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鍼灸師向け資料

 
*以下の資料は2010年の春に当院長が作成し、講習会で配布したものです。以下の内容は参考程度に留め、各自で慎重に判断した上で施術して下さい。

 

 日本では刺鍼事故が起こっても、その後詳しく事故を検証したり、事故データを集積するということがほとんどない。それゆえ、また同じような刺鍼事故が繰り返される。一方、鍼灸の本場中国では、半世紀近く前から多くの刺鍼事故がプロファイリングされ、多くの刺鍼事故に関する本が出版され、事故の再発防止に役立てられている。日本鍼灸界の保守的な体質を鑑みると、まだまだ中国のようになることは難しいだろう。それならば、賢明な鍼灸師たちが先陣を切って、刺鍼事故を起こさないためには何をしなければならないのかを真剣に考え、行動に移せば良い。
 鍼灸は真の医療ではなく「代替医療」とか「民間治療」であるとか揶揄されている現状を打開し、世間の信用を取り戻し、一人でも多くの患者を治し、国民全体のQOLを向上させようと願うのであれば、まず、事故を起こさないように努め、堅実に治療してゆくことが必要になる。そこで、我が師匠である淺野周先生が翻訳した刺鍼事故の本を参考にしつつ、私が実際に臨床で得た経験を共有できるよう、この資料をまとめた。この資料が諸賢における何らかの良き発端となり、日本の鍼灸界において新たな潮流が生み出されんことを切に願っている。
 

        2010年 卯月丁未日  院長 記

 
~もくじ~

 
《刺鍼事故防止のための諸項目》
①頚部への刺鍼
②神経への刺鍼
③鍼罐法
④刺鍼事故による外傷性気胸の症状
⑤幼児への刺鍼
⑥注意すべき患者
⑦置鍼中の注意
⑧通電(パルス)刺鍼
⑨刺鍼事故防止のための傾向と対策
⑩関節腔内への刺鍼
⑪暈鍼
⑫滞鍼
⑬折鍼
⑭弯鍼
⑮妊婦への刺鍼
⑯抜鍼の方法及び抜鍼後の注意点
⑰高血圧患者への刺鍼
⑱耳鍼
⑲頭鍼
 
《感染予防について》
①事前消毒の徹底 
②鍼および治療器具の管理
③院内感染の予防(モノから人への感染を防ぐ)
④院内感染の予防(人から人への感染を防ぐ)
⑤その他の注意事項
 
《古典にみられる刺鍼の諸注意》

①『霊枢・九鍼十二原』
②『霊枢・官鍼』
③『霊枢・終始』
④『霊枢・五禁』
⑤『素問・刺禁論』
 
《刺鍼により事故および死亡例が報告されている経穴》
⒈脳幹周辺          4.肝臓周辺
⒉心臓周辺          5.胆嚢周辺
⒊肺周辺           6.胃腸周辺
⒎腎臓周辺          8.視覚器周辺
 
《特に注意したい経穴》
○1風府               ○30気戸
○2風岩               ○31新扶突
○3大椎               ○32肩井
○4瘂門               ○33鳩尾
○5風池               ○34梁門
○6翳明               ○35人迎
○7内関               ○36水突
○8列缺               ○37気舎
○9曲池               ○38章門
○10足三里              ○39曲沢
○11環跳               ○40神門
○12神封               ○41中脘
○13神蔵               ○42日月
○14兪府               ○43睛明
○15食竇               ○44承泣
○16輒筋               ○45球後
○17大包               ○46陽谿
○18庫房               ○47四縫
○19天谿               ○48小海
○20肺兪               ○49人中
○21夾脊               ○50翳風              
○22心兪              
○23定喘
○24膏肓
○25膈関
○26魂門
○27大杼
○28膈兪
○29天突


 

《刺鍼事故防止のための諸項目》

刺鍼事故が起こる原因として、主に以下の3点が挙げられる。

1.解剖学的知識の不足
2.衛生管理の不徹底(器具滅菌および手指消毒、施術部消毒の不徹底)
3.無鉄砲な施術(overdose)

 
また、刺鍼による主な事故を挙げる。

1.心疾患:心内膜炎、心タンポナーデ(先天性心疾患があったり、心臓に人口弁をつけている場合などはリスクが高まる。ノルウェーとイギリスでは耳鍼で心内膜炎が発症したという実例がある。心内膜症の発症素因がある患者は易感染の傾向にあるので、皮内鍼や円皮鍼を長期間放置しておくと、菌血症や敗血症を発症し、死亡する可能性がある)
2.肺疾患:外傷性気胸
3.感染性疾患:肝炎、軟骨膜炎、敗血症(黄色ブドウ球菌感染)、感染性脊髄炎(黄色ブドウ球菌感染)
4.神経性疾患:脊髄損傷、脊髄横断障害、てんかん大発作、神経根損傷(折鍼による)
5.血管性疾患:硬膜外血腫、血栓性静脈炎
6・外傷性疾患:骨折、脱臼(通電刺鍼による)
7.その他:ペースメーカーの作動停止(通電刺鍼による電磁波の干渉)、折鍼放置による臓器損傷(血管の中を鍼が走行し、心臓を損傷)、本態性低血圧の発症(風池への刺鍼で発症)、先天性骨形成不全や退行性変性などにより骨に穴が開いており、そこから鍼尖が入り込み臓器を損傷(先天性胸骨孔、先天性肩甲骨孔など)、外傷性気胸で続発した低酸素脳症など。

 
①頚部への刺鍼
頚部に集まる風府、風池、瘂門、大椎、安眠、翳明などは他の経穴に比べ、著しい治療効果がある。しかし、その深部には大後頭孔が開口しており、刺入深度、刺入角度を怠ると鍼が脳幹まで達し、患者に死をもたらすことになりかねない。これらの経穴は成功と失敗が紙一重であり、一歩間違えれば術者も患者も奈落の底へと突き落とされる可能性がある。解剖学的な脈管・神経の走行経路を熟知したうえで、慎重かつ高度な刺鍼操作が必要とされる部位である。
 
②神経への刺鍼
中国では、たとえ神経線維を刺し貫いたとしても、その瞬間に強い反応が起こるだけで、神経損傷の後遺症が残ることはほとんどない、と言われている。『刺鍼事故』の著者である劉氏は、穴位注射(経穴に施す薬物注射のこと。)の際に適切な薬物を選択しないと神経の損傷が起こる、と指摘している。劉氏が検証した限りでは、パルス鍼や結紮(けっさつ、埋線療法のひとつ。羊腸線を、筋繊維をに巻きつけるようにして、皮下に埋め込む刺鍼法のこと)、弾撥(だんぱつ)などを行っても、神経を損傷するケースは見られなかったという。しかし、毫鍼でも過度の刺激を加えて神経損傷に至った例が報告されているので、解剖学的な神経の走行を完全に理解した上で、出来るだけ神経、特に神経幹や神経節には刺さないようにする。中国の実例では、患者が触電感が訴えているのにもかかわらず強刺激を続け、神経損傷に至るケースがあった。刺鍼中、激痛や電触感があったり、急に感覚が無くなったときは、大きな神経を損傷する可能性があるので、すぐに抜鍼する。刺鍼中に軽い触電感があった穴位はそのまま刺しておいても問題ないことが多いが、基本的には刺鍼部位を変更するのが望ましい(*特に初診患者においては、迷走神経反射が起こらないように気をつけること)。極めて稀ではあるが、神経を損傷すると痺れや痛みが長期間残ったり、一時的に痛覚および知覚の消失がみられることがある。神経は修復速度が非常に遅いので、回復までに時間がかかる。ゆえに、全身の神経の分布状態を熟知しておかなければならないのである。
 
③鍼罐法(しんかんほう)
鍼罐とは、いわゆる吸玉と置鍼を組み合わせた手技で、抜罐(ばっかん)のひとつである。やり方としては、まず刺鍼し、その部位にアルコールランプなどで真空状態にしたカップ、罐(吸玉)を被せる。被せる際に罐の底で鍼を押し込まないように注意する。基本的には胸背部には行わない方が良い。気胸の危険性があるからである。抜罐は圧力で鍼穴を広げるため、置鍼された鍼は向きや深度に変化が起こり易い。ゆえに、胸背部では特に危険が伴うのである。また、カップが不衛生であったり、カッピングの時間が長すぎると皮膚に水泡ができたり、感染する可能性があるため、基本的にはおすすめできない刺鍼法である。中国ではディスポの三稜針がすでに市販されているが、現状、日本には存在しないし、そもそも、刺絡と呼ばれる行為は瀉血療法との線引きが曖昧で、法律的にはグレーゾーンであるからおすすめできない。
 
④刺鍼事故による外傷性気胸の症状
突然の咳嗽、胸痛、息切れ、動悸などを訴える。ひどいと、呼吸困難、チアノーゼ、冷汗、失神、頻脈、血圧低下などのショック症状がみられる。患者の胸部を打鍼すると過度に反響し、呼吸音が低下したり、消失したり、気管が健側にずれたりする。半仰臥位(少し頭部を挙上させた状態で仰向けに寝かせる)で安静にさせる。少量の気体が胸腔に入っただけならば、すぐに気体が自然に吸収され、完治することがある。だが、確実に気胸の疑いがある時や、患者に明らかな異常を感じた時は、早急に救急車を手配し、患者を病院に搬送するべきである数時間してから胸痛や呼吸困難が起こることもある。そのため、危険な鍼を行わないことは大前提であるが、刺鍼事故の疑いがある場合は、患者をしばらく寝かせ、様子を観てから帰すということも必要である。胸背部に刺鍼する場合は斜刺や横刺し、長時間の置鍼はしない。やせ型患者の胸部の真皮層から肺までの深さは8mm以下であるというデータもある。基本的にはどんな形であれ、胸部への刺鍼は避けた方が良い。どうしても必要な場合は、短い皮内鍼や円皮鍼、梅花鍼などを活用すべきである。
 
⑤幼児への刺鍼
基本的に幼児には刺鍼は行わず、ローラー鍼や提鍼を使う。刺鍼する場合は軽刺速抜し、置鍼してはならない。また、頭部は刺鍼しない方が良い。特に大泉門や大後頭孔付近には刺鍼してはならない。幼児には、度々、予期せぬ体動がみられるため、基本的に刺鍼しない。
 
⑥注意すべき患者
高齢の患者、衰弱した患者、精神が興奮状態にある患者、泥酔している患者、妊婦には慎重に刺鍼するか、刺鍼しないようにする。特に、止血機構に何らかの異常があり、刺鍼によって皮下・粘膜下・関節内などで紫斑が出来やすい患者には、細心の注意が必要である。例えば、血液凝固因子が欠損・活性低下している患者(血友病、ビタミンK欠乏症、肝疾患、凝固因子欠乏症など)や、血管性・血小板性素因による出血傾向がある患者(血管性紫斑病、特発性血小板減少紫斑病、先天性血小板機能異常、再生不良性貧血、白血病、骨髄異形成症候群など)には、刺鍼しないようにする。よって、予め患者の問診を徹底しておく事は、非常に重要である。次項の《古典にみられる刺鍼の諸注意》も要参照。
 
⑦置鍼中の注意
鍼を刺入した後は、患者から注意をそらさないようにする。また、鍼を押さえたり、何かをぶつけたり、その他の刺激は出来るだけ加えない。刺鍼部位にタオルを掛けてはならない。なぜなら、タオルの重みで鍼が予期せぬ深度まで沈み込んだり、タオルをめくった時に鍼柄部(特に中国鍼)がタオルに絡みつく可能性などがあるからだ。最悪の場合は、鍼体全てが沈み込み、患者の突然の体動で折鍼したり、タオルに鍼が絡みついたまま気がつかないケースがある。留針中は患者にはなるべく動かないように指導する。抜鍼した後は、患者を横にしてしばらく休憩させ、無事であることを確認してから帰す。回転効率を重視しすぎるあまりに、術後の休憩時間を設けず、患者をすぐに起き上がらせ、帰そうとするのは危険であり、治療効果を低減させる。特に、初診患者においては、次の患者の予約時間などを考慮してスケジュールを組み、ゆっくりと休憩して帰ることが出来るような細やかな配慮も必要である。そのため、休憩用のベッドを確保しておいたり、休憩室を広めにとるなどの処置が重要である。
*初診で過緊張にあった患者や多汗症の患者は、術前術後に喉の渇きを訴えることがあり、血液濃度の上昇による血栓や低血糖による迷走神経反射を予防するため、院内には清潔な飲料水や飴などを用意しておくことが望ましい。サーバー水などを設置する場合は小まめな点検と清掃が必要である。コップやストローなどは当然ながら使い捨てとすること。飴はアレルギー物質を含まないもので、喉に詰まることが無いよう、小さめのものを選ぶと良い。
 
⑧通電(パルス)刺鍼
中国では、通電刺鍼により、骨折、脱臼を起こした例がある。いずれも電流の出力が強すぎたため、痙攣が激しく起こり、結果として骨折、脱臼を引き起こした。患者が骨粗鬆症であったり、筋肉がひどく硬直しているような場合は、なるべく通電しない方が良い。また、通電する場合は、まず出力のスイッチが0になっているかをしっかりと確かめ、電流量は少しずつ増やしてゆくようにする。患者の反応が無いからといって、急に出力を上げると、上記のような事故を起こしかねない。日本の実例では、デマンド型ペースメーカーを装着した女性患者に鍼通電を行った際、ペースメーカーが完全に停止したとの報告がある。したがって、ペースメーカーを装着した患者への通電刺鍼も絶対に行ってはならない。
 
⑨刺鍼事故防止のための傾向と対策
『刺鍼事故』の著者、劉氏は刺鍼で失敗する原因について、3つ挙げている。まず、第1に術者が無責任なこと、第2に刺入深度が深すぎること、第3に刺激量が強すぎることである。また、最も事故の多い後頚部の諸穴は、病状や患者によって選穴するもので、刺鍼しなくても何とかできるならば刺鍼しない方がよく、絶対に無理をして刺鍼してはならない、とも指摘している。以下は氏がまとめた注意事項を元に、私が改めて加筆・修正を加えたものである。 

1. 刺鍼(鍼灸)の適応症と禁忌症をしっかりと把握しておく。
2. 正確な取穴をする(神経及び脈管の走行を把握し、解剖学に基づいた取穴をする)。
3. 禁鍼穴に注意する(古典における禁鍼穴はその当時の鍼を使用した場合に禁鍼となることが多く、現代の毫鍼ならば刺鍼可能な経穴もある)。
4. 刺入の深度、角度、速度に注意し、強刺激を与えないように注意する。
5. 手法に熟練し、マニュアル通りに刺鍼する。浅はかな知識といい加減な想像に基づいた刺鍼はしない。
6. 手指および患部の消毒は入念に行う(刺鍼部位によっては完全な無菌操作を要する)。
7. 基本的に使用する針はすべてディスポーザブルとする。再使用可能な鍼および器具の滅菌、衛生管理は厳重に行う(再使用鍼は必ず個人専用のものを使う)。
8. 鍼の号数は26号(直径0.45mm、15番と16番の間)を限度とする。

 
⑩関節腔内への刺鍼
例えば肩三鍼などは、鍼体を関節腔内まで到達させるため、完全に滅菌されてない鍼を使用すると、容易に閉鎖性の関節腔内感染を起こす可能性がある。鍼についた細菌が関節腔内まで簡単に押し込まれるからである。膝関節や足関節周囲、腹腔などに刺鍼する時も同様に、細心の注意が必要である。医師が穿刺する時と同様に、イソジンで患部を消毒し、数分乾燥させてから刺入するのが最も安全であるといわれる。多くの医師がイソジン消毒後にハイポアルコールで拭きとってから穿刺しているが、ハイポアルコールでの拭き取りはイソジンの消毒残存効果を無効にするという意見もある。イソジンは脱色してしまうと意味がないと言う意見もある。無菌操作は皮膚及び器具の消毒・滅菌に尽きる。イソジンなどにアレルギー反応がみられる患者には別の消毒薬を使用すること
 
⑪暈鍼(うんしん)
暈鍼とは、患者が、刺鍼中や刺鍼後、顔面蒼白になったり、急に大量の冷汗をかいたり、眩暈(めまい)を起こしたり、嘔吐することなどをさす。現代医学的に解せば、いわゆる迷走神経反射である。脈は沈細脈となる。ひどくなると、四肢が冷たくなり、意識が遠のき、失禁することがある。『中医名詞術語辞典(商務印書館)』には「刺鍼操作時の異常反応のひとつである。眩暈、悪心、胸悶、面色蒼白、四肢の冷感(レイノー現象)、冷汗、血圧低下、昏睡、ショック症状、虚脱症状などがみられる。初診の患者や強い刺鍼法を施した時などに起こり易い。また、患者が過度に緊張している場合や、疲労、飢餓、衰弱時などにも発生する処置方法としては、まず全ての鍼を抜く」と記されている。基本的には患者が楽な姿勢で寝かせ、脳貧血の疑いがある場合は、足元にクッションなどを入れ、足先を少し高くしておく。覚醒状態にあるならば水を少し飲ませる(院内には飲み水と紙コップ、ストローを常備しておくと良い。当然ながらこれらは清潔な状態で保管しておくこと。ストローは、うつ伏せの状態で水を飲ませるなど、あると便利)。人中や中衝に刺鍼することは現実的ではない頭は少し低位に保ち、衣服を緩めて暖かくし、10分ほど安静にしておけば自然におさまることが多い。意識混濁や震え、失禁など、明らかな異常が見られる場合は、くも膜下出血など脳血管障害の可能性も考えられるため、早急に救急車を手配して病院に搬送すべきである『鍼灸大成』には雲門、鳩尾、缺盆、客主人に深刺すると、暈鍼がおこりやすいと記載されている。初診の患者や情緒不安定な患者、自律神経失調患者、疲労困憊した患者、睡眠不足の患者、貧血傾向にある患者、月経中の患者、極度に空腹感のある患者、虚弱体質の患者などに暈鍼が起きやすい。また、刺鍼中の体位が苦しい時(胸部や胃が圧迫されている時)や、鍼法が激しい時などにも起こり易い。ゆえに、初診時は、刺激量を少な目にして、横向きか仰向けで治療するのが望ましい。中国では患者を座位にさせた状態での施術法もあるが、これは脳貧血を起こしやすくなるため、基本的にはベッドに寝かせた状態で施術する。長く置鍼しておく場合などは、暈鍼を訴えないで我慢している患者もいるので、置鍼中に様子をみたり、声をかけることも必要である。また、長くうつ伏せになって置鍼しておいた場合は、抜鍼して起き上った時に暈鍼が起こり易い。刺鍼前に治療についての十分な説明を行い、患者の恐怖感(鍼を見せたり、鍼の話で恐怖感を与えるなどは厳禁)や猜疑心を軽減させ、信頼関係を少しでも高める(*術者の動揺は患者に影響を与える)ことは、暈鍼の予防に役立つ。よりも、患者の緊張感を減らし、安心感を抱かせるような、潜在意識に好影響を与えるような心理操作が最も重要である。「初診時は、取穴は少なくし、激しい手法は行わないようにする。重症の時は、人中、内関、湧泉、足三里などに刺鍼したり、百会、気海、関元などに温灸すると覚醒する」と、中国の本には書いてあるが、多くのケースにおいては、刺鍼を中止し、水を少し飲ませ、楽な姿勢で安静にさせておくだけで良くなる。むしろ、暈鍼と思しき場合は、患者は刺鍼に対して恐怖感を抱いていることが多いので、刺鍼は中止するのが賢明である。しかし、数分経っても改善が見られない場合は、暈鍼ではない可能性が高く、病院へ搬送しなければならないケースもあるかもしれない。そして、何故暈鍼が起こったのかを患者にしっかりと説明し、鍼治療への恐怖感・誤解などを軽減させておく事も重要である。また、暈鍼は、普段から筋肉が硬い患者ほど起り易いため、初診時には出来るだけ患者が抱く鍼治療への恐怖感を軽減させるように導く事も重要である。そして、初期は週1回くらいのペースで通院してもらうようにし、毎回少しずつでも刺鍼して、硬化した筋肉をゆるめ、暈鍼が起こらないような体へと導くべきである。
 
⑫滞鍼(たいしん)
いわゆる「渋り鍼」のことで、鍼が抜けなくなることをさす。『中医名詞術語辞典』には「刺鍼時に現れる異常反応のひとつである。毫鍼を刺入後、捻転、提插などその他の手法が一切出来なくなる現象である。過度の精神的緊張による筋肉の痙攣や、捻転手法が激しすぎて筋繊維が鍼尖に絡みつくことによって起こる。処置としては、まず患者の精神的緊張を解き、滞鍼部位の周囲を軽く按摩したら、滞鍼している鍼を軽く提插してみる。または、滞鍼部位の周辺にもう1本別の鍼を打つ。」と記載されている。『霊枢・邪気臓腑病形』では滞鍼について、正気と邪気が体内で抗争している結果だとしている。自律神経失調の患者や、ひどく筋肉が固くなっている患者に起こり易い。また、滞鍼は筋肉が鍼を締めつけることによって起こるので、患者が刺鍼中に体位を変化させた時、患者が緊張したり痛みで筋肉が突然収縮した時、捻転や提插の際に指の力が一定していなかった時、一方向に捻転しすぎて筋繊維が鍼体に巻きついた時、捻転の角度が大きい時、運鍼が速すぎる時、腱に刺入した時などに起こることがある。基本的には患者の鍼に対する恐怖感が少なくなり、筋肉に柔軟性が戻り、身体の状態が良くなってくれば、滞鍼は起こりにくくなる。体位変動による滞鍼の場合は、元の体位に戻してから抜く。患者が緊張している時や筋肉の痙攣による場合は、滞鍼している穴位付近を按摩したり、近くにもう1本刺鍼すれば抜けるようになる。一方向の捻転で筋肉がからみついた場合は、反対方向に回して、左右に軽く捻転してから抜鍼する。
 
⑬折鍼(せっしん)
現代の鍼のほとんどはステンレス製ディスポーザブルのため、折鍼することはまずないと思われるが、再使用可能針の場合、注意が必要である。折鍼は鍼柄と鍼体の境目で起こり易く、この境目で曲がった鍼を何度も修復して使っている場合、折鍼しやすい。基本的に大手メーカーのステンレス鍼は曲がるだけで、丁寧に扱っている限りは折れたり、切れたりすることはありえない。とにかく、不具合が発生した鍼は修復せずに廃棄するのが賢明である。また、何度もオートクレーブにかけた鍼や、何度も電気を流した鍼は劣化も早く(通電によりイオン化が進む)、折鍼しやすくなる。ゆえに、毎回、使用前には鍼の点検をするべきで、鍼体の腐食や亀裂、曲がり、カシメ部の破損などがないかをしっかりと確かめる。また、銀鍼はステンレス鍼に比較して強度が低いので、激しい手技を行ったり、ひどく硬直した筋肉に刺す場合、使わない方が良い(当院では銀鍼は一切使用していない)。また、ステンレス鍼でも細いものでは折れる危険性がないとも言えないので、刺鍼部位の状態によって、適切な番数の使い分けが重要となる。『中医名詞術語辞典』には、折鍼について、「刺鍼時における鍼の異常状況のひとつである。毫鍼刺入時に皮下で鍼が切断されることである。多くの場合は、鍼に腐食や何らかの不具合があることに起因するが、一方で患者が体位を大きく変化させることも原因になりうる。処置方法としては、まず冷静沈着になり、出来るだけピンセットを用いて鍼の先端をつかみ、引き抜く。自力での処置が困難な場合は外科的手術によって取りだすことになる」と記載されている。術者が運鍼を激しく行ったり、滞鍼、弯鍼を放置していたり、電気鍼で急激に出力を上げた時にも折鍼しやすい。折鍼が起こったら、まず、鍼が皮下に深く入り込まないうちに抜かなければならない。刺入する時には鍼体を2cmほど残すようにし、刺入している時に弯鍼が起こったら、すぐに抜鍼して無理に刺入しないようにする。
 
⑭弯鍼(わんしん)
『中医名詞術語辞典』には「刺鍼時における鍼の異常状況のひとつである。刺入後、体内で鍼が曲がる現象である。多くは何らかの外的刺激によって患者の筋肉が突然収縮したり、患者が急な体位変動をすることによって起こる。また、術者の手技が未熟で力を入れ過ぎた時、硬い組織に当たった時、置鍼中に鍼柄に何かがぶつかった時、滞鍼を放置しておいた時などに起因することもある。処置方法としては、動いた状態からゆっくりと体位を元に戻し、湾曲した角度と方向を見極め、徐々に抜鍼する。力任せに勢いよく抜こうとしたり、捻転させて抜こうとしたりして、折鍼しないように注意しなければならない」と記載されている。重度に筋肉が固くなっている患者では、置鍼後、弯鍼が起こり易い。状態が良くなってくると起こりにくくなる。あまりにも弯鍼が多く起こる患者には、折鍼防止のため、部位・場所を見極めた上で、太めの番数を選ぶことも必要である。
 
⑮妊婦への刺鍼
基本的に妊娠の疑いがある患者、妊婦へは刺鍼しない。妊婦はホルモンの関係で血栓症を起こしやすい。ピルを飲んでいる患者も同様に血栓症を起こしやすい妊娠3カ月以内の場合は臍以下の腹部、腰部が禁鍼である。妊娠3カ月以上では臍以上の腹部(下脘、水分など)も禁鍼である。子宮動脈を損傷した場合、内出血により死亡する可能性がある。妊娠時の三陰交への刺鍼は、堕胎や流産を促すことにもなりかねないので、絶対に用いてはならない。石門、中極、関元、合谷などは卵巣の異常や不妊症などに用いられるが、妊婦には使用しない。また、腎兪なども泌尿・生殖器系に対して、非常に大きな影響を及ぼす。『鍼灸大成』には、妊婦の三陰交を瀉して、合谷を補い、意図的に流産させたという記述がある。また、この2穴は瞑眩のような症状が起こり易いため、治療後、一時的に症状が悪化したかのようにみえることがある。例えば、中国では、ある月経不順の患者が、この2穴に刺鍼後、下腹部に激しい痙攣痛が発生し、膣から多量の血液を排出した。しかし、20分ほどするとそれまでの痛みは緩解して、それまであった腰痛も完全に消えたという。習慣的に流産のある患者には慎重に刺鍼する。基本的に中国では、妊娠期以外は子宮周囲への刺鍼は問題ないとされるが、卵巣嚢腫など子宮およびその周辺部位に異常がみられる場合は、特に慎重に刺鍼すべきである。
 
⑯抜鍼の方法及び抜鍼後の注意点
まず、手を流水で石鹸洗浄したあと、ペーパータオルで水分を取り、プラスチックグローブを装着する。ラテックスアレルギーの患者が存在するため、グローブは粉なしタイプのプラスチック製が望ましい。左手で渇いた清潔な綿花をつまみ、刺鍼している鍼の周囲を軽く押さえる。右手で鍼柄を持って、ゆっくりと鍼体を皮下まで引き上げたら、鍼尖を一気に引き抜く。『鍼灸大成』に「鍼を抜く時は緩慢が貴く、急に抜けば傷つけやすい。」とある。慎重かつ丁寧に抜かないと患者に大きな痛み、不快感を与えることがある。また、激しく抜鍼すると神経を刺激し、反射で筋肉の収縮が強くなり、結果的に治療効果が半減することもある。しかし、多くの本数を置鍼(留鍼)していた場合、ほとんどの患者は「一刻も早く鍼を抜いて欲しい」と思っているため、矛盾するようではあるが素早くかつ優しく抜鍼しなくてはならない。ちなみに、極度の鬱血がある部位へ刺鍼した場合、抜鍼時に血が噴き出す事がまれにあるので「返り血」を浴びて感染しないように注意が必要である。よって、施術時はメガネとマスク、プラスチックグローブを装着しておくことが望ましい。しばらく置鍼しても鍼下の気が締めつけている(筋肉が弛んでいない)場合は、そのまま数分置いておく。弛まなければ抜いてしまっても良い。抜鍼した後は、鍼の数を確かめ、取り残しがないようにする。可能ならば、しばらく患者を安静にさせ、36時間程度は鍼孔を清潔に保つように指導する。特に針の直径が太くなればなるほど針穴が開いたままになる時間が長くなるため、術後当日と翌日の入浴はシャワーのみとし、刺鍼部位を石鹸の泡で優しく洗うことを推奨する。抜鍼した後、局部に違和感が残ることがあるが、軽い場合は局部を上下にさすったり、温めると早く消える。手法が激しすぎたり、置鍼時間が長いと違和感が残り易い。また、萎縮していた筋肉が完全に弛んでいない状態でも、神経が刺激されるため、違和感が残り易い。この場合は再度、数日空けてから、何回か刺鍼すると、筋肉が完全に弛むため、神経が刺激されなくなり、違和感や痛みが消える。
 
⑰高血圧患者への刺鍼
基本的には刺鍼は避ける。刺鍼する場合は刺激量は少なめにすること。ゆっくりと鍼を刺入し、瀉法か平補平瀉するのが良い。急な補法は急激に血圧を上昇させるので危険である。また、人迎への刺鍼で死亡した例もあるので、頚動脈付近の刺鍼も注意が必要である。さらに、足三里、合谷、曲池などは敏感な穴位で、強烈な刺鍼補法によって血圧が急激に上下し、脳溢血を起こした例もある。
 
⑱耳鍼(じしん)
消毒が不十分であると、炎症、化膿、腫脹などが起こり、ひどければ耳介が変形する。耳鍼は耳介軟骨膜炎の原因になることが多い。なぜなら、耳介は皮下組織が少なく、刺鍼すれば、鍼尖がすぐに耳介軟骨に達するからである。また、耳介軟骨は緑膿菌に対して特殊な親和性があるとされ、感染すると炎症がすぐに拡大し、耳介軟骨膜炎になるといわれる。ちなみに、ピアスホールを開ける際に、消毒が不十分で耳垂に粉瘤が出来るのも、耳部が感染しやすいひとつの例である。耳鍼の時は無菌操作が重要である。毫鍼を再刺入する時はその都度消毒しなければならない。耳穴圧迫療法(マグレイン、王不留行などの貼り付け)では、粒が施術中または施術後に患部を圧迫し、皮膚が破れて感染することもあるので、十分に注意しなければならない。刺鍼前に患者の耳の状態をよく観察しておき、耳に何らかの感染や外傷などがある場合は、施術しない方が良い。中国、アメリカ(シカゴ)、イギリス、イタリアで耳鍼による軟骨膜炎の発症が確認されている。何らかの先天性疾患や糖尿病患者、免疫抑制剤などを投与されている患者など、易感染傾向にある患者への耳鍼や灸は禁忌である。したがって、初診時には、患者の病気の既往歴をしっかりと確認しなければならない。
 
⑲頭鍼(とうしん)
大脳皮質の感応区を刺激することによって、損傷した脳細胞を活性化させ、症状を軽減させたり、回復させたりする。1960年代に始まった頭鍼療法の研究が一世を風靡し、現在では脳血管障害に対する最も有効な治療法のひとつとされている。体鍼、パルス、湯液を併用しながらリハビリも行うと効果が良いといわれる。精神疾患にも多用される。中国では中風の後遺症(半身不随)や聾唖などの治療に、瘂門あたりから深刺し脳幹に鍼を当てる治療法があるが、非常に危険が伴うので、生半可な技術ではやらぬほうがよい。また、頭蓋骨には導出静脈が出入りする小さな孔が3か所ある。頭頂導出静脈が通る頭頂孔、乳突導出静脈が通る乳突孔、後頭導出静脈が通る後頭孔(大後頭孔ではない)である。これらの孔は数mm程度の小さな穴ではあるが、鍼が通過するには十分な大きさの穴であり、この孔に刺鍼しないよう十分注意しなくてはならない。頭皮や帽状腱膜周辺に刺入する時は、8番程度の太い鍼を使用するように(細いと鍼尖が曲がり易いため)して、必ず横刺する。鍼先がゴム様の物体に当たった感覚があった時は、太い血管である可能性があるため、刺鍼部位を変更すること。
 

《感染予防について》

刺鍼事故で、気胸と並んで多く報告されている事故が、細菌感染によるものである。鍼は体内へ刺入するものであり、たとえ鍼が血管に触れなくとも、細菌感染する可能性は十分にある。一般的な鍼灸院においては、著しく免疫機能が低下した患者(AIDS患者など)が来院することは少ないが、幼児・高齢者・糖尿病患者などは、比較的来院することが多い。よって、院内感染予防のための対策は、最も易感染傾向にあると思われる患者に照準を合わせなければならない。つまり、鍼灸治療は他の医療類似業種とは大きく異なり、直接に「体内」へアプローチするゆえ、それだけリスクが伴うことをしっかりと認識した上で、慎重に施術しなければならない。なお、感染予防については、他の項目においても細かい要点などを記してあるので、改めて参照されたい。
 
①事前消毒の徹底 
刺鍼部位を消毒する時は、アルコール綿花で毛に逆らうように数回拭き上げる。アルコール綿花は個別包装されているアルコール含浸綿などを使うのが最も安全である。アルコールに過敏な患者の場合は、白十字製ワンショットプラスヘキシジンなどを使うと良い。関節腔内などに刺鍼する時は、最初にポピドンヨード(イソジン)などで拭き、それをアルコール綿花で拭き落とすようにするが、ヨードのアレルギーがある場合は使ってはならない(劉氏はこのように述べているが、遊離ヨウ素は濃度が高いほど殺菌効果が強いとされており、脱色するとその効果が無効になると言われている)。ヘキシジンは粘膜や陰部などに使うとアナフィラキシーショックを起こす可能性があるため、消毒部位に注意して使用すること手指消毒および患部の刺鍼前消毒はあはき法第6条にも規定されており、細菌感染を予防するためにも、厳守しなくてはならない。手洗い洗浄後の手の消毒にはハンドサニターやオスバンラビングなどの商品が適当であるが、細菌感染を予防するため、常に新品を使用し、中身は補充しないこと。ちなみに、日本では未だに、「アルコール消毒は体を冷やす」などと騒ぎ、消毒をしない流派も存在するが(あはき法違反である)、患者に安全面での精神的不快感や不安を抱かせないためにも、事前消毒は徹底しなければならない。衛生管理の徹底は、患者はもちろん自分の身を守るためにも、世間の鍼灸への理解を深めてもらうためにも、最も重要な項目であることを再認識するべきである。手は水道水で殺菌用の石鹸をつけて洗い、ペーパータオルでふき取ること。院内にジェットタオルを設置していることを自慢している鍼灸師も実在するが、現状ではジェットタオルは細菌の温床となるという実験結果もあるため、ペーパータオルを使うのが最も衛生的である。
 
②鍼および治療器具の管理
基本的に鍼はすべて使い捨て(ディスポーザブル)とするのが望ましい。使い捨ての鍼や血の付いた綿花、不要になったその他の鍼道具の廃棄は、近所の産廃業者に依頼し、医療廃棄物として責任をもって処理しなければならない(それぞれの自治体には少なくとも数社の産廃業者がいる。医療廃棄物は、産廃業者から購入した専用の処理BOXにて厳重に保管した後、その業者に引き取ってもらうのがルール。BOXの価格は20L容器で、4000円前後が相場)。当然ながら、医療廃棄物を一般ゴミに混ぜて捨てる事は違法であり、また感染の危険が伴うので、法に定められた処理方法を厳守すべきである。
 
③院内感染の予防(モノから人への感染を防ぐ)
院内感染とは、主に病院で細菌やウイルスなどの病原体に感染する事を指す。治療の場である病院は、元来様々な病原体(に感染した患者)が集まる場所でもあり、薬剤耐性菌が多く生息しているという点においても、感染症が発生しやすい危険な場所であると言える。一方、鍼灸院においても、病院ほど重篤な患者は来院しないが、病院と同様に様々な病原体が集まり易い場所であると言える。よって、皮下への刺鍼を行う鍼灸院においても、注射針等を用いる病院と同様に体内に病原体が侵入するリスクが伴うため、院内感染の予防を徹底する事が非常に重要になる。院内は毎日清掃し、空気の入れ換えも定期的に行うべきである。特に患者が利用するトイレや洗面台は一日に数回清掃し、常に清潔な状態を保つようにする。トイレのドアノブや水洗レバー、蛇口周辺などはアルコール消毒するのが望ましい。手洗い後に手を乾かすものは頻回利用タイプのタオルは避け、使い切りのペーパータオルを設置するのが最善である。トイレの出入り口には手指消毒用のアルコールを置いておくことで、患者からの感染を減らすことができる。ちなみに、施術時、誤って鍼をベッドや床に落としてしまい、しばらく気がつかなかった、という経験が誰しも一度はあるかもしれない。だが、毎日ベッド周りを中心にこまめに清掃する癖がついていれば、その後の事故も未然に防ぐことが可能である。アトピーや外傷などによって、体液がベッドに着く可能性がある場合は、ディスポーザブルシーツを敷いて施術することが望ましい。
 
④院内感染の予防(人から人への感染を防ぐ)
施術時、施術者はマスクおよびメガネを着用し、院内感染の予防に努めるべきである。過去に発表されている刺鍼事故では飛沫感染等による事故は報告されていないが、言葉を発した時やくしゃみ・咳をした時に鍼や鍼治療関連器具に細菌やウイルスが付着し、感染しないとは言い切れない。また、施術者が何らかの飛沫感染系病原体に感染したままマスクをせずに施術を続ければ、患者間での感染が拡大する可能性がある。さらに、まれに抜鍼時に患部から鬱滞していた血液が噴き出すことがあり、施術者が「返り血」を浴びる可能性も否定は出来ない。特に、「返り血」を唇や眼球部に受けた場合、患者が肝炎ウイルスやHIV、梅毒などに感染していたならば、最悪の事態になりかねない。これらはメガネを装着しておくことで予防出来る。ちなみに、アメリカの医療ドラマ「Dr.HOUSE」には、HIV患者が突然血の混じった咳をして、そばにいた医師がその血を浴びる、という話があったが、医師がマスクとメガネを装備していたならば、たいした問題にもならなかったであろう(手術中にポリカーボネイド製ゴーグルを装着していたのは正しい)。これはドラマに限った話ではなく、実際、鍼灸治療の臨床現場においても近似したような状況が起こる可能性は大いにある。ゆえに万が一を考え、鍼灸師も施術時にはマスクおよびメガネを着用し、危機管理を徹底すべきである。特に、顔面部に施術する場合、患者が急に咳をしたり、吐血する可能性もあり、マスクとメガネを着用しておけば未然に事故を防ぐことが出来る(また、「口臭被害」も防げる)。歯科医がマスクを着用することは常習化しているが、今後は鍼灸師もマスクを常時着用すべきであろう。
 
⑤その他の注意事項
基本的に発熱している患者や、炎症がある部位には刺鍼しない。また、刺鍼部位が感染して炎症を起こしたり、痛みが出た場合は直ちに鍼灸を中止する。特に関節腔、脊髄腔、腹腔などに感染がみられた場合はすぐに病院を受診させる。関節腔内には細菌排除するシステムが無いので、完全な無菌操作が必要である。注射針による穿刺でも感染はほとんど無いとされるが、感染するリスクは0では無いので、軽い気持ちで腔内に刺鍼するのは危険である。
 
 

《古典にみられる刺鍼の諸注意》

①『霊枢・九鍼十二原』
「刺之要、気至而有効(刺鍼時には気が患部に至ることが必要である)」との記載がある。危険深度に達しても得気が無い場合は、それ以上の刺入は避けなければならない。捻転などは行わずに、細かくゆったりとした提插で催気し、得気が来るのを待つのである。
 
②『霊枢・官鍼』
「病浅鍼深、内傷良肉、皮膚為癰。病深鍼浅、病気不瀉、反為大膿。(病が浅い部位にあるのに深刺すると、正常な組織が破壊され、皮膚に腫瘍が出来る。病が深い部位にあるのに浅刺すると、病気を瀉すことが出来ず、化膿する。)」との記載がある。
 
③『霊枢・終始』
「凡刺之禁、新内勿刺、新刺勿内、己醉勿刺、己刺勿醉、新怒勿刺、己刺勿怒、新労勿刺、己刺勿労、己飽勿刺、己刺勿飽、己飢勿刺、己刺勿飢、己渇勿刺、己刺勿渇、大驚大恐、必定其気、乃刺之。乗車来人、臥而体之、如食頃、乃刺之。歩行来者、坐而休之、如行十里頃、乃刺之。凡此十二禁者、其脈乱気散、逆其営衛、経気不次、因而刺之。則陽病入於陰、陰病出為陽、則邪気復生、粗工不察、是謂伐身、形体淫濼、乃消脳髄、津液不化、脱其五味、是謂失気也。(刺鍼における禁忌は以下のことである。セックスしたばかりの者に刺鍼すること。刺鍼した直後にセックスすること。飲酒して間もない者に刺鍼すること。刺鍼した直後に飲酒すること。立腹している者に刺鍼すること。刺鍼した直後に立腹すること。労働した直後に刺鍼すること。刺鍼した直後に労働すること。飲食後すぐに刺鍼すること。刺鍼した直後に飲食すること。空腹時に刺鍼すること。刺鍼後にずっと空腹でいること。驚いたり、怖がったりして動揺している者には気持ちを落ち着かせてから刺鍼しなければならない。車に乗って来た者は横にして、しばらく休ませてから刺鍼しなければならない。また、歩いてきた者は座らせ、しばらく休ませてから刺鍼しなければならない。以上のような状態の患者は脈が乱れ、気が散り、営気および衛気が失調し、経脈の気が途切れているため、刺鍼しない方が良い。つまり、体表にある陽邪が体裏までに及び、逆に体裏にある陰邪が体表を侵すようになるのである。結果として、邪気が再び勢いを取り戻し、正気が衰える。故に、腕の悪い医者はこのことが解らず、患者を痛めつけることになる。患者は全身に重だるい痛みを感じ、無力になり、脳髄が衰え、津液が巡らなくなり、全身が痩せて、ついには神気を失うようになるのである。)」と記載されている。
 
④『霊枢・五禁』
「形肉已奪、是一奪也。大奪血之后、是二奪也。大汗出之后、是三奪也。大泄之后、是四奪也。新産及大血之后、是五奪也。此皆不可瀉。(ひどく痩せている時、大出血した後、ひどく汗をかいた後、ひどく下痢をした後、初出産の後や出産時に大出血した後は瀉法をしてはならない。)と記載されている。つまり、五奪とは体力を著しく消耗している状態なので、瀉法どころか、刺鍼してはならないのである。
 
「熱病脉静、汗已出、脉盛躁、是一逆也。病泄、脉洪大、是二逆也。著痹不移、 肉破、身熱、脉偏絶、是三逆也。淫而奪形、身熱、色夭然白、及后下血衃、血衃篤重、是四逆也。寒熱奪形、脉堅搏、是五逆也。(熱病なのに脈が穏やかで、発汗して熱が下がっても、脈が盛んであること。下痢なのに脈が洪大であること。着痹が移動しないため病が癒えず、盛り上がっていた筋肉が破潰し、身体が熱くなり、一側の脈が触知出来なくなること。ひどく体が痩せ衰え、発熱して、蒼白となり、下血すること。寒熱で痩せ衰え、脈が固く盛んになること。)」と記載されている。つまり、五逆とは通常と逆の反応が出ている異常状態なので、刺鍼してはならないのである。 
 
⑤『素問・刺禁論』
「無刺大酔、令人気乱。無刺大怒、令人気逆。無刺大労人、無刺新飽人、無刺大飢人、無刺大渇人、無刺大驚人。(泥酔している者、怒りで興奮している者、疲労感が強い者、満腹感の強い者、空腹感の強い者、口渇感の強い者、動揺感の強い者には刺鍼してはならない)」との記載がある。
*患者が来院した際には、鍼灸が適応か否かをしっかりと見極め、その上で施術するか否かを決めなければならない。どんな病態でも鍼灸で治せると考え、悪戯(いたずら)な憶測や不確かな知識だけで患者の状態を断定し、安易に施術すれば、重大な事故につながる可能性がある。
 

《刺鍼により事故および死亡例が報告されている経穴》

1.脳幹周辺
風府、瘂門、大椎、風池、風岩、安眠、翳明。
 
2.心臓周辺
鳩尾、梁門。
 
3.肺周辺
神蔵、兪府、輒筋、大包、庫房、肺兪、風門、夾脊、心兪、定喘、膏肓兪、膈兪、膈関、天突、肩井、肩貞、肩峰、気戸、新扶突。
 
4.肝臓周辺
鳩尾、上脘、右梁門。肝腫大がある場合は梁門、期門、日月、中脘への刺鍼も避ける。
 
5.胆嚢周辺
期門、日月、右梁門。特に、右上腹部に痛みを訴える患者は胆嚢・肝疾患を疑い、腫大していないか触知する。腫大がある場合は、広範囲の経穴において臓器損傷の可能性が高まるため、期門、不容、承満などへの刺鍼も避ける。
 
6.胃腸周辺
中脘、下脘、神闕、天枢、関元。
 
7.腎臓周辺
胃兪、三焦兪、胃倉、肓門。腎臓は第11胸椎から第3腰椎の間にある。
 
8.視覚器周辺
睛明、球後、承泣など。
 
*兪穴は動脈のすぐ側(そば)にあることが多いので、十分に注意する。また、胸部ではすぐ下に肺や心臓があるので、刺鍼は避けるか、慎重な対応が必要である。当院では、皮内鍼や円皮鍼、灸などで対応している。
*その他、人中、不容、次髎、小海、四縫、列缺、曲沢、承山、陽陵泉、足三里、内膝眼、外膝眼でも事故や死亡例が多く報告されている。委中、箕門、気衝、曲沢、経渠、衝陽などの大血管付近は特に注意が必要である。乳中、神闕(臍中)は禁鍼である。また、子宮や卵巣、視覚器、聴覚器に直接刺鍼したケースでも死亡例が報告されている。
*次項に記載されていない経穴においても事故が起こる可能性は0ではないので、その他の経穴に施術する場合においても、十分な配慮が必要である。
*先にも例を挙げたように、先天的または後天的に頭蓋骨や胸骨、肩甲骨に穴が空いている場合がある。したがって、解剖学的なマニュアルを鵜呑みにしていると危険である。臓器が反転している例もあるように、人間にも常に例外が存在することも考慮して刺鍼しなければならない。以上の部位に刺鍼する場合は直刺せず、骨に沿わせるようにして平刺(横刺)する。そうすればたとえ骨に予想外の穴が空いていても貫通する危険は少なくなる。また、これらの部位ではある程度の太さの鍼を使うのが賢明である。なぜなら、細すぎる鍼だと皮下で弯鍼して、鍼尖があらぬ方向に進み、臓器を損傷する可能性があるからである。
 

《特に注意したい経穴》

*刺鍼深度・経穴の位置などは、患者の体型等によって異なる。以下の記載数値はあくまで参考にすべきである。
 
○1風府(ふうふ)
椅子に腰掛けさせ、後頚部の正中線上部で髪際を入った所。指先で押し上げると後頭骨で止まるが、その指先が止まった所。直刺または下に向けた斜刺で0.5~1寸刺入する。
癲癇(てんかん)、狂証、頭痛、後頚部のこわばり、仮性球麻痺、脳卒中による片麻痺、舌緩不語を治療する。刺入深度は→1寸(安全)、1.5寸(危険)、2寸(極危険)となる。刺入を怠ると延髄、小脳を損傷する。歌賦のひとつである『席弘賦』には「風府は最も鍼が難しい。時間をかけて深浅を測る。」とある。鍼尖を口や耳垂に向けて刺入する方が鼻尖に向けるよりも安全で、直刺しても良い。しかし、眼球方向や上部に向けた刺鍼は脳幹を損傷する可能性があるので、避けるべきである。
 
○2風岩(ふうがん)
経外奇穴である。側頚三角部に位置し胸鎖乳突筋の後縁で、耳垂と後髪際正中点を繋いだ線の中点より少し前0.5寸。刺入鍼度は0.2~0.6寸まで。得気すると縮んで腫れぼったくなった感覚が肩に達する。毎回一側に刺鍼して、左右を交互に取る。精神病を主治する。
 
○3大椎(だいつい)
穴位の深部に脊髄が存在するので、手技は柔らかくする。直刺・深刺は危険である。正しい刺法は患者を正坐させ、頭をまっすぐにするか前に傾けさせる。術者は第7頸椎下方、第1胸椎上方の陥凹部を正確に触知する。直刺ならば0.5寸で軽く運鍼する。頭痛や発熱悪寒なら鍼尖を少し上に向けて0.7寸ほど斜刺する。腰痛や足のだるさには鍼尖を下に向けて0.7寸ほど刺入する。刺入深度は0.5~1寸までとする。この穴位は敏感なため鍼感が上下に感伝することが多いが、これは異常反応ではない。鈍い響きでははく、触電感が肢体に現れないと効果がないと言われている。触電感があったらすぐに抜鍼し、提插などは行ってはならない。
 
○4瘂門(あもん)
舌根、舌厭(えん)、舌横、瘖門(いんもん)の別名がある。後頚部で髪際を0.5寸入った凹みの中にある。第1頸椎と第2頸椎の間で、両僧帽筋の中央にあり、頚横動脈上行枝があって、脊髄神経後枝、頚神経後枝が分布している。深部には脊髄があるため、深刺は避けねばならない。運鍼や提插、捻転は避けねばならない。上方に向けて深刺すると延髄を損傷する可能性があるので、直刺か下方に向けて斜刺する。刺入深度は0.5寸までが安全で、1寸を超えると危険である。禁灸穴でもある。統合失調症などに用いる。暴瘖(ぼういん)(急喉瘖(きゅうこういん)とも言う。急性咽頭炎などのように、急に声が出なくなる症状。逆に、慢性咽頭炎の場合は久瘖(きゅういん)、または慢喉瘖(まんこういん)という。)や聾唖(ろうあ)などにも用いる。
 
○5風池(ふうち)
脳空下の髪際陥中にある。胸鎖乳突筋と僧帽筋が停止する間の陥凹部で、後頭三角の頂点にある。浅層に後頭動脈と後頭静脈、深層に椎骨動脈があり、頚神経後枝、脊髄神経後枝が分布する。脳空穴直下を指で圧し、後頭骨の下にある陥凹部。ちょうど、後頚筋の外側陥中にあたる。刺入深度は0.8寸までとする。1寸を超えると危険である。鍼尖は直刺または鼻尖か耳垂に向ける。頭痛、後頸部硬直、眼精疲労、鼻血、耳閉感、肩・腰背部の痛み、脳卒中後の失語症、熱病で汗が出ないなどを主治する。平刺(横刺)で風府に向けて透刺したり、左右同時に取穴し、二本の鍼尖を交差させ、顴骨に向けて刺入したりする。対側の眼窩に向けて深刺すると、椎骨動脈や延髄を刺傷する可能性があるので絶対に避けねばならない。対側に向けないで直刺するならば、安全である。風府に向けて平刺で透刺したりする。
 
○6翳明(えいめい)
側頭部に位置し、胸鎖乳突筋の停止部で、乳様突起下の陥中にある。患者の頭を前傾させ、耳垂後ろで、隆起した骨の下方で、耳垂と水平となり、押すと鈍痛がある。天牖(てんゆう)から約1寸離れた位置にある。刺入深度は0.7~1.5寸で、耳の後ろに向けて斜刺する。徐々に刺入し、患者に何らかの反応があったらそこで留め、30分置鍼する。深部には脳幹があるので深刺は避け、弱刺激を心がける。弱視、流行性耳下腺炎(おたふく風邪)、白内障、耳鳴り、眩暈、不眠症などに用いる。
*天牖(てんゆう)は胸鎖乳突筋の後ろで、翳明は胸鎖乳突筋の上にある。
 
○7内関(ないかん)
掌側にあり、手首を去ること2寸の両筋の間、即ち橈側手根屈筋腱と長掌筋腱の間にある。浅部には浅指屈筋、前骨間動脈と正中神経が通っている。刺鍼深度は0.5寸までとし、太い鍼で深刺してはならない。刺入を誤ると正中神経を損傷する可能性がある。正中神経を損傷すると五指の屈伸が出来なくなったり、猿手になったり、知覚鈍麻になったりする。軽い知覚障害の場合は近くの穴位を取って知覚の回復を促すことが可能である。
 
○8列缺(れっけつ)
四総穴のひとつである。掌側にある。手の親指と人差指を開かせて、そこに開いた親指と人差指を組み合わせて人差指を伸ばすと、上になった人差指が橈骨茎状突起に当たる。その人差指の先端が達する陥凹部を取る。刺入深度は0.3までとする。刺入を誤ると橈骨神経損傷する可能性がある。片頭痛、咽頭炎、半身不随、顔面麻痺、手や肘の痛みを主治する。
 
○9曲池(きょくち)
別名、陽沢(ようたく)、鬼臣(きしん)ともいう。兪土穴である。肘を屈するとできる肘窩横紋の橈側端の陥凹部をとる。尺沢と上腕骨外側上顆のほぼ中間に位置する。腕橈骨筋の橈側で、長橈側手根伸筋の起始部にあり、橈側半回動脈の分枝があり、外側前腕皮神経が分布し、深層には橈骨神経幹がある。両肘を曲げて手を組むような姿勢で、肘窩横紋の端で肘関節部とる。刺入深度は0.8~1.5寸とする。喉の痛み、手や腕の腫痛、筋の無力感、半身不随、傷寒の余熱が下がらないものなどを主治する。誤った刺鍼で橈骨神経を損傷することがある。
 
○10足三里(あしさんり)
合土穴で、四総穴のひとつである。外膝眼の下3寸、脛骨外側で大筋の内側にある。脛腓関節の下方で、前脛骨筋と長指伸筋の間にあり、前脛骨動脈と静脈が走る。深層には深腓骨神経がある。誤った鍼をすると深腓骨神経を損傷し、尖足になる。
 
○11環跳(かんちょう)
回陽九鍼のひとつで、要穴であり、深刺しなければ効果がないとされる。1.5~3寸ほどの刺入が必要である。秩辺と同様に、深層には上臀動脈がある。刺鍼を誤ると上殿神経を損傷する。側臥位で足を屈してとる。膝、腰の痿痹(いひ)疼痛の要穴である。この穴に刺鍼すれば風湿を追い出し、瘀血を取り去り、経絡を通じさせ、痛みを止める。
 
○12神封(しんほう)
霊墟の下1.6寸の陥中にあり、胸の正中線から2寸離れている。膻中(たんちゅう)の横2寸である。局部解剖では穴位は前胸部の両側で、第4・5肋間、大胸筋の中に1穴ずつあり、胸肩峰動脈胸筋枝、内胸動脈があって、肋間神経と前胸神経が分布している。穴位の深部には肺があり、左側の神封には心臓がある。咳嗽、気逆、喘息、胸満、食欲不振、嘔吐、霍乱(かくらん、コレラ様の症状)、乳癰(にゅうよう、乳腺炎)、乳癖(乳腺増殖)などを主治する。刺入は斜刺か横刺で、刺入深度は0.3~0.5寸までとする。
 
○13神蔵(しんぞう)
彧中(いくちゅう)の下1.6寸で、胸の正中線を去ること2寸。局部解剖は第2・3肋間で大胸筋の中にとる。胸肩峰動脈胸筋枝、内胸動脈があり、肋間神経と胸筋神経が分布し、深部には肺がある。患者を仰臥させるか椅子に腰かけさせて、霊墟の上1肋間の陥中を取る(第2肋骨の下にあたる)。斜刺か横刺(平刺)で、刺入深度は0.3~0.5寸までとする。
 
○14兪府(ゆふ)
輸府、腧府の別名がある。巨骨の下で、璇璣の傍ら2寸の陥中にある。穴位は鎖骨の下方で大胸筋上にあり、深部には内胸動脈があり、胸筋神経と鎖骨下神経が分布し、鎖骨上神経と肋間神経前皮枝に知覚を支配されている。椅子に腰かけるか仰臥位にし、璇璣の傍ら2寸で、鎖骨下端の陥凹にとる。斜刺か平刺(横刺)で、刺入深度は0.3~0.5寸ほど刺入する。咳逆上気、哮喘(こうぜん)、胸満痛などを主治する。
 
○15食竇(しょくとく)
命関ともいう。天谿の下1.6寸にあり、胸の正中線から6寸離れている。局部解剖は第5・6肋間で前鋸筋(大胸筋)の中にとる。外側胸動脈と肋間動脈が通っており、胸筋神経と肋間神経の外側皮枝が分布している。仰臥位で手を外に広げ、中庭の外6寸(直上は天谿で第5肋間)にある。刺入深度は0.4寸までとする。胸脇満痛を主治する。
 
○16輒筋(ちょうきん)
別名、神光や胆募ともいう。腋下3寸を起点にし、淵腋の前1寸にある。座位で腕を挙げて取穴する。局部解剖では穴位は胸の外側で乳頭の後ろ、第4肋間で大胸筋の外側、前鋸筋の中にとり、外側胸動脈と胸背動脈があり、長胸神経と肋間神経の外側皮枝が分布する。胸肋の張満痛や咳嗽、喘息などを主治する。刺入深度は0.3寸までとする。
 
○17大包(だいほう)
大胞ともいう。脾の大絡。側胸部にあり、淵腋の下3寸にある。第6・7肋間で、前鋸筋の中にあり、胸背動脈、肋間動脈があって、肋間神経外側皮枝と長胸神経が分布し、深部には肺があり、右側は肝臓が接近している。患者を仰向けにして、手を外側に開かせ、食竇穴から外側に2寸開くところ(腋下6寸)をとる。胸脇痛、喘息を主治し、実証では全身の痛み(瀉法)や虚証では百節が緩むとき(補法)に用いる。刺入深度には特に注意しなければならない。刺入深度は0.3寸までとする。0.5寸に達すると、気胸が起こる危険性がある。また、この穴付近は、置鍼しない方が良い。なぜなら、患者が急に体位を変えたり、腕を動かしたり、鍼柄に何かぶつかったりしたら、鍼が容易に肺に到達する可能性があるからだ。ブルース・リーのように前鋸筋が素晴らしく発達していれば別だが、そういう人は少なく、大抵は皮膚から肺までの厚さはわずかである。出来れば刺鍼しない方が良い。
 
○18庫房(こぼう)
気戸の下1.6寸の陥中で正中線から4寸外側にある。第1・2肋間で、大胸筋(小胸筋)中にあり、肋間動脈、胸肩峰動脈胸筋枝、外側胸動脈があって、肋間神経前皮枝、鎖骨上神経、胸筋神経が分布し、深部には肺がある。患者を椅子に腰かけさせるか仰向けにして、鎖骨の内側端から軽く押さえて、下1肋間の上を外側に移動する。上は気戸、下は乳頭と一直線になり、華蓋穴と水平で、その外側4寸をとる。刺入深度は0.3寸までとする。胸肋の張満痛、咳喘気逆、膿血を嘔吐するものを主治する。
 
○19天谿(てんけい)
天渓ともいう。胸郷の下1.6寸の陥中にあり、胸の正中線から6寸離れている。局部解剖は第4と第5肋間で、大胸筋の外側下縁にあり、下層は前鋸筋、外側胸動脈、肋間動脈があって、胸筋神経と肋間神経外側皮枝が分布している。仰臥させ、手を外に広げ、乳中の傍ら2寸(中府穴の下で第3肋骨を隔てた)陥中をとる。刺入深度は0.5寸までとする。仰臥位で、手を外に広げて、中庭の傍ら6寸(直上は中府穴で中府の下4肋骨)で、肋間を取る。0.4寸までを刺入限度とする。これを超えると気胸を起こす可能性が高まる。胸脇満痛、咳逆上気、乳癰、乳癖、呃逆(やくぎゃく、しゃっくり)を主治する。
 
○20肺兪(はいゆ)
第3胸椎下の両側1.5寸にある。局部解剖では第3・4胸椎棘突起間の外側、僧帽筋と大菱形筋、上後鋸筋の上にあり、肋間動脈と頚横動脈深枝が分布していて、副神経と肩甲背神経、頚神経叢筋枝、胸神経後枝が分布しており、深部には肺がある。患者を椅子に腰掛けさせるか伏臥位にし、第3胸椎の下で身柱の傍ら1.5寸をとる。癆瘵(ろうさい)(結核など慢性・消耗性の病気)、内傷による吐血、咳喘上気、胸背の痛み、小児の鳩胸や亀背、皮膚の掻痒(そうよう)感、黄疸などを主治する。この穴は最も気胸を起こしやすいというデータもあるので、出来れば刺鍼は避けた方が賢明である。刺入する場合は斜刺で、刺入深度は0.5寸までとする。透刺の場合は鍼を限界まで傾け、横刺に近い感じで筋層上部を、臀部に向けて刺入する。
 
○21夾脊(きょうせき)
華佗(かだ)夾脊、脊夾、脊旁(せきぼう)ともいう。経外奇穴であり、組み合わせ穴でもある。腰背部にあり、第1胸椎から第5腰椎までの棘突起下の両側でそれぞれ後正中線から1寸ほどの場所をとる。夾脊の位置は文献によってもマチマチで、実際はどの位置が正しいのかは不明である。「三国志・魏書」には華佗の弟子が夾脊で1~2寸の深さまで刺したという記述があるので、正中から0.5寸だとその深さまでは刺すことが出来ないことになる(脊柱に鍼があたるため)。したがって、脊柱から1寸ほど離れていないと深刺出来ず、整合性がとれないことになる。また、棘突起間の横にとるのか、棘突起の横にとるのかについても不明な点が多い。刺入深度は0.5寸まで、脊柱からの距離も0.5寸までとするのが妥当である。なぜなら、脊柱から1寸離れると刺入の方向によっては肺に刺さる危険性があるからだ。胸背痛、脇の脹れ、咳嗽、喘息、癆瘵(ろうさい)、虚損羸痩(るいそう)、腫れものなどを主治する。
 
○22心兪(しんゆ)
別名、背兪、伍焦之間(ごしょうのかん)、心之兪などという。第5胸椎下の両側にあり、後正中線から1.5寸離れている。局部解剖では第5・6胸椎棘突起間の外側、僧帽筋と大菱形筋の中にあり、肋間動脈と、頚横動脈深枝があり、胸神経後枝、副神経、頚神経叢筋枝、肩甲背神経が分布する。患者を椅子に腰掛けさせ、第5胸椎下にある神道の外側1.5寸をとる。刺入深度は0.5寸まで。胸部に鈍い鍼感が届けば良しとする。心胸の乱れ、狼狽する、不眠、健忘、咳嗽吐血、癲癇(てんかん)などを主治する。
 
○23定喘(ていぜん)
経外奇穴である。第7頸椎棘突起の下、傍ら0.5寸にとる。局部解剖では、頚横動脈があり、副神経、頚神経叢筋枝、肩甲背神経、頚神経後枝が分布する。小菱形筋、僧帽筋の上にある。患者を椅子に腰掛けさせ、大椎の傍ら0.5寸をとり、0.5~1寸刺入する。得気すると局部に鈍く、痺れ、腫れぼったいような感覚が、肩や胸に放散する。咳や喘ぎ、喘息、気管支炎、蕁麻疹、上肢の痺れや麻痺、背部痛を主治する。喘息には定喘の他に膻中、豊隆、足三里、風門、肺兪、心兪、厥陰兪などを配穴する。
*文献によっては外1寸に取るものもあるようだが、刺入深度・角度によっては容易に肺に刺さる可能性があるので危険である。
 
○24膏肓(こうこう)
第4胸椎下の両側3寸にある。局部解剖では第4・5胸椎棘突起間の外方で肩甲骨の内縁にある。上層に僧帽筋、下層に大菱形筋があり、頚横動脈の深枝があり、肩甲背神経と胸神経後枝、副神経、頚神経叢筋枝が分布する。椅子に腰掛けて、第4・5胸椎棘突起間の陥凹部から外側3寸で厥陰兪穴の外側1.5寸にある。0.5寸ほど刺入でき、癆瘵(ろうさい)、骨蒸(内熱)、盗汗(寝汗)、咳嗽、血痰、脾胃虚弱、健忘、夢精、失精を主治する。
 
○25膈関(かくかん)
第7胸椎下の両側で、後正中線の外側3寸の陥中にある。局部解剖では第7・8胸椎棘突起間の外方で、肩甲下角の内側下方、広背筋の中にあり、肋間動脈と胸神経後枝、胸背神経が分布している。第7胸椎下の至陽の傍ら3寸にあり、肩甲骨下端の内側に取穴する。隔兪から1.5寸離れており、刺入深度は0.5寸までとする。嘔吐、しゃっくり、噴門痙攣、心窩部の膨満感、食欲不振、背部痛、背骨のこわばり、全身の鈍痛感、その他の血証を主治する。
 
○26魂門(こんもん)
第9胸椎下両側にあり、正中線の外側、3寸の陥中にある。局部解剖では第9・10胸椎棘突起間の外方で、広背筋の中にある。また、肋間動脈と胸神経後枝、胸背神経が分布している。筋縮の傍ら3寸にあり、肝兪と水平に位置する。刺入深度は0.5寸までとする。腰背部の疼痛、心痛、嘔吐、食欲不振、腹中雷鳴、便通が悪い、橙色(とうしょく)尿などの証候(実熱証など)を主治する。
 
○27大杼(だいじょ)
背兪、百労穴ともいう。督脈の別絡、太陽や少陽の会、骨会のひとつである。第1胸椎下の両側で正中線の外側1.5寸の陥中にある。局部解剖では、第1・2胸椎棘突起間の両側で、表層には僧帽筋、深層には大菱形筋と上後鋸筋があり、頚横動脈があって、胸神経後枝と肩甲背神経、副神経、頚神経叢筋枝が分布している。患者を椅子に腰掛けさせ、陶道(第1・2胸椎棘突起間の陥凹部)の傍ら1.5寸をとる。刺入深度は0.5寸までとする。胃熱、咳嗽、頭痛、風邪をひきやすい、後頚部のこわばった痛み、肩甲骨の鈍痛、虚労(体の衰弱)、喉痹などを主治する。
 
○28隔兪(かくゆ)
血会(けつえ)である。第7胸椎下の両側で後正中線から1.5寸のところにある。
 
○29天突(てんとつ)
天門、玉戸(ぎょくこ)、天瞿(てんく)ともいう。任脈との会穴である。喉頭隆起下の凹みにある。胸骨頚切痕の上際中央にあり、左右の胸鎖乳突筋の中間にあたり、深部には胸骨舌骨筋と胸骨甲状筋があって、下甲状腺動脈と頚横神経が分布しており、深部には気管があって、さらに下の左胸骨柄後方には腕頭動脈と大動脈弓がある。仰臥にて取穴する。鍼尖を胸骨柄に沿わせ、下方へ0.5~0.8寸ほど刺入する。直刺すると気管に刺さる可能性があるので必ず臍の方に向けて斜刺または平刺する。胸骨後面に沿って得気があれば良しとする。または鍼尖を気管に向けて0.1~0.2寸刺入し、後に鍼柄を垂直にして下方へ刺入する。刺入深度が深すぎると、気管や神経を損傷し、反射性痙攣が起き、痰が詰まって窒息死することがある。咳嗽、喘息、胸痛、咽頭痛、暴瘖、嘔吐、血痰、しゃっくり、噎膈(いっかく、食道痙攣)などを主治する。
 
○30気戸(きこ)
鎖骨の中点下方にある。兪府の傍ら2寸の陥中にある。局部解剖は鎖骨の下方で、鎖骨と第1肋骨の隣接部にある。表層は大胸筋、深層には鎖骨下筋があり、鎖骨下動脈があって、胸筋神経と鎖骨下筋神経が分布しており、鎖骨上神経、肋間神経前皮枝が皮膚感覚を支配している。深部には肺がある。患者を椅子に腰掛けさせるか仰臥させ、璇璣の外側4寸、鎖骨下縁で乳頭直上の陥中を取る。刺入深度は0.5寸までとする。咳逆上気、喘息、胸肋の支満(胸部のつかえる感じ)、胸背の痛みなどを主治する。
 
○31新扶突(しんふとつ)
経外奇穴である。頸部にあり、上甲状切痕の傍ら3寸でその直下0.5寸にある。胸鎖乳突筋の後縁。まず、扶突(喉頭隆起の外方3寸で下顎角の下方1寸に取る。胸鎖乳突筋の前縁筋中に当たる。)を探し、その下0.5寸を取る。鍼尖を上へ向けて0.5寸を刺入限度として、斜刺する。局部に鈍い鍼感があれば良しとする。上肢の運動麻痺や振るえを主治する。下方に向けて斜刺すると肺にあたる可能性がある。
 
○32肩井(けんせい)
膊井(はくい)ともいう。肩の上にある陥凹で、缺盆の上、肩甲骨の前1.5寸にある。局部解剖では僧帽筋にあり、下層は肩甲挙筋と棘上筋の間にあたり、頚横動脈があって、鎖骨上神経と副神経、頚神経叢筋枝が分布する。第7頸椎棘突起下と肩髃を繋いだ中点で、ちょうど肩甲骨上縁と僧帽筋の間で推すと凹む場所をとる。刺入深度は0.5寸までとする。中風不語(脳卒中でしゃべれない)、痰涎壅盛(たんえんようせい、涎が出る)、頭痛、項背強急(後頚部や背部が強く強張る)、瘡癤(そうせつ、おでき)、婦人の難産などを主治する。
 
○33鳩尾(きゅうび)
尾翳(びえい)、𩩲骬(かつかん)、臆前(おくぜん)、神府などともいう。任脈の絡穴である。剣状突起の下0.5寸にある。局部解剖では胸骨剣状突起先端の白線上で、腹直筋の起始部(白線上)にあり、上腹壁動脈や肋間動脈があって、肋間神経前皮枝の内側枝が分布している。上部には心臓、下部には肝臓の左葉が接近しているので刺鍼深度・方向には気をつけなければならない。仰臥位で剣状突起下0.5寸にとる。剣状突起が触知しにくければ、胸骨体下端から1寸下をとる。刺入深度は0.5寸までとする。患者に両手を挙げさせた状態で、臍の方へ向けて、約45度の角度で斜刺する。または、少し刺鍼して得気があったら、鍼尖を皮下まで引き上げ、2~3cm平刺(横刺)する。刺入の方向によっては、心臓や肝臓に刺さる可能性があるので、十分に気をつけなければならない。胸満(胸のもやもや)、胃脹(胃の膨満感)、気逆上衝による咳嗽、喘息、心痛、翻胃(翻はひっくりかえるの意。つまり嘔吐のこと。)、癲狂(てんきょう)(躁鬱状態)、癇疾(かんしつ)(癲癇(てんかん))などを主治する。ちなみに、整体協会創始者の野口晴哉は、ここにビー玉のような硬結が現れると、患者は必ず死ぬと言っていた。
 
○34梁門(りょうもん)
承満の下1寸にある。局部解剖では腹直筋の上で、肋間動脈、上腹壁動静脈があり、肋間神経、肋間神経前皮枝が分布している。仰臥位で、上腹部の承満の下1寸、中脘の外側2寸にとる。刺入深度は1寸までとする。脇脹や胸満、脇下の積気、食欲不振、大便滑瀉、気塊疼痛などを主治する。刺入深度・方向を誤ると脾臓に刺さる可能性がある。脾臓は組織が軟弱なため、刺鍼で破裂した場合、死に至る可能性がある。特に脾腫など脾臓が肥大している場合は特に危険である。脾臓は腹部大動脈から間接的に大量の血液が流れ込んでいるため、破裂した場合、腹腔内で大出血を起こし、致死量にいたるほどの内出血を来たすことがある。また、鍼尖を上に向けすぎると肝臓を損傷する可能性がある。特に肝臓が肥大した患者には深度、方向に注意せねばならない。肝臓を損傷した場合も腹腔内で大出血を起こし、死に至ることがある。
 
○35人迎(じんげい)
喉頭隆起の両側1.5寸にとる。局部解剖では胸鎖乳突筋前縁と甲状軟骨の接触部にあり、ほぼ外頚動脈と内頚動脈の分岐部にあたる。顔面神経があり、頚横神経が皮膚感覚を支配している。患者を椅子に腰掛けさせて天井を見上げさせるか、仰臥位にし、胸鎖乳突筋前縁近く、喉頭結節の両側、圧すると動脈が手に応えるところにとる。刺入深度は0.3寸までとする(『鍼灸甲乙経』には0.4寸までとある)。動脈を避けて外方近くに刺入する。喉の腫痛、喘息、胸満、霍乱吐逆、頚腫瘰癧、高血圧症を主治する。また、血圧異常の他、バセドウ病などの甲状腺疾患でも使われるが、刺鍼を誤ると死を招く可能性があるので細心の注意が必要である。実際、以前、某鍼灸師が自分の妻に人迎洞刺を行い、死亡させたという例が報告されている。
 
○36水突(すいとつ)
前頚部の外側で、人迎の下、気舎の上にとる。局部解剖では甲状軟骨下縁の外方で、広頚筋、胸鎖乳突筋の前縁にある。深部には総頚動脈がある。顔面神経、副神経、頚神経叢筋枝、頚横神経が通っている。人迎と気舎の中間をとり、刺入深度は0.4寸までとする。喉の腫痛、咳嗽などを主治する。人迎と水突は甲状腺付近にあり、甲状腺腫では甲状腺上の血管が皮下まで突出してくるため、特に注意を要する。また、甲状腺は組織が脆弱であり、刺鍼を誤ると、大出血に至る可能性がある。
 
○37気舎(きしゃ)
鎖骨上神経と副神経、顔面神経、頚神経叢筋枝、血管は総頚動脈が通る。広頚筋、胸鎖乳突筋の上にある。取穴が外側にずれると交感神経に刺さるため、激痛が走る。総頚動脈を損傷すれば、大出血を起こす可能性がある。
 
○38章門(しょうもん)
肘尖、脇髎、季肋などともいう。少陽と厥陰の交会穴、臓会、脾経の募穴である。季肋の端にあり、下脘と水平に位置する。局部解剖では側腹部で第11肋骨先端、内外腹斜筋中にあって、肋間動脈があり、肋間神経が分布する。右側は肝臓下縁に、左側は脾臓の下縁に位置する。患者を側臥位にして、第11肋軟骨先端をとる。刺入深度は0.8寸までとする。脇の痛み、腸鳴、消化不良、嘔吐、多尿白濁、腰背の冷痛などを主治する。刺入は平刺とする。直刺で深刺しすぎると肋間神経や血管を損傷する可能性がある。また、刺入の方向を誤れば、肝臓や脾臓を損傷する可能性もある。
 
○39曲沢(きょくたく)
肘窩に位置し、上腕骨と尺骨の関節部で、上腕二頭筋腱の尺側縁にあり、筋皮神経、内側上腕皮神経、内側前腕皮神経、正中神経幹、上腕動脈幹が走る。刺入深度は0.5寸までとする。心痛、身熱、喉が渇く、吐瀉、霍乱、傷寒(チフス様症状)、気逆嘔吐などを主治する。浅刺して少量の血を出せば瀉法となり、高熱や吐き気を主治する。
 
○40神門(しんもん)
中都、鋭中、兌衝、兌骨とも呼ばれ、心脈が注ぐ兪土穴で心経の原穴でもある。豆状骨と尺骨の間で、尺側手根屈筋腱の橈側、尺骨動脈と尺側神経の走行上に位置し、尺骨神経が皮膚感覚を支配している。刺入深度は0.3寸ほどとする。心痛、イライラ、痴呆、癲癇、健忘、怔忡(せいちゅう)(動悸)、驚悸(びっくりして動悸する)、不眠、嘔血、目黄(目が黄色くなる)、脇痛、喘逆身熱を主治する。
 
○41中脘(ちゅうかん)
足陽明と任脈の大会で、胃の募穴である。また、臓腑の経気が集まり、腑会ともいわれる。上腹部に位置し、上脘の下1寸、臍の上4寸にとる。局部解剖では腹直筋白線中にあり、上腹壁動脈、肋間動脈、肋間神経前皮枝が分布し、深部には胃の小弯が位置する。仰臥位で臍の上4寸をとる。直刺で刺入深度は1寸くらいまでにする。消化器系疾患の常用穴であり、胃痛、腹脹(腹部の膨満感)、瀉泄(下痢)、痢疾(りしつ、細菌性下痢)、反胃呑酸(胃液を吐く)、食物難化(消化不良)などを主治する。刺鍼深度、操作を誤ると胃穿孔、腹膜炎を起こす可能性がある。腹部の経穴は一般的に、刺入深度が1寸を超えると臓器を損傷する可能性が高くなるといわれている。
 
○42日月(じつげつ)
神光ともいう。胆の募穴で期門の下1.6寸にある。局部解剖では第7、8肋軟骨間に位置し、肋間動脈があり、肋間神経が分布する。内・外腹斜筋の上に取る。仰臥位で第9肋軟骨付着部下際にとる。期門の下1.6寸である。刺入深度は0.5寸までとする。脇肋の痛み、嘔吐、呑酸、呃逆(やくぎゃく、シャックリ)、黄疸などを主治する。深刺すると胆嚢を損傷する可能性がある。
 
○43睛明(せいめい)
精明、涙孔(るいこう)、涙腔、目内眦(もくないし)、目眦外(もくしがい)などともいう。手足の太陽、足陽明、陰蹻、陽蹻が交会している。内眼角の外側0.1寸にとる。局所解剖では、眼窩内縁、内側眼瞼靱帯があり、眼角動脈、眼神経が走行する。目を閉じた状態で、内眼角の内側約0.1寸の部位を圧し、鼻骨の辺縁をとる。刺入深度は『鍼灸明堂』では0.15寸、『鍼灸甲乙経』では0.6寸としている。眼球及び眼神経を避けるように刺鍼しなければならない。また、内出血を防ぐため、顔面部の刺鍼および抜鍼はゆっくりと柔らかく行う。ちなみに、中国では、眼の異常には上睛明からの眼窩内刺鍼が多用される。上睛明は眉頭の下あたりにとり、球後(→後述)と同様に刺鍼する。
 
○44承泣(しょうきゅう)
面髎(めんりょう)、谿穴(けいけつ)などともいう。目の下0.7寸、瞳孔の垂直線上にある。眼窩下縁と下眼瞼の境で、眼輪筋中にある。眼窩下動脈と顔面神経、上顎神経が分布する。正視させ、瞳孔直下、下眼瞼の半月縁正中、骨の縁をとる。刺入深度は0.4寸ほどとし、30秒ほど置鍼する。眼がはっきり見えない、涙が出る、夜盲症、遠くを見るとぼんやりする、口眼歪斜、瞼の痙攣などを主治する。刺鍼を誤ると、睛明と同様に眼球後部で出血を起こし、眼球突出、パンダ目、視野狭窄などになる。出血しても失明することはほとんどないが、外見上の問題で精神的苦痛を与えることになる。出血した場合は、まず冷やしながら止血し、後に温湿布などで温め、血液の吸収を促せば治癒が早い。ちなみに、『聖済総録』では刺入深度を0.3寸までとしている。
 
○45球後(きゅうご)
経外奇穴である。内出血が起こりやすいため、基本的には刺鍼しない。眼窩下縁の少し上方にあり、眼窩下縁の外側1/4と内側3/4の交点にある。局部解剖では眼窩下動脈、顔面神経分枝、眼窩下神経が走行する。患者には正視させ、術者は執筆式(鉛筆の持ち方)で鍼を持つ。眼球を軽く押さえながら、眼窩下壁に沿わせて眼窩内に1~1.5寸刺入する。得気は眼球が腫れぼったい感じか、眼球突出感があれば良い。視神経炎、視神経委縮、網膜色素変性、緑内障、白内障の初期、軽度の近視などを主治する。
 
○46陽谿(ようけい)
別名、中魁(ちゅうかい)ともいう。経火穴である。手関節後橈側で、手関節横紋の前橈側、筋間の陥中にある。局部解剖では舟状骨と橈骨の間で、橈骨手根関節の橈側陥中にあり、短母指伸筋腱と長母指伸筋腱の間、橈骨動脈の後方に位置し、橈骨神経が分布する。掌を側位にし、親指と人差指をまっすぐに伸ばし、親指を上に反らせ、歧骨(きこつ、第1・2中手骨のこと)の後方に現れる陥凹をとる。刺入深度は0.4寸までとする。頭痛、目赤生翳(もくせきしょうえい、結膜炎や角膜白濁)、難聴、耳鳴り、喉痹、手首の痛み、歯痛などを主治する。手関節部は筋肉や脂肪組織が少なく、腱や腱鞘が皮下に迫っている。中国及び欧米では手関節、特に橈側付近での感染(骨膜炎など)が多数報告されている。不十分な消毒で刺鍼を行うと、ひどい場合は、機能障害を引き起こすことになる。
 
○47四縫(しほう)
経外奇穴である。両手の親指を除く4指、遠位指節間関節の掌側中点にある。皮下には固有掌指神経と固有掌側指動静脈の分枝がある。手掌を上に向け、短鍼で0.1寸ほど速刺し、少量の黄白色で透明な液体か、血液を絞り出す。疳積(かんせき、主に授乳を止めるのが早すぎたり、栄養状態不良、長期にわたる下痢や嘔吐、寄生虫感染などにより発症する病症のこと。小児における病症である。癇癪(かんしゃく)とは異なる。)や消化不良、下痢、発熱、咳などを主治する。深刺してはならない。『刺鍼事故』には「刺鍼後は施術部位を掻(か)いたり、ひねったり、汚したりしないように患者に指導する。刺鍼後に患部を汚したため感染し、中指に障害が残った例がある。」と記載されているが、抜鍼後に鍼孔から細菌などが入り込むことは考えられない。鍼ほどの太さの孔(あな)ならば、抜鍼後には皮下周辺組織の圧力により、鍼孔は完全に閉ざされてしまうはずである。しかも、鍼は鋭いので孔の痕も完全に残らないほどで、細菌の入り込む余地など無い。したがって、この例では、刺鍼後に感染したとは考えられず、おそらく刺鍼中に感染したのであろう。器具の滅菌及び、手指・患部の消毒が不徹底で、無菌操作が完全でなく、鍼で細菌を押し込んだものと考えるのが妥当である。捉え方によっては、施術者の逃げ道でこのような指導をしている感もある。
 
○48小海(しょうかい)
合土穴である。尺骨神経溝中にあたり、尺骨神経が走る。尺側手根屈筋の上にあり、内側前腕皮神経、尺側反回動脈、尺側側副動脈が通る。刺鍼がいい加減だと感染して化膿し、尺骨神経機能障害を起こし、鷲手となることがある。私はこの経穴に自分で刺鍼し(円皮鍼)、1ヵ月ほど尺骨神経麻痺になったことがある。
 
○49人中(にんちゅう、水溝)
鬼市(きし)、鬼宮(きぐう)、鬼客庁(きかくちょう)ともいう。督脈と陽明経との交会穴である。鼻の下、人中溝の中央、鼻孔に近い陥中にある。鼻梁骨の下で、人中溝の上1/3にとる。口輪筋中で、上唇動脈があり、三叉神経の第2枝、上顎神経と顔面神経が分布する。刺入深度は0.3寸までとする。癲癇発作、中風口噤(ちゅうふうこうきん、脳卒中で口が開かない)、口眼歪斜、面腫口動状如虫行(顔が腫れて虫が這うように口が動く)、消渇飲水無度(糖尿病による喉の渇き)、脊強腰痛(背骨が強張って腰が痛む)、小児の驚風(ひきつけ)、中風不語(脳卒中で喋れなくなる)、中悪(ショックや失神)、中気(脳卒中のようなもの)、尸厥(しけつ、突然の仮死状態)、人事不省(じんじふせい)などを主治する救急穴である。刺鍼しただけで覚醒することもあるが、ほとんどは提插捻転しているうちに、大きなため息をついて覚醒する。
 
○50翳風(えいふう)
深部には顔面神経幹が通るため、顔面神経麻痺を主治する。また、深部には内頸動脈、外頸動脈があるため、慎重に刺鍼しなければならない。さらに、外耳道が隣接しているため、刺入角度および刺入深度を誤ると、鍼尖が外耳道を突き破って鼓膜まで到達する危険性がある。外耳道の外側1/3は軟骨性、内側2/3は骨性であり、鼓膜は側頭骨の鼓室部で守られているため、鍼が鼓膜まで進入する可能性は低いが、1寸以上の長さの鍼を使う場合は注意が必要である。一般的に外耳道の長さは、約3cmであるとされる。柔軟性に富んだ5番前後鍼を使う場合は特に気をつけなければならない。耳鳴り、難聴、耳閉感、その他顔面部諸器官の充血性諸症にも用いる。
 
 
《参考文献》
『刺鍼事故-処置と予防-(劉玉書著、淺野周翻訳、三和書籍)』
 
 

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