかけ直したとしても、その時点で空きがあれば予約出来るだろうが、とツッコミたかったが、おそらく隣国人か日本語を母国語としない女なのだろうと勝手に合点して、他のホテルへ電話することにした。
 
再びiPhoneでホテルを検索していると、突然、師匠から「明日はらぁちゃんがグアムに行きます。台風でも飛行機飛ぶかな?」とメールが来た。成田空港のホテルが満室で私は予約が取れなかった旨を伝えると、「らぁちゃんはホテル取りました。訪ねていったら?」と返信がきた。しかし、そんな時間的余裕もないので、丁重にお断りした。
 
ネットの口コミを見た限りでは、Cホテルの隣に位置するAPAホテルが良さそうだったので、早速電話してみることにした。電話対応は丁寧で信頼出来そうな感じがしたので、Cホテルよりも高い料金設定だったが結局APAホテルに泊まることにした。「終電で行くようになるので、そちらへ着くのは24時過ぎになりますが問題ないですか?」と聞くと、「当ホテルは24時間チェックインが可能です。お気をつけてお越しください。」と言われて安心した。
 
当日予約だったゆえか、一般的なビジネスホテルの料金よりも倍くらいの価格になってしまったわけだが、明日台風で電車が止まって成田空港へ辿り着けなくなるよりはマシなので、妥協することにした。やはり台風の時期に飛行機を予約するのはリスキーだな、と今更ながらに気が付いてももう遅かった。
 
実は、終電で成田へ向かうことになってしまったのには理由がある。この日、外貨両替を終えて出発の準備が整った後、17時を過ぎた頃から愛車で成田空港へ向かっていたのだが、首都高で突然マイカーが故障して、JAFに自宅まで車を運んでもらうという災難があったのだった。
 
首都高は世界で最もアホかつ危険なボッタクリ道路として有名だ。何よりパーキングもほとんど無いし、緊急車両が通ったり、事故車が幅寄せするための十分な路側帯もほとんど無い。そしてカーブも多い。したがって、急な故障でエンジンが停止しようもんなら、後続車から突っ込まれる危険性は他のどんな道路よりも断然高い。しかも、ほとんどの車が時速80km以上で暴走しているから、急にブレーキかけたとしても追突を避けられる可能性は低い。ましてや首都高を走る日本車の大半のブレーキシステムは、国土交通省の世界最凶なユルさの安全基準で作り上げられているゆえ、緊急回避なぞは困難になるに違いない。
 
一般的には時速と制動距離は比例すると言われ、時速100㌔で走っていたら100mの制動距離が必要だと言われている。しかし、あんな狭い高速道路で、横に避けるスペースもないわけだし、今流行りのクラッシュ回避のレーダーシステムが搭載されていようが、大半の日本車のディスクブレーキの質の悪さも相まって、事故が防げるとは到底思えぬ。とにかく止まれる物理的なスペースがないんだから、ブレンボだろうがAPだろうが、最高級のキャリパーとローターを備えていても、大して変わらんかもしれない。

 
そんなことを考えつつ、雨だし、首都高で止まったら最悪だよなと思っていた矢先、三宅坂ジャンクションのトンネルに入った瞬間、急にエンジンがストールした。私の愛車はVW(ボロクソワーゲン)という敬称の通り、例に漏れず故障が後を絶たず、廃車にしようかと迷っている時期だった。これまでエンジンのストールは幾度となく経験しているので、すぐにハザードを出して後続車にアピールしつつ、惰性で走れるとこまで走ったわけだが、幸運なことに湾岸線方面と神田橋方面の分流地点左側にある数メートル足らずの路側帯で止まることが出来たのだった。
 
首都高は常時警察車両が巡回しているためか、すぐに警察が私の車の後ろに停車して、「どうしました?」と職質してきた。「故障でJAFに電話したいが、JAFの会員カードを忘れてしまった。」と言うと、警官はすぐにJAFへ電話してくれた。北京に行くため、財布から余計なモノは全て出して自宅に置いてきてしまっていたので、JAFの会員カードが手元になくて困っていたのである。
 
JAFは会員カードがなくても登録名で検索して、駆けつけてくれるらしかった。しかし、JAFの担当者が明らかに頭の回転が悪そうな男で、とにかく私が事故車のある現在位置、車が環状線を入ったばかりの場所にあって神田橋方面へ向かっているなどと伝えても、現在位置を特定するのに戸惑っているようで、イライラした。「首都高の地理をマトモに覚えてねぇならやめちまえよ。」とついつい江戸弁が出そうになったが、何とか喉元でこらえた。到着はJAFにしてはかなり遅く、45分程度かかると言われた。停車位置がかなり危険な場所ゆえ、はよ来てくれよと思いつつ、車の脇で心配そうに待っていた悪相の警察官に「JAFの到着は45分後くらいになるそうです。」と伝えた。
 
すると、「パトカーがハザードを出して後ろで待機していますから、ハザードやライトは消して構いませんよ。危険ですから車外には出ないで下さい。」と言われた。10分ほどすると首都高のパトロールカーも応援に駆け付けてくれて、発煙筒を数個撒いてくれた。申し訳ないなぁ、もう廃車にしようかなぁなどと思いながら20分ほど待つと、今度は首都高速道路公団専属のレッカー車が到着した。「ここは危険ですから、JAFさんが来る前に先に運びます。この先の代官町出口で一旦降ろしますが良いですか?」とレッカー屋に言われたので、「はい。」と即答した。しかし、2車線の狭いトンネル内を次々と暴走車が走り抜けてゆくもんだから、会話をするにしても相手の声がマトモに聞こえない。
 
二人で来たレッカー屋の作業員は手際良く準備をし始め、私はその間に牽引フックを取り付けることにした。牽引フックはイザという時すぐに装着出来るように、予備の発煙筒とともに運転席のドアポケットに常備してあった。10秒ほどで牽引フックを取り付けると、作業員に指でOKの合図を出した。時折、明らかな違法改造車的爆音カーが横をかすめて行く感じなので、声を大にしてもほとんど聞こえないから、耳元で話す以外はジェスチャーでサインを出すしかない。
 
車の牽引フックは通常、荷室の床下に収められていることが多いが、本当にアホな設計だと思う。大体荷物を積んである床底から取り出すのは非効率だからだ。ゆえに私は一刻を争う緊急事態に備えて、運転席に牽引フックを移動させておいたのだった。また、発煙筒も3つ積んであった。発煙筒を使ったことのある人ならわかるだろうが、発煙筒は30分も経たないうちに消え失せてしまうから、事故の際、JAFや警察が到着するまで1個だけでは足りないことが往々にしてあるし、数個撒いておいた方が後続車へのアピールが強まり、突っ込まれる可能性も低くなる。とにかく、いつどんな事故があるやもしれぬから、危機管理という点で言えば牽引フックの装着法などもドライバーは覚えておくべきだと思うが、知っている人はわずかなのかもしれない。ちなみにVWの牽引フックは逆ネジなので、左回しで締め込むようになっている。その際、強く締めるためのペンチなどがあった方が良い。
 
5分ほどで積載の準備が整ったので、作業員の指示で私はマイカーの運転席に乗り込み、サイドブレーキを下してギヤをニュートラルに入れた。パワステが効かないのでステアリングがクソ重かったが、何とか操作して狭い荷台に引っ張り上げてもらった。ちょうど車を積み終わった頃になって、やっとJAFが到着した。とりあえずJAFのトラックの助手席に乗せてもらい、待機していた警察官にお礼を言って、代官町出口へと向かった。JAFのトラックが動き出すと、突っ込まれなくて良かったと、心底ホッとした。
 
代官町出口を下るとすぐ左手に北の丸公園がある。そこは普段から車がほとんど通らないいわば安全地帯なので、そこで車を降ろしてもらうことにした。北の丸公園は日本武道館を有する公園で、夜になると薄暗く、場所柄ほとんど歩いている人もいない。しかし、皇居が公園のすぐ近くにあるからか、公園内には常時警察車両が潜んでいるようだった。暇そうにしている警察官が、パトカーの中からこちらを眺めていた。
 
ちなみに、最近流行の任意保険に付帯しているロードサービスにおいては、大半が積載車への同乗を禁止しているため、事故や故障の際にロードサービスを呼んだとしても積載車に乗せてもらうことは出来ないことが多いようだ。したがって山奥の僻地であろうと、首都高であろうと、当事者は自力で帰宅しなければならないという、非常にアホな事態に見舞われる可能性がある。JAFなら会員の身の安全を第一に考えているから、当然の如く同乗させてくれるのだが、任意保険の付帯ロードサービスは極悪サービスな場合がほとんどであるから、JAFに入っておくのが賢明である。マトモにレッカー出来ねぇなら、そんなサービスやめちまぇと思ったりするわけだが、保険会社はどこもブラックゆえか、そういった具合に小賢しいロードサービスを付帯させて、顧客を集め、貶めているらしい。
 
保険会社のブラックな実情は色々知っているが、外資だろうが日本の会社だろうが、本質的には大差はないように思える。まぁ、入るのであれば、JAFと連携している保険会社を選ぶのが無難であると思う。とにかく、JAFは惚れ惚れするほど積載がうまい。ちなみに依然、任意保険に付帯しているロードサービスでレッカーを呼んだ時は、某ガソリンスタンドの若い兄ちゃんがボロいトラックで救援に来て、終いには上手く積載出来ないと騒ぐもんだから、積載を手伝ったことがある。聞いた話では、寝間着姿のジジイがかなり遅れて救援に来ることもあるらしいし、積載はうまくいったものの、わざわざ遠回りして無理矢理請求額を増やすという荒業に出会ったこともある。とにかく、保険会社のロードサービスは信用ならぬ。
 
JAFは他のトラックを持ってくるとのことで、また10分くらい待たされることになった。その間に道路公団の作業員が車を降ろしてくれた。作業員にお礼を言って、JAFの到着をしばし待った。マイカーはエンジンがかからず、エアコンが効かなくて車内は蒸し暑いので、外で待つことにした。台風が近づいてきているためか徐々に風雨が強まってきていて、時折小雨が降り始めていた。しばらくするとJAFが到着し、手早く車を積んでくれた。「どこまで運びますか?」と聞かれたので、「自宅の駐車場までお願いします。」と答えた。
 
「首都高は渋滞しているので下道で行きましょうか?」と言うことになった。準備が整って北の丸公園を出発する頃には、とうに20時を過ぎていた。iPhoneで京成成田行きの最終電車を調べたところ、21時30くらいの電車に乗らないとアウトだということが判明した。「なるべく急ぎでお願いします。」とJAFの作業員にお願いした。最終電車を逃したら北京へ行けなくなる可能性があると思うと、焦らずにはいられなかった。
 
北の丸公園から自宅の駐車場までは約18.5kmで、JAFが無料で運べる距離は15kmまでだから、約3キロオーバーで2500円くらいは実費で払わなければならない。任意保険のレッカーサービスに引き継がせて無料にすることも可能だったが、時間が惜しいので全路JAFに運んでもらうことにした。
 
JAFの作業員であるオッサンは、見た感じは還暦を過ぎているようだったが動きは非常に素早かった。私が「三鷹市に入ったら細かい道を案内します。」と言ったら、「私も三鷹市に住んでいますから道はわかります。」と言われた。一刻を争うこの時に、三鷹出身のジジイに運んでもらえるのは非常な幸運であった。車内ではオッサンの安倍政権に対する政治見解などを延々と聞かされることになったが、とりあえずは渋滞に巻き込まれず30分程度で到着出来た。
 
愛車はエンジンがかからないので、ギヤをニュートラルに入れたまま斜めになった荷台から惰性で車を転がし、そのままバックで駐車場へ入れることになった。意外にも、オッサンは鮮やかなハンドリングにて、一発で駐車場へ入れてしまったので感心してしまった。超過分のレッカー代を支払って、オッサンにお礼を言ってから、すぐに駅へ向かった。本当はスーツケースを2個持って行くつもりだったが、両手にスーツケースを抱えて北京を徘徊するのはキツいので、1個だけ自宅に戻して、小雨の中を駅へ向かった。駅に着いたのは21:40過ぎで、ギリギリ21:44の快速に乗ることが出来た。これを逃したら成田駅へ行く電車が無くなってしまっていたので、何とか間に合ってホッとした。

 
後日、車の故障の原因を調べてみたら、ヤフオクで某県の出品者から購入したクランク角センサーが社外品でパチもん同然だったことと、松江市に住んでいた時に、市内の某電装屋から購入したNGK製らしきプラグも同様にパチもんだったことが原因だった。熱害対策のためにコルゲートチューブなどを巻いておけばVWの純正クランク角センサーは通常8万キロ程度はもつようだが、社外品で多く流通しているM製なぞは、業者は「M製は純正品より安くて高性能です。」などと叫んではいるが実は大嘘で、安かろう悪かろうで品質は純正以下であることがわかった。

 
偽物のクランク角センサーなど実際に使ってみるとわかるが、1万キロ程度で壊れるし、リレーなぞは分解してみると基盤のハンダ付けが雑だったり、内臓されているコイルが異常に小さかったりして(何故かカバー自体は純正より一回り大きい)、明らかに低性能なのがわかる。後日、自分でクランク角センサーとプラグを新品に交換して快調に走るようにはなったが、最近の原油高騰と保険料の値上がりがイタイので、愛車は廃車することにした。まぁ島根にいた頃は自家用車が必須だったが、東京は自転車かバイクがあれば何とかなる。ちなみに画像のクランク角センサーはVW純正品(約30000円)で、私がコルゲートチューブで加工したモノである。また、画像のパワーサプライリレーは右がゴルフⅣカブリオレ純正品、左が社外品である。

 
私の愛車はゴルフⅢワゴンの希少な左ハンドル車にゴルフⅣカブリオレのフロント部分を移植したモノで、世界的にもほとんど走っていない類の車だったし、部品もほとんど新品に入れ替えていたからヤフオクに出せばマニアが飛びつくであろうと想像したが、名義変更などでトラブルになるのも面倒なので、解体屋に持って行って潔く廃車登録してもらうことにした。巷には様々な廃車買取屋が存在するが、ひどい業者だと車検が残っていても買取価格はおおよそ1~2万円くらいが相場で、マトモな業者であればその倍以上の価格で買い取ってくれる。私の場合は車検が1年残っていたので自賠責還付金が12490円、重量税還付金が約15000円、都税還付金が25400円、車体買取が20000円で、結局7万円以上で買い取ってもらうことが出来た。せっかくだから亡き愛車の画像でも貼り付けておこう。

 
日暮里駅からは22:43発の成田行きに乗った。終電かつ鈍行列車だからか、ほとんど客は乗っていなかった。スカイライナーはとうに営業を終了しているため、約70分間は鈍行に揺られなければならない。車の一件でかなり疲れていたこともあって、この70分は結構地獄だった。成田に近づくほど、いずこからか虫がチョコチョコと車内に飛び込んできて不快だった。

 
座りながら適当に時間を潰して、やっとのことでJR成田駅に到着した。ホテルは京成成田駅が最寄りなので、駅からしばし歩かねばならなかった。昼から何も食べていなくて腹ペコだったので、とりあえず駅前のファミマでパスタを買うことにした。駅前はどうも田舎臭い感じで、いかにも田舎のヤンキーといった風情の若者が大挙して騒いでいた。最近は仙川駅前も週末になると明らかにDQNな輩が集まってきたりしてるが、成田は昭和的なヤンキーが未だにいるんだな、などと思いつつホテルへと向かった。JR成田駅から京成成田駅までは徒歩5分くらいである。小雨が降っていたが、傘をさす必要はないくらいで助かった。

 
今回泊まることになったAPAホテルは、京成成田駅の階段を下りて左手すぐの場所にあった。駅から最も近いホテルである。ホテルに着いたのは終電が終わって駅員が改札閉め始める頃だったので、チェックインする人もほとんどおらず、1Fロビーはガラーンとしていた。まずは受付嬢からカードキーをもらい、自動のチェックインマシンで入金を済ませた。最近のビジネスホテルは効率化と防犯のためか、カウンターで金銭のやり取りをしないようになっているらしい。チェックインを済ませると、受付嬢が明日成田空港行きのシャトルバスを利用するかと聞くので、8:10発のバスに乗りたいと言うと、バスの搭乗券をくれた。搭乗券といっても発車時間を印字してパウチしただけの簡単なものだった。
 
やっと休めるとホッとしつつ、13Fへと上がった。部屋はエレベーターからすぐの場所で、ドアを開けて中に入ると、ムッとした湿気がワッと顔にまとわりつく感じがした。部屋はかなり狭くて、換気が悪いためか、気密性が良いのか、その両方なのか、しばらくは部屋全体が生臭い感じがしていたが、エアコンをつけて数分経つとあまり気にならなくなった。とりあえず風呂に入って汗を流したいので、2Fにある大浴場へ行くことにした。このホテルは大浴場と成田空港への無料送迎バスが売りらしいが、確かに良いサービスだ。しかも駅から最も近いホテルだから、結構人気があるのかもしれないな、などと考えたりした。念のためガイガーカウンターで放射線量を図ってみたが、低かった。

 
大浴場は部屋のカードキーがないと入れないようになっている。広さは一般的な銭湯と同じくらいで、まぁまぁ清掃されている感じだった。しかし、いまいち浴槽に浸かるのはキモいし衛生的に怖いので、体だけサッと洗って部屋に戻ることにした。大浴場は25:00までで、風呂場に到着したのが24:30を過ぎていたから、客は3人くらいしかいなかった。
 
スッキリして部屋へ戻ると、早速さっき買ったパスタを食べて、北京の地図を見ながら明日の行動計画を確認しておくことにした。日程は2泊3日しかないので、しっかりと予定を立てて、出来るだけ計画通りに行動しなければならぬ。しばらくすると急激に睡魔が襲ってきたので、ベッドに備えつけてあるアラームをAM7:00にセットして、眠りについた。しかし、眠りについたのも束の間、0:14に突如として防災速報のメールが届いた。千葉県北東部で地震があったらしい。北東部と言えば成田近辺だ。ちょっと余震が怖いな、このホテル大丈夫かいな、などと不安になったが、いつの間にか眠ってしまった。
 
 
 

1日目

幸い隣の部屋が騒がしいということもなく、ぐっすり寝ることが出来た。アラームが鳴る前、6時過ぎには自然と目が覚めた。バスの出発までしばし時間があるので荷物を整理しつつ、7:50までボーっとすることにした。
 
部屋を出て、チェックアウトするためエレベーターに乗り込むと、途中から中国人らしき家族が強引に乗り込んできた。この中国人ファミリー(特にババア奥様)は他人が潰されたり挟まれてもお構いなしな感じで突進してきたが、1Fに着いて降りる時はご主人が紳士的に道を譲ったのは意外だった。中国なら我先にと先を急ぐのが中国人の常であるが、日本へ来ると一部の日本人の紳士的態度に感化されるのかもしれないな、などと考えたりした。
 
1Fのロビーは中国人と韓国人の集団でごった返していたため、チェックアウトしてから人混みをかき分けて外へ出るのが大変だった。バス乗り場はホテルから出てすぐの場所で、すでにインド人らしき家族が並んでいた。
 

しばらくするとバスが来て、係員が荷物をバスに積み込み始めた。出発直前になると、かなりの多くの客が集まってきたが、慣れた感じで乗務員が三人がかりになって、乗客を整理していた。乗客の大半は隣国の外国人だったが、意外にも混乱することなく、バスは定刻通りに出発した。

 
成田空港に差し掛かると、高速道路にある料金所のようなゲートでセキュリティチェックが行われる。電車で成田空港へ抜ける時に行うものと基本的には同じだ。バスの場合は係員がバスの中まで入ってきてパスポートの確認をするのだが、その際に補助席に座っている客は一時車外へ出なければならない。係員が補助席に座っているインド人数人に、事情を説明せず「外に出て下さい。」と日本語で叫ぶもんだから、日本語を解せぬインド人は何事かと驚いている様子だった。ちゃんと英語を覚えなさいよ、などと係員にツッコミたかったが、止めておいた。
 
成田空港には20分ほどで到着した。途中、バスの窓から成田空港利用者専用の有料駐車場がいくつか見えたが、週末だからかどこも満車だった。11日は気象庁の予報では大荒れだったが、当日は曇りで晴れ間が見えていた。台風は10日に和歌山県で猛威を振るったあと、11日明け方には千葉県に再上陸したものの、すぐに温帯低気圧に変わったらしい。やはり気〇庁が給料泥棒庁と揶揄されるのも仕方あるまい。

 
チェックインはウェブで事前に済ませておいたので、すぐに荷物を預けておくことにした。ANAの空港職員は基本的に感じの良い人ばかりだが、どうもJALのそれにおいては、たまに中国人並みの対応を見せる輩がいるようだ。今回もカウンターにいた女が異常に対応が悪くて少し気分を悪くした。荷物を預け終わると、そのまま保安検査と出国審査を済ませて、ラウンジでのんびりと休むことにした。某患者さんから、さくらラウンジ(JALグローバル会員以上だけが入れる中級ラウンジ)のクーポン券をもらっていたので、早速利用することにした(Tさんありがとうございました)。

 
サクララウンジは基本的に、JALグループのFLY ONポイントを1年間に50000マイル以上貯めてしていないと入れないらしいので、私のように1年に1度くらいしか飛行機に乗らない一般庶民には、一生利用出来ないラウンジである。だいたい1年間で地球を2周以上回るほどの距離を飛行機で移動することなど一般庶民には難題なわけで、基本的にラウンジを利用するのは限られた人々だけ、という塩梅になるようだ。このような空港直属の高級ラウンジには基本的にDQNの類はいないと思われる。
 
しかし、最近はゴールドカード所持者なら入れる比較的敷居の低いラウンジもあって、そちらはかなり雰囲気が宜しくないケースが多いので、私は利用しないことにしている。各国の国際空港には、プライオリティカードというアメリカの会社が発行しているカードを持っている会員であれば入れる、という中級ラウンジもあるのだが、こちらはまぁまぁ良いようだ。ラウンジについては帰国してから知ったので、私も来年からは北京のラウンジを利用してみたいと思う。ちなみにサクララウンジの横にはもう一つ入口があって、より高級感漂うファーストクラスラウンジがあったが、こちらはさらに縁が遠そうな雰囲気を醸し出していた。

 
サクララウンジは入口を入るとすぐにホテルのような受付があって、貴相と福相を備えたベッピンさんが2人で受付をしていた。受付では何かのアロマオイルを焚いているようで、場の雰囲気に高級感と清浄感を与えていた。
 
受付でクーポンを渡すと、搭乗する便名を聞かれて、「出発する30分前にはアナウンス致します。ごゆっくりとおくつろぎ下さい。」と言われた。サクララウンジはファーストクラスラウンジより劣るとはいえ、それなりのVIP感が漂っていた。
 
まだ9時前だからか、ラウンジには白人と日本人が数人くらいしかいなかった。私は独りなので、カウンター席に座って休むことにした。カウンターにはコンセントがあったので、先に荷物を置いてiPhoneを充電してから、ダイニングメニューを覗くことにした。ラウンジの端にはバイキング(ビュッフェ)形式の料理と飲み物が用意されていた。ラウンジ利用者ならば、自由に飲み食い出来るようになっているらしい。
 
とは言っても所詮は無料のサービスなので、贅沢極まるほど種類は豊富ではない。スクランブルエッグやソーセージ、鮭の切り身、サラダ、味噌汁、ご飯などが置いてあるくらいだ。飲み物はファミレス的なドリンクバーの他に、フレッシュジュースや酒類が小さな冷蔵庫に常備されていた。ラウンジで美味いと評判のビーフカレーは、10時を過ぎないと用意されないらしいと聞いていたので、仕方なく適当にあるものを食べることにした。食後は持参した参考書にて初歩的な中国語を勉強することにした。

 
10時を過ぎると徐々に混んできて、ラウンジ内が喧しくなってきたので移動することにした。受付でサテライトラウンジに移動したいと言うと、電話でこちらから連絡しておきます、と言ってくれた。サテライトラウンジは出発ゲート最寄りのラウンジで、飛行機を眺めながらマッタリと休むことが出来る。ダイニングメニューを少し覗いてみたが、これといって美味そうなものもなかったので、ミネラルウォーターだけもらって、飛行機を眺めつつ、しばし休むことにした。

 
10時を過ぎてハッと気が付いた。ビーフカレーが提供される時間である。しかし、サテライトラウンジだけはビーフカレーが提供されていないという事実を知って、少しばかり落胆した。クーポンを譲渡してくれたTさんにカレーを食べた感想を言うつもりだったが、言えぬパターンになってしまった。
 
10:25を過ぎた頃、下手くそな発音の英語で搭乗開始のアナウンスが流れ出したが、どうせ優先搭乗があるからと、もう少しマッタリしてから行くことにした。すると、ラウンジの入口で、何やらジジイがCA(スチュワーデス)に絡んでいる声が聞こえてきた。遠くにいたので断片的にしか会話が聞こえなかったが「あんた失礼だよ。…頑張って下さい。バカヤロー!」とジジイが意味不明な感じで一方的にCA怒鳴りつけて、出て行く姿が見えた。突然の怒声でラウンジにいた客はみなビックリしていたが、ジジイが消えるとラウンジはすぐに静寂を取り戻した。怒声を浴びせられた小柄なCAは、ジジイがいなくなった後もしばらく気まずそうにオロオロしていた。

 
搭乗すべく出発ゲートへ行くと、空港職員から「旅行会社がeチケットを渡していなかったようですね。」と言われる。詳しいことはわからぬが、要するに旅行会社の手違いでチケットがちゃんと発行されていないらしかった。
 
この日のJAL863便(B737-800)はほぼ満席だった。しかし、同じく成田-北京間を就航しているANA955便(B767-300)に比べるとかなり小ぶりな機種ゆえ、あまり快適ではなかった。やはり、B767の横2-3-2の座席配列は楽だったなぁ、ANAにしときゃあ良かったなぁ、と少し後悔した。しかし、隣の席に誰も座らなかったのがわずかな救いであった。
 
今回は北京へ行くので座席の選択は、何となく中国式に縁起の悪い番号を避けることにした。特に中国では3は散「san、別れる」、4は死「si、死ぬ」、14は「yaosi、要死=すぐ死ぬ、酷い」と発音が同じであるため忌むべきとされているらしい。また、奇数よりも「成对成双(chengdui-chengshuang 、=成双成对(chengshuang-chengdui)対に成る)」とされる偶数が良いとされている。ゆえに、中国では、携帯電話や車のナンバープレートの番号においては凶数が避けられ、現在も吉数が高値で取引きされているらしい。機内を見まわしてみると、どうやら40番台の席に座る中国人は少ないようだった。

 
幸い搭乗時間に遅れてくる客はなく、ほぼ定時で飛行機が動き出した。しかし安心したのも束の間、異常事態が発生した。私の席の周囲でただならぬ異臭が漂い始めたのだった。誰かが毒ガスをまいたようだ、これは大変なことになった、警察に連絡しないといけないな、などと思っていたら、前後の席のどちらかに座っているババアご婦人が放屁しただけのようだった。テロでなくて良かったと安心した。それにしても異常に臭かった。あれだけの異臭を発生させるアレロパシーババアご婦人だから、今後は生物兵器を扱うテロリストとして指名手配しておいた方が良いかもしれない。
 
飛行機は順調に飛行し、富士山上空へ近づいてきた。予想通り機長が「左手に富士山をご覧になれます。」とアナウンスしたので、ほとんどの乗客が下界を覗き込むようにして窓にへばりついた。通路の向こう側に座っていた、明らかに中国の僻地から日本へと観光に来た帰りらしき家族のお婆さんが、通路の左側に座っている人々が富士山を眺めている姿を恨めしそうにみていたので、私の席から富士山が眺められるようにサンシェードを全開にしてやった。

 
機内食が出るまでの間は暇だったので、持参したロシア製のガイガーカウンターにて放射線でも計測してみることにした。最初は1μSvよりも低いくらいだったが、高度が上がる程に数値も上昇して、3万フィートくらいで1.8μSvまで上がった。しかし、その後はそれ以上上昇することはなかった。やはり宇宙に近づくほどに宇宙線による被曝量が増えると言うけれども、これは事実なんだと実感した。こういうダークな側面についてはあまり公にはされていないが、宇宙飛行士もさぞや被曝量が多いんだろうな、などと考えたりした。

 
しかし、飛行機は何度乗っても怖い。こんな鉄の塊が宙に浮いていること自体が危険だし、地球に重力がある限りいつ墜落したっておかしくないし、車よりは事故る確率が少ないから安全だとか言うアホがいるけれども、落ちたら一巻の終わりだ。そんなことを考えながら、気を紛らわすために「警察故事(ポリスストーリー)」でも観賞することにした。中国語の勉強にもなるし、まぁまぁ面白いし、タメになるなぁなどと思いながら眺めていると、機内食が運ばれてきた。先日、叔母が鍼治療に来ていた時、私が「今回はJALで北京に行くんだ。」などと話すと、「JALは機内食が不味いんだよね。」と言っていたが、確かに味付けが濃すぎたりビミョーなおかずばかりで完食出来なかった。特段A〇Aが好きというわけでもないが、どうもJ〇Lは役人的な雰囲気がして好きになれぬ。そうは言っても、以前、羽田空港のA〇Aのカウンターには凄まじく無礼な女がいて、普段温厚な私がキレそうになったことがあるから、どちらもあまり良い印象はない。

 
あっという間に3時間が過ぎ、飛行機は北京空港着陸に向けて徐々に降下し始めた。CAの機内放送によると北京は晴れ、気温は36℃とのことだった。しかし、降下するごとに機内が異常に暑くなってきた。ちゃんと温度管理しているんかいな、というくらい蒸し熱く感じた。搭乗する前に飲み物を買い忘れたことを今更ながらに後悔した。CAから配られた水をコップ2杯ほどチビチビと飲んではいたのだが、水分摂取量が足りなかったらしい。加えて機体が小さいゆえか外気温の変化の影響を受けやすいようで、特に窓側の席は温度が急激に上昇する感じがして、降下し始めてから数分で急速に気分が悪くなってきた。

 
まず、胃がぺしゃんこになるかと思うぐらいグーっと収縮し始め、あぁヤバいなと思ったのも束の間、全身から汗がタラタラと垂れ始めた。それまで熱中症というモノの医学的な知識はあったものの、実際に自分が経験したことはなかったので、これがまさに熱中症というものか、これからどうなるのかなどという好奇心が湧き上がる反面、「はよ着地しろ。はよ着地しろ。着地しないとヤバいで。」という焦りが止め処なく溢れ出てきた。
 
しばらくすると四肢に痙攣が起こり始め、何とか気合で止めてやろうと思ってイロイロやってみたわけだが、やはり脳では制御出来ない臨界点に達しているためか、不随意運動は激しくなるばかりで一向に治まる気配がない。「これが熱痙攣か。これ以上悪化したら本当にヤバいな。」などと考えながら「はよ着陸しろ。はよ着陸しろ。このだらずパイロット。」と、何故か出雲弁で心中唱えるしかなかった。
 
こんな事になるならJALは選ばなきゃ良かったなんて考えても後の祭りで、CAを呼んで水を一杯もらおうにも飛行機は着陸態勢に入っていて全員着席してるし、シートベルトを外すのは厳禁で誰か呼ぼうにも呼べないし、何よりも気分が悪過ぎて声をあげること自体が困難だった。

 
そんなこんなで何とか無事着陸して、心底助かった、と思った。ありえんくらいの速度で症状が悪化したもんだから、あと数分着陸が遅れていたら本当に逝ってしまっていたかもしれない。何よりも酷暑の北京を徘徊することが出来なくなるのではないか、ということが一番の懸念だったが、それだけは避けることが出来そうで安堵した。とにかく貴重な時間とお金を割いてここまで来て、北京で寝込んで帰国、という最悪の展開にはならずに済みそうで良かった。
 
ドアが開いて客が全て出ていった後、やっとのことで機内後部へ向かい、CAに「気分が悪いから水を1杯もらえませんか。」とお願いした。CAはすぐに水を持ってきてくれて、CAに案内された席に座りながらチビチビと水を飲んだ。「かなり顔色が悪いようですね。どうされましたか。」とCAに聞かれたので「熱中症になったみたいです。」と答えた。
 
水を飲んで数分経つと足の痙攣が治まってきた。手の痙攣はまだ残っていたが、CAは忙しそうだし迷惑かけるのも嫌なので空港の医務室の場所を教えてもらって、とりあえず機内から出ることにした。機内の外へ出るまで、片言の日本語をしゃべる中国人CAが介助してくれた。しばらく歩いていると手の痙攣も徐々に治まってきたので、こりゃ何とかなりそうだな、と思って医務室へは寄らずにホテルへ向かうことにした。熱中症は本当に一瞬で人を死に追いやる可能性がある、ということを身をもって体感出来たのは、まぁ医療人としては幸運だったかもしれない、などと思ったりした。

 
北京空港を見渡してみると、東京と同様に歩きスマホしている中国人が沢山いた。日本人観光客はほとんどいないようだったが、空港内は中国国内から北京へ観光に来ている感じのお上りさん的な人々で溢れていた。白人の観光客も案外多かった。日本人はビジネスで来ている感じのサラリーマンらしき人々がわずかながら見受けられたくらいだった。やはり、大半の日本人は マスゴミマスコミに洗脳されているから、仕事以外で中国に行こうなんて思わないのだろう。


 
預けていたスーツケースを拾って、空港内をしばし徘徊した。とにかく人が多いし、ボーっとしていたらスリにでも遭いそうな雰囲気だったので、あまりキョロキョロしないようにして歩いた。空港内は去年と特に変わった様子もなく、しばらく歩いても見るモノもなかったので、北京市内へ向かう電車に乗るため空港線乗り場へ向かった。

 
空港線乗り場は半内半外的な作りになっていて、空調設備が設置されていないゆえか異様なほどに暑かった。しかもホームの天井が半透明なので、直射日光が照ってとにかく蒸し暑い。とりあえず、窓口で25元払ってチケットを買う。

 
ホームにはジュースの自動販売機も売店もないので、飲み物を持っていない人は脱水症状を起こしたり、熱中症になるかもしれないな、などと思いながら、持参した日本のミネラルウォーターをゴクゴクと飲んだ。電車はそれほど待たずに来た。ホームには時刻表が無いから電車がいつ来るのかわからないが、とりあえず待っていれば電車が来るようになっているらしい。

 
10分くらい待っていると電車が来た。空港線の外観はロマンスカーのようである。電車はそれほど混んでいなかったが、景色を眺めたかったのでドアのそばで立っていることにした。空港線は北京空港から北京市内中心部の東直門駅まで繋がっている。線路はほぼ直線なので、スーツケースは手放しにしておいても走行中に転がっていくことはないから、車窓からの景色を眺めやすい。車内を見まわしてみるとレズビアンなのか、女同士でキスをしている中国人がいた。発生学的には男の男好きは説明出来るらしいが、どうも女の女好きは不可解で、あれは社会的な影響だとか色々言われているが、結局は染色体とか遺伝子とかのレベルで問題があるのだろうと思う。地球上の生物は基本的にオスはメスを求め、メスはオスを求めるのが道理であるはずだ。しかし最近は、環境汚染やら放射線やら薬害やら食品添加物やらの影響で遺伝子がかつてないほどに傷ついたりして、徐々に人類の性自体が変異し始めているのかもしれない、などと考えながらレズビアンを眺めたりした。

 
車窓から見る限り、そんなに大気汚染は酷くないんじゃないかと思えるくらい、空は蒼く澄んでいた。結局、私が北京にいた3日間はほぼ晴天ばかりが続いたのだが、今年も日本に帰国した翌日あたりから、中国は台風で大荒れだったらしい。去年も北京を去った翌日から気温が急激に降下したらしいし、一昨年も私が北京を去った翌日から、万里の長城で日本人観光客と中国人ガイドが凍死するくらい吹雪いたらしい。
 
最近は東京でもゲリラ豪雨など異常気象が増加しているが、家に帰ったとたんに降ることはあっても、 なぜか私が外出している時に急な雨や雪、雹などが降ることはあまりない。昔は不名誉にも雨男とか17時から男とか言われたこともあったが、現在は晴れ男を自称している。しばし車窓からの風景をながめつつ再び放射線量を測ってみたが、あまり高くなかったので安心した。まぁ、測定不能な放射線については安心できないかもしれぬが、とりあえずチェルノブイリより酷く、ガイガーカウンターが測定不能になるくらいヤバいと言われている某原発の放射能漏れよりは遥かにマシだろうと思った。

 
今回泊まる 北京旅居华侨饭店(Traveler Inn Huaqiao Beijing Hotel)は東直門駅から徒歩10分くらいの場所にある。東直門駅は空港線が直接乗り入れている終着駅なので、空港からは乗り換える必要が無く便利である。ちなみにホテルは東直門駅と北新橋駅、雍和宮駅の三駅のちょうど中間地点にあり、何れかの駅からでもアクセス出来るのだが、北京空港からホテルまでの経路を考えると、東直門駅で降りるのが一番楽でわかりやすい。しかし東直門駅は出口がA~Eまであり、駅周辺には東京の倍くらいの幅の大通りがあるため、迷うとかなり歩くことになるのでキツイかもしれない。

 
なんだかんだで東直門駅に着く頃は、15時を回っていた。改札を出て地上へ上がると外は凄まじい暑さで、しばらく歩くとジーンズが汗で酷く濡れてしまった。上着と下着の替えは持って来たのだが、ズボンの替えを持ってこなかったことを後悔した。
 
東直門駅はとにかく広い。駅はちょうど南北に走る東直門大通りの交差点である東直門橋の下に位置しており、その大通りを避けるようにして四方に出口が作られているため、出口同士の間隔がかなり遠い。通りは8車線あるので、パッとみた感じの街のスケールは東京の2倍くらいある。一応、出発前にグーグルマップで駅とホテルの位置を確認しておいたのだがグーグルの中国版はかなりテキトーな感じで、出口の位置さえマトモに記されていなかったので実際に現地に到着すると、まずどの出口に出るべきかを迷ってしまった。

 
とりあえずテキトーな出口を伝って地上に出てみた。しかし、グーグルマップを見ても実際の南北がイマイチ釈然としないから、自分がどの方向へ進めば良いのかを確定出来ない(iPhoneに方位磁石があるのをスッカリ忘れていた)。しばらく、地図を片手に地下鉄出口の周辺をウロウロしていたが、ラチがあかないので暇そうに散歩している様子のジジイ高齢者に声をかけてみた。
 
地図を見せながら「このホテルまで行きたいんですが、どっちの方向へ行けば良いでしょう?」と聞くと、ジジイはしばし地図をクルクルと回しながら、「あっちの方だ。あっちで聞いてくれ。」と言うので、とりあえず言われた方向へと歩くことにした。方向的には北の民安通りの方なので、民安通りの標識を目指して歩くことにした。

 
中国はとにかく広いから、下手に道を間違えるとあらぬ方向へ行ってしまって大変なことになりかねない。ゆえに慎重に道を選びながら歩いてみたものの、結局グルグルと駅の周辺を回ってしまって、2時間くらい歩いて困ったなと思いながら交差点で放心していた時、向こう側に交番があるのに気が付いた。36℃以上もある猛暑の中をひたすら歩いていたので、広大な砂漠でオアシスを見つけた如き状況に等しいくらい興奮した。

 
交番と言っても小さなスチール製のコンテナに窓とドアを後付した感じの掘立小屋的交番で、大きな文字で「公安(gongan、警察)」と書かれていたのですぐに気が付いた。中には警官らしきジジイが数人、暇そうにして座っていて、ドアをノックすると小窓の方へ回れと合図された。車道に面した小窓が開いたので、地図に描かれたホテルを指さして「ここに行きたい。」と言った。警官はしばらく地図をジーッと見つめた後、ほとんどインクが出ないボールペンで経路をなぞってくれた。そこの横断歩道を渡って向こうへ行け、と南の方を指さしたので、お礼を言って大通りの向こう側へ行くことにした。
 
北京に来てまず道に迷いやすい原因の1つは、通りの名称の分類の仕方が日本と異なることにある。つまり日本であれば、基本的に通りはずっと道なりに同じ名称だが、北京においては交差点に差し掛かった途端に通りの名称が変わってしまうため、日本の感覚で地図や標識を見ると道に迷いやすい。例えば日本の国道20号は、途中でいくつもの交差点が交わっても日本橋から塩尻までの直線ルートの名称は国道20号のままであるが、北京においてはほとんどの通り(特に中小の通り)が交差点に差し掛かるたびに名称が変わるので、慣れないと非常に煩雑でややこしい。しかし慣れると東西南北もわかりやすいし、自分が今どの場所にいるかも理解しやすいので、北京は慣れたら東京よりも迷わなそうな気がする。まぁ今はスマホのナビがあるから迷うことも少ないだろうが。今思えば北京でもナビを使えば良かった。
 
慎重な私は、実は警察のジジイが教えてくれた道順を怪しんでいた。おそらく合ってはいるのだろうが、まぁ間違っていてもいいやと思いながら、とりあえずは言われた通りに歩き続けた。なんだかんだで道を間違えることもなく、東直門北小通りと東直門内大通りの交差点に差し掛かったのでホッとした。下手したら日が暮れてしまうのではないかと思っていたので、正しき道順を教えてくれた警察官には大いに感謝した。

 
とりあえず交差点のすぐそばにあった中国工商銀行がまだ開いているのを確認して、先に両替をしてからホテルへ向かうことにした。明日はスケジュールがかなりタイトだから、今日のうちに両替しておくとかなり動きやすくなるはずだ。ちなみに中国工商銀行は中国五大銀行の1つで、確か2014年は中国国内で最も儲けた銀行であったと思う。
 
日本の銀行の窓口は15時までであるが、中国の銀行は夕方過ぎても開いているから助かる。この時はすでに17時近かったが銀行内にはチラホラと客がいて、スンナリ入ることが出来た。北京の銀行は日本と違って、必ずと言っていいほど警備員が入口に立っている。日本もそうすりゃ銀行強盗が減るのではないかと思うが、平和ボケしているからそんな発想も生まれないのかもしれない。

 
銀行の警備員は案内係みたいなもんも兼ねているので、入口で「外貨両替したい。」と言うと、受付番号が印字されたチケットと、両替に必要な書類を渡された。さて、どこで書こうかなとキョロキョロしていると、客が少ないゆえか、いきなり自分の番号が呼ばれた。まだ書いてねぇよと思いながら窓口へ行くと、受付の姐ちゃんが「書いた紙を出せ。」と言った。さっき来てさっき紙をもらったばかりなのに、書けるわけねぇじゃねえかと思いながら椅子に座ると、とりあえずパスポートを出せと言われた。
 
姐ちゃんがパスポートを見ている間に用紙を記入してやろうと思って用紙を見てみたのだが、今まで両替していた中国銀行の用紙とは形式が全く異なっていて、わけがわからぬのでしばらく途方に暮れながら日本語で唸っていた。すると、後ろから来た行員らしき別の姐ちゃんが「我听不懂(wotingbudong、何て言ってるかわからん)」とブツクサ言いながらも、親切なことに全部代筆してやると言って、慣れた手つきでサラサラと用紙に記入し始めた。中国人にも親切な人がいるもんだなぁと思いながら感心していると、とりあえず自分の名前だけは自分で書けと言うので、フルネームでサインして用紙を提出した。しかし、何故かサインがダメだ書き直せと言われ、電話番号も中国式に書け、中国に電話は持ってないのか、と聞かれた。中国銀行であれば滞在しているホテルの電話番号を書くだけで問題ないのに、中国工商銀行はセキュリティーが厳しいようだった。まぁ、中国銀行がユルいだけなのかもしれないが…。
 
通常サインはフルネームで書くはずだが、何故か名だけを書けと言われた。氏つまりは苗字は書くな、と言うのである。全く理解出来ない話だが、とりあえず言われた通りにした。中国銀行だと記入する用紙は1枚だったが、中国工商銀行では3枚書かされた。この日のレートは1元=約16.9円で、中国銀行とあまり大差ない感じだったので良かった。しかし、円安元高がどんどん加速していて末恐ろしい。来年あたりには1元=20円を超えるかもしれない。東京オリンピックまでは景気が良さそうだが、その後バブルが弾けたらどうなるのだろうか。ま、私のような小市民にはどうにも出来ぬ話だが。
 
この銀行は王府井みたいな観光スポットではない場所に位置するためか目障りなヤミ両替屋もおらず、地元民がのんびり来ている雰囲気で、両替後にストーキングされる恐れもなさそうだな、などと思いながら銀行をあとにした。銀行を出る時、代筆してくれた姐ちゃんに丁寧にお礼を言ったら、姐ちゃんは「不客气(bukeqi、どういたしまして)」と言いながらもかなり嬉しそうにしていた。
 
ホテルは銀行からすぐそばにあるのは地図で確認出来たのだが、グーグルマップに記されていた「北新桥三条(北新橋三通り)」を探すのに手間取ってしまった。グーグルマップを見ると、先ほどの交差点から北へ向かえば左に通りがあるはずなのだが、何故か通り名を記した看板が見当たらない。明らかにこれは行き過ぎたな、と感じたところで来た道を引き返すことにした。とにかく、東直門北小通りに入った途端に汚物というか下水臭さが体にまとわりつく感じで、しかも異様にホコリっぽいし、歩き過ぎて足がパンパンだし、一刻も早くホテルへ駆け込みたかった。
 
引き返してしばらく歩くと、やっと「 北新桥三条(北新橋三通り)」と記された看板を見つけることが出来た。なんと、南から歩いてくると、影に隠れて見えないような位置に看板が設置されていたもんだから、クソっと思いながら右折した。とにかくHP(ヒットポイント)が残存しているうちにホテルに着けると思うと、あの看板をアホな位置に設置したアホへの怒りも消え失せた。

 
北新桥三条(北新橋三通り)」は昔ながらの北京の胡同(路地)という感じで、車1台がやっと通れるくらいの狭い道だった。この通りには「中国赤十字を殺した女」と呼ばれて一大事件を巻き起こした郭美美を想起させる中国紅十字会や、中国新聞社が立ち並んでいた。周囲はいわゆる老北京と呼ばれる古い街並みを残すエリアだから、古い住居が多く現存している。

 
胡同(hutong)は清朝時代からある、いわば路地のことで、この路地に立ち並ぶ煉瓦作りの古い住居には、昔とほとんど変わらぬ状況で住んでいる人が沢山いるらしい。それゆえインフラ、特に下水道設備が未だマトモに整備されていないためか、とにかく胡同周辺は汚物や生ゴミの悪臭が立ち込めており、出来ることなら息をしたくない雰囲気がある。しかし呼吸を止めたら逝ってしまうので、潔癖な私は最小限のブレスで歩くように努めるしかなかった。
 
胡同の周囲は現代の東京人から見ればスラムに近い感じだが、これが多くの北京人の現実であり、海外への不動産投資などで財を成したような一部の成金的セレブ中国人が、前门(qianmen)あたりのスター〇ックスで異様に高いコーヒーをすする状況が相当に異常であるということを実感した。なんせコカ・コーラの500mlが2元(約34円)で買えるのに、スター〇ックスの一杯は安くて30元(約500円)もするもんだから、大半の一般庶民はスター〇ックスの前で記念撮影した後、店内をしばらく覗き込んで終わりである。
 
大体日本のスタバもボッタクリ的に高いが、北京のスター〇ックスは日本よりもさらにボッタクられ感が強い。東京でコカ・コーラ500mlを100円とすると、スタ―〇ックスの一杯は1500円くらいになるゆえ、どれだけボッタクリかが理解出来よう。
 
しばらく歩くと、汚いパイプ椅子に座りながら飯屋の店頭でホースを使って水撒きしている若者が見えた。ホテルはその飯屋の目の前にあった。夜はこの飯屋で食おうかなと思いつつホテルの敷地へ入る道すがら店内を少し覗いてみたが、あまりの不衛生さにドン引きして、パッと浮かんださっきの考えを撤回した。とにかく胡同の周囲にある飲食店はどこも衛生的にヤバそうな感じだった。

 
ホテルの入口には何やら中国語で客向けのメッセージが書かれた黒板的看板が立てかけてあったが、スラスラと内容がわかることに少し感動した。数年までは中国語の値札さえマトモに読めなかった人間が、独りで中国を旅しているのである。知識人からみれば大したことでは無いのかもしれないが、私にとっては大きな進歩であった。
 
今は昔よりも外国語が容易に学べる環境にあるし、やる気さえあればあまりお金をかけなくても外国語を習得出来るというのは幸せなことである。私の中国語会話はまだまだネイティブには遠く及ばぬレベルだが、とりあえず一人で行動出来るようになったのはとても嬉しいことだった。
 
日本には中国語を勉強しない鍼灸師が大半を占めていると推察されるが、やはり鍼灸を極めようと思えば中国語の習得は必須であると、最近になってようやく気が付いた。食品偽装問題とか尖閣問題とか、大気汚染とか、パクリ問題とか、現代日本人の中国に対するイメージは極めて悪いのかもしれないが、鍼灸に関しては本場中国が未だ世界最高レベルにあることは否定出来ない事実である。このことは北京の実際の針灸に触れればわかることだ。
 
ゆえに私は毎年進化している中国の針灸事情を独自に調査したり勉強したりして、その有効性を日本国内で日本人にフィードバックすべきであると最近は切に思うわけだが日本の鍼灸師の多くはそんなことはどうでもいいらしく、未だに日本古式を謳うアヤシイ鍼灸術や、カルト的鍼灸なぞに囚われて、日本における鍼灸のレベルを自ら貶めているように思えてならない。ま、私は多勢に無勢であろうが、キチ〇イとか奇人とか噂されようと一向に気にしない。自分の信じる道を行くだけである。
 
ちなみに私が卒業した鍼灸学校の同期は100人くらいいたが、今のところ鍼灸師として独立開業して、純粋に鍼灸だけを業として食えている人は僅からしい。正確に調べたわけではないが、色々見聞きした話を鑑みると、かつての同級生で開業してマトモに食えているのは、今のところ私だけのようである。まぁ鍼灸学校時代は特に仲が良い奴もいなかったし、一部の学生や知り合いからは見下されている感じもあったし、これといった良い想い出もないので、ざまぁ見ろという感じも正直言えばある。ま、今になってしまえば、下らん過去の事などどうでもよいが、これまで色々と悔しい思いをしてきたことが今の私の原動力の1つになっていることは事実である。

 
ホテルのエントランスには照明がなく、日当たりが悪いこともあって、昼間にも関わらず閉店してるかのような雰囲気だった。一抹の不安を感じつつ受付へ向かった。受付には女が二人いた。暇そうな方に「你好。我叫…。」と自分の名前を言うと、待ってましたという感じで予約表をペラペラとめくって、私の予約状況を確認し始めた。

 
まずは最初に保証金として100元よこせと言うので、黙って両替したばかりの100元札を渡した。大体、北京ではどこのホテルも保証金100元と相場が決まっているらしい。ちなみに、この100元はチェックアウト時に、滞在中何ら問題がなければ、ちゃんと返してくれるようになっている。
 
このホテルは比較的忙しいのか、もう一人の受付嬢は電話対応に追われていた。受付嬢が電話に出る時にちゃんと「您好」と言う様子を鑑みると、そんなに悪くないホテルなのかしら、と少し安心した。しばらくして部屋のカードキーと、ホテルの利用案内などが記された紙製のカードケースを渡された。とりあえず早餐(zaocan、朝食)の時間を確認して、部屋へ行くことにした。朝食は6:30~9:00までとのことだった。
 
ホテルはコの字型に建てられていて、雰囲気としては四合院に近い感じだった。廊下は薄暗く、かなり年季の入ったチャイナ的内装だったが、何故かエレベーターは日立製だった。エレベーターをみた限りでは地下室があるようだった。北京ではエレベーターの地下表示はbasementの略である「B」ではなく、「-1」とされている。確かにその方が合理的で分かりやすいな、と一人でガッテンした。

 
ふとエレベーター内の壁を見ると、中国にありがちな注意書きが記されていた。禁止事項は「禁止蹿跳(jinzhi cuantiao、飛び跳ねるな)」、「禁止倚靠(jinzhi yikao、寄りかかるな)」、「禁止扒门(jinzhi bamen、ドアをこじ開けるな)」、「禁止使用肢体或物品挡门(jinzhishiyong zhiti huo wupin dangmen、手足や物でドアを塞ぐな)」、「禁止损坏轿厢内设施 如:救援电话,灯,摄像头等(jinzhi sunhuai jiaoxiang nei sheshi:ru jiuyuan dianhua,deng,shexiangtou deng、エレベーター内設備を壊すな、例:非常電話、照明、監視カメラなど)」、「禁止吸烟(jinzhi xiyan、煙草を吸うな)」だった。
 
推奨事項は「 看好儿童(kanhao ertong、子供の手を離さない)」、「 轻按选层按钮(qingan xuanceng anniu、階数ボタンは優しく押す)」、「 面向轿厢门进出/注意轿厢位置(mianxiang jiaoxiangmen jinchu、エレベーターを出入りする人に配慮する/zhuyi jiaoxiang weizhi、エレベーター内での立ち位置に注意する)」と記されていた。

 
当然ながら、飛び跳ねたり、ドアをこじ開けたり、ドアを塞いだり、非常電話を破壊したり、人の出入りを妨害したりする輩が過去にいたか、これからやりかねない輩がいる可能性があるから、このような注意書きを貼っているのだろう。ある調査によれば、世界的にはC国人と隣国のK国人が最もマナーが悪いらしく、立ち入りを禁じているホテルや観光地があるらしいが、やはり国民性というモノは実在するのだろうか。もしかすると国民性とはDNAや脳の問題なのだろうから、強制しても正し難いケースが多いのかもしれない。
 
注意書きの上端には、「关注安全、有你有我」と記されていた。これは「安全に使いましょう。お互い様ですよ(=あなたがいて私がいる)。」という感じの意味合いだろうとは思ったが、「有你有我」の意味がイマイチしっくりこず、ずっと何だろうかと考えていたが、結局東京に帰ってから北京人の患者さんに意味を問うてみることにした。
 
朝陽区で育った生粋の北京人である患者のAさんが言うには、「コレハ中国人デモ教育サレテイナイ人ハワカラナイヨ。」ということだったが、私の思っていただいたいの意味からは外れていなかったので安心した。英語でもそうだが、簡単な単語を使っていても難解な文章がたまにあると、ネイティヴにでも聞かない限り判然としないので困ってしまう。
 
要するに、「关注安全、有你有我」は「エレベーターを使うのはあなただけじゃないのよ。安全に使いましょう。」という意味のようだった。とりあえず、知り合いネイティヴがいてスッキリして良かったと思いつつも「有你没我(喰うか喰われるか。)」と記した方が中国の現状に相応しいのではないかと思ったりもした。
 
部屋は509号室だった。最上階の角部屋で、受付嬢が比較的良い部屋を選んでくれたようだった。繁華街の激安ホテルなどに行けば外や隣室の騒音やらで安眠出来ぬことがままあるが、今回は快適に過ごせそうで良かった。
 
北京の空は意外にも透き通るような蒼空だったのと、一人旅で目立たぬようにと今回はマスクをしないでホテルまで歩いてきたわけだが、やはり空気が悪いのかスモッグのせいなのか、喉が異様にイガイガしていたので部屋に入ってからは真っ先にうがいをした。

 
部屋は小奇麗に整頓されてはいたが、築年数がかなり経過しているゆえか、所々にボロさが目立っていた。まぁ安いフリーツアーだから仕方がないが、もうちょっと綺麗なホテルを選んでおけば良かったなと少し後悔した。ま、とりあえず弾丸ツアーは安眠第一だから、しっかりと眠れそうな部屋にありつけたのはありがたかった。サービスで置いてある水は怪しそうなので飲まぬことにした。窓からの眺めはそんなに良くなかった。両替もしたことだし、とりあえず針用具店へ行くことにした。廊下は結構暗かったが、そんなに怖い感じはなかった。

 
何時に关门(guanmen、閉店)するのか知らぬが、出来る限り今日の内に針用具店に滑り込んで、一番の目的である仕入を先に済ませおきたかった。そうすれば明日は少し観光がてら街をゆったり歩けるかもしれない、と思った。とりあえずスーツケースなどは部屋に置いて、計算機と手帳、財布、ペン、地図、パスポート、ティッシュをウエストポーチに詰め込んで、片手にペットボトルの水を持ちつつ、iPhoneで時間を確認してから部屋を出た。今はちょうど17:30だから、18:00までに店内に滑り込めればセーフなはずである。多分19:00くらいまでは営業しているだろうから何とかなるだろう、などと考えながら道を急いだ。ちなみにiPhoneは中国に入ると自動で現地時間に時刻が切り替わるので、中々便利である。東京と北京の時差はちょうど1時間で、東京が19時ならば北京は18時という感じだから、1時間得したような気分になる。
 
ホテルから針用具店までは歩いて10分くらいだ。久々に歩く街並みは中々楽しかった。まずは中医科学院の敷地内にある、家族経営の小さな針道具屋へ行くことにした。行ってみるとちょうどオーナーの息子らしき店員が入口を閉めているところだったので、「 开门(kaimen、開けて)!」と適当に中国語を叫ぶと、ドアを閉めるのを止めて店内へ通してくれた。ここで買う種類は少ないので、パッパと欲しいものを告げて値段交渉してみたが、小さい店ゆえかあまり値引きしてくれなかった。東京を発つ前、たまに来る鍼灸師かつ患者さんのNさんから餞別として現ナマを預かっていたので、お返しに中国古代の針を額装した「 中華医針樣譜」なる商品を購入しておいた。これは結構高かった。自分用にも別種類の三連開きのモノを買った。東京に戻ったら、これを額屋に一つの額にしてもらって、治療院に飾ろうと考えた。息子が店頭に立っているとあまり雰囲気がよろしくないので、必要なものを買ったらすぐに店を出ることにした。新品の「 中華医針樣譜」は 库房(kufang、倉庫)にあるらしく、息子が取りに行って戻るまで、窓のない薄暗い店内で見知らぬジジイと無言で過ごさねばならなかった。

 
次に、向かいにある北京中研太和という行きつけの針用具店へ向かった。店内はいつもより空いていて、去年から入社したらしいブサイクな姐ちゃんが暇そうに立っていた。一昨年までいた美人な姐ちゃんは辞めたのか転属したのかわからぬが、完全にいなくなっていたようだった。そういえば、あの姐ちゃんは師匠のお気に入りだった。
 
とりあえず、買いたいものをリストアップして紙に書いておいたので、それを渡すと店員は黙って2Fの倉庫へ消えていった。店内を見回すと去年まであった会計台(收银机、shouyinji)が撤去されて、日本式のPOSレジが導入されていた。日本と同様に商品のバーコードをスキャンして会計するタイプのレジである。去年まではバーコードが導入されていなかったので、いちいち伝票に商品名と個数、価格を手書きして会計台に伝票を渡して会計する、というアナログなシステムで清算していたのであった。まだまだ北京では日本のようにPOSレジを普及させるのは難しいようである。
 
しばらくすると倉庫から段ボールを抱えて姐ちゃんが降りてきた。一緒に在庫を確認して、値段交渉をして、スンナリ会計を済ませた。姐ちゃんは素晴らしいことに、去年よりも値引きしてくれた。心なしか姐ちゃんが美人に見えたような気がした。会計が終わった後「反射示意图」でも買おうかなと思いながら店内をフラフラしていると、店員の姐ちゃんが近寄ってきて、150cmくらいのクソでかい経穴人形(ツボが記された木人)を買わないかと話しかけてきた。今回は色々と大量に購入したので、ついでに他のモノも売りつけてやろうという魂胆なのであろうが、そんなデカいものを飛行機で持ち帰ることは出来ぬゆえ、「不用了(buyongle、いらない)」とお断りした。
 
姐ちゃんが商品を袋詰めし終わるまでレジの前でボーっとしていると、店の関係者なのか近所の住人なのか、先ほどから怪しく店内をうろついていたジジイが「あんたどこから来たんだ。」と聞いてきたので、「日本の東京から来た。」と正直に答えた。すると、ジジイは「ふーん。」という感じで反応して、その後も色々と聞いてきたが、大して話も盛り上がらないので、商品を受け取ると再びソソクサと店を出た。

 
そういえば師匠も去年店内で客のババアから同じような質問をされていたが、「私は钓鱼岛(尖閣諸島)で話題の日本からやって来ました。」などと答えてババアどもの顔をひきつらせていた。
 
遠くには雨雲が見えたが、雨が降りそうな感じはなかった。とりあえず買った荷物をホテルに置いてから、夕飯を食う場所を決めることにした。
 
ホテルに着く頃にはもう19時近くになっていて、あたりも暗くなり始めていた。防犯を考えカーテンを隙間なく閉めてから、クーラーをつけっぱなしにしたまま外に出た。北京はチョコチョコと地元民と化した白人がいたりして、慣れた感じで電動スクーターにノーヘルで二人乗り、酷いと三人乗りしたりしていた。彼らは北京でどんな暮らしをしているのだろうかなどと思ったりした。

 
ホテルの近くには 宠物用品店(chongwu yongpindian、ペットショップ)があった。北京ではペットを飼うためには多額の税金だかを納めねばならないらしく、基本的には金持ちしか飼えないようになっているらしい。実際は金を納めず違法に飼っているケースもあるらしいが、この場合は狂犬病の予防注射を受けていないだろうから街中で無暗にペットに触るのは危険である。

 
ちなみに、ペットショップの横にある「 成人保健(chengren baojian、大人の健康管理)」とは、 成人用品(chengren yongpin、アダルトグッズ)を扱うショップのことである。ここではペットショップの横にさりげなく存在しているのがミソである。北京にはこの手の店が沢山あるが、最近は主要な観光地など、エリアによっては当局の取り締まりを受けたりして、閉鎖する店も増えているらしい。その原因として、ニセの媚薬や精力剤を扱っている店があることや、観光客の目に留まることを恐れる政府の企みがあることによる、とか言われているが実情は知らぬ。

 
基本的に胡同周辺の街は道が汚いので、気を付けて歩かないと靴底がヤバいことになる。とにかく汚物やら生ゴミやらがあちらこちらに落ちているし、加えて未舗装だったり、舗装が雑な道も多いゆえ、気を張って歩くもんだから、余計に疲れてしまう。特に中国人はペッペペッペと所構わず唾を吐くので、北京を歩く靴は履き捨てるつもりで歩く方が気が楽である。
 
昔はなんであんなに唾を吐くのだろうかと思ったりもしたが、おそらく大気汚染で相当に空気が汚れていたり、砂埃が多いために呼吸器が常時侵されており、それゆえに自己防衛的な機序として唾を吐くよう強いられてしまうのであると思われる。つまり好きで唾を吐いているわけではなく、生きるために不随意的に唾を吐かざる負えないのであろう。しかし中国では空港内やエレベーター内で唾を吐き捨てる輩もいたりして、どうにか教育しないといかんだろうと考えたりもするが、所詮は隣国の事ゆえ、どうでも良いかなと思ったりする。
 
ちなみに、歩いていて疲れる原因は路面の状況だけではない。北京市内はとにかくバイクや電動自転車、車の交通量が多いうえに信号はあってないようなものだから、特に横断歩道で轢かれぬよう相当に神経を使うからとても疲れる。横断歩道は慣れた地元民にくっついて渡るのが良さそうだが、ほとんどの人間が赤信号でも構わず渡るゆえ、あまり頼りにはならないことが多い。また、日本とは微妙に交通ルールが違うようで、横断歩道が青でもあらぬ方向から車が突っ込んできたりするので、信号が青に変わっても決して安心は出来ない。

 
そんなこんなで適当に徘徊したあと、東直門内大通りで飯屋を探すことにした。土曜だからか19時を過ぎるとかなりの人出で、どこの飯屋も店頭で喧しいほどに呼び込みしていた。とにかく一度店の前で止まろうものなら、店員は強引に中へ引き込もうとするから、やたらと店を覗き込むことが出来ない。中には全くやる気のない店員もいて、店頭の壁に寄りかかりながらスマホをいじっているパターンもある。北京の飯屋は店内で待つというケースはあまりなく、ほとんどが店頭に置かれた安普請の椅子に座って待つことになる。凄まじく混んでいる人気店なぞは、店頭に100人は下らないと思われる待ち人がいたりして、客が座りながら道を塞いでたりした。

 
東直門は「 麻辣小龙虾(ピリ辛ザリガニ料理)」発祥の地らしく、通りにはその類の店がズラリと並んでいる。他にも店はあるものの、とにかくアメリカザリガニか 火锅(huoguo、鍋料理の店)ばかりで、こんなクソ暑い日にザリガニや鍋、特に麻辣風味なぞ御免こうむりたかったが、遠くまで歩いて飯屋を探す気力もなかったゆえ、近場で適当な店を選ぶことにした。

 
とりあえず、地元民で混んでいる「东直门羊蝎子」という店に入ることにした。ちなみに「羊蝎子」とは、羊の脊髄を煮込んだ料理のことらしい。30席くらいあるうちの5つくらいは空いていて、服务员(店員)が何人だと聞くので、一人だと言うと店員は嫌そうな顔をした。この店は全て4人用のテーブル席で、土曜日だからか店内はカップルやら家族連ればかりで、私のような独り者は浮いていたが、実際には店員以外は誰一人として私に関心はないようだった。
 
改めて店員を見回してみると、どいつもこいつも悪相ばかりで、お前ら明らかにキ〇ガイだろ、と思えるようなやつばかりしか揃っていなかった。店員は10人くらいいたが人相はみな壊滅的で、ある意味見事で感心した。一方でこれはマズい店に入ってしまったと思ったが、とりあえず注文することにした。

 
店員はかったるそうにしてメニューを持ってきた。とりあえず卵の炒飯と香酢入りのスープを頼んだ。占めて36元。高い。まぁ簡単なメニューだからすぐに出てくるだろうと思っていたが、10分くらい経っても一向に出てくる気配がない。しばらく様子を見ていたが、どうも後から来る客ばかり先に飯が出て、私のテーブルには一向に飯が運ばれてこない。
 
これは明らかにおかしいと思ったので、近くにいた超絶ブサイクな店員に「料理がまだ来ない」と文句を言うと、目も合わせずわかったわかったという感じでうなずくだけで、厨房の方へ行ってしまった。が、女は厨房に告げる様子など全くなく、他のドブス店員どもと厨房の前で団子になって、私の方をチラチラみながら明らかに悪意ある感じでクスクスと笑っていた。その嘲り笑る様子は私の忍耐力を試しているようでもあり、中学校で根暗なブスどもが教室片隅のゴミ箱あたりに固まってコソコソと陰口を叩いているようでもあり、すぐにでも店を出てやろうかと思ったがもう少し辛抱することにした。とにかく店員は悪相ばかりだから、最近流行の地沟油(digouyou、下水を濾した毒油)を使っているんじゃないかと思ったりもしたが、退店するのも癪に障るので忍耐することにした。
 
ちなみに中国のドラマによると地溝油の見極め方がいくつかあって、①手でこすってみるとドブ臭い、②燃やすとパチパチ鳴る、③辛い、④冷やすとすぐに固まる(氷などに垂らすとわかる)油はほぼ確実にヤバいらしい。中国では高級店でも使われているという話だから、とにかく自衛するしかない。当然ながら、地溝油は下水を濾して偽装した再生油だから、高濃度のヒ素やら発がん性物質やら、う〇こ、おしっ〇などのエキスがサービス満点なほどに含まれているというから、とにかくヤバそうな時は食わないのが賢明である。
 
しばらく待っても明らかに無視されている感じなので、近くにいた「みぎわ花子」みたいな店員に少しキレ気味で「まだ飯が来ない」と言ってみた。すると、5分くらい経ってようやく注文した飯が出てきた。やっと来たなと思いながら早速食ってみた。炒飯はまぁまぁだったが、スープは香酢が効き過ぎていたので、ほとんど食う気が失せてしまった。

 
ちなみに香酢は中国独特の黒酢で、使い過ぎるとドブ臭くて食うに堪えなくなる。しかもスープは量が3人前くらいあり、炒飯だけは打包(dabao、テイクアウト)したのだが、ホテルにある冷蔵庫が使えぬことを思い出したのと、店員のキモい顔が浮かんできたので、途中で捨ててしまった。
 
店内にいた客のほとんどが洗面器のようなボールに盛られたザリガニにむしゃぶりついていたが、どいつもこいつも喰い散らかしていたり、それを店員がテーブルクロスごと片付けている様を見ると、店員も客もキチ〇イばかりだな、と感心した。ザリガニを喰ったら空のボールに殻を入れるようになっているらしいが、ボールを完全に無視した感じでそのままテーブルの上に喰ったカスを散らかしている姿は、まるでサルを見ているかのようであった。ちなみに、店員はそんな感じで壊滅的に汚されたテーブルを見ても慣れている様子で、片付ける時はテーブルクロスごとツマミ上げて新しいクロスを敷く、という感じだった。他にも、まだ片付け終わっていない状態で勝手に席につく中国人客なぞを見ると、日本人の国民性がいかに良いかを感じたりした。
 
私がこれまで北京を旅した限りでは反日感情を持つと思しき中国人にドギツイ嫌がらせなどを受けたりしたことはなかったが、やはり我々を小日本とか小鬼子とか、日本鬼子とか、ジャップとか言って排斥する輩は実在するらしい。そういう時には暴れたくもなるわけだが、余程のことがない限りは無視することにしている。北京には外国人が多いし、どの店も儲けが先なはずで、外国人が店に来ればむしろ儲かると喜ぶものだが、比較的儲けているような人気店や、管理が野放しになっているようなフランチャイズ店などにおいては、店員の責任感とか儲けようという欲望が少ないためか、外国人を小バカにしたような感じで軽くあしらうケースもあるようだ。
 
店を出た後は、すぐ隣にあるセブンイレブンへ寄ってみることにした。ここのセブンイレブンは余程気合が入っているのか、いつ来ても店員の掛け声が喧しい。日本でもこんなに喧しい店は中々無い。ちなみに、患者が帰る時に毎度「いってらっしゃーい!」と意味不明な言葉掛けを得意とする当院近所で不正請求をしていると噂の某整骨院(外看板が明らかに違法な様子だがやる気のないらしい保健所が放置したまま)は、違った意味で喧しい。そういえば松江にも、「いってらっしゃーい!」と客の帰り際に声がけする某バイク屋があったがここは対応が良かった。

 
店内は日本のコンビニと同じくらいの広さで、店長らしき男が入口右側の半畳ほどのスペースに折り畳み式のテーブルを出して、何故かキティちゃんの福袋を売っていた。店の奥には小太りの女店員がマネキンの如き様子でレジに向かって立ち尽くし、あたかも学校の廊下に立たされお仕置きされている小学生の如き様相で、ひたすら「 欢迎光临(huanying guanglin、いらっしゃいませ)!」と叫んでいた。

 
基本的に北京においては、客が店に入って来ても「いらっしゃいませ」なんて言うことは滅多にない。客が入って来てもレジのあたりで座ったままiPhoneをいじっていたり、本を読んでいたり、ラーメンを食っていたりするばかりで、客に対する礼儀や愛想などというものは微塵もないケースがほとんどである。北京においては無礼だろうが不愛想だろうが、美味かったり商品が良ければ客は集まるようで、一向にサービスが向上する気配はないらしい。中国に進出している日系企業はどこもサービスが良いようなイメージがあるが、東直門のセブンイレブンのように熱心に頑張っている店は稀である。
 
とりあえず喧しい姐ちゃんの横を通り過ぎて、ドリンクコーナーで飲み物を物色した。特に飲みたいものはなかったが、北京にしか売っていないヨーグルトドリンクでも買うことにした。あとは本でも読んでみようかと思ったが、全ての雑誌が透明のフィルムで覆われていて、立ち読み出来ないようになっていた。中国人はボロボロになるほど読み散らかす可能性があるから、厳重にラッピングしてあるのだろう。今日はフランクフルトが特売なのか、とにかく店員が喧しい。どの店員も狂ったように「いらっしゃいませ。フランクフルトが安いですよ。」と声を嗄らしながら叫んでいた。ハーゲンダッツのカップアイスは20元(約340円)もした。

 
土曜の夜ということもあってか、店内はひっきりなしに客が出入りしていた。レジは2か所開いていて、それぞれのレジに数人の客が並んでいた。とりあえず適当に並んで待っていたら、ババアご婦人がスッと割り込んできた。ちゃんと並べやと言いそうになったが、日本を発つ前、YouTubeで観た路線バス内で逆ギレしたキチガイババアのムービー(こちら)が脳裏をよぎったので、見て見ぬフリをしておいた。とにかく、中国では正当な怒りであっても逆ギレされて破滅的な状況になるようなことがあるらしいので、なるべく大人しくしておくのが賢明である。ちなみに韓国にも似たような動画があった(こちら)。
 
喧しいセブンイレブンをあとにして、ヨーグルトドリンクを 麦管(maiguan、ストロー)でチューチュー吸いながら、しばらく夜の街を徘徊することにした。北小吃通りから東直門駅まで歩いて、東直門橋の横断歩道を渡ってUターンして帰ることにした。路上ではレジャーシートを広げて、わけのわからぬ雑貨を売っている商人がいたりして、ブラブラ歩いているだけでも案外面白かった。通りには派手なネオン管で彩られた美容室や理容店がチョコチョコと散在していて、どこも21時を過ぎているにも関わらず、結構客が入っているようだった。

 
しばらくブラブラした後、ホテルにほど近い超市(chaoshi、スーパーマーケット)でも冷かしてやろうかと思った。スーパーマーケットと言っても、そんなに品揃えは良くなかった。1Fには乾物や菓子、飲み物などが売られていて、2Fには雑貨や家電、玩具、バッグなどが売られていた。2Fの雰囲気は調布や仙川にある西友の2Fに似ていて、薄暗い感じで閑散としていた。とりあえず、スーツケースの庶民的な値段を下見してからホテルへ戻ることにした。大体大きいもので350~400元(5900~6800円)くらいだった。翌日の2日目は観光地である前门の商店街に行くつもりだったゆえ、事前に地元民が利用する超市でスーツケースの相場を調べておきたかったのである。
 
ちなみに、北京では値札に「5.5RMB」とか「¥3500」と記されていることがあるが、どちらも人民元の価格を表している。RMBは 人民币(renminbi、人民元)の略語で、「¥」は (yuan)と言う元の読みを記号化したものである。ゆえに高級な工芸品などに「¥3500」と記されていて、「3500円?これはクソ安いわ( ゚д゚ )!」とか「これは目ん玉飛び出る値(  Д ) ゚ ゚!」などと半狂乱で会計すると、後で地獄を見ることになるかもしれない。ちなみに会話する時は元(yuan)とは言わずに (kuai)と言うので、慣れていないとややこしく感じる。

 
スーパーはホテルがある 北新桥三条(北新橋三通り)の入口の交差点に建っていたので、そこからホテルまでは歩いて3分くらいだった。部屋へ戻る途中、ホテルの壁に「 严禁赌博(yanjin dubo、賭博禁止)、 严禁卖淫嫖娼(yanjin maiyin piaochang、売春禁止)、 严禁吸贩毒品(yanjin xifan dupin、麻薬吸販禁止)」という注意書きが掲げられているのに気が付いた。

 
部屋へ戻ると、まず先にシャワーを浴びた。ホテルにはタオルもスリッパも備えられていたが、潔癖な私は使わないことにした。スリッパは明らかに使い回しのようで、一応は袋でラッピングされてはいたものの、使う気にはなれなかった。また、タオルはいかにも汚い洗濯機で洗って適当に干した、という感じの年季が入ったもので、これもまた使う気にはなれなかった。アメニティのシャンプーは着色し過ぎだろ、とツッコミたくなるほどの青さで、ボディーソープらしき液体は異様なほどの蛍光ピンク色だった。洗顔料だけは日本から持参していたが、シャンプーとボディーソープも持ってくれば良かったなと後悔した。これで洗ったら髪の毛がボロボロになりそうだな、と思いつつも仕方なく使うことにした。

 
シャワーを浴びてスッキリした後は、今日買ったものを整頓したり、買ったものの数や値段をメモしたり、日記を書いたりした。また、念のため、1日の終わりに放射線量を測っておくことにした。
 
出国前、師匠とこびとが私の独り北京ツアーを心配していたので、一応無事着いた旨をメールしておくことにした。 中国联通は未だ3Gだからかなり遅いのかと思ったが、そんなにストレスなく通信出来た。auのグローバルパスポートは1日あたり約3000円、メールを1回送信するだけでも3000円とられるからボッタクリな感じはするが、まぁ所在不明で心配させておくよりはマシかな、と思ったりした。iPhoneでyahooのニュースを観たりして、ちょうど25時を過ぎた頃、眠りについた。

 
 
 

2日目

部屋があまりにも暑いのと、クーラーの騒音で早朝4時前に目が覚めた。この部屋のクーラーはボロい、うるさい、冷えないの三拍子揃いで、クーラーをつけたままでは安眠出来そうになかった。腐ったクーラーの設定温度はいくら下げても24度が限界で、24度に設定しても明らかに冷えるような気配はなかった。クーラーは冷風というより送風という感じだったので、壊れていたのかもしれない。とりあえずクーラーを消して、暑いのを覚悟しつつ窓を開けて寝ることにした。
 
しかし窓を開けてみると意外にも外気は冷えていて、窓を開けておくだけの方が涼しかった。この日の北京の日中の気温は36度を超えていたからスッカリ熱帯夜になるかと思い込んでいたのだが、実際には日本の中秋な具合に涼しくて驚いた。体感的には20度くらいだろうか。
 
再び電気を消して寝ようかと思ったが、爆睡したせいかあまり眠くないので電気を点けて起きていることにした。もう1時間くらい経てば日の出だろう。5Fから、久々に北京の日の出を見てみたいという気持ちもあった。
 

北京は日の出が早い。5時になるともう街が白けてきていた。窓から何気なく下界を見下ろすと、隣家の庭でくつろぐヌンコが見えた。暇なので放射線量を測る。やはりそんなに高くなかった。

 
しばらくダラダラとテレビを観ていたが、大して面白い番組がやっていなかったので、6時になったら外へ散歩に出かけることにした。朝食は6:30からだから、30分くらい歩けばちょうど腹も減っていい塩梅になるだろうと思った。6時ちょうどになったので1Fに降りてみると、受付嬢がカウンターに突っ伏して寝ているのが見えた。起こすのは可哀想なので、正面玄関横の狭い出入り口からそっと外へ出ることにした。

 
外に出ると、これからジリジリきそうな感じで日が照り始めていた。とりあえずホテルの前の道路を右に出て、 什刹海(shishahai)方面に向かって歩くことにした。胡同をテクテクと歩いていると、オレンジ色の作業服を着たオッサンが一心不乱にゴミを収集しているのが見えた。北京市の清掃員はみなオレンジ色の作業服を着ている。これは朝からご苦労なことだと思いながら近寄ってみたが、ジジイはデカいゴミ箱を道端でひっくり返すという荒業で分別しているもんだから、ジジイの半径2mくらいは悪臭が立ち込めていて、危うく鼻がもげそうになった。

 
北京市内には公共のゴミ箱が多く設置されてはいるものの、ちゃんと分別する善人は少ないらしく、清掃員がゴミ回収時に毎度分別する必要があるらしかった。ホテルの近くには小さなゴミ収集場があって、早朝にも関わらず作業員が5人くらいで団子になって、掛け声をかけながら何か作業をしていた。

 
ホテルの周辺はとにかく臭くてたまらないので、15分ほど歩いてホテルへ戻ることにした。未だ異臭を漂わせているゴミ収集ジジイの横を通り抜けるのは罰ゲームに等しかったが、否応なしに同じ道を引き返すしかなかった。ふと前方を見ると、憑りつかれたようにゴミを分別しているジジイの横を、事も無げに犬を散歩させているババアが視界に入った。
 
ババアは羊の如く体毛を刈り落としたポメラニアンをリードなしで道に放していて、「 回家吧、回家吧(huijiaba、おうちに帰るよ)」などと畜生に向かってブツブツと話しかけていた。北京市内には野良と見間違うような犬の放し飼いが多く、ちゃんと狂犬病の予防注射をしているかどうかも怪しい様子なので、畜生に気安く触れたりしたら後で地獄を見ることになるやもしれない。

 
ホテルへ戻ると、すでにセッカチな客が数人、ロビーでレストランが開くのを待っていた。私はレストランが開くまで、部屋へ戻って待機することにした。

 
レストランは定刻通りオープンしたようだった。6:40頃に入ったのでそれ程混んでなかった。周りには白人の親子らしき2人組と、中国人男性2人、白人女性1人が座っていた。

 
昨日と同じように、席は適当に選んだ。中国には「南米北麦(nanmi beimai、南方は米食を好み、北方は小麦食を好む)」という言葉がある通り、北京での朝食は今も肉包子(roubaozi、肉まん)や豆沙包(doushabao、餡まん)、馒头(mantou、小麦粉と酵母と水と油で作った白い蒸しパン)、花生卷(huashengjuan、白パン)、油条(youtiao、揚げパン)、面包(mianbao、西洋パン)、煎饼(jianbing、焼いた小麦粉で具材を挟んだもの)などが主食になっているようだ。もちろん、キビなんかが入ったお粥を好んで食べる人もいる。
 
一般的に 包子馒头に関しては、南方では餡入りが好まれ、北京では餡なしが好まれるらしい(これは後述する「 南甜北咸」の通り。)。北京のホテルでは甘いのも塩辛いのも、どちらも用意されていることが多いようだが、街中を歩いてみた感じでは、やはり北京人は 肉包子(肉まん)や 油条(揚げパン)を好んで食っているようだった。特に 油条の店は多くて、毎日早朝から、揚げたての 油条を朝食用にと買い求める地元民を沢山見かけることが出来た。

 
主食としてはおかゆもある。ホテルの朝食だと大米粥(damizhou、白米のおかゆ)と、粳米粥(jingmizhou、うるち米のおかゆ)が出されることが多いようだが、私は大米粥腌制小菜(yanzhi xiaocai、漬け物)を入れて食べるのが好きである。ちなみに、日本的な浅漬けやキムチのことは泡菜(paocai)と言うらしい。しかし、やはり漬け物は生まれ育った日本の方が美味いと思う。杭州あたりではおかゆに氷砂糖を入れたりするのが一般的らしいが、北京でもお茶に砂糖を入れたりする状況などを鑑みると、中国にはかなり糖尿病が多いのではないかと思ったりした。ちなみに中国の南方では、すべての料理に大量の氷砂糖を入れることが珍しくない。
 
ホテルの朝食は意外にも美味かった。部屋がボロかったのであまり期待はしていなかったが、トリップアドバイザーというサイトで絶賛されていた通り、確かに美味かった。昨年泊まった長冨〇ホテル(ホテルオー〇ラ)よりは確実に美味かった。長冨宮ホテルは、部屋自体は良いのだから、もっと飯も値段相応に美味くしてくれたら、また利用したいなと思ったりもする。
 
とりあえず、主食には银馒头(yinmantou、白蒸しパン)と肉包子を選んだ。ちなみに「馒头」とは日本語で言えば饅頭にあたるが、中国の馒头は具無しの蒸しパンみたいなモノを指す。副食には蒜苔(suantai、ニンニクの茎)とマッシュルーム、ニンジンを炒めた物と、米粉(mifen、ビーフン)の炒めもの、メロン、ヨーグルト、オレンジジュース、トンカツみたいな揚げ物、フライドポテト、西葫芦(xihulu、ズッキーニ)の炒め物を少しずつ皿に盛っていった。デザートのスイカとライチは皿に入れるスペースがなかったので、茶碗入りのヨーグルトに混ぜて食べた。
 
そういえば、西葫芦(ズッキーニ)は中国では腎炎に効く食材だと言うが、実際には苦みの強すぎる個体は、ウリ科植物にまれに含まれる植物性自然毒「ククルビタシン」が多く含有されている可能性があるため、食すると中毒症状が発現することがあるらしい。これは煮ても焼いても変化しない毒らしいから、西葫芦を食べる時は苦みに注意せねばならない。ついでに言えば、ウリ科の植物は中国薬膳では涼性の食べ物であるとされていて、夏場に食べると体の熱をとってくれる、と言われている。特に、西瓜(スイカ)は天然の白虎湯と言われ、中医では体熱を除く効果が高いと言われている。
 
どれもシンプルな料理だったが味付けは絶妙で、とても腕のよい厨师(chushi、料理人)がいるのだろうと思った。イライラするほど良く滑るプラスチック製の箸で苦戦しながら主食を平らげ、ヨーグルトを食べようと思ったらスプーンが見当たらない。そこで、かったるそうに入口付近で突っ立っている姐ちゃんに質問をした。「匙子(chizi、スプーン)はあるか?」と聞いたら、「勺子(shaozi)ならある。」と言い、渡されたのはレンゲだった。これでヨーグルトを食えということらしい。電子辞書をみると匙子(chizi)と小勺儿(xiaoshaor)がスプーン、汤匙(tangchi)がレンゲだと記されていたが、とりあえずは単語の選択を誤っても、ボディーランゲッジで何とか通じるようだった。ヨーグルトはスプーンで食い慣れているから、レンゲは食いにくかった。
 
ちなみに、小勺儿(xiaoshaor、スプーン)の発音は下手すると小舌儿(xiaosher、喉チンコ)と似てしまうようだから、「喉チンコはありますか?」と聞こえる場合があるかもしれない。まぁ「小舌儿」にチ〇コという意味は無いし、日本語みたいにワイセツな雰囲気は伝わらないだろうから平気かもしれない。
 
しかし、中日大辞典には小勺儿が載っていないが、クラウン中日辞典に載っているあたり、全く理解不能になる。日本に帰ってから、生粋の北京人であるAさん(いつも付き添いで来る患者さんの母親)に聞いたところ、「スプーンは勺子(shaozi)を使うのが普通で、小勺儿(xiaoshaor)なんて使わないよ。」と言われてしまった。北京では語尾に「」を付ける方言みたいなもんがあるから、小勺儿は北京人が使う言葉だとスッカリ思い込んでいたのだった。ついでに色々聞いてみたところ、私は清朝康熙時代の中国ドラマである『怪侠欧阳德』を観過ぎたせいで、わけのわからぬ古い単語や言い回しも覚えているようだった。
 
結局、レストランには10人くらいが一度に座れる大テーブルしかなく、混んできて合席になるのも嫌なので、チャッチャと食べ終えて部屋へ戻ることにした。レストランの出入り口にはカゴで飼われている鳥や、ツボで飼われている金魚がいたので、しばし眺めてから部屋へ戻った。

 
部屋へ戻ると歯磨きをして、しばらくニュースなどを見ながら休憩することにした。まだ朝の7時だから、外へ行っても店は開いてないし、つまらないだろうと考えた。2泊3日だとスケジュールにあまり余裕がないので、結構疲れてしまう。本当は一週間くらい滞在した方が楽なのだが、毎週診ている患者さんが常に誰かしらいるもんだから、長期間治療院を空けることは出来ない。確かに常に仕事があるのはありがたいことなのだが、あまりにも忙しくなってくると、たまにはゆっくりと休みたくなったりする。
 
北京に来ると1日10キロ以上歩くのはザラなので、普段から歩き慣れていないとすぐに疲れてしまう。ゆえに私は日頃からよく歩くようにしていて、ちょっと疲れても寝ればすぐに回復するよう健康管理に気を付けている。一人旅の利点は自分のペースで好きに動けるということだが、やはり治安の悪い場所であれば2人以上で行動した方が安心ではある。
 
テレビを観つつベッドの上に地図を広げて、今日巡るルートを確認しておくことにした。今日はまず 南锣鼓巷(nanluoguxiang)へ行き、その後、地下鉄で 前门(qianmen)へ行くことにした。 南锣鼓巷はホテルから少し歩けば行ける距離なので、胡同を抜けて、のんびり歩いて行くことにした。

 
今回のツアーはフリーツアーゆえに料金設定が低く抑えられているのだが、同時に宿泊するホテルはツアー会社の都合で選ばれるようになっていて、その分さらにツアー価格が抑えられていた。こういうフリーツアーは安い分、ホテルを自分で選べないようになっているのである。ゆえに、どのホテルが選ばれるかによってロケーションが大きく違ってきたりするから、運悪く僻地のホテルを選ばれようもんなら行動範囲が広くなり過ぎて、効率的に街を回れなくなる可能性がある。今回も3つのホテルから何れかが勝手に選ばれるという具合だったのだが、最もロケーションの良い东直门周辺のホテルに当たったのは本当にラッキーだった。
 
9時ちょうどにホテルを出発した。胡同には飲食店が多く散在しているが、朝はパン屋や 小吃的な店が早くから開店していて、近所の人々が朝食用に揚げパンなぞを買い求める姿を見ることが出来た。また、路地裏では露店的に野菜を量り売りしていて、早朝から ババアの団子行列ご婦人方の行列を見ることも出来た。日本とは違って通勤時間帯でもスーツを着て歩いている人はほとんど見かけない。このあたりは個人商店が多いからか、開店準備をしている汚い恰好のオッサンを多く見かけるくらいだ。ちなみに、緑の看板を掲げる店は、一般的にハラルフードを扱う店だ。

 
八百屋では柿のように平べったい桃が売られていた。日本では四角いスイカが売られているが、あれみたいに箱に入れて育てているのだろうか、いや、そういう品種なのだろう、などと考えながら眺めた。桃のとなりには、スイカが無造作に積み上げて売られていた。このスイカは北京市農林科学院が主導して育てている 京欣一号という品種で、北京、天津、河北省などで生育しやすく、植えてから3か月ほどで収穫できる早熟品種らしい。まぁ中国の野菜は農薬の残留が心配だが、とにかく値段は安い。胡同周辺には、四六時中ドンヨリした悪臭が立ち込めていた。特に道路に所々穴が開いている下水口あたりが最凶に臭い。

 
土曜日の早朝だからか大通りは普段よりも交通量が少なく、人通りもほとんどないので、ゆったりと歩けて良かった。特に道に迷うこともなく20分ほどで 南锣鼓巷に到着した。ここもいわゆる胡同の1つである。

 
南锣鼓巷は北京でも有名な最近流行の観光地だから、昼過ぎになると原宿の竹下通り並みに人が溢れる。しかし、まだ時間が早いから混雑時の10%くらいしか人が歩いていない。とりあえず、通りの出口から入口まで行ったり来たりして、暑いし喉が渇いてきたので、スタバでしばし休憩することにした。スタバは何故か早くから開店していた。

 
ここのスタバは去年来た時には無かったと思う。店は四合院を改装したリッチそうなホテルの入口右手に入っていて、時間が早かったからか客は2人しかいなかった。とりあえず、まだ接客が慣れていない感じの女性店員に 抹茶拿铁(mochanatie、抹茶ラテ)のtallを1つ注文してみた。

 
抹茶ラテが出来上がるまでの間、改めてメニュー表を見上げてみると、価格設定がかなり高めであることに驚いた。抹茶ラテはtallで30元だから、日本円にすると約510円である。おそらく北京人的庶民の感覚からすると2000円くらいな感じだろうから、椿屋珈琲店よりも遥かに高級で近寄りがたい感じがする店なのかもしれない、などと考えたりした。実際にスタバの店頭まで入って来ても、一部の金持ち以外はメニューの価格に驚いて出ていってしまうし、ほとんどの観光客は店頭で記念撮影してお終いである。ちなみに、冷たい抹茶ラテは日本にはないメニューである。日本だとホットかフラペチーノしかない。とりあえず放射線量を計測してみたが、やはりそんなに高くはなかった。

 
中国のスタバは世界で最も暴利を貪っていると言う人もいる。中国の方が日本よりも物価が低いのに、日本よりも価格設定が高いのだ。噂ではこれがスタバの利益至上主義的経営戦略らしい。中国人の高級品に対する行動心理をリサーチしたのであろうか。つまり中国人は概して異常に見栄っ張りな気質があるらしく、価格が高ければ高いほど、その高級品と戯れることに喜びを覚える傾向にあり、さらには高級品を堪能する自分を他人に自慢することに至福の快感を得るらしい(一部の日本の成金にも同様の傾向がある)。
 
スタバはそういった中国人の心理をブラックに利用し、ボロ儲けしていると言われている。それゆえに一部の中国国民からはかなりのバッシングを浴びているらしいが、一向に気にする気配もなく、未だ出店を拡大させているらしい。とにかく日本のスタバでも飲み物はもちろん、大して美味くもないケーキなどサイドメニューの価格もボッタクリ過ぎていて、個人的にはスタバという企業に良い印象は持っていない。確かに高くても、品質やサービスがそれに見合っていれば問題ないとは思うが、どうもスタバ信者でない私からみても、暴利を貪っていると感じてしまうのだ。

 
ケーキなぞスタバより安くて美味いのはゴマンとあるし、かといってスタバの店内は優雅にリラックス出来る空間が提供されているかと言えばそうでもなく、他のコーヒーチェーン店(エクセルシオールとか)と大差ないし、まぁ強いて言うなら店員のサービスがまぁ中の上くらいには達しているかな、としか思えない。スタバはフリーメイソンの陰謀だとか、秘密結社やアヤシイ宗教が陰の母体になって資金を集めているんじゃないかしらなどと妄想してしまうが、たまに行きたくなってしまうあたり、私もすでに毒されてしまっているのかもしれない。

 
ちなみにコーヒー(特にブラック)を毎日何杯も常飲している人は、私が今まで診てきた限りでは慢性的に筋肉が硬化していて、鍼をしても異常に治りにくい人が多い。事実、コーヒーを控えてもらうようにしてしばらく経つと、同じように鍼をしても断然に治りやすくなるのだ。特に詳しく調査したわけではないし、私は科学者ではないから科学的な根拠も用意出来ないし断言は出来ないが、とにかくコーヒーが体に悪影響を与えているという確信は日々強まってきている。コーヒー協会は当然ながらコーヒーが健康に良いとゴリ押ししているが、協会なんてモノは自己保身のために自画自賛するのが常であるから、彼らの言うことを真に受けてはいけない。
 
マクロビオティックや食養学的な考え方に従えば、ベストは地産池消であり、その土地で取れたものを常食する方がその土地の人々にとっては最も健康的であると思われる。しかし、コーヒー豆は主に熱帯地域で産出されるものであり、当然ながらコーヒー豆をコーヒーとして飲む文化は、その土地が起源となっている。そもそも、料理というものはその土地の風土や気候によって自然発生的に産み出されてゆくものであり、南方のニグロイドがコーヒーをわざわざ飲むのも、彼らの体に自然と適合し続けているからだとも考えられる。
 
つまり食養学的に考えると、暑い土地で産出されるモノはその土地に生きる人々の体を冷やすように出来ていることが多く、逆に寒い土地で産出されるモノはその土地の人々の体を温めるように出来ているのが自然の理である、ということである。

 
基本的に、食養学の食物に対する捉え方は「膨張と収斂」が基本にあって、地上で育つか地中で育つか、暑い時期に収穫されるか、寒い時期に収穫されるかによって、その食物が動物の体を温めるのか冷やすのかがおおよそ分かると言われている。
 
例えば膨張系の食べ物はポッチャリと水分を多く含んでいる食べ物であり、地上で実をつける夏野菜が該当する。夏野菜と言えばキュウリやトマト、ナス、スイカなどだが、これらはいずれも水分が多く含まれているため、食すると体が冷えるようになっている。実際に、膨張系のフルーツは主にトロピカルな南国で産出される。
 
逆に収斂系は水分が少なく、ギッシリと実が詰まった硬い食べ物のことで、水分量が少なく、主に地中で実をつける冬野菜が該当する。冬野菜と言えば根菜類が代表格でニンジン、じゃがいも、サツマイモ、大根などは体を温める作用があると言われている。冷え性の女性に人気の生姜も、ニンニク、葛根なども全て同様である。こういった食物は基本的に寒い土地や寒い環境にて産出される。ちなみに、中国薬膳や中医学ではもっと食物の性質を細かく分けるのだが、これについてはそのうちまとめてHPで公開したいと思う。
 
地球上の植物は動物の介在があることで共存出来るようになっているから、酸素や二酸化炭素の相互交換はもちろん、その土地の動物が好み、彼らを活かしやすくさせるような実を結び、食べてもらうことで世代を紡いでゆくことは太古から続く自然の道理であり、ここに「地産池消」の論拠がある。
 
ま、何はともあれ、コーヒーは基本的に我々日本人にとっては嗜好品であるべきであり、たまに飲むくらいなら問題はないと思われる。ちなみにコーヒーは、現地では取れたての豆を炒って飲むらしいが、海外では当然ながら収穫してしばらく経ったものを炒ったり焙煎することになる。植物の実は収穫したその瞬間から酸化が始まるわけだが、それを炒ることでより酸化が進むはずであり、酸化が2重に進んだ豆が原料になっている飲み物が果たして健康に良いのかと考えると、素朴に疑問を感じてしまう。また、カフェインその他の成分の害も考えなくてはいけない。
 
それじゃあ、あらゆる植物を酸化させて飲用する漢方薬はどうなのかと言えば、あれは毒を持って毒を制すのが真実であり、基本的に毒だから常飲することはない。実際に漢方薬には微量なりとも様々な薬害があり、多くの漢方薬は長期間服用すると肝機能や腎機能が低下することが知られているから、マトモな医者であれば同一患者に長期間同種の漢方薬を処方することはありえない。しかし最近は何年にも渡って同じ漢方薬を常飲させるアホ医者が増えていると言うから、開いた口が塞がらない。ま、とにかく私はコーヒーを常飲することはおすすめしない。ちなみに、私はマクロビオティックに関しても全面支持しているわけではない。
 
そんなこんなで、色々考えながら独りテーブル席についてボーっとしていると、高校生くらいの中国人女子3人組が入って来て、楽しそうに隣でコーヒーを飲み始めた。

 
10時を過ぎると徐々に観光客が増えてきたようで、スタバを珍しそうに覗き見る中国人が頻繁に現れてきた。ほとんどの中国人は店内を覗きに入ってくるものの、スタバの隣にある高級ホテルのロビーを覗いてみたり、スタバのレジの後ろに掲げられているメニューを見ては「高い、高い」と言って去ってゆくのだった。ちなみに、このホテルのロビーでも壺で金魚が飼われていた。おそらく風水的な仕掛けなのだろう。風水の本場、香港の風水師は金魚の種類や数にもこだわるらしいが、北京ではどうなんだろうか、などと考えながら優雅に泳ぐ金魚を眺めた。

 
そういえば、北京空港にあるイギリス系カフェもスタバと価格設定が似ているが、場所が良いからか常に混んでいる。去年泊まった長冨宮ホテルなぞはコーヒー1杯80~90元(スタバの2.5倍の価格)くらいしていたから、上には上があるもんだと驚いた。ちなみに北京では500mlのペットボトル水が1.5元(25円)くらい、500mlのコカ・コーラが3元(50円)くらい、ハーゲンダッツのカップが20元(340円)くらいである。

 
10時を過ぎると徐々に開店する店が出てくるだろうと予想して、スタバを後にすることにした。外へ出てみると、店頭でお上りさんらしき中国人家族が記念撮影をしていた。中国人は写真を撮るのが好きなのか、林家ペーパー夫妻のようにパシャパシャ撮りまくっている人が多かった。しかも、みな高級そうな一眼レフを持っていた。中国は著しい経済成長によって成金が増えまくったらしいが、そんな感じの人々がチラホラいた。

 
10:30を過ぎると開店し始める店も出てきた。適当に面白そうな店を片っ端から冷かして行くことにした。とりあえずガイドブックにあったイギリス人デザイナーが経営しているオリジナル T恤衫(tixhshan、Tシャツ)が面白そうだったので、そこを先に冷かしてみることにした。

 
その店の商品のデザインは確かに面白かったが、値段が高いのと、何より素材があまり良くない感じがしたので、買うのは止めにした。良いTシャツは首元の縫製がしっかりとしていて伸びにくいし、綿も柔らかい感じで着ていて心地良く長持ちするが、悪いTシャツはすぐに首元部分がベロンベロンに伸びてしまうし、何より生地が硬くて着心地が悪くイライラしやすい。英字新聞を編み込んで作ったバッグや靴も販売されていて、飾る分には面白いが実用性には欠けるだろうな、などと思いつつ、店をあとにした。帰り際、観光客らしき白人男性が店員に「ここと同じスタイルのショップを上海で見たよ」などと英語で話しかけていたが、もはやそんなことはどうでもよかった。

 
店を出ると、外はかなり気温が上がってきていて、日差しがジリジリと皮膚を刺激してきた。皮膚癌にならぬよう日焼け止めを塗ってきたのは正解だった。土曜日だからか、通りにはあっと言う間に観光客が増えていて、ワイワイと活気が出てきていた。
 
意外にも「 不议价(buyijia、値引き交渉不可)」の看板を掲げた店が全体の半分くらいあった。北京の観光客向けの商店街はどこも値引き交渉するのが基本スタイルになっているから、ここは少し異様なのかもしれない。半分くらいの店は他の観光地に比べて明らかにボッタクリな価格設定で、気安く買い物をすると大いに損をするかもしれないと思った。

 
印鑑屋を覗いてみることにした。この店には印鑑となる見本の石が店内左右の壁にギッシリと並べられていて、奥に行くほど価格が上がる配置らしかった。店内は6畳のワンルームみたいな作りで、クソ狭いにも関わらず女の店員が3人いて、店長らしきオバ半がネチネチと近寄ってきた。「どんなのが欲しいか。」とか「予算はいくらか。」とか、矢継ぎ早に聞いてくる。価格は安くても350元(6000円)くらいからだ。安いものは玉石(yushi)だと言っていたが、それが日本語で何という鉱石かわからなかった。
 
この店は品質の割に値段が高過ぎたし、あまり買う気はなかったが、中国語の勉強になるかと思って色々会話をしていると、店長らしきオバ半が「5分で彫ってやるからどうだ。買わないか。」などとしつこく迫ってきた。本当は龍の形で良いものがあったら買おうかと思っていたが、とにかく観光客をバカにしたような粗悪なボッタクリ品がほとんどだったので、結局買わずに店を出た。どうやらこのあたりはどこにでも売っているような品を、あたかもオリジナル品の如く高級感漂わせて売っているようだった。

 
一通り店をまわってみたが特にこれといったモノがなかったので、電車で 前门へ向かうことにした。駅へ向かって歩いていると、異様な人だかりが出来た店が目に入った。常時30人くらいの観光客が、店頭でカップアイスらしきモノを貪りながら道を塞いでいた。暑いからアイスでも食っているのだろうか、話のネタにいっちょ食っておくかと思って行列に並んでみることにした。後で知ったのだが、ここは北京でも有名なヨーグルト屋らしい。

 
店の名前が「 文宇奶酪(wenyunailao)」だから、ヨーグルトを売っているのかと思ったら、メニューを見ると「 双皮奶(shuangpinai)」と書いてあったので、牛乳プリンであろうと思われた。 双皮奶は広東省に端を発するスイーツで、清朝末期から作られている宮廷御用達の著名なデザートらしい。本来は水牛のミルクを使って作るらしいが、昔から作り方は秘伝らしい。まぁ、今の中国の乳製品は少し汚染などが心配だったが、とりあえず店頭でアワを噴いて倒れている輩もいないようなので、話のタネに一つ買ってみることにした。

 
とりあえず、燕麦双皮奶味(yanmai shuangpinai wei、エンバク入り牛乳プリン)を頼んでみることにした。常に15人くらい並んでいたが、とにかく店員が客をさばくのが早いので、すぐに自分の順番になった。「燕麦双皮奶味(yanmai shuangpinai wei)をくれ」と言って13元ピッタリを会計係の姐ちゃんに渡そうとしたが、「原味双皮奶(yuanwei shuangpinai)は12元だよ!」とヒステリックに叫びながら1元札を突き返すので、仕方がないから言われるままにした。燕麦(yanmai)とちゃんと発音したつもりだったが、姐ちゃんは原味(yuanwei)と聞き間違えたようだった。まぁどうせ食べるなら、まずは原味(昔ながらの味、定番の味)を押さえておくほうが無難であろう。
 
お金を渡すと姐ちゃんがそっちで商品を受け取れ、と顎で右側の窓口を示した。言われるがまま右横へ移動すると、ロボコップの如く機械的に動き続ける兄ちゃんが、全く無駄のない動きで後ろの大型冷蔵庫の中から、無数にストックされているカップ入りのプリンを一つサッと取り出して、スプーンを刺して無言で差し出した。
 
とりあえず店内は騒然としていたので、外へ出ることにした。プリンを買った観光客のほとんどが店頭の日蔭で立ち食いしていたので、私も真似をして店頭で食べることにした。まるで箱根の山にて、黒卵を貪る観光客のようだ。行儀は悪いが「郷に入っては郷に従え」である。まぁ、食ってみると何のことはない普通の牛乳プリンで、これと言って別段美味いという感じでもなかったが、未知の味を知ったことで自分の経験値が上がったような気がして、満足した。

 
また、しばらく歩くと、隣の路地で何やらドラマだか映画だかの撮影をしていた。30人くらいの群集に混じって現場を覗いてみたが、俳優らしき男を数人のスタッフが取り囲んでいて、大して面白いもんでもなかったが暇つぶしがてら、しばらく見てみることにした。

 
そもそも北京の俳優なぞほとんど知らないから、そこにいる俳優は単なる青年としか見えなくて感動もなかったが、野次馬が続々と集まってきて混雑してきたので、少し遠くから離れて眺めてみることにした。

 
中央戯劇学院の隣の路地での撮影だから、たぶんそこの関係者なんだろうな、と思いながら見ていると、監督らしき女性が「みなさん、临时演员(linshi yanyuan、エキストラ)として出演しませんか?」みたいなことを言い出した。断片的にしか聞き取れなかったので、本当は何と言ってたかはわからない。最前列にいた群集が、おそらくお上りさん的中国人が、顔を見合わせながら「どげしよう、どげしよう」と出雲弁中国語で恥ずかしそうに話し合っていた。
 
みな最初は躊躇していたものの、数人が前へ踏み出すと、ゾロゾロと20人くらいの観光客がエキストラとなるべく撮影現場へと進んで行った。どんな感じでエキストラをやるのかと見ていたが、何のことはない、乞食の如き様相で路地にベタ座りしている哀愁漂う俳優の前を、ただ通り過ぎるだけの役であった。あまりにもつまらないので、駅へ向かうことにした。

 
また、しばし歩いて行くと、今度は汚い路面にベタ座りして、とある建物を 射精写生している子供の集団に出くわした。みな真剣な眼差しで、目の前を次々と通り過ぎて行く観光客には目もくれず、黙々とスケッチブックに向かっていた。子供たちの後ろにはお絵かきの 老师(laoshi、先生)らしき中年男性が立っていて、描き方に関する指導をしているようだった。どんな絵を描いているのか覗いてみたが、みなあまりの下手さに吹き出しそうになったものの、絵を描いている姿が絵になりそうだったので、平静を装って写真撮影することにした。

 
子供たちは写真を撮られることに対して無反応であったが、概して中国人はカメラを向けられてもカメラマンに対して憤慨する、ということはあまりないようだった。かといって陽気なアメリカ人のようにピースサインを出したりもしない。日本人もかつてはそんなユルさがあったものだが、個人情報保護法などというわけのわからぬ法律が出来たり、アメリカの個人主義の風潮やら法律に関する情報の氾濫などで、最近は個人にカメラを向けるとまるで犯罪者扱いである。ま、確かに私も勝手に写真を撮られるのは御免蒙りたいが、基本的に北京でなら写真を撮られても文句は言わない。


 
何だかんだで南锣鼓巷駅に着いた。ここからは6号線で东西駅へ行き、东西駅で5号線に乗換え崇文门まで行き、その後崇文门で2号線に乗り換えて前门駅まで行くことにした。
 
前门にはすぐに到着した。地下鉄出口を出たすぐの場所では、売店の売り子が客引きのために騒いでいた。

 
前门(qianmen)とは名称の通り、紫禁城(今の故宮博物館)にある9つの門のうち、最も南方にある正阳门(zhengyangmen、正陽門)のことである。このあたりはいわば門前町として栄えてきたらしい。ちなみに、門と言っても一つの巨大な建物で、門の中は長さ10mくらいのトンネルのようになっていて薄暗くて涼しいから、沢山の観光客がホームレスの如き様相で涼を求めて休んでいた。実際に手足の不自由な本物の物乞いがいたが、誰も見向きしていない感じだった。

 
2008年、北京オリンピックの際に大工事が行われたことで、 前门大街(前門大通り)は現在のようなスッキリとした歩行者天国に生まれ変わったらしい。ここは四方に大小の商店街が連なっていて、とにかくクソ広いから、外気温が36度もあるような猛暑日に全てを見て回るのは困難である。

 
前门はいわば門前町とは言っても、日本よりも遥かにスケールがデカい。日本の寺の参道に連なる商店街を想像すると度肝を抜かれるかもしれない。とにかく敷地が無駄に広い。 前门大街の真ん中には路面電車が走っているが、地下鉄運賃一律2元の北京において、ここの路面電車はわずか10分程度の乗車で片道20元だから、車内で「このボッタクリ野郎!」と叫んでも全く 没问题である。どうせ車掌にスラングな日本語は解せまい。

 
路面電車のある中心街にはZARAや、一時期ブラック企業だと騒がれた ユニ黒ユニクロ、H&M、Swatchなどの外資系ショップがドカーンと大きなショップを構えている。前门大街入口のすぐ右側にはスタバがあって、結構混んでいた。中国に来て日本でお馴染みのショップに入ってもつまらぬので、裏通りにある商店街を巡ってみることにした。

 
前门大街と並行して南北へ走る 珠宝市街(zhubaoshijie、珠宝市通り)は、雰囲気的にはかつて東京にあった闇市的な通りで、 前门大街に並ぶショップと比べると、かなりチープなショップが軒を連ねていた。パッとみた感じは面白そうだが、実際にはどの店も北京の観光地にありがちな既製品ばかりを売っていて、沢山の店が所狭しと並んではいるものの、内容的にはすぐに飽きてしまう感じであった。

 
しばらくブラブラしていると、先ほど 南锣鼓巷の「高級」印鑑ショップに並んでいた龍の印鑑が、とある汚い店の片隅に並べられていた。そもそも日本で発行されているガイドブックによれば、 南锣鼓巷では「北京に在住する若手クリエーター達が個性溢れる商品を売っている」とのことだったから、あの龍の印鑑はスッカリオリジナル品かと思い込んでいたのだが、実際にはチープな既製品であったことが判明した。

 
南锣鼓巷では350元だった龍の印鑑が、この店では250元で売っていた。私が印鑑を手に取るや否や、奥で暇そうに座っていた店主らしきジジイがスッと近寄ってきて、「負けてやるから買わないか。」と言ってきた。私が迷っている素振りを見せると、「彫刻代込みで250元にしてやる。」と言ってきた。しかし印鑑をよく見れば見るほどチープな作りがわかるもんだから、「要らない。」と言って店を出ることにした。すると店主は電卓片手に私の行く手を塞いで、「200元でどうだ。」と言ってきた。それでも高いから、「要らない。」と言って無理矢理通りへ出たのだが、しつこいジジイは電卓片手に通りまで追いかけて来て、「150元でどうだ。これ以上は負けられない。どうだ安いだろう。」と泣きそうな顔で懇願してきた。

 
まぁ、良いモノなら多少高くても買うだろうが、悪いモノはいくら安くても買うつもりなどない。要らない要らない、と再び強く言うと、ジジイは悲しそうな顔をして去って行った。あまりにも貧相なジジイだったので可哀想なことをしたかな、とも思ったが、こういうことはキリがないので情に任せて買うのは止めにしておいた。しかし、350元で売っていたものが150元まで値引きされるとは、一体原価はいくらなのだろうか、などと考えながら歩いた。

 
昼の12時を過ぎていたので、飲食店のポン引きが喧しいくらいだった。とりあえず腹も減ってきたし、暑いし、どこかで休憩したかったので適当に店を選ぶことにした。どこも似たり寄ったりの店だから選ぶのに困ったが、昨日の東直門の店のような、明らかなキチガイ的人相の店員がいるような店だけは避けることにした。
 
商店街の端の方まで歩いたが、結局踵を返して「饺子王(jiaoziwang)」という店に入ることにした。日本では餃子と言えば焼き餃子だが、北京では基本的に餃子と言えば水餃子で、茹でたてアツアツの餃子を酢醤油で食べるのが一般的である。

 
店内には数人の客がいたが、比較的暇そうな店だったので静かで良かった。とりあえず 拍黄瓜(叩ききゅうり)と 水饺(水餃子)を注文した。拍黄瓜は店によって味付けが全く異なるのでどんなもんが出てくるか楽しみにしていたが、私の嫌いな 香醋(xiangcu、中国の伝統的な黒酢)がタップリとかかっていてドン引きした。しかし、残すと店主が包丁を持って追いかけてくるやもしれぬので、嫌々ながらに食べることにした。

 
日本の黒酢ならそんなに臭くないから何て事なく食べられるのだが、香醋はドブ臭いというか、下手をするとオシッ〇のような臭いがするものだから、嗅覚の敏感な私にはとても喜んで食べられるものではなかった。これを全部食べるのは拷問だな、と思いながら半分くらい平らげたところで水餃子が出てきた。これは可もなく不可もなくで問題なく食べられた。しかし、とにかく拍黄瓜が不味い(不味いと言うより臭い)ので、水餃子と拍黄瓜を交互に食べる作戦をとることにした。
 
水餃子を半分くらい平らげたところで、やっとのことで拍黄瓜を完食したのだが、すでに満腹になってしまった。これ以上食べると動けなくなりそうだったが、さっきから店員のババアが横の席で見張っていることによる緊張感も功を奏して、何とか気合で完食した。かつて、地上アナログ時代に12チャンネルでやっていた大食い選手権のキツさがわかった感じがした。1人で15個はさすがに多かった。食べ終わると、店員のババアは立ち上がって隣のテーブルあたりを暇そうにうろつきながら、よく食ったな、という感じでニヤニヤしながらこちらを見ていた。

 
やっと退店出来る、と密かに歓喜しながら「 买单(お会計)!」と叫ぶと、奥から店員らしき若い兄ちゃんが出てきた。2品で43元(約730円)であった。北京での独り飯は高くつくが仕方ない。この店は釣銭もすぐに間違えず持ってきてくれて安心した。外へ出ると、さっきの店員ババアがダルそうにして入口のパイプ椅子に座っていた。

 
食後は 前门大街(前門大通り)を通って、 大栅栏街(dazhalanjie、大柵欄通り)を散策することにした。 前门大街はありきたりの店ばかりで大して面白くなかったので、すぐに 大栅栏街へ行くことにした。ちなみに「 大栅栏街」の「 栅栏(zhalan)」は「柵」の意味で、元々は紫禁城(北京城)内へ盗賊などが侵入しないように設置してあった大きな柵( 大栅栏)が通りの名称の由来になっているらしかった。

 
大栅栏街には清代からの老字号(laozihao、老舗)と、築100年以上の中華的な建造物が沢山集まっている。 同仁堂(tongrentang、薬)、内聯陞(neiliansheng、布靴)、瑞蚨祥(ruifuxiang、絹織物・シルク製品)、張一元(zhangyiyuan、茶)、六必居(liubiju、漬け物)、馬聚源(majuyuan、帽子)などの有名な老舗店の本店があったりするからか、とにかく前门大街よりも観光客が数倍多く、活気があって楽しかった。

 
北京では観光客向けのショッピング街と言えば王府井が有名だが、個人的には 前门の方が中華的な雰囲気を味わえて面白いと思う。王府井はどちらかというと日本を意識したような雰囲気が強く、日本人が行ってもあまり楽しめないという感じがする。ゆえに北京に来たら、まずは 前门へ行くことをおススメする。 前门なら悪趣味なパチモノから、高級なホンモノまでが揃う。

 
しばらく色々な店を見ていたが、酷暑ゆえ、あっという間に日本から持参していた水が尽きてしまった。500mlのペットボトル水を8本持参したのだが、結局2日目が終わらぬうちに飲み干してしまったのであった。出来るだけ北京で売っている水を飲むことは避けたかったが、背に腹は代えられぬので、やむを得ず近くのセブンイレブンを探すことにした。
 
セブンイレブンなら比較的安全な飲料水が手に入るのだが、どうやら 前门周辺にセブンイレブンは無いようだった。これ以上、水を持たずに歩くと確実に熱中症になると思い、とりあえず近くの商店で水を買うことにした。ちなみに、北京ではマトモな 矿泉水(kuangquanshui、ミネラルウォーター)はほとんど売られていない。この商店にも例の如く2種類の濾過水しか置いていなかった。1つは1.5元、もう1つは2元で、一応高い方を1本買った。高い方は 可口可乐(kekoukele、コカ・コーラ)中国の「 冰露(binglu)」で、黄緑のパッケージングは日本で発売されている「いろはす」に似ているが、中身は「 纯净水(chunjingshui、濾過したらしい水)」だから全く似て非なるモノである。味は水道水みたいなモノで美味くはないが、致し方ない。ペットボトル型の浄水器を持ってくれば良かったと後悔した。

 
水を飲んで少し落ち着いたので、中国書店へ行くことにした。中国書店は1952年から営業しているらしいが、中へ入ってみるとそんなに古臭い感じはなかった。正面入口を入ったすぐ左手には、中国の伝統楽器である二胡(erhu)が展示してあった。中国の本屋は日本と違って楽器やら習字用具やら、おもちゃなんかも置いてあるから、見ているだけでも結構面白い。
 
二胡のボディにはニシキヘビの皮が使われていて、実際に見てみると結構キモかった。二胡にはニシキヘビの皮が使われているから、基本的に日本への持ち込みは禁止らしい。そういえば日本の伝統楽器である三味線には猫の皮を使うのがエエらしいが、最近、日本で飼い猫を捕まえて転売していた輩がいたらしい。これからは猫を飼うなら室内飼いにしないといけない。
 
書店に入って店内を一巡りした後、針灸書のコーナーへ行くことにした。本屋自体が小さいので少ししか種類がなかったが、良さそうな本を2冊見つけたので買うことにした。去年出たらしい『 中国针灸技术方法』は89元(約1510円)だったが、かなり実践的に使えそうな内容で買えて良かった。きっと日本の鍼灸学校でこういう本を教科書に使ったら、鍼灸師の教養もUPして、アヤシイ老害に騙されてイン〇キ同然の講習会に出ることはなくなるかもしれない。本は出逢いだから、なるたけ買いたい時に買っておかないと後々後悔するやもしれぬ。日本では浅野周先生が訳した本以外、この類の本が全く出版されていないから、こういう本に出逢えぬ鍼灸師は可哀想だと思う。

 
1冊しか在庫がない、いわばお宝的本をゲット出来て嬉しかったので、本屋を出ると観光などどうでもよくなってしまい、ホテルへ戻ることにした。帰りはユニクロがどんなもんか覗いてみることにしたのだが、ちょっと入ってみると大して日本と変わらんので、すぐに出てしまった。
 
再び前门大街の入口に差し掛かると、小さなリヤカーにて、建物の陰で 哈密瓜(hamigua、ハミウリ)を串刺しにして売っているジジイとババアが目に入った。ハミウリは日本ではほとんど見られないフルーツだが、食べた感じは硬くて甘味の少ないメロンである。ちなみに、「 哈密」とは 新疆ウイグル自治区にある都市名のことで、ハミウリはその都市の名産品らしい。

 
観光客らしき子供が嬉しそうに串刺しのハミウリを頬張っていたが、私はジジイが手を洗わずに、野性味満点な感じでハミウリの皮を剥いて加工している様子を目撃していたゆえ、全く食べたいという気にならなかった。
 
そういえば島根に住んでいた頃、私は近所の某スーパーで売っていた餅が好きで、冬場は毎日のようにその餅を買って食っていた。しかし、ある時、スーパーの入口に併設された臭い便所の前で、餅売りらしきジジババが手を洗う気配もなく素手でその餅を加工している様子を目撃して以来、食べる気が失せてしまった。最近は日本でも屋外イベントの時などに冷やしキュウリと称して、キュウリを串刺しした食いもんが売られていたりするが、あれも衛生状態には気を付けなければいけない。確か最近、それの食中毒がニュースになっていたような気がする。

 
駅前まで戻ると、韓国人のツアー客らしき集団がちょうど地下の改札へ向かって降りているところに遭遇した。信じられぬくらい強引に割り込んでくるババアなどがいたが、10分くらい経ってようやく電車に乗ることが出来た。
 
車内では御尻丸出しの子供を目撃した。これはパンツが破れているとか、ちゃんとしたパンツが買えないくらい貧しいとかいうわけではなく、用を足しやすいよう合理的に作られたパンツらしい。これは北京では見慣れた光景である。以前はこのパンツが流行っていたようだが、最近は日本でオムツを大量に買って持ち帰る中国人も多いから、時勢はオムツ時代に移行しているのかもしれない。中国では稀に車内で放尿させたり、脱糞させるアホ親が未だ存在するらしいが、車内や構内の注意書きに「 严禁拉屎(yanjin lashi、糞するな)」とは書かれていなかった。

 
东直门駅に着くと、しばらく地上へと続くコンコースを歩くことになる。コンコースは東京と同じように駅の一部がビルと合体していて、外に出なくてもビルの商店街へアクセス出来るようになっていた。地下1Fは銀座MALLという東京のパクリみたいなショッピングモールで、週末なのに閑散としていた。最近は吉野家が出来たらしい。他の外資系ファストフードと同様、北京オリジナルのメニューがあるようだったが、餃子の食い過ぎで吐きそうだったので近寄らないよう気を付けた。ちなみに看板に書いてある「 10」とは「10円」ではなく、「10元(約170円)」という意味である。さすがに北京でも10円で飯は食えぬ。

 
地上へ出ると、しばし駅周辺を散策することにした。駅前では露店でアイスや冷たいジュースが売られていて、バカ売れしている様子だった。体感的には40度くらいあるんじゃないかと思えるくらいの暑さで、アイスでも食って体を冷やさないと体温が上昇し過ぎて本当に逝ってしまいそうな気がした。周りをみてもアイスを食いながら歩いている人が多かった。中国人はこんな時「热死了(resile、暑くて死にそう)!」と言うことが多いが、とにかく暑すぎて、言葉を発すること自体が億劫な感じであった。
 
とりあえず私も体を冷やすため、露店でアイスを買うことにした。露店の隅に置かれている縦長の小さな冷凍庫のフタを開け、適当に「老北京」と記されたアイスキャンディーを1本取り出した。どうやら北京ではメジャーなアイスらしい。店頭にいた小太りの店員に値段を聞くと1元だと言うので、ピッタリ渡した。「原汁原味」と書かれていたが、昔の北京のアイスを食ったことがないから、これと言って懐かしい感じもしなかった。味は袋に書かれている通り氷砂糖みたいな味で、日本にはない味だったがスッキリした味で不味くはなかった。

 
东直门駅から 三里屯雅秀服装市場(北京で有名なニセ市場)まで歩いて行こうかと思ったが、とにかく暑いので駅前を徘徊するだけでホテルへ戻ることにした。しかし若干熱中症になりかけていたせいか頭がボーっとしていて、あらぬ方向へ歩いてしまい、危うく迷子になりかけて地獄をみた。遠くに雨雲が見えたので雨が降らぬか心配だったが、何とかなりそうだった。途中でスクーターにノーヘルで3人乗りしているアホを見かけた。これも穴あきパンツと同様、見慣れた光景である。ノーヘルとは言えども、いつかは地獄を見ることであろう。

 
さっきアイスを食ったばかりだったが、道に迷ったせいで無駄に水を飲む量が増えて、あっという間に浄水を飲み干してしまった。最寄りの商店で何か飲み物を買うことにした。あまり飲みたくはなかったが他に飲めそうなモノがなかったので、コーラを買うことにした。2.5元(約43円)であった。

 
ダイエットコークには健康ヲタクの間で有名な毒物、アスパルテームが含まれていると言うが、微量であればすぐに体内で分解されて問題なかろう。コーラなんて滅多に飲まないし、人工甘味料がずっと体内に残留して害を及ぼすとも思えない。ネットでは蟻が全滅した画像をアップしてアスパルテームの害を強調しているブログもあるようだが、そもそも摂取量を考えれば当然の話である。つまり、見上げるほど多量に積まれたアスパルテームを、愚かな蟻のように欲望のまま喰らうならば、どんなに強靭な内臓をもつ生物であろうとも逝ってしまうだろう。要するに、一度に体内に入れる量が問題なのである。
 
商店の前にある日蔭で、しばしコーラを飲みながら休憩することにした。通りを挟んで商店の斜め前には、レンガを積み上げただけな感じの巨大なビルがあり、天変地異で崩壊したら下敷きになってお終いだな、などと妄想しながらチビチビとコーラを飲んだ。そういえば大友克洋の傑作である「童夢」には、左様なビル(団地)が描かれていたような気がする。巨大なビルの1Fにはスーパーが入っているように見えたので、涼みがてら行って何か買おうと思いついた。

 
スーパーの前まで行くと、街路樹に鳥カゴがぶら下げてあるのが見えた。何の鳥かわからなかったが、眺めていると少し暑さを忘れることが出来た。北京では街路樹に鳥カゴをぶら下げている光景が珍しくない。スーパーにはこれと言って面白いモノはなかったが、無理矢理3つ又に分岐させたiPhone用の社外アクセサリーが売っていた。これは確かに中国的な発想の合理的な商品だな、と思ったが、使用中に火を噴いたりしたら困るので買うのは止めておいた。とりあえず、日本でもお馴染みのハリボーでも買うことにした。スーパーの隣には、ドラえもんらしきキャラクターが描かれた看板があった。あまりにも下手くそ過ぎて吹き出しそうになった。

 
ホテルに戻る途中、昨日食ったクソな飯屋の前で、人相の悪いジジイがザリガニの仕込みをしていた。隣にいた観光客らしき女が、大量のザリガニをみて何やら奇声を上げていた。こんなに大量のザリガニはあまり見る機会がないので、こんな店はよ潰れちまえ、と思いつつも写真を撮っておいた。

 
その後はセブンイレブンと超市(chaoshi、スーパーマーケット)に寄って予備の水を買った。途中、ババアの井戸端会議を眺めたり、不動産屋の広告を眺めたりしつつ(北京はやはりバブリーな感じがあるようだ)、のんびりと小休止を挟んで歩き続け、何とか1時間くらいかかってホテルに辿り着いた。もう16時を過ぎていた。

 
手洗いとうがいをした後しばらく休憩して、明日に備えて荷物を整理しておくことにした。JALはエコノミーでもスーツケースは2個までOKなのだが、さすがに北京のガタガタ道で持ち歩くのはキツイので、結局1個にまとめることにした。本は2冊しか買わなかったので、普段より10kgは軽くて済んだがそれでも何やかんやで手荷物のデイパックとスーツケースで25kgを超えてしまった。
 
荷物を整理してひと段落した後、iPhoneを充電しながら日記を書くことにした。狂ったように小1時間ほど今日の出来事を記していると、いつの間にか日が暮れてきた。キリが良いところで止めて、フリーツアー最後の晩餐へ出かけることにした。窓を開けた感じでは、外はかなり涼しくなっているようだった。北京の夏は日中と夜間の気温差が激しく、日が暮れると気温が15度くらい下がるから、日本にいる時よりも随分と過ごしやすい。日中は真夏でも夜は秋になる、という具合だから、昼間暑くても何とか夏を乗り切れる。とりあえずシャワーを浴びて、着替えてから飯を食いに行くことにした。
 
うちに通院していた中国人の某患者さんから、中国の 肯德基(kendeji、ケンタッキー)はスパイスが中華風で美味いと聞いていたので、一度食してみることにした。ホテルから歩いて10分くらい、 北新桥駅前のビルに入っている 肯德基へ行ってみた。店内はまぁまぁ混雑していたので、テイクアウトにしてホテルでゆっくりと食べることにした。メニューは日本と違ってわかりにくかったが、適当に注文した。店員は明らかにやる気のない感じで、カップに入ったペプシを3回くらい袋の中で倒していたので、袋の中にはペプシが少しこぼれていた。何故かペプシが2つ入っていたが、カップホルダーを底に敷いていないもんだから、袋を持ち上げるとカップが傾いて持ち帰るのが大変だった。

 
ホテルへ帰って袋を開けてみると、ストローが入っていなかった。とりあえずポテトから食べてみた。味が全くないなと思ったら、ケチャップの小袋が入っていたので、それにつけて食え、ということらしかった。しかし、ケチャップをつけても異様に不味かった。日本バージョンも不味いが、北京バージョンはそれにも増して不味かった。そして、期待していたチキンを食ってみた。しかし、チキンはポテト以上、超絶に不味くて、全部食うことが出来なかった。チキンは何とも表現し難い味で、味付け云々以前にチキンそのものがヤバい感じだった。全般的にみて、北京市内のファストフードの類は全て不味い。もう二度と北京でファストフードは食べまい、と心に誓った。

*その後、日本に帰って1週間ほどしてから、期限切れの偽装肉事件のニュースを知ることになる。中国国内のマクドナルドやケンタッキーフライドチキン、ピザハットなどへ食肉を納入していた上海の福喜食品が、消費期限を8か月以上過ぎて、変色し異臭を発している古い肉を混ぜた上、消費期限を1年延長した加工肉を出荷していた、と報じられた。私が今回食べたのはチキンだけだから断言は出来ぬが、タイムリーにも偽装肉を食したのかもしれぬ。ケンタッキーも20年くらい前はすごく美味いと思ったものだが、最近は日本でも味が落ちたように思えて残念。

 

不快な食後は、しばし夜の街を徘徊することにした。とりあえず、ホテルから東に出て东直门北小街へ入り、 东直门内大街から 雍和宮大街へ入り、再び 北新桥三条を通ってホテルへ戻ることにした。これらの通りはどこも飲食店が多く立ち並んでいるが、とりわけ 东直门内大街は賑やかである。

 
东直门内大街には“ 东内餐饮一条街”と呼ばれている 簋街(guijie)というグルメストリートがあって、主に麻辣な四川料理を中心とした飯屋が軒を連ねている。実際に数えたわけではないが、ここだけで150軒あまりの飲食店が存在するらしい。また、ほとんどの店が24時間営業らしく、やはり中国はスケールがデカいなと感じさせる。

 
日が暮れた頃になると真っ赤なネオンで食欲を刺激されるためか、ひっきりなしに人が出入りするようになる。もともとここは鬼街(guijie)と呼ばれていたらしい。昔、このあたりは墓場だったとか、死体を運ぶ道だったとか、鬼市という夜市が夜な夜な開催されていて、遠くからその様子をみるとまるで鬼火が揺らめいているようにみえたとか、言われている。その後、鬼という文字が風水的に良くないだとかで、いつしか「鬼(gui、幽霊の意)」という漢字を避けるために、「(gui、神に供える穀物を盛り付ける器の意)」という飲食に関連する同音異義語なら都合が良いと、簋街という呼び名を使うようになったらしい。ちなみに日本だと鬼と言えば鬼を想像するが、中国で鬼と言えば幽霊みたいな存在を想像する。
 
とにかくこの日は日曜だったからか、人出が多く、道は人であふれていた。19時をまわると飲食店の前での客引きが喧しいくらいになり、人気店の店頭では、沢山の客がパイプ椅子に座って入店を待っていた。

 
东直门内大街へ入ると、「 古方洁面(gufang jiemian)」という店があるのが見えた。「 祛痣(quzhi、ホクロ除去)、 祛斑(quban、しみ除去)、 祛疣(quyou、いぼ除去)」を生業とする専門店らしかった。開運、美容、病気予防に良いらしい。フランチャイズで中国全土に270店舗もあるらしいが、確かに北京市内でもたまに見かける店である。どうやってホクロやシミを除去するのか知らぬが、古方と言うからにはレーザーは使わないのだろう。この店のHPの実際に施術した写真を見た限りでは、 起痣针痧针美容火针平头火针などを使っているように思える。この類の針は中国にしか売っていない特殊な針で、 起痣针痧针はいわばメスのような針、 美容火针平头火针は火であぶって使う針である。ちなみに、最近の中国では今更ながらに 古方推拿とか、古方(gufang)が流行しているらしい。

 
ちなみに私はメラノーマが怖いので、2年くらい前に火針を使って30個くらいあるホクロを自分でほとんど取ってしまった。火針は顔にも使えるが、今はレーザーの方が綺麗に取れると思う。イボのようなホクロは、日本なら腕の良い皮膚科医に切除してもらって縫合するほうが綺麗に取れるようだ。ちなみに私の目の近くには年上の女から災難を受けやすいことを暗示するホクロがあるのだが、顔のホクロはまだ除去していないので、近いうち病院にてレーザーを当ててもらうつもりである。とにかく昔から、年上の女からストーカーされたり、変に付きまとわれたりされて敵わんので、はよホクロを除去して悪縁を断ち切りたいと思っている。
 
通りを少し進むと、キャラクターグッズの専門店があった。そこは明らかに違法なコピー商品を売っている感じで、日本には存在しない 轻松熊(qingsongxiong、リッラクマ)のグッズがいくつか売られていた。店へ入ると、店主は子供を抱えながらかったるそうにこちらを見ていて、私が商品の値段を聞いても不愛想に数字を呟くだけで、全く売る気がない感じであった。相場よりも高いし負けてくれないから買うのは止めようかと思ったが、うちのこびとへのお土産を買っていなかったので、妥協して何か買うことにした。

 
中国と言えばパンダだが、実際には観光地のみやげ屋へ行ってもパンダグッズに出会う確率は低く、出会ったとしてもぬいぐるみばかりで面白くないので、観光地で買うよりも街中の商店を漁った方が面白い。知り合いへのお土産は特に面白いものが売っていなくて困ってしまったが、結局セブンイレブンでパンダ柄の袋を買うことにした。日本語と中国語で書かれた怪しい感じのパッケージで、日本には売っていないだろうと密かにほくそ笑んで買ったのだが、帰国してから仙川の某スーパーに完全な日本語で書かれたパッケージの同製品を見つけて少しショックを受けた。

↑中華版表。

↑中華版裏。

↑日本版表。


 
ウェイティングしている客が特に多かったのは 北新桥三条駅近くの「 胡大(huda)」という店で、優に100人は超えるんじゃないかと思えるくらい多くの客で混雑していた。この店だけは待ち人をノートパソコンで管理していて、順番が来ると店頭に備えつけられたデカいスピーカーで呼び出されるようになっていた。今度一度食べに行ってみたい。

 
この店の隣には「蛙蛙叫(wawajiao)」という、看板に蛙の絵が描かれた飯屋があった。「蛙蛙(wawa)」と言うのは要するに擬声語で、動物や子供の鳴き声を表現した、文字通り「ワーワー」という意味の言葉だ。この辺りは四川料理の店ばかりだから、「叫び声を上げるほど辛い」というような意味の屋号なのであろう。
 
一見すると「蛙が叫ぶ」という屋号に見えるから、中国語が解せぬ日本人にとっては、奇妙かつ恐ろしい名前の店に思えるかもしれない。しかも、看板に描かれたキャラクターはコックのコスプレをした愉快な蛙であるから、増々謎が深まるであろう。まさかこの店にはエイリアンの如き蛙型グレイがいて、人間を料理して狂喜するから「 蛙蛙叫」というのであろうか、などと考えてしまうかもしれない。後で調べたら、この店では「 干锅牛蛙」という料理がイチオシなようで、辛い蛙を食わせる店らしい。蛙の脚は鶏肉みたいな味で旨いらしいから、一度は食ってみたいと思うが中々食う気が湧かない。しかも蛙料理は値段が結構高い。

 
北新桥三条
駅を過ぎて、 雍和宮大街から 北新桥三条へ右折すると、雰囲気が繁華街から住宅街へと変わる。住宅街と言っても胡同にあるから、道沿いには昔ながらの飲み屋を兼ねた飯屋が軒を連ねていて、賑やかな感じは変わらない。地元民と観光客が半々くらいな感じで、店頭に並べられたテーブルを囲んでワイワイやっている。特に白人はこういった雰囲気が珍しいのか、とても楽しそうにしているのが傍から見てもよくわかった。和やかでゆったりとした雰囲気を感じながらホテルへと戻った。部屋へ入るとベッドに横たわりながらCCTV(ニュース番組)を見て、眠りについた。

 
 
 

最終日

この日も暑くて早朝に目が覚めた。暑いというより、むしろクーラーのゴーっという、脳を貫くような低音が喧しくて目が覚めたのだった。たまらず窓を開けると、やはり昨晩と同様涼しかった。最初から窓を開けて寝れば良いじゃないかと思ったりもするが、5Fといえどもやはり防犯のために夜中は窓を閉めておく方が安心である。
 

時間は4:30で、外はまだ真っ暗、鈴虫の鳴き声が聞こえていた。しかし鈴虫の鳴き声があまりにも喧しいので、東側の窓を閉めて、また少し眠ることにした。外は少し明るくなってきていた。

 
iPhoneのタイマーがなる前に自然と目が覚めた。時間は6:00ちょうど。とりあえず歯磨きをして、またCCTVを観る。テレビには集団自衛権に反対する日本人のデモ隊が映し出されていて、このことは中国でも注目されている様子だった。しばらくすると、化学肥料の使い過ぎによるfertilizer pollutionが問題になっているとのトピックが取り上げられていた。しかし、メインキャスターの明らかに整形していそうな顔が強烈で、ニュースを観ていてもあまり内容に集中出来なかった。

 
ダラダラとテレビを観ていたが、いつの間にか6:30を過ぎていたので、1階へ降りて飯を食うことにした。日本にいる時のように仕事に追われていないから、時間がゆっくり流れているように感じる。生活リズム的には今流行りのニートとか、自宅警備員と大して変わらないと思われる。
 
食堂の入口にいる服务员に部屋番号を伝えると、皿を持ってお楽しみのエサを漁ることにした。バイキング(ビュッフェ)形式のメニューは昨日とほぼ同じ内容だった。今日は餡入りの春巻きとハミウリなどが追加されていた。とりあえず、昨日食べて美味かった料理と、新たに追加された数種類の料理を食べることにした。

 
基本的に私の朝食はいつも少な目なので、バイキングと言ってもそんなにアホみたいに食べることはない。適当に料理を皿に盛って、一旦テーブルを確保してから飲み物を選ぶことにした。昨日はオレンジジュースを飲んだので、今日はアップルジュース少しと、牛乳を飲むことにした。隣のテーブルには7人くらいの白人の団体がいて、後ろのテーブルにはブラジル人らしき子供の団体が10人くらいで固まって座っていた。

 
昨日飲んだオレンジジュースは中々美味かったのだが、何故かアップルジュースは異様な味がした。何かイケない薬品でも混入しているのではないかと思えるほどの味で、一口飲んで止めにした。飲んでしばらくすると、実際は味よりも臭いがヤバいということがわかった。しばし、この臭いは何だろうかと、私の脳内にある臭いのデータベースを探っていると、1つ、ピタリと当てはまるモノがあった。
 
それは、胡同の所々に点在する、格子状の鉄製のフタから漏れ出ている下水の臭いであった。いや、もしかすると香醋が混入していたのかもしれない。しかし不思議なことに、グラスに注がれたアップルジュースに鼻を近づけても無臭であるのだが、一口飲むや否や、口の中に下水の如き悪臭が拡がるのであった。言うなれば舌で感じる「臭い」なのであるが、もう一度飲んで確かめてみようという気にはならなかった。
 
粳米粥(jingmizhou、うるち米のおかゆ)も何故か不味かったが、ハミウリは去年泊まったホテルで食った時のような変な味はしなかった。牛乳は独特の生臭さがあって、あまり美味いとは思わなかった。中国の乳製品はかなりヤバいという話も聞くので、今後は飲まぬようにしようと決めた。
 
このホテルで用意されている箸はプラスチック製で、滑り止め加工なぞされていないもんだから、昨日と同様ようけ滑って料理を口へ運び難い。普段、箸を使い慣れている日本人が使いにくいわけだから、欧米人はさぞや難儀であろうななどと思って隣のテーブルを見てみたが、何のことはない、白人はフォークを使って食べていた。
 
昨日食べたニラの芽と謎の野菜を炒めた料理がとても美味かったので、服务员(fuwuyuan、店員)の小姐に「これは何か?」と料理を指さして聞いたら、女は素っ気なく「蒜苔(suantai、にんんくの茎)だ」と答えた。そうじゃなくて料理の名前が知りたいんだよ、と言いたかったが止めておいた。まぁ、「この料理名は何か」と聞かぬ私が悪かったのかもしれない。大体、中華料理の名前は使っている素材そのまま(特に炒め物は)のパターンがほとんどなので、姐ちゃんへの質問はそれでお終いにした。餡入りの春巻きは何となく斬新な感じがしたが、すごく美味いという感じでもなかった。
 
食後はレストランの入口にある鳥かごの鳥などを眺めたり、部屋で荷物の整理をしつつ、テレビを観ながら9時までダラダラ過ごすことにした。飛行機の出発は15:20だが、万が一に備えて9時にはチェックアウトして空港へ向かうことにした。
 
部屋を今一度見回して、忘れ物がないか入念に確認してから1Fへ降りた。カウンターへ行って「我要退房(wo yao tuifang、チェックアウトします)」と言うと、受付の姐ちゃんがここにサインしろと2枚の紙を差し出した。サインをして返すと、チェックインの時に渡しておいた100元を返してくれたが、今から部屋をチェックするからしばらくここで待っていろ、と言われた。
 
姐ちゃんがトランシーバーで5Fにいるらしき係員に部屋番号を伝えると、1分くらいで状況確認の返答が来た。上で待機している係員がチェックアウトする客の部屋を随時確認している様子だったが、あまりにも返答が早いので本当にちゃんと確認しているかどうかは怪しかった。私の部屋には色々と買い物した時に出たデカい段ボールがゴミとしていくつか放置してあったが、特に問題ないようだった。一応姐ちゃんに谢谢とお礼を言ってホテルを去った。

 
まだ9時を過ぎたばかりだったが、外に出るとすでにジリジリと紫外線が皮膚を痛めつける感じがした。ホテルから駅までは徒歩10分くらいなのだが、すでに気温が30度を超えていると思しき炎天下を25kg以上もある荷物を抱えて歩いているもんだから、異様に遠く感じた。

 
やっとのことで駅に着くと、地下鉄の入口で荷物検査をしているのが見えた。北京の地下鉄は北京オリンピックが開催された頃から、どの駅でもセキュリティチェックが実施されていて、地下鉄の地上出口付近でチェックしている駅もあれば、地下の自動改札隣でチェックしている駅もある。地下鉄のセキュリティチェックで採用されている機械は空港で使用されているモノと同じようだが、全般的に検査の仕方が甘いのであまり意味がないように思える。
 
セキュリティチェックを受けるため、荷物をベルトコンベアーの上に載せると、係員の姐ちゃんが「你去哪儿?(どこへ行くの?)」と聞いてきた。私が「空港へ行く。」と言うと、「空港線はあっちです。向こう側にある出口から入って下さい。」と言いながら大通りの向こう側にあるE出口を指さした。姐ちゃんは親切なことに、私がスーツケースを持っていることから空港へ行くのだろうと推察して指摘してくれたようだった。
 
东直门駅には地上への出口がA~Eまであって、空港線が出入りしているのはEだけである。E出口では通常の荷物検査に加えて、うちわのような金属探知機によるボディチェックがあった。おそらく、直接空港線に出入り出来る駅だから、少しガードを厳しくしているのだろう、と思った。若い兄ちゃん2人でチェックしていたのだが、お互いにくっちゃべりながら適当にやっている感じだから、全く緊迫した感じがない。「危険物は持っていないか?」と聞いてきたので、「ない。」と答えると、疑う様子もなくスンナリ通してくれた。


 
改札を過ぎ、さらに地下へ降りるとすぐに電車が来た。日曜日の午前中だからかホームにはほとんど人がおらず、スンナリと乗車出来た。しかも 东直门駅は空港線の始発駅であるから、一層ガランとしていてストレスが少なくて良かった。

 
しかし「平和な車内だな。」と思っているのも束の間、1つ目の駅である 三元桥駅(sanyuanqiao)のホームへ電車が滑り込むと、今か今かと電車の扉が開くのを凄まじい形相で待っている集団が目に入った。まだ止まらぬ電車の車内をジッと覗き込み、空いている席を窺う様子は、あたかも荒野に倒れた獲物を狙うハイエナの如き緊張感を醸し出していた。

 
電車が止まりドアが開くや否や、その集団は何かに追われているのか、はたまた憑りつかれているかの如き異常な速度で飛び乗り、空いている席を探し始めた。それは6人くらいの家族らしき集団で、中年夫婦と老年夫婦らしき構成であったが、突如として中年ババアが「あっちへ座れ!こっちが空いてるぞ!」などと叫び出した。中年ババアと中年ジジイが先に座って席を確保する一方で、老年ババアと老年ジジイ2人が席を確保出来ず悔しそうにしていたので、私の席を譲ってやることにした。基本的に中国では、儒教だか道教だかチベット仏教だか知らぬが、そういったモノの影響でジジババを大事にすると聞いていたが、この家族においては実際には座ったもん勝ちの様相であった。やはり13億人以上の人口を抱える中国ではあれくらいの勢いがないと生存してゆけぬのかもしれない。

 
空港線の車内は日本の山陰を走る「やくも」と同様に、4人が向かい合って座るボックス席と左右2列のシートが混在していた。私が座っていた席は隣に誰もいなかったので、私が退くとジジババ2人が座れるはずだった。
 
電車が動き出し、私がさりげなく席を立つと、先に席を確保して譲ろうとしない中年BBAが座った状態で顔を上げながら私の方を指さして、「そこの席が空いたぞ!」とドアの前で立ち尽くしていたジジババへ向かって叫んだ。すると、ジジババは絶望が希望に変わったかの如き様子で顔を紅潮させ、私が座っていた席の確保を急いだ。他の乗客はその家族のやり取りに圧倒されていたゆえか、誰とも争う様子もなく、ジジババが席を確保して一件落着した。
 
空港線は時速95㌔程度で走行するが、空港までの線路はほぼストレートなので、スーツケースを手放しで放置しておいても、倒れたり転がったりすることはほとんどない。運転も比較的良好で車体の揺れも少ないから、運転の荒い東京のJR南B線や、暴走が得意な小田Qバス(吉祥寺通りを歩くと毎日のように轢かれそうになる)に乗っているよりも遥かに快適である。空港へは30分足らずで到着した。

 
まだ10:30過ぎだから時間に余裕があり過ぎとも思えるが、何が起こるかわからぬ中国ではこのくらい余裕を持っていた方が安心である。とは言え、やはり4時間も空港で待つのは地獄である。チェックインカウンターが開くのは14:30過ぎだろうから、とにかく適当に時間を潰さねばならない。しかし北京空港内はベンチが少なく、ゆったりと休むには飲食店に入るしかない。

 
とりあえず、COSTA COFFEEで休むことにした。幸い席はいくつか空いていた。とりあえず 新冰拿铁(xinbing natie、アイスカフェラテ)の 中杯(zhongbei、ミディアム)を注文したのだが、「 糖浆(tangjiang、シロップ)を入れるか?」と店員が聞いてきた。入れるに決まっているから、「要る」と言うと何の説明もなく、ポチッと5元が加算された。このシステムは、駐車場に入る時はゲートでチケットも何も渡さないくせに、出口でいきなりバーを下して1000円払えと通せんぼする東京立川の大手家具屋のI〇EAと大差ないように思えた。

 
このカフェではアイスカフェラテ単品が33元(約560円)で、シロップが5元(約85円)だからスタバよりも高かった。これはボッタクリだなと思ったが、砂糖の入っていないカフェラテは飲みたくないので妥協した。まぁシロップは有料でも構わないが、1つで5元も徴収するのはかなりのボッタクリである。日本円で85円ならそんなに高くないと感じるセレブもいるだろうが、中国元の感覚からすると異常なくらい高い。最近の北京は局地的に異常なほどのインフレがある様子で、成金と庶民の差はどんどん拡大しているような気がする。
 
堂吃(tangchi、合計)38元を払うと、レジの右側で待っていろと言われた。スタバとほとんど同じスタイルで、しばし待つとカフェラテが出てきた。店員がカップにストローを刺しながら、不愛想に「 夹杂(jiaza)」だか「 搅拌(jiaoban)」と言ったが声が小さくて良く聞き取れなかったが、とりあえず「自分で掻き混ぜろ」というようなことを言っているようだった。

 
まだカウンターに荷物を預ける前で、大きなリュックサックとスーツケースを抱えていたので、なるべく荷物が邪魔にならない席を選ぶことにした。とりあえず人間観察出来るよう、入口が眺められる側の椅子に座った。さすがにこの店で4時間過ごすのは地獄なので、しばらく休んだら別の場所へ移動すると決めて、1時間ばかしは人間観察をしつつ、狂ったように日記でも書くことにした。
 
北京空港はチェックインして保安検査場を通過しないと無料で座れる場所が少ないので、こうやってカフェで過ごすのが無難である。しかし時にはどこも座れないくらい空港が混雑することもあるから、座って休めるのは幸運である。ちなみに、つい先日、プライオリティパスがあれば北京空港でもラウンジを利用出来ることを知ったので、次回からはラウンジでマッタリと休むつもりである。
 
しばらくマッタリしていると、明らかにK国人らしきカップルが入店してきた。しかし驚いたことに、彼らは明らかに下品な香水臭を撒き散らしながら、デカいカート押しながら堂々と乗り込んでくるのだった。このカフェの通路はやっと人がすれ違えるくらいの幅しかなく、スーツケースを4台くらい積めるバカでかいカートを伴って入店すれば、明らかに通路が塞がれることは想像するに容易いのだが、全く控えめにする素振りなど無いようだった。それはあたかも日本のS根県の固有領土であるT島へ勝手に上陸して、「これは我が国の領土である!」と根拠なく叫ぶK国人そのものを体現しているように思えた。
 
さらに驚愕したことに、彼らはそのカートを先客が座っているテーブルを塞ぐように置いたのだった。「てめぇ、そこにカートを置いたら隣の客が出れねぇじゃねえか!」と江戸弁でツッコミそうになったが、彼らには正しき日本語が理解出来ないと思われたので止めておいた。しかし2分くらいすると店員が飛んできて、「カートは店内へ入れないでくれ」と中国語で面倒くさそうに注意していた。アホカップルが大人しくカートを店外へ出すと、隣の席に座っていた中国人らしき姐ちゃんは安心した素振りを見せた。
 
世界中の観光客が集まるこのカフェでは色々な国民性を観察出来て面白いな、などと思っているのも束の間、今度は明らかにC国人なババアの集団が、再びカートを先頭にして店内へ突進してきた。これは新手の営業妨害だろうか、などと思いながら眺めていると、またさっきの店員がぶっ飛んできて、カートを外へ出すように促すと、ババアはしぶしぶ従ったようだった。最近は日本でもマナーも節度もないDQNが増えているのは、やはり何らかの原因があるのだろう。もはや彼らの全てを更生させることは不可能かもしれない。北京はただでさえ注意書きが多いのに、この店でもそのうち「カートは店内へ入れないで下さい」みたいな張り紙が必要になるかもしれない。
 
カフェの店内を見回すと、K国人やC国人の他、インド系、ブラジル系、アフリカ系、アメリカ系の客が座っていて、おおよそのコーケイジョン、アフリカンアメリカン、モンゴロイド全てが集まっているようだった。今朝のCCTVでは中国の農作物の汚染が問題になっていると騒いでいたが、大気汚染が最悪な状況にあっても、食品が汚染されていても、実際には北京への観光客はそんなに減っていないように思えた。日本のメディアは北京への観光客は8割も減ったと報道していたが、確かに日本人は減っている感じはするが、お上りさん的中国人観光客や白人系の観光客はあまり減っていないように思えた。特に中国国内では報道規制が厳しいから、地方の中国人は何も知らないのかもしれないなどと考えた。
 
カフェラテを飲みながら耳を澄ましていると、様々な外国語が耳に飛び込んでくる。北京にいる時はなるべく中国語を拾うようにしてヒアリングの勉強に努めたりするのだが、やはり日本にいるよりも中国語を聞く機会が増えるわけで、自然とヒアリング能力も向上してくるような気がする。1年も北京に住んでいたらペラペラになりそうだが、仕事があるのでそういうわけにもゆかぬ。
 
そういえば、日本の鍼灸界では中国語会話さえ出来ないという人が中国語の針灸書を翻訳していると聞いたが、全く信じがたい話である。通常、外国語は日常会話から徐々に勉強して、ある程度上達してから翻訳が可能になったりするわけだが、会話が全く出来ない状態をすっ飛ばして自称翻訳の大家になるという話は俄かには信じがたいのであるが、実際にそうなってしまっているらしいから、今の日本の鍼灸界は本当に恐ろしい。
 
鍼灸書の古典の現代語訳にしたって、実際には編集者が校正するとは言ってもたかが知れているだろうし、古典を精読出来る編集者が翻訳者につくことなど稀であろうから、出版される本に誤訳があっても気が付く者などいないのが実情であろう。ゆえに、しっかりと古典や中国の針灸書を読みたければ自分で直接原書にあたるべきで、それなりに原書を読み解く能力を個々人で鍛えてゆくべきだと思うのだが、最近の日本の鍼灸師にはそんな発想さえ浮かんでこないらしい。
 
ちなみに中国では医古文の教科書が何種類も出版されていて、医古文専門の授業もあるらしいが、日本の医学部にも鍼灸学校にもそんな授業は存在しないから、原書を読みたければ独学するしかない。私の師である浅野周先生は、中国語を習得するにあたって数冊の辞書をボロボロになるまで使ったと言っていたが、私もそれくらいの気概を持たねばならぬと常々自戒しながら勉強しているつもりである。
 
翻訳というモノは鍼灸界に関わらず誤訳が多いようで、映画やライブDVDの翻訳字幕、洋楽の歌詞の翻訳なぞを鑑みても、しばしば糞以下の翻訳に出会ったりして、他人の翻訳が信用出来なくなったりする。元々の意味とは全くかけ離れた翻訳に出会うと憤慨しそうになるが、もはやどうにも出来ないから放置しておくしかない。ちなみに、師である浅野周先生が翻訳している針灸書はちゃんと原書に忠実に翻訳されているから、安心して読むことが出来る。たまに編集者の見落とし的な誤字があったりするが、私は実際に校正させてもらったり、原書と照合して読んだりしているので信用している。
 
そんなこともあって、私は洋画を日本語吹き替えで観るという人種を理解出来ぬ人で、あらゆる作品は可能な限りオリジナルの言語で触れ合うようにしている。それがオリジナルの作品を最低限、正確に楽しむための術であり、作者への最低限の敬意でもあると思ったりしているのである。洋画の翻訳で有名な日本の某女史は、英会話はほとんど出来ない上に、邦訳した字幕も誤訳ばかりであるとネットで叩かれているが、確かに私もあの人の訳には不快な違和感を感じていたのだった。最近スカパーで観ているザ・シンプソンズの日本語字幕もかなり酷いが、あまりツッコミを入れる人もいないようである。
 
ま、こういうカタイ話はどうでも良いですかな。ちなみに中国の映画、ドラマの類は、そのほとんどが声優による吹き替えらしい。つまり、実際に出演している人の声は聞けないようになっていることが多い。あれは出演者の方言を包み隠して普通话(putonghua、中国の共通言語)で都合よく仕立て上げるための工夫らしいが、真相はわからぬ。
 
何だかんだ思ったことを殴り書きしていると、あっという間に1時間が経っていた。私は集中すると飲まず食わずで作業に没頭するタイプなので、過ごし方によっては光陰矢の如し的な1日になったりすることがよくある。クーラーが効き過ぎていて寒くなってきたので、カフェを出て空港内を徘徊することにした。空港内唯一の書店に入ってみたが、大して面白いモノはなかった。

 
空港の最北端へ移動すると、ほとんど人がおらず、空きベンチが目立っていた。奥の方では仲間とトランプをして楽しんでいる人や、ベンチを独占して眠っている人がいた。ベンチでは特にやることもないので横になって、北京の地図に書かれている解説を事細かに読んだりして2時間をやり過ごした。しかし、ずっとベンチにいるのもしんどいので、少し早かったが13時にチェックインカウンターへ行くことにした。まだカウンターが開くまで時間があったので、しばらくはカウンターの前で座って待つことにした。飛行機が出るのが15:20だから、あと20分くらいの辛抱である。

 
チェックインカウンターではANAが先に搭乗手続きを行っていた。ANAに乗る人々がチェックインする様子を眺めながら、しばらくボーっと座っていると、いきなり中国人の少女が目の前を塞ぐように立って、「スーツケースに付けるベルトを買わないか?」とつっけんどんに聞いてきた。何かに追われるように、挙動不審かつ早口でまくし立てるように聞いてきたのだが、私が全く動じる素振りを見せずにゆっくりと首を横に振ると、少女は次の獲物を狙うかの如き様子で何も言わずプイッという感じで去っていった。

 
そもそもスーツケースに付けるベルトを売り歩くこと自体が怪しいのだが、少女が持っているベルトにはタグが付いているわけでもなく、包装も一切なされてないし、何より商品であるベルトは輪ゴムで束ねられただけで無造作に紙袋に入れられているのが見えたから、これは確実に怪しいと思ったのだった。
 
実際、私は去年、ほぼ新品のベルトをスーツケースに付けた状態で北京入りしたのであるが、入国審査が終わって荷物を受け取ってみると、成田空港で預けた時に付いていたはずのベルトが無くなっていた。まぁ成田空港で盗られた可能性もあるわけだが、ああいう少女がいるのを目の当たりにすると、やはり北京空港の職員が盗品を横流ししていたり、職員自体が密かに売っているのではないかと勘繰ってしまう。
 
海外へ旅行し慣れた人によれば、スーツケース用のベルトを付けて東南アジアへ行くと空港で荷物を預けた際にパクられることが多いと言うが、やはり北京でも実際にそんなことがあるのかもしれない。食肉を偽装したり、下水から油を取って売り歩くような実例を鑑みると、やはり本来の日本人にはない国民性というか、DNAに染みついたような拭い去れぬ気質みたいなもんが実在するのかもしれない。いや、日本も貧しかった頃はそんな気質があったやも知れぬ。そんなことを考えながら、足早に立ち去る少女の後姿を眺めた。日頃豊かかつ平和な日本でボケている日本人は狩られないように注意せねばなるまい。
 
そんなちょっとした事件があってから、待ちに待ったチェックインの時間がやってきた。スーツケースは規定内、手荷物は明らかに大きさがオーバーしていたが何も言われなかった。JALの添乗員は中国人がいたりするが、日本式の教育を受けているからか、とても対応が良かった。何事もなくチェックインを終え、安心したところで腹が減ってきたので、COSTA COFFEEの上にある飯屋を覗いてみることにした。

 
2Fに上がると、すぐ正面に中華料理屋があり、まずは店頭に置いてあったメニューをペラペラとめくってみた。隣に突っ立っていた女性店員は、どうせこの客もメニューだけ見て消えるんだろう、的な雰囲気をプンプンさせていたし、店内はガラガラだったので、この店は避けることにした。私がメニューを見るのを止めて店頭を離れるや否や、そのブサイクな店員は嫌がらせのようにメニューのページを大げさにめくって、自分の決めたページに開き直していた。

 
アホな中華屋の隣には、泰辣椒(tailajiao)という飯屋があった。店の名前からすると泰国菜(taiguocai、タイ料理)だろうと思ったが、実際には看板に「亚洲风味餐厅(yazhou fengwei canting、アジアンレストラン)」と記されていた通り、アジアンテイストなメニューが並んでいた。この店は北京市内に3店舗あるチェーン店の1つらしい。隣の中華屋とは違って、店頭に立っている店員らしき姐ちゃんは「欢迎光临(いらっしゃいませ)」と客が通る度に叫んでいた。他にはロクな店がないのは知っていたので、今まで入ったことがないこの店に入ってみることにした。
 
適当に席につくと、すぐに不愛想な店員がメニューを持ってきた。色々美味そうなのがあったが、とりあえず咸鱼鸡肉炒饭(xianyu jirou chaofan、干魚と鶏肉の炒飯)と鲜榨香瓜汁(xianzha xiangguazhi、生絞りメロンジュース)を頼んだ。すると、店員は先払いだから炒飯代48元とジュース代21元の合計69元を先によこせ、と言ってきた。何とも横柄な態度の女だった。どうも飯屋にはこういうタイプの中国人女が多いように思える。
 
財布に細かい金がなかったので100元札を手渡すと、女は札を奪い取るようにして足早に去って行った。ちなみに、中国では结账(jiezhang、お勘定)する時は、「服务员!买单!(店員さん!会計して!)」と叫んで、座ったままテーブルで会計を済ませるのが一般的だ。しかし、先払いか後払いかは店に入ってみないとわからないから困る。
 
10分ほど待つと、注文した飯が出てきた。しかし、なぜか鲜榨西瓜汁(xianzha xiguazhi、生絞りスイカジュース)が出てきた。アホでもわかるようにメニューの写真を指さして「メロンジュースをくれ」と言ったのに、店員は私の予想を遥かに超越したアホだったようだ。まぁスイカジュースも美味そうだったので、訂正するのは止めておいた。
 
飯を食いながら、しばらく待っても釣銭が返ってこないので、近くのテーブルを片付けていた店員に文句を言うと、レジにいたババアがすっかり忘れていたという感じでかったるそうにして釣銭を持ってきた。当然、謝罪の言葉など一切ないし、投げつけるようにして釣銭を渡してきた。日本でこんな対応をされたら当然キレるだろうが、中国ではどいつもこいつもそんな調子だから、いい加減こちらも慣れてきて何とも思わなくなるから不思議である。しばらく滞在していると、中国人のサービスに対する諦観の念が強くなるからかもしれない。釣銭を返さないとか、釣銭を間違って渡すとか、注文した飯を持ってこないなんてことは北京においては日常茶飯事だから、サラから中国語を勉強する場合は、まずはそういうケースに関する言葉から覚えなければ、非常に悔しい思いをすることが多くなる。

 
咸鱼はいわゆる腌制食品(yanzhishipin、漬け物やハム、干物などの加工食品)の1つで、塩漬けにした後、天日干した魚のことらしい。「(xian)」とは「」の簡体字で、日本語で言えば「塩辛い」と言う意味である。この炒飯は日本で言う干物みたいな魚を刻んで混ぜているのだと思うが、実際は知らぬ。ちなみに、中国には「南甜北咸」という言葉があって、日本と同様北方の人は塩辛いものを好み、南方の人は甘いものを好む傾向にあるらしい。これはきっと気候によるものなのだろう。腌制食品の取り過ぎは癌を誘発すると中国では騒がれているようだがが、最近は日本でも加工食品はヤバいと言われているし、実際に添加物などもヤバそうだから私はなるべく控えるようにしている。炒飯の味はまぁまぁだったが、チェーン店だからか、何となく冷凍食品的な味がした。まぁ、不味いファストフードばかりしか集まっていない北京空港においては、まだマシな方かもしれない。
 
のんびり飯を食ってから店を出ると、すでに搭乗手続きが始まっていることに気が付いた。荷物を預けた後は出国手続きと保安検査があるのをスッカリ忘れていたのだった。運良く出国審査は空いていたが、保安検査は少し混んでいた。
 
しかし、これなら何とか間に合いそうだとホッとしたのも束の間、なぜか私の立っているラインだけが渋滞し始めた。前方を見てみると、紅いパスポートを持った日本人のジジイが、嫌がらせのようにのんびりと手荷物をカゴに入れていたのだった。まるで、スローモーションの動画を観ているのかと錯覚させるような恐ろしく鈍い動きで、ジジイは迷惑を顧みずマイペースに荷物を出していた。パーキンソン病など動きが緩慢になってしまうような疾患を抱えているのであれば仕方がないとも思うが、ジジイは明らかな健常者で、周りの人のイライラをほくそ笑むかのようにしていたので危うくキレそうになった。
 
ジジイの向こう側にはすでに空港職員が私の名前を書いたプレートを掲げて、焦った様子で立っていた。結局、シビレを切らし、ジジイの愚行を見かねたと思しき空港職員は、ウンコ同然ジジイを押しのけて、私の荷物を優先して通してくれたのだった。
 
やっとのことで保安検査場を出ると、空港職員の姐ちゃんが電動カートに乗って待機してくれていて、はよ乗りなさい、という感じでジェスチャーを出した。姐ちゃんは慣れた感じで、プップーとクラクションを鳴らしながら、人混みを上手くかき分けて走ってくれたのだった。成田行きの搭乗口は空港内とは言っても僻地にあるから、歩いていたら遅れていたかもしれない。電動カートに乗せてもらったおかげで、あっという間に搭乗口に着いた。カートから降りる時にお礼を言うと、姐ちゃんは映画のヒーローの如きクールさを醸し出しつつ、「不客气(bukeqi、どういたしまして)」と呟いてさわやかに去って行った。
 
すでに他の乗客の搭乗は終了していて、私だけが搭乗していないようだった。申し訳ないなと思いながら機内へ入ると、数人の客から嫌な視線を浴びた。予想通り、自分の座席の上の荷物BOXは先客に占領されて満杯だったので、CAに空いてるBOXを見つけてもらって何とか荷物を収めることが出来た。私の搭乗が遅れたものの、飛行機は無事定時で出発した。(終)
 


 
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